しなのさかいの駅前広場

またリニューアルですか、そうですか

御宿でんちゃり

こんばんは。しなのさかいです。




先の松本行きに関連して、手元に「青春18きっぷ」が3日分残りました。

金券ショップに売りに行くことも考えましたが、女房殿が「それはもったいないんじゃないですか?」との仰せでして、「ならどうするんですか?」といったつかみ合いと殴り合いが起こりまして、その中でハッと思い出したのがカトーのE235系1000番台だったのです。

「あの模型、実車を好きになれないまま結局スルーしてたよな…」
「模型を好きになるためには、まずはホンモノにどっぷり浸ってみようかな…」
「どうせ行くなら遠いところがイイよね…」
「『上総一ノ宮』なんか旧国名のど真ん中のような駅名で惹かれるじゃない…」



まぁそんなことを次々と考えてしまったんですよね。

てな訳で、猛暑の中、二人でひたすら電車に乗っているだけという荒業のようなの目論見で出掛けることとしました。
2023年8月12日 土曜日のことでございます。





希望する時間帯の中では、横浜を9時00分に発車する列車が上総一ノ宮行きでした。
湘南新宿ラインの御先祖様に当たる快速電車の利便性を確認するために、これから一気に外房線まで乗り通します。





思いっきりブレていますが、これが件のE235系1000番台でして、一部では電子レンジのような正面スタイルから“スカレンジ”と呼ばれているとかいないとか。
賞賛しているのか、揶揄しているのかがよく分かりませんけど“電子レンジ”という表現の他に何かなかったのかという感想はともかくあります。





普通車はついにオールロングシート化されましたので、計画段階で「サロ」に乗ることを決めていました。

51km超えでも休日料金なので、追加料金は800円で済みます。
特急のような座席で2時間を超える旅ができるのですから、これはこれで「価値あり」でしょう。



列車は東京都心を抜けて房総半島・千葉県へ。

やがて真後ろに父娘が乗ってきて、3歳くらいと思われる娘さんはテーブルをバタンバタンするわ、我々の座席を蹴るわ、大声で騒ぐわで大変でした。

さらに蘇我に停車したときは「ロッキン」の会場へ向かうロックな方々がホームを歩いているのを見て、お互いに好きなことをしている身なのだナと確認。





終点が近づくと、房総半島の田園風景が広がってきました。
どこまでも山地が低い(というか、ない)。
地形に険しさがないことは、中部地方ばかり出掛けている当方としては新鮮でもあります。

極めて主観になりますが、房総半島への旅は、こうしてわざわざ電車に乗ることでもしなければならなくて、車で行くときの帰りは京葉道路、東関東道、アクアラインのいずれかの渋滞を覚悟しなければなりません(諸説はあるでしょう)。
関東地方特有の難しい問題なのではないかと考えています。





11時10分。
終点・上総一ノ宮着。
「サロ」の乗客はほとんど残っていませんでした。

非常に身軽なアジア系外国人グループ(男女7人程度?)も降りていました。
観光目的で訪日した方々のインバウンドの様子、というよりも、どことなく日本で働いている方々の休日のレクリエーションのような気がしました。





ここで引き返すようなことはしませんで、このまま外房線の奥へ突っ込んで行きます。
続いて11時21分発の勝浦行きに乗り換え(臨時列車とのことでした)。
たった11分の接続で、気持ち良すぎです。

「209系、ここにいたんかーい」と言いたくなる再会ができましたが、外房線の過酷さ(?)なのか、汚れと帯の褪色がひどくてひどくて。
早晩これも引退なのでしょうね。





ちょうど昼どきになりましたので、11時49分、御宿(おんじゅく)で途中下車。
アジア系外国人グループもここで降りていました。

横浜からここ御宿までの片道運賃で青春18きっぷ1日分の値段を超えたようですが、そういう乗り方はしていないので、飽くまでもサブ情報ということで。

駅の隣の観光協会で電動アシスト付きの自転車を借りて、ごはんを食べれるところへ。
自転車は2時間で400円とのことでした。





伊南房州通往還、の切通し。
江戸時代には確立していた、千葉市と館山市を結ぶ外房回りの街道だそうで、その一部区間とのことでした。
明らかに山を崩しており、やはりトンネル技術がない江戸時代の工事だったのではないかと想像(違うかもしれません)。

セミの大合唱の中、ときどきふわっと涼しい風が吹いてくれて、日陰にいると特に気持ち良いところでした。
海に近い土地だからなのかな。









この日のランチ。
ごちそうさまでした。





2時間弱で御宿駅へ帰還。

何故かアジア系外国人グループも同じタイミングで駅に戻ってきて、男女7人くらいが跨線橋の上に並んで遠くを見つめていたり。
ますます謎が深化してしまったんですけど、グループで海とか伊勢海老とかを楽しまれたのではないか…と、そう思うことにしました。


それにしても8月12日というレジャーシーズンのど真ん中なのに、御宿駅は日常の中に包まれていまして、昭和の夏休みの様子がまるでウソのようでした。
子どもたちにとっての夏休みの思い出は、TDLへ行くこととか観光地で買い食いというスタイルへすっかりシフトしてしまったんでしょう。

かえってこうした土地でかつての夏休みのような体験をする方が価値が高くなっているような気がします。
「あの頃の懐かしい夏休み」という商業価値がチラチラと見えかけていませんかね。





件の外国人グループは、勝浦方面からやってきた列車で上総一ノ宮方面へ戻って行きました。





これまた涼しい風が通り抜けるホームで14時08分発の木更津行きを迎えました。
さらに外房線を奥へ進みます。
いらっしゃったのはE131系の2両編成。
「カトーはいつかこれをやるだろうな」と確信した瞬間でもありました。



ところで。
まだ外房線にいるのですが、内房線の木更津行きという点には少々ビックリしました。
館山で運転系統が分離されているものと思い込んでいましたが、いろいろと変化が起こっているようです。

そういえば房総特急は、外房線の「わかしお」は健在でも、内房線の「さざなみ」は大分様子が変わってしまったんだとか。
基本的に館山まで行かなくなってしまった点(君津止まりとなった点)が大きく、とても衝撃的です。
何事も高速道路の影響なんですね。

鉄道全体に関しても、時刻表の表紙にバッチリ書かれている程に当たり前だった「房総夏ダイヤ」がなくなってしまいました。
それだけ海水浴客が消えているということなのでしょう。

皮肉にも1993年に255系を導入してテコ入れを、という施策が何も奏功しないように1990年代に取り止めとなっていったようで(蕨方面が「白い砂」セットを発売したことには「さすが!」と褒めてあげたくなりました)。
その255系は30周年を迎え、外観も大分ダメージを受けているようでした(御宿の踏切で目撃)。
255系の歴史は「失われた30年」ともリンクしているようです。





外房の海。
台風7号が近づいているからか、波が高いようでした。
安房鴨川に近づくと、ビーチから舞い上がった砂が街へ覆い被さるような霞が見えたりして、ボーッと乗っていてもいろいろと勉強になります。









16時01分、内房線・浜金谷着。
関東に住む者ならば、この駅の重要性は是非知っていなければなりません。

ここから歩いて数分のところに久里浜行きの「東京湾フェリー」乗り場があるんです。
したがって、ここから一気に三浦半島へ戻ることができます。
いわば「脱出口」なんですが、JRの車内放送では全く触れられていませんでした。





これまた接続が良すぎて、16時30分の金谷港出航便に余裕で乗れました。
「徒歩乗船」は片道900円で、乗船時間は40分とされています。
車での乗船の方は、昔ならお盆休みのようなピーク時期であれば乗り場手前の国道127号線が大渋滞になる程の混雑ぶりでしたが、この日は余裕で乗れるようでした。
アクアライン800円の影響、なのでしょうかね。

とにかく、さらば房総半島。





同型艦(船)との行き違い。





久里浜港からは17時20分発の京急バスで終点の京急久里浜駅まで乗りまして、そこから歩いてJR久里浜駅に辿り着きました。

17時43分発の列車で再びE235系1000番台の「サロ」に乗り込んで横浜を目指して、今回の日帰り旅のエンディングです。



かつては国鉄時代から「東京湾フリーきっぷ」なるものが売られていて、それを利用したことが数回ありました。
ただし半島内のルートは内房線でしたっけ。

今回はそれを外房線にねじ曲げて、あえてスパルタンなルートを選ぶ形となりましたが、不思議なことに接続がサクサクと上手く行きまして、どこでも待ち時間が30分以内に収まるという都合の良さ。
見たことはないのですけど、この接続パターンはどこかの「18きっぷ本」で紹介されているんですかね。
それほどストレスのない鉄道旅行だったんですの。















「午前中は眺めの良い2階席を選らんだからやかましいおチビさんと遭遇したのだろう」

こう反省し、この日2回目となる「サロ」利用ではアダルトな雰囲気のあるTR台車上の平屋席を選びました。
たった12席の落ち着いた区画で、確かに妻面に向いているんだけれど、木目調の化粧板がどこか応接室のような雰囲気を演出していましてね。
「貫通扉」という主張はほぼゼロで、どちらかと言うと「壁」。
少なくとも、往年のサロ110のような野暮ったい「扉」ではありませんでした。



久里浜からはガラガラ。
でも案の定、夕方の時間帯ですから、鎌倉ではドカっとした乗客があり、グリーン車も例外ではなかったようです。

我が平屋ゾーンには、今度は手ぶらの欧州系男性4人グループが乗り込んできて「イヤッホー」と言わんばかりにリクライニングシートを倒し始めまして、各自くつろいだ姿勢となってスマホの操作に興じるという雰囲気に。

しかし、頭上のSuicaグリーン車システムは大船を過ぎても赤ランプのままなんです(あーやっぱりね)。

嫌な予感が的中しまして、やがてアテンダントさんがやってきて、彼らの前に。
そして男性グループからは「アー、スミマセーン」の声。

アテンダントさんがガラリと開け放ったその木目調の「壁」の向こう側へ、まるで『サザエさん』のエンディングのように、背の高い4人の男性がひとりずつ吸い込まれていきました。

見届けたアテンダントさんはそっと「壁」を元に戻して、リセット完了と言わんばかりに我々に向かって無言で笑顔。
「壁」にはこういう使い方というか、機能があるのかと感心した次第です。
確か『宇宙戦艦ヤマト』でもこういうシーンがあったような(総統がボタンを押すと部下が消えちゃうとか?)。
もうね、今後の増備車からは継ぎ目も無くすくらいのマイナーチェンジをしてもらいたい(^^)






横浜着は18時37分。
9時間37分の耐久レースでしたけど、猛暑の中の非自家用車旅行としては上出来でした。

次の再生産のときにカトーのE235系1000番台を買うかどうかは「サロ」にいた男性外国人4人を思い出すかどうかによると思われます(たぶん買うな)。


ではまた。


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  1. 2023/08/17(木) 19:00:00|
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ちょっと北近江まで(その5・完)

(その4からつづく)


【第10ランナー】954M
豊橋12:07→浜松12:41




豊橋以東はダイヤの乱れがなかったようで、12時07分始発の浜松行きに遅れるなどのアナウンスは全くありませんでした。

Nゲージで見たようなコンテナ列車(これは買っていませんよ)の観察もソコソコにして、ココでスケジュールを元に戻すべく、わずかな乗り継ぎを行うこととしました。
豊橋探訪はまた別の機会に。





浜松までの県境越えに充当されていた車両は211系5000番台で、静シスLL16編成。

ついにトイレがない列車の登場で、211系5000番台はトイレ付きの313系と併結される宿命から解放されるときもあるようです。
発車前のアナウンスでも「トイレがありません」と繰り返していましたので、JR東海としても負い目を感じているのか(失礼)
30分程度の運用ですから問題はないと思いますが。





すんなりと静岡県へ入って、昨年8月に訪問した新居町あたりを確認。
クリスマス寒波とは無縁な天気で、水面の色のキレイなこと。





続いて浜名湖も通過。
岐阜県の降雪が想像できないほどの穏やかな冬晴れでした。





浜松に到着。
駅ビルは「メイワン」。

様々な都市の駅ビルの愛称名を覚えていると、その土地御出身の初対面の方との会話の中でビックリされることがあります。
お試しあれ。







さすが政令指定都市としての貫禄がある遠州・浜松で、大都会そのもの。
過去に(いろいろと話題になっている)静岡県知事の“浜松は我が道を行けば良い”という趣旨の発言があったと記憶していて、なるほど分かる気がしました。
確か、県都である静岡市の人口減少を問題視した上での発言だったかな。
間違っていたらすみません。





メイワン内の書店で、2日前に発売された浜松を舞台にした漫画の最新刊を買いましたが、特典などはありませんでした。
勝手に期待したこちらが悪かったのです。

エスカレーターやカフェは遠州ギャルばかりで、「この日に賭けた」若者たちの全てが駅周辺に部隊展開しているんじゃないかというくらいの混雑ぶりでした。
リュックサックとおみやげ入りの紙袋を持った当方が違和感丸出し。

せっかくの機会なので、遠州のクリスマス・イブを目に焼き付けておきました。





今年はもう見ないと決めています(笑)



【第11ランナー】3302F
浜松13:38→掛川14:05


ここからは持ち時間にやや余裕がありまして、もう少し浜松に止まることもできたのですが、掛川止まりの列車が先行することに気づき、そこまで先行してみることとしました。





ホームで待っていたのは313系0番台・海カキY10編成の4両(のみ)。
静シス編成だとロングシートの確率が高くなるので、クロスシートで少しでも長く移動してみたいというセコい計算も即座に働きました。





駅弁を買っていたこともクロスシートに座りたかった理由でして。
「車内で駅弁」なんて数十年ぶりでしたよ。
今では駅弁をデパートで買うものと捉えてしまいがちですから。

3302Fは掛川が終点。
大垣車の運用範囲は、熱海方面は掛川が東端なのかも。
そんなことにも気づく「オレンジ帝国」東西横断の旅でした。

それにしても掛川駅のローカルムードは東海道新幹線の駅の中でも異質で、米原とはまた違うものでした。



【第12ランナー】3206F
掛川14:18→静岡15:03




寒風が身に刺さるホーム上で10分程度待機していると、本来なら浜松から乗る予定だった3206Fがやってきました。
313系2600番台で、静シスN7編成。
2600番台は確かトミックスが製品化してましたっけ。
静シスはT編成ばかりだと思っていましたが、こんなのも紛れているんですね。



定刻どおりに静岡に到着。
ここで約1時間の小休止としました。
理由は、駅ビル「パルシェ」5階にある模型店の強行偵察です(もう一つ理由がありましたが)。
やはりクリスマス・イブの駿州ですので「アスティ」とともに大変な混雑でした。


で、当該模型店は中古品の量が豊富で、その中に気になるモノはありましたが、やっぱり買うことはせず。
ムードに流されてはいけませんよね。

店内では、小さい男の子が母親にココで買ってほしいという趣旨でねだっていて、母親が「アンタはサンタさんに何をお願いしたのよ!」「サンタさんがそれを持ってきたらアンタどうすんのよ!」と絶叫していました。
一瞬、レンタルレイアウトではしゃぐ親子たちの会話が途絶えるほどの剣幕。

その夜にやってきた「サンタさん」は、寝ている男の子を見てA4サイズの箱を投げつけていなければイイんですが(大丈夫だった?)





その後は、駅のホームに戻って第13ランナーの入線を出迎えることに(そうしなければならない理由がありました)。

その列車の前には15時45分発の373系「ふじかわ」4号がスタンバイ。
この車両もあと数年で車齢30年になろうとしています。



【第13ランナー】214F
静岡16:03→熱海17:20


とうとう関東へ足を踏み入れるランナーの発車。
この214Fで一気に熱海まで進みます。
冬至から2日後の夕日を背にして静岡市街の高架線をゆっくりと進んだところで、そろそろこの旅もおしまいだと思ったタイミングでした。





乾燥した空気の中で富士山も赤く染まっていたので、旅のエンディングとしては最高の演出となったのかも。
新幹線なら一瞬で終わる風景ではないでしょうか。


そして、丹那トンネルを抜けて、関東地方と言って良さそうな静岡県熱海市へ到達。
「静岡県」という単位で見るとその中には地域性の変化が激しくて面白いですね。





で。
お世話になった最後の313系は、近年海シンから静シスへ移籍してきた8000番台でした。
編成番号はS6。
KATOの10-589はB204(→S4)、10-1530はB203(→S3)で、ともに神領の編成番号でしたから、次の再生産ではカッコ書きで「静シス編成」なんていうことがありそう。

静岡で途中下車した理由のもう一つが、この313系8000番台に乗るためでした。
214Fに使用することがあるとネット上の情報を得ていたので、静岡からのスケジュールは旅に出る前から固定していたのです。
旅の終わりに転換クロスシート、それも元「セントラルライナー」のそれですから、これもちょっとしたエンディングの演出、ですね。





座席は313系の中では最も上質か。
この座席がタダなんですから、そりゃ乗ります。

静岡で乗車待ちをしていたとき、後ろにいらしたカップルさんの女性の方が「最近この電車ばっかりだよね」と御発言されていました。
どういう意味だったんだろう??





編成全体。
こんな派手派手しいオレンジの電車が熱海まで現れるようになったのですから、そりゃ帝国の脅威を感じますよ。
「どこまでオレンジ推しなんだよ」ってね。
伊東線への通過客が何も知らないで「なんだあのオレンジ電車は?」と言っているんじゃないかと想像。



【第14ランナー】1924E
熱海17:30→小田原17:52




再びJR東日本の区間に入って、この旅は小田原でおしまいとしました。



⬜︎ ⬜︎ ⬜︎



模型の話題を書くべきところ、旅日記にここまでお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。

せっかくの鉄道によるフィールドワークでしたので、自分へのメモのつもりで書き残しておこうと考えてのことでしたが、なかなかコンパクトにまとめることができず、1か月もかけてしまいました。



短時間かつ快適な移動手段を選ばずに、あえて不便で無駄なことをしてみたところ、目的地だけでなく移動途中も旅の一部となり、車窓から見る家並みや気候の移り変わりを楽しむことができたようです。

どんな土地へ向かうにも、視線を低くして、速度を落として移動してみれば「冒険」になるのかもしれません。
高速移動を繰り返しているだけでは、何かを見落とし続けている可能性がありますし、それはひょっとしたら人生の残り時間、自由時間を消費する上でとてももったいないことではないかと。

風景のグラデーションの最後に旅の目的地があれば、そこで見るあらゆる物事が「ああ、なるほどね」となるはず。
そーゆーことを楽しみたいし、鉄道模型趣味の世界でも大切にしていきたい概念です。


そしてまた、模型車両の現実世界での活躍ぶりを体感することも大きな収穫でした。
特に雪の関ヶ原を走る313系の姿は、脳内の固定観念を見事に更新してくれまして、自宅での遊び方にも良い(?)影響がありそう。
今後、模型の313系を手に取ったときに浮かぶ背景は、より旅情豊かなものになることが間違いなさそうです。

模型店で並ぶイマドキの車両たちを味気ない、無機質なモノと捉えてしまいがちな近年ですから。
銀色のローカル車両たちを興味の対象として見つめ直すためには、こうした脳内の再定義が必要なのかもしれず、わざわざ無駄なことをしてみないとそれは叶わないのかもしれませんね。




そろそろ模型の話題に戻ることとしましょう。

ではまた。

  1. 2023/01/31(火) 09:30:00|
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ちょっと北近江まで(その4)

(その3からつづく)


最後に3日目、12月24日(土)の帰り道のことに触れます。

再び青春18きっぷを使った乗り継ぎ旅で、関東平野へ戻るルートの選択は、無難に東海道本線のみとしました。

東海道新幹線ならアっという間に戻ることができるのに、あえて丸1日かけて車窓の移り変わりを観察しながら、のんびりと移動するというのも考えようによっては贅沢なことですよ。
そうなんです、これは贅沢なひとり旅…





ただし、一夜明けた米原の景色は一変していて、既に(関東人から見れば)結構な積雪も。

スケジュールを1日遅らせていたら、レンタカーで走り回ることなんてできませんでした。
何が幸いするか分かりませんね。





京都からやってくる223系2000番台は、白い粒の迷彩が効いてよく見えませんでした。
カメラを持つ手は感覚が鈍るばかり。





681系もそろそろ「おしまい」なのでしょう。
車体はだいぶくたびれた様子で、先頭部分は特に。
改めて見ると昔の潜水夫のような面白い顔をしています。



【第8ランナー】5110F
米原9:18→豊橋11:27




後半戦のファーストランナーをどれにするかは、実は駅前の東横インを出るまで悩み続けていたのでした。
もっと早く出て豊橋で途中下車し、馴染みのない街をふらつくのもアリかなと考えてみたんです。
有名な鉄道模型店にも行ってみたいし。

でも、行ったところで探しているモノが見つかる可能性はほぼないし、わざわざ行ってしまうと欲しくもなかった何らかの「おみやげ」を持ち帰りたくなるもの。
もつ、そうやって模型を増やすことはやめようと決めたんです(ホントか?)

結局、豊橋訪問はまた次の機会とし、のんびりと出発することとしました。

この列車は、平日は〈快速〉なのに、土日には〈特別快速〉に化けて停車駅を少なくして(共和・大府・幸田を通過)、でも刈谷に1分しか遅れないくらいで同じ時刻で豊橋に着くという不思議なダイヤ。
どうなっているんでしょうね。





313系300番台・海カキY34編成がやってきました。
これもまた別の編成を併結していたはずなのに、後ろ(豊橋方向としては前)の編成を控えていません。
模型趣味人としては手落ちですね。
KATOの10-1383はY37編成ですからこれもまたハズレ(何のクジなんだろう)

雪の影響で入線が遅れ、さらに数分遅れて発車。
お世話になった北近江とはいよいよお別れです。



さて。
米原・大垣間の車窓はかつての「大垣夜行」から乗り継いだ早朝の景色が記憶に残っていて、朝もやとか、学校に行く子どもたちとかがその演出をしていたかと。

なので今回の帰り道を楽しみにしていたんですが…





醒ヶ井ではドアが開いても雪。
誰が乗ってくるというねん。





近江長岡でも同じ。
ドアが開いて、1人の乗客が雪のホームへ飛び出して行ったので、とうとうオカしくなったのかと心配になって目で追うと、ホームの端でカメラを構えていました。
後続の「ひだ25号」を撮影したかったようで、短いキハ85系が粉雪を吹っ飛ばしながら通過。
靴に雪が入ったでしょうに。
おつかれさま。





関ヶ原まで来ると、いよいよ「ココは東北か?」となりまして、最後尾の車両から右に曲がるカーブで先頭付近を見ていたら、昭和の時代の急行列車そのものであることに気づいてしまったんですよね。

「313系は雪が似合う」と捉え直した瞬間で、家に置いてきた大量のカトーの313系でもう少し真剣に遊んでみたくなった瞬間でもありました。



大垣に近づくにつれてやや速度が落ちてきました。
この先の状況をアプリで確認したら、名古屋圏で列車の詰まりが発生した模様。
このままではこの列車も線路上に立ち往生することが必至なのか、ついに大垣車両区がある大垣で本列車を運転打ち切りにするとのアナウンスがありました。
東海指令は線路上の列車本数を減らすことに決めたんでしょう。

米原から豊橋までの快適な着席旅を楽しむつもりが、大垣で降ろされてしまうこととなりました。



【第9ランナー】5318F
大垣9:41→豊橋11:10


ダイヤ上は5110Fが到着する12分前に発車しているはずの5318F(新快速)に乗り換え。
それでも発車できないままの5318Fは乗客を吸い続けていて、当方も最後尾に立つことになりました。
土曜日でしたから、平日なら大変なことになっていたのかも。

乗務員室には本来の1人の外に2人の車掌が乗り合わせていて、男1女2が混じった和気あいあいな感じでした(飽くまでも当方の主観ですよ)
JR東海指令のアナウンスがしゃべりっぱなしでした。

その後、30分くらい待ってようやく大垣を発車。





西岐阜でもこんな積雪で、車窓からはスリップして動けない車もチラホラ。
クリスマス・イブにとんでもない思い出をつくられていたようです。





岐阜に滑り込んだらキハ85系がいらっしゃいました。
デビュー当時から大好きだった「ワイドビューひだ」もこれで見納めかな。
お世話になりました。





名古屋市街も一晩で結構降ったようでした。

南岸低気圧の通過で降雪を経験する関東人にとっては、名古屋の降雪パターンがあまり理解できていません。
日本海側からの雪雲が岐阜県付近までで支えきれずに濃尾平野へ流れ込んでくるところに特徴があるようですね。
それだけ寒波の勢いがあったということが分かります。

名古屋で乗客のほとんどが降りてしまい、座る場所も選びたい放題になりました。





降雪跡は大府、刈谷付近まで南下すると何も見えなくなってしまいました。
おそらくここら辺では降らなかったんでしょう。
同じ名古屋都市圏でも、土地によって天候に大きな違いがあるということがよく分かりました。





岡崎付近でGoogle mapを見たら、名古屋圏の高速道路はほとんど通行止めみたいでした。
東海道新幹線も遅れているとかで、快適な新快速の旅が申し訳なく。
やっぱり並行在来線は大事ですよ。





遠くに三河湾を確認できるようになると、そろそろ豊橋。
予定どおりに黄色い幕の特別快速に乗っていたら、一つの快速列車で近江、美濃、尾張、三河と4か国も走り抜けていたのでした。
大垣で一呼吸置いたものの、ほぼ同じ感覚で走り抜けて、さらには遠江まで窺うという旅はやっぱり面白いなと考えた次第です。





43分遅れで11時53分に豊橋。
大垣で確認していませんのでココで見てみたところ、0番台・海カキY9編成でした。
KATOの10-1382はY4編成なので今回もハズレ(だから何のクジ?)



書ききれませんでしたので「その5」を最終回とさせていただきます。

(その5・完へつづく)


  1. 2023/01/24(火) 20:00:00|
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ちょっと北近江まで(その3)

(その2からつづく)


本稿では2泊3日の旅の2日目、12月23日(金)の動きをお伝えするつもりですが、今回は観光情報ばかりとなります。

鉄分は少なめですので、その点をあらかじめ御容赦くださいませ。





東横イン米原駅新幹線西口を朝8時過ぎに出ました。
米原駅前は閑散としている分、必要最小限の要素が至近距離に密集していて、レンタカー店もその一つでした。

東横インからほんの徒歩数分で、とび太くんに案内されながら、予約済みのレンタカーを引き取りに向かいまして、手前に見える白い車がこの日の相棒となりました。

レンタカー店の方に「北の方へ行くのはどうでしょう?」と聞くと「うーん、一応スタッドレスタイヤですが、うーん」といった歯切れの悪い応答で、かなりの難問をふっかけてしまったようで申し訳なく。


それでは10か所のポイントを順番に御案内します。



① 彦根城



米原から彦根城の近くまでは20分くらいでしたでしょうか。
朝8時台はこの地でも車による通勤ラッシュが激しくて、鉄道ばかり乗ってきた者が慣れない土地でいきなりハンドルを持つのですから、やや緊張。

カーナビの誘導で、あらかじめ教えてもらっていた住所に迷わずに着いて、この日の本当の相棒となる友人と9か月ぶりに再会。
青空を背景にして彦根城を眺めながら湖周道路へ出て、奥琵琶湖へ北上開始です(今回はお城見学はパス)。



②マキノ高原・メタセコイア並木



北近江を味わう今回のツアーの「最奥地」としてマキノ高原を選んでみました。
まずはココまで北上して、その後は持ち時間の範囲で彦根方面へ戻りながら観光スポットをハシゴするという魂胆です。

訪問が1か月早ければ、この道路は車のブレーキランプだらけだったかもしれません。
それほど落葉の季節は観光需要が高く、これもまたデジタルカメラ(スマートフォン)が生んだ騒動なのでしょう。
でも、葉が落ち切った褐色の季節もまたイイじゃないですか(^^)

訪問者は我々の他にはほとんどゼロ。
久しぶりのメタセコイア並木を、御覧のような閑散期ということもあって、自由にウロウロして味わうことができました。

移住したばかりの友人はこの場所を知らなかったそうで、どこへ連れて行かれるのかと心配だったそうで(アラアラ)
どっちが案内人なのかわからないところが面白いなと(^^)



③ 海津大崎

マキノ高原から湖畔に出て、そのまま海津へ。
琵琶湖なのに漁村のような雰囲気のある家並み。
この地も再訪してみたい場所でした。
この辺は「津」が付く地名が多いようです。
理由はなんとなくお分かりいただけますよね。





そんでもってこのブルーなのですよ。
風が強くて波が立っていましたけど、でもそれはやっぱり湖面の波で、打ち際はチャプチャプという程度の可愛い音でした。

「海に見えるけど、やっぱり湖だと気づく」
琵琶湖を見てそんな驚きを体験してみたい方にはオススメの場所だと思いました。



④塩津の交差点



お断りしておくと、このセブンイレブンがある交差点(T字路)は観光スポットでも何でもありません。

ありませんが、当方はこの交差点に来たのはこれで3回目で、いつも考えることは同じです。
それは、ココが日本海側への「動脈」であることを実感できる交差点であるということ。





ちょうど国道303号から国道8号へ合流するところの画面で、右(木ノ本・長浜方面)から左(敦賀方面)へ長距離トラックがバンバン走っています。
これが国道8号(右方面は303号との重複区間)。

303号からこの交差点に近づくとき、周辺には視界を遮るものがほぼないので、遠くから見ても、これから自分が異様な様子へ飛び込んでいくことを確認することができます。
上手く言えませんが、日本海側へ続く動脈そのものに見える、ということです。



⑤ 賤ケ岳のふもと



その交差点を右折してしばらく走ると、1583年に羽柴秀吉と柴田勝家が激突した賤ケ岳古戦場がありました。
画面は賤ケ岳トンネルを抜けて、背後を振り返ったところ。

賤ケ岳リフトの乗り場があるこの場所が気になった理由は、合戦場となったことが分かる地形、というだけでなく、賤ケ岳(画面に見える山)の麓に、いかにも近江地方と思える大音の家並みが存在していたからでした。

この地での暮らしが若い世代へ受け継がれて、それが100年単位で続いているんでしょうから、人が住もうと考える土地って一体なんなんだろうと。

旅のキッカケが「友人の移住」ということもあって、今回の北近江ウォッチングでは、たびたび似たようなことを考えさせられました。



⑥ 余呉湖



琵琶湖の北側にある余呉湖は今回が初めての訪問でした。
この場所は「静寂そのもの」であるとの情報を得ていたので、それなら年末の季節に立ってみるのもよろしいんではないかということです。

そんなことで訪問した湖畔には、既に1人で訪問している先客さんが。
みんないろんなことをゆっくりと考えたくなる時代、なのかもしれませんね。
いろいろありましたから。

ただ寒くて立っていられなかったというのが真相であり、大きな誤算でした。
2時間ドラマのラストシーンみたいにはいかないのね。

湖畔のドライブインでカツ丼を注文したら、たまごでカツをとじない、上に乗せただけのカツ丼で、これも(うれしい)誤算。



⑦ 北国街道・木之本宿



Nゲージの御座敷運転のときの駅のようなJR余呉駅を眺めながら、南下して木ノ本へ。
軽く木之本宿を観察しました。
ココは北陸本線の駅もありますので「旧宿場町」といっても昭和の雰囲気のある賑やかな駅周辺という感じ。
いつも時間がない中での訪問となり、宿題を残し続けている木之本宿です。





木ノ本の踏切でやってきたのは赤いEF510-4が牽くコンテナ列車。
スッキリと晴れた空の下を快走していても、この後には吹雪との戦いが待っているのですから、日本海縦貫線の物流は大変なことです。



⑧ 国友村



日本史を勉強していれば必ず出てくる国友村。
でも、その場所を地図上で指すようなことは普通できませんよね。
当方も訪問するまではそうでした。





こんなところにあるんですよ。
戦国時代の交差点のような地域ですから、国友村は、今風に言えば、サービスエリアか道の駅に併設された実演販売コーナーのような存在だったのかも。

こちらも現代に至るまで、平らな田園風景の中に残っていて、暮らしの様子も見えました。
最後の鍛治職人は昭和の初め頃までの御存命だったとのことで、それ以降は普通の集落になっているはずなんですが、代々家が受け継がれていることに感慨深さが。





住宅街の中にある資料館で、当時の鉄砲の重さを体感して立ち去りました。



⑨ 美濃・近江国境

国友村から北陸自動車道・長浜ICに向かい、レンタカーなのに図々しく高速で移動して関ヶ原ICへ。
岐阜県に戻ったところで、残りの時間を中山道の宿場観察に当てることとしました。





まずは中山道59番・今須宿にある美濃と近江の国境。
ココは今も岐阜県と滋賀県の県境です。
某テレビ番組ではバスの乗り継ぎができないとかで、近江側から徒歩でここまで来るシーンを幾度も放送していました。





「寝物語の里」の碑。

近くの郵便局で聞いたところでは鈍い反応だったので、地元の方々にはそれほどのスポットではないのかな。

公益社団法人びわこビジターズビューローが運営する「滋賀・びわ湖観光情報」では以下のような案内となっています。

「昔、国境の小さな溝を隔てて建つ両国の旅籠の泊まり客どうしが、寝ながら話しができたことから付いた呼称です。安藤広重の『木曽街道六十九宿』に描かれた今須宿の図は、この地を描いたものです。現在宿等はなく、石碑のみが建っています。」





Wikipediaから転載

県境のスポットであるだけに岐阜県側も案内しており、そこには源平合戦期のエピソードがあったようですが、どこか重々しく、滋賀県側の程度の案内の方が当方としては馴染みました。

どんな話題にせよ、国境を挟んで互いに枕を向けて夜な夜な寝ながら会話をするなんて、ロマンチックなことですよね。
現代にも通じる「県境ロマン」のルーツのような場所でした。



⑩ 中山道・柏原宿



中山道60番・柏原宿。
もう日没間近だったので、ささーっと。
山東柏原郵便局で874局目の旅行貯金を果たし、そろそろ北近江ウォッチングもおしまいという雰囲気になりました。

「山東」とは旧山東町(さんとうちょう)のことで、2005年に米原市へ併合されています。
予備知識がないまま訪問したので「山東?」となりました。

もう少し時間が欲しいと感じる場所でして、ココにも宿題を残したような。






その後は61番・醒ヶ井宿、62番・番場宿を通り抜けながら中山道の跡を辿りました。
交通量がものすごい名神高速道路の脇を白いトヨタ・パッソが走る風景は、自分で運転していて「絵になるよなぁ」と。

さらに63番・鳥居本宿を通りながら、郊外型ロードサイド店が賑やかな彦根市街へ戻って、北近江ウォッチングの大団円となりました。






この春に彦根に移住した友人は、その2年前の春、支店勤務中に会社を辞めてしまいました。
当方にとっては突然のことで、その事実を後日に風の便りで知った程でした。
本人から「彦根に行く前に」というメールを受信した昨年4月のとある日、仕事中の昼休みを利用して再会した…という流れです。

で、辞めた理由。
長時間労働でした。

超勤が年間1,200時間を超えてしまい、その原因はいわゆる「クラッシャー上司」の存在だったそうです。
定年退職をあと数年に控えたその支店の上司は、本店で定年を迎えることでキャリアを終えたいとの欲望があったようで、点数稼ぎのために部下たちに無駄な資料作成をさせ続けたんだとか。

そんなことをしているうちに、この組織に生きるエネルギーを吸い取り尽くされるのなら、今のうちに人生をリセットしてみたくなったということで、2年間の空白の後、縁もゆかりもない北近江の土地の仕事を選ぶことができた…とのことでした。
そんな彼が、わざわざ当方だけに「行き先」を教えてくれた形でして、「それなら必ず行くよ」と固い再会の約束をした、ということなんですよね。


人生の「残り時間」の使い方。
考えない人よりは考える人との関係を強く大切にしていきたい。
そう考えることが多くなっているこの頃です。





友人とは別れ際に彦根城近くの蕎麦屋で徹底的に語り合いまして、再々会を約束。
自宅へ送り届け、その後はレンタカー店経由で連泊する東横インへ帰って、カバンの中に入れていた木ノ本の「つるやパン」での収穫物をいただきました。

突然余計なデザートが湧いていますが、これは前夜と同様、近くの平和堂フレンドマートで買い求めたプリンです。
クリスマス・イブイブでしたから。
ノンアルコールで甘党の米原ナイトでした。



さて、帰り道のことに触れてそろそろ終わりにします。
模型のことも書かないといけませんし。


(その4へつづく)



  1. 2023/01/19(木) 19:30:00|
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ちょっと北近江まで(その2)

(その1からつづく)




【第4ランナー】1828M
塩尻13:08→中津川15:15


塩尻で約30分休憩した後は、いよいよ車窓から日本の原風景が楽しめる中央西線に。
ここからはJR東海の管内に入ることから、オレンジ帯の313系のお世話になりました。

松本からやってきたのは1300番台・海シンB514編成。
転換クロスシートが並んだ短い2両編成の車内には、どうやら同じ切符を持っていると思われる方々が満遍なく進行方向を見て座っていて、なんとなく観光バスの雰囲気に近いようでした。
塩尻・中津川間の普通列車ダイヤの細さを考えると、乗客の集中は当然、となるでしょう。

“木曽路ライナー”と言いたくなる313系1300番台は、週末快速「ナイスホリデー」号がなくなった今、我々趣味人にとっての生命線です。
名古屋から塩尻までの快速運転って、もう復活しませんかね。

カトーの313系1300番台10-1218は海シンB506編成、10-1708は海シンB511編成でしたよっていう模型の話題も混ぜておきましょう。





同じ塩尻市なのに、奈良井を過ぎた辺りで再び降雪の跡が目立ち始めました。
並行する国道19号は信号機が少なくて、数台の長距離トラックがこちらの313系とともに、寡黙に並走。
たまに見るドライブインからは「昭和エネルギー」が放出されていて、昔は日本のあちこちでよく見たんだよなと考えたり。
とにかく中央西線の木曽路区間は時間の流れが止まったような気配があります。





これでは例年のように車での訪問は無理だったかも…

鉄道の車窓から見る雪の景色はいつの時代も素晴らしいですよね。
これが格安切符で見放題なのですから、これからはもう少し、シーズンごとに訪問してみても良いかもなと考え直し始めているところです。





木曽福島を過ぎた辺りから、雪はすっかり見えなくなりました。
一言に「木曽路」と言っても、南北方向に移動しておよそ2時間もかかる長さなのですから、天候もひとくくりに「雪」とは表現できないのでしょう。
なお、しゃぶしゃぶ屋は一つも見当たりませんでした。

この後も車内は中津川まで大きな変化がなくて、乗客は運命共同体。
18きっぷのシーズンを如実に物語っていました。
今でも需要はあるということでしょうか。





【第5ランナー】274M
中津川15:19→名古屋16:35


中津川では僅か4分の接続で、甲府のときと同じレベルの難しさでした。
ホームで列車を撮影することもできませんでしたから、跨線橋を走り抜けてどかっと座った車内からホーム上の駅名板だけをいただきました。
JR東海が使う見覚えのあるフォントは見ていて和みます。





雨が止んだばかりの東濃地方を駆け抜けて、いよいよ名古屋都市圏へ。
冬至の日の鈍い夕陽を正面にして、列車はひたすらに走り抜けました。

運転席の真後ろには、ぐずってギャン泣きする息子を抱っこしながら奮闘するお父さんが。
運転士さんはこういう状況でもプロとして平常心を保つことができるのかなぁと考えていたら、大曽根、千種付近で警笛音をバンバン鳴らすという出来事が起こりました。

この日は315系3000番台(4両編成)の試運転を実施していたようで、カメラを首から下げた中高生もチラホラ。
当方も側線にたたずむ実車を目撃しましたが、もちろん撮影はできていません。
そのうちこれもトミックスがやるんでしょう。
カトーもやるでしょうね(たぶん)







やがて巨大空母のカタパルトのような道路が現れてきて「とうとう普通・快速列車だけで名古屋まで来ちまったよ」と実感した瞬間の2枚を御覧いただきます。

関東に似た都会の風景でも、よくよく見ると違う…というところが楽しくてたまらなく、これこそが名古屋観光の醍醐味だと勝手に決めつけているんですけど、職場で“名古屋”と言うと「名古屋に行って何を見るんですか?」
名古屋の皆さん、まだまだ一層奮励努力しないといけないようですよ(ゴメンナサイ)





金山を過ぎると、ターミナル・名古屋が見えてきました。
無駄な遠回りも、東海道本線に合流して終わりとなりまして、いよいよ新快速の登場。
首都圏にはない「しんかいそく」に出会えるということだけで気分が高揚しました。





定刻到着。
中津川で撮影できませんでしたから、記録のために1枚。
211系5000番台・海シンK18編成でした。
5000番台はグリーンマックスが製品化しているらしく、調べてみると…ズバリK18編成と銘打って発売されていたのですね。

30477
JR211系5000番台(神領車両区K18編成)4両編成セット(動力無し)
¥20,900(税込)


動力ユニットなしの4両セットでこの値段なんですわ。
「旅のおみやげ」シリーズで買うことも難しい価格でして、何やら同社が最近発表した新しい小田急1000形の仕様内容には、妻面の貫通幌パーツの取り付けとか、T車の床下機器のロウレリーフ状をやめるとか、そんなことも書いてありましたから。

動力ユニットのコアレス化から間もないうちに、製品レベルを再び新しいステージに押し上げるそうで、こういうことが断続的に続くといつまで経っても同社製品を「買うことが怖い」となるのです。

トミックス製品でも最近はこういうことばかり。
価格の高騰だけでなく、設計・仕様を巡るユーザーとの信頼関係が成立しにくくなっていて、迂闊に手に取ることができない最近です。





【第6ランナー】2335F
名古屋16:45→大垣17:18


「新快速」は京阪神圏の専売特許のようになっていますけど、中京圏だって国鉄時代から走っています。
ココからは容赦なく高速移動を行うこととして、夕暮れの帰宅時間帯に地元の方々と並んで仲良く乗り込みました。

乗り込んだのは313系5300番台・海カキZ2編成。
ちなみにカトーの10-1381は海カキZ4編成をプロトタイプにしていました。
この後ろにも何らかの編成が連結されていました(またもや調べていませんのです)

岐阜までの区間では尾張一宮にしか止まらないという狂気に満ちた爆速ぶりが惚れるほどステキ。
これまで乗り継いできた各ランナーとは明らかに違うスピードで、かぶりつき状態のファンを楽しませてくれました。

全国的に見て私鉄との競合区間はどこもそうみたいですね。





日没後の濃尾平野で岐阜が近づいてきたところの1枚です。

都会ではあるけれど、建物の高さが圧倒的に低いままでいてくれているところが岐阜。
なんだか懐かしく、いつまでも見ていて落ち着く夕焼けでした。

空が大きい街って、どんどん少なくなっていませんかね。





大垣到着。
かつては「大垣夜行」で降り立つことがたびたびあった大垣駅のホームも、当該列車が消えてしまってからは「乗り鉄」趣味からも遠ざかっていたので縁がなくなってしまいまして、本当に久しぶりでした。

165系や117系が見えた景色はもうなくて、313系だらけの風景。

ところで。
コーポレートカラーであるオレンジ色を使って統一感のある車両群を揃えているのは、JRの中でも「東海」のみであり、上手く言えませんが、私鉄線のような“まとまり方”を感じ取っています。

その中で、似て非なる車両たちがせめぎ合っているので、「どこがどう違うのよ」とつぶやきながら観察したくなる。
当方がカトーの313系たちを集めてしまう理由はそんなところにあるのかもしれません。

でも、グリーンマックスの311系は買いませんでしたよ。
トミックスの313系もいいやっていう結論です。





【第7ランナー】245F
大垣17:37→米原18:11


御覧いただいている画像は、大垣始発となるこの日の最終ランナーが米原方からバババーンと進入してきたシーンです。

大垣と米原の間だけを結ぶ313系は1100番台・海カキJ9編成で4両。
カトーの10-1216は海シンB6編成で、10-1706は海シンB5編成で、どちらも神領シリーズです。

名古屋からの(?)おでかけ帰りのおばちゃんたちがどっと乗り込んだりして、それなりに車内が膨れたところで発車。
この大垣・米原間の車窓も大好きなんですけど、日没後の暗闇では仕方がなく、帰路の楽しみにとっておくこととしました。





定刻どおりに米原に到着。
とうとうJR西日本の管内にまで足を踏み入れた形となり、今回の往路はココでおしまいです。

齢を重ねてきたので、普通列車だけの旅には心配もありましたが、特にハプニングもなく、また車内で昼寝をすることもほぼなく、マトモな時刻に目的地まで来ることができた事実には驚きました。
これならば、そろそろ鉄道の旅も増やそうかと。
娘たちが生まれてからは、とにかくドライブ旅行ばかりでしたから。





223系2000番台「新快速」登場。
「播州赤穂」が行き先ですから、レールはまだまだ続いているのだなぁと。
京都・大阪までは余裕で行けるので乗ってみたくなるところ、今回は目的地がココなのですから我慢。
今回の旅はJR東海管内横断ツアーのようなものなのでした。





米原駅前は閑散としていて東海道新幹線の停車駅とは思えないほどです。
新横浜の篠原口のような気配。
その事実を知りたいために、あえて米原駅前の東横インを宿場に選んだのでした。
一度じっくりと観察しておきたかったんですよ。

駅周辺には気になる飲食店が全くなく、しっかりと米原駅のローカルムードを堪能させていただきました。







ですので、躊躇なく駅前の「平和堂フレンドマート」で「極厚ハンバーグの洋食Deli弁当」と「彩りグリーンサラダ」それとサントリー「奥出雲天然水」を買って、東横インへ帰還しました。

グリーンサラダにはドレッシングが付いていないことに気づがなかったので、仕方なくそのまま食べたのでした。





部屋でテレビをつけたら『必殺仕事人III』第9話「年末賞与を横取りしたのはせんとりつ」が放映されていたので、ベッドに座ってハンバーグをモグモグと食べながら鑑賞。

ゴールデンタイムに時代劇の再放送を持ってくる、しかも再放送なのに“年末賞与の横取り”というエピソードをタイムリーにぶち込んでくるKBS京都のファインプレーも、自分で関西圏に足を踏み入れてみて実感できるというものです。

皆さんもこんな細かいことに感動する旅、いかがでしょうか(^^)


(その3へつづく)


  1. 2023/01/13(金) 09:30:00|
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ちょっと北近江まで(その1)

おはようございます。しなのさかいです。




先日(と言っても昨年末のこととなりますが)、滋賀県まで行って帰ってくるという機会がありました。
昨年の4月に関東から北近江へ移住した古い友人を訪ねる2泊3日の一人旅です。

移住直前には年内の訪問を約束し、その後に訪問計画を11月に決めていたんですが、いろいろとありまして中止、延期に。
そして、年末ギリギリというタイミングが急浮上。
降雪の心配があるものの「行くしかない」っていう決断に至りました。


さて、決行日は固めたとして、次は利用する交通機関の検討です。
当方は、もう新幹線での移動に面白みを感じることができなくなっていて、できるだけその土地へ行くプロセスにも楽しみを求めています。

そこで。
延期したことでちょうどシーズンに入ったことでもありますから、20年以上も使用を封印してきた「青春18きっぷ」を往復に使うこととし、久しぶりに普通・快速列車のみによる乗り継ぎ旅のプランを立ててしまったんですね。

今回はそんなことで、その令和版乗り継ぎプランの実行報告となりますがお付き合いください。



⬜︎ ⬜︎ ⬜︎



往路は12月22日(木)。
八王子からの出発ということにさせていただき、そこからのお話とさせていただきます。





【第1ランナー】795T
八王子 8:38頃?→高尾 8:45頃?


第1ランナーはオレンジ帯のE233系で、東京口の中央線快速としては不思議でもない、いつものような10分程度の絶賛遅延運転中でした。

トタT31編成というのかな。
後から調べると2007年製の貫通10連のようです。
カトーの10-1311と10-1312はT21編成をプロトタイプにしていましたので、コイツではありません。

トタのT編成には12年ぶりに2020年製の「T71編成」が仲間に加わるという珍しい出来事があって記憶に新しく、そしてまた(T編成に限らずに)これからはグリーン車の連結が大きな話題となっていくはずです(サービスの開始が一体いつになるか分かりませんけど)

E233系のうち中央線仕様だけは前面のカラー帯の纏い方が違うんですが、とうとうそのままで約15年が過ぎました。
グリーン車の組込みが果たされたときには変化があるのかしら。
車齢が大きく異なるモノ同士の連結は、将来どうなっていくんでしょうね。





八王子では、緑色のタキ1000を観察するためには最適のようで、鉄道ファンだけでなく素人さんもよく凝視しています。
タンク車がたたずむ駅の風景は国鉄時代から基本的に変わっておらず。





【第2ランナー】529M
高尾9:18→甲府10:55


211系6両編成中、乗車した松本寄りの3両はN322編成。
セミクロスシートの1000番台でした。
旅をする上ではボックス席の方が助かるので、この第2ランナーは当方にとっては「当たり」ということになります。





ここから北近江まで線路がつながっているんだなと、しみじみ。
鉄道ネットワークは素晴らしいなと改めて考えた瞬間の画像です。

車内は年末の寒い時期だというのにハイキング・登山客が目立っていて、大月でどっと降りて行きました。
好きな人は季節を選ばず。
当方にも当てはまることであります。





笹子トンネルを抜けて、石和温泉を過ぎても雨。
この日、関東地方は朝から激しい降雨で、甲府盆地に入っても空の変化はありませんでした。
勝沼ぶどう郷からは甲府盆地を見渡せるかと期待していたので少々残念。

ただ、スマホのアプリを見ると、小淵沢付近で雨雲が切れていたので、車窓を楽しむことはそこら辺までの我慢と割り切りました。

大月以降はスカスカだった車内は山梨市で乗客が増えてたことで、そこそこの混雑となって、県庁所在地である甲府へ。





【第3ランナー】435M
甲府10:59→塩尻12:37


甲府ではダイヤ上4分の接続だったところ、第2ランナーの529Mにやはり数分の遅れが発生したため、この第3ランナーも発車時刻を過ぎて接続待ちをしてくれていました。

跨線橋を走って乗り込んだ車内には、2学期末のカリキュラムだからか、午前の早い時間でも帰宅する高校生たちがワンサカ。
座る場所もないまま発車しましたので、かぶりつきスタイルでしばらく過ごしました。
結局その混雑は韮崎までの短い時間だけでした。





やはりスマホのお天気系アプリは素晴らしいですね。
小淵沢付近で雨が止みましたが、レーダー画像によれば自分が雨雲がかからない地域に出ただけのことと分かる訳であって、甲府盆地ではまだ雨が降り続けていることを確認しました。
今ではこういう事実を認識しながら旅行できる時代なのです。





すずらんの里まで来ると、諏訪盆地の降雪跡が目立ってきました。
中央本線は車窓の変化がおもしろい。







そして岡谷まで来ると相当な降雪の跡が。





しかし、塩嶺トンネルを越えて松本盆地へ入ると、雪が降った形跡は見当たらないのですからさらに面白い。
つまり「北か南か」ではなくて、冷たい空気がぶつかる山との微妙な位置関係で雪が降る、ということの証なのでしょう。





塩尻に着いて第3ランナーとはお別れ。
N335編成はロングシートタイプの3000番台3連でした。
6両編成でしたから、後ろの3両にも何らかの211系が連結されていたはずです。

カトーは10-1197(N302)と10-1212(N306)で3000番台で製品化していました。
これらもロングシート車を選んでいるようです。

そろそろ模型の世界では211系もフルリニューアルの頃合いでしょうか。
旅先でそんなことも考えるのも一興。





塩尻駅構内の激狭な立ち食いそば店を見学。
こちらは飽くまでも改札内にいるお客さん用の出入口です。
ちょうどお昼の時間だったので改札外のカウンターも混んでいまして、やむを得ずその隣のNewDaysでパンを買って空腹を満たしました。
でも、一人旅ですから気楽さを楽しんだ気がします。
同行者がいれば「えー、パン?」と言われること必定ですからね。
たまには一人旅も良いのかも。

この中央本線経由の往路は列車の接続が良過ぎで、唯一の余裕がある接続はココ塩尻のみでした。
再びシビアな乗り継ぎが続きます。



(その2へつづく)



  1. 2023/01/10(火) 09:30:00|
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ななつ星キター!


線路際の住民です
毎月送られてくる 旅カタログに クルーズトレイン 「ななつ星in九州」の文字!
出発日が、11月11日で5泊6日だそうです
代金560000~810000円
チョットしたHOゲージの編成モノが、買えちゃいます
模型メーカーも話題性充分なネタですから 年末商戦を期待したいものです。

カタログに載って居るカシオペアクルーズの写真が、妙にテツィと感じるのは私の気のせいかな?
  1. 2013/05/26(日) 11:29:30|
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夏休みを振り返って(初めての「はやぶさ」)

こんばんは。北の扇形庫からです。

実は7月の後半に函館に帰省していたのですが、帰ってから仕事が忙しかったり、
ロンドンオリンピックが始まったりしてすっかりアップのタイミングを逃してしまいました。(苦笑)

今年の往路はいつもの飛行機では無く、新幹線と海峡線で行ってみました。
と言うのも出発の日がなかなか決まらず、飛行機の早割の申込期限を過ぎたため、
通常料金になってしまいます。
日程を変えようかと思っていたところ、「はやぶさ」にまだ乗っていない事をふと思い出し
料金を見たら飛行機の早割とほとんど変わりませんでした。
そんな訳で「はやぶさ」と「スーパー白鳥」に即決定!初めての「はやぶさ」です。
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E5系がホームに入線して来ると発車までの短い間に大撮影会状態。
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「乗り鉄」となれば楽しみの1つは食べる事。東京駅で何故か崎陽軒の幕の内を見つけ購入。
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弁当を食べて車窓からの眺めをぼーっと見ながらの3時間10分は思ったより速く感じました。
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定刻に新青森に到着し、「スーパー白鳥」に乗り換えます。
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乗り換え時に新青森で買い込んだ蟹とウニのわっぱ飯で昼食です。
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暫く振りの青函トンネル。
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ほぼ定刻で函館到着。1年ぶりの函館です。
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翌日からはまたいつもの五稜郭操車場跡で撮影です。

                       つづく
  1. 2012/09/20(木) 23:02:54|
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相鉄都心へ


線路際の住民です
相鉄の駅構内に自由が丘かべ新聞 を見かける様になりました。
掲出板に相模鉄道ー東急電鉄 と銘打たれており 2019年開業を目指しプロジェクトが、進んで居る事を実感します
2015年JR線直通を目指した西谷駅構内の改良工事も 始まり 相鉄独自の無線 ATSも間もなく過去のものになろうとしています
数年後に イロイロな電車が、走る路線に変貌するのでしょうね
  1. 2011/09/18(日) 09:19:37|
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2011年夏函館へ【1】

こんばんは。北の扇形庫からです。


今年は7月23日から29日まで函館に帰省してきました。
帰ってきてから忙しかったり、アップのタイミングを逃したりで日が開いてしまいました。
もう一月も経ってしまっていますね。(爆)

滞在2日目の7月24日。両親を連れて大沼まで行くため函館駅へ。
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駅に着くとホームには札幌行283系「スーパー北斗」が待機。
少しして485系「白鳥」が到着し、北と東の並びです。
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「旭」の区名板のDE15が。C11のお供ですね。
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目的地の大沼公園駅まではスーパー北斗では19分、普通では51分。
特に急ぐわけでも無いので普通でのんびり行きます。
「いかめし」の駅弁で有名な森行きの普通列車、久しぶりのキハ40乗車です。
2両編成でのんびり行きます。
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扇風機のマークがJNR!勿論非冷房です。国鉄テイスト良いです。
タイムスリップでもした様な懐かしい気分です。
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函館を出て51分ほどで大沼公園に到着。昔からの観光地ですが、変わらぬ小さな駅舎です。
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駅からほんの数分で湖畔へ。これから大沼湖畔を散策です。
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ハスの花が咲いている所も有りました。
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晴れていればちょうど正面辺りに駒ケ岳が見えるのですが雲に隠れて残念です。
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大沼散策を終えて昼食後、この日宿泊するホテルの
送迎時間まで待つ間に駅のホーム脇へ。
この日はC11函館大沼号の運行日でした。
余り時間も無いのでホームの柵の外から眺めてみます。
程なくホームに入ってきましたが、2つ目の207号機でした。
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もっと時間が有れば駅から少し離れた所から狙いたかったのですが…。
どうにも引きの取れない場所で写真は撮らずにじっくり眺めようかと思ったのですが、とりあえずシャッターを切ってもこんな尻切れアングルで残念です。
ヘッドマークが運行10周年記念の仕様になっていました。
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ホテルに1泊し7月25日。
函館に帰るため大沼公園駅に戻って来ました。
乗る列車を待つ間、駅に到着した281系「スーパー北斗」を撮りました。
駅舎の反対側からですが、緑に囲まれている小さな駅です。
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帰りもキハ40で何と1両!
車窓から見た小沼と駒ケ岳。この日は雲が多めだったのですが、
ちょうどこの時は駒ヶ岳がよく見えました。
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函館への帰りに乗ったキハ40-840。所属表記は何故か釧クシになっていました。
他の函ハコ車と違い、ライトグリーンの下の青帯がラベンダー色の様な色で、白の色合いも違います。
夏季の応援で来ているのか、転属後に表記をまだ変えていないのか?よく分かりません。
(この写真は後日、別の場所で撮ったものです)
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【2】へ続く
  1. 2011/08/24(水) 18:17:32|
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