こんばんは。しなのさかいです。
「ファミリーロッジ旅籠屋・浜名湖店」がちょっと変わった場所であると申しました理由。
一つは、日本の大動脈である東海道本線、東海道新幹線の線路際に建っていること、と申しました。
さて、もう一つです。
それは、この地が旧東海道沿い、日本橋から数えて31番目の宿場・新居宿のすぐそばに建っていること、になります。
観光地に建てることはあえてしないとしている(?)同社としては珍しい、観光地に建っている浜名湖店…のようです(当方にはそう見えます)。
せっかくなので、出発してわずか数分のところに位置する新居宿に向かいました。

新居宿は東海道五十三次の中に存在した二つの関所のうちの一つ、「新居関所」を抱えています。
Wikipediaによれば「浜名湖西岸の今切口に面した標高約3-5m程の低地に立地し、隣接する新居関所(今切関所)は東に浜名湖口に面していた。新居宿の北から東は浜名湖に、南は遠州灘(太平洋)に面していた」とのことで、ココは舞阪宿から渡船によって上陸するという、物理的にも関所として相応しい場所だったんですね。
復元による石垣は、その手前が海だったことを示していて、旅籠屋さんは、かつては海の上だったということになりそうです。

関東人にとって旧東海道の関所は「箱根関所」が有名です。
中学生のときの遠足でも行きました。
その箱根と並ぶもう一つの関所に、予習もしないで突然訪問することとなりました。
浜名湖湖畔のリゾートホテルなどに収まってしまっていたら、こうした歴史的な土地の存在に気づくこともなかったでしょう。
宿泊場所は出来るだけ軽めなところの方が、その土地の見方を変える発見があると言えます。

取り調べを行う代官とその部下たちの人形は“旧関所スポット”の定番。
期待を裏切らない雰囲気に、小学生の見学時には大賑わいでしょうね。
新居関所の裏も東海道本線なので、313系やコンテナ列車が数分間隔で走り抜けていました。
今も昔も、この地は日本の大動脈なのです。

関所を出て、当時の旅籠屋建築として保存公開されている「紀伊國屋資料館」に徒歩で移動。
旧東海道は画面突き当たりを左に曲がる形で京に続いていて、新居宿もL字状に展開する形で広がっていたようです。
確か、旧中山道の下諏訪宿もそんな感じでした。

平日だからなのか、我々以外に観光客はいませんでした。
おそらく浜名湖に来たら舘山寺温泉の方とかが定番なのでしょう。
もったいないことだと思いながら、でも当方の中では「イイトコ見つけた」感が強く、旧中山道ばかりに親しむことはせずに他の街道も見てみようかなと思ってみ始めたり。
海側から心地よい風も吹き抜けてくれまして、夏に古民家を訪問することには、間違いなく一定の合理性があると考えてみたり。

「今晩はこの辺でお願いしますね」
そんなことを言われたのかどうかは分かりませんが、江戸時代の旅人がチェックインしたとき、この場所にどんな人相の先客が居たことか。
間違いなく、この場所で緊張する一瞬があったことと思います。
相部屋ってすごいですね。

紀伊國屋資料館のすぐそばには「小松楼まちづくり交流館」という無料施設もありましたので、少しだけ訪問しました。

建物は明治末期のもので、大正から昭和初期にかけて営業していた芸者置屋兼小料理屋を移築したものだそうです(確かに切妻建築だけど近隣と整合性がないような)
でも、こうした施設が一つでも多くあることは、街の回遊性を生むこととなって良いですね。
旧東海道の宿場町は、第1番・品川宿の現在の様子から全く興味がなかったのですが、よく調べていなかっただけなのかも。
なかなか見所がある新居宿でした。


早めのランチは、新居の「かねはち」さんで。
ほぼ旧東海道沿いのお店です。

容赦なく家族全員で「うな重・特上」をいただきました。
フカフカのうなぎであることは御覧のとおり。
検索すれば浜名湖周辺にはうなぎ料理店がワンサカとヒットするので、素人には難しい選択となります。
聞いてもいないのに評価が見えるようになっていて、それが実にウザい(もちろんこの評価に基づいて選択を簡単にしてしまう人もいるでしょう)。
ただ、アップロードされている写真だけは客観性が保たれている情報として参考にさせていただきました。
こちらを訪問させていただいたポイントは「うな重本体以外に無駄な付け合わせ品がないこと」
うな重と肝吸い、お新香だけというシンプルかつテーマがはっきりとしたメニューに「これこそ、うな重」と納得しました。
箱根周辺でも外観がお洒落なそば屋に入ると、懐石料理のような「そば料理」が出てくることがありますでしょう。
浜名湖界隈のうなぎ料理店にも似たような傾向があるような、ないような。
飽くまでも当方の主観です。
もう少しつづけてよろしいでしょうか。
ではまた。
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- 2022/09/03(土) 21:00:00|
- 駅ノート
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おはようございます。
新居関所は、私が小学5年生の時に当時のクラスメイトと遠鉄バスに乗って訪れたことがあります。
小学生だった当時は、社会見学的な要素だけにしか過ぎまなかったかもしれません。
が、数年前に浜松駅から舞阪を経由して浜名湖を渡るバス路線バスが廃止→湖西市から遠鉄バスの路線が撤退となっしまっただけに、今となっては路線バスだけで新居関所に行けたことが貴重な体験かもしれません。
- 2022/09/04(日) 10:26:43 |
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- パークランナー #-
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パークランナーさん
やっぱり新居関所は遠州の方々の何らかの目標物となっていたんですね。読みが当たって安心しました(^^) 小学生だけで新居町を目指したバス旅は強く記憶に刻まれた冒険だったのではないでしょうか。
某バス旅番組で知るとおり、バス路線網の縮小は加速度を付けて進んでいるようです。これは都市部でも例外ではなく。気のせいかもしれませんが、浜名湖西岸側では路線バスとすれ違うことがついにありませんでした(遠鉄ストアはよく見かけましたが)。
地元の利用を前提としての路線バス網であることは当然として、仮に当方のような観光者が鉄道で訪れるとなると、降りた駅からのその先はレンタサイクルしかないご時世となっているようです。自転車での回遊性はあると言えばありますが微妙ですよね。
- 2022/09/05(月) 08:47:43 |
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- しなのさかい #-
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しなのさかい様
いつも楽しく拝見しております。久しぶりに書かせて頂きました。旅のルポ、何とも興味深く、美味しそうで、また緑が目に心地よく、私も家族で行きたくなりました。拝見していてふと思い出したのですが、宮脇俊三さんの名作、「旅の終わりは個室寝台車」の「東京ー大阪・国鉄のない旅」にしなのさかいさんが回られた新居をバス旅で通過しておりました。鷲津行のバスだったようですが今もあるのでしょうか?ここはバスの接続で一番苦労したところのようです。鉄旅が簡素化してゆく中で、あえて不便を選んで深堀する旅が、マイブームとしてやってくる気も致しました。今後も模型、旅の記事を楽しみにしております。
JRであーる
- 2022/09/11(日) 00:16:17 |
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- JRであーる #-
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JRであーるさん
心温まるコメントをありがとうございました。あとひとつ書きますのでよろしくお願いします。
朝起きて、コメントを読ませていただきまして、本棚にある『旅の終わりは個室寝台車』を読み返してみました。御指摘いただくまで新居のシーンは忘れていたので、そうかこのときにはバスがあったのかとしみじみしていました。鷲津行のバスのシーンで「小中学生がふざけ合いながら乗り降りして、遅れ気味である。」という記述があり、宮脇氏のユーモアと交通手段に絡む人間模様のスケッチにニヤけてしまいました。昭和の終わりの風景が間違いなく保存されていました。
「鉄旅が簡素化してゆく中で、あえて不便を選んで深堀する旅が、マイブームとしてやってくる気も致しました。」との御言葉、正にその通りです。合理化、無駄削減が普遍的な価値として進んできた平成時代でしたけど、そのことで我々が失ってきた大切なものって気がつかない、見えないようで本当はたくさんあるんじゃないでしょうか。それ故に、分かる人にとっては、そろそろ「不便」が商品としての価値を持つようになってきたと読んでいます。不便なことで知ること、吸収できることはたくさんあります。それはすぐにお金にはならないけど、いつかは身を助けてくれる教養、栄養のようなものです。先の著作は1980年代初めの頃のルポですが、作者は「不便」にお金を払ってでも得たくなる価値があると、もうそのときに分かったいたんですね。
Nゲージに面白い新製品が見えないと言われることの原因。底辺は以上のことと同じだと感じています。我々は今、合理的な結果としての鉄道の姿を強制的に見せられています。だからこそ、せめて模型の世界ではそんな寂しい世界はもう少し先にお目にかかりたいよねって思う人、たくさんいるのではないでしょうか。西九州新幹線なんてずーっと先でいいですよね(笑)
不便な旅、どんどん挑戦してみましょう。きっと何かが見つかります。
- 2022/09/11(日) 21:00:10 |
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- しなのさかい #-
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こんにちは。
先日のコメントの後、手元にある1995年12月から現在までの遠鉄バス・電車の路線図を眺めてみました。
2004年3月までは、遠鉄の路線バスの乗り継ぎだけで浜名湖一周をやることが可能でした。
が、この年の4月のダイヤ改正で
①三ヶ日〜湖西・鷲津間の湖西線の廃止
②舘山寺〜気賀間の舘山寺気賀線の不定期化
を皮切りに、浜名湖周辺の路線の短縮と部分廃止を繰り返してきた結果、浜名湖一周どころか遂には湖西市内に遠鉄バスが入らなくなるという現実に辿り着いてしまいました。
路線バスの廃止や運行本数の減少は、遠鉄に限らず全国でも起きていることではあります。
交通弱者のために地域の公共交通を守っていくことも政治の力で必要なことではありますが、国よりも地方で何とかして……が現実なのかもしれません。
もし、今も浜名湖一周ができるバス路線が残っていたなら、交通系ユーチューバーにとっては格好のネタになっていたかもしれませんね。
余談ですが、湖西市内は平日のみですが浜北区のバス会社に運行を委託した自主運行バスが走っています。
- 2022/09/18(日) 10:28:15 |
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- パークランナー #-
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パークランナーさん
詳しくお調べいただきまして、重ねて感謝申し上げます。コロナ禍以降、全国的にバス路線の縮小撤退が増えたと感じていたところなので、この4月とお聞きして深く納得しました。
公共交通網の縮小は「乗らない方が悪い」「乗りにくいダイヤにする方が悪い」と水掛け論になりがちなので、安易な気持ちで原因究明などするものではないなと普段から戒めているところなのですが、事実として言えることが一つだけあります。それは、路線バスの撤退が素早く、そして見えにくくて気づくのが遅れる、ということです。夕張線は「攻めの廃線」という為政者のセリフでバス路線へ展開がなされました。本人的には攻めたつもりなんでしょうが、その代わり、次の撤退は事業者によるドライな判断で、外からは目に見えない素早さになることが予想されます。鉄道とバスの撤退の仕方の違いを深く考えるキッカケをいただきました。
鉄道がズタボロですから、あえて「不便」を買って冒険をしてみるには路線バスしかないようです。これは15年近く乗り継ぎ旅のテレビ番組を見ていてよく分かること。便利になり過ぎるのも困りもので、全国的にバス路線を網羅したデータが存在すると、時刻表よりも値打ちが出てきそうで、そんなことを考えてしまいました(^^)
- 2022/09/19(月) 07:48:30 |
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- しなのさかい #-
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