しなのさかいの駅前広場

415系、売れているのかなぁ。

スイカを積んで、コアラの郷へ

おはようございます。しなのさかいです。

想定外だった奥飛騨の鉄分補給ネタを投下しました。
夏のフィールドワークについては本来ならそこでおしまいにするべきところなのですが、どうしてもあと一つだけお伝えしたいことがあり、本稿で「本当のおしまい」とさせていただきます。



例のキハ27に別れを告げたあとは、関東平野への帰路。
しかし、すんなりと帰ってしまうのももったいないし、せっかく標高の高い土地に来ているのですから、涼しい想い出を残してから「下界へ降りよう」ということになりまして、近場の「平湯大滝」へ転進しました。





その平湯大滝は、最寄りの駐車場から歩いて15分くらいだったでしょうか。
日差しはあるものの、気温は25℃という久しぶりの快適な数字にありがたみを感じました。

で、到着したら場所から1枚…なのですが、川沿いの展望スペースから先はロープで「立入禁止」となっていて、水に触ることすらできず。
確かにマイナスイオンは浴びているものの、これでは少し物足りない訳です。
マイナスイオンを目で見ることができない…ということもその気持ちに影響していますので「どこか親水公園らしきものはないか」とその場で検索しました。





そしたら、ちゃんとあるんですよ。
キハ27の方へ戻る形となりましたが「たるま(垂間)の滝」のすぐそばに砂防施設があり、どうもその工事に併せて造られたと思われる親水公園がありました。





この小屋が足湯風に親水できるようになっていたので、早速下の娘と足を入れて確認。

その水温は冷たいというレベルではなくて、もはや「氷水」でした。
こんな真夏なのに。
浸かっていると足の感覚がヤバくなってきて「うひゃー」と叫んで足を上げ、そしてまた浸かる…、以降その繰り返しでして、そのサイクルタイムは10秒というところだったでしょうか。





8月の上旬だというのに、僅かですが紅葉が始まっていました。
きっと寒暖差が大きくなってきているのでしょう。
皆さん、秋雨前線の出現も早いようですし、今年の秋の訪れは結構早いかもしれませんよ。




その後は、定石どおりに安房トンネルを抜けて長野県へ。
国道158号を一路、松本盆地へ降下しました。

ところで、この日(8月10日)はお盆休み初日、そして三連休初日ということで、登ってくる車は皆、関東平野からのものばかり。
沿道にある数多の有料駐車場には、上高地を目指す人々が乗り捨てたと思われる車で溢れかえっていて、ただただ「おつかれさまです」と黙祷しました。
そしてそこからはアルピコバス軍団の大活躍ということなのです。

我が家はこのルートを何度も(同じ方向で)利用していますけど、上高地へ行ったことは一度もありません。
景色が良くても「そこまで」して行く気がしないのです。
足尾銅山がこの国における工業公害問題の原点であるように、ここ上高地はこの国における観光公害問題(つまり「オーバーツーリズム」)の原点です。
1975年から始まった上高地のマイカー規制、パークアンドライドは、それなりに観光地の風致保全に資しているようですが、駐車場の混雑ぶりを見ると、根本的な解決には至っていないような気がします。
結局のところ、観光公害を許容する地域をオフセットしているだけですから…。
「殺到」という本質は依然としてそのままのようです。



松本盆地へ下りきって松本電鉄と併走し始めると、今度は沿道にスイカの即売所が並び始めました。
「そうか、スイカの産地なのか…」
でも、ここは安易に適当なお店へ入るのではなく、冷静に検索。





お昼過ぎでしたが、なんとか間に合いました。
JA松本ハイランドの「すいか村直売所」が開いていることを知り、サクッと急行。
ナンバーを見たところ、ココは地元の方々が多く利用しているようでしたね。
帰省する家族のためなのか、続々と車が集まってきて、緑色の球体を買い求めていました。
そんな場所に混じりましたので、我が家の旅行のミッションである「ニセ県民化政策」は、またもやクリアです。





朝に収穫したものを提供しているのでしょう。
この日の分は売切れ寸前で、なんとか一番大きいやつをためらいもなくゲット。
お値段は女房殿曰く「やすい!」という反応があるものでした。
お聞きになる方々の感じ方も多様ですから、具体的な数字は書かないでおきます(すんません)。
甘味の保証については言うに及ばず。
我が家の小さい車には、EH200のようにズシリとデッドウエイトが載りまして、再び出発。





その後は、以前Sさんに教えてもらってから家族でファンになった有明の「くるまや」でお昼にしようと向かったんですが、お店の前には驚くほどの行列。
連休初日はこんなところにも影響があるようでして、残念ながらここでの食事を断念。

異常に狭い入口から恐る恐る進入した謎の駐車場を出て、やはり娘たちの御朱印集めを優先してやることとし、久しぶりに穂高神社へ。
バカ暑い松本盆地でも、厳かな雰囲気のある神社では少しだけ涼しくなる気がしました。


松本市内へ入り、さらに四柱(よはしら)神社で御朱印。
んでもって上の娘が「白樺の大地」を買いたいというので、駅ビルMIDORIを目指しました。
何度も同じ場所に連れてくると、子どもとはいえよその土地でも勝手が分かるようで、親に対するリクエストもより具体的になってきています。
その方が応えやすくて楽、とも言えますが。





MIDORI提携駐車場のすぐウラには211系が。
アルパインブルーの「長野色」がいかに秀逸であるかが分かるような気がして1枚。
この色が登場して四半世紀が経ちますが、この色は民営化により登場した地域色のロングセラーです。







松本駅の211系とE353系。
お盆休みの大量輸送が始まっていて、夏の飾り付けで満たされた駅コンコースは帰省客でごった返していました。

それだけでなく、松本城を目指す欧米系のバックパッカーも地図を見ながらウロウロ。
なるほど「お城」というものはそれだけで海外に対するアピール力を持っているようです。
それ以外にも、駅前には「サイトウキネン」のイベントを告げる横断幕が飾られていて、小沢氏の顔写真がバーンと。
松本が持つ武器の揃え方は世界的レベルですねー。
そういえば、木造復元を目指す名古屋城は手続的に大変なことになっているようですが、大丈夫なんだろか。



□ □ □



ここまで来て、この日はマトモな食事をさせていませんで、それはそれでマズかろうということになりました。
この時点で16時頃でして、最後の晩餐をキチンとしておかないと、家に帰っても何か言われそうな雰囲気に。

そこでひらめいたのが「懸案事項」の解決を兼ねた作戦です。
時間調整を兼ねて、あえて長野自動車道を使わずに、国道19号・20号で諏訪盆地へ向かうこととしました。
夕暮れ時の塩尻峠を〈諏訪盆地向きで〉下りる絶好のチャンスでもあるし、ということで。
荷室には荷物に挟まった巨大なスイカがデンと座ったまま、気持ち良い20号のワインディングを走り抜けました。
夕暮れ時の塩尻峠が素晴らしい展望ビューを備えていることは言うまでもありません。





18時過ぎに目的地到着。
ココは岡谷市で、岡谷駅から歩いて数分の場所。
ファミリーレストラン「さんれ~く」岡谷店といいます。





グランドメニュー。
真ん中には、寂しそうに(?)こちらを見るコアラの家族が。

店内は1980年代の「おしゃれ」感がそのまま保存されたようなインテリアで統一されていて、とても懐かしい雰囲気。

繰り返しになりますが、ちょうどお盆休みの初日ということもあってか、我が家がメニューを眺めている間には、地元に帰省した人を含む3世代(あるいは4世代)の大人数家族が数団体入店してきて、程よく席が埋まっていきました。
そのうち「おばあちゃん、いいのー? ごちそうさまー!」なんていう声も(おばあちゃんに金を出させるんかーい)。

ウエイトレスさんは少し御年配の方で(本当にゴメンナサイ)、その辺も「ローカルファミレス」感満載でした。





「洋食屋さんのハンバーグ」というものを注文してみました。
ハンバーグ自体は他のメニューのものと一緒のようですが、上に乗せるモノやソースが独特で、なるほど確かに洋食店で出てくるような個性的な味になっていました。
アイデアで生まれた良メニューと思い、次に来たときもこれにしようと決心。
1時間強の滞在で「ニセ岡谷市民」となるミッションは大成功でした。





以前から、このお店の前を通るたびに、どこか「すかいらーく」のような雰囲気が気になっていました。

いや「気になっていた」というのは少し違いますね。
申し訳ないのですが、最初に見たときは正直「パクリか」と思ってビックリしたものです。

念のために説明しますと、今の「ガスト」は1990年代初期のバブル崩壊時に「すかいらーく」店を格安型店舗へ転換したものです。
その「すかいらーく」のロゴはボヤっとした、どこかやる気のなさそうな気配が漂う鳥のマークでした。
「…らーく」と「…れ~く」は似ているし、ロゴも同じ線を突いているという印象。

このファミレスの出自は専門外なのでよく分かりませんが、検索したところ「パクリ」なんていうのは失礼なルーツがあったようでもあり…。

まぁそんなことよりも、諏訪地域に展開していた「さんれ~く」は他店舗の閉店が相次いでいるようで、現在はココだけのようでもあるんです(確認していませんのでご注意を)。
せっかくお店の中に入る機会を得たというのに、この岡谷店までおかしなことになってしまっては大変なこと。





それとですね。
このコアラのマーク、不思議なことにとても心にしみるんですョ。
目が合ってしまうと、なんだか「おねがい」というコアラたちの声が聞こえてくるような気がして。
しかも「親子」で見られているから、なおさらなんですよね。

だから、このロゴマークでのグッズ展開があったら真っ先にお布施したいなぁ。
「諏訪姫」とのコラボでやってくれないかしら。
絶対にヒットすると思うんですけど。



かつては都会のカルチャーをそのまま地方にも…という意図でオープンされたのかもしれませんけど、そのカルチャーの変化をフォローする手間暇、情報の収集は大変な苦労を伴うものです。
だから、現在の地方都市のロードサイドに出店している数多の店舗は、東京や大阪の資本によるものばかりであり。
したがって、流行の変化をフォローするスピードに遅れなどはありません。
その意味において、地方の郊外は完全に〈よそ者〉の商業圏となっていますから、雇用以外に地方は潤わないシステムが完成しているのです。

独立系で狼煙を上げればいずれ疲弊するし、都会の大手資本がやってくれば真の意味で地元は潤わない。
このバランスの保ち方、難しいですよね。

とはいえ、前者に入るであろうこの「さんれ~く」は、皮肉な運命なのか、今の都会人にとってはどこか「懐かしさ」に包まれており、80年代の家族の団らん、特別な週末がこうしたファミレスで営まれていたことを思い出させてくれます。
当方はそんなことに気づき、年末の再訪を決めたのでした。

「さんれ~く」岡谷店、もう最高です。
遅ればせながら、これからキチンと通わせていただきます。





旅の最後は、上諏訪の片倉館でのお風呂。
風呂から上がると、目の前の諏訪湖では、大会前なのに15分間の盛大な打ち上げ花火が見られました。
何かとおトクな諏訪盆地でした。



盆踊りから始まった今回の旅は、気がつけば「夏休み・完全セット」というレベルにまで仕上がっており、何とか満足できるものになったようです。
次は年末の「さんれ~く」再訪ですかね。
その際には食後のデザートも頼むことにしましょう。
それから諏訪湖遊覧船「竜宮丸」の引退にも向き合わなければなりません。


ではまた。

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  1. 2019/08/30(金) 08:10:00|
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奥飛騨で真夜中の夢を見る

こんばんは。しなのさかいです。


郡上八幡を離れた後のことを書いておかなくてはなりません。
その後は国道256号経由で国道41号に出て、高山本線に沿う形で北上しました。
下呂温泉はバイパスを素通りです。





2019年8月9日「ワイドビューひだ12号」(高山本線・上呂–飛騨萩原間)

そんでもって、素人ながら大好きなキハ85系が走っている事実には背を向けられず、グースカ寝ている家族を車内に残して1枚。
もしかしたら、キハ85系はこれが見納めになるかもしれません。
1989(平成元)年デビューですから、平成時代30年間、ほぼ外観を保ち続けての大活躍です。
ですからこの車両に想い出を持つ方は多いんではないないかと。





飛騨一宮水無(みなし)神社で娘たちは御朱印。
普段は当方が何かと待たせる側の人間ですから、こうして誰かの趣味に付き合って休憩するのも悪くないということに気づきました。
とはいえ人を待たせることを開き直ってやるつもりはありませぬ。
周囲をゆっくりと観察して、飛騨にいることを実感。





飛騨一ノ宮駅前の宮村郵便局で851局目の旅行貯金。
水無神社を描いた風景印もありました。
タイミングよくキハ25系の普通列車が到着し、大きな楽器ケースを抱えた高校生が降りてきました。
そういえば吹奏楽コンクールの真っ最中だったんですね。



□ □ □



さて、ここからは少し説明を必要とします。


今回の旅は、プランがなかなか決まりませんでした。
なぜかというと、中二の次女が所属する部活の夏休みの練習スケジュールが、なんと夏休み直前まで開示されなかったからなのです。
昨年度の顧問は4月早々に年間スケジュールをバラまく程の「デキる」方だったらしいのですが、今年度の顧問は「忙しくてそんなことまで考えられない」と開き直り気味の発言をしたんだとか。

我が家だけでなく他の多くの家庭でも親の夏休みの取り方が決められず、結局家族旅行をドローにするなどの悔しい思いをしたそうで、娘から「今年は顧問に対する怨嗟が渦巻いている」との報告がありました。
そりゃそうでしょう。

で、我が家ですが、かと言ってそんな不作為に負ける訳にはいきません。
ギリギリまで待ちましたが、我慢の限界を越えたので当てずっぽうで旅行の時期に目星をつけました。
そんな中で女房殿の郡上八幡行きのリクエストがありましたので、旅館に問い合わせたところ、運良く8月8日なら宿泊OKという回答を得たのです。
これで同日出発による郡上八幡行きが決定しました。

ただ、1泊2日で相模国から美濃国まで行ってすぐに帰るのは余りにももったいない。
お盆休み序盤の日になりますが翌8月9日の宿泊施設も探そうと決めました。
そこで思い出したのは、とっくに締め切られた職場斡旋による宿泊施設。
ダメ元で、空室がないかどうかを確認したのです。


「運がいい」と思うことは、たまーにあるものなのですね。
なんとその8月9日の空き室が、同じ岐阜県の新平湯温泉で1室だけ発生していたのでした。
しかもその前後は全て満室ですから、決してヤバイとかそういう宿ではなさそう(失礼)。
ホテルのデータなど確認している余裕などありませんから「はいはい、そこでいいです!」と速攻で予約しました。


そのホテルは「奥飛騨ガーデンホテル焼岳」と言います。



□ □ □



日没前に到着しました。
車でそのホテルに近づくと何やら様子が変です。
どう見ても、そこには自宅の模型部屋に置いてきたはずの物体があるのですよ。





…。

夕食後にもう一度ロビーから出て観察したんですけど、これはどう見ても当方の大好物ではないかという結論に達しました。







間も無く此奴らがが「キハ27 551」と「キハ27 552」の2両であり、JR北海道の函館と札幌の間を夜行快速「ミッドナイト」として往復していた車両であると判明しました。
カーペットを敷き詰めて寝っ転がって移動できる、さながら青函連絡船の二等船室のようなサービスが18キッパーには人気でした(そうでもない方もいたようです)。





JR北海道での運行取り止め(引退)後、2001(平成13)年にこのホテルが開業した際、はるばる北海道から甲種回送で神岡鉄道・奥飛騨温泉口駅(2006年に廃止)まで運ばれてきたんだとか。
最後は同駅から陸送が行われたはずなのですが、こんな山奥まで、よくもまあやり遂げたものです。


お友達のキハ181つばささんにリンクを貼る許可を求めたところ「いいよーん」という心地よいお返事をもらいましたので、以下に現役時代のリンクを貼らせていただきまーす。

マル鉄・鉄道写真館〈キハ27:快速「ミッドナイト」〉

マル鉄・鉄道写真館〈キハ27:快速「北の京芦別号」〉





ホテルの方に伺ってみたところ、設置(?)から時間が経過して外板の腐食が激しくなったため、ごく最近になって上から鋼板を貼るという修繕を行ったそうです(側面のみ)。
もはや錆を落としてパテを盛って…というやり方ではどうにもならないという結論に至ったんだとか。
鋼板は細長い帯状のものを使ったのか、どこか明治・大正期の木造客車のように見えます(笑)





現在の用途はカラオケルーム、それからちょっとした催事ルームというもののようで、551は大部屋、552は複数のカラオケ個室となっていました。
当方は自慢できる喉を持っていないので、ココは外から歌っている人たちを観察(中の人から見れば迷惑な話です)。
常磐自動車道で見たような熟年風カップルが大部屋の方で熱唱されていましたが、その他に誰もいないので、給仕の係員の方が辛そうに立っていましたね。
お仕事、大変ですね。





乗務員室扉の手すり付近を見ていただくと、鋼板の厚みがお分かりいただけたけると思います。
スケールからすればほんの僅かですが、肉厚がマシマシです。



翌朝、明るい空の下でもう一度見てみることにしました。




色はゴールドというところでしょうか。
以前は青で塗られていたようです。
「保存している」ということでもないですから、この辺はオーナーさんの自由ですよ。







反対側(552)。
下り勾配を水平にするため、コンクリートの土台の上にあります。
ちょっと不安定そうに見えますが、




屋根から鋼材が降りていて、シッカリと車体を押し付けているようです。
これなら転がり落ちることもなさそう。
屋根にはエアコンの室外機までデンと乗っかっていました。




普段我が家で見ている小さい台車が150倍になって目の前に現れました。
デカイ!


んでもって、宿泊客であれば見放題らしいので、ズカズカと乗務員室に入ってみました。




この電話ボックスのような狭っこい座席に座って真夜中の札幌と函館の間を爆走していたのかと考えると、乗務としては過酷だったんではないかと。
というか、もはや「恐怖」です。





ラベルシールはおそらく20年前のままでしょう(笑)





床を見れば道産子だということが分かります。





バタンと展開させることができました。
もちろん座りましたよ。





それにしても、よくある保存車と違って、常時ライトと種別幕がいい塩梅で点灯していますので、生きている感じが素晴らしいと思いました。
特に模型をやっている身としては、その点灯具合がエロいんですよ(大笑)。
自宅で模型のライトチェックをやっているときと同じ点き方ですから。





その他、ホテルの方々に聞くと、皆さん実にいろいろと教えてくださるので、参考になりました。
20年も経っているからでしょうか、結構赤裸々でした。

ここへキハ2両を運んだ理由は、ホテル開業時にここから上のスキー場まで線路を敷設し、気動車で旅客を運ぶ構想があったからだそうです。
そのために、運転できる乗務員もわざわざ雇用し、移送後もしばらくはエンジンをかけてメンテナンスを怠らなかったそうで。
保存自体がなかなか難しくなっている今日からすれば、実に大胆なことです。





しかし、勾配が急過ぎることや、その他制度的な問題が判明し、運転を断念。
こうして線路は、ホテルから登り勾配となる坂道(駐車場)のど真ん中でブツッと切れたままとなったのでした。
やがて車両の方は倉庫と化し、その後カラオケルームに転用が図られたみたい。


思わず奥飛騨の山奥で鉄分補給をすることになりました。
あ、お風呂は火山性泉質の濁り湯で、源泉掛け流し、ホテル自家源泉。
あちこちで泉質が固まって白い結晶のようなものが固まっていました。
うっかりと湯元に近づくと「あぢぃ!」となりまして、それくらいの確かさです。

それよりも。
ココでは人生で初めての混浴露天風呂を経験しまして、気分はすっかり「土曜ワイド劇場」。
安心してください、ちゃんと湯衣(ゆあみ)を着用した上での混浴です。
古谷一行と木ノ実ナナみたいにはなりませんでしたが、たまにはこういうお風呂も悪くありませんネ。


おまけ的にもう一回続けます。
ではまた。
  1. 2019/08/26(月) 18:15:00|
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90年前の郡上八幡駅で見たロイヤルレッド

こんばんは。しなのさかいです。

郡上八幡の町のことを散々書きましたが、きちんと鉄分補給もしてきましたので、その辺のことも触れておきましょう。




町を出た後は、前夜に踊りの会場となっていた長良川鉄道・郡上八幡駅を訪問しました。

同鉄道の前身は言うまでもなく旧国鉄・越美南線で、意外にも国鉄が民営化される「前」の1986年12月に第三セクター鉄道として再スタートしています。
このとき、結ばれる予定だった越美北線とは運命が分かれ、北線は経営分離されずにそのままJR西日本へ継承。
今もそのまま存続しています。

この駅舎は1929年の越美南線開業時のもので、2015年には国の有形文化財に指定され、さらに2017年には開業当時に近い外観に復元されました。
さらにさらに、2018年にはカフェとテラスが設けられ、おみやげやグッズの販売もあり、来訪者に対するちょっとしたもてなしが行われています。





改札を抜ければ、この見事な佇まいなのです。
まるで映画のセットのようでしょう。
非電化路線の風景はまさにこうでなくてはいけません。





信号を扱う張り出し部分は、なんだかGMの木造駅舎のキットみたいです。
無駄なものは何もなく、往年の姿を見ることができます。





下り方面の乗り場を示す案内板は、どう見ても国鉄時代のまま。
国鉄フォントって見る人に優しさがあって、今見ても和みますよね。







さらに駅名板もありまして、昭和の香りがしていました。
「郡上」が小さくて「八幡」が大きい点がポイント高し。
当然ながら、所在地は「岐阜県郡上郡八幡町」です。
現在の郡上市は2004年3月1日、郡上郡7町村(八幡町・大和町・白鳥町・高鷲村・美並村・明宝村・和良村)の合併により誕生しました。





跨線橋に吸い込まれて…





階段を登って振り返ると、模型の世界そのまんま。
「わたしの旅スタンプ」の台がこういう階段の下にあったりしましたね。





ギシギシ音を立てながら渡ってみました。
どこもかしこも板、板、板。
首都圏ではすっかり見なくなりました。





下りの島式ホームから駅本家側を見たら、石積みのホームから全てがご馳走に見えてしまいまして、鉄道模型の可能性はまだまだあるなぁと思うのでした。
作りたくなりますよね、こういう景色をレイアウトで。
「鉄道模型コンテスト」では風景を大きく切り取ろうとする作品が多いのですけど、こういう視点であえて近視眼的に切り取ろうするのもアリなんじゃないかと思います。





蹄鉄機。
下の娘はこれがなんだか分からないとのことで、軽くレクチャー。
かつては、これを操作することに全身全霊を捧げていた方々がいた訳です。
それを現代の視点から「なんて非効率な…」と切り捨てる風潮もある。
せめて自分の子どもたちには、そんなメンタリティを持って欲しくないなと思いながら説明しましたが、本人に届いたかどうかは不明です。
まぁ、こんな地方の町に親と付いてきたこと自体を評価しましょうか(笑)



さて、列車がやってきましたよ。




2019年8月9日 郡上八幡にて 観光列車「ながら」1号

列車が来る数分前になると、ホームには大音量で「かわさき」が流れ、そのお祭りムードで乗客を歓迎するという仕組みでした。
そんな中で当方はカメラ、下の娘はビデオという役割分担。
この日からはお盆休みの期間は毎日運行となったようで、美濃太田からランチを楽しみながらお客さんがやってきました。
こんなときに撮り鉄をやる人は迷惑だったかもしれませんけど、少ない出迎え人の中の一人だったこともあるので大目に見ていただきましょう。





誰がどう見ても、あの方のデザイン。
JR九州の「アクアライナー」から30年が経過しましたが、やはり見ていてスペシャル感があることは間違いなく、人を惹きつけるアイテムとなっているようです。
現にこうして我が家も、町を離れたのだからサッサと次の目的地へ行けばいいものの、こうして駅で遊んでいるのですからネ。





食堂用の2号車はここで切り離し。
郡上八幡回転、上り「ながら」2号での営業に入るべく、ここで準備に入るようでした。





1号車はそのまま終点・北濃を目指します。
茶色い跨線橋との組み合わせが最高じゃないですか。
なんと車両と跨線橋とでは約90年の時間の差があるのですが、そんなに違和感がないという事実にも驚きました。





ロイヤルレッドが眩しい。





そして北濃へ。
「トミックスのながらを買っておいて良かったな」と思う至福が自分の中でピークを迎えました。
Nゲージをやる人間の悪いクセで、この後すぐビデオ撮影をしていた下の娘に「実はこの模型、ウチにあるんよ」と告げて呆れられましたナ。


その後「もう気が済んだ?」というオーラ全開の女房と上の娘がカフェからゆっくりと出てきて、4人ですっかり灼熱地獄に戻った車内へ戻ったのでした。
どうやら女二人は、冷房の効いたカフェで、オレンジジュースを飲みながら明方ハム製の「醤油フランク」を食べていた様子。
こうして旅の道中での“腹の空き具合”というものに遠心力が働いていくのです。
よくあるでしょ、「お腹すいたねー」「いや、そんなにすいてないよ」っていう虚しい会話(爆)




〈次回予告〉
さらに飛騨地方を鉄分補給しながら進むと“約束の地”には予期もせずに究極の「鉄分」が待っていた!
そこで見たものは、数多くの人々の魂を乗せたかつての方舟、そしてそれを守る人たちの苦悩。

次回、しなのさかいの駅前広場
「奥飛騨で真夜中の夢を見る」
ご期待ください。




注)JAMレポートを先行させるかもしれません。

  1. 2019/08/17(土) 22:00:00|
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気になるまち 郡上八幡(後編)

(前編からつづく)




翌朝、旅館をチェックアウトした後は、午前中だけ車をそのままにしておくことを旅館に頼んで、あらためて町を散策しました。





あの多治見市を抱える岐阜県ですから、気温36℃なんていうのはザラのようで、まだ9時台だというのに、既にその目盛りはバーストモード。
でも、不思議なことに適度に日影を選んで歩けばなんとかなるようでした。
木造の建物ばかりだからでしょうか。
鉄筋コンクリートだらけの都会と比べると、そんなところにも違いがあるようでした。
照り返しとか蓄熱とか、詳しくは知らないのですが、いろいろと比べるべき点があるのかもしれません。





それから、なんとなくですが、この町は元気なおばちゃんの姿が目立つというか、絵になる気がするんです。
そんなことを考えながら、遠くから正体が分からない程度に1枚だけ撮らせていただきました(ゴメンナサイ)。

家の前でおしゃべりをするおばちゃん。
そして、水路からひしゃくで水を汲んで打ち水をしたり植木に水をやるおばちゃん。
こうした風景も郡上八幡にはよく似合います。







町中の清流。
どこもかしこも水、水、水で、この流れが様々な町の生活と産業を支えているようです。
暑い夏の旅は、穏やかな水のあるところに限ります。





町の中心部を流れる吉田川には、早朝から釣り人が多数。
もちろん獲物は鮎のはず。





我が家がその釣り人たちを見ていたのは、高さ12mの「新橋」。
地元の子どもたちのダイビングスポットとして有名ですが、調べてみると、2000年以降、県外からの観光客の飛び込み死亡事故が数回あったそうです。
地元の子ども達は繰り返しイメージトレーニングをしながら飛び込んでいるのでしょうから、やはり県外からの素人はマネをしない方がいいのでしょう。
何事も地元の方々への迷惑行為となることはやめておくべきです。





宗祇水は、その町中を流れる水路のシンボル的存在で、特に水不足に悩む海外の観光客にとっては極めて珍しく、日本の山間部の町の豊かさを感じるシンボルともなっているみたい。
似たシステムとしては、隣の滋賀県にも川端(かばた)があります。
どうも岐阜県と滋賀県は「水」をテーマにして旅をすると、より深いものになりそうです。


その後は、旧役場庁舎を活用した観光協会で買い物をしながら町を離れました。





鉄道やバスで訪れる人も多いようで、駅にも観光協会にもレンタサイクルはきちんと揃っていたようですし(三浦半島とは大違いです)、気候次第ですが郡上八幡城を含めて徒歩でぶらぶらすることも十分可能だと思います。





京都や鎌倉をトップとした日本各地での「オーバーツーリズム」が大きな課題となる中、郡上八幡はまだまだその規模が適正に保たれているようですから、懐かしい日本の風景を味わい、感じてみたい方は、今のうちにコッソリと訪れてみてはいかがでしょう。
そして出来ることならば、若者の移住が増えている理由まで「考える」、そんなことをしてみて欲しいですね。

観光スポットで撮影→買い食い→買い物、という流れだけでこの町を楽しもうとすれば、この町を半分も楽しめていないということに注意です。



□ □ □



休み明けにお土産を配った職場では「え、ぐじょう…なんですか?」と郡上八幡を知る人が極めて少なく、知っていても郡上踊りを阿波踊りと同じものと思っていたり…という具合でした。
この「アンケート調査」には、なかなか考えさせられました。

でも、これはこれでいいのかもしれません。
と言いますのも、逆に郡上八幡では自分が散策した限り、とうとう見ることがなかったんですよ、例の東京オリンピックの(吉野家のような)エンブレムを(笑)

来年の郡上踊りの開催期間は、ほぼオリンピックとパラリンピックの開催期間と重なるんじゃないかと想像していますが、何せ400年も続いている「無形文化財」ですから。
そんな東京からの準商業的イベントに踊りの開催が振り回されることなく、例年と変わらない郡上八幡らしさを堂々と貫いて欲しいナと、そんな風に町全体を応援したくなりました。

都会に対するアンチテーゼに見える町。
そんな町が「地方創生」なんていう力の入った掛け声などに頼らずに、どんどん増えるといいですね。





冷蔵宅急便で自宅へ発送した「明方ハム」は、予定通り帰宅した翌日に届きました。
ヤられたらしいブタのエンブレムが可愛らしくて、並べて冷蔵庫に保管したら女房殿に呆れられてしまいましたが、これくらいのことをしておかないとハムの有り難みを感じることができません。

その後、包丁を入れて、少しだけマヨネーズを付けながら美味しくいただきました。
YouTubeで徹夜踊りのライブ映像を見ながらです。



鉄分補給のこともありますので、もう少し続けます。

  1. 2019/08/16(金) 20:10:00|
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気になるまち 郡上八幡(前編)

こんばんは。しなのさかいです。




先週は、大勢の方のお盆休みと大型台風の襲来を前にして、岐阜県を旅してきました。
具体的には「郡上八幡」が目的地で、帰りには長野県まで回る2泊3日の自作旅程です。

郡上八幡はウチの女房殿が“仮想移住先”と定めている町であることから(笑)、今年の我が家の夏休みは5年ぶりの訪問に当てることとしました。



さて、当方が説明するまでもなく、郡上八幡には実に数多くの「名物」と言えるものが存在します。
山間部の小さな城下町なのに、その数は人口減少で悩む地域が羨むほどで、知識の薄い当方がザッと挙げるだけでも以下のとおり。

・郡上踊り
・郡上八幡城
・鮎
・食品サンプル
・ハム
・藍染
・町中を流れる水路 等々

ちょうど出発前に放映していたBSの番組では、郡上市長が出演していて、近年の移住人口の堅調な増加を説明していました。
その番組だったか別の番組での内容だったかは忘れましたが、2012年に移住して町の真ん中で稼業を開かれた若い方もいるそうで、もう脱帽するしかありません。
我が家が家族4人で最初に郡上八幡を訪問したのが2013年ですから、ほぼその頃に都会からの移住を「決行」した方が、2019年の今ではすっかりと岐阜県の町に溶け込んでしまっている、という訳なんです。

この事実には、正直に言って胸に刺さるものがあります。
当方は日頃から、現代における本当の「勝ち組」とは、住む土地を自分の素直な気持ちで選べる人たちや、住む土地に心身共に溶け込んでいる人たちなのではないかと思っているのですが、こうした実践例があるとその思いはさらに確信へ変わっていくのです…。



□ □ □



まぁ、堅い話はこれくらいにしましょう。
相模の国を朝8時に車で出発して、途中休憩を挟みながら新東名、東海環状道、東海北陸道を進み、14時過ぎには郡上に到着。







未訪問の八幡小野郵便局を訪問して849局目の旅行貯金。
続いて町外れの喫茶店で美味しいコーヒーをいただいた後は、さらに八幡吉田簡易郵便局に寄って850局目の旅行貯金を果たし、ちょうどよい頃合いになってから町中の旅館へチェックインしました。





その後、夕飯を兼ねて徒歩で町へ繰り出しました。
当方は郡上下駄を買い求め、娘たちは食品サンプルのお店ではしゃぎながら大トロのキーホルダーをゲット。







この町における「食品サンプル産業」の存在は、子どもたちが山間部の町を旅する上では退屈しない大きなネタとなっています。
大人と子どもがそれぞれ目当てを持てる、ということがこの町の強さなのですね。





夕飯は宿泊した旅館では用意されませんので、近くの「わかば」さんで焼肉。
「特上飛騨牛」なるものを注文しました(これは食品サンプルではありませぬ)。
うーん、やはりこれは美味しいです。
女房と娘たちには大好評でした。





夜は「郡上踊り」に参戦。
この日は町外れの長良川鉄道・郡上八幡駅前が会場でした(徹夜踊りを含め、おおよそ町中で行われることが多いようです)。
久しぶりなので、踊り方などほとんど覚えていなかったのですが、輪に飛び込んでしまえば案外どうにかなるものです(失礼)。





生演奏、生歌によって「かわさき」「春駒」「三百」「猫の子」「ヤッチク」などが次々と演奏され、見よう見まねで地元の方々についていくと、いつのまにかニセ郡上市民爆誕!
「春駒」はややアップテンポで外人さんにも人気がありますね。


こうした「溶け込み」が出来る点で、郡上踊りが他の地域の祭りとは「違う」ということを言い表わせると考えます。
当方のような、リアルな帰省先を持っていない都会の人間としては、どこか擬似的な実家を持った感覚になれますし。
都会から若者の移住が増えている理由もそんなところにあるような気がします。
一足飛びに移住者を増やそうとするのではなく、まずは「交流人口」を増やして、その取組を大切にするマインドが肝心。
そういうプロセスが大事であり、よく分かる地域と言えましょう。
もちろん、郡上市には、意図してそんなプロセスを作っているつもりはないでしょうが。





家族4人で汗ビショビショになりながら、エンディングである「まつさか」まで頑張りました。
これぞ「にっぽんの夏の夜」。


(後編につづく)

  1. 2019/08/15(木) 19:45:00|
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小淵沢 E353系ウォッチング

おはようございます。しなのさかいです。




先日のことになりますが、これまた現実逃避を兼ねて(最近はそんなことばかりしています)小淵沢まで行ってきました。

いつものように金曜日の夜18時頃に車で出発して、小淵沢駅に近い「ファミリーロッジ旅籠屋 小淵沢店」さんに1泊お世話になり、翌土曜日を朝から晩までフルに使おうという魂胆。
これも年度末の精神衛生上の配慮によるもので、女3人も同様の心理だというのだから利害一致、ツゴーアウジャンです。





翌土曜日の朝は、2か月半ぶりに旅籠屋さんの敷地から目の前の中央東線を観察しました。

ダイヤ改正(3月16日)を経た後でして、定期運用のE257系は過去の存在となっています。
だから来るモノは今をときめくE353系ばかりで、こんなにたくさんの新車を短時間で揃えられるという工業力(粗製設計?)に驚いてしまうのです。
聞けばE351系はもうこの世に1両も残っていないんだとか…。
あまり人気のよろしくない車両だと思っていましたけど、模型をやる人間としてはスマートなサイドビューが好みではありましたし、なんといっても乗車を含めた思い出がいっぱいあった車両だったんです。





基本編成と付属編成の併結部。
付属編成は特急「富士回遊」として大月から富士急行線に乗り入れる運用もあり、中央東線に限っては、このダイヤ改正にそれなりの話題が含まれていました。
中央東線における多層建て列車、というのも実に久しぶりじゃないですか。









新しい小淵沢駅の展望台に登って屋根の観察。
この辺は模型のウェザリングをする方への情報提供ということで。
屋根板の色は日々汚れますから、何が正解かとも言えませんね。





小淵沢駅ですから、小海線を登るキハ110系(キハ111+キハ112)もアイドリングしながら発車待ち。





こうしてボディの色を見ると、カトー製キハ110系の色の解釈は決して間違っていないように見えます。
塗装が劣化して浮いていました。





だんだんと車両よりも、こうした八ヶ岳の雄大な景色の方を見ている方が気持ちが休まるような気がしてきて。
それが普通なんでしょう。
坂道ばかりで大変なんでしょうけど、こんな風景の中で暮らしてみたいです。





駅の駐車場前で駄目押し的に駅構内を見ると、ナンバーは「キハ111-111」でした。
「だからどうした」なるのですけど、なんとなく得した気分になるのは根っからの貧乏性だからか…。

それにしても小海線にはこのカラーが似合いますね。
キハ110系もそんなに遠くない未来には引退しそうです。
さわやかな色は小海線の沿線風景とよく合っていて気に入っています。




その後、午前は「えほん村」で小学校の国語の教科書に収録されていた「もちもちの木」を読んで、物語の意味が分かるような感動を覚えたりして。
たまには児童書を読むのもイイもんです。





そして、清里まで移動して清泉寮で食事。
ゴールデンウィークになるととんでもない混雑が予想されますから、こうした閑散期を狙って体験しておく方がベターでしょう。
くるみ入りのドでかいパンがとてもおいしかったです。
最近は夫婦揃って、こんな自然志向のパンがご馳走に見えるようになっています。

ウッドデッキでムシャムシャしているうちに雪がチラホラ。
今年の冬は関東平野でほとんど見ることがなかった雪。
ここでは断続的にチラチラと降っていて、関東者にとっては冬のやり直しのようでした。





午後は道の駅「南きよさと」で野菜を買い込んで甲府盆地まで引き返して、韮崎、南アルプスをパスして久しぶりに「レールパル351」さんへ。
女3人が車内でグースカ寝ているので、その隙に少し立ち寄りました。
それにしても模型店があるような立地ではなくて素晴らしい!

実は、前回の記事でお見せしたアルピコバスはこちらで買い求めたものです。
その他、複線プレート線路もあったので、試運転用にS248の2枚セットを購入。
いずれも今となっては市場では出回らないものなので少し得した気分になりました。
店主さんに大変親切にご対応いただき、誠に感謝です。
お店の裏にある超巨大レンタルレイアウトを見学して、少しばかり常連さんとお話をさせていただいて退散しました。
店主さんはカトーのセールスミーティングにもよく参加されるそうです。

宇都宮のお店のときもそうですが、旅先で訪問する模型店はなかなかゆっくりできないのが難点。
また訪問させてもらいます。





旅の最後は例によって「ほったらかし温泉」に行き、フルーツ公園から雄大な夜景を見て大団円となりました。

このくらいの時間まで甲府盆地で粘ると、中央自動車道上りの渋滞とは無縁になります。
早く小仏トンネル上りの追加分を掘ってほしいです。



◻︎ ◻︎ ◻︎





カトー製E353系は3月26日に発売されました。
パープルの色調に様々な声があるようですが、御覧いただいたように撮影条件によって変幻自在なカラーのようなので、その辺は大目に見ていこうと思っています。
カトーもカトーなりの考え方があるでしょうし。

この週末には手にすることができそうで、再びレイアウト上で中央東線ゴッコをすることになりそうです。
トミックスのEH200のパーツ付けなどやるべきこともあるので、レイアウト作業と並行して進めていきましょうか。


ではまた。

  1. 2019/03/29(金) 08:40:00|
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妙蓮寺から歩いて菊名まで

こんばんは。しなのさかいです。


先週末は、Nゲージ車両用のシールやらインレタが必要になりまして、ちょっと横浜駅西口のあの5階に足を運んでみました。
相変わらずトミックスの気動車達と戯れています。
レジカウンターに立てられた分厚い見本ファイルをめくって複数を物色しているうち、いろいろなお客さんが実にいろいろなことを店員さんに尋ねていて、その内容を面白く聞いてしまいました(ゴメンナサイ)。
皆それぞれ、たくさんのこだわりがあるのです。





その帰り道…。
素直に来たルートを戻るのも面白くないと思い、少しだけ東急東横線に乗って「妙蓮寺」で降りてみました。
当方、日常的に使うことがない私鉄線に乗る楽しみに気づきまして、最近の遊び方にもなっています。
その私鉄線も各駅停車に乗る方が面白いのかもしれません。
鉄道模型趣味に閉塞感を抱いたときは、フィールドワークをしてみるのも悪くありません。





文字通り、踏切を渡った駅前には妙蓮寺があります。
こちらにも興味がありましたけど、今回は菊名方面へ徒歩で出発。
手前の白楽界隈と同じように、駅前には懐かしめの商店街がありまして、ここを通り抜けて…





「菊名池」というスポットが現れました。
鉄道ではなくて鳥を対象としている方々が大きなカメラを構えていましたから、それなりの場所なのでしょうか。
お互いに理解していないことが多いですね(大笑)
当方にとっては、池を見渡しても甲羅干しをするカメにしか目に留まりませんで、池の水を全部抜く日も近いんじゃないかと案じてみたり。

のどかな冬の午後でした。





東横線と絡み合いながら菊名へ歩きます。
ただの踏切でも地形の起伏を観察できて面白いなと撮った1枚。
微妙に菊名方面(画面左)へ線路が下がっています。





その踏切を渡ってすぐのところにある坂道を登ってみたら、ソコソコの眺望が広がりました。
ちょうど5050系4000番台(10両)が元町・中華街へ。


そうなんです。
今回の散歩の目的は、東横線をキーにして起伏のある横浜を楽しむことでした。
「横浜」のイメージってどうしても港の見えるところに偏りがちなんですけど、実は幾重にも重なる起伏とその上に広がる住宅街も面白い観察対象ではないかと思っています。
アップダウンがあるだけ生活は大変かもしれませんが、土地土地に個性が付きやすくて少しだけ憧れますョ。





坂道を下りたところでまた1枚。
仕上がりは微妙な感じですが、当方は撮影を生業としているわけではありませんのでこのくらいで御勘弁ください(笑)

この後、さらに菊名へと歩き出したところでヒカリエ号が渋谷方面へ走り去っていき、もうしばらく留まれば良かったと後悔しました。
何も調べないで、カメラ1本だけ首から下げて散歩しているのですから、結末はそんなものでしょう。





そして、とてもベタな撮影スポットへ到着。
都合のいいカーブで編成全体を撮影できる…とかそういうことは当方にはどうでもよくて、住宅のある斜面が背景になるところに横浜らしさを感じる面白い場所だ、と思っています。
こういう場所、関東平野にはありそうでないんです。





「ここはどこなんじゃい」という写真になってしまいました。
西武池袋線ではありません。





横浜高速鉄道Y500系を使ってこの景色を撮影してみたかったんですが、あいにくのタイミングの悪さで1本も現れませんでした。
東急5000系、西武6000系(バカ殿)、東京メトロ7000系が多かったでしょうか。
「メトロ7000系はいつまで走るのかなぁ」とかそんなことも考えて。
この帯の色はなんだか似合わないですよね。





床下機器をじっくりと観察できたのは収穫でした。





梅の香りが漂う季節もそろそろ。
関西ひとり旅から1年が経とうとしています。

そんなことをしているうちに、学習塾やら飲食店が並んだ菊名駅前へ到達しました。





菊名から横浜線に乗っておしまい。
グラデーションの付いた緑色の帯は平成元年の使用開始から完全に定着。
都心部を走っていた電車のお下がりを頂戴するという暗い路線のイメージアップに大きく貢献しました。
白いマスクのE233系にはとても似合っています。





ここもよく見れば、こんもりとした丘が広がっていまして、正に横浜だよなぁと。
早々と自宅に帰って、その後はインレタ貼りに励みました。


ではまた。





  1. 2019/02/19(火) 19:20:00|
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再び伊那谷の終点へ

「奈良井のケーキと馬籠の夕焼け」編からつづく)




12月30日(日)。
2018年の年末、極まれり…という日であっても我が家はまだ昼神温泉にいました。
チェックアウトの後は、2年前に訪れてみたら意外にも楽しかった神坂神社詣でをしようということになり、山坂道を登坂開始。

その途中では「滝見台」に寄って「皿投げ祈願」をしました。
お休みだった門前屋さん(滝見台の下にあるお店です)の御厚意でお皿を買うことができたのは幸いで、その場でマーカーを借りて書き込み。





当方のお皿には、これまた例によってこんなことを書いておきました。
だいたい御利益はあるようですので、皆さんも試してみてください。
ただし園原まで足を運ぶ必要があります。





もう一度、地図で位置関係を確認しておきましょう。
神坂神社周辺が中央自動車道・恵那山トンネルのほぼ真上であることがお分かりいただけると思います。
伊那谷の南端は様々に解釈できますが、少しだけ西へ転ずる形で、ここも「端っこ」と言えるのですョ。

「ヘブンズ園原」は阿智村のスキー場で“夜になると満天の星空を拝むことができる”という触れ込みでロープウェイ(ゴンドラ)を営業しています。
そういえば前日の夜、宿ではミニツアーが催行されていました。





神坂神社、再び。
参拝者など誰もいません。
巨大な杉の木が何本も天に向かってまっすぐに伸びていて、まずはこれが目に入ります。
あたりは静けさが漂っていて、鳥の鳴き声か風の音くらいしか聞こえてきません。
そして天気は冬晴れで、午前に広がる空は真っ青で。
こういう場所、「とっておきの場所」と言えましょう。





特筆すべきことは、神社の横に「古代東山道」が美濃へ通じていることなんです。
だからここにこうした社があるのも理解できますよね。

実質的には登山道のようなもので、神社前の駐車場へ車を置いて、ここから徒歩で神坂峠へアタックする人もいるみたいでした。





かつても「この先にはみやこが…」なんていうことを考えて登っていった人が大勢いたのでしょう。
昔も峠越え、国境越えのプロセスにはそんな高揚感があったに違いありません。

このか細い道が、数百年後には真下にある恵那山トンネルに置き換わったことになるわけで、長大トンネルに何らかの想いを馳せる方がいればいいのですが、おそらく大体の方は「なげートンネルだなぁ」というマイナス思考でハンドルを握っているのでは。
「その真上にはこんなドラマチックな場所があるのですよー」と教えてあげたくなりますよね。
そんなことをいろいろ考えてしまいました。





神坂神社から麓に戻る途中では再び「信濃比叡」にも立ち寄りました。
ここは「比叡」の呼称が全国で唯一許された知る人ぞ知る、という場所です。
あの「不滅の法灯」も分灯されていますし「根本中堂」もあるということで“ミニ比叡山”な感じ。

12月30日というお正月前の半端な日ですから、やはりここも我が家だけでして(2回目の訪問ですから分かってはいたことです)。
でも逆に、住職さんには「年末に来られることはとても大事なことですよ。よく来られました」ということで歓迎され、まぁ座っていかれなさいとのことで、般若心経を唱えることの意味を教えてもらいました。
まさか今回の旅で般若心経を知るとは思っておらず、ちょっと得した気分になりました。

教えてもらった後、娘たちには「アウトドア般若心経」の存在もそっと教えておきましたが、そちらにはあまり興味を示しませんでした。





ここから南アルプスを望むと、いにしえの旅人の気分になれます。
この景色は間違いなく数百年前も同じですね。





信濃比叡の住職さんに歓迎してもらえる意味も分かるんです。
こうして「ヘブンズ園原」を眺めれば、この日もやはり家族連れと思われる車で駐車場が埋め尽くされていまして。
一般論として、温泉宿をチェックアウトすれば、まずはこういうレジャースポットをめざすものなのでしょう。
鬼怒川温泉と日光江戸村たちのようなものです。
それなのに我が家は、あえて誰もいない隣の尾根を登っているのですから(笑)

でも、こうした所で見る方が、同じ景色でもより良く目に焼きつくんじゃないかなと思ってみたりします。




その後は伊那谷ドライブとなり、ドライバー以外は寝たり起きたりの繰り返し…





「だったらば…」
せっかくなので飯田線の空気を少しでも吸って帰ろうと考えて、七久保駅に寄ってみました。
あいにく列車が来る時間帯ではなかったので、駅の観察だけです。





豊橋方を見て…






辰野方も見て。
当たり前ですか、やはり列車が来る気配などなく。
のどかな風景が広がっていて、帰りたくなくなります。

前述のとおり伊那谷は「谷」といってもV字状の木曽谷と比べてとても緩やかな谷で、どちらかというと盆地のような感覚です。
ただ、この飯田線の七久保付近は、谷の中腹を縫うように走っているため、駒ヶ岳方面から吹く空っ風が「ゴーッ」と駅を抜けて街の方へ降りていきます。





南アルプスを見るならこの季節…という気持ちになります。
こうやって駅名標と重ねて見ることができる七久保駅は、当方にとっては間違いなく観光スポットであり、313系が入らなくても絵になると考えます。
さすがに訪日客はここまで来ないでしょうから安心してまた来ることができそうですね。





「グリーンファーム」でお正月用の野菜をたくさん買って、その駐車場から見た南アルプス。
冬の伊那谷は見どころがたくさんあります。


ところで「グリーンファーム」はこの冬、隣の敷地に建屋を新築して移転するそうで、もうほとんどその準備が整ったようでした。
オンボロ(失礼)の佇まいが大好きだったのですが、空調も整うようですからそれはそれで良いことなのでしょう。
移転しても店頭で販売している大学イモはやめないでくださいね。
それから骨董品の販売も。
今回は国鉄時代のポイント転換表示器が20,000円で売られていましたが、ノリで買うものではないなと戒めて、そのまま帰りました。
興味のある方は伊那へ急行してください。





伊那谷のもう片方の「端っこ」は諏訪湖。
ここへ到達することで、神坂神社から北上して地形的に伊那谷を縦走し尽くしたこととなりました。





日没まではもう少しあるようで、上諏訪温泉の宿泊客が手持ち無沙汰に湖畔を散歩していました。





その後は我が家の庭のような甲府盆地へ。
「小作」竜王玉川店でシメの“ほうとうタイム”となりました。
店内は家族、いや「一族」と言えそうな多世代ミニ団体客ばかりで、「この地域では年末にほうとうを食べる文化でもあるんかいな」と思うくらいの混雑ぶりで。
いろいろと観察してみるものです。





ダメ押しのおみやげは、談合坂SAで買い求めた台ヶ原宿金精軒の「くるみ信玄餅」。
内容だけでなくデザインも優れています。



以上が2018年の締めくくりでした。
お付き合いいただきありがとうございました。
ではまた。



  1. 2019/01/18(金) 22:30:00|
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奈良井のケーキから馬籠の夕焼けへ

「信濃境で35年後の185系、そして山賊丼」編からつづく)




小松食堂で山賊丼のランチを済ませた後は、小野酒造店で「夜明け前」を買って、年末恒例の木曽路ドライブをすることにしました。
この日の宿泊地は、またもや昼神温泉に定めていたので(ワンパターンですが)、国道19号を南下して日没までには「馬籠宿」へ到達することが目標。
伊那谷(中央自動車道)を進めば早いけど、どうしても冬の木曽路の景色の方が見ていて印象深いし、日差しの強い伊那谷はこの季節、午後の時間帯に南下するとずっと西日を当たり続けることとなるので、面白くありません。
だから迷うことなく「木曽路」、というわけなのです。





国土交通省が設置した温度計が「1℃」とか「0℃」を示す国道19号。
信号に引っかかることなどなく、ひたすらトラックの後ろを追いかけながら「半日村」のような、日影ばかりの木曽路をひた走り、奈良井駅までやってきました。
ここら辺で14時でして、コーヒーブレイクすることも定番化しています。





ちょうど313系1300番台が木曽福島へ出発。
旅先で車両に出会うとき、その1/150を持っているときは安心感があり、そうでないときは「帰ったらすぐに近所の量販店へ…」なんていうことを考えることばかり(散々説明してきましたが)。
今回はもちろん前者なので気持ちに余裕がありました(笑)





「奈良井宿」は何度来ても「程よい保存」が行われていて心地よいし、安心感があります。
同じ“木曽十一宿”の仲間であり、街並み保存のパイオニアである「妻籠宿」は、もはや「◯ー◯◯タウン」と化していて、一度連れて行った娘たちはあまり行きたがりません。





雪がチラつく中、今回は古民家カフェの「こでまり」さんに寄らせてもらいました。
入口は正に江戸時代の建物のそれで、狭い戸を潜るときに頭をぶつけそうに。

こういう喫茶店は妻籠宿には存在しません。
妻籠自身がそういうことにしているからなのです(詳しいことは省略)。





チーズケーキと濃いめのコーヒーでブレイク。
薪ストーブの暖かさも加わり、静かでゆっくりとした時間が流れていました。





年末のザワザワした日に、深い木曽谷の中で過ごす静かな時間は、都会の人間にとってはとても贅沢で、一度経験してしまうと、やめられなくなります。
もちろん、店内にテレビやラジオ、BGMの音などは鳴っていません。
ひたすら薪ストーブの「ゴー」という音だけです。

こうして中から外を見ていると、明らかに訪日客と思われる方々が楽しそうに写真を撮っていました。
しかし“まだ”個人的な少人数のグループのようです。
京都や鎌倉のオーバーツーリズム状態を見ていると、そのうちこの辺にも波が押し寄せてきそうな気がして、こうした静かな場所も「そのうち面倒なことになるのかなぁ」と思ってみたり。
いずれにしても「観光地」という場所に求める本質を見極めないといけない時代であることは間違いないでしょう。



再び車に乗り込んで、1時間(木曽路は長いです)。





日没ギリギリの馬籠宿に到着しました。
京都方での木曽路の入口で、坂の下、濃尾平野へ向かって広大なパノラマが広がっています。





中津川の街を遠望。
おそらく中央自動車道の中津川ICあたりかな。
あの辺りまで行くと、もう「名古屋文化圏」です。
こういう境界を感じるプロセスが我が家の旅には大事。
「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」で県境を越えるときにやるアレのような感じです。





行灯がともり始めると、もうそろそろ木曽路は闇の中。
そんな頃合いでも、下のバス停(中津川駅からのバス)からキャリーカートを引いて登ってくる外国人がチラホラいて、数年前に感じたとおり「こんなところを宿泊地に選ぶなんてなかなかいいセンス」と感心。
気のせいか、数年前よりもゲストハウスのような物件が増えているようでした。





そして日没の時刻となりました。
2018年の年末も、ここでの夕焼けを見ることができ、まずはホッとしたところ。
しかしその次の瞬間「また来年も来れるだろうか」とさみしい思いが押し寄せてきて、結局はそんなことを繰り返すんだろうなぁと考えてみたり。
でも最近は、そんな繰り返しでいいんだろうと思うようになりました。



この後は、完全に闇と静寂の中となった国道256号を昼神温泉へ走って、「湯多利の里 伊那華」で1泊。

昼神温泉へは中央自動車道で恵那山トンネルを抜けて園原ICへ行くのが順路なのですが、はるか先の中津川ICへ出る必要があり、ハードな大回りとなるので、今回は国道を選びました。
数年後には中央自動車道の神坂PA(馬籠宿に至近)がいよいよスマートIC化するそうですので、そんな必要はなくなりそうです。
でも、馬籠宿が一気に俗化しないか、そんな点が心配でもあります。


(つづく)


  1. 2019/01/14(月) 17:20:32|
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信濃境で35年後の185系、そして山賊丼

おはようございます。しなのさかいです。

年末年始のお休みも完全に過去のものとなり、気がつけば普通の生活の中にいるわけです。
2019年が楽しく過ごせるか、また1年が平穏に暮らしていけることを願って、日々邁進するしかありません。



さて、今回は年末の「信州ミニトリップ」のお話。
時間を12月29日に戻します。



関東平野の住民は、年末休みの初日であるこの日の朝に出掛けると、十中八九高速道路の渋滞に巻き込まれて首都圏を脱出することが困難になります。
そこで我が家ではそこで、こういうパターンを避けるため、前日の夜のうちに小渕沢まで移動しておくことにしているんです。
そうすることで自宅から1時間30分で移動できます。
当然ながら宿泊料の負担が発生しますが、「渋滞」という非生産的な時間を使うよりははるかにマシだと思っていて、そんな移動時間で済む我が家の土地(いわゆる首都圏の郊外)も捨てたもんじゃないと再認識するわけです。





当方の家族の「大型化」が進んだことからとっくに限界を感じていますが、今回もまた「ファミリーロッジ旅籠屋 小渕沢店」で1泊させてもらいました。
ほとんど仮眠のようなものなのですからこれで可です。
10年くらいあちこちの各店を繰り返し利用していますから、利用履歴が大したことになっているのでしょう。
最近ではチェックイン時に管理人さんからねぎらいの言葉をかけてもらうようになりました(笑)





敷地内から中央東線を行き交う列車を観察できます。
宿泊客の特権ということで、今回も少しだけ戯事をしてみました。
気温は1℃程度。
手の感覚が無くなりそうな中で押したのはこんな写真。
気がつけば東線はE353系がバンバン行き交うようになっていて、E351系は完全に過去の存在となりました。





小淵沢の新しい駅舎の屋上には展望テラスがあり、晴れた日であれば富士山が丸見えです。
山頂付近には舞い上がった雪が見えて、単独峰の凄まじさを観察。
これが冬の富士山なのでしょう。
確かに風の強い日でありました。





朝食は「旅籠屋」の無料パンと、それから小渕沢駅構内で丸政が営業する駅そば。
当方ではなく、女3人のこだわりなので「それならいいよ」と必ず立ち寄ることにしています。
「山賊そば」なんていうのもありましたが、ここはシンプルに「かけそば」をオーダーする方が好み。
何事も基本から、です。





その後は、ひさしぶりに隣の信濃境駅にも立ち寄ってみました。
小渕沢は山梨県ですが、信濃境は長野県となっています。

佇まいはドラマで話題となった約20年前(1997年)からほとんど変化がありませんで、時間の流れが非常にゆるやかなんです。
そんな点が非常に気に入っていますし、ドラマの舞台(田舎の風景)として見出した当時のスタッフの目も間違っていなかったということなのでしょう。
都会人からすれば、「のんびり」という要素はとても贅沢なものなのです。





で、ダイヤを何にも調べないで立ち寄ったので、車から降りた数分後にはいきなり185系特急「はまかいじ」。
慌ててシャッターを押したら、なんだか185系がデビューした35年前に撮影した成果と同じような仕上がりになってしまいました。
ついでにそのデビュー当時に撮影した「成果」ですよ↓


1983112002.jpg

1983年11月20日 熱海

当方にとって「185系」とは、こういうアングルで撮影する対象であり続けたようで(笑)

最近、「踊り子」というネーミングを斬新に感じた1980年代初頭が懐かしくて仕方ありません。
鉄道雑誌も、その他一般メディアも、ネーミングだけでなく、ホワイトボディに斜めストライプという想定外のデザインをまとったこの新型車両を取り上げっぱなしでした。
国鉄に関するその他の明るい話題がなかった点もあります。
また、交通博物館で売っていたHM下敷きも「あまぎ」が収録されている旧タイプが疎まれて、「踊り子」が収録された方を持っている児童のステイタスが上だったと記憶しています。
「『あまぎ』ってなんだよ」みたいな。
そんな当時、当方は知恵が足りなかったので「あまぎ」(=天城)という意味すらわかりませんで、「違うだろうな」と思いながらどうしてもウルトラ警備隊の「アマギ隊員」(古谷敏)のビジュアルが湧いてしまい、困ったものでした。

今思えば「ダンサー」でもよかった気がしますが、「伊豆の踊子」と「伊豆のダンサー」ではかなり意味が変わってしまいますので、やはり「踊り子」でよかったのでしょう(笑)





余談でした。
信濃境郵便局のATMに来た方に「今のは珍しい電車なの?」と聞かれたので、カクカクシカジカと答えたら「へぇー」とのこと。
でも当方が何も知らないで偶然に目撃したことを伝えたら「えぇっ?」
偶然が重なるとさすがに驚き方もオーバーになるようです。

来月にトミックスからリリースされるHG185系(現行タイプ)は、こんな懐かしい頃の思い出をよみがえらせてくれるでしょうか。
(当方は登場時仕様と新湘南カラーを期待しているので今のところ買う予定がありません)。

1981年のデビューからは37年ですか。
お疲れさまでした。
相模の国に住む当方としては当たり前のような存在でしたから、引退の日が迫っている事実にピンときません。
普段から撮影などをしないので積極的に見に行くことをしませんから、おそらくここでお別れとなることでしょう…。





記念に駅名標も。
なんだか不思議とひらがなの方がしっくりくるなあ(笑)





普通列車は115系が当たり前でしたが、今では211系に。
いわゆる「長野色」が秀逸だと思っているので、車両が代わってもそんなに違和感がありません。
211系も国鉄時代の車両だから、でしょうか。







そしてE257系特急「あずさ」が高速で通過していきました。
付属編成が付かない9連だったようです。
こちらもそろそろ見られなくなると思うと、18年なんていうのはあっという間だったんだなぁと(E257系は2001年デビューです)。
2001年も今と同じような趣味をしていて、カトーから久しぶりに再生産された165系PEAを買って喜んでいたりしたのです。
その頃から18年。
恐ろしすぎます。
この趣味(実車だけでなく模型も)をやっていると、やたらと近年の出来事が西暦でインプットされていて、便利なようで恐ろしい面もあり困ります。






その後は、中央自動車道で諏訪方面へ進む手もあったんですが、気まぐれ的に国道20号を走りたくなりました。
なので、一気に谷底まで下り(国道20号(甲州街道)は谷底を走っているのです)、20号を岡谷へ。
そこから今度は国道19号で塩嶺峠を越えてみました(2回目)。
塩嶺峠は我が家の1500㏄でもすいすい登れますので運転していて楽しく、なによりも諏訪湖を展望できる車窓が抜群に面白い。
地形間隔を養うためには、こうしたプロセスを踏むことも重要です。
塩嶺峠から下りきらないところで国道153号へ入り、トラック街道のような風景の中にポツンとある「小松食堂」へ。





本当に周囲に何もない街道のかたわらにポツンとあります。
2018年最後の営業日だったようで、客層は営業途中の会社員だったり、塩尻から来た地元の家族連れだったりと様々。





目当ては500円の山賊丼。
「山賊焼き」というものがのっかったどんぶりメニューです。
「山賊」というフレーズを読んだだけだと素人は「?」ですが、ウイキの解説を借りれば「鶏もも肉を、すり下ろしたニンニクやタマネギを効かせた醤油ダレに漬け込み、片栗粉をまぶして油で揚げ」たもの。
あくまでも「焼き」ではなくて「揚げ」である点がミソです。
松本・塩尻地方のソウルフードとなっていて、その起源は諸説ありそうなので、、興味のある方はウイキで続きをご覧ください。
お肉の下、ごはんの上には大きくちぎったキャベツがのっています。

またひとつ、地域の文化を知りました。

(つづく)






  1. 2019/01/12(土) 11:15:00|
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