しなのさかいの駅前広場

荷物車がいっぱい

タラーンとした日常

おはようございます。しなのさかいです。




しばらく気絶していました(笑)

現実の世界も、模型の世界も「鉄道」に関しては大きな話題の渦などなくて、その気になれば非鉄な日常を送ることもできるし、その気にならなくても気づかずにそんな日常を送っている…
いつのまにか、鉄道趣味を巡る世の中はそうなってしまったかのように見えます。

さらに、今年の夏も昨年と同じ流れになりつつあり、家にいて作業をする時間に恵まれることとなっても、気持ちが持ち時間に比例して上がる様子がないのです。

うーん、このままではヤバいですね。
いろいろと。
そんなことを考えながら、近所の公園で真夏の空を眺めていました。



そんな中ですが…




カトーEF15最終形の再生産を記念して、12系客車を牽引させてみました。
記念列車です(^^)
デッキのある旧型電機は、そのデッキがある分、牽引車両の妻面から本体が離れるので、このように後ろから覗いても顔を見ることができます。





ホイッスルカバーを今度のASSYパーツで対応させましょうかね。
スノープローは、まだASSYの設定がない頃にわざわざ標準形の台車ごと買い求めて手に入れた思い出の品です。


今模型店で見ている限り、並んでいる貨車製品の量はトミックス製が圧倒的で、カトー製がチョボチョボ。
それだけ再生産のたびに売れているのでしょうが、カトーつながりで国鉄貨物ワールドを広げられるイイ機会だけに、タキやヨの再生産だけでは惜しいし、もったいない。
単品貨車は「買い足す」という昔ながらの消費行動が起こりやすいだけに、模型屋さんでいつでもお気軽に買える状態になるといいのですが。





カトーの「とびうお・ぎんりん」を走らせてみたのは、白いボディの具合が気になって確認してみたくなったからです。
幸いにも黄ばみなどはなくて無事でホッとしました。

つい最近はトミックスからも発売されていましたが、当方は何故かこちらの方が好み。
白の色調の違いもその理由かも。
そして基本セットと増結セットで車番が全て違って印刷されていることも大きい。
増結セットはもう一つあってもよかったです。



こんな風にして、101系鶴見線と同じように既に手元にある車両を再び走行させる遊びをしています。





高価になった車両を増やさないで、手頃な価格で手に入るパーツを買い求めて、簡単に交換してみるのもいいですね。
目下、飯田線の旧型国電でスポーク車輪を使っていた車両を調査中で、流電セットには使えそうというところまで来ました。



こんなです。

自分でもずいぶんとタラーンとした活動内容だと思っていますが、仕方がありません。
とにかく買いたいモノがないし、模型店で見かけた新製品も「買わされる感」がハンパないといいましょうか、ホントに自分が買うべきなのかと自問自答することが多く、結局はそこから立ち去るというパターンの繰り返し。

目下、趣味の方向性は模型屋さんで見つけるのではなくて、自宅の模型部屋で考えるようになっています。





それでも、レイアウトの作業もチマチマと進めているのですよ。
常葉樹のボリュームを増やしたりして。
やっぱり地面の作業は楽しいですね。



近況報告でした。
もう少しシャキッとして出直します。

ではまた。

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  1. 2021/08/04(水) 08:00:00|
  2. 駅ノート
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(番外編)「懐かしいもの」と「懐かしくないもの」

こんばんは。しなのさかいです。


前の記事では、皆さんには大変お世話になりました。
参考となる多くのコメントをいただきまして、こちらとしても楽しんで返信をさせていただきました。
今回はその御礼を兼ねながら、ちょっとだけ前回のコメント欄の最後に書くつもりで脱線させていただこうという趣旨になります。

そのような位置付けになりますので、今回だけはコメント欄を閉塞させていただき、次回の記事へつなげます。
御理解をいただきたく、よろしくお願いします。



⬜︎ ⬜︎ ⬜︎



前の記事では、連接車さんのコメントから「1990年代が懐かしい」ということで対話をさせていただきました(連接車さん、ありがとうございました)。

連接車さんへの返信は、実は仕事帰りの通勤電車を降りたところで「えいっ」と送信させていただいたのですが、その後、バスに乗っている間に再び考えこんでしまったのです。

「懐かしい」ってどういうことなんだろう。





当方は勉強がきらいですので、ここで国語辞典を読むようや野暮なことはサラサラやる気がありません。
飽くまでも鉄道模型趣味を例にして捉えてみたくなった、ということで本稿を続けます。




我々は、鉄道模型の車両を見るとき、そしてまた模型メーカーのポスターを見るときには「懐かしい」と思うことがよくあるようです。
おそらくたぶん、鉄道が好きになってから乗ってみたり、自分の目で走っている車両を、あるいはある車両の現役当時に鉄道雑誌のグラビアなどに掲載されたその車両を見て、なおかつその経験が記憶の中にあることで、自分の脳が「懐かしい」と認識してしまい、また声に出してしまうんだと思います。

また「今も走っている車両」なんだけど、自分の住まいから遠く離れた旅先で乗っただけであって、普段は簡単に乗れない車両だったりすると、これも「懐かしい」となるかもしれません。

いずれにしても「懐かしい車両」とは“かつて自分が乗ったり見たりしたけれど、今はそれが叶わない車両”とやや幅広に捉えることができそうです。




さて、「懐かしい」と思う車両があるということは「懐かしくない」と思う車両もあるはずです。
その違い、その境界線はどこにどのように存在するのでしょう、というのが本稿のテーマになります。


簡単に思いつくことは、今も走っている車両を「懐かしくない」として「懐かしい車両」と区別する、そんな境界線です。
これはこれで間違いではないはずで、要は時間のスケール上では「懐かしい」よりも現在の方に向いたところの範囲ですね。
E235系などは多くの方が「懐かしくない」と捉える車両ではないでしょうか。





ここで当方、脳内で自分の模型部屋をぐるりと見渡すイメージを描いて(だいたい収納場所は頭の中に入っています)少々悩んでしまいました。

「懐かしい」車両は簡単に「これ」って指をさせるんですけど、どうも懐かしいと思っていたはずなのに指をさせない車両がある。
「懐かしい」と思っていたものが「懐かしくない」かもしれないと気づいたからなんです。



当方は蒸気機関車の模型を数多く持っていますが、これらが現役の頃を知らない人間です。
だから「懐かしい」という捉え方は正解ではありません。

客車急行列車たちもそうで、乗ったことはほぼありませんが、何故か模型部屋にはズラリと並んでいます。

飯田線の旧型国電たちも実は全然懐かしくない(笑)
当方はまだ「関水金属」と呼ばれていた頃にカトー製Nゲージを買ってもらいましたが、まだまだ趣味的にはヨチヨチ歩きもいいところでした。
鉄道雑誌を立ち読みしたり、友達同士で乗り鉄をするようになったのはせいぜい1983年頃から。
もう飯田線には119系が走り始めていました。


その他にも疑惑印の「懐かしい鉄道模型車両」はたくさんあって、今更ながら、そやつらをお店から持ち帰ってきた動機は何かもっと別の動機だったのではないかと。

つまり「懐かしくない」世界は、懐かしい世界の手前の世界だけにあるのではなくて、もう一つ、懐かしい世界のもっと過去の世界にも存在するようだ、ということなのです。




 
懐かしくはないんだけど、何故か興味が湧いてしまう過去の車両。
懐かしくはないんだけど、いつのまにか1票を投じてしまう謎の車両(爆)
不思議ですよね。

現在に至ってもなんらかの魅力、人を惹きつける力のような要素を劣らせることなく備えた車両や列車もあることにはあって、そのことで出たヒット作もあるのでしょうが、今までの数多くの鉄道模型の「新製品」を振り返ると、それだけでは説明がつかないものもたくさんあります。

「懐かしいでしょう」と言って特定のターゲット層に向けてセールスする新製品車両と、もはや懐かしいと考えるユーザー層が薄いことを見越して、それでもなお「ね、おもしろそうでしょう」とセールスする新製品車両。
もちろんどちらも歓迎できるものであるとして、発表直後のざわめきの大きさは、どちらかと言えば後者なのかもしれません。
「おいおい、いったい何を始める気なんだ?」となって、メーカーから発せられたメッセージの意味を調べたり、とかね。

この時点で既に「対話」が生まれているのだということは、もはや本稿で繰り返す必要もないですね。

これまでの鉄道模型の新製品には、そうやってユーザーの心理を揺さぶって、思わず買わせてしまうものがあった、ということのようです。



さて、このコロナ禍で忘れがちでしたけど総括すべき2010年代の10年は既に終わっていて、もはや2020年代です。
我々鉄道模型ユーザーは「懐かしくない」新製品に出会うことができているでしょうか。



なんだか新年の御挨拶のようになってしまいまして反省しています。

ではまた次回に。


  1. 2021/06/21(月) 20:00:00|
  2. 駅ノート

2021年 あけましておめでとうございます。

新年あけましておめでとうございます。
しなのさかいです。




多くの方々にとっては大変な年になったと思われる2020年が終わりました。
しかし大晦日の状況を見ると、2021年も引き続いて厄災に右往左往することは間違いなさそうです。
この国には重々しいメッセージを発することができるリーダーが圧倒的に不足しているようで、このことによって国全体で果てしない論争の渦の様相を呈しています。

テレビを点けてもネットを見てもそうなので、争いの姿を当たり前のもののように感化されてしまったのか、街中でも道路上でも、攻撃性あふれる人をよく見るようになってしまいました。
ウイルスよりも人間の攻撃から逃げるためのステイホームをする必要がある…
そんな気分で今日も家にいます(近所の量販店だけはそっとパトロールしますかねえ)。


ですので、現実の世界から逃避できて、自宅にこもった方がより遊べちゃうNゲージ趣味は「やっててよかった」となるのですが…
毎年のことではありますけど、改めて問いかけましょう。

皆さんはこの趣味を楽しめた2020年だったでしょうか。


当方の1年間をざっくりと振り返りますと、まぁこんな感じです。

・カトーの新製品はホントに買いたいものが少なくなったし、買わなかった。
・その間隙をトミックスが突いてくるもんだからいくつかを手に。でも品質に難があってすぐに売却することも。
・本当に欲しかったマイクロエースの京急2000系を手にしてどこかホッコリしちゃったワ。
・おこづかいだけに頼らずに「買う前に売却」を徹底。不思議なことに1年間トータルでは黒字。
・そんなことでして、新製品レビューをするテンションも上がらず。
・レイアウト工事は「ひととおり完成」の後の修正、装飾段階に。


参考にはなるはずもなく。
なんだか、もがき苦しんでいるような2020年だったようです。
読み捨てちゃってくださいね(笑)




Nゲージ趣味の黎明期は、誰もが街中の模型店へ通い、そこで主人や常連客から感化されることだけで満足していたものでした。
やがてそうした零細模型店は後継問題などから閉店していき、顧客は他者とのコミュニケーションを失っていくのですが、そこで思わぬ伏兵が現れます。
「ワラビの狂犬」マイクロエースの再登板です。

同社の新製品は正にカユいところに手が届くようなものばかりでしたので、ユーザーは喜んで買い続けました。
それまでの模型店に代わって、ポスターと新製品を触媒にして鉄道模型メーカーとの対話が成立していたように思います。
Nゲージ・ユーザーにとって、このことは非常に新鮮な経験となってしまいました。
ただし、新製品で遊ぶいとまもなく「次の新製品」を買うこととなり、さらには品質に対する評価も二の次となってしまい、雑なコレクションが広がっていくものになっていくのでした。
対話を続けるために「月刊マイクロエース」に追従していくようなスタイル、とも言えましょうか。

この後は、マイクロエースに代わってカトーの快進撃が始まった訳です(語るまでもありませんね)。


我々ユーザーは、同好の他者とのリアルなコミュニケーションを失いかけていて、その代わりにメーカーとの擬似的な対話を楽しんでいます。
そして対話は「新製品」を「買う」ということで、かろうじて成立しているようです。
しかしその「新製品」も、ユーザー間の公約数のように、発売と同時に大きなフォーラムのようなものが生まれている間は機能していましたが、今ではどうなんでしょう???
なかなか力強い新製品は見られなくなったので、もはや「買う」ことでも他者とはつながりにくくなってしまっているようです。
現状はその手前、新製品の「発表」でかろうじてつながっている状態。
市場全体の消費意欲は旺盛のようですけど、その真実はなかなか厳しい局面、なのではないでしょうか。


模型店もなく、ヘビーな新製品も(企画の弱さから)なく、この趣味はますます個人主義的なものになっているようです。
メーカー各社はそうならないように、エントリージャンルの開発、イベントの開催に力を注いでいるようですけど、どこか空転気味。
今なお正解は見えていません。


現実の世界でも、模型の世界でも、閉塞感が覆っているように感じます。
数十年続けてきた趣味ですので、なんとか楽しめる方向に持っていかないといけないのかな。
そんな気持ちでいっぱいです。


暗い雰囲気でのブログ始動となりましたが、本年はこれまで増やしてきた「かつての新製品」を振り返りながら、自分なりの世界を育てていければいいなと、そんな前向きの発想を温めています。


ということで2021年のスタート。
本年もどうぞよろしくお願いします。





  1. 2021/01/01(金) 00:01:00|
  2. 駅ノート
  3. | コメント:18

よいお年をお迎えください。



2020年も残り数時間となりました。
1年間お付き合いいただき、ありがとうございました。


しなのさかいの駅前広場




  1. 2020/12/31(木) 14:00:00|
  2. 駅ノート

Go To 分倍河原、Go To 万願寺

おはようございます。しなのさかいです。




9月の4連休が終わりました。
日本全国で結構な人出があったようです。
この国の観光産業がここんところインバウンド需要ばかりに目を向けていたので、見えなくなっていた「内需」の大きさを知るいい機会になりました。

その極め付けは3日目(だったかな?)
関東平野では中央道下りで上野原付近を先頭に70Kmもの渋滞が発生したそうです。
その中で数時間を過ごすことを考えただけでも恐ろしいのですが、何はともあれ、それだけ経済が「回った」ということなのでしょう。

この大移動の結果が1週間後、2週間後にどう出るか。
特に大きな変化がなければいいのですが…。



ウチでは、現段階でそのような遠征はしないこととしていますので、近所をグルグルしていました。
中3になる下の娘が「新選組」、それも土方歳三にハマっていて、東京・日野市に連れて行けと騒ぐので、2人で車で出掛けることにしたんです。
今回はそんな話、ということで。





日野に行くならその前に…、と立ち寄ったのが府中市・分倍河原駅前だったりします。
駅前のロータリーには新田義貞の像があるので一度見てみようかなと。
ベンチに座ってバスを待つおばちゃんたちの視線を気にしながら、2人で観察してみました。

ココが1333(元弘3)年5月に合戦場となっていたことを知る人はどれだけいるのでしょう。
関戸橋を渡りながら立ち寄ってみると、この場所が多摩川に向かって緩やかな河岸段丘上にあることが分かったりします。
つまり鎌倉方面に対して眺望が効くということです。
関東周辺から集結した反乱軍は、鎌倉街道を辿ってきて、ここで鎌倉北条軍と対峙したのですよね。





府中に来たのだからと、ついでにあの「朝倉模型」へ行ってみました。
通信販売では何度もお世話になっているものの、店内を拝んだことは一度もなくて、これはチャンスだと思ったんですね。
1990年代に住所(所在地)だけを手掛かりに模型店を回りまくったので、知らない土地に行くと「近くに模型店はなかったっけ」と考えるクセがついてしまっているんですよ。


店内は一歩、いや半歩足を踏み入れた時点で「これはまずいな」と思い、振り向いて、続けて入ろうとする娘に「もしかしたら君は入れないかもしれないよ」と意味不明なことを言ってしまいました。

御主人はとても気さくな方で、なおかつ店内は商品でぎっしり。
「総本山にないASSYパーツは朝倉模型で」と言われる意味も一瞬で理解しましたね。
御主人は「そんなことないです」とおっしゃっていましたが。

捜索していた獲物は、当方が自ら脚立に上り、御主人の「そのウラを見てください」「そこに無ければこっちかなぁ」などと言った指示どおりに手を動かして「あったぁー」という具合に確保。
その結果は、最後に披露いたしましょう。
この間、娘はしょーもない大人の宝探しの風景を、マスクの上の目をニヤニヤさせて見ていましたね。

「いつまでお元気で続けてください」と告げ、お店を後にしました。





その後は日野市・高幡不動前にある「池田屋」へ。
新選組グッズに特化した全国でも唯一のお店(だそう)で、数年前に仕事の途中に立ち寄って知っていたのでした。

店内に入ると、既にコアな女性客2人が女性の御店主と深いお話をされていて、その2人が出ていかれた後には我々2人が「面談」。
話は新選組から奥羽越列藩同盟へと広がり、時間が足りないほどでした。
娘はまだまだ学習不足なので反応が鈍かったです。

御店主と当方で意気投合したことは「新選組だけ、土方歳三だけを見続けているよりは、そのカウンターパート(長州藩)とか関係した旧幕府方の藩の動きにも興味を広げてみた方が楽しいし、なによりも“もったいない”」です。
なんだか、今の鉄道模型趣味のあり方に通じるものが感じられましたよ。
娘は文房具、御朱印帳、新選組の旗などをゲットして、この時点で娘の物欲もデリート完了です。





高幡不動の敷地の中には土方歳三の像。





その前にあるまんじゅう屋の壁画は、なにやら退色して大変なことになっていました。
運転中に見たら「なんだろう?」「誰の顔?」とジーっと見てしまい、危ないかもしれません。
ちゃんとなぞって描いておきましょう。





高幡不動地区から少し離れて万願寺地区へ。
「石田寺(せきでんじ)」は土方歳三の墓があるお寺です。
お彼岸なので遠慮なくお邪魔してみると、どの墓石も「土方家」。
案内サインを見なければ迷うこと必定でした。
すぐそばの「いなげや」で供花を買っていたので、それをお供えして、手を合わせておしまい。





それにしても、この万願寺地区は「土方」だらけで、びっくりします。
自分の身の回りには「土方さん」なんていたことがなくて、知っている土方さんも、この歳三さんとか「宇宙戦艦ヤマト」に出てくる土方さんくらい。
万願寺イコール土方なんですねー。





石田寺から徒歩数分の距離で「土方歳三資料館」にたどり着きました。
もちろん土方さんちの中にあります。
月に2日程度、それも午後だけの開館ですから、本当に狙い撃ちで訪問日を決めないと来れない場所なのです。
当方は思い立ったタイミングとこの開館日が偶然すぎるくらい重なって本当にラッキーでした。

小さな資料館の中は、土方歳三本人が新選組の活動中またはそれ以前に使っていたモノ、本人直筆の書などが幾つも展示されていて、土方マニアにはたまらない場所だということがよーく分かります。
館内で当方の前を進む女性は、ある書の前でピタッと動かなくなり、人の渋滞が建物の外まで延びてしまいました。
それだけの聖地のようです。





車で日野駅地区へ移動して八坂神社へ。
ここでも年に2回しか見られない天然理心流奉納額
を見ることができました。
娘が書いてもらった御朱印は1,000円也。





日野市立「新選組ふるさと歴史館」。
住宅地のど真ん中にあります。
ココは展示内容がイマイチでした。
有料施設ですし、日野市は少し展示内容をテコ入れをした方がいいかも。





最終チェックポイントは「日野宿本陣」。
山梨県や長野県の甲州街道を行ったり来たりすることばかりしている当方は、東京都内の同街道をじっくりと見ることがありませんでした。
そのためか、甲州街道の旧宿場町に現存する「本陣」はココを含めて3か所だけなんだそうで、それだけでも「ヘェー」です。

この建物は1850年代に建てられたそうですから、比較的新しい方なのでしょうが、それにしてもちゃんと使われた「本陣」であることには違いありませんよね。





その本陣の中をウロウロできるのは貴重。
この玄関すぐの間でトシちゃんは昼寝をしていたとか。
やはりココも新選組スポットなんです。



ここまででタイムアップ、17時に近くなりました。
池田屋を出たのが12:30頃でしたので、4時間半をみっちり移動して見学し続けたわけで、久しぶりに濃い時間を過ごすこととなりました。
この間、食事も「移動中の車の中でパン」という具合で、それだけ時間を節約しながらも、見学できなかった場所がまだあるという成績です(「あそことあそこに行けてないよね」と分かる方はいると思います)。

聞けば、日野市が本陣を買い取った約10年前から宿場町と新選組を前面に出した「街プロデュース」が進んでいるそうで、中央線快速に乗っているだけでは分からない「日野」の正体を知るイイ機会になったようです。



さて、朝倉模型で手に入れた獲物を御覧いただきましょう。















カトー謹製23-459「役場」。
「登場時仕様」でございます。
箱も傷んでいて、透明セロファンも黄色く変色していたので、御主人は大変恐縮されていましたが、当方とすればこの方が「見つけた」「発掘した」感があってナイスなのです。





セロファンテープで閉じられていて、したがって開けられた形跡はありませんから、タイムカプセルを扱うように開けてみました。
製造初年から誰も触れていないストラクチャーです。
このグレーベースのカラーリングがローカルストラクチャーらしいので、最近気にかけて探し続けていました。
後から品番に「B」を付された追加ラインナップは茶色に塗られてしまい、味気ない製品になってしまったので、買うことをためらっていたのです。
「B」はまだ見かけることがありますのでね。

屋根上の2つのツノ状の飾りを折らないように、再び箱に入れてしまっておきました。
しばらくは、テーブル上での即席運転会をやるときに使うこととしましょう。


ではまた。

  1. 2020/09/24(木) 09:10:00|
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妻籠宿でコーヒーを飲むことができる時代の到来

こんばんは。しなのさかいです。

そろそろ趣味生活のことへ進もうかと考えたところですが。
少し前のことになってしまいますけど、昨年末(と言っても数週間ほど前のことです)のフィールドワークのことについて触れておきます。
よろしければお付き合いください。





3年ぶりに安曇野に行きました。
コテージに荷物を下ろした後は、一時期の猛烈な混雑ぶりに比べると落ち着いてきた感のある「国営アルプスあずみの公園」LEDイベントへ。
駐車場には県外ナンバー車はそんなにおらず、どちらかというと地元車が多いようでした。
気温も関東平野のそれとほとんど違わないので、寒冷地仕様の服装で来た意味は半減。
この冬はどこも穏やかな気候のようです。
そろそろホントにやばいかもしれません。





翌朝は快晴でした。
泊まった物件は山の上なのでソコソコの積雪があり、履き替えてきたスノータイヤの効果を早速発揮。





今回は早めに木曽路に入り、奈良井宿で昼食休憩としました。

ココは駅直結の観光地。
なので、多くの外国人観光客が散策する、アプローチしやすい場所となっているようです。
たった2両の313系1300番台でやってくるアジア系のグループが、奈良井駅くらドヤドヤっと宿場町へ散っていきました。
おそらく木曽福島で「ワイドビューしなの」から乗り換えたんでしょう。
だとすれば、名古屋に宿泊しているのかな。
観光バスではなくて普通列車で、ということなのですから、個人レベルでの来訪も多いということのようです。
海外にも何らかの形で木曽路の評判が伝わっているということなのかもしれません(「京都よりもまだ…」ということだけかも?)。

欧米系のバックパッカー組も多く、カップルや子ども連れのグループと陣形、フォーメーションは様々。
鳥居峠を徒歩で越えてきたようで、今の日本人ですらなかなかやらないことですから、敬意を表します。






「ワイドビューしなの」9号を後ろから。






さて、妻籠宿なのです。

早めに木曽路へ進入したことで例年よりも持ち時間に余裕が生まれたため、馬籠宿へは急がずに、久しぶりにココへ立ち寄ることとしました。
実は、当方の視点からすると、ちょっとした異変が起きているとの情報をキャッチしたので、実際にこの目で確かめたくなった、という動機もありました。



その異変というのがこちら↓と…、




こちら↓。



明らかに外国人観光客を(も)ターゲットにしたお店のようです。
長年この辺をウォッチし続けていたので、日本の山深い場所であるにもかかわらず、ここ数年は海外からの観光客が増えていることを実感していました。
だから、間違いなくこのような需要はある訳で。

コーヒーをいただこうとカフェの中に入ったら、いい感じの古カフェになっていましたよ。
御店主にいろいろとお話を伺い、豊かな時間を過ごすことができました。
妻籠には何回も足を運んできましたが、こうした交流をすることができた記憶は今までにありません。


それにしても、妻籠宿でコーヒー。
ようやくこんな時代がやってきたんですね…






我が国における「全国町並み保存発祥の地」と称している妻籠宿では、昭和30年代の終わりから昭和40年代の初めにかけて保存の機運が芽生えました。
取り分けて昭和43年に取りまとめられた「妻籠宿保存計画基本構想」では、「観光をも目的とするが、あくまで歴史的景観の保存を第一義とする」「地元住民の生活環境の整備維持を十分考慮する」「木曽路計画の一部として構想する」といった、今まさに観光公害で悩まされている地域からすれば深く頷いてしまいそうな基本方針が盛り込まれました。

そして昭和46年になると、住民自らが「妻籠宿を守る住民憲章」を掟として定め、その後の保存条例へとつながっていきます。
その住民憲章の三原則が「売らない、貸さない、壊さない」。
このポリシーは令和の今にも受け継がれているようです。


保存当初はココにも観光公害と言えそうなブームがあったため、その都度住民が主体的に議論し、以上のような経緯を踏んできたワケなのですが、結論としては、飲食店で提供するメニューも大幅に制限し、今風の看板や自動販売機もNG、コーヒーの提供にも大きな論争があって…という強い自制が誕生しました。
この点、保存事業の後輩にあたる宿場町などとは大きく異なるもので、今では日本のあちこちにある「重要伝統的建造物群保存地区」の第1号(昭和51年、他の6地区と共に指定)にして、最も戒めを課している地区と言っても過言ではないでしょう。

まずは住民のアイデンティティづくりを優先させ、その結果として、取組の価値を共感してくれた人達だけが訪れるようになって、さらにその延長線上に観光産業が根付くならばそれを許容してみよう。
当方はこんなスタンスが長く続いてきた、と見ています。




しかし。

「ディスカバージャパン」のブームに乗って旧中山道を歩こうと訪問した多くの観光客は、そのブームが去ると次第に消え、大型観光バスで宿場町の裏方にある駐車場に乗り付けて、というスタイルに変化しました。
そしてバスから降りた団体客たちは、住民憲章などを知ることもありませんから、宿場の中心に躍り出たら「ホントココ、何もないわねぇ」という感想を抱き、記念写真を撮っておしまい、ということに。
妻籠宿は、どちらかというと滞在型ではなくて立ち寄り型のスポットとなってしまったのです。





実際に見てみてもこのとおり。
宿場の通り(街道)を歩いてもサイン類が不足していますからどこでどんな営業をしているのかがサッパリ分からない。
戸を閉めて営業していればなおさらで、果たして営業中なのか、何を営んでいるのかすら見分けられません。





失礼ながら、まるで『木枯し紋次郎』に出てくるひっそりと静まり返った(戸板の隙間からジーっと外を覗くような)村のようで、当方が見ていても、建物の前で何かを確かめようとフリーズし続ける観光客が何人もいました。





どうなんでしょう。

迎える側が「来る人」を選ぶことなどできるはずもなく、どうしたってまずは軽い観光目的で訪れようとする人は現れます。
このような人々が大勢押し寄せることで、地域社会が崩壊の危機に瀕してしまうのですが、かといってシャットダウンしてしまうのも極端なことです。
いつまでも文化的な理解は広められませんし、訪れた人は地元とのテザーの手段としてお金を使うこともできませんから、受け入れるべき方としては外部との交流の機会すら逃して帰してしまっているのです。

さらには欧米系のバックパッカーたちです。
まだ何も理解できていないはずの子どもまで引き連れて馬籠峠や鳥居峠を徒歩で越える姿を見ると、こういう人々までを速やかに立ち去らせてしまうのはどこかもったいない。
どう見ても、日本人以上に「価値を理解した」観光客でありましょう。








確かに、今京都で起きている観光公害を見れば、これまでにココが採った方針は理解でき、まずは暮らしを守った上で…というスタンスは讃えられるべきかもしれません。

でも、全ての観光客が、義務感で矢継ぎ早に観光スポットをラリーする人達ということでもないのですから、何らかの“観光客フィルター”のようなものをこしらえながら、それを受け入れようとする度量は必要なのかもしれませんね。
ココ、とても大きな課題です。
今回見たような新しいタイプのお店たちが僅かながら現れた事実は、地元の方(売らない、貸さない、壊さない、ですから)のそうした危機意識の現れなのかナと。

地域に必要とされているものは、経済的な潤いよりも、結束性の高い地域社会よりも、質の高い交流人口の増加なのかも。
今回の妻籠宿訪問ではそんなことを考えてしまいました。






さて。




馬籠宿から中津川市街を俯瞰。
岐阜県は大好きです。





さらに翌朝は神坂神社。
あいにくの雨なので、苔を見て和みました。





信濃比叡から見ても下界は雲海。





飯田市に入って、鳩ヶ嶺八幡宮へ。
ココはちょうど天竜川の河岸段丘の崖にあり、水がジョボジョボと流れ出ています。
飯田市が河岸段丘の高低差を無視して広がっていることに改めて気づきました。







伊那市のグリーンファームで野菜を死ぬほど買って、「見晴らしの湯」へ。
そして17時頃に岡谷へ達し、夏の旅に続く2回目の「さんれーく」です。





帰りは諏訪湖SAから岡谷方面を見て、2019年が終わったと実感。
そんな旅でした。


ではまた。

  1. 2020/01/18(土) 00:20:00|
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2020年 あけましておめでとうございます。

新年明けましておめでとうございます。
しなのさかいです。




2019年12月29日 中央本線 藪原-奈良井間
特急「ワイドビューしなの」9号



“2000年問題”なんていうキーワードでアタフタしていたあの頃から20年経ちまして、2020年です。

趣味的な視点では…
カトーが885系「かもめ」を出してから20年、
トミックスがHGの165系を出してから20年、
そして、マイクロエースが金ピカのC62を出してから20年、となります(爆)

これらの過去の出来事の延長線上に今のNゲージ・ワールドがあるわけですけど、皆さんは鉄道模型趣味、Nゲージ趣味をどんなふうに楽しめているでしょうか。
そして、その中身はきとんと2020年につながっていきそうでしょうか。

飽くまでも当方の主観であるとお断りした上で。
昨年のNゲージの市場動向を見ている限り、明るい見通しは少なく、この市場動向に寄りかかりながら趣味活動を続けていくことがますます難しくなっている、ようです…



まず、「上流」から流れていた新しい価値の提案がほぼ途絶えました。

以前にも申しましたとおり、鉄道模型趣味はあらかじめ時間軸が埋め込まれたものなのに、このメリットが生かされていないのは何ともモッタイナイ。
そしてまた、時間軸を遡って新しいジャンルや世界観を広げようとしても「最初に打つ駒」が非常にショボイのです。
新規金型をふんだんに投入したその形式、その車両には今後の展開を覚悟したようなメッセージがないから、ユーザーは「?」となって追従できないままでいる。
「背景」や「書き割り」のような車両から描くのではなく、誰もが主役だと感じることのできる「強い」車両を、記号的にではなく具体的なイメージを抱かせて、最初の一手として盤面に置くことが強く求められています。

「選挙結果」を買おうとしてもそのときには牽引機がないとか、「ノーマル」を買おうとしてもその前の「ノーマルでもないもの」に続きがあると思ってもいなかったからスルーしていて云々、とか(だから「ノーマル」がダブつく)。
新企画をおそるおそる小出しにして、観測気球を上げながら不安げに前進する傾向も強くなってきました。
中流や下流に対して「先見の明がない」とでも言いたいのか、価値の発見を(在庫を抱える)小売店やユーザーに、やや乱暴的に任せている気配も感じられています。



そして、その必然として「疲れる選択肢」が多くなっています。

時間軸を意識して掘り下げる発掘力、新しい価値を提案する企画力に乏しいから、無難に(マーケティング的に)誰もが知る内容で勝負しているように見えるんです。
だから、仮にそれが他社製品や既存の自社製品と競合してもブレーキをかけずに「ええい、やってしまえ」、となる。
ときにその決断は、ユーザーが従来製品で満足できているものとそうでないものの区別、分析ができていないまま行われているようにも見えてしまうため、こうした思考により用意された選択肢はユーザーにとって非常に悩ましく、苦痛を与える結果を生んでいます。

振り返って2019年は特に、メーカー間を含めて想定外の「買い直し」を迫るリニューアルものが見られませんでしたでしょうか。
既存製品にソコソコ満足していたのに、妙な作り直しをやろうとするから、それらが一気に陳腐化して見えてしまうんです。
買うと決めても「発売日が待ち遠しい」という気持ちになることなどなく、逆に「あー、もう発売されちゃったのか」と気づいて、重い腰を上げて模型屋へ。
こんなこと、以前はありませんでした。
「少しでも新しくなるなら仕方がない、買うか…」という消極的な動機で財布を開ける虚しさは、上流の聖職者たちにはもっともっと想像してもらいたい。
消費行為の満足感がどんどん失われており、その逆に罪悪感(「オレ、何に金を使ってるんだろう」ていう気分)がどんどん増幅しています。
この傾向、一体どこまで続くんでしょうか。



さらには、ユーザーから見て理解できない価格の上昇が起こっています。

もはやマイクロエースだけのことではありません。
むしろ、マイクロエース製品の価格上昇の原因は比較的はっきりしていたのに、今起きている他社の上昇要因はユーザーにとって不可解なものに見えています。
もし「この企画、これくらいしか売れないだろうから…」という生産数から逆算して決められた価格であるならば、そうした“つまらない企画”のシワ寄せを、最終的にユーザーが背負っている構図にもなるのです。
2020年は、ユーザーが新製品を賢く選択していくことも必要のようです。

なんならば、安いプラ製の16番を1年に数回だけ手にして、それを遊ぶ方へ転向しちゃいますか。
そうした傾向を読んで、16番をメインに移す模型店もあると聞いていますが。




以上は「企画」を源泉とした懸念材料。
これら以外にも「品質の低下」という点が気になっています。

「曲がったボディ」なんていうのは論外。
溶剤による接着を含めた組み立て工程は、「完成品」というよりは「キットを組み立てたもの」ということです。
幌パーツがない完成品は、カトーでは1980年代までに放棄した仕様ですし、使用するLEDが多い製品は、導光技術(設計力)の低さを隠すためのものとも見えます。
隠蔽力のある塗料の選択、的確な印刷手段の選択はできているのか、ホコリを巻き込んだり泡立てたりした塗装はしていないか、などなども、生産の段階での現場スタッフの愛情不足、乱暴な工場出荷があるように思うのです。




「ニューホビー系」と言われる鉄道模型の規模の拡大も気がかりです。

前述の価格上昇傾向をフォローする形で低廉価格帯をカバーする立ち位置は、新規ユーザーに示す入口としては適切であるかもしれないけれど、Nゲージ全体の品質、レベルを地盤沈下させてしまってはいないでしょうか。
多少オーバーですが、1980年代初頭の標準仕様へ後退しているような気がしています(「ライトなんて点かなくてもいい」とかね)。
あちらこちらを見ていると、結局のところ、ニューホビー系もヘビーユーザーによって買い支えられているようですから、ヘビーユーザーが「この仕様で可」としてしまえば、メーカーとしてもその売上を「ユーザーの支持がある」と肯定的に捉えてしまうでしょう。
模型店でうず高く積まれた「軽めの箱」の山を見てしまうと、その占める分だけNゲージのレベルが変化したことに気づかされます。
この傾向が、老舗模型店をプラモデル店っぽく変えてしまったことも事実なのです。



*     *     *



とまあ、数年前からこんな風に見ていたところ、2019年はその主観がさらに極まってしまった印象です。
新製品が模型店に並んでもネット上では大きな話題にならないまま時間が経過していく。
数年前までは当たり前のように起こっていた現象が今ではほとんど見られなくなりました。
これほどまでに新製品のウエイトが軽くなった年は、思い出してみても記憶の中に存在しません。

ですから、もう手持ち品で遊ぶことを「考える」だけでなく、実践しなければならないなと。
(厳しい言い方になりますが)最近は、模型店よりも自宅の模型部屋にいる方が楽しめるはずだと、そんな気がしているのです。





これ、あの「はま◯す」を慌てて買いに行ったあの頃、レイアウト定規で書いていた我が家のレイアウトの図面です。
だから着工は2001年。
そんなときからだいぶ年月が経過してしまいましたが、まだ身体的に異常がないうちに趣味生活の基盤を転換させることができました。





「このままじゃ一生モノにできないナ」という危機感から、2016年にギアをトップに上げたレイアウトづくりは、2019年、ひと通りシーナリーを完成させるところまでたどり着きました。

2020年からは、よく言われる「レイアウトに完成なし」という言葉の中で(やっとこの言葉を受け止められる頃合いになりました)、より納得できる風景へ近づけて行こうかなと。
そんでもって、これまでに「買いためた」手持ちの車両をレイアウトの風景の上で振り返ることができたら、もはや「上流」の動向など気にしなくても遊んでいけるはず。
ぼんやりと、そんな趣味活動を描いています。





2020年は例の世界的イベントが控えており、例年以上に「文明」くさい1年となりそうです。
そんな中においても、ブレずに「文化」的な価値を持ち続けていたい。
このことは鉄道模型趣味においても同じです。


それでは、2020年もよろしくお願いいたします。



  1. 2020/01/01(水) 00:01:00|
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よいお年をお迎えください。



2019年12月29日 岐阜県中津川市にて


2019年も残り数時間となりました。
1年間お付き合いいただき、ありがとうございました。


しなのさかいの駅前広場





  1. 2019/12/31(火) 12:00:00|
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さようなら、思い出の竜宮丸

こんばんは。しなのさかいです。

前回、秋の色を求めて諏訪地方をウロウロしたところで「つづく」としていました。
今回はその続きとなります。




御存知かもしれませんが、諏訪湖にはいくつかの遊覧船が浮かんでいます。
そのうちの一つ、なんともユーモラスで思わずほっこりしてしまう外観の「竜宮丸」が、2020年3月に引退することとなりました。
先日、どこからとなく引退のニュースに接したため、仕事も手につかないほど気落ちしてしまい、どうしようかと悩み続けていたところだったんです。

我が家はこの船に何度もお世話になっていますので、思い出も深く、このまま冷たいお別れとなることは出来れば避けたい。
こんな理由から、竜宮丸のお別れ乗船を目的〈その2〉とした、というのが今回の「諏訪攻め」の真相だったのです(少々オーバーですな)。





でも、何故それほどまでに「思い出深い」のか。
それは我が家の旅行スタイルにあります。


2000年に長女が生まれてからの我が家は、なるべくお金をかけずにフィールドワークをすることを心がけてきました。
もちろんTDL的な何かを思い出の場所などにしたくなかった…という意図も強かったと思います。
なので、その長女が1歳の頃から連れ回した場所は『旅行読売』で取り上げられるようなところばかりとなってしまい、具体的に言えば、夏は伊豆、秋は信州という結果。
温泉とささやかな味覚、それにさりげない旅先の日常風景を求めて、ただそれだけを目的として車を運転してきました。

しかし、それだけではある種の虐待であり、子どもの心理としても退屈になりますよね(たぶん)。
そんな気分を紛らわす(ごまかす?)には、ココ諏訪湖にある「カメのおふね」は、TDLに匹敵する有効なアトラクションだった、というワケ。
当然ながら2005年に次女が生まれても同じで、このカメは諏訪湖にたどり着けば「いつでも居るもの」に。
竜宮丸は、いつしかそんな存在となっていったのでした。

こんなこともありまして、夕飯を囲みながら我が家の女三人に「最後になりそうだから、行くよ」と告げても際立った異論など全く出ず(?)、アッサリと諏訪湖行きが決定したという次第なのです。





だけど、現地入りしても「運航していない」のでは洒落になりません。

仕事の日の昼休み、誰にも見られないところへ身を隠しながら、現地事務所へ電話で問い合わせたところ、「うーん、その日はカメは…」との渋い回答がありました。
え、もしかして運航していないの???

そんなことはありませんでした。
乗船するつもりの日は午後に団体客の予約が入っているので「流動的な運航の予定」とのことだったのです。
「竜宮丸」はキャパが少ないので、団体客のためには「すわん」を動かしているんだとか。
このため、竜宮丸の登板が何時になるか決められない、ということなんですって。
こういうウラ事情は全然知りませんでした。
何事も直接聞いてみるもので、こうした行動規範はホビーショーから学んだことでもあります(笑)

しかし、こちら側の引退を意識したお別れ乗船の試みを告げると、スタッフの方は電話口でとても喜んでくれましてね。
「とにかくその日のカメは運航状態ですから、何時とまではお約束できませんが是非いらしてください」との回答を得ました。
これでひと安心。
旅立ちの前にはこんな経緯がありましたことも付け加えておきましょう。





2020年3月は完全な運航終了で、定期航路での引退はこの12月。
まあ、気軽に乗ることができるのは12月までのようです。
危ないところでした。

実を言うと、出発前まではこの「12月まで」と「3月まで」という二つの情報を得ていたので、少々混乱していたのです。
1月以降は、遠くから乗りに来る人にとってはスケジュールの調整に手惑うかもしれません。
巷の情報が入り混じっているようですので、皆さんの中でお出掛けする際は御注意くださいまし。





きっぷ売り場で「次の竜宮丸は何時発ですか?」と尋ねると、「えーと、次のカメは13時30分ですから…、約1時間後ですね」と窓口氏。
手元をのぞき込むと、この日の時刻表の13時30分の欄に手書きで「カ」と書き加えられていて、ちょっと笑ってしまいました。

お気づきになりましたでしょうか。
先の電話での回答もそうでしたが、現地スタッフでは「竜宮丸」とは呼ばずに「カメ」と呼んでいるようなのです。
おそらくどのお客さんもそう呼ぶから、次第に正式名称ではコミュニケーションが成り立たなくなったんではないかと。

「あのーカメに乗りたいんですけど、いつ出航しますか?」
「あー、竜宮丸のことですね」

なんていう風にイチイチ訂正していたら、会話にトゲが生まれるでしょうから。
こんなところに、この船の現地での馴染み方を感じてしまい、ホッコリしてしまったのです。
我が家で「カメのおふね」と言っていたのもどうやら間違いではなかったようです。





そのカメが諏訪湖に到着したときの写真がありましたので、ちょっと。
1976年ですから昭和51年になります。
皆さんはどんな風にこの世にいらしたでしょうか。



ここで、出発まで時間があるので、湖畔のベンチに座って、あの茅野のパン屋さん「となりて」で買っておいたパンを食べてひなたぼっこ。
ココで食べようと思っていたことは事実です。
年末は強烈な寒さでそんなことは不可能ですから。
この日はなんとも暖かくて、コートなど要らない不思議な気候でしたね。







定刻10分前になり乗船。
親ガメの上にある子ガメは、体育館にあるような折り畳み椅子が数個出されただけのちょっとした展望スペースで、運航中ずっといることには不向きです。

以前の稿でも触れたとおり、乗船直後はこの狭いスペースに上がろうとするお客さんばかりなので、息苦しくなったであろう螺旋階段の上からは悲鳴に似た声が漏れ聞こえてきます。
そのお決まりの過程をこんな所からニヤニヤと見ている我が家はいやらしいし卑怯かもしれませんけど、何度も何度も学習を重ねた結果なのでお許しいただくとしましょう。
こうしたアナログチックな楽しみが確かにこの「カメのおふね」にはあるんです。





操舵室も少し。





親ガメのシッポ。
経年劣化が激しく、これ以上の活躍も無理なんだろうなと諦めるしかなく。
44年間、がんばって働き続けたんですね。





湖の上から見る山並みもイイ色をしていました。
年末の頃では、ここから見る景色はすっかり灰色。
やっぱり「秋」は貴重なのです。









30分弱の遊覧が終わって下船し、名残惜し見ながら手際よくパチパチと撮影しました。
こうして思い出の場所がまたひとつ消えていきます。

おそらくこのカメは、保存などされずにスクラップにされてしまうでしょうが、鉄道車両と同じくカタチあるものですから、これは必然であり、止めることもできません。
せめてものお別れ乗船ができただけでもヨシとしましょう。

もし皆さんの中にもこの竜宮丸に思い出を残されている方がいるのであれば、今のうちの御乗船をオススメします。
もちろん乗船したことがなくても、一度いかがでしょうか。
さりげない乗り物でも、無くなってしまえば寂しいもの。
そして何よりもこれから先、こんなにユーモラスであり「子どものため」の形をした遊覧船は二度と現れないと思います。
その証拠に、竜宮丸と入れ替わる新造船は、なんとなく大人向け。
この秋、民放テレビ局のゴールデンタイムから最後の子ども向け番組が駆逐されたように、今の時代、どんどん「気持ち」に余裕がなくなっていくようで心配です。
「カメのおふね」は、そんな時代の流れの中で浮かぶ最後の「のりもの」だったのかもしれません。

さようなら、思い出の竜宮丸。



□      □      □





カメの親子にキチンとお別れをした後は、娘たちの御朱印集めに協力することとし、諏訪大社の四社を

①下社・秋宮(しもしゃ・あきみや)

②下社・春宮(しもしゃ・はるみや)

③上社・本宮(かみしゃ・ほんみや)

④上社・前宮(かみしゃ・まえみや)

の順にラリー(正式には「四社参り」)。
この日は土曜日で、郵便局巡りは無理ですから、こんなサービスもしてあげないと。







紅葉を楽しみながら御朱印の仕上がりを待ちました。
自分が郵便局を巡っているときはゼイゼイハアハアという感じなのですが、いざ待つ方になってみると結構余裕があるもので、いろいろと観察できることに気づきました。





しかしながらこの日は、下社・春宮だけ上手く御朱印帳を裁けていないようで、当方のような素人が見ても中はテンテコマイの御様子。
御朱印ブーム、加熱し過ぎて逆噴射がかからなければイイんですけどね。
もっとも、我が家のような旅の傾向の中では親和性が高い趣味(?)と言えそうです。
子どもが楽しめているというのは、親としては無条件に楽な気持ちになるものでして(笑)





行政区分的には「茅野市宮川」となる上社・前宮でスワ・ショートラリーをフィニッシュ(わざと横文字風に書いています)。
四社参りの景品は巾着袋だったようです。
ちょうど17時になろうかというところでして、我が家の他にも一人で汗だくになりながら参拝と御朱印をこなす男性がいました。


こんな頃合いで長女が「なにかうまいものを食わせろ」とおっしゃる。
一瞬、あの「さんれーく」岡谷店が頭の中に浮かびましたが、コアラの郷への再訪はもう少しだけインターバルを開けておきたくなりましてね。

考えた末、以前から気になるお店があるので(またです)、諏訪インターから中央道を駆け抜けて一宮御坂インターまでワープ。
すぐさま石和温泉方面へ走り、温泉街の近くにある洋食店「ドンキホーテ」さんへたどり着きました。
念のために申しますと、20号バイパス沿いにあるディスカウントストア「ドン・キホーテいさわ店」のことではありません。
18時過ぎなので開店したばかりのようで、我が家以外にお客さんはまだおらず。
メニューを見て長女が「ハンバーグ!」と言うので、自然と全員がハンバーグをお願いする流れになりまして…、





運ばれてきたハンバーグステーキがドーン!
とんでもないボリュームになっています。
運ばれてきた瞬間、サラダとの位置関係、遠近感覚がつかめなくなってしまい、少々焦りました。





肉汁がジュワって。
美味しさについては語らなくてもお分かりいただけるかと。

帰りがけに女房殿が「このハンバーグ、一体何グラムだったんですか?」と聞いたところ、「うーん、測ったことがないから分からないワ」というあっけらかーんとしたお返事がありまして、これまた凄いことだなと感心。
予備知識を曖昧にしたまま訪問したこのお店は、どうやらデカ盛り方面のそれだったようです。
あ、御飯は普通でしたよ。
ハンバーグステーキが1,000円、ライスが250円でした。


お店を後にし、車の中で「当分はハンバーグを食べなくてもいいね」という意見で全会一致、本案は可決成立です。
その後、ほったらかし温泉へ向かったという事実は、もう語るまでもないでしょう。


ではまた。

  1. 2019/11/30(土) 20:20:00|
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秋の色を求めて信州へ

こんばんは。しなのさかいです。


Nゲージの世界では、いよいよ「年末アイテム」のリリースが始まった感のある2019年の11月後半。
この時期だけは半強制的に模型店の賑わいが演出されるため、ユーザーとしてもヤキモキしてしまう頃合いです。
しかし、以前にも申しましたとおりこのまま12月の年末ムードに突入してしまうのはイヤ。
緩衝材となる秋の風景をしっかりも目に焼き付けておこうと思い立ち、信州を散歩してきました。
今回はちょっとそんな話題です。





いつものように、自宅から車で中央自動車道を2時間程度走ると、小淵沢への陣地転換が完了します。
夜のうちにここまで移動しておくと、次の日の休日を朝から晩までフル活用できるというワケ。
そのためには、一見無駄に思える宿泊費用も立派な必要経費になるのです。

娘二人は巨大化が著しいので、もはや「ファミリーロッジ旅籠屋」さんの一部屋では厳しいのですが、何せ家族4人で泊まっても11,000円ですから(この日の料金は)。
今回もしっかりとお世話になりましたョ。





翌朝はいつものように旅籠屋さんの目の前で「練習」。
関東平野は大雨だというのに、さすが年間日照時間が長い北杜市、小淵沢です。
すっかり中央東線の主となったE353系による「あずさ1号」松本行がやって来ました。
よしよし、秋の色がちゃんと写っている。





こちらは普通・甲府行。
211系3000番台(3両編成)です。
新駅舎になって跨線橋にはエレベーターも。
悲願のバリアフリー事業は終わったようです。
高原の朝の空気をお伝えすることがお伝えできていれば良いのですけど。





「あずさ1号」に続いて下りも普通列車が。
近くに踏切なんてありませんから、いつカーブから列車の顔が飛び出してくるのか…。
以前からココは緊張感が漂う場所だと勝手に認定しています。

ところがこの日はなんとなく「来る」と分かる。
空気が澄んでいで静かだからなのか、それとも当方がニュータイプだからなのか、原因はさっぱり分かりませんが、とにかくそんな気がしてこの朝は面白かったです。





チェックアウトして、早速「秋の色」を探しに長野県・富士見高原へ。
小淵沢を発って10分も走らないうちに県境を越えました。

ちゃんと真っ赤なモミジがありまして、車を止めてしんみりと。
誰もいないし、前日夜の雨の名残りもあって空気も美味しい。
やはりこうした体験は朝からココに居ないと無理なのだと思いました。







原村に移動して、地元の野菜だけを選んで買い物。
ここはすっかり女房殿にとってのパラダイスとなっていて、例の「夏のスイカ」のようにズッシリとしたデッドウエイトが車に乗っかることとなりました。
どうせ野菜は家の近所でも買うのものなのですから躊躇なく、っていうやつです。





次は、娘二匹の要望でアイスクリーム。
この辺にはあちらこちらにアイスクリーム(ジェラート)店が点在しているようで「31番」のお店しかない都会の人間から見れば何とも贅沢。
駐車場だって問題なく確保されていますから移動も楽です。





そこから見える景色も、しっかりとした「秋」。






桜の季節と同じように、この褐色の景色も気がつかないうちに、あっという間に過ぎ去ってしまうもの。
齢を重ねたせいか、このはかない秋の景色のありがたみが分かるようになりました。
「四季に恵まれた日本」なんてよく誇らしげに言われますけど、都会に暮らしているとこのことを体感するセンサーは自分の肌だけなのだという事実に改めて気づきます。
タイミングよく、そして積極的に「見る」行動を取らないと、その年は夏と冬がピタっとくっついてしまう。
「秋なんてあったっけ?」「つい昨日までは半袖だったのに」っていうやつですよ。
多くの日本人のイマドキの季節の感じ方とは、おそらくそういうものなのでしょう。





昼はパン屋さん。
茅野市の国道152号沿いに建つお店でいろいろ買い込みました。

NHKのBS方面では『パン旅』という番組を不定期に放送してくれており、パン屋ほどそのお店の個性とその土地へ足を運んだ意味を楽しめる存在はないなーと気づき始めているところです。
女房はその影響もあってパン屋巡りにポジティブになっており、“ヤマパンマニア”である当方も利害一致ということなんです。
娘二匹の意向は確認していません。
既にアイスクリームで買収済ですからね。



この後は茅野から諏訪へ、国道20号を走って移動。
途中、今年の鉄道模型業界では何かと話題の「ピーエム・オフィスエー」の本社兼ショップに差し掛かるもの、寄ろうとするには同乗者たちに面倒くさい説明が必要になりそうなので泣く泣くスルーしました。
だってねぇ、建物外観からは秋葉原系キャラ(たぶん諏訪姫)の絵柄しか目に飛び込んでこないので「お父さんの趣味」に転向があったと思われるのも極めてハイリスクじゃないですか。
鉄道模型を手掛けるようなお店にはまだまだ見えず、この点、厳重に改善を求めておきます(笑)


そして、ホビーショップ丸信さんを強行偵察して、諏訪湖へ到達。





今回の旅のもう一つの目的が見えてきました。
カトーから「トワイライトエクスプレス瑞風」が発売され、こんな話題をやっているときではないのですが、もう少し続けます。


(つづく)

  1. 2019/11/28(木) 22:00:00|
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