しなのさかいの駅前広場

覆い隠すアイデア

能登の奥まで 2017(その4・完)

(その3からつづく)




優しかった民宿のおばちゃんとの涙の別れをした下の娘をなんとか車に乗せ、九十九湾まで移動しました。
ココも昨年は駆け足で通り抜けてしまったため、それから1年間、心の中で引っかかり続けていた、そんな場所です。

九十九湾では、能登金剛・巌門に続いて、再び遊覧船に乗ろうかと計画していて、その遊覧船には二つの運行会社があるみたい…だと予習していました。
そのうち興味が湧いたのは、海中に沈んだ船底部分(客室スペース)があって、横窓から泳ぐ魚が見えるという特殊船。
「潜水艦みたいで素敵じゃない」と女房と意見が一致しました。

しかし、実際に乗船場と思われる場所に行ってみると、その船はロープでしっかりと係留されていて、動く気配が全くしない。
船体全体には錆が浮いていて「これは只事ではないな」と大人の事情を察してしまった訳です。
観光地ではよくありますよね、こーいうの。

仕方なく、もう一つの会社の遊覧船乗り場に向かいました。
乗り場へ向かう坂道ですれ違ったのは女子大生の集団で、下船後にキャッキャッと興奮していましたが、船を見てみると失礼ながらごくフツーでして、乗客も我が家だけ。
「あー、これはそんなに期待してはいけないな…」と思っていたところで、もう1家族が乗り込んで湾内遊覧へ出発です。





その10分後、“フツー”とした評価を取り消さなければならない事態が起こりました。

おじいちゃん船長の「はい、少し船を停めますよ~」というアナウンスがあり「遊覧船なのに? どこに?」
そしてゆっくりと湾の奥にある桟橋に停まったら「はい、降りてくださいね~」とのアナウンス。
どうやらココは運行会社が管理している(?)「生け簀」らしいのです。

で、生け簀の中央には手書きで「天然水族館」の文字。
「はい、1家族ごとに交代で見てくださいね~」との案内で、2番目に降りると、生け簀に落ち込んだFRP製の小さいスペースがあって、そこから横窓で生きた魚が見える…という仕組みを理解できました。

人数制限はFRPが抜けたり割れたりして生け簀へ落ちることを想定して、なのでしょう(笑)
なかなかシュールなんですが、見たり体験したいことはきちんと用意されていて感服するしかないんです。
さらには我が家の前で見たはずの家族の子どもが駆けて舞い戻って来て、はい定員オーバー(大笑)
スリリング性もあります。





「はい、次はお魚を触りますよ~」
「はい、次はお魚にレースをしてもらいますよ~」
「はい、これ、かぼちゃです。これからエサをあげますよ~」
「はい、ここにタコさんがいますよ~」

子どもたちにはキャッチーなセリフがポンポンと飛び出し、実際に子どもたちも楽しそう。
親としても見ていても楽しく、そして何よりもコストパフォーマンスが高い時間でした。


想像するに、先の特殊船との競合に危機感を持ったこちらの会社が「お金がなければアイデアで」という一手に出て、その結果が先の特殊船の姿だったのかなぁと。
そんな話ならとても興味深いのですが、真相はよくわかりません。

でもね、身の丈にあった“おもてなし”の方が、受ける方の心を動かすような気がして、それは前の晩の民宿がそうであったように、おもてなしにはそんな原理原則があるんじゃないかなと思ってしまったのです。
もしそうだとすれば、値段の高いことだけが価値の指標ではない、ということではと。
こんなことを考えてしまう、大満足の九十九湾遊覧船でした。





楽しかった九十九湾を後にして、ひたすら海岸線を走りました。
国道249号が内陸方面へ分岐するときは、躊躇せずに海岸に近い方へ。その繰り返し。





道の駅が併設されたのと鉄道・穴水駅では、留置された旧パノラマ車を見てみたりしました。
なんだか痛々しくて直視できませんでしたけど。
どういう目的で留置しているのかなぁと。





御存知のとおり、ここ穴水駅から先、輪島や蛸島へつながるレールは全て剥がされてしまいました。
穴水駅構内は、未だに国鉄のディーゼルカーがアイドリングをしながら停まっているような気が。
前の日に珠洲駅の跡を見ただけに、穴水と珠洲、2つの駅の運命の分かれ道とはなんだったんだろうと。
難しいです。






能登の旅もあとわずかですから、癒やしを求めて、ツインブリッジから能登島へ。
曲町の近くで漁村と七尾湾を見て。





能登の小さな漁船もこれで見納めかもしれないと思うと、岸壁に行きたくなるものです。
家族でそんなことをしてフラついていたら、暑くてハァハァ言っているかわいそうな犬を散歩に連れた地元のおばあちゃんが。
「どこからきたの」と声をかけられて、しばらく地元の暮らしぶりを取材。
楽しいなぁ。


その後、能登島の海岸線をぐるっと走りました。
水族館なんて行っていませんよ。
そーいうところに行きたいという要望は、もはや同乗者からは出なくなりました。
そういえば、能登島一周の途中、脱輪して車体が大きく傾いた白いSUV車がいたりして。子どもたちがお父さんに文句を言っているシーンを見てしまい、なかなかでした。
お父さん、はしゃぎ過ぎたんですね。





和倉温泉着。
ツインブリッジの方向を見て、能登半島最後の夜だなぁとしみじみ。
関東平野は雨続きだというのに、全て天気に恵まれた能登の旅となりました。





夜は和倉温泉を散策。
途中、合宿中の男たちで埋め尽くされ、物資が枯渇寸前だったセブンイレブンで買い物。
こういうネタに女3人は弱くて、店内ではずーっと笑いっぱなしでした。
もの凄い勢いで商品が消えていくのですから。この日の日販はさぞかしよろしかったのでは。





加賀屋って、よく見ると要塞ですよね。
これで煙とか出ていたら、完全に別の用途を持つ建物ですよ(ココには泊まっていませんよ、念のため)。


(4日目・和倉温泉泊)



◻︎ ◻︎ ◻︎





5日目は、海岸線沿いを走って再び氷見へ向かい(ココまで来て能登半島を一周した形に)、その後は富山ー岐阜ー長野ー山梨と経て、戻りたくない関東平野へと戻りました。





朝日を浴びた能登島大橋。
七尾湾は、琵琶湖や猪苗代湖よりもずっと穏やかに見えました。
不思議です。





バルコニーにはお客さん。
さようなら。また来ますね。






国道41号に入って、神岡に寄ってこんなものを見せて、途中の「ひらゆの森」で風呂に入って帰りました。





特にレジャーといえる要素がない、ひたすら自然や街並みの景観だけにこだわった能登半島周遊でしたが、(たぶん)家族からの不服などなく「我が家の旅のスタイル、ここに極まれり」といったところでしょうか。

今日から下の娘は新学期です。
同級生たちは、それこそUSJだとかTDLだとかそういう場所に行っているんでしょうが、その中で1人だけ、「旅行読売」のような次元の違う夏休みを過ごしたウチの娘には、何か光るものがあるといいなぁと、なぜかそう思いました。


4回に渡り、ダラダラとお話してしまいました。
お付き合いいただき、ありがとうございました。








あ、碓氷峠が9月5日に。
月末だと思っていました。少しだけ生きる目標が出てきました(笑)


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  1. 2017/09/01(金) 23:30:00|
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能登の奥まで 2017(その3)

(その2からつづく)




輪島に泊まれば、翌朝は朝市に行っておきたくなるもので、今回も「スルーして後悔するくらいなら…」と考えて偵察してみました。

それにしても、朝市を歩くときは日差しが強い(そういえば昨年もそうだったなー)。
関東平野は雨続きだというのに、コレハナンナンダ。
したがって買い物は、食べ物ではなくて4000円の帽子となりました。
朝市で賑わう通りから脇へ伸びる路地を一本一本観察してみると、奥にお寺が見える路地がありまして、景色を見て清涼感をもらいました。


さて、3日目はこれまでどおり時計回りに海岸線を辿って、能登半島の先の先、珠洲を目指す行程です。
昨年、輪島から珠洲まではコンビニのような流通の要素が全く見られない、本当の「さいはて」であることを経験済み。
そうなんです。この区間、どことなく離島のムードが漂っているんです。





輪島を出てから立ち寄るのは「道の駅千枚田ポケットパーク」。
ココだけは、そんな「さいはて」に一歩踏み出した場所ですが、一級観光地と言えそうな混雑ぶりでした。
まだ輪島観光の地域内で、ここまで来て引き返す車やバスも多いのでしょう。





千枚田からしばらく走って、御陣乗太鼓伝承の地・名舟を過ぎたところで「輪島製塩」に寄りました。
目の前の海から釜茹でして出来た塩は、塩辛さが鋭くなくて、その証拠にこれをまぶしたソフトクリームがとてもおいしくて。
実験してみて分かりまして(いやいや塩ソフトクリームも一応商品です)、カウンターから見える景色と共に感動。
そんなこともあってか、今回の旅では、総じてここで見た海のブルーが一番の好みでした。





垂水の滝。
そのまま海に落ちる滝です。
こんな滝が首都圏にあったら大変な混雑となるでしょうね。
我が家以外には誰もいませんでした。





滝から海へ振り返ってこれから行く先を見れば、ポッカリと青く抜けた、向こう側が見えるトンネルが。
これ、「真浦隧道」という廃トンネルだそうです。
うまく言えませんが、抜けた先が青く見えるところに「さいはて」を感じてしまいました。





海岸線を走るため、内陸へそれる国道249号から県道28号へ入ると、峠道になりました。
「椿の展望台」という場所で輪島方面を振り返りました。
この日も朝からずいぶん走りました。
暑くて大変なので、同乗者たちは走り続けている方がイイそうで、下の娘は朝から「いつ宿に着くの?」ばかり。
朝からチェックインなどできるわけなかろうと小さい頃から言い聞かせているのに、小6の今でもわからないみたいで、旅行中というのに将来が不安になりました。





その展望台からしばらくして、木ノ浦のカフェで休憩。
昔は数件の民宿があるだけの寂しい集落でしたが、ココも最近は映画のロケ地となり、コーヒー店のセットが残されています。
なので勢いで、猛暑なのにホットコーヒーを頼んでしまいました。
相変わらず日差しは強かったですが、風が抜けて吹いていて気持ちよかったナ。
ここら辺で「さいはて」感、MAXです。





禄剛崎灯台と「道の駅狼煙(のろし)」は昨年立ち寄ったのでスルーして、須須(すず)神社へ寄ってみることにしました。
珠洲市の東海岸側なので、ここら辺も「さいはて」と言えそうで、あらためて思うに、直線距離にするとそうでもないのに、関東平野からはるばる来たという満足感は、鳥居を見てこみ上げてきます。





珠洲市街へ入って「道の駅すずなり」の裏をのぞくと、旧国鉄・のと鉄道珠洲駅のプラットホームが残されていました。





駅名板を見ていると、今でも2両編成のキハ58系が滑り込んでくる予感が。
1986年、急行「能登路」ではるばるここまで来ていたんです。

それにしても、ここまで鉄道で来ることができた時代って、本当に素晴らしい。
国鉄ネットワークの線路があるというだけで、中学を卒業したばかりの少年2人が、周遊券と時刻表を片手に“とにかく”ここまでやって来るんですから。
観光のあてもなく「とにかく蛸島まで行こう」なのです。
そして、大人になってからも、こうして自分の家族を連れて再び来る…。
昔の日本には当たり前に存在した、都市と地域の交流システムでした。





能登半島のシンボル・見附島。
肌色に見えるのは能登半島の地質の特徴である珪藻土です。
オシャレな家では、調湿機能が素晴らしいので壁の素材に使っていますよね。
そういえば、旅の途中のあちこちで見た地層でした。
それから、急行「能登路」のヘッドマークもこの見附島がデザインされていましたので参考まで。
あの青地のヘッドマーク、文字のフォントも美しくて、キハ58系のマークの中では一番じゃないかと思っています。





「すずなり」に紹介してもらった珠洲市の民宿に泊まって、おいしい御飯を楽しんだ後は、月が出ていたので珠洲の港まで夜間ドライブ。
思ったとおり、月の光が海水面に反射してキラキラしていました。
これもまた観光資源。しかも無料(笑)

〈3日目・珠洲泊)


(その4・完へつづく)


  1. 2017/08/29(火) 23:00:00|
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能登の奥まで 2017(その2)

(その1からつづく)




2日目から本格的に能登の奥を目指して、まずは、氷見から石川県の羽咋へ抜けることとしました。
昨年とは逆回り、“時計回り”で能登半島の海岸線を走るというのが今回のもう1つのテーマで、その方が沿岸の景色や海の色も違って見えるだろう、新しい発見もあるだろうということなんです。

写真は梅雨明けしたばかりの氷見のコメどころを眺めながら富山・石川県境を目指しているところ。
都会の人間にとっては、青と緑だけで塗られた風景ってものすごく貴重に見えるものなんですよ。





羽咋に着いて、やっぱり気になるので千里浜なぎさドライブウェイを威力偵察しました。
北陸の海もようやく夏らしい風景になり、立ち並ぶお店も商売繁盛かと。
ドライブウェイは昨年に全線走破しているので、今回はほんの挨拶程度でやめておきます。
それにしても、水平線近くまで空が青いなぁ。





羽咋からは国道249号を北へ進みました。
稲が並んだその奥には日本海ブルーがくっきりと。
こうした景色も立派な観光資源で、もしかしたらそのうち、京都とか金沢に飽きた外国からの観光客がこちらの方へ押し寄せるかもしれません。
そうならないうちにしっかりと見ておくことも、我が家の旅行のミッションです。

そういえば、氷見のホテルに泊まっていた中国人客のツアーバスは「それ以上北へ上がることはない」んだそうです(フロント氏に聞きました)。
やっぱりね。そんなものなんです。だから「奥」まで行かねばならぬのです。





昨年に見落とした旧福浦灯台に到着。
ここも能登半島のシンボルと言えましょう。





それよりも魅力的に映ったのは、福浦の家並みでした。
民家に囲まれた坂を下りていくと港があって、そこにはクロネコヤマトのトラックが走っていて…。
日本の原風景、こういうところにもあるんです。
数年前には、今の朝ドラで主役をやっていらっしゃる方がやはり主役となって作られた映画のロケ地、となったそうです。





能登金剛・巌門を遊覧船で巡りました。
2日目で“遊び”らしいお金の使い方をしたのはココだけ。
あとはひたすら“無料”の景色を眺めながらの旅を続けました。
一見、退屈そうな旅でも、娘たちにとってはこれでよいそうで、それは長い間、こんな旅を繰り返してきた「成果」でしょうか。





さらに海沿いを北上して、風無漁港までやってきました。
ここも昨年は気になりながらスルーした場所で、1990年代のとあるドラマでロケが行われた場所です。
それこそ今の朝ドラで主人公のお姉さん的な役の方が主役で、その実家がここの民宿という設定でした(ややこしい)。
そういう場所はそれなりに絵になるところなのだろうと信じて来たら、確かにその通りでした。
前にも書きましたが、あの時代のドラマは、一見チャラいノリのようでいて、絵の切り取り方、ロケ地の選び方、地方への尊敬の眼差しがしっかりと入っており、今のそれよりもずっと深いものだったのかもしれませんね。





行けども行けども、波状攻撃のように繰り返し現れる漁村の風景。
志賀町赤崎で見つけたカゴを付けたスクーター。スクーターの後ろには、青く広がる日本海。
ごちそうです。





だから、大笹波水田(棚田)を眺められる展望台に上がったら、なぜか前浜漁村とその先の海の方へと目が移ってしまいました。
あらためてご確認ください。これ、平成29年、2017年の風景です。
コンビニとかガソリンスタンドの看板なんかがニョキっと見えても良さそうですが、そういうコマーシャル系のブツが全くありません。
それ故に貴重であり、レイアウトで作る昔の風景そのまんまなんですよ。





さらに北へ進んで輪島市域へ入って、門前町黒島町(重要伝統的建造物群保存地区)に寄ってみました。
保存地区の指定は平成21年、2009年ということで、今まで見てきた地区と比べると比較的新しい時代からの保存事業スタートとなります。

北国廻船の寄港があって繁栄した場所です。
江戸時代までは船の寄港地を中心にして経済区域が形成されていましたから、能登半島の奥でも最新のトレンドを得ていたのでしょう。
今で言うと、カトーの新製品はこういうところじゃないと手に入らなかった、ということカナ?

海を眺める位置にある神社というのも、能登半島で繰り返し現れる風景です。





あらためて、黒島の街並み。
海風で白くなった杉板の外壁。この地方の特徴とも言える外壁を持った民家の街並みは、やはり数十年前と少しも変わっていないと思われ、停めてある車を見なければ昭和時代そのものです。





17時過ぎに輪島に着いて、民宿でお刺身の盛り合わせをいただきしました。
あ、これは出掛ける前にお願いしていたオプションですからねー。
4人で突っついたらすぐになくなっちゃいましたが、これとは別に、とてつもない量の夕食があるのですから。
最近「民宿は偉大だ」と思うようになりました。





夜は、20時30分からキリコ会館前で開演される御陣乗(ごじんじょう)太鼓。
正真正銘の能登の奥、名舟で継がれてきた御陣乗太鼓は、見ているだけで空気がピンとしてきて引き込まれます。
昨年もそうでしたが、気がつくと誰もがジーッと見ているんですよね。
輪島まで来たら一度は御覧あれ。間違いなく奥能登の旅の味付けには必要です。

〈2日目・輪島泊〉


(その3へつづく)

  1. 2017/08/26(土) 09:40:00|
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能登の奥まで 2017(その1)

こんばんは。しなのさかいです。




昨年に続き、今年も北陸自動車道の名立谷浜SAで日本海を見ることができました。

中央道・長野道と走り抜け、上信越道で分水嶺を感じながら道を下ると直江津が見えてきて。
そして、春日山を抜けるとココに。
いつも気持ちが高揚するプロセスです。
自分だけのこういう場所、日本のあちこちにあります。


◻︎ ◻︎ ◻︎


今年の旅行の行き先はなかなか思いつくことができず、6月に入ってもボンヤリとしたままでした。
手の届く範囲で北陸の日本海の景色は昨年までに見尽くした気もするし、かといって“色”が違う太平洋の海を見るのも気が進まない。
内陸である岐阜や長野も行き尽くした感じだし…。

で、「ねえ、そろそろどうしよう」と家族会議を開催したところ、女3人からは意外にも「もう一度、能登半島へ行きたい」との返事がありました。

確かに昨年は、海岸線を走り続けたのはいいけれど、氷見~輪島~金沢という野営地を選んだため、ひたすらドライブとなり、ゆっくりと景色を眺めることができませんでした。
日本海を見ないで終える夏休みというのも引っかかりますから「それならそうするか」と思い、今年も能登半島を巡ることにしたのです。
ただし、昨年よりはスローに。





朝8時に関東平野を発つと、正午には長野道の姨捨SAへ着きます。
昨年も同じ時刻にココでお昼でした。





鉄道だけでなく、高速道路でも「姨捨のファッション化」が止まらないみたいです。
地元自身が落ちている観光資源に目覚めることには賛成ですけど「実はそういうことではない」となれば複雑です。
姨捨駅で営業中のキオスクを見た記憶のある者としては、素朴な、とっておきの存在としての姨捨も良かったんですが。





冒頭の名立谷浜SAを経て北陸道を進み、最初の目的地である富山県氷見市に着くのは17時頃。
もう2回目で学習済みですから、やはり到着時刻はほぼそのとおりでした。
夕方の富山湾、日本海、この中にはお魚がいっぱい。





振り返ると日没。
氷見市は海に沈む夕陽は見れません。





晩御飯はホテルの近くのスーパーで半額だった、地元の魚を使ったものとしました。
「え、ここで晩御飯?」と思わないでくださいよ。





「こずくら」とか「ふくらぎ」とか、関東では馴染みのない魚の名前です。これらは要は「ぶり」の、まだ小さいやつ。
「ぶり」は出世魚として知られており、成魚となるまでは様々な名前が付いているのです。





昨年は氷見に着くやいなや「氷見番屋街」の寿司店へ入ってしまい、結構大変なことになってしまいましたので、今年は格安で地元の魚を食べられる方法を研究してから出かけました。

狙いどおりホテル近くのスーパーで信じられないほど格安の寿司や刺身を楽しめまして、初日から旅のコストパフォーマンス、急上昇です。
我が家にはこんなやり方が身丈に合っているようで(笑)
それにしても、氷見はいいところだなぁ。

〈1日目・氷見泊〉


(その2へつづく)


  1. 2017/08/24(木) 23:40:00|
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ゴールデンウィークは電車で熱海へ 2017

こんばんは。しなのさかいです。




月並みな言葉ですが、ゴールデンウィークはあっという間に過ぎて、普通の日常が戻ってきました。

当方はカレンダー通りの5連休となり、さらに家族全員のスケジュールも3、4、5はオールクリアー。
したがって「それなら、1日くらいはまた日帰りで遠足でもするかねー」となるのです。
で、今年もあっさりと電車で行く“熱海行き”が決定しました。
今回はそんなお話。





小田原で、小田急から乗り換え。
東海道線のホームから見ると、西武赤電カラーの伊豆箱根鉄道がいたんです。
Nゲージをやっている人にとっては、とても旬なカラーではあるものの、このカラーリングの意味を知る一般の人がどれだけいるかは気になるところです。

それと、小田原でいつも思うことは、箱根へ行くには赤い登山電車(といっても小田急1000形)で短い4両編成だということ。小田急からの乗換えも結構ギッシリで大変です。
一方、熱海へ行くには最大15両編成の東海道線がやってくるのです。小田原・熱海間はいわゆる“末端輸送”ですから車内もガラガラ。
アンバランスな輸送力が、このジャンクションでは観察することができるということで、箱根のブランド力って、やっぱりすごいですよねと。





工事が続いていた熱海駅は、とうとう箱型の駅舎になってしまいました。
やはりというか、駅の中には「熱海初の」と言えるようなテナントがたくさん。
様々な地方を見ると、廃墟寸前の駅ビルがたくさんありますから、資本力のある手堅いテナントを入れることにも説得力がありますが、熱海のイメージがひっくり返っていくようでもあり…。
難しいです。





サンビーチから熱海の街を見ても箱型の建物がたくさん。
今の世の中、地域や土地のブランド力は、マンションという構造物により急激な人口増加を発生させるようです。
そこには質の高い賑わいがあるといいのですが。熱海の場合は、どうなんでしょうか。





熱海ビーチラインから来る車と国道135号から来る車が合流し、そして熱海の街が外来ナンバーの車でごった返していました。
ちょうど昼どきでもあり、駐車場に入れない車が右折しようとする形でウインカーを付けながら道路の真ん中で駐車待ちをするものだから、少し殺伐とした空気も。





こちらは徒歩ですから。
家族4人でサンビーチからトボトボと歩いて、ほんの数分でいつもの「あじのタタキ丼」にたどり着きました。
一昨年、情報誌にも出ていないこのお店に出会ってからは、ここが熱海の目的地となりました。
娘たちはここで近海物の魚のおいしさを覚えたそうで、親としてもお金を出した意味が(涙)
そして、オヤジさんとオカミさんがとても親切でしてね。

先客さん4人1組がいたものの、待ち時間ゼロでカウンターに座って、すぐにこれがドン。
美味しかったです。
一方、情報誌に載っているアチコチのお店の前には、1時間待ちとも思えるような長い行列ができていました。
ゴールデンウィークの熱海は何かと運命が待ち受けています。





食後は、サンビーチのお祭を見ながら起雲閣まで散歩。
大統領に怒られるようなことはしていません(たぶん)。







起雲閣まで来ると、山側から涼しい風が吹いていて、汗がスーッと引いていきました。
散歩してばかりだと疲れるので、こうした施設があると街歩きも楽になります。
起雲閣は、2000年までは旅館として営業していました。





さらに熱海銀座方面へ転進して、昭和ムードの漂う喫茶店で休憩。
今回の熱海行きでは密かにこんなところも目的地としていたのです。





女3人はドライアイスが仕込まれたパフェ。





当方は昭和ムードを楽しむべく、ホットケーキとブレンドコーヒーです。
ここも良かった。当たり。






熱海銀座からはアプローチも容易となるので、これまたいつも通りの「日航亭」(過去2回は逆側、来宮神社からのアプローチでした)。
一応、日帰り温泉施設ということで良いでしょう。
“大湯”というだけのことはあり、源泉掛け流しのお湯は「熱海」の名の通りの熱さ。
そして、毎年ここに来ると、運転に疲れた若者たちが喋りながら風呂に入っているので、そんな話を聴きながら長湯をするのも一興だと思っています。

16時半頃まで、静岡の情報番組を見ながら休憩室でダラダラしていました。





熱海駅までの途中、今度は総理大臣が。





相変わらずの激しい渋滞ですが、これとは無関係に街並みを眺めながら熱海駅へ。





階段や急な坂道も熱海名物。
フラ~っと探検してみたいけど、同行者もいるので我慢です。





熱海駅で、島田を目指すJR東海の編成を見送って。





15両編成でガラガラのE233系は、やはり渋滞の激しい国道135号を下に見ながら小田原へ。
今回だけは電車で良かったかなと思える一瞬でした(この渋滞に巻き込まれていた方には失礼な話をしました)。



家族4人、1人ずつリュックを背負った、気軽な日帰り遠足でした。
電車を選ぶ限り熱海へ行くには混雑をそれほど感じないことから、このパターンは不思議なほどに家族から絶大な支持を受けています。
毎年行き先を考える必要もなく、日帰りですから予約する作業も不要ということで、連れていく方も楽チン。

ピーク時の旅は、パターン化している方がいいのかもしれません。


ではまた。

  1. 2017/05/09(火) 17:30:00|
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冬の伊那谷の風景に憧れて

こんばんは。しなのさかいです。


先日、長野県下伊那郡阿智村・園原へ行った話をしました。
実は、その後には、車で伊那谷を北上したという多少のつづきがあって、「そんなことも軽くおしゃべりしたいなぁ」というのが今回の趣旨なんです。





もう一度、駒ヶ根駅前からこの風景を見てみたかったんです。
しかも、晴れた冬の日に見たかったんですね。
どことなくありふれた駅前の風景かもしれません。

だけど、アーケードと昭和っぽい低層のビルが立ち並び、その後ろには雪山…。
どこかチグハグで、でも不思議と懐かしさがこみあげてくる、そんな風景です。

飯田線は地方交通線ながら、起点又は終点への経済的依存度が比較的少なくて、長大な路線の中にあるいくつかの主要駅がそれぞれ経済的な中心を担っています。
駒ヶ根市もその中心の1つと言えそうで、それ故にこんな風景がある。
伊那谷や飯田線の沿線について思いをめぐらせていると、非常に味わい深いことに気づきます。





駒ヶ根名物ソースカツ丼。
玉龍飯店のソースヒレカツ丼も再びご覧いただきましょう。もう何回目かしら。
娘たちに言わせると、デパ地下やスーパーの総菜のようにコロモが立ってなく、さらに油ぎってなくて、食べやすいんだそうです。
そう言われるとそうかと。
関東平野で見かけるソースかつ丼は、口の中を切ってしまうくらいコロモがザクザクしています。
この玉龍さんも飯田線の線路のすぐそばですから、このソースかつ丼も飯田線沿線の風景として認定(笑)





JR最勾配地点にやってきました。
碓氷峠から見れば「たかだか40パーミルか」と思いがち。
でも、実際に来てみると、結構な勾配に見えました。
Nゲージのリレーラー程度はありそう。





あわわわわ。
架線柱がああああああ~(大笑)





奇跡的に柱の間から213系。
撮影に関してはド素人ですので、ご容赦くださいね。

しかし飯田線で213系とは時代も変わりました。
これ、90年代に関西本線でよくお世話になった電車なのです。
したがって、213系は木曽川橋梁を渡っていた頃のビジュアルの方が似合うので、どうか「現代の飯田線シリーズ」では119系を先にお願いしますね。





北上していく姿を1枚。
カーキ色の草と車両。乾ききった空。
冬の飯田線の色彩的要素は、こういった組み合わせで足りているでしょう。





伊那市駅近くまでやってきました。
RMモデルス2017年2月号・p.32でED62が顔を出している写真と同じ場所。
伊那電気鉄道の入舟駅があった場所ということです。
どことなく江ノ電のような建物とのクリアランス。





結局来たのはまたもや213系なのですが、こうした街に溶け込んだ(?)ような風景も飯田線ならでは。
電車ならまだしも、かつてはED62が突っ走っていたのですから。
面白いですよね。





入舟バス停から、今度は南アルプス方面を。

雪の山を仰ぎ見ながらの暮らし。
それなりの寒さなど苦労があると思いながらも、こういう土地での暮らしにあこがれてしまいます。
なぜなら、関東平野に住んでいると、こうした故郷を感じるランドマークが無いのです。


都会人があこがれる要素。
この伊那谷には、都会で暮らす人々が求める要素、原石がたくさん散らばっているんです。
カトーの「飯田線シリーズ」がヒットする背景には、こうした「都会人の感情のメカニズム」があったように思えてなりません。
車体を手にするだけで景色を感じる模型。こういう視点に立てば、製品化されていないものはまだまだたくさんあります。


余談ですが、この日の2日前に安曇野のカフェ(兼結婚式場)で結婚式のアルバムを見ていたときのこと。
うち1組のアルバムに目が留まりました。夫婦の出身地が実に興味深く、新郎は駒ヶ根、新婦は高遠でした。
地方の隣町の間でどんな交流、行き来があったのか。
想像が膨らむばかりですが、とにもかくにも地方都市同士、伊那谷の中での出来事というところが、どこかドラマチックであり、今のトレンドのような気がします。



IMG_9479.jpg

その後は、またまた伊那のグリーンファームから、高遠方面を見て、





そして、諏訪湖へ到達。
伊那谷を旅する時は、どうしても南から北へ行きたくなります。
どうしてだかわかりませんが、旅の終わりが三河となるよりは、この諏訪となる方が心地よいのです。





諏訪湖の夜景を見て、今回の家族旅行も大団円を迎えました。

ここらか見る夜景は「ぜんぜんぜんせ」ってな感じで、今ではすっかり全国区。
結局のところ、この場所と映画とは無関係なんですが、そんなことが引き金となって「でもさ、ここの夜景、よくね?」となったみたいです。
だから小さい駐車場には、あふれることはないものの都会のナンバーのクルマが大集合。
はいそうです。ウチのクルマもその1台。

しかしですね。
この日のちょうど2年前に家族4人で来たときは、誰もいませんでしたのよ。
超巨大すべり台もすべり放題で、二人の娘はおおはしゃぎでしたし。
最近「ぜんぜんぜんせ」的にすべった方が事故を起こしたそうで、これが原因なのか、そのすべり台は閉鎖されていました。

大切なのは、普段から自分で探して自分なりの価値に気づき、そして磨き続けることなのです。

ではまた。

  1. 2017/01/28(土) 19:00:00|
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伊那谷の終点で

おはようございます。しなのさかいです。

ここに来てくださる皆さんと165系 急行「アルプス」で楽しんでいる最中ではありますが、少し脇道にそれます。


12月28日に宿泊した昼神温泉。
この温泉が位置する長野県下伊那郡阿智村は、飯田線の通る伊那谷の南西端に位置しています。

ここに宿泊するのも三度目で、いつもチェックアウトした後は、行く先を名古屋方面とするか、駒ヶ根・伊那方面とするか…という感じ。
天竜峡も元善光寺も既に行ってしまったし、飯田市内も特になにもないし。
つまり「ここ」にステイするという発想が浮かばないのが経験則でした。
そんなことを考えていたら、ホテルのロビーに同じ阿智村の中の園原(そのはら)地区を紹介したパンフレットがあったのです。



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「園原」という地名は、中央自動車道でも園原インターチェンジがあるため、そこそこ御存知の方も多いのではないでしょうか。
名古屋方面からだと、中央自動車道で北上して、ちょうど木曽谷の入口から伊那谷へシフトすべく恵那山トンネルを抜けた、ちょうどその出口、そんなところです。

中央自動車道・恵那山トンネルには、以前から興味がありました。
もちろん車で走るのも大好きで、幾度もハンドルを握りながら往来を楽しんでいます。
このトンネルは、並行する国道も存在しないため、1975年に上り線、1985年に下り線が開通するまでは、この園原地区が行き止まりの地だったと推察しています。

また園原は、古代から中世にかけては、東山道の峠越えの麓に位置した土地で、そこそこ歴史的にも有名なんだとか。
中山道については知っていても、東山道とは。

最近では、夜にロープウエィに乗って山頂へ行き、満点の星空を眺めるあのスポットとして有名になっています。



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ここが「園原の里」と銘打って園原の里観光組合がパンフレットを作っているのを目にし、行ってみることにしました。
車で上がれるとのことですから、まあ大丈夫かなと。



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車で上る前に、園原郵便局で657局目の旅行貯金を済ませ、風景印をゲット。
ここで念のため、園原の里に関する情報を収集し、丁寧にも局員さんから手書き製のマップまでいただきました。



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まずは門前屋に車を停めて、信濃比叡・廣拯院へ行ってみることにしました。
かつて、東山道天台宗の開祖・最澄が、東山道の難所であるこの地に無料の宿泊所(広拯院)を建てたんだそうです。
こういう縁から、平成12年に「信濃比叡」の呼称が許され、さらに平成17年に根本中堂が建立された、と伺いました。
Nゲージユーザーとしては「東海比叡」がしっくりきますが、残念ながら「信濃比叡」ですので(笑)



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「伺いました」と書いたのは、家族4人でウロウロしていたら、住職さんから「寄ってらっしゃい」との仰せがありまして。
根本中堂で以上のようなお話を伺ったというわけです。

この地でもまだ山の中腹。
平成8年に建立された最澄像の向こうには、既に壮大な景色が広がっています。
都会ではなかなか体験できない「鐘つき」も、そんなにやっていいのかなと思うくらいやらせていただきました。
娘たちにはいい経験になったかも。

この後、住職さんのお話にあったので、門前屋さんで、根本中堂建立時に出てきたという白蛇(まだ生きています)を見て、さらに住職さんのおすすめもあり、門前屋さんで願掛けのお皿を買いました。



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さらに車で細い道を上り、滝見台へ。
「暮白(くれしろ)の滝」へ向かって、先程のお皿を投げて割るシステムとなっております。





下の娘と当方の願掛けの内容を情報公開。
小学五年なのに「けんこう」とは。
親の方が幼稚で、そして欲張りです。



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その滝見台の裏には、巨大な構造物がありました。
フェンスで囲まれており、そのフェンスには「中日本高速道路」の看板が。
これ、どうやら中央自動車道・恵那山トンネルの換気口のようなんです。
この真下には、大量の車の通行があるのかと思うと「へぇー」。



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思いもかけず、簡単に見れないものを見ました。
もしかしたらトンネル工事のときにも「立坑」として機能していたのかも。
詳しいことはわかりませんが、恵那山トンネルというビッグプロジェクトの名残を見た気がして、趣味方面の血が騒ぎました。
鉄道趣味をやっていると土木方面への興味も湧いてくるものです。

ちなみに、ここに来るまでに当家族以外の観光客は初老の夫婦1組のみ。



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車で上ることができる限界点までやってきました。
神坂(みさか)神社です。
先程の初老の夫婦も、さすがにココまでは来なかったみたい。
恵那山トンネルの岐阜県側には神坂パーキングエリアがありますが、その名称の由来も理解できました。


自分でいうのもなんですが、年末の寒い日に、よくまあこんな場所へ家族を連れてきたもんです。

そういえば、門前屋付近からは向かい側の谷の「ヘブンズそのはら」に結構な台数のクルマ、観光バスが止まっているのを見ました。
全長2,500メートル、標高800メートルから1,400メートルへ上るロープウエィ体験の方がごく普通の家族サービスのような気もしますが、まあ、あえてこういうスポットを選ぶのもいいでしょう。
そういうスパルタンなやり方が当方の旅行方針です。



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でも、不思議とこういう場所の方が落ち着くんです。
とにかく人口物の音が何も聞こえません。
聞こえるのは、風で木々が揺れる音だけ。
そして、見えるのは、巨大な杉の木だけ。
なかなか都会では体験できないロケーション。立派な観光資源だと思いました。

そして、東山道の山越えルートだったということ。
今は、真下にある恵那山トンネルで数分の行路です。



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遠方に南アルプスを望みます。
向こうに見える山の麓が伊那谷で、天竜峡駅があるところ。
やや北西に方向を転じているとはいえ、ここは南北に伸びる伊那谷の最果て、終点です。

地形を感じながらの旅も、いいもんです。


(つづく?)


  1. 2017/01/15(日) 10:00:00|
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安曇野の蕎麦屋と公民館、そして木曽路。

おはようございます。しなのさかいです。

昨日からもう仕事。年末年始の休みは完全な過去となりました。
そして、また家族のために、そして鉄道模型趣味のために働かなくてはなりませぬ。



ところで。
ちょびちょびと妙なところで撮影した写真をアップし続けていましたので、そろそろその全貌を明らかにしようと思っていたところです(笑)

年末は信州におりました。特に年末を安曇野で過ごすのは5年ぶりのことです。
二泊三日のミニトリップでした。



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今回のツアーの最初のターゲットは、安曇野・有明の「くるまや」さん。
場所は有明山神社の鳥居の隣。
普段はなかなかの行列が出来る蕎麦屋さん、と伺っています。
昼前というタイミングが良かったのか、難なく座れたのはラッキー。



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“通っている”と意識している信州の蕎麦屋は、上田市の「刀屋」さんだけでした。
実際にこちらの盛り方を見てみると「刀屋」さんのような量(ただしこれは二人前ということを付け加えておきます。1人でなんとかするには多過ぎました)。
蕎麦屋とはこうでなければいけません。もっと庶民的な存在でいて欲しいのです。確か池波正太郎もそんなことを言っていましたっけ。

家族には「温かい方」が好評のようでした。
ご紹介いただいたSさんにはあらためて御礼申し上げます。台ヶ原宿の「薹眠」に続いてありがとうございました。




さて、その「くるまや」さんへ向かう途中のこと。
運転中に信号待ちをしていたら、右側にどこか見覚えある物件が目に入ったのです。
蕎麦を食べた後も気になって仕方がないのでお店を出てから、安曇野のカフェへ行くことを口実に少々来た道を引き返しました。









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「新屋公民館」(あらやこうみんかん)といいます。
1951(昭和26)年に建築された公民館。文化庁の登録有形文化財になっています。
Nゲージをやっている方なら、この建物を見ただけでピンとくるはず…。





そうなのです。
カトーが製品化しているストラクチャー「公民館」(品番23-455)。





新屋公民館の正面を見てみます。





カトーの「公民館」の正面。



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新屋公民館は、紛れもなくカトーが製品化している「公民館」のプロトタイプでした。

安曇野あたりにプロトタイプがあると認識していたものの、下調べもしないで偶然通りかかったところに模型が1/1スケールで現れたのですから、そりゃビックリする訳です。
普段からそんなところばかり見て運転していることがバレてしまいますね。



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木製ドアの退色、風化具合が良く、エイジングの参考にもなります。



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文化財登録のプレート。
登録は2012年8月13日。
ということは、カトーがストラクチャーとして製品化してから、だいぶ後に登録…ということがわかる訳です。



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いろいろな角度から観察しました(不審者そのものです)。模型がよく再現されていることを理解しました。
既に、レイアウト上に配置すべく持っていたものですが、あらためて自分だけの「安曇野みやげ」となりました。
現地で販売していたらバンバン売れそうです。



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詳しい実状は不勉強ですが、正月飾りがあることを見れば、地元のランドマーク、シンボルとして愛されていることは伺えます。
そして、カトーは実在する建物を設計し、製品化しているのですから、その形状に説得力があるのも納得。
様々な運転会、レイアウト上で見るのは、どこかで見たような懐かしい姿だからなんですね。
プロトタイプの選び方が重要だということがわかりました。


蕎麦屋に行く途中にある公民館。
「そういうことだったのかー」と、理解不能となっている家族をおいてきぼりにしながら1人でニヤニヤしてしまったのでした。



◻︎ ◻︎ ◻︎





その夜は、国営アルプスあずみの公園(堀金)でLEDの点灯具合を確認。
5年前に比べると規模が小さくなり、人出も…。この手のイベントの集客力の息切れ感を感じました。
別会場(松川)とこのイベントを分け合ったことが原因?
この公園は昨年に拡大を果たしており、今後の成り行きが気になります。





翌朝になると安曇野の山奥は積雪。





渚駅近く。アルピコ電車はゆっくりと走っていました。





こういう絵は、実際にマンガを読む子どもたちにはウケないみたい。「面白い看板があるぞ」と促して見に来たものの「ふーん」で終わり。
この看板、いったいどういう層にウケているんでしょう?





松本の「ナワテ通り」からは、こんな風に雪化粧した山が近くに感じられるのです。
山が近い街というのもうらやましい。
それにしても寒くて寒い松本でした(山が近いからですね)。





村井の「珈琲哲学松本店」で名古屋グルメ。
「今年の年末も名古屋に行かない?」と娘たちに持ちかけたところ、下の娘が頑なに「嫌だ」と言うのです。
理由を問い詰めたところ、一昨年の名古屋の朝、プリンセス大通りで酔っぱらいの男たちがカラーコーンを蹴っ飛ばしている場面を見て「名古屋は怖いところ」というイメージが染み付いたんだとか。
土地のイメージって案外簡単なことで植え付けられるんですね(笑)

この松本店の近くにある鉄道模型店はあいにく定休日でした。カタログを買おうと思ったのに、無念。





その後は、雪の残る国道19号へ入り、木曽福島で休憩。
福島宿は「七笑酒造」の糀の香りで覆われていて。
運転手たるものお酒は飲めませんが「せめて酒まんじゅうくらいは売ってないかな」と酒造の周りをウロウロ。訳のわからない欲望が当方を不審者たらしめていました。


それにしても、まだ日没前なのに宿場町は「日没後」。
家々には石油ストーブが。V字状の谷の斜面や底に人々の暮らしがあります。
この木曽路の冬のせつなさがたまらなく愛おしいのでした。





そんな理由から逆光で撮影しても当方としてはOKとなります。

冬の中央西線。D51もキハ91系もこうして木曽路を登っていったはず。キハ181系も381系も、そして165系も。
383系を見ていても、自然とそういう風景が見えてくるのです。
模型化する車種の選択って、そういうことなのかもしれません。





その後。
昼神温泉に行く前に、やっぱり馬籠宿へ寄ってしまいました。
あいにくタッチの差で日没後となりましたが、冬の夕方を味わうことができてホッとした瞬間。
「次はいつ見ることができるかなあ…」なんてことを思いながら、誰もいない宿場町の坂に立ち続けました。


(つづく?)


  1. 2017/01/05(木) 08:10:00|
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2017年 あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。
しなのさかいです。



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2016年12月28日 1015M L特急ワイドビューしなの15号(木曽福島・原野間)


こんなことを書いてから4年経ち、こんなことを書いてから3年経ち、こんなことを書いてから2年が経ち、こんなことを書いてから1年が経ちました。

皆さんはNゲージ趣味を楽しめた2016年だったでしょうか。
当方は、12月になってややブレーキがかかりましたが、1年間を通じておおむね「楽しめる」状態に“近づいた”ような気がします。


2015年に達成した「室内灯組込率100パーセント」は、2016年も維持し続けることができました。
増備した車両にも、漏れなく室内灯を取り付け、どの列車もイキイキとした鉄道シーンを見せてくれるようになっています。
室内灯は各メーカーの純正品がメインで、例外的にTORM室内灯(タムタム謹製)を使用。
いわゆる「ハンドメイド室内灯」は組み込んでいません。
このことは、自分なりに「とりあえず買っておくような、そんな車両の買い方は無かった」と解釈しています。
室内灯分の代金を上乗せしてまで新車を導入するのですから、衝動買いなんて気持ち的に不可能なのですね。
このような方針のもと、手元に置く車両一つひとつの価値を、自分の中で高く維持することができました。

室内灯に加えて、トミックスのHG車両にはインレタ貼り・パーツ取付などの作業を地道に続け、多くの車両が次々と走行できるレベルへロールアウト。
インレタもサードパーティ製品を使うなどして。特に気動車は見栄えを良くしてみました。
2015年よりも手軽に、気分次第で様々な鉄道シーンを再現できるようになったのは間違いありません。

レイアウト・地面については土木作業、特に地形の研究と作業をすすめています。
地形の考証をきちんと終えてから、草や木といったディテールに取り掛かるよう、作業の先を急ごうとする気持ちをセーブするのが大変です。
ここらへんは理性との勝負かも。



さて。
「これがアンタの『楽しみ』なのかい?」と言われると、正直申しまして自信がありません。
さらに「楽しみというよりも『苦しみ』ではないか?」と畳み掛けられれば、某メーカーのかつてのキャッチコピーを揶揄した表現と重なりますが、「意外といい線を突かれちゃったな」と思えたりもします。


でも、これでいいのかも…。


「老後の楽しみ」。
多くの鉄道模型ユーザーが使ってしまう“魔法の言葉”です。
買い物に気持ちの整理がつかないときに、
「こんなのを買っちまって大丈夫か?」
「いやいや、老後の楽しみにとっておくから大丈夫」
という会話が心の中で、あるいは友人とのあいだで行われたりします。
これほど吸収力や包容力のある同義語は見当たりません。

しかし、果たして「趣味の課題」に取り組み続ける「老後」は本当に楽しいものなのでしょうか。
最近よく考えるようになりました。
これは老齢期の経済力のことを言っているのではありません。
老後になってから「楽しみ」として残してきたこと、キットをガツガツと組んだり、車両にインレタを貼ったり、レイアウトを作り続けるようなことをし続けて、本当に「楽しみ」と認識し続けることができるだろうか。
おそらく自分にはそういう趣味生活を送る気力はないだろうな、と想像するのです。

だからこそ、今のうちに老後の趣味生活の土台、基礎を作っておきたい。
そして、もし自分に人並みの「老後」というものが訪れたならば、ふわっとその土台に乗って、本当に穏やかな気持ちで趣味生活を送りたいのです。
それこそ自分だけの運転会をやって、記憶の中の鉄道シーンに浸れるような、そんな豊かな時間を送れれば。

そのための、本当の「老後の楽しみ」を迎えるための「準備」だと思って、「楽しみ」と「苦しみ」の境界線上で模型と向き合った、そんな2016年だったのかもしれません。
老後と言われるライフステージに立ったとき、自分はどんな模型たち、レイアウトに囲まれているべきなのか。
そのとき、自分の持つ模型たちには、しっかりとした思想があるといいな、と。
少なくとも「鉄コレ」の箱の雪崩に巻き込まれてひっそりと人生を終えるようなことだけは避けたいですね(笑)


唯一、遊び方を提案し続けてくれたNゲージメーカーも、いよいよ転換期を迎えたようです。
“紫色の新幹線”や“運用開始前の通勤電車”が見えてきたところで、この変化はついに顕在化してしまいました。
その一方、ここ5年くらいで受けた提案、説教、説法などは、手元の車両を見ればしっかりと再現できるようになっています。
受け止めた提案は、これからはユーザー自身が育てていくしかないのかもしれません。
真の「老後の楽しみ」へと育てる種は、この5年くらいで品種改良を経て着実に世に送り出されてきたのですから。

これからは、ユーザーが前へ出ていく番。
残念ながら、そういう厳しい時代に入ってしまった、というのが2016年の真の姿でした。


とにもかくにも2017年のスタートです。
いろいろな車両へ手を出しながらも、徐々に「自分の世界」へ収斂されていく過程は持っていたいですね。
今、飯田線シリーズや氷河特急の世界からNゲージの趣味をスタートする人たちがうらやましい。
本当にそう思います。

では、今年もよろしくお願いします。



  1. 2017/01/01(日) 00:01:00|
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よいお年をお迎えください。


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2016年12月29日 長野県諏訪市にて


2016年も残り数時間となりました。
一年間お付き合いいただき、ありがとうございました。


しなのさかいの駅前広場





  1. 2016/12/31(土) 13:00:00|
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