しなのさかいの駅前広場

新モーター、入れてしまえば「新製品」。

妻籠宿でコーヒーを飲むことができる時代の到来

こんばんは。しなのさかいです。

そろそろ趣味生活のことへ進もうかと考えたところですが。
少し前のことになってしまいますけど、昨年末(と言っても数週間ほど前のことです)のフィールドワークのことについて触れておきます。
よろしければお付き合いください。





3年ぶりに安曇野に行きました。
コテージに荷物を下ろした後は、一時期の猛烈な混雑ぶりに比べると落ち着いてきた感のある「国営アルプスあずみの公園」LEDイベントへ。
駐車場には県外ナンバー車はそんなにおらず、どちらかというと地元車が多いようでした。
気温も関東平野のそれとほとんど違わないので、寒冷地仕様の服装で来た意味は半減。
この冬はどこも穏やかな気候のようです。
そろそろホントにやばいかもしれません。





翌朝は快晴でした。
泊まった物件は山の上なのでソコソコの積雪があり、履き替えてきたスノータイヤの効果を早速発揮。





今回は早めに木曽路に入り、奈良井宿で昼食休憩としました。

ココは駅直結の観光地。
なので、多くの外国人観光客が散策する、アプローチしやすい場所となっているようです。
たった2両の313系1300番台でやってくるアジア系のグループが、奈良井駅くらドヤドヤっと宿場町へ散っていきました。
おそらく木曽福島で「ワイドビューしなの」から乗り換えたんでしょう。
だとすれば、名古屋に宿泊しているのかな。
観光バスではなくて普通列車で、ということなのですから、個人レベルでの来訪も多いということのようです。
海外にも何らかの形で木曽路の評判が伝わっているということなのかもしれません(「京都よりもまだ…」ということだけかも?)。

欧米系のバックパッカー組も多く、カップルや子ども連れのグループと陣形、フォーメーションは様々。
鳥居峠を徒歩で越えてきたようで、今の日本人ですらなかなかやらないことですから、敬意を表します。






「ワイドビューしなの」9号を後ろから。






さて、妻籠宿なのです。

早めに木曽路へ進入したことで例年よりも持ち時間に余裕が生まれたため、馬籠宿へは急がずに、久しぶりにココへ立ち寄ることとしました。
実は、当方の視点からすると、ちょっとした異変が起きているとの情報をキャッチしたので、実際にこの目で確かめたくなった、という動機もありました。



その異変というのがこちら↓と…、




こちら↓。



明らかに外国人観光客を(も)ターゲットにしたお店のようです。
長年この辺をウォッチし続けていたので、日本の山深い場所であるにもかかわらず、ここ数年は海外からの観光客が増えていることを実感していました。
だから、間違いなくこのような需要はある訳で。

コーヒーをいただこうとカフェの中に入ったら、いい感じの古カフェになっていましたよ。
御店主にいろいろとお話を伺い、豊かな時間を過ごすことができました。
妻籠には何回も足を運んできましたが、こうした交流をすることができた記憶は今までにありません。


それにしても、妻籠宿でコーヒー。
ようやくこんな時代がやってきたんですね…






我が国における「全国町並み保存発祥の地」と称している妻籠宿では、昭和30年代の終わりから昭和40年代の初めにかけて保存の機運が芽生えました。
取り分けて昭和43年に取りまとめられた「妻籠宿保存計画基本構想」では、「観光をも目的とするが、あくまで歴史的景観の保存を第一義とする」「地元住民の生活環境の整備維持を十分考慮する」「木曽路計画の一部として構想する」といった、今まさに観光公害で悩まされている地域からすれば深く頷いてしまいそうな基本方針が盛り込まれました。

そして昭和46年になると、住民自らが「妻籠宿を守る住民憲章」を掟として定め、その後の保存条例へとつながっていきます。
その住民憲章の三原則が「売らない、貸さない、壊さない」。
このポリシーは令和の今にも受け継がれているようです。


保存当初はココにも観光公害と言えそうなブームがあったため、その都度住民が主体的に議論し、以上のような経緯を踏んできたワケなのですが、結論としては、飲食店で提供するメニューも大幅に制限し、今風の看板や自動販売機もNG、コーヒーの提供にも大きな論争があって…という強い自制が誕生しました。
この点、保存事業の後輩にあたる宿場町などとは大きく異なるもので、今では日本のあちこちにある「重要伝統的建造物群保存地区」の第1号(昭和51年、他の6地区と共に指定)にして、最も戒めを課している地区と言っても過言ではないでしょう。

まずは住民のアイデンティティづくりを優先させ、その結果として、取組の価値を共感してくれた人達だけが訪れるようになって、さらにその延長線上に観光産業が根付くならばそれを許容してみよう。
当方はこんなスタンスが長く続いてきた、と見ています。




しかし。

「ディスカバージャパン」のブームに乗って旧中山道を歩こうと訪問した多くの観光客は、そのブームが去ると次第に消え、大型観光バスで宿場町の裏方にある駐車場に乗り付けて、というスタイルに変化しました。
そしてバスから降りた団体客たちは、住民憲章などを知ることもありませんから、宿場の中心に躍り出たら「ホントココ、何もないわねぇ」という感想を抱き、記念写真を撮っておしまい、ということに。
妻籠宿は、どちらかというと滞在型ではなくて立ち寄り型のスポットとなってしまったのです。





実際に見てみてもこのとおり。
宿場の通り(街道)を歩いてもサイン類が不足していますからどこでどんな営業をしているのかがサッパリ分からない。
戸を閉めて営業していればなおさらで、果たして営業中なのか、何を営んでいるのかすら見分けられません。





失礼ながら、まるで『木枯し紋次郎』に出てくるひっそりと静まり返った(戸板の隙間からジーっと外を覗くような)村のようで、当方が見ていても、建物の前で何かを確かめようとフリーズし続ける観光客が何人もいました。





どうなんでしょう。

迎える側が「来る人」を選ぶことなどできるはずもなく、どうしたってまずは軽い観光目的で訪れようとする人は現れます。
このような人々が大勢押し寄せることで、地域社会が崩壊の危機に瀕してしまうのですが、かといってシャットダウンしてしまうのも極端なことです。
いつまでも文化的な理解は広められませんし、訪れた人は地元とのテザーの手段としてお金を使うこともできませんから、受け入れるべき方としては外部との交流の機会すら逃して帰してしまっているのです。

さらには欧米系のバックパッカーたちです。
まだ何も理解できていないはずの子どもまで引き連れて馬籠峠や鳥居峠を徒歩で越える姿を見ると、こういう人々までを速やかに立ち去らせてしまうのはどこかもったいない。
どう見ても、日本人以上に「価値を理解した」観光客でありましょう。








確かに、今京都で起きている観光公害を見れば、これまでにココが採った方針は理解でき、まずは暮らしを守った上で…というスタンスは讃えられるべきかもしれません。

でも、全ての観光客が、義務感で矢継ぎ早に観光スポットをラリーする人達ということでもないのですから、何らかの“観光客フィルター”のようなものをこしらえながら、それを受け入れようとする度量は必要なのかもしれませんね。
ココ、とても大きな課題です。
今回見たような新しいタイプのお店たちが僅かながら現れた事実は、地元の方(売らない、貸さない、壊さない、ですから)のそうした危機意識の現れなのかナと。

地域に必要とされているものは、経済的な潤いよりも、結束性の高い地域社会よりも、質の高い交流人口の増加なのかも。
今回の妻籠宿訪問ではそんなことを考えてしまいました。






さて。




馬籠宿から中津川市街を俯瞰。
岐阜県は大好きです。





さらに翌朝は神坂神社。
あいにくの雨なので、苔を見て和みました。





信濃比叡から見ても下界は雲海。





飯田市に入って、鳩ヶ嶺八幡宮へ。
ココはちょうど天竜川の河岸段丘の崖にあり、水がジョボジョボと流れ出ています。
飯田市が河岸段丘の高低差を無視して広がっていることに改めて気づきました。







伊那市のグリーンファームで野菜を死ぬほど買って、「見晴らしの湯」へ。
そして17時頃に岡谷へ達し、夏の旅に続く2回目の「さんれーく」です。





帰りは諏訪湖SAから岡谷方面を見て、2019年が終わったと実感。
そんな旅でした。


ではまた。

スポンサーサイト



  1. 2020/01/18(土) 00:20:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

2020年 あけましておめでとうございます。

新年明けましておめでとうございます。
しなのさかいです。




2019年12月29日 中央本線 藪原-奈良井間
特急「ワイドビューしなの」9号



“2000年問題”なんていうキーワードでアタフタしていたあの頃から20年経ちまして、2020年です。

趣味的な視点では…
カトーが885系「かもめ」を出してから20年、
トミックスがHGの165系を出してから20年、
そして、マイクロエースが金ピカのC62を出してから20年、となります(爆)

これらの過去の出来事の延長線上に今のNゲージ・ワールドがあるわけですけど、皆さんは鉄道模型趣味、Nゲージ趣味をどんなふうに楽しめているでしょうか。
そして、その中身はきとんと2020年につながっていきそうでしょうか。

飽くまでも当方の主観であるとお断りした上で。
昨年のNゲージの市場動向を見ている限り、明るい見通しは少なく、この市場動向に寄りかかりながら趣味活動を続けていくことがますます難しくなっている、ようです…



まず、「上流」から流れていた新しい価値の提案がほぼ途絶えました。

以前にも申しましたとおり、鉄道模型趣味はあらかじめ時間軸が埋め込まれたものなのに、このメリットが生かされていないのは何ともモッタイナイ。
そしてまた、時間軸を遡って新しいジャンルや世界観を広げようとしても「最初に打つ駒」が非常にショボイのです。
新規金型をふんだんに投入したその形式、その車両には今後の展開を覚悟したようなメッセージがないから、ユーザーは「?」となって追従できないままでいる。
「背景」や「書き割り」のような車両から描くのではなく、誰もが主役だと感じることのできる「強い」車両を、記号的にではなく具体的なイメージを抱かせて、最初の一手として盤面に置くことが強く求められています。

「選挙結果」を買おうとしてもそのときには牽引機がないとか、「ノーマル」を買おうとしてもその前の「ノーマルでもないもの」に続きがあると思ってもいなかったからスルーしていて云々、とか(だから「ノーマル」がダブつく)。
新企画をおそるおそる小出しにして、観測気球を上げながら不安げに前進する傾向も強くなってきました。
中流や下流に対して「先見の明がない」とでも言いたいのか、価値の発見を(在庫を抱える)小売店やユーザーに、やや乱暴的に任せている気配も感じられています。



そして、その必然として「疲れる選択肢」が多くなっています。

時間軸を意識して掘り下げる発掘力、新しい価値を提案する企画力に乏しいから、無難に(マーケティング的に)誰もが知る内容で勝負しているように見えるんです。
だから、仮にそれが他社製品や既存の自社製品と競合してもブレーキをかけずに「ええい、やってしまえ」、となる。
ときにその決断は、ユーザーが従来製品で満足できているものとそうでないものの区別、分析ができていないまま行われているようにも見えてしまうため、こうした思考により用意された選択肢はユーザーにとって非常に悩ましく、苦痛を与える結果を生んでいます。

振り返って2019年は特に、メーカー間を含めて想定外の「買い直し」を迫るリニューアルものが見られませんでしたでしょうか。
既存製品にソコソコ満足していたのに、妙な作り直しをやろうとするから、それらが一気に陳腐化して見えてしまうんです。
買うと決めても「発売日が待ち遠しい」という気持ちになることなどなく、逆に「あー、もう発売されちゃったのか」と気づいて、重い腰を上げて模型屋へ。
こんなこと、以前はありませんでした。
「少しでも新しくなるなら仕方がない、買うか…」という消極的な動機で財布を開ける虚しさは、上流の聖職者たちにはもっともっと想像してもらいたい。
消費行為の満足感がどんどん失われており、その逆に罪悪感(「オレ、何に金を使ってるんだろう」ていう気分)がどんどん増幅しています。
この傾向、一体どこまで続くんでしょうか。



さらには、ユーザーから見て理解できない価格の上昇が起こっています。

もはやマイクロエースだけのことではありません。
むしろ、マイクロエース製品の価格上昇の原因は比較的はっきりしていたのに、今起きている他社の上昇要因はユーザーにとって不可解なものに見えています。
もし「この企画、これくらいしか売れないだろうから…」という生産数から逆算して決められた価格であるならば、そうした“つまらない企画”のシワ寄せを、最終的にユーザーが背負っている構図にもなるのです。
2020年は、ユーザーが新製品を賢く選択していくことも必要のようです。

なんならば、安いプラ製の16番を1年に数回だけ手にして、それを遊ぶ方へ転向しちゃいますか。
そうした傾向を読んで、16番をメインに移す模型店もあると聞いていますが。




以上は「企画」を源泉とした懸念材料。
これら以外にも「品質の低下」という点が気になっています。

「曲がったボディ」なんていうのは論外。
溶剤による接着を含めた組み立て工程は、「完成品」というよりは「キットを組み立てたもの」ということです。
幌パーツがない完成品は、カトーでは1980年代までに放棄した仕様ですし、使用するLEDが多い製品は、導光技術(設計力)の低さを隠すためのものとも見えます。
隠蔽力のある塗料の選択、的確な印刷手段の選択はできているのか、ホコリを巻き込んだり泡立てたりした塗装はしていないか、などなども、生産の段階での現場スタッフの愛情不足、乱暴な工場出荷があるように思うのです。




「ニューホビー系」と言われる鉄道模型の規模の拡大も気がかりです。

前述の価格上昇傾向をフォローする形で低廉価格帯をカバーする立ち位置は、新規ユーザーに示す入口としては適切であるかもしれないけれど、Nゲージ全体の品質、レベルを地盤沈下させてしまってはいないでしょうか。
多少オーバーですが、1980年代初頭の標準仕様へ後退しているような気がしています(「ライトなんて点かなくてもいい」とかね)。
あちらこちらを見ていると、結局のところ、ニューホビー系もヘビーユーザーによって買い支えられているようですから、ヘビーユーザーが「この仕様で可」としてしまえば、メーカーとしてもその売上を「ユーザーの支持がある」と肯定的に捉えてしまうでしょう。
模型店でうず高く積まれた「軽めの箱」の山を見てしまうと、その占める分だけNゲージのレベルが変化したことに気づかされます。
この傾向が、老舗模型店をプラモデル店っぽく変えてしまったことも事実なのです。



*     *     *



とまあ、数年前からこんな風に見ていたところ、2019年はその主観がさらに極まってしまった印象です。
新製品が模型店に並んでもネット上では大きな話題にならないまま時間が経過していく。
数年前までは当たり前のように起こっていた現象が今ではほとんど見られなくなりました。
これほどまでに新製品のウエイトが軽くなった年は、思い出してみても記憶の中に存在しません。

ですから、もう手持ち品で遊ぶことを「考える」だけでなく、実践しなければならないなと。
(厳しい言い方になりますが)最近は、模型店よりも自宅の模型部屋にいる方が楽しめるはずだと、そんな気がしているのです。





これ、あの「はま◯す」を慌てて買いに行ったあの頃、レイアウト定規で書いていた我が家のレイアウトの図面です。
だから着工は2001年。
そんなときからだいぶ年月が経過してしまいましたが、まだ身体的に異常がないうちに趣味生活の基盤を転換させることができました。





「このままじゃ一生モノにできないナ」という危機感から、2016年にギアをトップに上げたレイアウトづくりは、2019年、ひと通りシーナリーを完成させるところまでたどり着きました。

2020年からは、よく言われる「レイアウトに完成なし」という言葉の中で(やっとこの言葉を受け止められる頃合いになりました)、より納得できる風景へ近づけて行こうかなと。
そんでもって、これまでに「買いためた」手持ちの車両をレイアウトの風景の上で振り返ることができたら、もはや「上流」の動向など気にしなくても遊んでいけるはず。
ぼんやりと、そんな趣味活動を描いています。





2020年は例の世界的イベントが控えており、例年以上に「文明」くさい1年となりそうです。
そんな中においても、ブレずに「文化」的な価値を持ち続けていたい。
このことは鉄道模型趣味においても同じです。


それでは、2020年もよろしくお願いいたします。



  1. 2020/01/01(水) 00:01:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:10

よいお年をお迎えください。



2019年12月29日 岐阜県中津川市にて


2019年も残り数時間となりました。
1年間お付き合いいただき、ありがとうございました。


しなのさかいの駅前広場





  1. 2019/12/31(火) 12:00:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

さようなら、思い出の竜宮丸

こんばんは。しなのさかいです。

前回、秋の色を求めて諏訪地方をウロウロしたところで「つづく」としていました。
今回はその続きとなります。




御存知かもしれませんが、諏訪湖にはいくつかの遊覧船が浮かんでいます。
そのうちの一つ、なんともユーモラスで思わずほっこりしてしまう外観の「竜宮丸」が、2020年3月に引退することとなりました。
先日、どこからとなく引退のニュースに接したため、仕事も手につかないほど気落ちしてしまい、どうしようかと悩み続けていたところだったんです。

我が家はこの船に何度もお世話になっていますので、思い出も深く、このまま冷たいお別れとなることは出来れば避けたい。
こんな理由から、竜宮丸のお別れ乗船を目的〈その2〉とした、というのが今回の「諏訪攻め」の真相だったのです(少々オーバーですな)。





でも、何故それほどまでに「思い出深い」のか。
それは我が家の旅行スタイルにあります。


2000年に長女が生まれてからの我が家は、なるべくお金をかけずにフィールドワークをすることを心がけてきました。
もちろんTDL的な何かを思い出の場所などにしたくなかった…という意図も強かったと思います。
なので、その長女が1歳の頃から連れ回した場所は『旅行読売』で取り上げられるようなところばかりとなってしまい、具体的に言えば、夏は伊豆、秋は信州という結果。
温泉とささやかな味覚、それにさりげない旅先の日常風景を求めて、ただそれだけを目的として車を運転してきました。

しかし、それだけではある種の虐待であり、子どもの心理としても退屈になりますよね(たぶん)。
そんな気分を紛らわす(ごまかす?)には、ココ諏訪湖にある「カメのおふね」は、TDLに匹敵する有効なアトラクションだった、というワケ。
当然ながら2005年に次女が生まれても同じで、このカメは諏訪湖にたどり着けば「いつでも居るもの」に。
竜宮丸は、いつしかそんな存在となっていったのでした。

こんなこともありまして、夕飯を囲みながら我が家の女三人に「最後になりそうだから、行くよ」と告げても際立った異論など全く出ず(?)、アッサリと諏訪湖行きが決定したという次第なのです。





だけど、現地入りしても「運航していない」のでは洒落になりません。

仕事の日の昼休み、誰にも見られないところへ身を隠しながら、現地事務所へ電話で問い合わせたところ、「うーん、その日はカメは…」との渋い回答がありました。
え、もしかして運航していないの???

そんなことはありませんでした。
乗船するつもりの日は午後に団体客の予約が入っているので「流動的な運航の予定」とのことだったのです。
「竜宮丸」はキャパが少ないので、団体客のためには「すわん」を動かしているんだとか。
このため、竜宮丸の登板が何時になるか決められない、ということなんですって。
こういうウラ事情は全然知りませんでした。
何事も直接聞いてみるもので、こうした行動規範はホビーショーから学んだことでもあります(笑)

しかし、こちら側の引退を意識したお別れ乗船の試みを告げると、スタッフの方は電話口でとても喜んでくれましてね。
「とにかくその日のカメは運航状態ですから、何時とまではお約束できませんが是非いらしてください」との回答を得ました。
これでひと安心。
旅立ちの前にはこんな経緯がありましたことも付け加えておきましょう。





2020年3月は完全な運航終了で、定期航路での引退はこの12月。
まあ、気軽に乗ることができるのは12月までのようです。
危ないところでした。

実を言うと、出発前まではこの「12月まで」と「3月まで」という二つの情報を得ていたので、少々混乱していたのです。
1月以降は、遠くから乗りに来る人にとってはスケジュールの調整に手惑うかもしれません。
巷の情報が入り混じっているようですので、皆さんの中でお出掛けする際は御注意くださいまし。





きっぷ売り場で「次の竜宮丸は何時発ですか?」と尋ねると、「えーと、次のカメは13時30分ですから…、約1時間後ですね」と窓口氏。
手元をのぞき込むと、この日の時刻表の13時30分の欄に手書きで「カ」と書き加えられていて、ちょっと笑ってしまいました。

お気づきになりましたでしょうか。
先の電話での回答もそうでしたが、現地スタッフでは「竜宮丸」とは呼ばずに「カメ」と呼んでいるようなのです。
おそらくどのお客さんもそう呼ぶから、次第に正式名称ではコミュニケーションが成り立たなくなったんではないかと。

「あのーカメに乗りたいんですけど、いつ出航しますか?」
「あー、竜宮丸のことですね」

なんていう風にイチイチ訂正していたら、会話にトゲが生まれるでしょうから。
こんなところに、この船の現地での馴染み方を感じてしまい、ホッコリしてしまったのです。
我が家で「カメのおふね」と言っていたのもどうやら間違いではなかったようです。





そのカメが諏訪湖に到着したときの写真がありましたので、ちょっと。
1976年ですから昭和51年になります。
皆さんはどんな風にこの世にいらしたでしょうか。



ここで、出発まで時間があるので、湖畔のベンチに座って、あの茅野のパン屋さん「となりて」で買っておいたパンを食べてひなたぼっこ。
ココで食べようと思っていたことは事実です。
年末は強烈な寒さでそんなことは不可能ですから。
この日はなんとも暖かくて、コートなど要らない不思議な気候でしたね。







定刻10分前になり乗船。
親ガメの上にある子ガメは、体育館にあるような折り畳み椅子が数個出されただけのちょっとした展望スペースで、運航中ずっといることには不向きです。

以前の稿でも触れたとおり、乗船直後はこの狭いスペースに上がろうとするお客さんばかりなので、息苦しくなったであろう螺旋階段の上からは悲鳴に似た声が漏れ聞こえてきます。
そのお決まりの過程をこんな所からニヤニヤと見ている我が家はいやらしいし卑怯かもしれませんけど、何度も何度も学習を重ねた結果なのでお許しいただくとしましょう。
こうしたアナログチックな楽しみが確かにこの「カメのおふね」にはあるんです。





操舵室も少し。





親ガメのシッポ。
経年劣化が激しく、これ以上の活躍も無理なんだろうなと諦めるしかなく。
44年間、がんばって働き続けたんですね。





湖の上から見る山並みもイイ色をしていました。
年末の頃では、ここから見る景色はすっかり灰色。
やっぱり「秋」は貴重なのです。









30分弱の遊覧が終わって下船し、名残惜し見ながら手際よくパチパチと撮影しました。
こうして思い出の場所がまたひとつ消えていきます。

おそらくこのカメは、保存などされずにスクラップにされてしまうでしょうが、鉄道車両と同じくカタチあるものですから、これは必然であり、止めることもできません。
せめてものお別れ乗船ができただけでもヨシとしましょう。

もし皆さんの中にもこの竜宮丸に思い出を残されている方がいるのであれば、今のうちの御乗船をオススメします。
もちろん乗船したことがなくても、一度いかがでしょうか。
さりげない乗り物でも、無くなってしまえば寂しいもの。
そして何よりもこれから先、こんなにユーモラスであり「子どものため」の形をした遊覧船は二度と現れないと思います。
その証拠に、竜宮丸と入れ替わる新造船は、なんとなく大人向け。
この秋、民放テレビ局のゴールデンタイムから最後の子ども向け番組が駆逐されたように、今の時代、どんどん「気持ち」に余裕がなくなっていくようで心配です。
「カメのおふね」は、そんな時代の流れの中で浮かぶ最後の「のりもの」だったのかもしれません。

さようなら、思い出の竜宮丸。



□      □      □





カメの親子にキチンとお別れをした後は、娘たちの御朱印集めに協力することとし、諏訪大社の四社を

①下社・秋宮(しもしゃ・あきみや)

②下社・春宮(しもしゃ・はるみや)

③上社・本宮(かみしゃ・ほんみや)

④上社・前宮(かみしゃ・まえみや)

の順にラリー(正式には「四社参り」)。
この日は土曜日で、郵便局巡りは無理ですから、こんなサービスもしてあげないと。







紅葉を楽しみながら御朱印の仕上がりを待ちました。
自分が郵便局を巡っているときはゼイゼイハアハアという感じなのですが、いざ待つ方になってみると結構余裕があるもので、いろいろと観察できることに気づきました。





しかしながらこの日は、下社・春宮だけ上手く御朱印帳を裁けていないようで、当方のような素人が見ても中はテンテコマイの御様子。
御朱印ブーム、加熱し過ぎて逆噴射がかからなければイイんですけどね。
もっとも、我が家のような旅の傾向の中では親和性が高い趣味(?)と言えそうです。
子どもが楽しめているというのは、親としては無条件に楽な気持ちになるものでして(笑)





行政区分的には「茅野市宮川」となる上社・前宮でスワ・ショートラリーをフィニッシュ(わざと横文字風に書いています)。
四社参りの景品は巾着袋だったようです。
ちょうど17時になろうかというところでして、我が家の他にも一人で汗だくになりながら参拝と御朱印をこなす男性がいました。


こんな頃合いで長女が「なにかうまいものを食わせろ」とおっしゃる。
一瞬、あの「さんれーく」岡谷店が頭の中に浮かびましたが、コアラの郷への再訪はもう少しだけインターバルを開けておきたくなりましてね。

考えた末、以前から気になるお店があるので(またです)、諏訪インターから中央道を駆け抜けて一宮御坂インターまでワープ。
すぐさま石和温泉方面へ走り、温泉街の近くにある洋食店「ドンキホーテ」さんへたどり着きました。
念のために申しますと、20号バイパス沿いにあるディスカウントストア「ドン・キホーテいさわ店」のことではありません。
18時過ぎなので開店したばかりのようで、我が家以外にお客さんはまだおらず。
メニューを見て長女が「ハンバーグ!」と言うので、自然と全員がハンバーグをお願いする流れになりまして…、





運ばれてきたハンバーグステーキがドーン!
とんでもないボリュームになっています。
運ばれてきた瞬間、サラダとの位置関係、遠近感覚がつかめなくなってしまい、少々焦りました。





肉汁がジュワって。
美味しさについては語らなくてもお分かりいただけるかと。

帰りがけに女房殿が「このハンバーグ、一体何グラムだったんですか?」と聞いたところ、「うーん、測ったことがないから分からないワ」というあっけらかーんとしたお返事がありまして、これまた凄いことだなと感心。
予備知識を曖昧にしたまま訪問したこのお店は、どうやらデカ盛り方面のそれだったようです。
あ、御飯は普通でしたよ。
ハンバーグステーキが1,000円、ライスが250円でした。


お店を後にし、車の中で「当分はハンバーグを食べなくてもいいね」という意見で全会一致、本案は可決成立です。
その後、ほったらかし温泉へ向かったという事実は、もう語るまでもないでしょう。


ではまた。

  1. 2019/11/30(土) 20:20:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

秋の色を求めて信州へ

こんばんは。しなのさかいです。


Nゲージの世界では、いよいよ「年末アイテム」のリリースが始まった感のある2019年の11月後半。
この時期だけは半強制的に模型店の賑わいが演出されるため、ユーザーとしてもヤキモキしてしまう頃合いです。
しかし、以前にも申しましたとおりこのまま12月の年末ムードに突入してしまうのはイヤ。
緩衝材となる秋の風景をしっかりも目に焼き付けておこうと思い立ち、信州を散歩してきました。
今回はちょっとそんな話題です。





いつものように、自宅から車で中央自動車道を2時間程度走ると、小淵沢への陣地転換が完了します。
夜のうちにここまで移動しておくと、次の日の休日を朝から晩までフル活用できるというワケ。
そのためには、一見無駄に思える宿泊費用も立派な必要経費になるのです。

娘二人は巨大化が著しいので、もはや「ファミリーロッジ旅籠屋」さんの一部屋では厳しいのですが、何せ家族4人で泊まっても11,000円ですから(この日の料金は)。
今回もしっかりとお世話になりましたョ。





翌朝はいつものように旅籠屋さんの目の前で「練習」。
関東平野は大雨だというのに、さすが年間日照時間が長い北杜市、小淵沢です。
すっかり中央東線の主となったE353系による「あずさ1号」松本行がやって来ました。
よしよし、秋の色がちゃんと写っている。





こちらは普通・甲府行。
211系3000番台(3両編成)です。
新駅舎になって跨線橋にはエレベーターも。
悲願のバリアフリー事業は終わったようです。
高原の朝の空気をお伝えすることがお伝えできていれば良いのですけど。





「あずさ1号」に続いて下りも普通列車が。
近くに踏切なんてありませんから、いつカーブから列車の顔が飛び出してくるのか…。
以前からココは緊張感が漂う場所だと勝手に認定しています。

ところがこの日はなんとなく「来る」と分かる。
空気が澄んでいで静かだからなのか、それとも当方がニュータイプだからなのか、原因はさっぱり分かりませんが、とにかくそんな気がしてこの朝は面白かったです。





チェックアウトして、早速「秋の色」を探しに長野県・富士見高原へ。
小淵沢を発って10分も走らないうちに県境を越えました。

ちゃんと真っ赤なモミジがありまして、車を止めてしんみりと。
誰もいないし、前日夜の雨の名残りもあって空気も美味しい。
やはりこうした体験は朝からココに居ないと無理なのだと思いました。







原村に移動して、地元の野菜だけを選んで買い物。
ここはすっかり女房殿にとってのパラダイスとなっていて、例の「夏のスイカ」のようにズッシリとしたデッドウエイトが車に乗っかることとなりました。
どうせ野菜は家の近所でも買うのものなのですから躊躇なく、っていうやつです。





次は、娘二匹の要望でアイスクリーム。
この辺にはあちらこちらにアイスクリーム(ジェラート)店が点在しているようで「31番」のお店しかない都会の人間から見れば何とも贅沢。
駐車場だって問題なく確保されていますから移動も楽です。





そこから見える景色も、しっかりとした「秋」。






桜の季節と同じように、この褐色の景色も気がつかないうちに、あっという間に過ぎ去ってしまうもの。
齢を重ねたせいか、このはかない秋の景色のありがたみが分かるようになりました。
「四季に恵まれた日本」なんてよく誇らしげに言われますけど、都会に暮らしているとこのことを体感するセンサーは自分の肌だけなのだという事実に改めて気づきます。
タイミングよく、そして積極的に「見る」行動を取らないと、その年は夏と冬がピタっとくっついてしまう。
「秋なんてあったっけ?」「つい昨日までは半袖だったのに」っていうやつですよ。
多くの日本人のイマドキの季節の感じ方とは、おそらくそういうものなのでしょう。





昼はパン屋さん。
茅野市の国道152号沿いに建つお店でいろいろ買い込みました。

NHKのBS方面では『パン旅』という番組を不定期に放送してくれており、パン屋ほどそのお店の個性とその土地へ足を運んだ意味を楽しめる存在はないなーと気づき始めているところです。
女房はその影響もあってパン屋巡りにポジティブになっており、“ヤマパンマニア”である当方も利害一致ということなんです。
娘二匹の意向は確認していません。
既にアイスクリームで買収済ですからね。



この後は茅野から諏訪へ、国道20号を走って移動。
途中、今年の鉄道模型業界では何かと話題の「ピーエム・オフィスエー」の本社兼ショップに差し掛かるもの、寄ろうとするには同乗者たちに面倒くさい説明が必要になりそうなので泣く泣くスルーしました。
だってねぇ、建物外観からは秋葉原系キャラ(たぶん諏訪姫)の絵柄しか目に飛び込んでこないので「お父さんの趣味」に転向があったと思われるのも極めてハイリスクじゃないですか。
鉄道模型を手掛けるようなお店にはまだまだ見えず、この点、厳重に改善を求めておきます(笑)


そして、ホビーショップ丸信さんを強行偵察して、諏訪湖へ到達。





今回の旅のもう一つの目的が見えてきました。
カトーから「トワイライトエクスプレス瑞風」が発売され、こんな話題をやっているときではないのですが、もう少し続けます。


(つづく)

  1. 2019/11/28(木) 22:00:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

スイカを積んで、コアラの郷へ

おはようございます。しなのさかいです。

想定外だった奥飛騨の鉄分補給ネタを投下しました。
夏のフィールドワークについては本来ならそこでおしまいにするべきところなのですが、どうしてもあと一つだけお伝えしたいことがあり、本稿で「本当のおしまい」とさせていただきます。



例のキハ27に別れを告げたあとは、関東平野への帰路。
しかし、すんなりと帰ってしまうのももったいないし、せっかく標高の高い土地に来ているのですから、涼しい想い出を残してから「下界へ降りよう」ということになりまして、近場の「平湯大滝」へ転進しました。





その平湯大滝は、最寄りの駐車場から歩いて15分くらいだったでしょうか。
日差しはあるものの、気温は25℃という久しぶりの快適な数字にありがたみを感じました。

で、到着したら場所から1枚…なのですが、川沿いの展望スペースから先はロープで「立入禁止」となっていて、水に触ることすらできず。
確かにマイナスイオンは浴びているものの、これでは少し物足りない訳です。
マイナスイオンを目で見ることができない…ということもその気持ちに影響していますので「どこか親水公園らしきものはないか」とその場で検索しました。





そしたら、ちゃんとあるんですよ。
キハ27の方へ戻る形となりましたが「たるま(垂間)の滝」のすぐそばに砂防施設があり、どうもその工事に併せて造られたと思われる親水公園がありました。





この小屋が足湯風に親水できるようになっていたので、早速下の娘と足を入れて確認。

その水温は冷たいというレベルではなくて、もはや「氷水」でした。
こんな真夏なのに。
浸かっていると足の感覚がヤバくなってきて「うひゃー」と叫んで足を上げ、そしてまた浸かる…、以降その繰り返しでして、そのサイクルタイムは10秒というところだったでしょうか。





8月の上旬だというのに、僅かですが紅葉が始まっていました。
きっと寒暖差が大きくなってきているのでしょう。
皆さん、秋雨前線の出現も早いようですし、今年の秋の訪れは結構早いかもしれませんよ。




その後は、定石どおりに安房トンネルを抜けて長野県へ。
国道158号を一路、松本盆地へ降下しました。

ところで、この日(8月10日)はお盆休み初日、そして三連休初日ということで、登ってくる車は皆、関東平野からのものばかり。
沿道にある数多の有料駐車場には、上高地を目指す人々が乗り捨てたと思われる車で溢れかえっていて、ただただ「おつかれさまです」と黙祷しました。
そしてそこからはアルピコバス軍団の大活躍ということなのです。

我が家はこのルートを何度も(同じ方向で)利用していますけど、上高地へ行ったことは一度もありません。
景色が良くても「そこまで」して行く気がしないのです。
足尾銅山がこの国における工業公害問題の原点であるように、ここ上高地はこの国における観光公害問題(つまり「オーバーツーリズム」)の原点です。
1975年から始まった上高地のマイカー規制、パークアンドライドは、それなりに観光地の風致保全に資しているようですが、駐車場の混雑ぶりを見ると、根本的な解決には至っていないような気がします。
結局のところ、観光公害を許容する地域をオフセットしているだけですから…。
「殺到」という本質は依然としてそのままのようです。



松本盆地へ下りきって松本電鉄と併走し始めると、今度は沿道にスイカの即売所が並び始めました。
「そうか、スイカの産地なのか…」
でも、ここは安易に適当なお店へ入るのではなく、冷静に検索。





お昼過ぎでしたが、なんとか間に合いました。
JA松本ハイランドの「すいか村直売所」が開いていることを知り、サクッと急行。
ナンバーを見たところ、ココは地元の方々が多く利用しているようでしたね。
帰省する家族のためなのか、続々と車が集まってきて、緑色の球体を買い求めていました。
そんな場所に混じりましたので、我が家の旅行のミッションである「ニセ県民化政策」は、またもやクリアです。





朝に収穫したものを提供しているのでしょう。
この日の分は売切れ寸前で、なんとか一番大きいやつをためらいもなくゲット。
お値段は女房殿曰く「やすい!」という反応があるものでした。
お聞きになる方々の感じ方も多様ですから、具体的な数字は書かないでおきます(すんません)。
甘味の保証については言うに及ばず。
我が家の小さい車には、EH200のようにズシリとデッドウエイトが載りまして、再び出発。





その後は、以前Sさんに教えてもらってから家族でファンになった有明の「くるまや」でお昼にしようと向かったんですが、お店の前には驚くほどの行列。
連休初日はこんなところにも影響があるようでして、残念ながらここでの食事を断念。

異常に狭い入口から恐る恐る進入した謎の駐車場を出て、やはり娘たちの御朱印集めを優先してやることとし、久しぶりに穂高神社へ。
バカ暑い松本盆地でも、厳かな雰囲気のある神社では少しだけ涼しくなる気がしました。


松本市内へ入り、さらに四柱(よはしら)神社で御朱印。
んでもって上の娘が「白樺の大地」を買いたいというので、駅ビルMIDORIを目指しました。
何度も同じ場所に連れてくると、子どもとはいえよその土地でも勝手が分かるようで、親に対するリクエストもより具体的になってきています。
その方が応えやすくて楽、とも言えますが。





MIDORI提携駐車場のすぐウラには211系が。
アルパインブルーの「長野色」がいかに秀逸であるかが分かるような気がして1枚。
この色が登場して四半世紀が経ちますが、この色は民営化により登場した地域色のロングセラーです。







松本駅の211系とE353系。
お盆休みの大量輸送が始まっていて、夏の飾り付けで満たされた駅コンコースは帰省客でごった返していました。

それだけでなく、松本城を目指す欧米系のバックパッカーも地図を見ながらウロウロ。
なるほど「お城」というものはそれだけで海外に対するアピール力を持っているようです。
それ以外にも、駅前には「サイトウキネン」のイベントを告げる横断幕が飾られていて、小沢氏の顔写真がバーンと。
松本が持つ武器の揃え方は世界的レベルですねー。
そういえば、木造復元を目指す名古屋城は手続的に大変なことになっているようですが、大丈夫なんだろか。



□ □ □



ここまで来て、この日はマトモな食事をさせていませんで、それはそれでマズかろうということになりました。
この時点で16時頃でして、最後の晩餐をキチンとしておかないと、家に帰っても何か言われそうな雰囲気に。

そこでひらめいたのが「懸案事項」の解決を兼ねた作戦です。
時間調整を兼ねて、あえて長野自動車道を使わずに、国道19号・20号で諏訪盆地へ向かうこととしました。
夕暮れ時の塩尻峠を〈諏訪盆地向きで〉下りる絶好のチャンスでもあるし、ということで。
荷室には荷物に挟まった巨大なスイカがデンと座ったまま、気持ち良い20号のワインディングを走り抜けました。
夕暮れ時の塩尻峠が素晴らしい展望ビューを備えていることは言うまでもありません。





18時過ぎに目的地到着。
ココは岡谷市で、岡谷駅から歩いて数分の場所。
ファミリーレストラン「さんれ~く」岡谷店といいます。





グランドメニュー。
真ん中には、寂しそうに(?)こちらを見るコアラの家族が。

店内は1980年代の「おしゃれ」感がそのまま保存されたようなインテリアで統一されていて、とても懐かしい雰囲気。

繰り返しになりますが、ちょうどお盆休みの初日ということもあってか、我が家がメニューを眺めている間には、地元に帰省した人を含む3世代(あるいは4世代)の大人数家族が数団体入店してきて、程よく席が埋まっていきました。
そのうち「おばあちゃん、いいのー? ごちそうさまー!」なんていう声も(おばあちゃんに金を出させるんかーい)。

ウエイトレスさんは少し御年配の方で(本当にゴメンナサイ)、その辺も「ローカルファミレス」感満載でした。





「洋食屋さんのハンバーグ」というものを注文してみました。
ハンバーグ自体は他のメニューのものと一緒のようですが、上に乗せるモノやソースが独特で、なるほど確かに洋食店で出てくるような個性的な味になっていました。
アイデアで生まれた良メニューと思い、次に来たときもこれにしようと決心。
1時間強の滞在で「ニセ岡谷市民」となるミッションは大成功でした。





以前から、このお店の前を通るたびに、どこか「すかいらーく」のような雰囲気が気になっていました。

いや「気になっていた」というのは少し違いますね。
申し訳ないのですが、最初に見たときは正直「パクリか」と思ってビックリしたものです。

念のために説明しますと、今の「ガスト」は1990年代初期のバブル崩壊時に「すかいらーく」店を格安型店舗へ転換したものです。
その「すかいらーく」のロゴはボヤっとした、どこかやる気のなさそうな気配が漂う鳥のマークでした。
「…らーく」と「…れ~く」は似ているし、ロゴも同じ線を突いているという印象。

このファミレスの出自は専門外なのでよく分かりませんが、検索したところ「パクリ」なんていうのは失礼なルーツがあったようでもあり…。

まぁそんなことよりも、諏訪地域に展開していた「さんれ~く」は他店舗の閉店が相次いでいるようで、現在はココだけのようでもあるんです(確認していませんのでご注意を)。
せっかくお店の中に入る機会を得たというのに、この岡谷店までおかしなことになってしまっては大変なこと。





それとですね。
このコアラのマーク、不思議なことにとても心にしみるんですョ。
目が合ってしまうと、なんだか「おねがい」というコアラたちの声が聞こえてくるような気がして。
しかも「親子」で見られているから、なおさらなんですよね。

だから、このロゴマークでのグッズ展開があったら真っ先にお布施したいなぁ。
「諏訪姫」とのコラボでやってくれないかしら。
絶対にヒットすると思うんですけど。



かつては都会のカルチャーをそのまま地方にも…という意図でオープンされたのかもしれませんけど、そのカルチャーの変化をフォローする手間暇、情報の収集は大変な苦労を伴うものです。
だから、現在の地方都市のロードサイドに出店している数多の店舗は、東京や大阪の資本によるものばかりであり。
したがって、流行の変化をフォローするスピードに遅れなどはありません。
その意味において、地方の郊外は完全に〈よそ者〉の商業圏となっていますから、雇用以外に地方は潤わないシステムが完成しているのです。

独立系で狼煙を上げればいずれ疲弊するし、都会の大手資本がやってくれば真の意味で地元は潤わない。
このバランスの保ち方、難しいですよね。

とはいえ、前者に入るであろうこの「さんれ~く」は、皮肉な運命なのか、今の都会人にとってはどこか「懐かしさ」に包まれており、80年代の家族の団らん、特別な週末がこうしたファミレスで営まれていたことを思い出させてくれます。
当方はそんなことに気づき、年末の再訪を決めたのでした。

「さんれ~く」岡谷店、もう最高です。
遅ればせながら、これからキチンと通わせていただきます。





旅の最後は、上諏訪の片倉館でのお風呂。
風呂から上がると、目の前の諏訪湖では、大会前なのに15分間の盛大な打ち上げ花火が見られました。
何かとおトクな諏訪盆地でした。



盆踊りから始まった今回の旅は、気がつけば「夏休み・完全セット」というレベルにまで仕上がっており、何とか満足できるものになったようです。
次は年末の「さんれ~く」再訪ですかね。
その際には食後のデザートも頼むことにしましょう。
それから諏訪湖遊覧船「竜宮丸」の引退にも向き合わなければなりません。


ではまた。

  1. 2019/08/30(金) 08:10:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:5

奥飛騨で真夜中の夢を見る

こんばんは。しなのさかいです。


郡上八幡を離れた後のことを書いておかなくてはなりません。
その後は国道256号経由で国道41号に出て、高山本線に沿う形で北上しました。
下呂温泉はバイパスを素通りです。





2019年8月9日「ワイドビューひだ12号」(高山本線・上呂–飛騨萩原間)

そんでもって、素人ながら大好きなキハ85系が走っている事実には背を向けられず、グースカ寝ている家族を車内に残して1枚。
もしかしたら、キハ85系はこれが見納めになるかもしれません。
1989(平成元)年デビューですから、平成時代30年間、ほぼ外観を保ち続けての大活躍です。
ですからこの車両に想い出を持つ方は多いんではないないかと。





飛騨一宮水無(みなし)神社で娘たちは御朱印。
普段は当方が何かと待たせる側の人間ですから、こうして誰かの趣味に付き合って休憩するのも悪くないということに気づきました。
とはいえ人を待たせることを開き直ってやるつもりはありませぬ。
周囲をゆっくりと観察して、飛騨にいることを実感。





飛騨一ノ宮駅前の宮村郵便局で851局目の旅行貯金。
水無神社を描いた風景印もありました。
タイミングよくキハ25系の普通列車が到着し、大きな楽器ケースを抱えた高校生が降りてきました。
そういえば吹奏楽コンクールの真っ最中だったんですね。



□ □ □



さて、ここからは少し説明を必要とします。


今回の旅は、プランがなかなか決まりませんでした。
なぜかというと、中二の次女が所属する部活の夏休みの練習スケジュールが、なんと夏休み直前まで開示されなかったからなのです。
昨年度の顧問は4月早々に年間スケジュールをバラまく程の「デキる」方だったらしいのですが、今年度の顧問は「忙しくてそんなことまで考えられない」と開き直り気味の発言をしたんだとか。

我が家だけでなく他の多くの家庭でも親の夏休みの取り方が決められず、結局家族旅行をドローにするなどの悔しい思いをしたそうで、娘から「今年は顧問に対する怨嗟が渦巻いている」との報告がありました。
そりゃそうでしょう。

で、我が家ですが、かと言ってそんな不作為に負ける訳にはいきません。
ギリギリまで待ちましたが、我慢の限界を越えたので当てずっぽうで旅行の時期に目星をつけました。
そんな中で女房殿の郡上八幡行きのリクエストがありましたので、旅館に問い合わせたところ、運良く8月8日なら宿泊OKという回答を得たのです。
これで同日出発による郡上八幡行きが決定しました。

ただ、1泊2日で相模国から美濃国まで行ってすぐに帰るのは余りにももったいない。
お盆休み序盤の日になりますが翌8月9日の宿泊施設も探そうと決めました。
そこで思い出したのは、とっくに締め切られた職場斡旋による宿泊施設。
ダメ元で、空室がないかどうかを確認したのです。


「運がいい」と思うことは、たまーにあるものなのですね。
なんとその8月9日の空き室が、同じ岐阜県の新平湯温泉で1室だけ発生していたのでした。
しかもその前後は全て満室ですから、決してヤバイとかそういう宿ではなさそう(失礼)。
ホテルのデータなど確認している余裕などありませんから「はいはい、そこでいいです!」と速攻で予約しました。


そのホテルは「奥飛騨ガーデンホテル焼岳」と言います。



□ □ □



日没前に到着しました。
車でそのホテルに近づくと何やら様子が変です。
どう見ても、そこには自宅の模型部屋に置いてきたはずの物体があるのですよ。





…。

夕食後にもう一度ロビーから出て観察したんですけど、これはどう見ても当方の大好物ではないかという結論に達しました。







間も無く此奴らがが「キハ27 551」と「キハ27 552」の2両であり、JR北海道の函館と札幌の間を夜行快速「ミッドナイト」として往復していた車両であると判明しました。
カーペットを敷き詰めて寝っ転がって移動できる、さながら青函連絡船の二等船室のようなサービスが18キッパーには人気でした(そうでもない方もいたようです)。





JR北海道での運行取り止め(引退)後、2001(平成13)年にこのホテルが開業した際、はるばる北海道から甲種回送で神岡鉄道・奥飛騨温泉口駅(2006年に廃止)まで運ばれてきたんだとか。
最後は同駅から陸送が行われたはずなのですが、こんな山奥まで、よくもまあやり遂げたものです。


お友達のキハ181つばささんにリンクを貼る許可を求めたところ「いいよーん」という心地よいお返事をもらいましたので、以下に現役時代のリンクを貼らせていただきまーす。

マル鉄・鉄道写真館〈キハ27:快速「ミッドナイト」〉

マル鉄・鉄道写真館〈キハ27:快速「北の京芦別号」〉





ホテルの方に伺ってみたところ、設置(?)から時間が経過して外板の腐食が激しくなったため、ごく最近になって上から鋼板を貼るという修繕を行ったそうです(側面のみ)。
もはや錆を落としてパテを盛って…というやり方ではどうにもならないという結論に至ったんだとか。
鋼板は細長い帯状のものを使ったのか、どこか明治・大正期の木造客車のように見えます(笑)





現在の用途はカラオケルーム、それからちょっとした催事ルームというもののようで、551は大部屋、552は複数のカラオケ個室となっていました。
当方は自慢できる喉を持っていないので、ココは外から歌っている人たちを観察(中の人から見れば迷惑な話です)。
常磐自動車道で見たような熟年風カップルが大部屋の方で熱唱されていましたが、その他に誰もいないので、給仕の係員の方が辛そうに立っていましたね。
お仕事、大変ですね。





乗務員室扉の手すり付近を見ていただくと、鋼板の厚みがお分かりいただけたけると思います。
スケールからすればほんの僅かですが、肉厚がマシマシです。



翌朝、明るい空の下でもう一度見てみることにしました。




色はゴールドというところでしょうか。
以前は青で塗られていたようです。
「保存している」ということでもないですから、この辺はオーナーさんの自由ですよ。







反対側(552)。
下り勾配を水平にするため、コンクリートの土台の上にあります。
ちょっと不安定そうに見えますが、




屋根から鋼材が降りていて、シッカリと車体を押し付けているようです。
これなら転がり落ちることもなさそう。
屋根にはエアコンの室外機までデンと乗っかっていました。




普段我が家で見ている小さい台車が150倍になって目の前に現れました。
デカイ!


んでもって、宿泊客であれば見放題らしいので、ズカズカと乗務員室に入ってみました。




この電話ボックスのような狭っこい座席に座って真夜中の札幌と函館の間を爆走していたのかと考えると、乗務としては過酷だったんではないかと。
というか、もはや「恐怖」です。





ラベルシールはおそらく20年前のままでしょう(笑)





床を見れば道産子だということが分かります。





バタンと展開させることができました。
もちろん座りましたよ。





それにしても、よくある保存車と違って、常時ライトと種別幕がいい塩梅で点灯していますので、生きている感じが素晴らしいと思いました。
特に模型をやっている身としては、その点灯具合がエロいんですよ(大笑)。
自宅で模型のライトチェックをやっているときと同じ点き方ですから。





その他、ホテルの方々に聞くと、皆さん実にいろいろと教えてくださるので、参考になりました。
20年も経っているからでしょうか、結構赤裸々でした。

ここへキハ2両を運んだ理由は、ホテル開業時にここから上のスキー場まで線路を敷設し、気動車で旅客を運ぶ構想があったからだそうです。
そのために、運転できる乗務員もわざわざ雇用し、移送後もしばらくはエンジンをかけてメンテナンスを怠らなかったそうで。
保存自体がなかなか難しくなっている今日からすれば、実に大胆なことです。





しかし、勾配が急過ぎることや、その他制度的な問題が判明し、運転を断念。
こうして線路は、ホテルから登り勾配となる坂道(駐車場)のど真ん中でブツッと切れたままとなったのでした。
やがて車両の方は倉庫と化し、その後カラオケルームに転用が図られたみたい。


思わず奥飛騨の山奥で鉄分補給をすることになりました。
あ、お風呂は火山性泉質の濁り湯で、源泉掛け流し、ホテル自家源泉。
あちこちで泉質が固まって白い結晶のようなものが固まっていました。
うっかりと湯元に近づくと「あぢぃ!」となりまして、それくらいの確かさです。

それよりも。
ココでは人生で初めての混浴露天風呂を経験しまして、気分はすっかり「土曜ワイド劇場」。
安心してください、ちゃんと湯衣(ゆあみ)を着用した上での混浴です。
古谷一行と木ノ実ナナみたいにはなりませんでしたが、たまにはこういうお風呂も悪くありませんネ。


おまけ的にもう一回続けます。
ではまた。
  1. 2019/08/26(月) 18:15:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

90年前の郡上八幡駅で見たロイヤルレッド

こんばんは。しなのさかいです。

郡上八幡の町のことを散々書きましたが、きちんと鉄分補給もしてきましたので、その辺のことも触れておきましょう。




町を出た後は、前夜に踊りの会場となっていた長良川鉄道・郡上八幡駅を訪問しました。

同鉄道の前身は言うまでもなく旧国鉄・越美南線で、意外にも国鉄が民営化される「前」の1986年12月に第三セクター鉄道として再スタートしています。
このとき、結ばれる予定だった越美北線とは運命が分かれ、北線は経営分離されずにそのままJR西日本へ継承。
今もそのまま存続しています。

この駅舎は1929年の越美南線開業時のもので、2015年には国の有形文化財に指定され、さらに2017年には開業当時に近い外観に復元されました。
さらにさらに、2018年にはカフェとテラスが設けられ、おみやげやグッズの販売もあり、来訪者に対するちょっとしたもてなしが行われています。





改札を抜ければ、この見事な佇まいなのです。
まるで映画のセットのようでしょう。
非電化路線の風景はまさにこうでなくてはいけません。





信号を扱う張り出し部分は、なんだかGMの木造駅舎のキットみたいです。
無駄なものは何もなく、往年の姿を見ることができます。





下り方面の乗り場を示す案内板は、どう見ても国鉄時代のまま。
国鉄フォントって見る人に優しさがあって、今見ても和みますよね。







さらに駅名板もありまして、昭和の香りがしていました。
「郡上」が小さくて「八幡」が大きい点がポイント高し。
当然ながら、所在地は「岐阜県郡上郡八幡町」です。
現在の郡上市は2004年3月1日、郡上郡7町村(八幡町・大和町・白鳥町・高鷲村・美並村・明宝村・和良村)の合併により誕生しました。





跨線橋に吸い込まれて…





階段を登って振り返ると、模型の世界そのまんま。
「わたしの旅スタンプ」の台がこういう階段の下にあったりしましたね。





ギシギシ音を立てながら渡ってみました。
どこもかしこも板、板、板。
首都圏ではすっかり見なくなりました。





下りの島式ホームから駅本家側を見たら、石積みのホームから全てがご馳走に見えてしまいまして、鉄道模型の可能性はまだまだあるなぁと思うのでした。
作りたくなりますよね、こういう景色をレイアウトで。
「鉄道模型コンテスト」では風景を大きく切り取ろうとする作品が多いのですけど、こういう視点であえて近視眼的に切り取ろうするのもアリなんじゃないかと思います。





蹄鉄機。
下の娘はこれがなんだか分からないとのことで、軽くレクチャー。
かつては、これを操作することに全身全霊を捧げていた方々がいた訳です。
それを現代の視点から「なんて非効率な…」と切り捨てる風潮もある。
せめて自分の子どもたちには、そんなメンタリティを持って欲しくないなと思いながら説明しましたが、本人に届いたかどうかは不明です。
まぁ、こんな地方の町に親と付いてきたこと自体を評価しましょうか(笑)



さて、列車がやってきましたよ。




2019年8月9日 郡上八幡にて 観光列車「ながら」1号

列車が来る数分前になると、ホームには大音量で「かわさき」が流れ、そのお祭りムードで乗客を歓迎するという仕組みでした。
そんな中で当方はカメラ、下の娘はビデオという役割分担。
この日からはお盆休みの期間は毎日運行となったようで、美濃太田からランチを楽しみながらお客さんがやってきました。
こんなときに撮り鉄をやる人は迷惑だったかもしれませんけど、少ない出迎え人の中の一人だったこともあるので大目に見ていただきましょう。





誰がどう見ても、あの方のデザイン。
JR九州の「アクアライナー」から30年が経過しましたが、やはり見ていてスペシャル感があることは間違いなく、人を惹きつけるアイテムとなっているようです。
現にこうして我が家も、町を離れたのだからサッサと次の目的地へ行けばいいものの、こうして駅で遊んでいるのですからネ。





食堂用の2号車はここで切り離し。
郡上八幡回転、上り「ながら」2号での営業に入るべく、ここで準備に入るようでした。





1号車はそのまま終点・北濃を目指します。
茶色い跨線橋との組み合わせが最高じゃないですか。
なんと車両と跨線橋とでは約90年の時間の差があるのですが、そんなに違和感がないという事実にも驚きました。





ロイヤルレッドが眩しい。





そして北濃へ。
「トミックスのながらを買っておいて良かったな」と思う至福が自分の中でピークを迎えました。
Nゲージをやる人間の悪いクセで、この後すぐビデオ撮影をしていた下の娘に「実はこの模型、ウチにあるんよ」と告げて呆れられましたナ。


その後「もう気が済んだ?」というオーラ全開の女房と上の娘がカフェからゆっくりと出てきて、4人ですっかり灼熱地獄に戻った車内へ戻ったのでした。
どうやら女二人は、冷房の効いたカフェで、オレンジジュースを飲みながら明方ハム製の「醤油フランク」を食べていた様子。
こうして旅の道中での“腹の空き具合”というものに遠心力が働いていくのです。
よくあるでしょ、「お腹すいたねー」「いや、そんなにすいてないよ」っていう虚しい会話(爆)




〈次回予告〉
さらに飛騨地方を鉄分補給しながら進むと“約束の地”には予期もせずに究極の「鉄分」が待っていた!
そこで見たものは、数多くの人々の魂を乗せたかつての方舟、そしてそれを守る人たちの苦悩。

次回、しなのさかいの駅前広場
「奥飛騨で真夜中の夢を見る」
ご期待ください。




注)JAMレポートを先行させるかもしれません。

  1. 2019/08/17(土) 22:00:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

気になるまち 郡上八幡(後編)

(前編からつづく)




翌朝、旅館をチェックアウトした後は、午前中だけ車をそのままにしておくことを旅館に頼んで、あらためて町を散策しました。





あの多治見市を抱える岐阜県ですから、気温36℃なんていうのはザラのようで、まだ9時台だというのに、既にその目盛りはバーストモード。
でも、不思議なことに適度に日影を選んで歩けばなんとかなるようでした。
木造の建物ばかりだからでしょうか。
鉄筋コンクリートだらけの都会と比べると、そんなところにも違いがあるようでした。
照り返しとか蓄熱とか、詳しくは知らないのですが、いろいろと比べるべき点があるのかもしれません。





それから、なんとなくですが、この町は元気なおばちゃんの姿が目立つというか、絵になる気がするんです。
そんなことを考えながら、遠くから正体が分からない程度に1枚だけ撮らせていただきました(ゴメンナサイ)。

家の前でおしゃべりをするおばちゃん。
そして、水路からひしゃくで水を汲んで打ち水をしたり植木に水をやるおばちゃん。
こうした風景も郡上八幡にはよく似合います。







町中の清流。
どこもかしこも水、水、水で、この流れが様々な町の生活と産業を支えているようです。
暑い夏の旅は、穏やかな水のあるところに限ります。





町の中心部を流れる吉田川には、早朝から釣り人が多数。
もちろん獲物は鮎のはず。





我が家がその釣り人たちを見ていたのは、高さ12mの「新橋」。
地元の子どもたちのダイビングスポットとして有名ですが、調べてみると、2000年以降、県外からの観光客の飛び込み死亡事故が数回あったそうです。
地元の子ども達は繰り返しイメージトレーニングをしながら飛び込んでいるのでしょうから、やはり県外からの素人はマネをしない方がいいのでしょう。
何事も地元の方々への迷惑行為となることはやめておくべきです。





宗祇水は、その町中を流れる水路のシンボル的存在で、特に水不足に悩む海外の観光客にとっては極めて珍しく、日本の山間部の町の豊かさを感じるシンボルともなっているみたい。
似たシステムとしては、隣の滋賀県にも川端(かばた)があります。
どうも岐阜県と滋賀県は「水」をテーマにして旅をすると、より深いものになりそうです。


その後は、旧役場庁舎を活用した観光協会で買い物をしながら町を離れました。





鉄道やバスで訪れる人も多いようで、駅にも観光協会にもレンタサイクルはきちんと揃っていたようですし(三浦半島とは大違いです)、気候次第ですが郡上八幡城を含めて徒歩でぶらぶらすることも十分可能だと思います。





京都や鎌倉をトップとした日本各地での「オーバーツーリズム」が大きな課題となる中、郡上八幡はまだまだその規模が適正に保たれているようですから、懐かしい日本の風景を味わい、感じてみたい方は、今のうちにコッソリと訪れてみてはいかがでしょう。
そして出来ることならば、若者の移住が増えている理由まで「考える」、そんなことをしてみて欲しいですね。

観光スポットで撮影→買い食い→買い物、という流れだけでこの町を楽しもうとすれば、この町を半分も楽しめていないということに注意です。



□ □ □



休み明けにお土産を配った職場では「え、ぐじょう…なんですか?」と郡上八幡を知る人が極めて少なく、知っていても郡上踊りを阿波踊りと同じものと思っていたり…という具合でした。
この「アンケート調査」には、なかなか考えさせられました。

でも、これはこれでいいのかもしれません。
と言いますのも、逆に郡上八幡では自分が散策した限り、とうとう見ることがなかったんですよ、例の東京オリンピックの(吉野家のような)エンブレムを(笑)

来年の郡上踊りの開催期間は、ほぼオリンピックとパラリンピックの開催期間と重なるんじゃないかと想像していますが、何せ400年も続いている「無形文化財」ですから。
そんな東京からの準商業的イベントに踊りの開催が振り回されることなく、例年と変わらない郡上八幡らしさを堂々と貫いて欲しいナと、そんな風に町全体を応援したくなりました。

都会に対するアンチテーゼに見える町。
そんな町が「地方創生」なんていう力の入った掛け声などに頼らずに、どんどん増えるといいですね。





冷蔵宅急便で自宅へ発送した「明方ハム」は、予定通り帰宅した翌日に届きました。
ヤられたらしいブタのエンブレムが可愛らしくて、並べて冷蔵庫に保管したら女房殿に呆れられてしまいましたが、これくらいのことをしておかないとハムの有り難みを感じることができません。

その後、包丁を入れて、少しだけマヨネーズを付けながら美味しくいただきました。
YouTubeで徹夜踊りのライブ映像を見ながらです。



鉄分補給のこともありますので、もう少し続けます。

  1. 2019/08/16(金) 20:10:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

気になるまち 郡上八幡(前編)

こんばんは。しなのさかいです。




先週は、大勢の方のお盆休みと大型台風の襲来を前にして、岐阜県を旅してきました。
具体的には「郡上八幡」が目的地で、帰りには長野県まで回る2泊3日の自作旅程です。

郡上八幡はウチの女房殿が“仮想移住先”と定めている町であることから(笑)、今年の我が家の夏休みは5年ぶりの訪問に当てることとしました。



さて、当方が説明するまでもなく、郡上八幡には実に数多くの「名物」と言えるものが存在します。
山間部の小さな城下町なのに、その数は人口減少で悩む地域が羨むほどで、知識の薄い当方がザッと挙げるだけでも以下のとおり。

・郡上踊り
・郡上八幡城
・鮎
・食品サンプル
・ハム
・藍染
・町中を流れる水路 等々

ちょうど出発前に放映していたBSの番組では、郡上市長が出演していて、近年の移住人口の堅調な増加を説明していました。
その番組だったか別の番組での内容だったかは忘れましたが、2012年に移住して町の真ん中で稼業を開かれた若い方もいるそうで、もう脱帽するしかありません。
我が家が家族4人で最初に郡上八幡を訪問したのが2013年ですから、ほぼその頃に都会からの移住を「決行」した方が、2019年の今ではすっかりと岐阜県の町に溶け込んでしまっている、という訳なんです。

この事実には、正直に言って胸に刺さるものがあります。
当方は日頃から、現代における本当の「勝ち組」とは、住む土地を自分の素直な気持ちで選べる人たちや、住む土地に心身共に溶け込んでいる人たちなのではないかと思っているのですが、こうした実践例があるとその思いはさらに確信へ変わっていくのです…。



□ □ □



まぁ、堅い話はこれくらいにしましょう。
相模の国を朝8時に車で出発して、途中休憩を挟みながら新東名、東海環状道、東海北陸道を進み、14時過ぎには郡上に到着。







未訪問の八幡小野郵便局を訪問して849局目の旅行貯金。
続いて町外れの喫茶店で美味しいコーヒーをいただいた後は、さらに八幡吉田簡易郵便局に寄って850局目の旅行貯金を果たし、ちょうどよい頃合いになってから町中の旅館へチェックインしました。





その後、夕飯を兼ねて徒歩で町へ繰り出しました。
当方は郡上下駄を買い求め、娘たちは食品サンプルのお店ではしゃぎながら大トロのキーホルダーをゲット。







この町における「食品サンプル産業」の存在は、子どもたちが山間部の町を旅する上では退屈しない大きなネタとなっています。
大人と子どもがそれぞれ目当てを持てる、ということがこの町の強さなのですね。





夕飯は宿泊した旅館では用意されませんので、近くの「わかば」さんで焼肉。
「特上飛騨牛」なるものを注文しました(これは食品サンプルではありませぬ)。
うーん、やはりこれは美味しいです。
女房と娘たちには大好評でした。





夜は「郡上踊り」に参戦。
この日は町外れの長良川鉄道・郡上八幡駅前が会場でした(徹夜踊りを含め、おおよそ町中で行われることが多いようです)。
久しぶりなので、踊り方などほとんど覚えていなかったのですが、輪に飛び込んでしまえば案外どうにかなるものです(失礼)。





生演奏、生歌によって「かわさき」「春駒」「三百」「猫の子」「ヤッチク」などが次々と演奏され、見よう見まねで地元の方々についていくと、いつのまにかニセ郡上市民爆誕!
「春駒」はややアップテンポで外人さんにも人気がありますね。


こうした「溶け込み」が出来る点で、郡上踊りが他の地域の祭りとは「違う」ということを言い表わせると考えます。
当方のような、リアルな帰省先を持っていない都会の人間としては、どこか擬似的な実家を持った感覚になれますし。
都会から若者の移住が増えている理由もそんなところにあるような気がします。
一足飛びに移住者を増やそうとするのではなく、まずは「交流人口」を増やして、その取組を大切にするマインドが肝心。
そういうプロセスが大事であり、よく分かる地域と言えましょう。
もちろん、郡上市には、意図してそんなプロセスを作っているつもりはないでしょうが。





家族4人で汗ビショビショになりながら、エンディングである「まつさか」まで頑張りました。
これぞ「にっぽんの夏の夜」。


(後編につづく)

  1. 2019/08/15(木) 19:45:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ