しなのさかいの駅前広場

もうお腹いっぱいです。

少なくとも今よりは

おはようございます。しなのさかいです。



最近「どうやら…」と確信に至ることがありまして。
それは俗に言う「働き手不足」というやつです。

現在、当方を含む家族全員が、職場や学校でそう実感せざるを得ない状況に直面しています。
不足する原因は多角的に分析されるべきなのでしょうが、一つにはこの国全体を覆う待遇面と労働実態とのアンバランス性が挙げられると考えています(さらにこの原因は多角的に…)

でも、働き手が足りないということは本当の問題の一側面、手前を切り取っているだけに過ぎないのかもしれませんね。
要は、今までどおりの業務を維持することが困難になっている、そういう職場やシステムがこの国のあちこちで現れている、という問題へ収斂されることなのかと思います。

あ、本稿では、我が国の行く末などを語るつもりなどこれっぽっちもありません。
飽くまでも鉄道模型趣味のことを向いているつもりですので御安心ください(^^)



さて、この業務規模の維持困難性は鉄道を含む公共交通機関でも同じのようで、関東平野に暮らしていると駅の窓口の閉鎖、ワンマン運転化などからひしひしと感じ取ることができます。

地方交通線についても存続に係る議論または議論のテーブルづくりが行われており、仮にバス転換を行おうとしても、今度は「ドライバー不足」という困難が待ち受けているようですからどうなんでしょう(バスに関しては関東平野でも同じことですね)

ここにきて、我々が趣味の対象とする鉄道は、10年前のそれと比べたとしても、より一層無機質なサービス、サービスそのものの消滅へと変化が加速しているようです。



以前から語ってきたように「鉄道模型趣味」については“撮り鉄”や“乗り鉄”のような分野とは異なり、幸いにも「現在」の鉄道の様子だけを対象としないで済んでいる訳です。

ですが、それぞれの主観による「今よりはまだ良かった」という「過去」への志向性のようなものを価値観として抱える人が増えているのではないか。
そんな仮説を持つようになっています。

「今よりはまだ良かった」とする過去がいつの時点なのかは(繰り返しになりますが)それぞれの主観。
蒸気機関車の時代なのかもしれないし、飯田線の旧型国電が走っていた頃かもしれないし、E26系のデビューや「さく・はや」の併結が始まった2000年頃かもしれない。

ただ、少なくとも趣味の対象としていく上で「現在」と「これから」の鉄道の姿についてはなかなか楽しみとして期待できるイメージを持てていないのではないか、ということです。
極論を言えば、大都市圏を除いて、鉄道として残る路線は新幹線だけであり、並行在来線はナシ、新幹線の駅からは自家用車…という世界しか描けないのかも(北海道ではそうした姿が現実となるようです)



⬜︎ ⬜︎ ⬜︎



2年前に「懐かしい」と「懐かしくない」の境界線のような話題を置かせていただきました。
その前の記事で大変参考となるありがたいコメントもいただきまして、それらを受けてのものでした。


2021年6月21日「(番外編)『懐かしいもの』と『懐かしくないもの』」


2年後に振り返ってみて。

今の鉄道模型趣味の全てを「懐かしい」世界として乱暴に定義するつもりはありませんが、近いうちにこの趣味に対しては「懐かしい」とか「今よりはまだ良かった」「少なくとも今よりは」という気持ちに浸れる、センチメンタルな趣味としての需要とか存在意義がより高くなるように思えてなりません。

もちろん、いつの世も今を生きる若い世代(いわゆる「エントリー層」)が今の鉄道の姿を見てこの趣味に入門しているはず。
「今の鉄道をそこまで否定的に見るのは論理として矛盾していないか」という視点も重要でしょう。

でも、大人たちによる鉄道の存続を巡る議論が渦巻き、その結論が着々と実行される様子を子どもたちにバッチリと見せてしまっているのですから。
これからは鉄道を知らない、見たこともないまま大人になる人口の割合が、もっともっと増えるかもしれませんね。
これまでどおりに、近所を走る電車を見た上での「エントリー層」が存在し続けると思うのはどうなのかなぁと思うのであります。





※単なるイメージです


前々稿で「飯田線シリーズのエピローグ」と言いましたが、こんな視点とも被るような気がしてキーボードをカタカタと叩いてみました。
若年層がいきなり旧型国電を「懐かしい」と思って(?)、これをキッカケにしてこの趣味に入門する日が来る…でしょうか。


ではまた。

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  1. 2023/06/20(火) 09:30:00|
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2023年 あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。
しなのさかいです。





2022年12月24日 東海道本線・米原駅にて


新年の御挨拶の前に、まずはお詫びから。

昨年は更新頻度が大分落ちましたこと、改めてお詫びいたします。
先月は、月初めにキハ183系で遊んだだけでしたし。
日々お越しくださる方々におかれましては、大変申し訳ございませんでした。

鉄道模型趣味のやる気を失ったわけではございません。
むしろその逆でして、レイアウト工事に邁進するあまり、この場の更新まで手が回らなかった…というのが真相です。
当方はどうも、レイアウト作業を進めながら画像を撮影することが苦手でして。
工事中の画像が見苦しいことも気にしていて、できることなら完成状態だけを見ていただきたいんですよね。

とはいえ、現在の工事メニューをちらっと御覧いただかないと説得力もないかと思いまして。




現在は田園モジュールの線路を貼り替えているところです。
ね、見苦しいでしょう。

この区間はユニトラック複線線路を製品のままつないで固定していたので、継ぎ目に段差や凹みが目立つようになりまして、踏面の光の反射が美しくなかったんです。
そんなこと、気にする方がどうかしているとも思いながら、気にし出すとダメな性分でして、ガガガとはがしたのが12月中旬。
その後、ユニトラック複線線路の道床部分を調達し直して、さらに新しいフレキシブルレールのレールのみを組み合わせて使って(枕木パーツは放棄して)ロングレール化を図っているところ、という流れです。

ロングレール化はユニジョイナーを少なくすることも狙いとしているので、道床は切って切って切りまくり(笑)
早めに工事を終えないと、いつまで経っても運転を再開することができませんからね。
なるはやでやっちまいます。

あ、フレキシブルレールの側面にはフィニッシャーズのプライマーを塗布していますので、この後のエアーブラシでもキチンと塗料が固着してくれるはずです。




さて、本題。
2023年となりました。
皆さんは鉄道模型趣味を続けていく上で、どのような野望を抱いていらっしゃるでしょうか。

フル編成の新幹線を車両基地風に並べてみたい、とか。
HOで長編成を1本くらい増備したい、とか。
はたまた、レイアウトの着工でしょうか。

カタログに掲載された巨大なレイアウトの写真を眺めながら「いつかは…」なんてことを思うことは、とても健全なことであります。
当方は幼少期をそうやって過ごしてきました。



昨年の当方の趣味活動の振り返ると…

2022年は買い物が極端に少なく、趣味の予算の範囲では財政的にほとんど苦労しない1年でした。
その少ない買い物も、再生産やプチリニューアルを機会に、やや傷んだ手元の模型を新ロット品と交換するとか、2本目の編成を導入するとか(583系の稿で語りました)、そんな程度だったかと。

前者の場合は、結局のところは単なる「交換」ですから、懐の痛みはそれほどのことでもありません。
後者についても買うか買わないかは(新製品を買うことよりも)自由意識で決められます。
まずは手元にある1編成目でも十分にお腹いっぱいな訳で。

そんなことから、マイペースでのんびりと、レイアウト工事にウエイトを置く1年だったんです。



さて。
「買いたいもの」っていう、財布からお金を出す瞬間に出す結論は、実はこの趣味に限ってみれば幅広い概念となっているとつくづくそう思います。

当方が見れば…
「欲しかったもの」
「欲しくなかったもの」
という“現在”を基準とした過去の感情を確認しつつ出す結論ではないかと。

「欲しかったもの」は、いわゆる「待っていました!」という待望の新製品ってことになりますから、それはそれで幸せなことです。
Nゲージの世界で、まだどこのメーカーも手を付けずにいた車両が「いよいよ製品化」と告知されれば、その日からは1日千秋の思いで過ごすこととなるでしょう。
当方にもそういう経験、数多くあります。

「欲しくなかったもの」はその逆で、残念ながら「買いたくない」という結論に至ることがほとんどです。

でも、「買いたいもの」に至る高揚感は、本当は「欲しくなかったもの」からのアプローチにこそあるんじゃないか。
当方は、そんな仮説を持っています。

その「欲しくなかった」けど買うことにするって、いったいどういうことなのか。
文字情報(セールスアナウンス)や立体情報(試作品画像など)から考え方を変えることで選ぶ進路ってことでよろしいでしょうか。


ややこしいのは「欲しくなかった」けど「買いたい」と判断した経緯と言いますか、「買いたい」という気持ちの内面に微妙なバリエーションの違いがあるということなんです。

「おお、いいじゃん」という表裏一体的なマインドであれば最高なんです。
企画や設計、生産品のハイレベルさを見て、心を動かされるような点があったということです。
自分のカテゴリー外、守備範囲外だったものがそうじゃなくなるときの、知的欲求が満たされる幸せ。
「◯◯系だけ」「◯◯地方の車両だけ」という自分の中の戒めが決壊することは、別に悪いことではありませんよね。
徐々に興味の範囲を広げてこそ、趣味生活が豊かになるのですし、少なからず誰もがそうしてきたはず。


でも最近は、以下のような内面もあったりしませんでしょうか。

①鉄道模型市場は厄介なことに多品種少量生産という状況になっていて、じっくりと考えて買うことができなくなっています。だから、後で探し回ることとなる前に「今のうちに買っておくしかない」

②鉄道模型メーカーの企画力(?)により、過去の製品の焼き直しが高回転で進んでいます。
2年前の新製品がいとも簡単に「リニューアルする」とアナウンスされることもあり、分売パーツで補えないのならば「仕方がない。買い直すしかない」

③この趣味はコレクション性が高まっていて、買うこと自体が目的となっている向きもあります。
乾いた心のまま何かを求めて模型店へ行き、新しい車両を見ることに。
欲しいものがないけど、あえてその中から「なんとなく買ってみよう」


まだまだあるかもしれませんよ。
欲しくなかったけど買うことにした経験と、そのマイナス的な内面。
皆さんは昨年1年間でいかがでしたでしょうか。
その結論に至る気持ちの整理は清々しいものだったでしょうか。


「この趣味は、買い物をし続けても幸せになれなくなっているのかも」
そろそろこんなことに気づかなければいけない頃合いなのかもしれませんね。
内面にモヤモヤが残る「買いたいもの」を増やして模型部屋をパンパンにするよりも、既に手元にある車両がより活きる環境とか舞台の整備に力と時間を注いだ方が、トータルとしては正解なのではないかと。
もちろん個人差はあるでしょうが、当方はそんな結論がぼんやりと見えてきています。

昨年1年間、近所の量販店に並ぶ自称「新製品」たちを見て、そんなことを考え続けていました。



新年早々につまらないことを申しました。
お許しくださいませ。
1年前と比べれば、レイアウト工事は「手直し」の段階に入っており、今後もその流れが続くと思われます。
作業の後、手元の車両をレイアウトの上にチョンと置いて、ニヤニヤとする時間を増やす。
これが今年の目標です。





それから「露天風呂」のような、はたまた「こたつでみかん」のような新しい車両が、今年の年末にも迎えることができていればイイですね。


それでは、2023年のスタートです。
改めて、本年もお付き合いの程よろしくお願い申し上げます。

 
  1. 2023/01/01(日) 00:01:00|
  2. 駅ノート
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よいお年をお迎えください。



2022年12月24日 東海道本線・米原駅にて


2022年も残り数時間となりました。
1年間お付き合いいただき、ありがとうございました。


しなのさかいの駅前広場




  1. 2022/12/31(土) 13:00:00|
  2. 駅ノート

伊那谷を駆け抜ける

おはようございます。しなのさかいです。


夏の野外観察日記も今回で終わりにします。
模型成分がほぼないにも関わらず、絵日記にお付き合いいただきありがとうございました。
最後の回をどうぞよろしくお願いいたします。



さて、ここからは「飯田線シリーズ」、いや「伊那谷シリーズ」ということになりまして、以前のように阿智から岡谷まで、伊那谷をチンタラと北上した様子を御覧いただきます。

今回はコロナ禍直前の2019年の年末以来の伊那谷トリップ。
頭の中の情報もずいぶんと上書き更新されましたので、訪問箇所に変化をつけてみることとしました。





まずは、温泉街にある阿智神社。
例年は、旅館をチェックアウトするとすぐに飯田方面へ走り去ることを常としていましたので、少し温泉街をフラついてみようかという発想でした。

娘たちは神社下の「万葉茶寮みさか」さんで御朱印をゲット。
土曜日なので郵便貯金の趣味は封印です(阿智郵便局は既に訪問済)。





昼神温泉のネコ。
のんびりとした時間でした。





その後はいつもどおりに国道153号を通って飯田市へ入りました。
今回は早いうちに野菜類を買ってしまおうと考え、中央自動車道・飯田IC近くの「りんごの里農産物直売所」へ。

飯田バイパス沿い、隣はエディオン、道路を挟んだ反対側はケーズデンキという場所に農協さんはよくまぁ産直施設を建てたものだと。
土曜日の朝だからなのか、地元の車がまるで歩行者のようにバンバン入って普通にお買い物をしていました。





それにしても飯田市は興味深い土地です。
河岸段丘に広がる街で、いわゆる“田切”地形をまたいだり、その斜面を登ってみたりと動き方にバリエーションが多く、車でウロウロしていて飽きません。





飯田線切石駅付近で川を渡り、斜面を登る。
その登った上が飯田市の中心部になる訳ですが、この動き方が「飯田城」の斜面を登って城の中に突入する動きと同じになります。
なので、街並みが崖によって途切れたと思ったら、その崖の上には比較的平らな土地が広がっているという、群馬県沼田市に近い“ギャップ”が見られておもしろい。

また、田切地形に付き合うように、天竜峡方面から北上してきた飯田線の線路は、天竜川近くから大きく内陸へ迂回して標高を稼ぎ、切石駅から飯田駅へ。
飯田線の前身である伊那電気鉄道が建設費用の関係からこのような敷設にしたんだとか。

この地形の賜物によるオメガカーブが、下山村駅と伊那上郷駅の途中下車マラソンコースを生んでいます。
『究極超人あ~る』や『探偵!ナイトスクープ』で全国的に有名となり、その後も様々な方々が参戦しているので、興味のある方は動画方面で是非。

地域をマルっとキリトるカトーの「飯田線シリーズ」の楽しみ方にはいろいろあって、例えばこんな地面への興味もあると確信しています。



その後は“飯田城内”に位置すると思われる某店で数年ぶりにNゲージの在庫をチェック。
トミックスのブラスシリーズが新品で売られているのを再度確認して立ち去りました。
探していたという方は急いで!





おみやげにと思い、某店とそれほど離れていない場所にある「一二三屋まん十」さんに立ち寄りました。

まんじゅう専業で御商売をされているようで、温泉街のまんじゅう屋さんが街のど真ん中にあるような不思議な佇まい。
ふかふかの黒糖まんじゅうは期待を裏切らない甘さでした。

これからの我が家の定番おみやげ調達スポットとなることは間違いなさそうです。





まんじゅう屋さんから背後を振り向くと、飯田駅から続く飯田市街は静まり返っていました。
歩いている人がほとんどいないんです。
土曜日の午前中だからなのか(土曜日の午前中なのに…?)

気のせいかシャッターが降りっぱなしになっていると思われる店舗も相当数見られ、ここも地方の現実を例外なく受け止めているのだと。
先程の飯田バイパス沿いは車の量と相まって、週末らしい人の活動が見えたんで、余計にコントラストが目立ちました。
鉄道の駅から広がる街の様子であるだけに、鉄道ファンとしては余計に…



飯田市に限らず、これまでの地方の街づくりのトレンドに対する「総括」や「反省」のようなことがないと、中心市街地の賑わいの再生も中途半端な形に終わるような心配もあります。

規制緩和、そして霊感商法顔負けの華美なセリフで補助金をぶら下げて地方をノせて踊らせる国の誘導。

この国ってそういう過去の取組に対する反省をすることが昔から苦手でしょう。
切腹文化(と言っていいのか)が責任をクリアにしてきたようで、でもそれは決してそうではなかったのかもしれません。

背後に見えた景色は、そうした反省がないまま次々と生み出されてきた対処療法的な国策のツケが降り積もった結果にも見えてしまいました。
ちなみに次は「デジタル田園都市国家構想」だそうですから、どうか地方行政に携わる方々は御慎重に。





さらに少し北上して、駒ケ根市へ。
光前寺に寄ってみました。





このお寺は木曽山脈からの空気がそうさせているのか、苔を鑑賞できる境内となっていて、大変厳かな景色が広がっていました。
最近は「霊犬早太郎」伝説でも有名ですけど、苔ファンにもたまらない場所なのでは。





その伝説のお方。





それからワンコのおみくじ。
結果はあまりよろしくなかったです。

やっぱりおみくじは正月だけにして、その結果を忘れながら1年を過ごす方がイイみたいです。
だいたい1年経つと「オレって去年はなんだったっけ」ってなるものでしょ。





再び北上。
そろそろ遅めのランチでも良かろうということで、伊那市に入って「古民家カフェ マツノエダテラス」さんに寄らせてもらいました。

飯田線赤木駅からも歩けそうな距離にある、飯田線沿いのお店でした。
ただし列車の走行音は聞こえても、林の中を走っているため姿が見えず(残念)。





ワンコ再び。
ちょっとだけ待ち時間がありましたので、遊んでみました。





これだけの野菜が原型を保って入っていると、味わう前に目で見て楽しむことができます。
とにかくカラフルですし、具がドロドロに溶け込まれた都会のスタンドカレーのメニューとは全てが対照的で。





南アルプスの方を眺めながら、心地よい風を受け止めることができました。
完全なる天然クーラーでしたよ。
遅めの入店でしたので、閉店時刻の15時まで過ごさせていただきました。





古民家を再生する事例は全国に広がっているようで、我が家の近くでもチラホラと見られるようになってきました。

その用途のほとんどが飲食店のように拝察していますが、この傾向は好意的に見ています。
と言いますのも、ファミレスチェーン等で使うお金と比べると、そんなに変わらないのです。
どうせ使うなら、もっと個性的で、訪問したことが記憶に残るお店で使いたいし、少しでも心地よい空間に出来るだけ長く身を置いてみたい。

飲食業界にも「コト消費」が価値を持ち始めた、と言うことができるのかもしれませんよね。
皆さんのお住まいのお近くでは、このようなお店、増えているでしょうか。





仕上げは伊那市の「ドルチェ・カリーナ」さんでジェラート。

この時点でお腹はパンパン。
「夕飯はもう要らないよねー」という全会一致の決議を見たので、さらに北上。




やがて諏訪盆地のランドマークとなっている長野自動車道「岡谷高架橋」が見えてきて、浜名湖から北上し続けた今回の旅は大団円を迎えました。

地味なコースを選択した普通のドライブ旅行でしたけど、やはり旅の楽しみ方は多種多様であり、自分のスタイルを守りながら組み立てることにこそ面白さ、醍醐味があります。
なんと言いますか、仮説を立てて実験してみるような。
その結果が失敗すれば反省しますし、うまくいけば喜びも倍増するというワケ、です。



岡谷では天竜川の始まりとなる「釜口水門」を見て(実はこの辺りもうなぎが名物なんです)、諏訪湖を半周パレードして余韻に浸ってみたことを付け加えておきませう(笑)





帰り道の途中、山梨県山梨市の「ほったらかし温泉」で投了。

向かう途中のグネグネ登山道で側溝に前輪を落としたばかりと思われるトヨタヤリスとすれ違い、以前から心配していた事故例はやはり起こっているのだと確信。
帰りは下山する形となるため、自然にスピードが出ますし。

小雨がパラついていたので、降りて困った顔をされていたドライバーさんは、さぞかし湯ざめしてしまったんではないかと心配になりました。
その数時間後、当該車は消えてなくなっていましたから、無事にサービス車に助けてもらったんでしょう(良かった)。





鉄分少なめなのにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

ではまた。



  1. 2022/09/15(木) 08:00:00|
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奥三河潜入

こんばんは。しなのさかいです。


そろそろこの道中記も終わりにしないといけませんね(ホントにすみません)

「いつもの場所に行く」と言っていました。
その「場所」とは、伊那谷の終点である昼神温泉なのですけど(またです)、いつもとは違うアプローチを選んだ…ということなんです。





今回は遠州から奥三河を辿って、ダイレクトに昼神温泉に出ることとしました。

いつもは塩尻から木曽路(国道19号)を通って、中央道の恵那山トンネルを抜けるルートを選んでいるので、全く南北逆のルートになります。
国道153号を北上すれば、ズドンと昼神温泉へ到達するという地図上の気づきもありましたし、何よりも奥三河には土地勘がなくて、2000年1月に飯田線を乗り通したときに湯谷温泉で途中下車したくらい。

今回のドライブで風景を眺めてぼんやりと記憶するくらいのことはしておきたくなりました。





前稿のとおり、昼の時間帯まで湖西市にいたので、少々遅れ気味となりました。
三ヶ日、新城、本長篠と走り、国道257号へ。
途中、故障して動けなくなっているロータス・セブンを横目に見ながらひたすらに走り続け、このルート上で一つだけ見ておきたい場所へ急ぎました。





四谷の千枚田。
愛知県新城市にある、階段状の見事な田んぼです。

ココの千枚田の素晴らしさは、レイアウト製作の視点で見ると、ダークグリーンとライトグリーンの組み合わせがとてもきれいだということ。
千枚田によく見られる石積みの擁壁も味わい深いものがあります。

最盛期の「千枚」に比べると、その枚数は大分少なくなっているようですが、それでも圧巻の景色でした。





「この辺には何があるの?」

そう聞かれることにはもう慣れています。
テーマパークも、アウトレットモールもありませんから、同行する方としては心配なのでしょう(笑)





でもですね。
縮尺の大きな地図上には何も描かれていないけれど、グッと目に近づけて見直せば、何やらたくさんの観光情報が、ポツポツと見えてくるんです。
ちょうど星空観察の営みに似ているかもしれません。

現にこうした自然文化遺産があった訳ですよ。
もちろんこの景色を見て「つまらない」という人もいるでしょうが、その対策は「そう言う人とは旅をしない」。
これに尽きます(爆)

まだまだ奥が深そうな奥三河。
浜名湖に続いてこの辺にも宿題を多く残しました。





もう一つは鉄道のこと。

四谷の千枚田を見た後、設楽町の「道の駅したら」に寄って、保存されている豊橋鉄道田口線(旧・田口鉄道)の「モ14」を見てきました。

2021年5月にオープンしたこの道の駅は「設楽町奥三河郷土館」を併設していて、その郷土館は町の中心である田口から移転してきたんだそうです。
「モ14」は郷土館の敷地内で展示していたため、施設の新築移転で車両もココに移されたんだとか。
解体されなくて良かった。

田口鉄道についての詳細はWikipedia等にお願いするとしますが、簡単にまとめると、飯田線・本長篠から三河田口までを結んでいた鉄道です。
飯田線の元となる豊川鉄道、鳳来寺鉄道と車両を共用するなど、3社が一体となった運営がされていたにもかかわらず、その2社とは運命を違えて1943年の国有化から外れ、その後は豊橋鉄道への吸収合併を経て、1968年に廃線となったそうです。
無念。

国鉄飯田線への併結直通運転も行われていたそうですので、なんとなくですが、昭和30年代の飯田線の姿が見えるような気がしてきました。





床下にはトラス棒。
何故こうした棒が床下に取り付けられているのか。
分かった瞬間、技術上の制約と進歩を感じ取れますよ、たぶん。





古いメカニズムが見てとれて、やっぱりこの時代の電車は「機械」なんだなと。





外板は劣化していました。
移転させただけで車両への手入れはなかったようです。
屋根もある保存場所ですので、そのうちリニューアルされることを期待して。





実はこの場所への立ち寄りはほぼ偶然です。
開館していることは予習していましたが、昼神温泉へ向かうための時間が少なくなっていたのでスルーするつもりだったのです。

で、その最中に同乗者たちが「トイレ」とおっしゃる(だからなんだよっていう言葉です)
コンビニの出現を待ちながら走り続けていたところ、皮肉にもやっと出現したコンビニの隣が「道の駅したら」だったというワケ。

奥三河での思わぬ邂逅となりました。
もう少し予習しておけば良かったナと思いながらも、予習しておけばきっと廃線跡探索で前へ進めなくなっていたと思うので、こんな程度で良かったのだと思うこととします。




その後、1時間は走りつづけたでしょうか。
信濃に入り、下伊那郡根羽村、同平谷村を経て同阿智村へ。

途中「ネバーランド 営業中」という看板が出現するなどして、同乗者たちはいつもと違うルートにかなり不安を覚えたらしく、昼神温泉に出た瞬間「あーここに出るのか」という安堵と祝福の声と拍手が1,500ccの車の中に響き渡りました(オーバーですが)
これも奥三河、南信州の秘境感からのものなのでしょう。
ルート選択は大成功だったようです。

そういえば、元長野県知事は同郡泰阜村に住民票を移して長野県庁まで通勤するとかしないとか言ってましたっけ。
長野県はホントーに広い、連邦国家のような県です。





阿智村・昼神温泉で1泊。
星空がきれいな夜でした。


いい加減、あと一つで終わりにします。









(おまけコーナー)



昨日、女房殿が「神保町へ本を探しに行く」というので、書泉グランデでRMライブラリー254『豊橋鉄道 田口線 ー田口鉄道の残影ー』を買ってきてもらいました。

「道の駅したら」で見たモ14の姿が、なんと言いますか飯田線になり損ねた私鉄線の成れの果てのように見えて、また旅の途中で出会った車両への敬意も湧いてきていて、もう少し知ってみたくなったんです。
こういう深掘り作業、以前はNゲージの新製品ポスターから始まっていたことでした。
やっぱり楽しいですよ、知ることは。

今のメーカー各社の企画にも似たような“お題の提供”が欲しいところなんですけど、ストーリーテラー的な提案を求めること自体がもはや…
本日は青組のポスターが開示されていましたっけ。


ではまた。






  1. 2022/09/08(木) 22:30:00|
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Arai Barrier

こんばんは。しなのさかいです。


「ファミリーロッジ旅籠屋・浜名湖店」がちょっと変わった場所であると申しました理由。
一つは、日本の大動脈である東海道本線、東海道新幹線の線路際に建っていること、と申しました。

さて、もう一つです。
それは、この地が旧東海道沿い、日本橋から数えて31番目の宿場・新居宿のすぐそばに建っていること、になります。
観光地に建てることはあえてしないとしている(?)同社としては珍しい、観光地に建っている浜名湖店…のようです(当方にはそう見えます)。

せっかくなので、出発してわずか数分のところに位置する新居宿に向かいました。





新居宿は東海道五十三次の中に存在した二つの関所のうちの一つ、「新居関所」を抱えています。

Wikipediaによれば「浜名湖西岸の今切口に面した標高約3-5m程の低地に立地し、隣接する新居関所(今切関所)は東に浜名湖口に面していた。新居宿の北から東は浜名湖に、南は遠州灘(太平洋)に面していた」とのことで、ココは舞阪宿から渡船によって上陸するという、物理的にも関所として相応しい場所だったんですね。

復元による石垣は、その手前が海だったことを示していて、旅籠屋さんは、かつては海の上だったということになりそうです。





関東人にとって旧東海道の関所は「箱根関所」が有名です。
中学生のときの遠足でも行きました。
その箱根と並ぶもう一つの関所に、予習もしないで突然訪問することとなりました。
浜名湖湖畔のリゾートホテルなどに収まってしまっていたら、こうした歴史的な土地の存在に気づくこともなかったでしょう。
宿泊場所は出来るだけ軽めなところの方が、その土地の見方を変える発見があると言えます。





取り調べを行う代官とその部下たちの人形は“旧関所スポット”の定番。
期待を裏切らない雰囲気に、小学生の見学時には大賑わいでしょうね。

新居関所の裏も東海道本線なので、313系やコンテナ列車が数分間隔で走り抜けていました。
今も昔も、この地は日本の大動脈なのです。





関所を出て、当時の旅籠屋建築として保存公開されている「紀伊國屋資料館」に徒歩で移動。
旧東海道は画面突き当たりを左に曲がる形で京に続いていて、新居宿もL字状に展開する形で広がっていたようです。
確か、旧中山道の下諏訪宿もそんな感じでした。





平日だからなのか、我々以外に観光客はいませんでした。
おそらく浜名湖に来たら舘山寺温泉の方とかが定番なのでしょう。
もったいないことだと思いながら、でも当方の中では「イイトコ見つけた」感が強く、旧中山道ばかりに親しむことはせずに他の街道も見てみようかなと思ってみ始めたり。

海側から心地よい風も吹き抜けてくれまして、夏に古民家を訪問することには、間違いなく一定の合理性があると考えてみたり。





「今晩はこの辺でお願いしますね」
そんなことを言われたのかどうかは分かりませんが、江戸時代の旅人がチェックインしたとき、この場所にどんな人相の先客が居たことか。
間違いなく、この場所で緊張する一瞬があったことと思います。
相部屋ってすごいですね。





紀伊國屋資料館のすぐそばには「小松楼まちづくり交流館」という無料施設もありましたので、少しだけ訪問しました。





建物は明治末期のもので、大正から昭和初期にかけて営業していた芸者置屋兼小料理屋を移築したものだそうです(確かに切妻建築だけど近隣と整合性がないような)
でも、こうした施設が一つでも多くあることは、街の回遊性を生むこととなって良いですね。

旧東海道の宿場町は、第1番・品川宿の現在の様子から全く興味がなかったのですが、よく調べていなかっただけなのかも。
なかなか見所がある新居宿でした。







早めのランチは、新居の「かねはち」さんで。
ほぼ旧東海道沿いのお店です。





容赦なく家族全員で「うな重・特上」をいただきました。
フカフカのうなぎであることは御覧のとおり。


検索すれば浜名湖周辺にはうなぎ料理店がワンサカとヒットするので、素人には難しい選択となります。
聞いてもいないのに評価が見えるようになっていて、それが実にウザい(もちろんこの評価に基づいて選択を簡単にしてしまう人もいるでしょう)。
ただ、アップロードされている写真だけは客観性が保たれている情報として参考にさせていただきました。

こちらを訪問させていただいたポイントは「うな重本体以外に無駄な付け合わせ品がないこと」

うな重と肝吸い、お新香だけというシンプルかつテーマがはっきりとしたメニューに「これこそ、うな重」と納得しました。

箱根周辺でも外観がお洒落なそば屋に入ると、懐石料理のような「そば料理」が出てくることがありますでしょう。
浜名湖界隈のうなぎ料理店にも似たような傾向があるような、ないような。
飽くまでも当方の主観です。


もう少しつづけてよろしいでしょうか。
ではまた。




  1. 2022/09/03(土) 21:00:00|
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大動脈から聴こえる子守唄

こんばんは。しなのさかいです。

前回お話しした浜名湖訪問の、そのつづきです。
よろしければお付き合いください。





「ファミリーロッジ旅籠屋・浜名湖店」に泊まったことを書いています。
この場所、ちょっとユニークなんです。
地図で確認しておきましょう。





お分かりいただけましたでしょうか。
浜名湖周辺でも非常に特徴的な場所に、しかも誰もが認める日本の大動脈と接して建てられています。

前日のチェックイン直前に弁天島海水浴場へ立ち寄ったことも必然だった、ということなんです。







で、その旅籠屋さんの裏側。
見事なまでに東海道本線(手前)、そして東海道新幹線(奥)が敷地と接していましてね。
当方を含めて皆さんはこれを「パラダイス」と呼ぶのではないかと(笑)

以前、職場の同僚に旅籠屋さんを紹介し、その同僚が浜名湖店を選んで旅の途中に利用したことがありました。
でも、帰ってきたら「線路の音がうるさくて寝れなかったよ」。

自分では小淵沢店の感覚で「大丈夫でしょ」と薦めたんですけど、やはり中央本線の輸送密度を想像してしまったことが間違いだったのか。

でも、今回我が家の連中は「なーんにも気にならなかったよ」という感想で統一されていて、「音」って極めて主観的で不思議なものなのだと思うのでした。







数分間隔で16両編成が、例の「ギュンギュン」とした音を立てて、しかも左右からやってくるのですから大変です。

さらに今はリニアも建設しているんですが、ヒトの動きってそんなに必要なのでしょうか。
モノを動かしているのなら、この頻度は分かるんですが。

来る車両がスモールA、ラージA、Sといった、似たものばかりの世界なので退屈でした。






一方、東海道本線。
やっぱり貨物列車は見ていて面白く、飽きません。
コンテナの外観から中身を捉えることは難しいけれど、積載数とかタンクコンテナの存在を観察していると、なんとなく物流のトレンドを見れているような錯覚もあります(飽くまでもそう見えるだけです)。

「ダッタン、ダッタン」とコキの車輪のフラットが出ている音もよく聞こえまして、同僚はこの音を騒音と捉えたのかも。
Nゲージでワザと車輪をヤスるのも面白そうで、こういう車輪の開発を模型メーカーがやればユーザーとの対話が進むのでしょう。





313系の観察は、どれもこれも同じように見えるので、いつの間にか、来た瞬間に「何番台か」を判別する健康診断のような訓練もどきになっています。

こうして撮影しても、その瞬間はよく分からず、撮影後に画像をじーっと見て編成番号が「J5」であることを知る…
4次車の1100番台だそうで、カトーがプロトタイプとしているのは同じ1100番台でも3次車・B編成で神領所属ですから運用範囲が違うみたいです。





こちらはJ3編成(とこれまた後で認識しました)。
5000番台も走っていたはずなんですけど撮れずじまい。
仕方がありません。





ただ、373系が来たときは変化を実感できて楽しめました(画像はブレてますが気にしないでください)。

車両の標準化が進んできましたから「次は何が来るだろう」と楽しみにする方がどこか間違いで、そんな楽しみ方はもう昔のことなのだと。
373系はデビューから四半世紀が経ちましたので、こちらも動向に注目する頃合いでしょう。

トミックスの373系は再生産するたびに消えてなくなるバケモノのようなアイテムです(以前にも語りました)。



撮影ばかりしていては旅行になりませんので、そろそろ出発。
浜名湖店が建つ場所には、予習不足からもう一つの発見がありました。


もう少しつづきまーす。
  1. 2022/08/31(水) 22:10:00|
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さわやかに遠州

こんばんは。しなのさかいです。




数年ぶりに都内で一大イベントが開催されるというのに、行けずじまいとなってしまった理由。
それは家族4人全員が「その週末は休める」「どうやら休みらしい」ということになってしまったからでした。

「えっ、そうなの?」と焦りましたが、次の瞬間「仕方がない、今年のJAMはあきらめよう」と悟りましたね。

お上からの行動制限も発令されていないので、休みが揃うという会話はそこで終わるはずもなく、「それならどこかへ行くか」という流れになるのは必定。
結果としていつもの場所へ、でも、いつもとはちょっとだけ違う方法で行ってみることにしました。





ここは駿州・由比宿で、仰ぎ見るのは東海道の難所の一つ、薩埵峠。
有名なライブカメラがこの画像のどこかに仕込まれているはずですが、手を振るようなマネはしませんでした。

真横では313系がヒーンと高音を奏でて走り抜けていく、そんな落ち着かない場所にあります。





関東平野を出発した頃は、ちょうど我が家付近に線状降水帯が現れていて、東名高速道路に沿って御殿場辺りまで超降られっぱなし。
そんな天候の地域を抜けて一息つけた場所が、この由比PAでした。

トイレしかない、今どきにしては簡素なPAですけど、台風が近づいてくると高波で通行止めになるような場所ですから、そりゃあなーんにも置くことができませんよね。
日本の大動脈もずいぶんと危ない場所を通っているものだと思いました。

でも、今では新東名もありますから大丈夫。
交通量は以前と比べると大分減りましたでしょうか(新東名の利用が増えてきた?)





浜松ICで東名を降りて「炭焼きレストランさわやか浜松有玉店」へ直行しました。
“ローカルファミレス”と言い表すには失礼のような大きな規模のそれでして、静岡県内のみの展開としていて、それでいて34店もあるんだとか。





「げんこつハンバーグ」はつなぎ感がほとんどない、ステーキのような不思議なハンバーグでした(もちろん美味しかったです)。

平日の14時頃だというのに1時間待ちは当たり前(ていうか短いほう)で、駐車場には浜松ナンバーの車がドンドンと。
遠州人のランチタイムはずいぶん遅め?(そんなことないですよね)。

それでも、当方のような首都圏からの侵略をモロに受ける御殿場インター店よりはマシなようです。
浜松には結構な数の「さわやか」がありますから、試すならこの地しかないなと考えていたのでした。
地元の皆さん、本当にお邪魔しました。





その後は、超巨大なイオンモール浜松市野へ行って“ニセ浜松市民”になって軽く買い物をして、中田島砂丘へ。





日本の砂丘は鳥取にしかない、と思う人も多いようで、当方の家族連中も漏れなくそうでした。

30年くらい前に学生仲間と来たときは夜の10時くらいでした。
満月の明かりが海面を照らしていて「きれい」というよりは「こわい」という記憶が。





「これが遠州の海か…」といつまでも波を眺めてしまいました。
最近、こういう場所でボーッとすることに心地よさを覚えるようになりまして。
メンタルが弱くなりましたかね。





砂丘の頂上から浜松駅の方向を見るとこんな。
遠江の国にはしっかりと足を踏み入れたことがなく、まだまだ未熟。
近江の国にはよく行っているんですが。
「近い」のは琵琶湖、「遠い」のは浜名湖…でよろしかったでしょうか。
もちろん京から見ての事です。





宿泊地にたどり着く前に「弁天島海水浴場」の前を通りかかったので、条件反射的に有料駐車場へ突っ込んでみました。
これまた最近有名になったスポット(理由は御覧のとおり)。





落ちる夕陽を眺めながら、あれこれと考えてしまいました。





お宿に到着。
改めて説明することもないでしょうね。
「ファミリーロッジ旅籠屋・浜名湖店」です。
浜名湖店の利用は初めてで、二つの特徴がある面白い場所に建っていました。

「さわやか」で遅めのランチでしたので、家族全員が「お腹いっぱい」という見解に至りまして、地元のスーパーである「かきこや」に簡単な惣菜を買いに行ったんです。

でもほとんど品切れ。

仕方なく新居町駅近くのローソンでパンなどを買って、再び旅籠屋へ戻りました。


つづきまーす。

  1. 2022/08/27(土) 21:00:00|
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買おうと思わなくなる日の到来

おはようございます。しなのさかいです。




ちょっとした娘関連の用がありまして「山の日」なのに横浜の山下公園のすぐそばまで行き、その帰りに大船へ出て、湘南モノレールを乗り終えてみたところ…の図。

比較的近場にありながらも、大船という土地へ行くことがほぼなくて、なかなか乗車機会の縁がない鉄道だったんですね。

山岳路線の風情があって、ピークポイントでは遠くに相模灘を見ることができて、そしてまた懸垂式の揺れ方も新鮮で。
たまには模型部屋を出て、こういうフィールドワークをしてみるのも良いものです。

湘南江ノ島駅は江ノ電江ノ島駅のすぐ隣。
そこから延々と海へ歩いていく若者の列に混じって、スルリと帰ることとなりました。



□     □     □



さて。
この場で“Nゲージ車両の新製品”をフォローしなくなってから、しばらく経ちました。

実は6月までに少々の買い物があったんですけど、残念ながら、それらを感動とともにお伝えできるテンションは当方にはありませんでした(買い物の中身はナイショ)。

事務的に持ち帰った車両ケースを平積みにしたまま、多くの諸先輩の同じ買い物の御披露をネット上で拝見していた、というところです。
近年はポスターの内容に驚くことができなくなっていましたから、こんな営みもそれはそれで必然と言えます。



鉄道模型メーカー各社は事業を継続させなければなりませんから、今でも毎月のように「新製品」を発表しています。
「こんなの、欲しかったでしょう?」という具合にです。

昨年までこの場で皆さんと見てきたように、本当に「新製品」と呼べるかどうか疑わしいアイテムが結構な割合を占めるようになってきましたけど、まぁそこは置いておきましょう。
当方の感覚がこの市場のスタンダードとズレただけのハナシですし、今の需要にはしっかりと対応したアイテムが発表され続けているのかもしれません。

新しい企画内容を車座になって語りあうことは、今のメーカー各社の企画担当氏を中心に、新しい世代の方々がやっていかれるべきなのでしょうね。



でも、この段階でもう一度だけ、Nゲージ車両の新製品について俯瞰的に書いておこうと思うに至りました。
それは、価格「帯」の上昇が明らかに顕著になってしまったからです。

この場でポスターを見て懸念していた頃が懐かしくなるくらい、各社で価格帯の底上げが完成してしまったような気がします。
いや、まだまだ上がる気配がある?


メーカー各社がそうせざるを得ない理由は様々なのでしょうけれど、当方には従来からその理由の一つではないかと疑っていることがあります。
それは、生産数に連動した価格帯の上方修正。
少ない量にして売上を維持するのなら、単価を上げるしかない、という一次関数の問題です。
もちろん、ユーザーである当方に生産数など分かる由もなく。
飽くまでも仮説であると強調して前置きしておきます。



仮にそうだとしたら、ではどうして少ない量にする(なる)んでしょうか。
ここにお越しくださっている皆さんなら、もうお分かりのことですよね。
ポスターの企画内容は「置いておきましょう」と言ったばかりなのに、やはり置いてはおけないのかナ。

念のために申せば、ウクライナ情勢だとか、原材料価格だとか、消費税率だとか、今のNゲージをそういう客観要因だけで総括することは、あんまりオススメしません。
ユーザーがそう捉えている限り、価格上昇は許容されたとしてまだまだ続くのかなーと思うからです。




とにもかくにも、価格が上がるということは買えなくなるユーザーが増える、ということです。
「買えなくなる」というと「あんたいくら持ってんのよ?」といった議論になりがちなので、ちょっと幅広に捉え直しましょうか。
「買おうと思わなくなる」。


◯両編成で、モーター車が◯両入って、◯万円。

皆さんも脳内でお持ちのはずの、いつもの構文です。
各企画をこの構文に当てはめてみて、ある種の魔法、催眠からハッと醒めて、我に帰るような気分を味わっているこの頃なんです。
自分の手を見つめて「オレは何をやっているんだ」っていう、ドラマとかでよくあるやつですよ。

フワフワと空に向かって浮かび始めた風船に掴まり続けることになんだか疑問が生じてきて、またまた面倒くさい話題を共有しておきたくなりました。

集める車種、地域性などを絞り込むことは人生の晩年になってからでも良くて、それまではモラトリアムのつもりでいろいろ手にしてみて、鉄道のことをもっと広く、そして深く知ってみよう…
そんなことを言ってきましたけどね。
残念ですが、もうそんな悠長なことは言ってられない、そういうフェーズに入ったようです。

生活の中で鉄道模型趣味を溶け込ませておくということ。
溶け込んだレベルで趣味を持ち続けるということ。
この視点を見失わないようにしないといけません。



幸いにも年末までは買い物の予定がなくなりました。
なので、日常生活で必要なアイテムをそろえるとか、1,000円ちょっとで懐かしいプラモデルを買うとか、塗装の勉強をしてみるとか、手元にあるお小遣いをそんな使途に振り向けています。

レイアウト上のストラクチャー製作もその一環で、これまでに手頃な価格で買い揃えた車両たちをイキイキと走行させるためには、プラ板やプラ棒と格闘することは自分にとってちょうどいい模型活動のようです。
そんな「新しい日常」も悪くないのかも。


ではまた。
  1. 2022/08/13(土) 08:00:00|
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続・「わたしの旅スタンプ」を知っていますか

こんばんは。しなのさかいです。




再び近所の量販店へ徒歩で向かう森の中。
その途中で見た桜は、関東平野の累積気温がそこまで達したことのサインでもあり、厚着をし過ぎて出かけてきたことにようやく気づいたりもするきっかけでもあったりします。


出勤時には、朝から元気よく公園で遊ぶ小学生たちが目立つようになりました。
ずいぶん前、大人の世界に春休みがないことを娘たちに不思議がられましたけど、単に先生たちが児童生徒に構う余裕もないくらい忙しいから、校舎から追い出しているだけなんだぞーと、そろそろ気づいてくれたかしら。

こんな時期に花見とかに行く気分、味わうことができなくなって数十年が経ちました。



ところで。
JR北海道の方では、また並行在来線となる区間の廃止方針が固まったようで、先週末にかけて大きな話題となっていました。
この手のニュースに接する度に、北海道を鉄道で旅行するオプションは当方の心の中で消え続けています。

また、首都圏の人間が新幹線で延々と札幌まで移動することも「まずない」と言えそうです。
東京から札幌まで、利便性や速達性だけを求めて乗り物を選ぶならば空路を選ぶ方が自然でしょう。
価格面でも新幹線よりは空路が強いかもしれません。
人間しか運べない巨大インフラ「北海道新幹線」って、一体何を目的として建設され続けているんでしょうね。

当方の見方はそうなる訳で、それ故にNゲージで「今の北海道の鉄道」をフォローする気にはなれないのです。
むしろ「見たくない」と言った方がいいか。

鉄道で北海道、日本全国を旅行できる、のんびりとした豊かな時代はそろそろおしまい、なのでしょう。
日本人の価値のトレンド、観光需要に“のんびり”というキーワードが定着しつつあるのに、なんだか変ですよね。




さて。

この冬、JR東日本の首都圏地区では「あの日を追いかけて JR東日本 懐かしの駅スタンプラリー」というキャンペーンが開催されました(もう終わったようです)。

タイトルだけでは何のことか分からず、いつもの子ども向けのものかとスルーしようとしたところ、なんだか見覚えのある図案が採用されていることに気付きました。

これ、1980年代に国鉄が始めた「『わたしの旅』スタンプ」を復刻させたキャンペーンだったのです。
このスタンプについては、当ブログの黎明期に一度取り上げたことがありました。


2009年6月20日
「わたしの旅スタンプ」を知っていますか






当方がこのスタンプ収集を始めたのは1983年2月9日で、横浜線・町田駅のスタンプが最初の押印でした(よく見ると「国鉄 町田駅」となっているでしょう)。

地域によっては例外もありましたが、統一された絵柄も見ていて楽しく、スタンプの色と形でメッセージ性も体系的に整理されていたので、あっという間に収集の沼にハマっていったと記憶しています。





ただ残念だったのは、スタンプが良い状態に保てていなかったこと。
御覧いただいているのは、1984年1月29日に押印した青梅線・奥多摩駅のスタンプで、フチがボロボロに欠けています。
まあ、これは利用者の中にけしからん輩がいたということ、ですね。





でも、駅側の管理に起因するものもあったようで、1983年7月21日に押印した東北本線・赤羽駅は、ゴム部分が外れないように絵柄上の3か所をビスで固定させるという愚挙に。
それ故に、押印跡には不気味な円形の空白が生まれてしまいました。

その他、スタンプ台の色を間違えて設置する駅もよくあり、友人はこの対策のために3色のマイ・スタンプ台を持ち歩いていましたね。

待合室ではなくて駅事務所に置いてある駅も多くあって、「スタンプはありますか?」と聞くと、面倒くさがりながらお菓子の缶に入ったスタンプをドンと出す駅員も多かったんです。



とはいえ、この「わたしの旅スタンプ」は期間が定められていた訳ではなく、それ故にいつまでも遊ぶことができたキャンペーンでした。

なによりも、スタンプノートに示されたスタンプ設置駅の地図を見ていると「訪れなければならない」という衝動が湧き起こりましたよね。
つまり、小学生や中学生が、自分の生活とは何の関係もない土地に憧れたりする仕組みが、インターネットもない1980年代に実現できていたのです。





これは1986年3月27日に七尾線・輪島駅で押印したときのもの。
まだまだガキンチョの頃に、スタンプを押すことを目当てにしてこういう土地にも立ち寄っているし、思い出の土地には大人になっても再び訪問したいと考えるものなのです。





このときは輪島で1泊しました。
ビジネスホテルなんてありませんでしたから、当時はずいぶんとリーズナブルな価格だった国民宿舎「輪島荘」にわざわざ電話とハガキを駆使して予約して、駅から大分離れたところまで歩いて泊まったんです。

日本海側に面した崖の上にありましてね。
夜空の下、坂の途中から振り返って見た日本海の荒波は今でも目に焼き付いています。

スタンプ一つでこうした冒険が引き起こされていました。



どうして今、この手のキャンペーンをやると、数週間の開催期間という制約と(大して欲しくもない)景品を付与するという施しのセンスがつきまとうのか不思議です。
期間を区切ってキャンペーンの成果を見るため、だと思うのならば大きな間違いで、そんな短期間で見えるものは「成果」でもなんでもないのですよ。

いつまでも変わらない取組が強いファン層を育てる、ということは普遍的な価値なんだと思う次第です。


今は、胡散臭い駅のスタンプラリーはスッパリやめていて、郵便局の風景入り日付印(風景印)に旅の思い出づくりの役割を求めています。
戦前から延々と続くスタンプ趣味の王道となっている理由はもうお分かりですよね。
設置する郵便局にとって、このスタンプの存在が当たり前だからです。
混雑しているときでも「緊張しますう~」「ちょっと下手なんです~」なんて仰りながら、でも終始笑顔で押印してくれる局員さんがほとんどですし、このときに感じるホスピタリティも心地よい。

いくつ集めても郵便局から副賞をもらえることなどありませんし、こちらも期待していません。
それでもファンは絶滅せず、新たなファンが現れ続けている…





大人になって、もう一度能登半島の日本海を見てみたくなり、家族を連れて出掛けてみました。

「鉄道とバスを乗り継いで、ここに泊まったんだよ」と車の中から指を差したその土地には、もう輪島荘は消えていて、同じ名前の特養施設に建て替えられていたのでした。


ではまた。

  1. 2022/03/30(水) 21:00:00|
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