しなのさかいの駅前広場

顔が平べったくてねー、

小淵沢 E353系ウォッチング

おはようございます。しなのさかいです。




先日のことになりますが、これまた現実逃避を兼ねて(最近はそんなことばかりしています)小淵沢まで行ってきました。

いつものように金曜日の夜18時頃に車で出発して、小淵沢駅に近い「ファミリーロッジ旅籠屋 小淵沢店」さんに1泊お世話になり、翌土曜日を朝から晩までフルに使おうという魂胆。
これも年度末の精神衛生上の配慮によるもので、女3人も同様の心理だというのだから利害一致、ツゴーアウジャンです。





翌土曜日の朝は、2か月半ぶりに旅籠屋さんの敷地から目の前の中央東線を観察しました。

ダイヤ改正(3月16日)を経た後でして、定期運用のE257系は過去の存在となっています。
だから来るモノは今をときめくE353系ばかりで、こんなにたくさんの新車を短時間で揃えられるという工業力(粗製設計?)に驚いてしまうのです。
聞けばE351系はもうこの世に1両も残っていないんだとか…。
あまり人気のよろしくない車両だと思っていましたけど、模型をやる人間としてはスマートなサイドビューが好みではありましたし、なんといっても乗車を含めた思い出がいっぱいあった車両だったんです。





基本編成と付属編成の併結部。
付属編成は特急「富士回遊」として大月から富士急行線に乗り入れる運用もあり、中央東線に限っては、このダイヤ改正にそれなりの話題が含まれていました。
中央東線における多層建て列車、というのも実に久しぶりじゃないですか。









新しい小淵沢駅の展望台に登って屋根の観察。
この辺は模型のウェザリングをする方への情報提供ということで。
屋根板の色は日々汚れますから、何が正解かとも言えませんね。





小淵沢駅ですから、小海線を登るキハ110系(キハ111+キハ112)もアイドリングしながら発車待ち。





こうしてボディの色を見ると、カトー製キハ110系の色の解釈は決して間違っていないように見えます。
塗装が劣化して浮いていました。





だんだんと車両よりも、こうした八ヶ岳の雄大な景色の方を見ている方が気持ちが休まるような気がしてきて。
それが普通なんでしょう。
坂道ばかりで大変なんでしょうけど、こんな風景の中で暮らしてみたいです。





駅の駐車場前で駄目押し的に駅構内を見ると、ナンバーは「キハ111-111」でした。
「だからどうした」なるのですけど、なんとなく得した気分になるのは根っからの貧乏性だからか…。

それにしても小海線にはこのカラーが似合いますね。
キハ110系もそんなに遠くない未来には引退しそうです。
さわやかな色は小海線の沿線風景とよく合っていて気に入っています。




その後、午前は「えほん村」で小学校の国語の教科書に収録されていた「もちもちの木」を読んで、物語の意味が分かるような感動を覚えたりして。
たまには児童書を読むのもイイもんです。





そして、清里まで移動して清泉寮で食事。
ゴールデンウィークになるととんでもない混雑が予想されますから、こうした閑散期を狙って体験しておく方がベターでしょう。
くるみ入りのドでかいパンがとてもおいしかったです。
最近は夫婦揃って、こんな自然志向のパンがご馳走に見えるようになっています。

ウッドデッキでムシャムシャしているうちに雪がチラホラ。
今年の冬は関東平野でほとんど見ることがなかった雪。
ここでは断続的にチラチラと降っていて、関東者にとっては冬のやり直しのようでした。





午後は道の駅「南きよさと」で野菜を買い込んで甲府盆地まで引き返して、韮崎、南アルプスをパスして久しぶりに「レールパル351」さんへ。
女3人が車内でグースカ寝ているので、その隙に少し立ち寄りました。
それにしても模型店があるような立地ではなくて素晴らしい!

実は、前回の記事でお見せしたアルピコバスはこちらで買い求めたものです。
その他、複線プレート線路もあったので、試運転用にS248の2枚セットを購入。
いずれも今となっては市場では出回らないものなので少し得した気分になりました。
店主さんに大変親切にご対応いただき、誠に感謝です。
お店の裏にある超巨大レンタルレイアウトを見学して、少しばかり常連さんとお話をさせていただいて退散しました。
店主さんはカトーのセールスミーティングにもよく参加されるそうです。

宇都宮のお店のときもそうですが、旅先で訪問する模型店はなかなかゆっくりできないのが難点。
また訪問させてもらいます。





旅の最後は例によって「ほったらかし温泉」に行き、フルーツ公園から雄大な夜景を見て大団円となりました。

このくらいの時間まで甲府盆地で粘ると、中央自動車道上りの渋滞とは無縁になります。
早く小仏トンネル上りの追加分を掘ってほしいです。



◻︎ ◻︎ ◻︎





カトー製E353系は3月26日に発売されました。
パープルの色調に様々な声があるようですが、御覧いただいたように撮影条件によって変幻自在なカラーのようなので、その辺は大目に見ていこうと思っています。
カトーもカトーなりの考え方があるでしょうし。

この週末には手にすることができそうで、再びレイアウト上で中央東線ゴッコをすることになりそうです。
トミックスのEH200のパーツ付けなどやるべきこともあるので、レイアウト作業と並行して進めていきましょうか。


ではまた。

スポンサーサイト
  1. 2019/03/29(金) 08:40:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

妙蓮寺から歩いて菊名まで

こんばんは。しなのさかいです。


先週末は、Nゲージ車両用のシールやらインレタが必要になりまして、ちょっと横浜駅西口のあの5階に足を運んでみました。
相変わらずトミックスの気動車達と戯れています。
レジカウンターに立てられた分厚い見本ファイルをめくって複数を物色しているうち、いろいろなお客さんが実にいろいろなことを店員さんに尋ねていて、その内容を面白く聞いてしまいました(ゴメンナサイ)。
皆それぞれ、たくさんのこだわりがあるのです。





その帰り道…。
素直に来たルートを戻るのも面白くないと思い、少しだけ東急東横線に乗って「妙蓮寺」で降りてみました。
当方、日常的に使うことがない私鉄線に乗る楽しみに気づきまして、最近の遊び方にもなっています。
その私鉄線も各駅停車に乗る方が面白いのかもしれません。
鉄道模型趣味に閉塞感を抱いたときは、フィールドワークをしてみるのも悪くありません。





文字通り、踏切を渡った駅前には妙蓮寺があります。
こちらにも興味がありましたけど、今回は菊名方面へ徒歩で出発。
手前の白楽界隈と同じように、駅前には懐かしめの商店街がありまして、ここを通り抜けて…





「菊名池」というスポットが現れました。
鉄道ではなくて鳥を対象としている方々が大きなカメラを構えていましたから、それなりの場所なのでしょうか。
お互いに理解していないことが多いですね(大笑)
当方にとっては、池を見渡しても甲羅干しをするカメにしか目に留まりませんで、池の水を全部抜く日も近いんじゃないかと案じてみたり。

のどかな冬の午後でした。





東横線と絡み合いながら菊名へ歩きます。
ただの踏切でも地形の起伏を観察できて面白いなと撮った1枚。
微妙に菊名方面(画面左)へ線路が下がっています。





その踏切を渡ってすぐのところにある坂道を登ってみたら、ソコソコの眺望が広がりました。
ちょうど5050系4000番台(10両)が元町・中華街へ。


そうなんです。
今回の散歩の目的は、東横線をキーにして起伏のある横浜を楽しむことでした。
「横浜」のイメージってどうしても港の見えるところに偏りがちなんですけど、実は幾重にも重なる起伏とその上に広がる住宅街も面白い観察対象ではないかと思っています。
アップダウンがあるだけ生活は大変かもしれませんが、土地土地に個性が付きやすくて少しだけ憧れますョ。





坂道を下りたところでまた1枚。
仕上がりは微妙な感じですが、当方は撮影を生業としているわけではありませんのでこのくらいで御勘弁ください(笑)

この後、さらに菊名へと歩き出したところでヒカリエ号が渋谷方面へ走り去っていき、もうしばらく留まれば良かったと後悔しました。
何も調べないで、カメラ1本だけ首から下げて散歩しているのですから、結末はそんなものでしょう。





そして、とてもベタな撮影スポットへ到着。
都合のいいカーブで編成全体を撮影できる…とかそういうことは当方にはどうでもよくて、住宅のある斜面が背景になるところに横浜らしさを感じる面白い場所だ、と思っています。
こういう場所、関東平野にはありそうでないんです。





「ここはどこなんじゃい」という写真になってしまいました。
西武池袋線ではありません。





横浜高速鉄道Y500系を使ってこの景色を撮影してみたかったんですが、あいにくのタイミングの悪さで1本も現れませんでした。
東急5000系、西武6000系(バカ殿)、東京メトロ7000系が多かったでしょうか。
「メトロ7000系はいつまで走るのかなぁ」とかそんなことも考えて。
この帯の色はなんだか似合わないですよね。





床下機器をじっくりと観察できたのは収穫でした。





梅の香りが漂う季節もそろそろ。
関西ひとり旅から1年が経とうとしています。

そんなことをしているうちに、学習塾やら飲食店が並んだ菊名駅前へ到達しました。





菊名から横浜線に乗っておしまい。
グラデーションの付いた緑色の帯は平成元年の使用開始から完全に定着。
都心部を走っていた電車のお下がりを頂戴するという暗い路線のイメージアップに大きく貢献しました。
白いマスクのE233系にはとても似合っています。





ここもよく見れば、こんもりとした丘が広がっていまして、正に横浜だよなぁと。
早々と自宅に帰って、その後はインレタ貼りに励みました。


ではまた。





  1. 2019/02/19(火) 19:20:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

再び伊那谷の終点へ

「奈良井のケーキと馬籠の夕焼け」編からつづく)




12月30日(日)。
2018年の年末、極まれり…という日であっても我が家はまだ昼神温泉にいました。
チェックアウトの後は、2年前に訪れてみたら意外にも楽しかった神坂神社詣でをしようということになり、山坂道を登坂開始。

その途中では「滝見台」に寄って「皿投げ祈願」をしました。
お休みだった門前屋さん(滝見台の下にあるお店です)の御厚意でお皿を買うことができたのは幸いで、その場でマーカーを借りて書き込み。





当方のお皿には、これまた例によってこんなことを書いておきました。
だいたい御利益はあるようですので、皆さんも試してみてください。
ただし園原まで足を運ぶ必要があります。





もう一度、地図で位置関係を確認しておきましょう。
神坂神社周辺が中央自動車道・恵那山トンネルのほぼ真上であることがお分かりいただけると思います。
伊那谷の南端は様々に解釈できますが、少しだけ西へ転ずる形で、ここも「端っこ」と言えるのですョ。

「ヘブンズ園原」は阿智村のスキー場で“夜になると満天の星空を拝むことができる”という触れ込みでロープウェイ(ゴンドラ)を営業しています。
そういえば前日の夜、宿ではミニツアーが催行されていました。





神坂神社、再び。
参拝者など誰もいません。
巨大な杉の木が何本も天に向かってまっすぐに伸びていて、まずはこれが目に入ります。
あたりは静けさが漂っていて、鳥の鳴き声か風の音くらいしか聞こえてきません。
そして天気は冬晴れで、午前に広がる空は真っ青で。
こういう場所、「とっておきの場所」と言えましょう。





特筆すべきことは、神社の横に「古代東山道」が美濃へ通じていることなんです。
だからここにこうした社があるのも理解できますよね。

実質的には登山道のようなもので、神社前の駐車場へ車を置いて、ここから徒歩で神坂峠へアタックする人もいるみたいでした。





かつても「この先にはみやこが…」なんていうことを考えて登っていった人が大勢いたのでしょう。
昔も峠越え、国境越えのプロセスにはそんな高揚感があったに違いありません。

このか細い道が、数百年後には真下にある恵那山トンネルに置き換わったことになるわけで、長大トンネルに何らかの想いを馳せる方がいればいいのですが、おそらく大体の方は「なげートンネルだなぁ」というマイナス思考でハンドルを握っているのでは。
「その真上にはこんなドラマチックな場所があるのですよー」と教えてあげたくなりますよね。
そんなことをいろいろ考えてしまいました。





神坂神社から麓に戻る途中では再び「信濃比叡」にも立ち寄りました。
ここは「比叡」の呼称が全国で唯一許された知る人ぞ知る、という場所です。
あの「不滅の法灯」も分灯されていますし「根本中堂」もあるということで“ミニ比叡山”な感じ。

12月30日というお正月前の半端な日ですから、やはりここも我が家だけでして(2回目の訪問ですから分かってはいたことです)。
でも逆に、住職さんには「年末に来られることはとても大事なことですよ。よく来られました」ということで歓迎され、まぁ座っていかれなさいとのことで、般若心経を唱えることの意味を教えてもらいました。
まさか今回の旅で般若心経を知るとは思っておらず、ちょっと得した気分になりました。

教えてもらった後、娘たちには「アウトドア般若心経」の存在もそっと教えておきましたが、そちらにはあまり興味を示しませんでした。





ここから南アルプスを望むと、いにしえの旅人の気分になれます。
この景色は間違いなく数百年前も同じですね。





信濃比叡の住職さんに歓迎してもらえる意味も分かるんです。
こうして「ヘブンズ園原」を眺めれば、この日もやはり家族連れと思われる車で駐車場が埋め尽くされていまして。
一般論として、温泉宿をチェックアウトすれば、まずはこういうレジャースポットをめざすものなのでしょう。
鬼怒川温泉と日光江戸村たちのようなものです。
それなのに我が家は、あえて誰もいない隣の尾根を登っているのですから(笑)

でも、こうした所で見る方が、同じ景色でもより良く目に焼きつくんじゃないかなと思ってみたりします。




その後は伊那谷ドライブとなり、ドライバー以外は寝たり起きたりの繰り返し…





「だったらば…」
せっかくなので飯田線の空気を少しでも吸って帰ろうと考えて、七久保駅に寄ってみました。
あいにく列車が来る時間帯ではなかったので、駅の観察だけです。





豊橋方を見て…






辰野方も見て。
当たり前ですか、やはり列車が来る気配などなく。
のどかな風景が広がっていて、帰りたくなくなります。

前述のとおり伊那谷は「谷」といってもV字状の木曽谷と比べてとても緩やかな谷で、どちらかというと盆地のような感覚です。
ただ、この飯田線の七久保付近は、谷の中腹を縫うように走っているため、駒ヶ岳方面から吹く空っ風が「ゴーッ」と駅を抜けて街の方へ降りていきます。





南アルプスを見るならこの季節…という気持ちになります。
こうやって駅名標と重ねて見ることができる七久保駅は、当方にとっては間違いなく観光スポットであり、313系が入らなくても絵になると考えます。
さすがに訪日客はここまで来ないでしょうから安心してまた来ることができそうですね。





「グリーンファーム」でお正月用の野菜をたくさん買って、その駐車場から見た南アルプス。
冬の伊那谷は見どころがたくさんあります。


ところで「グリーンファーム」はこの冬、隣の敷地に建屋を新築して移転するそうで、もうほとんどその準備が整ったようでした。
オンボロ(失礼)の佇まいが大好きだったのですが、空調も整うようですからそれはそれで良いことなのでしょう。
移転しても店頭で販売している大学イモはやめないでくださいね。
それから骨董品の販売も。
今回は国鉄時代のポイント転換表示器が20,000円で売られていましたが、ノリで買うものではないなと戒めて、そのまま帰りました。
興味のある方は伊那へ急行してください。





伊那谷のもう片方の「端っこ」は諏訪湖。
ここへ到達することで、神坂神社から北上して地形的に伊那谷を縦走し尽くしたこととなりました。





日没まではもう少しあるようで、上諏訪温泉の宿泊客が手持ち無沙汰に湖畔を散歩していました。





その後は我が家の庭のような甲府盆地へ。
「小作」竜王玉川店でシメの“ほうとうタイム”となりました。
店内は家族、いや「一族」と言えそうな多世代ミニ団体客ばかりで、「この地域では年末にほうとうを食べる文化でもあるんかいな」と思うくらいの混雑ぶりで。
いろいろと観察してみるものです。





ダメ押しのおみやげは、談合坂SAで買い求めた台ヶ原宿金精軒の「くるみ信玄餅」。
内容だけでなくデザインも優れています。



以上が2018年の締めくくりでした。
お付き合いいただきありがとうございました。
ではまた。



  1. 2019/01/18(金) 22:30:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

奈良井のケーキから馬籠の夕焼けへ

「信濃境で35年後の185系、そして山賊丼」編からつづく)




小松食堂で山賊丼のランチを済ませた後は、小野酒造店で「夜明け前」を買って、年末恒例の木曽路ドライブをすることにしました。
この日の宿泊地は、またもや昼神温泉に定めていたので(ワンパターンですが)、国道19号を南下して日没までには「馬籠宿」へ到達することが目標。
伊那谷(中央自動車道)を進めば早いけど、どうしても冬の木曽路の景色の方が見ていて印象深いし、日差しの強い伊那谷はこの季節、午後の時間帯に南下するとずっと西日を当たり続けることとなるので、面白くありません。
だから迷うことなく「木曽路」、というわけなのです。





国土交通省が設置した温度計が「1℃」とか「0℃」を示す国道19号。
信号に引っかかることなどなく、ひたすらトラックの後ろを追いかけながら「半日村」のような、日影ばかりの木曽路をひた走り、奈良井駅までやってきました。
ここら辺で14時でして、コーヒーブレイクすることも定番化しています。





ちょうど313系1300番台が木曽福島へ出発。
旅先で車両に出会うとき、その1/150を持っているときは安心感があり、そうでないときは「帰ったらすぐに近所の量販店へ…」なんていうことを考えることばかり(散々説明してきましたが)。
今回はもちろん前者なので気持ちに余裕がありました(笑)





「奈良井宿」は何度来ても「程よい保存」が行われていて心地よいし、安心感があります。
同じ“木曽十一宿”の仲間であり、街並み保存のパイオニアである「妻籠宿」は、もはや「◯ー◯◯タウン」と化していて、一度連れて行った娘たちはあまり行きたがりません。





雪がチラつく中、今回は古民家カフェの「こでまり」さんに寄らせてもらいました。
入口は正に江戸時代の建物のそれで、狭い戸を潜るときに頭をぶつけそうに。

こういう喫茶店は妻籠宿には存在しません。
妻籠自身がそういうことにしているからなのです(詳しいことは省略)。





チーズケーキと濃いめのコーヒーでブレイク。
薪ストーブの暖かさも加わり、静かでゆっくりとした時間が流れていました。





年末のザワザワした日に、深い木曽谷の中で過ごす静かな時間は、都会の人間にとってはとても贅沢で、一度経験してしまうと、やめられなくなります。
もちろん、店内にテレビやラジオ、BGMの音などは鳴っていません。
ひたすら薪ストーブの「ゴー」という音だけです。

こうして中から外を見ていると、明らかに訪日客と思われる方々が楽しそうに写真を撮っていました。
しかし“まだ”個人的な少人数のグループのようです。
京都や鎌倉のオーバーツーリズム状態を見ていると、そのうちこの辺にも波が押し寄せてきそうな気がして、こうした静かな場所も「そのうち面倒なことになるのかなぁ」と思ってみたり。
いずれにしても「観光地」という場所に求める本質を見極めないといけない時代であることは間違いないでしょう。



再び車に乗り込んで、1時間(木曽路は長いです)。





日没ギリギリの馬籠宿に到着しました。
京都方での木曽路の入口で、坂の下、濃尾平野へ向かって広大なパノラマが広がっています。





中津川の街を遠望。
おそらく中央自動車道の中津川ICあたりかな。
あの辺りまで行くと、もう「名古屋文化圏」です。
こういう境界を感じるプロセスが我が家の旅には大事。
「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」で県境を越えるときにやるアレのような感じです。





行灯がともり始めると、もうそろそろ木曽路は闇の中。
そんな頃合いでも、下のバス停(中津川駅からのバス)からキャリーカートを引いて登ってくる外国人がチラホラいて、数年前に感じたとおり「こんなところを宿泊地に選ぶなんてなかなかいいセンス」と感心。
気のせいか、数年前よりもゲストハウスのような物件が増えているようでした。





そして日没の時刻となりました。
2018年の年末も、ここでの夕焼けを見ることができ、まずはホッとしたところ。
しかしその次の瞬間「また来年も来れるだろうか」とさみしい思いが押し寄せてきて、結局はそんなことを繰り返すんだろうなぁと考えてみたり。
でも最近は、そんな繰り返しでいいんだろうと思うようになりました。



この後は、完全に闇と静寂の中となった国道256号を昼神温泉へ走って、「湯多利の里 伊那華」で1泊。

昼神温泉へは中央自動車道で恵那山トンネルを抜けて園原ICへ行くのが順路なのですが、はるか先の中津川ICへ出る必要があり、ハードな大回りとなるので、今回は国道を選びました。
数年後には中央自動車道の神坂PA(馬籠宿に至近)がいよいよスマートIC化するそうですので、そんな必要はなくなりそうです。
でも、馬籠宿が一気に俗化しないか、そんな点が心配でもあります。


(つづく)


  1. 2019/01/14(月) 17:20:32|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

信濃境で35年後の185系、そして山賊丼

おはようございます。しなのさかいです。

年末年始のお休みも完全に過去のものとなり、気がつけば普通の生活の中にいるわけです。
2019年が楽しく過ごせるか、また1年が平穏に暮らしていけることを願って、日々邁進するしかありません。



さて、今回は年末の「信州ミニトリップ」のお話。
時間を12月29日に戻します。



関東平野の住民は、年末休みの初日であるこの日の朝に出掛けると、十中八九高速道路の渋滞に巻き込まれて首都圏を脱出することが困難になります。
そこで我が家ではそこで、こういうパターンを避けるため、前日の夜のうちに小渕沢まで移動しておくことにしているんです。
そうすることで自宅から1時間30分で移動できます。
当然ながら宿泊料の負担が発生しますが、「渋滞」という非生産的な時間を使うよりははるかにマシだと思っていて、そんな移動時間で済む我が家の土地(いわゆる首都圏の郊外)も捨てたもんじゃないと再認識するわけです。





当方の家族の「大型化」が進んだことからとっくに限界を感じていますが、今回もまた「ファミリーロッジ旅籠屋 小渕沢店」で1泊させてもらいました。
ほとんど仮眠のようなものなのですからこれで可です。
10年くらいあちこちの各店を繰り返し利用していますから、利用履歴が大したことになっているのでしょう。
最近ではチェックイン時に管理人さんからねぎらいの言葉をかけてもらうようになりました(笑)





敷地内から中央東線を行き交う列車を観察できます。
宿泊客の特権ということで、今回も少しだけ戯事をしてみました。
気温は1℃程度。
手の感覚が無くなりそうな中で押したのはこんな写真。
気がつけば東線はE353系がバンバン行き交うようになっていて、E351系は完全に過去の存在となりました。





小淵沢の新しい駅舎の屋上には展望テラスがあり、晴れた日であれば富士山が丸見えです。
山頂付近には舞い上がった雪が見えて、単独峰の凄まじさを観察。
これが冬の富士山なのでしょう。
確かに風の強い日でありました。





朝食は「旅籠屋」の無料パンと、それから小渕沢駅構内で丸政が営業する駅そば。
当方ではなく、女3人のこだわりなので「それならいいよ」と必ず立ち寄ることにしています。
「山賊そば」なんていうのもありましたが、ここはシンプルに「かけそば」をオーダーする方が好み。
何事も基本から、です。





その後は、ひさしぶりに隣の信濃境駅にも立ち寄ってみました。
小渕沢は山梨県ですが、信濃境は長野県となっています。

佇まいはドラマで話題となった約20年前(1997年)からほとんど変化がありませんで、時間の流れが非常にゆるやかなんです。
そんな点が非常に気に入っていますし、ドラマの舞台(田舎の風景)として見出した当時のスタッフの目も間違っていなかったということなのでしょう。
都会人からすれば、「のんびり」という要素はとても贅沢なものなのです。





で、ダイヤを何にも調べないで立ち寄ったので、車から降りた数分後にはいきなり185系特急「はまかいじ」。
慌ててシャッターを押したら、なんだか185系がデビューした35年前に撮影した成果と同じような仕上がりになってしまいました。
ついでにそのデビュー当時に撮影した「成果」ですよ↓


1983112002.jpg

1983年11月20日 熱海

当方にとって「185系」とは、こういうアングルで撮影する対象であり続けたようで(笑)

最近、「踊り子」というネーミングを斬新に感じた1980年代初頭が懐かしくて仕方ありません。
鉄道雑誌も、その他一般メディアも、ネーミングだけでなく、ホワイトボディに斜めストライプという想定外のデザインをまとったこの新型車両を取り上げっぱなしでした。
国鉄に関するその他の明るい話題がなかった点もあります。
また、交通博物館で売っていたHM下敷きも「あまぎ」が収録されている旧タイプが疎まれて、「踊り子」が収録された方を持っている児童のステイタスが上だったと記憶しています。
「『あまぎ』ってなんだよ」みたいな。
そんな当時、当方は知恵が足りなかったので「あまぎ」(=天城)という意味すらわかりませんで、「違うだろうな」と思いながらどうしてもウルトラ警備隊の「アマギ隊員」(古谷敏)のビジュアルが湧いてしまい、困ったものでした。

今思えば「ダンサー」でもよかった気がしますが、「伊豆の踊子」と「伊豆のダンサー」ではかなり意味が変わってしまいますので、やはり「踊り子」でよかったのでしょう(笑)





余談でした。
信濃境郵便局のATMに来た方に「今のは珍しい電車なの?」と聞かれたので、カクカクシカジカと答えたら「へぇー」とのこと。
でも当方が何も知らないで偶然に目撃したことを伝えたら「えぇっ?」
偶然が重なるとさすがに驚き方もオーバーになるようです。

来月にトミックスからリリースされるHG185系(現行タイプ)は、こんな懐かしい頃の思い出をよみがえらせてくれるでしょうか。
(当方は登場時仕様と新湘南カラーを期待しているので今のところ買う予定がありません)。

1981年のデビューからは37年ですか。
お疲れさまでした。
相模の国に住む当方としては当たり前のような存在でしたから、引退の日が迫っている事実にピンときません。
普段から撮影などをしないので積極的に見に行くことをしませんから、おそらくここでお別れとなることでしょう…。





記念に駅名標も。
なんだか不思議とひらがなの方がしっくりくるなあ(笑)





普通列車は115系が当たり前でしたが、今では211系に。
いわゆる「長野色」が秀逸だと思っているので、車両が代わってもそんなに違和感がありません。
211系も国鉄時代の車両だから、でしょうか。







そしてE257系特急「あずさ」が高速で通過していきました。
付属編成が付かない9連だったようです。
こちらもそろそろ見られなくなると思うと、18年なんていうのはあっという間だったんだなぁと(E257系は2001年デビューです)。
2001年も今と同じような趣味をしていて、カトーから久しぶりに再生産された165系PEAを買って喜んでいたりしたのです。
その頃から18年。
恐ろしすぎます。
この趣味(実車だけでなく模型も)をやっていると、やたらと近年の出来事が西暦でインプットされていて、便利なようで恐ろしい面もあり困ります。






その後は、中央自動車道で諏訪方面へ進む手もあったんですが、気まぐれ的に国道20号を走りたくなりました。
なので、一気に谷底まで下り(国道20号(甲州街道)は谷底を走っているのです)、20号を岡谷へ。
そこから今度は国道19号で塩嶺峠を越えてみました(2回目)。
塩嶺峠は我が家の1500㏄でもすいすい登れますので運転していて楽しく、なによりも諏訪湖を展望できる車窓が抜群に面白い。
地形間隔を養うためには、こうしたプロセスを踏むことも重要です。
塩嶺峠から下りきらないところで国道153号へ入り、トラック街道のような風景の中にポツンとある「小松食堂」へ。





本当に周囲に何もない街道のかたわらにポツンとあります。
2018年最後の営業日だったようで、客層は営業途中の会社員だったり、塩尻から来た地元の家族連れだったりと様々。





目当ては500円の山賊丼。
「山賊焼き」というものがのっかったどんぶりメニューです。
「山賊」というフレーズを読んだだけだと素人は「?」ですが、ウイキの解説を借りれば「鶏もも肉を、すり下ろしたニンニクやタマネギを効かせた醤油ダレに漬け込み、片栗粉をまぶして油で揚げ」たもの。
あくまでも「焼き」ではなくて「揚げ」である点がミソです。
松本・塩尻地方のソウルフードとなっていて、その起源は諸説ありそうなので、、興味のある方はウイキで続きをご覧ください。
お肉の下、ごはんの上には大きくちぎったキャベツがのっています。

またひとつ、地域の文化を知りました。

(つづく)






  1. 2019/01/12(土) 11:15:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

2019年 あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。
しなのさかいです。




2018年12月29日 小淵沢にて

毎年、このタイミングで実に適当なことを書いています。
あらためて振り返ると、この「落書き」、ブログ開設当初ではなく、開設から数年経った2013年の正月からでした。
よくもまあ、新年早々図々しくやってきたものだと反省しています。
1年を過ごす中ではたびたび「そろそろやめようか」とも思うんですが、こうして新年を迎えてしまうと「一応、何かしら書いておいた方がいいのかしらん」と思ってしまいまして。
今年も結局はパタパタとキーボードに向かってしまいました。
どうか、当方のわがままをお許しください。


過去ログです↓
「2013年 あけましておめでとうございます」
「2014年 あけましておめでとうございます」
「2015年 あけましておめでとうございます」
「2016年 あけましておめでとうございます」
「2017年 あけましておめでとうございます。」
「2018年 あけましておめでとうございます。」




さて、いつものように考えてみることとしましょう。
「2018年」という年は、Nゲージで遊ぶ皆さんにとって楽しい1年でしたでしょうか。

もしかしたら、1つくらいは涙を流して喜べるニューアイテムと出会うことができたのでは?
それとも、「鉄道コレクション」をいっぱい買ったがために、大量の箱が雪崩となってあなたを襲ってきたでしょうか。
残念ながら「鉄道模型はもうやめましたよ」なんていう方もいらっしゃるかもしれません。





当方にとっての2018年は…
2017年に引き続いて、目をハートマークにして心から「待っていましたョ!」と言えるようなアイテムは少なくて、例えばこの119系くらいでした。
いわゆる「入線報告」が少なくなった理由にはこうした背景があります。




その「背景」の原因については、これまでにも「メーカー各社に対する所感」という形でお話してきましたね。
おさらいをするとざっとこんな感じ。


【カトー】
関連性が見られない新製品群は、まるで複数の人の好みをそれぞれ具現化した結果のようで、さらには小売店サイドの「これやってよ」という要請に右往左往された結果のようにも。
新規金型で新しい形式をつくれるようになったら、今度は間髪入れず、塗り替え品の製品化発表(もう少し先に送りましょうよ)
地域的な偏りも強すぎて、碓氷峠、信州、北陸、上越といった長野県を取り囲む路線を舞台にしたネタの波状攻撃(当方にとっては好きな地域ですが、さすがにお腹いっぱいです)
気が付けば再生産アイテムが占める割合が大きくなっていて、毎月のポスターの鮮度は明らかに劣化しました。
そして極めつけは、抱えたC62常磐形の在庫を動かそうとしただけに見える「みちのく」という企画。
画家の存在も気になりますねえ。



【トミックス(トミーテック)】
“カトーの沈没”に対して、皮肉にも相対的に企画を注視するようになってしまいました。
デアゴスティーニの企画のような「43.10改正ネタ」はイマイチでしたが、今後のライト・オジサン向けアイテムの展開のための「観測気球」ということであれば「次はいよいよアレか?」となります。
そして、185系や223系2000番台のような、多くのユーザーが待っていたと思われるアイテムを企図するところは、思わず「わかってるねえ」という感想。
ただ、良い意味でユーザーの期待のさらに上を行くような企画があるわけではありません。
仮にそうした企画が見られるとすれば、それは「ジオコレ」方面となるでしょう。
しかし「鉄道コレクション」という簡素な仕様で立体化され続ける展開はやはりいただけませんで、これではNゲージとして存在しないことと同じです。
一度「鉄コレ化」したアイテムを「トミックス化」するくらいの事件が起これば、ユーザーにとっては歓喜となるのでは。



【マイクロエース】
相鉄9000系によって、暴騰した価格の鎮静化が見え始めました。
また、最近は純粋に「再生産」と称するアイテムが多くなっていますが、このことは高騰した価格で再生産することを避けるための理由付けとして「改良品」化をしなくてもよくなった、ということなのでしょうか。
しかしまだまだその確証は得られず、ユーザーとしては相変わらず距離を置いてしまうメーカーとなっています。
そうなんです、マイクロエースとの付き合い方はとっくの昔にガラリと変わってしまっているんです。
今更2000年代のように戻ってほしいとは思っていませんが、たまにはかつての「狂犬ぶり」を発揮していただければと。
そんなエールを送っておきましょう。
JAM会場限定品だったキヤ92は、模型の出来以上に楽しませてもらいました。
今のNゲージ市場には、「製品化する」という情報に接したユーザーが思わずニンマリとしてしまう点が求められているんだと思います。
蛇足ですが、オオカ商事の持ち込み企画「マイクロスピーカーシステム」は、価格が高すぎましたし、あの基盤むき出しのデザインはどうも残念でした。



【グリーンマックス】
EVO103系の新展開(再始動)には率直に期待しています。
ライトユニットの製品化告知により、ようやくうたい文句どおり「ユーザーの手で完成品と同じレベルへ持っていける」こととなりました。
“キットメーカー”という点でこのメーカーのアドバンテージがあるのですから、そもそも完成品で他のメーカーと勝負する姿勢には憂いをもって見続けてきました。
先行メーカーとは、汎用性を意識し過ぎた設計思想とパーツ構成でどうしても見劣りしていますし、その一方でなぜか価格は高い。
これでは買ってきても「手を加えよう」とは思えないでしょう。
手を加える必要性ばかりのキャンバスのような完成品なのに、です。
あえて半完成品状態で出荷して、その後は「ユーザーに委ねてしまう」という“おおらかさ”は、この市場のどこかにあってもイイんですよね。



【モデモ】
とにかく江ノ電でがんばれ(笑)


まあ、このくらいにしておきましょう。


その反面、2018年の鉄道模型趣味の基幹となった方向性は、やはり「レイアウト工事」でした。




2002年に着工してからは、予定がない休日や仕事から帰った平日の夜間など、自分の気力を見極めながらコツコツと工事を続けてきました。
しかし、その途中では長いインターバルを設けてしまうなど、決して前向きでいられ続けた日々だったわけでもなく、どちらかというと次第に車両集めがメインとなる日々多くなっていったような気がします。
「こんなんじゃ、いつまで経っても終わらない」
2016年頃にはそうした自覚が芽生え、2017年、2018年と年を重ねるにつれ、ストイックに作業を積み重ね、とうとう。





簡単に言えば、ボード上のすべての「土地」に何らかのシーナリーを表現できたということ。
もはや利用計画が白紙となったままの土地は存在せず、バラスト、土、草といったグランドカバーは土地の用途に沿って施すことができました。
この作業に没頭している間はなかなかビジュアルに耐える画像を撮影することができず、その結果ブログの更新が途絶えがちだったわけなんです。
あらためてこの場でお詫び申し上げます。
2019年を迎えた今は、ようやく「レイアウトに完成なし」というセリフを言う資格を得たような、そんな気分でいるところです。

とはいえ、ここからは正に「走らせながら手を加えていく」つもりであり、心のどこかには余裕が生まれる見込みなんです。
ですから、車両を増やし続けるだけの遊び方からは何とかして脱し、自分にとって必要とする車両がよりはっきりと見えてくるような、そんな遊び方をしていこうと考えています。


…と、ここまでは、自宅の模型部屋の中で考える自分にとっての趣味スタイルの改革の話。




その一方。
別の角度から、鉄道模型趣味に対するアプローチを変えてみようと考えて出した答えが、長期勤続休暇を利用した2月末の「関西鉄道ひとり旅」でした。






2018年2月27日 石切にて

鉄道模型メーカーから発信されてきた「遊び方の提案」が変容してしまったので、それならば自分なりにフィールドワークをやって、もう一度、実体験から模型の世界へのダイビングをしてみようと考えてみたのです(ちょっとオーバーですけどね)。
思い出せば、1980年代から1990年代にかけて、日本全国を旅してこうしたフィールドワークを行ってきた、その体験が今の模型の車種選択につながっているわけで。
だったら、もう一度「乗り鉄」をやってみたらいいんじゃないか…と。

帰宅した3月には、たかが4泊5日の旅行なのに、延べ19回に渡ってその記録を書かせていただきましたが、皆さんの反応を聞かせていただいたところ、概ね歓迎されたようでホッとしました。


あらためて気づかされたことは、関西圏における鉄道文化が実に多様であることでした。
そして、この気づきをもとに、Nゲージ市場における関西方面のアイテムに対して自分のアンテナの感度が強くなりました。
それまでは、様々な関西(特に私鉄)ネタに対しては「あんまり自分には関係ないな」と思い、気持ちをシャットダウンしていましたから。
こうして2018年は、自分の中で大きな変化が起こった年となりました。
フィールドワークを「撮影」と「乗車」とで区別することができるかは分かりませんが、模型趣味との親和性を考えると、その土地土地へのなじみ方を観察することができる「乗車」に軍配が上がるのではないでしょうか。
いや、そうなのだと思います。





「自分はどうしてこの車両が好きなのか」
模型の世界では、こうした自問自答は絶えず行われるべきであり、できれば他者へ説明できるくらいがいいですね。
そして、その答えの中には地域全体、その土地土地の日常を包み込むような眼差しがあると、なおいい。
そこに好きな人が住んでいるわけでもないのですが、関西で乗車した各路線にはそうした思い出が残り、その結果として模型で保管することとなりました。
こういうプロセスを踏んで手にした模型は、ひょっとしたらいつまでも手元に残るモノになるんじゃないかナ。


地面(レイアウト)の上で車両を走らせながら、たまには外に出て実体験から1/150の世界を捉えなおす。
2019年もこんなスタイルでやっていけたらいいなと考えています。




(おまけコーナー)



先日のこと。
久しぶりに劇場へ足を運んで見た映画は「かぞくいろ -RAILWAYS わたしたちの出発- 」。
何といいますか、きちんとした対価を感じられる、そんな映画でした。

タイトルから「ああ、中身はあーいう感じなんでしょ?」と問われれば、ほぼその通りです。
しかしこのシリーズには一貫して、その土地の暮らしをそのままスクリーンに移植しようという試みが見られます。
そこが実に優しい。
特に、勤務から明けた鉄道員が帰宅するところは、さりげない日常が感じられる定番シーンです。
前作では自転車での帰宅、今作では軽自動車での帰宅でした。





カトーの「ななつ星in九州」が好調に売れている中、当方は勢いでこんな水戸岡デザインの車両を導入してしまったわけです。
なんだか面白いですよね。
あははははは。




まとまりのない文章で申し訳ございません。
今年もいろいろと書いてしまうでしょうが、お手柔らかにお付き合いいただければ幸いです。

では、2019年のスタートです。


  1. 2019/01/01(火) 00:01:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:18

よいお年をお迎えください。




2018年12月14日 山梨県甲府市にて


2018年も残り数時間となりました。
1年間お付き合いいただき、ありがとうございました。


しなのさかいの駅前広場


  1. 2018/12/31(月) 14:00:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

関東者なのに221系が好きであるというその理由

おはようございます。しなのさかいです。




そろそろ、カトーの221系リニューアル車が鶴ヶ島の工場から出荷され、店頭に並び始めている頃合でしょうか。
221系の「旧製品」は1990年代初期に発売されてから、その後にJRマークの印刷、スカートと台車のパーツ更新、セット構成の見直しが行われましたが、基本的には当初の設計のままで四半世紀を乗り越えてきたもの。
ずいぶんとお世話になった模型でした。
この辺の話題は後ほどに回すこととしましょう。


さて、この221系。
不思議なことに、関東平野に暮らす1人の人間が、民営化直後のJR西日本〈アーバンネットワーク〉に興味を持つきっかけになった車両であり、30年近く、自分の手元に置く模型のラインナップにおいて欠かすことができない車種となり続けています。
それはなぜか… というのが本稿のテーマです。





数年前、ロマンスカーの中で謎のお友達の座間猫さんから譲ってもらった、221系のデビュー時のパンフレットを引っ張り出しました。
我が家にはこうした各形式・車両のデビュー時のパンフレットがたくさんあり、その中の一つとして収めさせてもらったもの。
表紙のモデルさんの格好から、なんとなくバブル期の空気感が伝わってきます。

残念ながら中身まではお見せできませんが、なんと言いますか、その頃にもうデビューしていたJR東日本の651系やJR九州の783系などと比べても、重みのある雰囲気を感じていました。
内装はシックに落ち着いていて、それまでの近郊形とは全く別物。
それでいて特急料金が不要なのですから「関西の方が民営化の波ですごいことをやっているじゃない」と思ったものでした。
庶民が日常的に乗る車両だったから、なおさらだった訳です。





1990年3月21日 新大阪

おそらく「初めて221系を目撃したときの1枚」のはずで、デビューから1年が過ぎた頃。
新宮鈍行(165系6両編成)に乗る直前の目撃でした。
でもまぁ、これはただ単に「見た」というだけの話。




ところで、1980年代の終わりから1990年代の前半にかけて、この頃は「青春18きっぷ」や周遊券の利用が自分にとっての全盛期でした。
そして、大阪へ行くときは、決まって“大垣夜行”を利用していたのです。




1990年7月23日 東京

懐かしい一段下降窓ですよ。
このときも「京阪神ミニ周遊券」を使って、夏休みに入ったばかりの東京駅ホームに立ちました。
文字通り京阪神をあちこち行ってみようという魂胆で、友人数人を引き連れての旅立ちでした。
1980年代から何度か「18きっぷ」を利用してきた身としては、この頃すでに、夏休みの大垣夜行がいかに恐ろしいことになっているかを十分理解しており、その回避策として「京阪神ミニ」+「サロ165」は必須としていたのです。
それでも念には念を入れ、夕方17時からホームに並ぶことは怠りませんでした。
大垣までとはいえ、結局は座席が指定されないグリーン券でしたから。
座れなければどうしようもなかったのです。


やがて発車時刻が迫るにつれ、ホーム上は通勤客と若者のグループが入り混じって大混雑。
入線した165系はデッキにも隙間がないくらいヒドイ有様で、非情にもそのまま大垣へ向けて出発。
サロ165にいると、この地獄絵巻を貫通扉の曇りガラス越しに感じ取ることができ(突っ走った手とかが見えるのです)、それは居心地の悪い、寒気を感じたものでした。
朝のラッシュ並の混雑のまま名古屋まで下るという荒行は、並大抵のことではありません。




問題はその翌朝。
そんな“18キッパー”は、いわゆる「大垣ダッシュ」をして一刻も早く西へ向かう傾向にありました。
165系から今度は113系へ。
座席数も少なくなり、東京からの立ちっぱなしを継続しなきゃならない若者も多かったことでしょう。

しかし「別に急がない」のであれば、大垣で一呼吸置いて、次の次くらいの列車を選べばよかったのです。





1990年7月24日 米原

実は(別に秘密のことでもなんでもありませんが)そうすることで、米原で始発入線待機している221系に乗ることができたのでした。
しかもガラガラで、この車内設備でも料金はもちろんタダ。

大垣夜行の余波が完全に消えてしまった時間帯に見る221系はとても輝いて見えたもので、関東者であるのに221系ファンでいる人の中には、当方のように、こんな手順を踏んでそうなった方もいたんじゃないかなと思った次第です。
「スゲえな、西日本」
本当にそう思ったのでした。
221系を外観だけでなく乗車体験から捉えてファンになってしまった、そんなメカニズムのお話でした。





1990年7月25日 法隆寺

ちなみに翌日は「大和路快速」で再び221系に酔いしれていました。
台車にヨーダンパが取り付けられるはるか前で、前面幕も英語表記が添えられていません。
スカートもデビュー時のショートタイプのままで、こちらの方が“軽快さ”がある前面でした。
こいつが120㎞/hで山間部の多い関西本線を爆速するのですから、カルチャーショックが起こるというもので、しかも4(221系)+2(220系)=6という奇妙な編成であったところもショックでしたね。
220系はとうとう模型化されませんでした。





1991年11月8日 湊町

翌年も221系を見に行ったという証拠写真です。
まだ地上に存在していた頃の「湊町」。
103系は冷房改造もされていないようです。
この頃の奈良の103系には前面がウグイス色のままで好きだったのですが、いつしか野暮な白帯が入れられるようになってしまいました。
残念。





1991年11月9日 奈良

これは以前ご覧いただいた奈良での写真。
空がオレンジ色に染まっているのはフィリピンのピナツボ火山の噴火の影響だと後日に知りました。
奈良を観光した後も221系で大阪の安宿へ引き返すところ。
今なら、趣向を変えて近鉄奈良線で帰れば良かったのに…と思ったりしますが、とにかくこの頃は何回も221系に乗って、その乗車体験を東京に持ち帰るミッションに燃えていたんだと思います。





1997年12月14日 新今宮

それから6年後の冬にも大阪の地に降り立ちました。
221系に大きな変化はなく、強いて挙げれば「新快速」の運用に223系1000番台が入り始めた頃というところでしょうか。



それから後は、関西方面に足を踏み入れることがなくなり、雑誌などの情報で221系の形態変化、新快速運用からの離脱などといった情報を目にするだけの年月となりました。
そして極め付けが、今般のリニューアル工事。
ライトの光り方もそうだけど、併結を考慮した4両編成には運転台脇に転落防止幌が取り付けられました。
この施しは、安全措置であるとはいえ、221系の前面のカッコイイ傾斜角度を殺すような措置に見えてしまい、かなりのショックでした。
225系ではその角度が存在すらしていませんから。





2018年2月25日 木津




2018年2月25日 奈良

しかしながら、2018年に入ってこうして約20年ぶりに221系との再会を果たすと、もうそんなことはどうでもよくなり(笑)、それよりもデビューから30年も経つというのにカラーリングも、基本的な外観もそのままであり続けたところに感激してしまったのです。





2018年8月23日 京都





2018年8月25日 京橋

今年の夏にも、下の娘を連れて乗ってきた221系。
娘に大和路快速の乗車体験をさせるならば、キチンと大阪環状線内から乗ろうと思い、北新地からわざわざ京橋へ転進。
ここから奈良へは1時間のショートトリップでした。


30年も経つというのに、そのままの格好でそのままの運用(大和路快速)に就いているのですから面白いですよね。
もし、自分がこの趣味を持った頃に、そこから30年前の電車を挙げてみたとすれば、それは恐ろしいほどの古典的なものばかりだったはず。
221系は1989年のデビューでありながら、デザインに今どきの車両との隔たりを感じません。
当時のデザインが余程優れていたのか、それともここ30年の工業デザインの進歩が思いの外緩いのか、興味は尽きないのであります。
かの水戸岡氏が西武の新型特急のデザインを賞賛しているように、鉄道に関する工業デザインの世界には、突き抜けるような狂気が排除されやすいのかもしれませんね。
その点、南海のラピートにはその狂気がありました。


週末にはリニューアル車が入線しそうです。
既に手元にあるアーバンネットワークの車両たちと共に、あれこれ考えてみようと思います。

ではまた。

  1. 2018/11/28(水) 08:30:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

KATO 2019年1月分ポスターを見て愕然とする。

こんにちは。しなのさかいです。


これまで当ブログでは、メーカー各社が普段アナウンスする新製品情報には一喜一憂することなく淡々と過ごしてきました。
しかしながら、今回のカトーの発表は、ある意味で「事件性」を帯びていましたので、この段階でメモすることにします。
木曜日の発表後から見ていると、他のユーザーの方々の反応も似たようなものであり、「まさかこれだけじゃないでしょ?」という反応の後に「ここまで変わってしまったのか」といった絶望感で満たされる様子は、ほぼ共通。

では、その内容をあらためて確認しておきましょう。





JR九州の黒いDE10、ただそれだけ(笑)
「1月分」となっていますので、既に生産予定表にある1月分に追加された形となりましたが、“例月の発表分”が塗り替えアイテム1つだけということはここ10年くらいの間で記憶にありません。
90年代から2000年代にかけて続いてきた「上半期」「下半期」だけのポスターの時代に戻ったか、あるいはその頃よりもひどい有様です。

しかもこれ、12月と1月に分納されるらしい「ななつ星」を購入したユーザー向けの「参加賞」的アイテムというべきで、一般的には、その豪華列車を買わない限り、手を伸ばすことにはならないでしょう。


おそらく「ななつ星」は12月の年末特需が爆発的に膨らむだけで、年を越したら一気にその需要がしぼむのではないかと思います。
つまり、その後は小売店を主とした流通段階で長期在庫化するのです。
“黒いDE10”は、そうした不良在庫を動かすための起爆剤として、しばらく時間を置いてから市場に流せばいいわけで、なんならば、お得意の「鉄道模型コンテスト」の会場販売分として、来夏にでも企画すればよかったのではないでしょうか。
2両セットなどとせず、1両単位で販売すれば価格的にも手にしやすい限定アイテムになったと思います。

どうして塗り替えの1アイテムだけ、それも正真正銘の「入替機」を、という事態になってしまったのか。
発売されている「カタログ2018」のp122~123を眺めていると、モヤ-ッと見えてくるようです。

いずれにしても、ユーザーが小売店に行かなくなる傾向は一段と強まりそう。
市場規模の維持を全てカトーの責任にしてしまうのは暴論なれど、これまでの立ち位置からすれば大きい割合でその責任は持っているといえましょう。
ここんとこの新製品のラインナップに以前のような相互関連性が見られないことを危惧し続けてきましたけど、「発表できるニューアイテムはこれだけです」という事態はもっと深刻です。
パトレイバーとかパンダとかを企画している場合ではありませんよね、間違いなく。


トミーテックが「鉄道コレクション」だらけとなり、
グリーンマックスが中途半端な自称「完成品」だらけとなり、
マイクロエースが価格の高騰による“改良品”だらけとなっている中で、
カトーがこういうことになっています。


ではまた。

  1. 2018/09/08(土) 12:00:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

猛暑の中、再び神戸を歩く。

おはようございます。しなのさかいです。




気温35℃を越えた日、阪急神戸線・夙川駅に降り立ちました。
と言いますのも…




今年の夏は、高校3年になる上の娘が進路を選択するための大切な時期となっており、例年の家族全員でのドライブツアーは見送ることとしました。
女房は職場で「今年はどこに行くの?」と質問され、どうやら我が家の旅がミステリーツアーのような興味を持たれているそうで。
それだけに驚かせることができなくて無念。


しかしながら、これでは下の娘に「不満」が残るようなのです。
まだ中学1年ですから、上の娘が楽しんできた旅行の回数と比べれば「少ないじゃないか」ということで、そう主張されると親としてはとてもキツかったりします(その通りであり、どうしようもないからです)。

そんな中、日本史の時代すらキチンと並べられないアタマのはずなのに、どういう訳か「仁徳天皇陵を見てみたい」と言う不思議な発言を繰り返すようになっていました。
あーいう物件に人が埋葬されていて(いたはずで)、その周りには副葬品も並んでいたというところがツボなんだそうで、「それならコイツだけでも堺へ連れていくか」ということになりました。

「母親が…ですか?」
「いや、父親が…ですよ(^^)」

関西の土地勘が全くない女房が連れていくと、おそらく古墳を指差し確認したらすぐに引き返しそうなので、それではあんまりだろうということになり、変則的に当方が中学1年の娘を連れて行く結論に達しました。


2月末に訪れたばかりの関西を再訪することとなった事情はこういうことでして、今度はオマケをボーリング球のように脚に取り付けた行動制限付きです。
とはいえ、当方が古墳「だけ」を目的にするはずもなく、ならば前回の関西視察旅行の宿題としている案件をいくつか片付けてみようという魂胆で、冒頭の夙川駅は、京都で荷物を預けてから阪急を乗り継いで最初に降り立った場所なのでした。





夙川は、山地から急斜度で流れてくる川として見ておきたいと思っていた場所で、2月末では下車できなかった場所。

すぐそばには東海道本線も橋を架けていて、223系が轟音と共にかっ飛ばして行きました。
余りにも暑いので、地元の人が遊んでいる気配はなーんにもありませんでした。

カフェでかき氷でも…と思いながら先へ急ぐことに。





西宮夙川郵便局で旅行貯金を済ませ、ダイエーグルメシティ夙川店て80円のお茶を買って、再び阪急神戸線へ。

やってきた電車は、もしかして、ポポンデッタが製品化するという例の奴でしょうか。
2月末以来、あの阪急の列車接近音
「テレレ、デデデデ、デデデデ」
が頭の中で再生されていて困っています。
正にリアルに再生されている、そんなシーン。





再び王子公園で降りて、坂道を登りました。
古墳に行く前に、もう一度、神戸の勾配を体験しておこう、いや「体験させてやろう」と思ったのです。
「神戸=ポートタワー」というイメージではあまりにもステレオタイプで、教育をする者としては失格のようじゃないですか(大笑)


今回は前回よりも1本東側のやつです。
画像からはほとんど伝わってきませんけど、気温は体温を超えていたと記憶していて、下の娘は関東にはない急勾配にブツブツと文句を言いながら、汗だくになりながら神戸の街を理解したようでした。





こちらは2月に視察した坂道。
真夏の空気の中で見下ろしてみると海の色も違うと気付いたり。

こんな風にして、下の娘には神戸の坂道を軽く体験させました。
ただし、単に坂を登るというアトラクションについてくるはずもありません。
そこには「パンを買う」というミッションを付け加えました。
2月末に訪れたときに「買っておけばよかった」と後悔していた青谷ベーカリーのパンを今度こそ買ってみようと思っていたのです…。





まぁ、こういうことはあるのですよ。
周辺の学校のお休みに合わせたのでしょうか。
宿題〈その1〉は果たすことができず、娘と二人でガックシとなり、本格的にバテてきたので緊急下山を開始。





三宮の街並みを見下ろしながら「篭池通3」というバス停まで歩き、超満員のバスに乗って「布引」まで移動。
途中のバス停ではかなりの積み残しを発生させていました。





降りたバス停は新神戸駅のすぐそば。
京都で降りずにココ新神戸まで来てしまえば時間も節約できたのですけど、この暑さですから、少しでも手荷物を預けて身軽になってしまいたかったのです。

空の色が救いようもなく青く、降り注ぐ日差しはもはや凶器。
ここからは少しくらいの観光要素を混ぜようと、これまた2月末に訪れたばかりの北野異人館へ徒歩移動しました。





今回はちゃんと館の中に入りました。
冷房の風にも当たりたかったですし。

「風見鶏の館」と「萌木の館」を見学したら、ボーリング球が「バナナチョコクレープを食べたい」と発言するので、止むを得ず80年代のイメージがそのまま保存されたようなクレープ店で足止め。

店頭では、グレーチング蓋の下に小銭をバラまいたらしい欧州風の男性二人が、そこで買ったばかりのアイスを片手に、店のおばあさんにゴミ取りバサミを借りようとしていて、溶け出したアイスに気づくこともなく必死の形相で回収作業に没頭していました。

暑さでなにもかもヤられているようで、日本に来た思い出が「グレーチング蓋」にならなければいいなと思いました。





ここからは2月末の訪問時の宿題〈その2〉。
神戸電鉄の鵯越駅を訪問するのです。
しかし、三宮から新開地を経由して移動するのでは時間がもったいない。
暑さで三宮駅まで歩くことすら自信もなく、北野通りに出たところで「タクシー!」





鵯越駅を目指すのは、神戸の街並みを展望してみたいからで、タクシーの運転手さんにもそうした趣旨を伝えました。
おそらく目的地としてはマイナーでしょうし、娘を連れた父親というのも奇妙です。
そうしたら運転手さんから「それならビーナスブリッジに寄りませんか?」との提案が。
目的地はそれとして「途中なので、よければ寄りますよ」とのこと。
時間の余裕もないので迷ったものの、またもや宿題を残すのもよろしくなく、「それならばお願いします」と言ってしまいました。





タクシーの運転手さんの言うことは聞くものです(一般論として)。
ビーナスブリッジから見た神戸の街並みは想像以上のもので、空の具合との組み合わせもよかったようでした。
これが夜景ならば相当のものでしょう(アレ、また宿題を残しましたかね)。

明らかに下から徒歩で近づいてくる女性2人組を見てから、待ってもらっていたタクシーに乗り込み、再び鵯越駅へ。
車内では最近の神戸の話題、兵庫県の古墳の話題で盛り上がりました。
地元の話題はタクシーの運転手さんから聞くか郵便局の窓口で聞くのが一番かと思っていて、前者はお金がかかりますけどそれなりの事情通のようです。





鵯越駅近くから、神戸電鉄の線路を含んで神戸市街、そして…
有名な撮影地なのでしょうか。
当方はそちら側の人間ではありませんけど、観光をする上でもドラマ性のある景色ではないかと。

ただ、撮影する時間帯としては、もう少し日が傾いた頃の方がいいみたいです。
今回の行動パターンとしてはこの頃合い(15時近く)が限界でした。


実はタクシーから降りたのは撮影地そのもの。
したがって、ここからは不安に感じながら親子で鵯越駅へ向かいました。





「不安」というのはこうした物件があるからなのですよ。
道路をアンダーパスする歩道(トンネル)が土管そのまんまなのです。
もちろん中には蛍光灯も付いていますけど、大人は身体を前に倒さなければ進めません。
中にはクモの巣があり、娘が大声でギャーギャーと叫ぶため、その度に土管の中で声が反響。
ねぇ、USJなんかに行かなくても、結構楽しめるアトラクションがあるんですよ。





山道を歩くと「行く道は間違っていませんよ」ということを示す看板が。





無事、鵯越駅に着きました。
神戸市街からほんのわずかの場所なのに、辺りは山間部の住宅地。
ひっそりとしていて、どこか中央東線のような空気が漂っていました。





セミの大合唱の中、六甲山地を降りてきたのは、クライマー・5000系電車です。
何度も言いますが、この電車のマトモなNゲージが欲しいですよ。
鉄道コレクションではなくて。
「しんちゃん」までは要らないですから、どうかお願いします。





新開地からJR神戸(駅)まで歩いて、ここら辺で娘は体力の限界のようでした。
父親と動いて謎のスポットばかりをハードに巡るのですから。
元町で「ファミかばん」を買って、早々と新快速で京都へ引き返しました。
三宮から京都まで、娘は爆睡したまま運ばれていました。
新快速は素晴らしい乗り物です。




2月末の宿題を片付けられたようで、そうでないようで。
暑さだけはどうにもならず、バスやタクシーといった交通手段には細々とお世話になるしかありませんでした。
再び神戸を訪問できる日がいつになるかはわかりませんが、今回も思わずの再訪でしたので、意外と近い日にまた…なんてことも。

それにしても、自分が住む街を一望できる場所があるということは素晴らしいことです。
青谷からの眺め、ビーナスブリッジからの展望、鵯越からの俯瞰…。
不便さと差し引いても地元意識は十分に涵養されるのではないでしょうか。
起伏のない関東平野に住む人間から見れば、ホントにそう思います。
昨今の「坂道ブーム」「階段ブーム」にはそうした着眼点もあるのでしょうね。



北野から鵯越まで乗ったタクシーの運転手さんは「大人になっても自転車に乗れない神戸市民は結構いますよ」「自転車を持っていない家も多いんじゃないかな」と仰っていました。
統計データを根拠としていないことだけは確かでしょう。
真相は闇の中です(笑)

ではまた。


  1. 2018/09/05(水) 08:30:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
次のページ