しなのさかいの駅前広場

十津川警部…!

冬の伊那谷の風景に憧れて

こんばんは。しなのさかいです。


先日、長野県下伊那郡阿智村・園原へ行った話をしました。
実は、その後には、車で伊那谷を北上したという多少のつづきがあって、「そんなことも軽くおしゃべりしたいなぁ」というのが今回の趣旨なんです。





もう一度、駒ヶ根駅前からこの風景を見てみたかったんです。
しかも、晴れた冬の日に見たかったんですね。
どことなくありふれた駅前の風景かもしれません。

だけど、アーケードと昭和っぽい低層のビルが立ち並び、その後ろには雪山…。
どこかチグハグで、でも不思議と懐かしさがこみあげてくる、そんな風景です。

飯田線は地方交通線ながら、起点又は終点への経済的依存度が比較的少なくて、長大な路線の中にあるいくつかの主要駅がそれぞれ経済的な中心を担っています。
駒ヶ根市もその中心の1つと言えそうで、それ故にこんな風景がある。
伊那谷や飯田線の沿線について思いをめぐらせていると、非常に味わい深いことに気づきます。





駒ヶ根名物ソースカツ丼。
玉龍飯店のソースヒレカツ丼も再びご覧いただきましょう。もう何回目かしら。
娘たちに言わせると、デパ地下やスーパーの総菜のようにコロモが立ってなく、さらに油ぎってなくて、食べやすいんだそうです。
そう言われるとそうかと。
関東平野で見かけるソースかつ丼は、口の中を切ってしまうくらいコロモがザクザクしています。
この玉龍さんも飯田線の線路のすぐそばですから、このソースかつ丼も飯田線沿線の風景として認定(笑)





JR最勾配地点にやってきました。
碓氷峠から見れば「たかだか40パーミルか」と思いがち。
でも、実際に来てみると、結構な勾配に見えました。
Nゲージのリレーラー程度はありそう。





あわわわわ。
架線柱がああああああ~(大笑)





奇跡的に柱の間から213系。
撮影に関してはド素人ですので、ご容赦くださいね。

しかし飯田線で213系とは時代も変わりました。
これ、90年代に関西本線でよくお世話になった電車なのです。
したがって、213系は木曽川橋梁を渡っていた頃のビジュアルの方が似合うので、どうか「現代の飯田線シリーズ」では119系を先にお願いしますね。





北上していく姿を1枚。
カーキ色の草と車両。乾ききった空。
冬の飯田線の色彩的要素は、こういった組み合わせで足りているでしょう。





伊那市駅近くまでやってきました。
RMモデルス2017年2月号・p.32でED62が顔を出している写真と同じ場所。
伊那電気鉄道の入舟駅があった場所ということです。
どことなく江ノ電のような建物とのクリアランス。





結局来たのはまたもや213系なのですが、こうした街に溶け込んだ(?)ような風景も飯田線ならでは。
電車ならまだしも、かつてはED62が突っ走っていたのですから。
面白いですよね。





入舟バス停から、今度は南アルプス方面を。

雪の山を仰ぎ見ながらの暮らし。
それなりの寒さなど苦労があると思いながらも、こういう土地での暮らしにあこがれてしまいます。
なぜなら、関東平野に住んでいると、こうした故郷を感じるランドマークが無いのです。


都会人があこがれる要素。
この伊那谷には、都会で暮らす人々が求める要素、原石がたくさん散らばっているんです。
カトーの「飯田線シリーズ」がヒットする背景には、こうした「都会人の感情のメカニズム」があったように思えてなりません。
車体を手にするだけで景色を感じる模型。こういう視点に立てば、製品化されていないものはまだまだたくさんあります。


余談ですが、この日の2日前に安曇野のカフェ(兼結婚式場)で結婚式のアルバムを見ていたときのこと。
うち1組のアルバムに目が留まりました。夫婦の出身地が実に興味深く、新郎は駒ヶ根、新婦は高遠でした。
地方の隣町の間でどんな交流、行き来があったのか。
想像が膨らむばかりですが、とにもかくにも地方都市同士、伊那谷の中での出来事というところが、どこかドラマチックであり、今のトレンドのような気がします。



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その後は、またまた伊那のグリーンファームから、高遠方面を見て、





そして、諏訪湖へ到達。
伊那谷を旅する時は、どうしても南から北へ行きたくなります。
どうしてだかわかりませんが、旅の終わりが三河となるよりは、この諏訪となる方が心地よいのです。





諏訪湖の夜景を見て、今回の家族旅行も大団円を迎えました。

ここらか見る夜景は「ぜんぜんぜんせ」ってな感じで、今ではすっかり全国区。
結局のところ、この場所と映画とは無関係なんですが、そんなことが引き金となって「でもさ、ここの夜景、よくね?」となったみたいです。
だから小さい駐車場には、あふれることはないものの都会のナンバーのクルマが大集合。
はいそうです。ウチのクルマもその1台。

しかしですね。
この日のちょうど2年前に家族4人で来たときは、誰もいませんでしたのよ。
超巨大すべり台もすべり放題で、二人の娘はおおはしゃぎでしたし。
最近「ぜんぜんぜんせ」的にすべった方が事故を起こしたそうで、これが原因なのか、そのすべり台は閉鎖されていました。

大切なのは、普段から自分で探して自分なりの価値に気づき、そして磨き続けることなのです。

ではまた。

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  1. 2017/01/28(土) 19:00:00|
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伊那谷の終点で

おはようございます。しなのさかいです。

ここに来てくださる皆さんと165系 急行「アルプス」で楽しんでいる最中ではありますが、少し脇道にそれます。


12月28日に宿泊した昼神温泉。
この温泉が位置する長野県下伊那郡阿智村は、飯田線の通る伊那谷の南西端に位置しています。

ここに宿泊するのも三度目で、いつもチェックアウトした後は、行く先を名古屋方面とするか、駒ヶ根・伊那方面とするか…という感じ。
天竜峡も元善光寺も既に行ってしまったし、飯田市内も特になにもないし。
つまり「ここ」にステイするという発想が浮かばないのが経験則でした。
そんなことを考えていたら、ホテルのロビーに同じ阿智村の中の園原(そのはら)地区を紹介したパンフレットがあったのです。



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「園原」という地名は、中央自動車道でも園原インターチェンジがあるため、そこそこ御存知の方も多いのではないでしょうか。
名古屋方面からだと、中央自動車道で北上して、ちょうど木曽谷の入口から伊那谷へシフトすべく恵那山トンネルを抜けた、ちょうどその出口、そんなところです。

中央自動車道・恵那山トンネルには、以前から興味がありました。
もちろん車で走るのも大好きで、幾度もハンドルを握りながら往来を楽しんでいます。
このトンネルは、並行する国道も存在しないため、1975年に上り線、1985年に下り線が開通するまでは、この園原地区が行き止まりの地だったと推察しています。

また園原は、古代から中世にかけては、東山道の峠越えの麓に位置した土地で、そこそこ歴史的にも有名なんだとか。
中山道については知っていても、東山道とは。

最近では、夜にロープウエィに乗って山頂へ行き、満点の星空を眺めるあのスポットとして有名になっています。



IMG_20170114_0002.jpg

ここが「園原の里」と銘打って園原の里観光組合がパンフレットを作っているのを目にし、行ってみることにしました。
車で上がれるとのことですから、まあ大丈夫かなと。



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車で上る前に、園原郵便局で657局目の旅行貯金を済ませ、風景印をゲット。
ここで念のため、園原の里に関する情報を収集し、丁寧にも局員さんから手書き製のマップまでいただきました。



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まずは門前屋に車を停めて、信濃比叡・廣拯院へ行ってみることにしました。
かつて、東山道天台宗の開祖・最澄が、東山道の難所であるこの地に無料の宿泊所(広拯院)を建てたんだそうです。
こういう縁から、平成12年に「信濃比叡」の呼称が許され、さらに平成17年に根本中堂が建立された、と伺いました。
Nゲージユーザーとしては「東海比叡」がしっくりきますが、残念ながら「信濃比叡」ですので(笑)



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「伺いました」と書いたのは、家族4人でウロウロしていたら、住職さんから「寄ってらっしゃい」との仰せがありまして。
根本中堂で以上のようなお話を伺ったというわけです。

この地でもまだ山の中腹。
平成8年に建立された最澄像の向こうには、既に壮大な景色が広がっています。
都会ではなかなか体験できない「鐘つき」も、そんなにやっていいのかなと思うくらいやらせていただきました。
娘たちにはいい経験になったかも。

この後、住職さんのお話にあったので、門前屋さんで、根本中堂建立時に出てきたという白蛇(まだ生きています)を見て、さらに住職さんのおすすめもあり、門前屋さんで願掛けのお皿を買いました。



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さらに車で細い道を上り、滝見台へ。
「暮白(くれしろ)の滝」へ向かって、先程のお皿を投げて割るシステムとなっております。





下の娘と当方の願掛けの内容を情報公開。
小学五年なのに「けんこう」とは。
親の方が幼稚で、そして欲張りです。



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その滝見台の裏には、巨大な構造物がありました。
フェンスで囲まれており、そのフェンスには「中日本高速道路」の看板が。
これ、どうやら中央自動車道・恵那山トンネルの換気口のようなんです。
この真下には、大量の車の通行があるのかと思うと「へぇー」。



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思いもかけず、簡単に見れないものを見ました。
もしかしたらトンネル工事のときにも「立坑」として機能していたのかも。
詳しいことはわかりませんが、恵那山トンネルというビッグプロジェクトの名残を見た気がして、趣味方面の血が騒ぎました。
鉄道趣味をやっていると土木方面への興味も湧いてくるものです。

ちなみに、ここに来るまでに当家族以外の観光客は初老の夫婦1組のみ。



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車で上ることができる限界点までやってきました。
神坂(みさか)神社です。
先程の初老の夫婦も、さすがにココまでは来なかったみたい。
恵那山トンネルの岐阜県側には神坂パーキングエリアがありますが、その名称の由来も理解できました。


自分でいうのもなんですが、年末の寒い日に、よくまあこんな場所へ家族を連れてきたもんです。

そういえば、門前屋付近からは向かい側の谷の「ヘブンズそのはら」に結構な台数のクルマ、観光バスが止まっているのを見ました。
全長2,500メートル、標高800メートルから1,400メートルへ上るロープウエィ体験の方がごく普通の家族サービスのような気もしますが、まあ、あえてこういうスポットを選ぶのもいいでしょう。
そういうスパルタンなやり方が当方の旅行方針です。



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でも、不思議とこういう場所の方が落ち着くんです。
とにかく人口物の音が何も聞こえません。
聞こえるのは、風で木々が揺れる音だけ。
そして、見えるのは、巨大な杉の木だけ。
なかなか都会では体験できないロケーション。立派な観光資源だと思いました。

そして、東山道の山越えルートだったということ。
今は、真下にある恵那山トンネルで数分の行路です。



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遠方に南アルプスを望みます。
向こうに見える山の麓が伊那谷で、天竜峡駅があるところ。
やや北西に方向を転じているとはいえ、ここは南北に伸びる伊那谷の最果て、終点です。

地形を感じながらの旅も、いいもんです。


(つづく?)


  1. 2017/01/15(日) 10:00:00|
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安曇野の蕎麦屋と公民館、そして木曽路。

おはようございます。しなのさかいです。

昨日からもう仕事。年末年始の休みは完全な過去となりました。
そして、また家族のために、そして鉄道模型趣味のために働かなくてはなりませぬ。



ところで。
ちょびちょびと妙なところで撮影した写真をアップし続けていましたので、そろそろその全貌を明らかにしようと思っていたところです(笑)

年末は信州におりました。特に年末を安曇野で過ごすのは5年ぶりのことです。
二泊三日のミニトリップでした。



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今回のツアーの最初のターゲットは、安曇野・有明の「くるまや」さん。
場所は有明山神社の鳥居の隣。
普段はなかなかの行列が出来る蕎麦屋さん、と伺っています。
昼前というタイミングが良かったのか、難なく座れたのはラッキー。



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“通っている”と意識している信州の蕎麦屋は、上田市の「刀屋」さんだけでした。
実際にこちらの盛り方を見てみると「刀屋」さんのような量(ただしこれは二人前ということを付け加えておきます。1人でなんとかするには多過ぎました)。
蕎麦屋とはこうでなければいけません。もっと庶民的な存在でいて欲しいのです。確か池波正太郎もそんなことを言っていましたっけ。

家族には「温かい方」が好評のようでした。
ご紹介いただいたSさんにはあらためて御礼申し上げます。台ヶ原宿の「薹眠」に続いてありがとうございました。




さて、その「くるまや」さんへ向かう途中のこと。
運転中に信号待ちをしていたら、右側にどこか見覚えある物件が目に入ったのです。
蕎麦を食べた後も気になって仕方がないのでお店を出てから、安曇野のカフェへ行くことを口実に少々来た道を引き返しました。









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「新屋公民館」(あらやこうみんかん)といいます。
1951(昭和26)年に建築された公民館。文化庁の登録有形文化財になっています。
Nゲージをやっている方なら、この建物を見ただけでピンとくるはず…。





そうなのです。
カトーが製品化しているストラクチャー「公民館」(品番23-455)。





新屋公民館の正面を見てみます。





カトーの「公民館」の正面。



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新屋公民館は、紛れもなくカトーが製品化している「公民館」のプロトタイプでした。

安曇野あたりにプロトタイプがあると認識していたものの、下調べもしないで偶然通りかかったところに模型が1/1スケールで現れたのですから、そりゃビックリする訳です。
普段からそんなところばかり見て運転していることがバレてしまいますね。



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木製ドアの退色、風化具合が良く、エイジングの参考にもなります。



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文化財登録のプレート。
登録は2012年8月13日。
ということは、カトーがストラクチャーとして製品化してから、だいぶ後に登録…ということがわかる訳です。



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いろいろな角度から観察しました(不審者そのものです)。模型がよく再現されていることを理解しました。
既に、レイアウト上に配置すべく持っていたものですが、あらためて自分だけの「安曇野みやげ」となりました。
現地で販売していたらバンバン売れそうです。



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詳しい実状は不勉強ですが、正月飾りがあることを見れば、地元のランドマーク、シンボルとして愛されていることは伺えます。
そして、カトーは実在する建物を設計し、製品化しているのですから、その形状に説得力があるのも納得。
様々な運転会、レイアウト上で見るのは、どこかで見たような懐かしい姿だからなんですね。
プロトタイプの選び方が重要だということがわかりました。


蕎麦屋に行く途中にある公民館。
「そういうことだったのかー」と、理解不能となっている家族をおいてきぼりにしながら1人でニヤニヤしてしまったのでした。



◻︎ ◻︎ ◻︎





その夜は、国営アルプスあずみの公園(堀金)でLEDの点灯具合を確認。
5年前に比べると規模が小さくなり、人出も…。この手のイベントの集客力の息切れ感を感じました。
別会場(松川)とこのイベントを分け合ったことが原因?
この公園は昨年に拡大を果たしており、今後の成り行きが気になります。





翌朝になると安曇野の山奥は積雪。





渚駅近く。アルピコ電車はゆっくりと走っていました。





こういう絵は、実際にマンガを読む子どもたちにはウケないみたい。「面白い看板があるぞ」と促して見に来たものの「ふーん」で終わり。
この看板、いったいどういう層にウケているんでしょう?





松本の「ナワテ通り」からは、こんな風に雪化粧した山が近くに感じられるのです。
山が近い街というのもうらやましい。
それにしても寒くて寒い松本でした(山が近いからですね)。





村井の「珈琲哲学松本店」で名古屋グルメ。
「今年の年末も名古屋に行かない?」と娘たちに持ちかけたところ、下の娘が頑なに「嫌だ」と言うのです。
理由を問い詰めたところ、一昨年の名古屋の朝、プリンセス大通りで酔っぱらいの男たちがカラーコーンを蹴っ飛ばしている場面を見て「名古屋は怖いところ」というイメージが染み付いたんだとか。
土地のイメージって案外簡単なことで植え付けられるんですね(笑)

この松本店の近くにある鉄道模型店はあいにく定休日でした。カタログを買おうと思ったのに、無念。





その後は、雪の残る国道19号へ入り、木曽福島で休憩。
福島宿は「七笑酒造」の糀の香りで覆われていて。
運転手たるものお酒は飲めませんが「せめて酒まんじゅうくらいは売ってないかな」と酒造の周りをウロウロ。訳のわからない欲望が当方を不審者たらしめていました。


それにしても、まだ日没前なのに宿場町は「日没後」。
家々には石油ストーブが。V字状の谷の斜面や底に人々の暮らしがあります。
この木曽路の冬のせつなさがたまらなく愛おしいのでした。





そんな理由から逆光で撮影しても当方としてはOKとなります。

冬の中央西線。D51もキハ91系もこうして木曽路を登っていったはず。キハ181系も381系も、そして165系も。
383系を見ていても、自然とそういう風景が見えてくるのです。
模型化する車種の選択って、そういうことなのかもしれません。





その後。
昼神温泉に行く前に、やっぱり馬籠宿へ寄ってしまいました。
あいにくタッチの差で日没後となりましたが、冬の夕方を味わうことができてホッとした瞬間。
「次はいつ見ることができるかなあ…」なんてことを思いながら、誰もいない宿場町の坂に立ち続けました。


(つづく?)


  1. 2017/01/05(木) 08:10:00|
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2017年 あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。
しなのさかいです。



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2016年12月28日 1015M L特急ワイドビューしなの15号(木曽福島・原野間)


こんなことを書いてから4年経ち、こんなことを書いてから3年経ち、こんなことを書いてから2年が経ち、こんなことを書いてから1年が経ちました。

皆さんはNゲージ趣味を楽しめた2016年だったでしょうか。
当方は、12月になってややブレーキがかかりましたが、1年間を通じておおむね「楽しめる」状態に“近づいた”ような気がします。


2015年に達成した「室内灯組込率100パーセント」は、2016年も維持し続けることができました。
増備した車両にも、漏れなく室内灯を取り付け、どの列車もイキイキとした鉄道シーンを見せてくれるようになっています。
室内灯は各メーカーの純正品がメインで、例外的にTORM室内灯(タムタム謹製)を使用。
いわゆる「ハンドメイド室内灯」は組み込んでいません。
このことは、自分なりに「とりあえず買っておくような、そんな車両の買い方は無かった」と解釈しています。
室内灯分の代金を上乗せしてまで新車を導入するのですから、衝動買いなんて気持ち的に不可能なのですね。
このような方針のもと、手元に置く車両一つひとつの価値を、自分の中で高く維持することができました。

室内灯に加えて、トミックスのHG車両にはインレタ貼り・パーツ取付などの作業を地道に続け、多くの車両が次々と走行できるレベルへロールアウト。
インレタもサードパーティ製品を使うなどして。特に気動車は見栄えを良くしてみました。
2015年よりも手軽に、気分次第で様々な鉄道シーンを再現できるようになったのは間違いありません。

レイアウト・地面については土木作業、特に地形の研究と作業をすすめています。
地形の考証をきちんと終えてから、草や木といったディテールに取り掛かるよう、作業の先を急ごうとする気持ちをセーブするのが大変です。
ここらへんは理性との勝負かも。



さて。
「これがアンタの『楽しみ』なのかい?」と言われると、正直申しまして自信がありません。
さらに「楽しみというよりも『苦しみ』ではないか?」と畳み掛けられれば、某メーカーのかつてのキャッチコピーを揶揄した表現と重なりますが、「意外といい線を突かれちゃったな」と思えたりもします。


でも、これでいいのかも…。


「老後の楽しみ」。
多くの鉄道模型ユーザーが使ってしまう“魔法の言葉”です。
買い物に気持ちの整理がつかないときに、
「こんなのを買っちまって大丈夫か?」
「いやいや、老後の楽しみにとっておくから大丈夫」
という会話が心の中で、あるいは友人とのあいだで行われたりします。
これほど吸収力や包容力のある同義語は見当たりません。

しかし、果たして「趣味の課題」に取り組み続ける「老後」は本当に楽しいものなのでしょうか。
最近よく考えるようになりました。
これは老齢期の経済力のことを言っているのではありません。
老後になってから「楽しみ」として残してきたこと、キットをガツガツと組んだり、車両にインレタを貼ったり、レイアウトを作り続けるようなことをし続けて、本当に「楽しみ」と認識し続けることができるだろうか。
おそらく自分にはそういう趣味生活を送る気力はないだろうな、と想像するのです。

だからこそ、今のうちに老後の趣味生活の土台、基礎を作っておきたい。
そして、もし自分に人並みの「老後」というものが訪れたならば、ふわっとその土台に乗って、本当に穏やかな気持ちで趣味生活を送りたいのです。
それこそ自分だけの運転会をやって、記憶の中の鉄道シーンに浸れるような、そんな豊かな時間を送れれば。

そのための、本当の「老後の楽しみ」を迎えるための「準備」だと思って、「楽しみ」と「苦しみ」の境界線上で模型と向き合った、そんな2016年だったのかもしれません。
老後と言われるライフステージに立ったとき、自分はどんな模型たち、レイアウトに囲まれているべきなのか。
そのとき、自分の持つ模型たちには、しっかりとした思想があるといいな、と。
少なくとも「鉄コレ」の箱の雪崩に巻き込まれてひっそりと人生を終えるようなことだけは避けたいですね(笑)


唯一、遊び方を提案し続けてくれたNゲージメーカーも、いよいよ転換期を迎えたようです。
“紫色の新幹線”や“運用開始前の通勤電車”が見えてきたところで、この変化はついに顕在化してしまいました。
その一方、ここ5年くらいで受けた提案、説教、説法などは、手元の車両を見ればしっかりと再現できるようになっています。
受け止めた提案は、これからはユーザー自身が育てていくしかないのかもしれません。
真の「老後の楽しみ」へと育てる種は、この5年くらいで品種改良を経て着実に世に送り出されてきたのですから。

これからは、ユーザーが前へ出ていく番。
残念ながら、そういう厳しい時代に入ってしまった、というのが2016年の真の姿でした。


とにもかくにも2017年のスタートです。
いろいろな車両へ手を出しながらも、徐々に「自分の世界」へ収斂されていく過程は持っていたいですね。
今、飯田線シリーズや氷河特急の世界からNゲージの趣味をスタートする人たちがうらやましい。
本当にそう思います。

では、今年もよろしくお願いします。



  1. 2017/01/01(日) 00:01:00|
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よいお年をお迎えください。


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2016年12月29日 長野県諏訪市にて


2016年も残り数時間となりました。
一年間お付き合いいただき、ありがとうございました。


しなのさかいの駅前広場





  1. 2016/12/31(土) 13:00:00|
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能登の奥まで(その4・完)

(その3からつづく)


8月6日は、金沢攻略。




猛暑の中の兼六園。





猛暑の中の武家屋敷。





猛暑の中のひがし茶屋街まで来て、いよいよ暑さが頭にキまして。
とうとう昼ごはんは、パンケーキになりました。
「パンケーキカフェfluffy」さんのパンケーキです。うまい。


この後、近江町市場を歩いて買い食いをして。
これ以上の散歩は無理だとの結論に達して、金沢を離脱。





ここで唐突に「夏休みに立ち寄る模型屋さん」シリーズ。
今回は「みなと模型・小松店」さんです。

北陸地区では充実した品揃えのようで、関東地区の模型店とも変わらない雰囲気の店内でした。
前日に発表となったばかりのカトーのポスターも貼ってあったりして。ちゃんと模型メーカーの情報が把握されているようです(失礼)。


で、今回の戦果。
①カトー 10-1132 485系初期形2両増結セット
②カトー 3080-1 ED78 1次形

前者は先日お話ししたように、2014年ロットの10-242が手に入らないことによる方針転換として。関東地方でもまだ手に入りそうですが、こちらでも割引価格で売られていたので、旅の記念にしました。
後者は、関東ではすっかり見かけなくなりました。いつかは重連にしようと思って1両だけ買ってマゴマゴしていたら、あっという間に消えて。ちょっと得した気分です。

この日はそのまま、山中温泉のとあるホテル泊です。




8月7日はいよいよ福井県へ。
県境は山中温泉のすぐそばでした。




修行のお寺、永平寺。
しかし目的は修行ではありませぬ。
大晦日に紅白歌合戦が終わったその次の瞬間、「ゆく年くる年」となってゴーンと鳴る鐘がありますよね。

それを見たかったんです。

お寺を囲むようにもみじ。
秋の風景もそれは見事なんだろうなと想像します。
ああ、季節を選んで旅ができるようになりたい…
「老後の楽しみ」などと言っていないで、貪欲にこうした旅をしていきたいですね(ただし格安に)。





次は東尋坊。
ここも灼熱地獄と化していて、キケンな上にキケンが重なる観光となりました。





東尋坊からは、敦賀まで進みます。
そのルートは、国道8号や北陸自動車道を辿るのが順当ですが、タイミングよくSさんからアドバイスをいただきましたので、国道305号を南下することに決定しました。





途中の越前岬で。
これだけ旅情を掻き立てる名前のバス停は無いですよね。





道の駅「越前」に寄りながら、ひたすら海岸線を走るロング・ドライブ。

この日は日曜日ということもあり、家族連れが磯遊びをしたり海水浴に来ていたり。
地元の方々の演出(?)もあって、夏らしい眺めを見ながらの運転となりました。
Sさん、ありがとうございました。

17時過ぎには「アルファ・ワン敦賀バイパス」というマンションのようなホテルに着いて最後の1泊。



翌8月8日は朝から国道8号を走り、滋賀県へ突入。
今回の旅は、神奈川県→東京都→神奈川県→山梨県→長野県→新潟県→富山県→石川県→福井県→滋賀県と辿ったことになります。
家族旅行とは思えない連れ回しっぷり。





木ノ本の「つるやパン」さんへ到達して、氷見から木ノ本までの空白地帯を繋げることに成功しました。





2年前は売り切れで買えなかった「サラダパン」と「サンドウィッチ」。
2年後という時間が長いのか短いのかは意見が分かれるところなれど、関東地方に住む当方が2年後に舞い戻ってきたのは「偶然」ではなく「執念」です。

この後は岐阜県→愛知県→静岡県→神奈川県と辿り、関東平野の住民に戻りましたとさ。
新東名は走りやすいですね。





(エンディング・その1)



敦賀では「日本海さかな街」で、これまたSさんのオススメである、①小牧のかまぼこ、②丸海の小鯛の笹漬けをガッチリと。
この2つは、自宅にたどり着いてからしみじみと味わいました。





小牧のかまぼこは、練りものとしては非常に密度が高く、風味だけでなく「ボルンボルン」という歯応えが楽しめるかまぼこでした。軽くわさび醤油にチョン付けして食べてみました。





そして、こっちが小鯛の笹漬け。
恥ずかしながら旅行に出てからもこういう福井名物(小浜市名物)があることを知りませんでした。
酢の味とレンコダイの食感が合うのでしょう。とりあえずごはんと共に食べてみましたが、他にもいろいろと食べ方があるようです。
東尋坊あたりからカニ、カニ、カニと「カニ押し」の福井県でしたが、こうしたお土産品を知るのと知らないのでは、その土地の知り方に奥行きが生まれません。

Sさん、今回もありがとうございました。
旅行から帰っても女房と旅行の余韻に浸れました。




(エンディング・その2)

東尋坊から敦賀へのルートの話に戻ります。

Sさんのオススメは、実は2つのルートの選択というものでして、国道305号のもう1つは北陸本線旧線を走るルートという提案でした。
今回は風景の良い海岸線を進む方を選んだので、鉄分多めの方は諦めることに…


が、敦賀市街に近いところで国道305号(→県道204号)から8号へ合流すると、やがて「杉津」という地名が近づいてくるではありませんか!





即座にカーナビを見ると、何やらあやしい山登りの道(県道207号?)への交差点が近づいてきて…
おお、これはまさしく北陸自動車道・杉津PAへ続く道。そこには北陸本線旧線跡があるんじゃないのー?
国道305号を選択したことで諦めたけど、旧線巡りもできちゃうんじゃないのー?


脈拍数上昇。
アドレナリン・ドバドバ。
曲がるのか?
曲がって山を登るんだろ?


そんな自問自答をしながら車の中を見渡すと、女3人は爆睡中。
敦賀のホテルへ着くはずの時間に目が覚めた「その場所」が不気味なトンネルの前の信号待ちだったら…。恨まれること間違いなし…。

わずか数秒の間にそのようなことを考えて、そのような結論を出したのでした。
同乗者には一切気づかれないまま…
様々な葛藤を乗せて、車はそのままハチコクを走っていきました。



長いレポートにお付き合いいただきありがとうございました。

ではまた。


  1. 2016/08/17(水) 08:00:00|
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能登の奥まで(その3)

(その2からつづく)


8月5日は、道の駅「輪島ふらっと訪夢」からスタート。
この施設は、のと鉄道・輪島駅があった場所に建てられていて、今でもバスターミナルとして、街のコアとしての機能を維持しています。
昼の12時までやっているという「朝市」を偵察する前に、こちらを見てみることにしました。





建物の裏には、廃線メモリアルパーク?
これでも地味に、線路をまっすぐつなげるように撮ることに神経を使っていますのョ。

書割り(写真)には、穴水へ続く線路とNT100形の姿が。これはこれで1つのアイデアではあるけど、ちょっと切ないなぁと。







ホームのレプリカのようなところには駅名標。
電飾タイプの方は実際に使われていたものと思われます。
木製の方は枠自体が変えられているみたいですが、文字の書かれた中身は昔のままみたい。





1992年11月10日 のと鉄道七尾線・輪島駅にて

やっぱりそうでした。
レンタカーで輪島まで行ったときの1枚。
「シベリア」の文字が面白かったので、同行者全員で記念撮影したんだと思います。
空欄となっていたところに誰かが悪戯をしてから、次第に定着したんだとか。





もう1つ、道の駅の建物の中には、記憶にある「輪島駅」の額がありました。





1986年3月27日 国鉄七尾線・輪島駅にて

こちらもそうでした。
輪島駅の改札口真上に掲げられていたものです。
今改めて見てみると、改札口の奥には、これから乗る急行「能登路」が写っています。
このときは国民宿舎輪島荘に泊まっていたのですが、翌朝は結構早い時間に駅に戻ってきていたようです。
キハ58系がガラガラとエンジンをアイドリングさせている音が蘇ってきました。

鉄道時代を感じさせるいろいろな仕掛けがある道の駅でした。


ところで。
のと鉄道・穴水ー輪島間は2001年に廃止されました。今にしてみれば穴水ー蛸島間よりも早く廃止されたことが意外。
穴水と輪島の間には2駅しかない短い区間でしたが「それでも廃止」することになった訳で、そこらへんには複雑な事情、経緯があったようです。とにもかくにも、第三セクター鉄道としては初の廃止路線となり、当時としてはショッキングなニュースだったと記憶しています。

また、別の見方をすれば、静岡県下田市のように、半島の先端に位置する市制自治体が鉄道を手放してしまったことに(市民の特急バス利用を含めて)複雑な思いを抱かざるを得ません。
住民の利用だけを考えて鉄道の存廃を決める時代ではなくなってきた(と思う)今日、観光客を呼び込むことに関しては戦国時代となってきた今日から見ると、少々早過ぎる決断でもあり、そう決断することがトレンドだった時代に決断せざるを得なかったようにも見えます。
食い散らかっていない「田舎」の風景の中をキハ58系「能登路」がプォーンとタイフォンを鳴らしながら走る姿は、素晴らしい観光資源となっていたことでしょう。

のと里山空港から空路での奥能登入りも、時間的な都合からすればいいのでしょうが、当方としては飛行機の利用に抵抗があります。やはり地べたを這って目的地ヘ行きたい(笑)
地元としては鉄道よりも空港、だったんでしょうか。








普通の観光客のように輪島の朝市を見た後は、大沢地区の「間垣」を見に行きました。
朝ドラで脚光を浴びたようですけど、当方は1992年に、何の予備知識もないまま車で迷い込んだ集落で、そのときの景観の良さに対する驚きから「もう一度行きたい」と思っていた場所。
シーンとした集落に家族4人で車から降り立ったら、すぐに「クラブツーリズム」のバスが2台やって来て、あっという間に静かな漁村はサービスエリア状態に。





旅行貯金をしようと集落内の西保郵便局を探したら、なんとその向きは集落の内側でした(間垣とその前の道路を背にして)。
「よく見つけられましたね」と局員氏2名に労ってもらったほどです。
さらに信じられなことに、局員氏によれば、この細い道路こそ、かつての道路だったんだとか。
こんな道幅でも可としていた時代があったということを、大沢集落の位置、立地と絡めて思い知らされるのでした。
おそらく、都会の人間が想像できないくらいの長い間、ほとんど陸の孤島だったのではないかと…





試しても泣かない砂浜だった「琴ヶ浜」に寄りながら「ヤセの断崖」へ。
この断崖は2007年の能登半島地震で大きく崩落してしまい、ただの崖になってしまいました。





そこから数百メートル先には「義経の舟隠し」という奇勝地。こっちの方が全然良かったな。
潜水艦の隠し場所っぽいというか(笑)







志賀原発の脇を通り抜け、UFOの街・羽咋(未だにそうなっています)で遅いお昼とした後は「千里浜なぎさドライブウェイ」へ。





そして、あこがれの「8番ラーメン」内灘店。
しかし、当家にとっては薄味でした。
「これも関西文化だからなのかなぁ」という見解で一致。





この日は、内灘海水浴から見る夕日でおしまい。
近くの「ファミリーロッジ旅籠屋・内灘店」で安めの1泊としました。
内灘店は、目の前に海水浴場、隣には日帰り温泉とマックスバリュがあるという好立地で、なかなかでした。


(その4・完へつづく)



  1. 2016/08/16(火) 12:40:00|
  2. 駅ノート
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能登の奥まで(その2)

(その1からつづく)


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8月4日。
この日は、のと鉄道に関係してもう少しだけ鉄分補給をすることにしていました。



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2005年に廃止されてしまった穴水ー蛸島間。
旧国鉄能登線に該当する区間です。
その終着駅が、蛸島(たこじま)駅でした。

危うくクルマで通り過ぎてしまうくらい自然に、駅舎がそのままの姿で残存していて。のと鉄道の廃止区間では、このように駅舎をそのままにしているケースが多いようです。解体するにも費用がかかる訳ですから。
しかし廃墟のようで痛々しい。



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ごめんなさい、ちょっとだけ見せてください。
ということで駅の裏側。
なんとなく思い出がよみがえります…。



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1986年3月27日 国鉄能登線・蛸島駅にて



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1986年3月27日 国鉄能登線・蛸島駅にて 急行「能登路」号


まだ「国鉄」だった頃、乗り鉄仲間のM君と七尾線、そして能登線に乗りました。
金沢から(キハ58+キハ28)×3=6両で発車する「能登路」は、最終的にこの蛸島へ2両で到着。
駅のホームには、同じく乗り通したと思われる鉄道ファンが。金沢から一緒だったのかも。
こういう時代でした。
その後、北陸ワイド周遊券の「G券」をフル活用するようにバスで輪島を目指したことは、以前にも書いたかもしれません。

あらためて思うのは、このような能登の最奥地であるような場所(失礼)であっても、若僧が若僧同士で訪れていたということの面白さ。
そして、30年経った今でもこの地を思い出として記憶しているということ。
「鉄道がある地」と「無い地」とでは、このような違いがあると思うのです。



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その蛸島駅。
30年の時を経て同じ場所に立つと、こうなります。



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そしてそして、穴水方面を見てみる。
大きく右へカーブした線路跡の奥に視線を集中させると…



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本線上にNT102形が。
いろいろと経緯があってこのようになっているそうなのですが、車両ごと残っている廃線跡は見ていてつらい。



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国鉄線だったことを示す「遺跡」は、セミが外に出ていくための施設としてちょうど良かったみたいです。


蛸島駅にたどり着く途中、珠洲市街を通り抜けてきましたけど、商店街らしきところは見事にシーンとしていました。
空気が動いていないのです。人の気配がまったくないから。
街にコアが無くなって、そして街に人を呼び込むインフラが無くなってしまうとこうなるのか。

1980年代の地方交通線の廃止ラッシュ、分割民営化後の相次ぐ廃止。
そして今、北の大地での鉄道の在り方がクローズアップされてきましたが、このこととリンクさせて考えざるを得ない、残念な廃線跡でした。

そろそろ「鉄道」というインフラを、別の見方で捉え直さないと手遅れになりそうで怖いです。
過疎で苦しむ日本中の地域から見れば「鉄道が繋がっている」という強いアドバンテージをどうして自ら手放そうとするのか理解に苦しんでいるのでは、と。
地方の鉄道を新しい価値観で見るようにならない限り、“地方創生”なんていう掛け声は“ふるさと創生”と同じ響きに聞こえてしまいそうで。
蛸島駅の廃墟は、そんなことを語っているような気がします(オーバーですね)。



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この後は、能登半島最先端・禄剛埼灯台へ。
回りはどこを見ても「日本海ブルー」でした。
太平洋側の住民としては、この青さは貴重。
暑さが障害にならない日だったら、いつまでも見ていたい海でした。



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そして、白米千枚田。
やはり日本海の青と組み合わさる緑は見ていて飽きません。
能登の観光ポテンシャルは高い。



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輪島で1泊。
温泉民宿「海辺」さんのお刺身2人前(別料金です)。



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「海辺」さんのオススメもあり、夕食後は歩いて10分くらいの「輪島キリコ会館」で御陣乗(おじんじょう)太鼓を見てきました。
最近、当方はこのような芸能もちゃんと興味を持って見ることができるようになりました。
蛸島駅で写真を撮ってから30年も経てば、そうやって視野が広がるようです。
あのとき、蛸島駅まで来ていなければ、こうして輪島にはいなかったかもしれません。

奥能登には駆け足でダイジェスト的に見て回っても、これだけの魅力が散らばっているのでした。


(その3へつづく)

  1. 2016/08/15(月) 07:00:00|
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能登の奥まで(その1)

こんばんは。しなのさかいです。

ちょっとだけご無沙汰しておりました。
今回は少しだけ模型の話を離れます。
先週のことになりますが、8月3日から8月8日まで早々と夏休みをいただいて、家族で旅に出てきました。



今年の夏のクルマ旅はどこへ行くか…。
GWが過ぎた頃、女3人にこんな議題を提案したところ、明確な答えを返してきたのは意外にも下の娘(小5)でした。

「今年は石川県と福井県でしょ」

昨年は、上の娘の高校受験イヤーだったこともあり、近場の伊豆半島で我慢させてしまいました。
そんなこともあったので、今年はもう少し長い期間の旅行としてやらねばと思っていたところ、小5とは思えないシブい地名(地名)がポンと。
年ごろ的にはTDLだとか、なんでしょうけど。同級生にはハワイに行く輩もいるとか(笑)
しかし、考えてみれば「我が家的」にはまあまあ納得のいく回答だったのです。



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2013年8月6日 富山県氷見市・雨晴海岸


2013年の夏の旅では、富山県氷見市まで到達。
雨晴海岸から、かすんで見える能登半島をじっと見つめながら、南下して飛騨高山へ向かいました。



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2014年8月6日 滋賀県長浜市から見る琵琶湖


そして2014年の夏は、琵琶湖を一周。
マキノ・塩津・木ノ本まで達して長浜へターンしたのでした。

つまり、富山県の氷見市から滋賀県の木ノ本までが空白となっているため、下の娘としても直感で「次はそこへ行かねばならない」と思ったようなのです。
2000年に長女が生まれてからというもの、近場の伊豆半島だけを夏の避暑地にしていましたけど、2010年頃から版図を拡大し、気が付いたら中部地方を面的にカバーするような旅をしてきました。
このことが奏功したのかはわかりません。
ただ、自然なスタイルで地域をカバーするような旅(視察旅行)に慣れている娘を見ていると、旅の企画者としては「してやったり」。
なんとなくカトーの企画に似ているようなことをやっていた自分に気が付いたのも、そんな娘の「…でしょ」という一言がきっかけでした。



ということで、今年の夏は、我が家には縁もゆかりも、そして明確な目当てもない石川県と福井県を目指す旅となりました。
8月3日。圏央道→中央道→長野道→上信越道→北陸道と進み、ルートイン氷見で1泊。

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サービスエリアなんかも、昔は娘たちの様子を気遣ってこまごまと立ち寄っていました。
今ではそんな必要もなくなってきて、首都圏から姨捨サービスエリアまで一気に駒を進めることができるように。
昼休みを兼ねて休憩。
見下ろす善光寺平は、いつ見ても爽快感がありますよね。
それと、アルピコさんが経営するサービスエリアの中身は、もう少しなんとかしてもらいたいなあ。



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翌4日から海岸線を北上する形でスタートです。
この画像は、ちょうど能登島をぐるりと一周したあとの1枚。ツインブリッジから遠くに能登島大橋を見ています。
内海と言っていいのかわかりませんが、この日の七尾湾はおだやかで、琵琶湖よりも波が見られない、そんな風景を見続けました。



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多少は鉄分を入れます(笑)
能登島から能登半島に戻ると、のと鉄道(旧国鉄七尾線)・西岸駅。
和倉温泉から至近ということもあり、まだ生きている無人駅です。



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ひまわり、青い空、もくもくした雲。
夏、ですよね。
娘たちがこういう風景を見て「価値のあるものだよな」と思えるようになるには、まだもう少し時間がかかりそうです。
そうなるように、ただいま訓練中(笑)



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ところでこの西岸駅。一度ゆっくり訪れてみたいと思っていたので、今回の旅がいい機会となりました。
今ではアニメの聖地になってしまったそうで、海外からいろいろな人が来てウロウロしているそうです。
駅前の西岸郵便局で旅行貯金と風景印の処理をしながらいろいろとお話を伺いました。
駅舎の中には駅ノートも。知らなかった…。

でも当方が訪れてみたいと思ったのは、この駅がアニメの聖地だからではなく、1990年代のとあるドラマのロケ地だったから。
金沢へ続く線路を見て、今はなきNT100形が遠ざかっていく映像を思い出せば、ほーらね(笑)



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「かき貝」の看板もそのまんま。
時が止まったまま、です。
それにしても、1990年代のドラマって、地方のロケを大事にしていましたよね。
今、こうして訪問してみると「なるほど、そりゃ選ぶな」と思える場所ばかり。
チャラいドラマばっかりの印象もあるんですけど、意外と2016年の今よりは、地方の景色、日本の原風景に対する愛情があった人たちが携わったドラマづくりの時代、だったのかもしれません。


(その2へつづく)


  1. 2016/08/12(金) 23:35:15|
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2016年 あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
しなのさかいです。


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1993年2月9日 南小谷駅


こんなことを書いてから3年経ち、こんなことを書いてから2年経ち、こんなことを書いてから1年が経ちました。
2009年3月から始めたこのブログは、いつの間にか元日に反省会をするようになりまして、おおよそ「あそべたかな」というセルフチェックをしています。
なので、2015年もどうだろうと反省をするのですが、まあまあ「あそべたほう」なのかもしれません。
意味不明な書き方ですが、そう思うことにしておきます。



2015年、当鉄道の車両は室内灯組込率100%を達成しました。
室内灯を組み込める仕様の車両は、もはやどれをレールに置いても明るくなります。
それなりの投資が必要となってしまいましたが、「積み鉄」と言うのかな、買っても熟成させてしまう車両、そして買っても数年後には処分してしまうかもしれない車両ばかりを増やすよりは合理的な財政出動だったんじゃないかなと自分を納得させています。

しかし、手持ちのトミックス製品のセットアップ(パーツの取付け、穴開け、インレタ転写)は道半ば。
手元にあるこやつらはこやつらで、自分の目指す鉄道シーンを再現するためには必要な車両たちですので、2016年も継続してやらなければいけない大きな課題です。
なので2015年におけるトミックス製品の新規入線は劇的に減りました。
これ以上「不良債権」を増やすような買い方は嫌になってしまったのです。

そしてまた、待望の新製品を入線させても、隣のホームや背景に入ってくる車両たちが稼働しないので、いつまで経っても「テーマ運転」ができない状態。これも反省点。
新しい仲間が加わったその1か月くらいは、レイアウト上で飽きるくらい、迎える仲間たちとの「パラダイス」を作って遊んでみたいのです。平日の夜にそんなことができれば、なおよし。
クモハ52が入線したら、そのあとの3週間くらいは飯田線ワールドで遊んでいたいじゃないですか。
その方がきっと目に浮かぶシーンが多くなるはず、そして趣味生活も豊かになるはずです。
これも「トミックス製品のセットアップ作業」に時間をかけ過ぎなのが一因でしょう。
それと、新製品を買ってまごまごしているうちに次の新製品が出てしまって「もう大変」というのも一因。
もどかしいですけど、もうしばらくは自分の中で交通整理をし続けないといけないのかもしれません。

諸先輩方のページを巡回していると、買い方に対する疑問、買ったままの車両の取扱いに悩み始めている方が多くなってきたようです。持ち時間と車両数のバランスが合わなくなっているのでしょうね(当方も同じです)。
これは市場全体を俯瞰して見ている中での小さな変化…かも。

ユーザーのライフスタイル、生活の中へのNゲージの溶け込み方を観察できているかどうか。
メーカーだけでなく流通(小売)も、そのような視点がこれからはさらに必要となるのかもしれません。
少なくともマイクロエースの暴騰した価格設定は、ユーザーのお小遣いの範囲をとっくに超えており、もう受け付けられないでしょう。
トミックスの製品化思想に対する感想は先にお話したとおりとして、グリーンマックスは新動力を完成させたはいいものの、まだまだ部品構成に「そこまではできませんよ」というイージーさが見られます。
小売に目を向けてみても、クリスマスケーキの予約販売店のようなお店の経営はユーザーとしても見ていて辛いですね。




さて、そんな反省をしてしまう2015年でしたが、当方なりのベスト・バイを1つ。






カトー ED19+タキ10600

2015年2月の発売。
飯田線シリーズが単なる「旧型国電シリーズ」ではないこと、飯田線の風景から「日本の原風景」を鷲づかみにしようとする企画であることをユーザーに知らしめたアイテムでした。
カトーの企画は模型としての楽しみだけでなく、毎回どこか勉強させられる要素が強くあり、これもその1つ。
「小型電機ってなんとなく会社線だけ?」と思い、その世界観にほとんど背を向けてきた当方ですが、このED19の登場によりガツンと頭を殴られた気がした、そんな思い出のモデルです。
昔はこういうこと、近所の模型店で吸収できたのですよ。





もちろんタキ10600もイイのですが、実はC12と共に発売された二軸貨車たちもお似合いというのが企画に隠されたれた真実のようです。
特に、か弱いスタイルのワ12000は、毛細血管のような飯田線の貨物輸送にはピッタリですね。


現実の鉄道の世界は「さよなら」とか「ドナドナ」という寂しい話題ばかりが続いています。
しかし、Nゲージの世界ではなぜか昭和50年頃の風景で大盛り上がり。Nゲージ・ユーザーだけにしかわからない不思議なブームです。
撮影オンリーの方から見れば「あいつら、いったいなにやってんだ?」となっているんじゃないかしら。
んでもって、この年末年始は「カニ38」で、1月は「クモハユニ64」、2月は「マヌ34」ですから。なおさら不気味に見えるに違いない(笑)
そんな皮肉的事実(推測を含む)から見ても、2015年にこのモデルで遊べて良かったと思っています。



さてさて、2016年も「楽しく遊べるNゲージ」と共に暮らすことができるでしょうか。
家族を守りながら、そんな潤いが生活の中に存在すれば、これ以上の喜びはありません。
おなかいっぱいです。





次女の冬休みの過ごし方だそうです。
「ねる」はいいとして「おきる」に1時間かける必要はなかろう。
それにしても「自由」っていいですよね。
そんな文字、しばらく書いてないなあ。


それでは、本年もよろしくお願いいたします。










  1. 2016/01/01(金) 00:01:00|
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