しなのさかいの駅前広場

ユートピアもモーターなしのままでしょうね

よみがえってほしい気仙沼線

おはようございます。しなのさかいです。


当方からの更新は、しばらくぶりとなりました。
ご心配をおかけしました。
実は、ここ10日間ほど、宮城県気仙沼市へ行っていました。


5月のGW明けには、被災地行きの打診を受けていました。
自分が行って務まるのかと不安に駆られる5、6月を送りましたので、ブログの更新も滞りがちで。
そして、とうとう出発。
そして、予想通りの激務。
そして、大変な毎日でした。


被害の状況、避難生活の現状などなど。
見るもの、聞くこと、ひとつひとつに対して考え、考え、考え続けました。
帰路の7時間、眺め続けた東北自動車道の車窓は、被災地の記憶を消していくようでもあり…。
それだけ想像を越える、現実の世界とは思えない三陸の現状だったと思います。



*      *      *



さて、今回は、気仙沼線の被害状況をご覧いただきます。
被災地の今に、少しでも思いを馳せていただければ幸いです。



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南気仙沼駅は気仙沼駅の1つ手前でして、気仙沼市の中心的な駅でもありました。
中央に見える平屋の建物が駅舎。



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駅のホームを見ますと、屋根がグニャグニャに曲がっています。
やはり津波の圧力によるものと思われます。
そして隣にはがれきの山。



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南気仙沼駅から南へ2つ目。
最知駅。
すでに線路はすべて撤去されていました。



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1面のホームも、中央部分が欠損しています。
津波に流されたと考えるのが妥当だと思います。
かつて、この周辺は、住宅や木々が見える、ごく普通のローカル駅でした。



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最知駅からさらに2つ目。
大谷海岸駅です。
海水浴場に隣接した駅として有名でした。
松の木をすべて飲み込む高さの波が押し寄せました。



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津波は駅本屋の2階も飲み込みました。
海岸に通じる跨線橋。
真ん中の街灯が折れ曲がっています。



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小金沢~本吉間の橋梁跡が目に留まりました。
このようにPC桁ですら津波によって放り投げられてしまった訳です。
築堤もPC製の橋台だけを残し、盛り土の部分は流されていました。



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複数のPC橋脚があったはずです。
何も残っていません。
二つの橋台の間。
その下には、こんなに多くのPC構造物が。



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陸前小泉~蔵内間。二十一浜近くです。
ここは、気仙沼線が全線開通したときの最後の区間。
確か鉄建公団規格によるグレードの高い区間だったはずです。
しかし築堤は流され、それだけでなく津波はさらに奥深くまで流れ込んでいきました。



□      □      □



JR東日本の“復旧宣言”は心強く感じますが、津波はいつかまた、必ずやってきます。
今回のような津波を想定した、新しい基準により気仙沼線を復旧させるとなれば、多くの制約が待ち受けていることでしょう。
気仙沼線は、海を眺めることができる素晴らしい車窓でしたが、そんなことよりも、災害に強い鉄道に生まれ変わるしかありません。
現在進行しているであろう、関係各位の知恵の絞り出しには深く敬意を表するとともに、1日も早い、気仙沼線の再・全線開通を祈り続けたいと思います。









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  1. 2011/07/08(金) 09:20:04|
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