しなのさかいの駅前広場

細かいことばかりでよく分かりません。

小田急テクノインスペクター


 線路際の住民です

深夜の帰宅途中に新幹線の保守作業を見ます、なかなか模型に手のつかない日が続き、フラストレーションがたまり気味な毎日です。

 そういえば、マルタイの発売の話をあまり聞かなくなりました。


 久しぶりに定時に退社し立寄った模型屋の店頭のグリーンマックス 小田急テクノインスペクターを見て 買ってしまいました。 ん~ストレス買いかな?


 既に発売されている3000形の応用編でしょうか、手馴れた感じでまとまった造形です、他の小田急車両と一緒に並べても違和感はありません。

 


正面や側面の標記も美しい仕上がりで願わくば、サーチライトのギミックがあると もっと楽しいでしょうね。


電球色のヘッドライトだったので。車体を開けてライトユニットを見るとスプリングの付いたモノでした。

 先頭部の浮き上がりが気になる製品でスプリング付きライトユニットが、余計に浮き上がりを助長させてますが、この製品に関しては、全く問題がありません。


  そこで床板を見ると、E653系と同じ新しいタイプの床板を採用していました。

 やはり新規製品の位置付けなんですね、牽引車の1051Fの発売が楽しみになってきました。


 僅かながら目に入る銀ラメが残念な気持ちになりますが、バランスのとれた仕上がりは満足の行くモノです。




去年のNSEやMSE発売以来、小田急ファンに堪らない製品の発売が続きます。
今月も冷房増設NSEや4000形の発売で模型店の店員氏に聞くと、結構売れているそうです。
テクノインスペクターの牽引車1051Fが どんな感じになるか楽しみですね
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  1. 2015/10/30(金) 07:27:24|
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Tomix 455系

おはようございます。しなのさかいです。




先週の金曜日は、早々と帰宅の途についたんです。

ところが列車は生田付近でガックンと止まり、そのまま少しも動かない。
「えー、柿生で人身事故…」というアナウンスがあると、しばらくして車内で気持ち悪くなった人も発生。かれこれ20分以上は動いていませんからそれもそうです。エアコンがブンブン唸っています。

とうとう新百合ヶ丘で運転打切りとなり、車内から脱出した後は、縁もゆかりもない街の駅前で2時間もヒマをツブすことになりました。まさに晩飯どきなのに、です。
これが向ヶ丘遊園でしたら、駅前の喫茶店でタバコの自動販売機を監視するならところでしたが(わからない人は置いていきますヨ)。

あたりは行き場を無くした人たちで溢れかえっており、植込みのヘリにも座る人々。当方も立ったままハンバーガーをかじるという虚しい思いをしたことです。
どういう原因かは知る由もありませんが、多くの人々が予定外の行動と出費を強いられたことでしょう。



閑話休題。





1997年3月 青森駅


相変わらず、用件が立て込む週末を過ごしています。そんな中でもネガフィルムのスキャナーにはウイ、ウイーンと音を立てて働いてもらっています。
スキャンは12コマ分をセットしたら1時間はほったらかしにできるのがかえって都合がイイと気づきました。

このときは職場の先輩・後輩と3人で冬の秋田内陸縦貫線、五能線を楽しんで、最後に「はくつる」に乗って上野まで。そのまま職場へというスケジュールでした。
ご覧のとおり、青森駅は雪の中。
鉄道趣味素人の二人には、2015年の今でも「また連れて行ってくれ」と言われ続けています。懐かしいなあ。



で、本来、このタイミングでは、カトーから発売された小田急3100形NSEをレビューするところでした。
しかし、トミックス製品のインレタ転写、パーツ取付けキャンペーンの途中でしたので、こっちの作業を続けてしまった先週末となりました。
その報告を続けさせていただきます。





今回はトミックスの455(457)系。
これも2008年に13両編成で買ったまま、8年くらいの間、何も手をつけていませんでした。
このときの中国製ロットは、クリームの隠蔽力がパーフェクトという特徴があり(塗装と言うよりは分厚い印刷?)、衝動買いに近い買い方をした記憶があります。これならイイかなと。
このロット品、手元にある方はご確認を。
いつもなら妻面、雨樋あたりまで回り込んで吹き漏れてしまうクリームの帯が、妻面との角でビシッと切れています。
ただ、サロとサハシは生産されないというオチもあり、このことが当時としては残念でなりませんでした。同じ品質でやってくれたら良かったのにと。


この製品、先頭車のタイフォンカバーが選択式となっているのは有名な話ですが、その取付け穴がキチキチで広げる必要があるというのは知られていない事実のようです。
そんな秘密が隠されています。
最新ロットでは、ライトが別パーツ化され、そのリムが厚くなってしまった、ガックリ、というのがここまでのトミックス455系ストーリーです。





本線上を走らせることができる程度のセットアップが目的なので、作業は以下の程度に止めています。
・付属インレタで車番を転写
・ライトユニットを0719に換装してLED化
・前面方向幕の屈折部に「マッキーみずいろ」で薄く着色、蛍光灯化
・前面方向幕のHゴムを色差し
・前面方向幕に鳳のシールを貼った上でガチョウハウスの485系方向幕用ピタサボをはめ込み(不思議とハマるんですよね)
・くろまやの臭気窓Hゴムインレタを転写
・TORM室内灯組込み

付属インレタは、それまでの165系の車番が大きめだったことに反省が見られ、ほぼ適正な大きさになっていました。2008年から全然気付いていませんでした。
列車単位での車番もセットされているところは好評価です。当方は「まつしま/あづま」にしました。





サハシ455は、2008年のときに店頭在庫品を買いましたので、確か2003年、初回のものです。
まあ1両だけならクリームの質感が違ってもイイかなと。
急行型電車にはこのビュッフェがとてつもない存在感。国鉄時代の急行電車の代名詞でしょう。





サロ455は、サハシ455と同じ初回品で帯なしを持っていました。そのときのロットの帯アリ車の帯が雑な塗装だったので「ならば自分で貼ろう」と考えたのです。
しかしこの作業も面倒になり「帯付きじゃないといけないな」とあっさり転向して、日曜日、近所のカメラ屋さんで最新ロットの帯アリ車を買い直しました。奇跡的に2両残っていたので助かりました。
初回品と比べると帯の色、クリームの色が改善していていい感じです。グリーンカー・マークも印刷済みでした。知らなかったなー。





1970年代の上野口の風景を再現するなら、455系は名脇役といったところでしょう。
多層建て列車でもありますから、遊び方も様々です。
サハシ455の連結位置がユニークなのも特徴。





Nゲージの485系や583系もここにきて充実しています。
すれ違うシーンを再現するためには、この急行型電車は必要かと思い、手放さないままでいました。
が、買ってきたままの状態では、それは持っていないのと同じ。
早く気軽に列車をとっかえひっかえして遊べるようにしたいですね。
今回の作業はそんな心理的側面がありました。
近所の模型屋の在庫を眺めるよりも、自宅のストックを見つめる方が楽しい。
なんだか危険水域に近づいています。このままではいけません(笑)





東北本線、485系、583系、ED75…
再現したい鉄道シーンがいっぱいあります。
その一方で、手付かずのトミックス製品もいっぱいあります…。
インレタ貼りはいつまで続くのか。
「こする苦しみいっぱい」です。

ではまた。
  1. 2015/10/28(水) 08:20:00|
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Tomixの車両にインレタを貼り続ける日々

こんばんは。しなのさかいです。




1999年8月10日 白浜駅

いわゆる国鉄特急色が完全に過去のものとなったそうです。そんなニュースに接しながらスキャンしていたのがこのひとコマ。
確か、周参見から白浜まで乗ってきた「くろしお」を見送ったんじゃなかったかと。

背景にはシェル石油、いやケチャップをつけた目玉焼きのような381系がいらっしゃいました。



ま、こんな風にですね、最近のことですが、数年間頓挫していたネガフィルムのスキャンを再開しました。
手持ちのフラットベッドスキャナで、1コマを4800dpiでヤると、およそ5分でチンです。
スキャナは少し古めですけど、機嫌が悪くなりながらも、ウイウイーンとまあまあ働いてくれています。

そういえばですが、今年の春に複合機を買ったとき、ヨドカメの中でC社の人に聞いたら「もう社内ではフィルムスキャンの需要はないと判断していますよ」との宣告を受けました。
あらためてメーカーのHPを見ると、手持ちのスキャナの修理対応も終了していたりして、さらにショック。時代は確実に流れています。

今後は大手メーカーではなくて、写真関連品メーカーの、デジカメもどきのスキャナでしかネガ画像を残せないのかと思うと、少しながら危機感が出てきた、そんな2015年の秋です。



さて、ややポンコツ?のマイ・スキャナ。
12コマ連続で始末できます。1回仕事を始めさせれば、およそ1時間は待ち時間。その間に模型をやればいいんではないかなとイージーにひらめきました。

先週の連休から断続的に始めて、結構な量のネガのデジタル化に成功しています。
ひとたび始めてしまうと、乗り鉄をやっていた頃の記憶がよみがえる感動を味わってしまい、中毒のように炊飯器のフタの開け閉めをしている状態です。





そのスキャンの待ち時間にやる模型いじりですが、こっちにもに少しですが心境の変化が出ています。
カトーの模型がぐるぐると走る中で、いつまでたっても本線運用に就かない奴らがいる…
それはトミックスの車両たち。
カトー製品が勢力を広げつつある今でも、まだまだトミックス製品はあるのです。





気になる鉄道シーンを自宅で再現するために「必要」と思いながら買っても、いつまでもケースの中に入れたまま数年経ってしまうトミックス製品が結構あります。

これは別パーツの取り付けだけでなく「車番インレタの転写作業」が大きな障害となっていました。
取扱説明書の指定位置だけを見て転写するのがイヤでして、実車の側面の写真を見るとちゃんと特徴があるんです。どうせなら位置を分析しながらやりたいという病的なこだわりがあります。





近鉄30000系の「サ」の転写位置。
アホらしいですけど、左右のルーバーの段数を数えながらやりました。ここまで調べるのに、結構な時間がかかります。もちろん更新前の姿の30000系の写真を見て、ですよ。正面から撮影された写真は多いけど、側面からのそれはなかなか無くてトホホでした。





五能線のノスタルジックビュートレインも、リニューアルされてからは室内灯を入れて、TNカプラーに換装したまま。この後はまったく手付かずでした。

これもまた、車番の位置を正確に把握して転写。DE10のナンバーパーツやら看板やらを取り付けるのに1時間弱です。いやいや疲れます。

でもね、こうして走り出すと、まるで今さっき買ってきたみたいに見えるじゃないですか。疲れる作業の後は必ず癒しの時間があると信じて続けてます。





今度はこれ。
FW動力化された373系も室内灯を入れてからはそのままでした。TNカプラーにして、マークを貼ってと大忙しです。

ちなみにこの9連はちょっとインチキでして、真ん中の3両が「ながらセット」のバラシ品(つまり中古)なんです。

ここでミステリー。
このセットはデフォルトでナンバーが印刷されているのですが、前後の通常品のインレタ車番よりもひとまわり大きいサイズで印刷されていました。
大きいサイズと言っても、旧製品に付属していたインレタとほぼ同じサイズのようなんですが、どうなっているんでしょう。
少なくとも「ながらセット」と現行通常品は同じ時期にリリースされたはずなので、どうしてこんなことをするんだろうという感想を持たざるを得ません。
まあいいやとも言える範囲ですが…





名鉄7000系・パノラマカーにも車番を転写して、ヘッドマークにシールを貼って。ようやく本線を走行出来るようになりました。

ここら辺でおしまい。
国鉄・JR系の車両が多い中で、私鉄特急は一服の清涼飲料です(笑)



□□□



「あの作業、中断したまんまだよなあ」ということって、趣味人の宿命なのか、いろいろな方が背負っているものかも。
模型趣味となるとなおさらです。

ネガフィルムのスキャン作業もそうですし、撮り溜めたビデオテープの円盤化にも早く取り組まなければと思っています。
まもなく再生機材が故障したり無くなりますから。

このトミックス・インレタ転写地獄もそうで、涼しくなってきた今年の秋は、こういう方向性で鉄道模型のシーンを増やすことに、いや時間を有効に使おうかと思案中です。のっぺらぼうの車両、まだまだあります。

やれない理由を探すのではなく、やれることを探す。
いきなりポジティブになってしまうと自分でもキミが悪いですけど、ネガフィルムのスキャンというミッションに着目したら、なぜかそう思えました。

「いつかやること」じゃなくて「今しかやれないこと」だと、刺激があってそう考えるみたいですよ。
ま、わかりませんけどね(笑)


ではまたです。

  1. 2015/10/19(月) 23:10:00|
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カトー クモニ13012発売


線路際の住民です

飯田線クモニ13に続き再び クモニ13の発売です。

 実車は、山手・京浜東北線のATC化まで 昼間の東京駅で新聞の積み込みをしていました。丁度 ブルトレタイムが終わり 昼間の学会臨スジ狙いの頃だった記憶しています。

 さて 同じクモニ13と名乗ってますが、車両としては全く別物で 飯田線のクモニ13025は、木造電車鋼体化で生まれたものです。
 クモニ13012は、省線電車モハ34018が元になり 幾多の遍歴を経た車両です。
 乱暴な言い方をすれば、モハ40系の仲間になるのでしょうか。
 同じ形式でも外見や台車に違いがあるんです。

仕上がりは、発売済のクモハ12と同じレベルで 安定した仕上がりです。

  荷物車という事で 荷物扉の部分を心配してましたが、奥行きのある扉になりました。

 年明けの飯田線クモハユニも心配ないですね!




コレで 省線電車の顔が、ふたつ揃いました。 上手く組み合わせれば、山手線クラシック⁈ で D51【新】の曳く貨物列車との共演も 夢に出て来そうです。 試しに クモハ12とクモニの屋根を交換して見ました。 クモハ12053に見えるかな~ まぁ チョっとしたお遊びですが、パーツの組み合わせで色々な車両にした楽しみ方が出来そうで だんだん深みにハマりそうです。
  1. 2015/10/15(木) 21:03:20|
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KATO 101系鶴見線・EH200量産形

こんばんは。しなのさかいです。


クモハ12の写真をアップしたまんま、1週間逃亡状態でした。
「それではいかん」と、いつもどおりiPhone6を片手に、電車での移動時間で更新をしようとしたら、なんとアップデートしたばかりのFC2ブログアプリが「更新すらできない」ヘンテコな仕様になっているではありませんか。
まったくもう、どうしてこういうことをするのかな。
現在、APPストアの評価も散々な書き込みがボカスカと続いておりまして、数日中の再更新が期待されるものの、今はこうしてパソコンを立ち上げての打ち込みです。



話題は変わります。



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10月4日、日曜日。
朝早くに用事があって、隣町まで車で出掛けてみると、立体駐車場の裏に例の「マルチプル・タイタンパー」という車両がいらっしゃる。
1年前からNゲージユーザーがヤキモキし続けている、あのグリーンマックスの発売予定品、そのものズバリなのですよ。
最近は、仲間同士で会うたびに「マルタイってどうなってるんだろうね」が最初の会話になっています。
「そろそろ発売予定から1年に達しようとしているのよね」と思いながら、マイ1周年記念に見物してみました。





しかし、このマルタイ。どうしてもこんな風にして線路際に停まっている印象しかないんですもの。
少なくとも、当方の中では、走っている印象は皆無。その証拠に、日が高い時間帯はこうしてたたずんでいるじゃない。
どことなく、こんなアクセサリー的な姿にマルタイらしさを感じているんですよね。

操作する職員の方2人が、床下をいじりながら、いろいろと調整をしていました。
模型の世界でも早く調整が済んで走り出すといいですよね。
目下、年末が発売予定だったような。これ、当初の予定では昨年の年末に発売予定でした。




さて、ゴニョゴニョ話はこのくらいにして、線路際の住民先生がクモハ12のインプレッションをしていますので、当方からは「101系鶴見線」を取り上げてみます。

当方から触れておきたい、この「Nゲージ・鶴見線101系物語」。
前回ご覧いただいたように、子どもの頃に見てから「手に入れたい模型」と化していましたが、そんな思いを嘲笑するように、製品化に恵まれないかわいそうな「テーマ」「ネタ」「企画」でもあり続けました。

1980年代の後半だったでしょうか。GMがやや後発気味に101系の板キットを発売。
これには大いに誘惑されたものの、工作をする時間がないことから断念し続け、そんな頃にあの「WIN」ですよ。

あんな雰囲気でも「完成品」に見えていたのですから、とても穏やかな時代と言えました。
とりあえず鶴見線だか南武支線だか忘れましたが、そのあたりの編成となるように手に入れましたけど、やっぱり気づくんですね。
「顔が違う」ことに。

そのあと、長い時間が経って、今度は数年前に鉄コレで「101系鶴見線」。
「おー、そのものズバリでやってくれたか」と興奮し、発売されてから即、買ってきて開封しましたよ。
そしたらホコリ混入、単色塗りなのにイミフな傷ばかり。
トドメは車体のバナナ現象という、救いようもないものでした。
IPA漬けにして「やってやろう」と思ったのも、ほんのわずかな時間。
捨てました(爆)


以上、「Nゲージ・鶴見線101系・七転八倒物語」でした。




晴れて登場、カトー製「101系鶴見線」。
これでもう物語は「完結編」です。
顔面整形手術が成功した101系の顔としては初めてのカナリア色です。





デフォルトでオレンジ色の「鶴見―扇町」の幕がはめ込まれ、反対側には「鶴見線」の幕がはめ込まれています。
方向幕は非常に小さい部品なので、生産工程でのゲート処理がやや雑なものがあり、はめ込みに無理が出ている個体がありました。
店頭で選んでいても仕方がないので、自宅で分解して即、アートナイフでゲートの再処理をしたことをご報告します。





文句のつけようがありません。インプレッションと言いながら、単純な言葉が並んでいることをお詫びします。
でも、撮影してはニマニマとしていますヨ。
単色塗りですから、塗装も問題なく安心して買い物ができました。
これを重連にして「南武線」として遊んでしまうかどうかは、ユーザーのお好みでとなりましょう。
当方は、もう少し待ってみようかなー。
近所の量販店では、くたびれた姿、ボロボロになったタグが付いた「101系メイクアップパーツセット」が店員氏の書きたてポップ付でドドンと並べられていました。
こうしてデッドストックは復活するのでした。





ついでにクモハ12052も。
なんとなく、ガスホルダーを作っておいてよかったと思えるこの頃です。
サボシール、早く貼らないと。


それと。




やっと出ました、EH200量産形。
ひゅいーんという音と、リアルなライトの色調が、もう見ていて飽きません。

どうでもいいことですが、「量産形」というネーミング。80年代を楽しく過ごした人間には弱いコトバですね。
その「量産形」と銘打たなければならなかった理由は、もう多くのカトー・ユーザーは理解していると思われます。



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2010年2月5日 八王子

グレーの裾が細いです。
既製品はここが太くて、ボディとの分割ラインを兼ねていました(251系「スーパービュー踊り子」のような感じ)。
知らなくていいことでも、一度知ってしまうと気になって仕方がないのが鉄道模型をやる人間の欠点でもあります。
「1号機にしかならない」と「知ってしまった」ユーザーは、「知りたくなんかなかったのに、このバカヤロー」と情報源を逆恨みしながら、この量産形の発売を夢にまで見ていたことでしょう。
あ、これは当方のことです。

それと、ずいぶん前。
ホビーショーでT社が「あれ、うちも製品化したいんですよ」と言っていましたが、どうなんでしょうね。
そう発言された方を、ここ1、2年ショーで見かけません。
ベラベラしゃべったからでしょうか。ヒアリングをした方としては非常に心配しています。


今回の製品は、手持ちの既存製品(1号機)と比較したところ、付属パーツの寸法はまったく変わらず、ナンバーパーツも同じ大きさのようでした。
プロトタイプに差異はあるでしょうが、既存品の1号機以外のナンバーパーツを、今回の量産形に取り付けるというのもアリ??



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中央本線の貨物列車は、タンク車にコンテナ車が連結されることもあるようで、EH200にはこんなグリーンのタキとJRFレッドの12フィートコンテナばかりが積まれたコキの混合列車がお似合いだと思っています。
どことなく、カタログチックな退屈なビジュアルですけどね。でも、そこがいいんです。
中央本線は、12フィートのJRFコンテナが多いですよね。



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最後は、トンネルから抜けて出ようとしているブルーサンダーでおしまい。
今回はとっちらかったようなテーマ、内容となりましたけど、お許しください。

明日にはブログアプリは改善されるでしょうか。
では、またお会いします。




  1. 2015/10/13(火) 23:45:00|
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カトー クモハ12 鶴見線の考察




線路際の住民です。

今年も早いもので後2ヶ月で 近所の方から柿を頂きました、もう秋ですね~





飯田線クモニ13に続く17m旧型国電 クモハ12 50番台 鶴見線が、月をまたいだ10/1に発売されました。

夕方 模型屋さんへ立ち寄ると 会社帰りと思われる人がレジに集まってます。
試走線路を 多くの大川支線が往復しているのが印象的でした。
後で聞いたら 店頭分は、アッという間に無くなったとか…
レジ付近で見ていると 1人2両ずつ買っているケースを 多く見ました、052.053のペアで使うのかな?



ふたつの顔を持った両運転台が特徴のクモハ12を Nゲージとして高いレベルで仕上げた製品だと思います。
特に貫通路の渡板の表現は秀逸です
プロトタイプの クモハ12052のリベット車体を程良く再現され 眺めているだけでも楽しくなりますね。




この床下のATS-Sの車上子の造形と動力台車の為 目立ちませんが、C12に続く集電可能なスポーク車輪に驚きました。
他の車両にも使えそうなので 早い時期のパーツ分売をお願いしたいものです。



このクモハ12を見ると 年代設定を 昭和50~53年辺りと思われます。
まだ 飯田線の旧型国電に注目が集まっていた頃で 全検標記も 53-2 大井工場になっていますね。
クモハ12が注目され始めた分割民営化辺り以降の画像を見ると 茶色に塗られている増設運転台側の右側前窓の横桟の色を ウグイス色になっておりますが、国鉄時代はウグイス色だった様でモデルもこの時代に合わせてます。



さて 出来の良いクモハ12052を見ると もう一両の053が欲しくなりますよね。
そこで 簡単に比較をして見ました。



一番目立つ リベットの数でしょうか
製造時期に2年の差があるだけで 車体構造に差が出る程 工業技術の進歩があった事を感じさせられます。


次に 屋根形状の違いです。
肩口のカーブが厳つい052の製造当時は、シングルルーフの黎明期で 何となくモハ30の影響を受けた感じでしたが、053の製造された頃 モハ40系の登場を思わせる若干なだらかな 肩口になってます。
ここまで来ると 日本の国電史の勉強ですね。
他に 1-3側の真ん中のドア 一枚だけがプレスドアじゃないんです 鉄道博物館のクモハ40もそうですが、異なるドア形状の物を使うケースって 結構 多いですね。
白Hゴムを使っているので結構 目立ちます

他にも違いはありそうですが、いずれにしても 改造は大掛かりになりそうです。
大船工場の051の方が、取り組み易いと思います。




17m国電が、カトーから出てくる時代になったんですね!ビックリしました
いままでの旧型国電は、山々を背景にしたものですが、今回は臨港地帯ですから また違う雰囲気で遊ぶ事が出来そうです
お供にDD13の2つ目が欲しくなりました。
でわでわ
  1. 2015/10/07(水) 08:17:16|
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鶴見線・クモハ12052/053の記憶

こんばんは。しなのさかいです。

全日本模型ホビーショーの余韻が残る中、カトーからクモハ12050鶴見線が発売されました。
さきほど、EH200量産形と共に近所の量販店から持ち帰ったところです。

この車両も「過去のもの」となって久しく、若い世代のユーザーには「なんだこれは?」なのかもしれません。
当方が「若い」と言われていた頃は、鉄道大百科系の本には必ず「都会の中の老兵」というニュアンスで紹介されていて、この鶴見線に取り残された「謎の旧型国電」に会いに行くことは、クラスメートの中で「俺、見てきたぜ」と自慢してしまうような、神社への参拝に似た趣きでもありました。
クラスメートが次々と参拝を済ませるので、当方もソワソワしまして。
その参拝を初めて済ませたのは、1985年8月6日。
銀座松屋の鉄道模型ショウに行くついでに参拝を済ませようという魂胆だったと思います。
同行者は、一緒に急行「能登」に乗ったM君でした。


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リベットが無いように見えますから、クモハ12053かな?
ぶどう色のボディに黄色いサボは、大川支線のクモハ12のトレードマークのようなものでした。
武蔵白石のこのホームは、クモハ12が引退したときに取り壊されたと聞いています。
17メートル級の車両しか入れないのであれば必然だったのでしょう。
このとき、大川へ行く列車は武蔵白石駅をスルーすることとなったので、時刻表の巻頭の路線図も若干表現が変わったわけですね。
屋根の雰囲気と高さは、トミックスのミニ島式ホームに似ています。



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ヒドイ写真で本当にすみません。
このあとに101系の発売も控えているでしょうから、ついでに。
同じ日の鶴見駅での風景でした。
やっぱり101系のカナリア色はいいなあ。
こういうことを言って、「73形電車の方だろ」という方に説教されることがあります。



その後、しばらくは鶴見線から遠ざかり、1991年2月20日。
愛知県から東京に出てきていたT君が「まだ見てないんだよ」と言うので、横浜に住んでいたK君も誘って3人で訪問しました。
T君はこの頃の鉄道趣味の相方のような人物でしたが、K君は鉄道にはまったく興味のない人です。





民営化後でもこんなポンコツが走っていたのですよ。
この頃は、黄色いサボの代わりに、運転台にカードが置かれるようになっていました。
列車無線アンテナに違和感ありまくりです。



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大川から戻ってきたクモハ12は、そのまま鶴見方面へ去っていきました。



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この日はクモハ12の1両で鶴見線内をウロチョロしていたようで、こんどは海芝浦行きに。
海芝浦駅は、この頃は既に都会のナントカスポットとして有名で、この日もよく見ると1組のカップルが海を見ていますヨ。





このときはリベットが目立ちますから、たぶんクモハ12052かも。運転台の看板も「52」だし(笑)
T君とK君が窓を上げて、はしゃいで顔を出しています。
当方も東京案内人として満足したことです。
JR東日本の東京管内ではあったものの、とてもゆるい雰囲気で、平成の時代と言っても、まだまだ牧歌的な空気が流れていました。
ホームにはまだ点字ブロックもありません。



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見方にもよりますが、室内灯は電球色の室内灯とすべきなのでしょう。
さっき、1両分だけ買ってきました。






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この頃は、101系に代わって103系です。
こうなると、やっぱりJRの時代だなとわかる訳です。
黒いHゴムって、どうしても時代を主張してしまいますね。



それから約2年後の1993年4月某日。
都内を撮り歩いた帰りに、思い出したように鶴見駅へ立ち寄っていました。
このときもクモハ12は健在で、鶴見と大川の間の運用だったようです。





いろいろと運用方式があったようです。
研究不足でした。
これは運転台に「53」という看板がありますから、クモハ12053でしょう。
よく見比べてみると、細かい差異がみられます。


鶴見線が全国的に有名になったのは、もしかしたら1986年と1987年に放送されたあのドラマだったかもしれませんね。
ふと、そんなことを思い出しました。

ではまた。


  1. 2015/10/03(土) 17:00:00|
  2. 駅ノート
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