しなのさかいの駅前広場

コキ500000、発進!

鶴見線・クモハ12052/053の記憶

こんばんは。しなのさかいです。

全日本模型ホビーショーの余韻が残る中、カトーからクモハ12050鶴見線が発売されました。
さきほど、EH200量産形と共に近所の量販店から持ち帰ったところです。

この車両も「過去のもの」となって久しく、若い世代のユーザーには「なんだこれは?」なのかもしれません。
当方が「若い」と言われていた頃は、鉄道大百科系の本には必ず「都会の中の老兵」というニュアンスで紹介されていて、この鶴見線に取り残された「謎の旧型国電」に会いに行くことは、クラスメートの中で「俺、見てきたぜ」と自慢してしまうような、神社への参拝に似た趣きでもありました。
クラスメートが次々と参拝を済ませるので、当方もソワソワしまして。
その参拝を初めて済ませたのは、1985年8月6日。
銀座松屋の鉄道模型ショウに行くついでに参拝を済ませようという魂胆だったと思います。
同行者は、一緒に急行「能登」に乗ったM君でした。


198508kumoha12.jpg

リベットが無いように見えますから、クモハ12053かな?
ぶどう色のボディに黄色いサボは、大川支線のクモハ12のトレードマークのようなものでした。
武蔵白石のこのホームは、クモハ12が引退したときに取り壊されたと聞いています。
17メートル級の車両しか入れないのであれば必然だったのでしょう。
このとき、大川へ行く列車は武蔵白石駅をスルーすることとなったので、時刻表の巻頭の路線図も若干表現が変わったわけですね。
屋根の雰囲気と高さは、トミックスのミニ島式ホームに似ています。



198608101kei.jpg

ヒドイ写真で本当にすみません。
このあとに101系の発売も控えているでしょうから、ついでに。
同じ日の鶴見駅での風景でした。
やっぱり101系のカナリア色はいいなあ。
こういうことを言って、「73形電車の方だろ」という方に説教されることがあります。



その後、しばらくは鶴見線から遠ざかり、1991年2月20日。
愛知県から東京に出てきていたT君が「まだ見てないんだよ」と言うので、横浜に住んでいたK君も誘って3人で訪問しました。
T君はこの頃の鉄道趣味の相方のような人物でしたが、K君は鉄道にはまったく興味のない人です。





民営化後でもこんなポンコツが走っていたのですよ。
この頃は、黄色いサボの代わりに、運転台にカードが置かれるようになっていました。
列車無線アンテナに違和感ありまくりです。



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大川から戻ってきたクモハ12は、そのまま鶴見方面へ去っていきました。



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この日はクモハ12の1両で鶴見線内をウロチョロしていたようで、こんどは海芝浦行きに。
海芝浦駅は、この頃は既に都会のナントカスポットとして有名で、この日もよく見ると1組のカップルが海を見ていますヨ。





このときはリベットが目立ちますから、たぶんクモハ12052かも。運転台の看板も「52」だし(笑)
T君とK君が窓を上げて、はしゃいで顔を出しています。
当方も東京案内人として満足したことです。
JR東日本の東京管内ではあったものの、とてもゆるい雰囲気で、平成の時代と言っても、まだまだ牧歌的な空気が流れていました。
ホームにはまだ点字ブロックもありません。



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見方にもよりますが、室内灯は電球色の室内灯とすべきなのでしょう。
さっき、1両分だけ買ってきました。






199102006.jpg

この頃は、101系に代わって103系です。
こうなると、やっぱりJRの時代だなとわかる訳です。
黒いHゴムって、どうしても時代を主張してしまいますね。



それから約2年後の1993年4月某日。
都内を撮り歩いた帰りに、思い出したように鶴見駅へ立ち寄っていました。
このときもクモハ12は健在で、鶴見と大川の間の運用だったようです。





いろいろと運用方式があったようです。
研究不足でした。
これは運転台に「53」という看板がありますから、クモハ12053でしょう。
よく見比べてみると、細かい差異がみられます。


鶴見線が全国的に有名になったのは、もしかしたら1986年と1987年に放送されたあのドラマだったかもしれませんね。
ふと、そんなことを思い出しました。

ではまた。


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  1. 2015/10/03(土) 17:00:00|
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