しなのさかいの駅前広場

みんな考え始めているようです。いろいろと。

KATOカプラー密連形 #2 新性能電車用

こんばんは。しなのさかいです。




先週の金曜日。関東平野は暑い1日でしたねー。

しかし、夏らしい日もそろそろおしまい。
明日の火曜日頃には超大型台風がやってくるそうで、困った感じになってきました。

台風が来ると、もう年末までのカウントダウンです。「仕上げのビックサイト」の頃には涼しい風を感じられることでしょう。




少し間が空きましたので、近況報告から。
Nゲージ趣味はちゃんとやっていますョ。





北陸方面の旅行から帰ってきた後は、手元のカトー製683系で遊んでいました。
木ノ本付近をかっ飛ばす「しらさぎ」を見てしまい、シビれてしまいましたので(笑)

模型の方は「サンダーバード」と「しらさぎ」となります。
681系は再生産されるたびに買い忘れてしまい、「はくたか」しか持っていません。

そうそう、683系といえば「289系」。
カトーから直流用途固定化工事が施された289系「くろしお」が発売となりました。
289系は「こうのとり」が発売されたら買ってみようと思います。当方「4+3」という少しバランスのとれた、というか併結部分が中央に近いスタイルが好きなんです。
あかね色の帯も似合いますよね。気長に待つことにしましょう。





もうひとつ近況報告をするとすれば、カトー・西武5000系〈レッドアロー〉初期形です。
発売からしばらく経ちましたが、故あって2セットを入線。

フロントの化粧パネルの手摺りがなく、運転台上のアンテナも設置されていない頃の、とてもプレーンな登場時スタイルです。
それと今回は、トイレ設置前の偶数先頭車が新規で作られました。
先に発売された6両セットは行灯式マークで運行させていますので、看板式のみの顔も常時スタンバイさせておくことができる、という訳。





先頭車同士の連結状態。
見事にライトを消し忘れています。





カラフルな座席パーツ。
カトーの定番メニューですが、このような配慮に模型としての質の良さというか、持ってみたときの顔のニヤケ方(変態ではありません)を感じるのです。
室内灯を入れてこその楽しみ方。6両セットとは差別化された「持つ喜び」があります。

この「初期形」は時代的にはかなり遡り、また時間的にもナローな活躍でした。
しかし、ここに西武らしい味わい方があります。
まだまだ「東京の郊外」が土埃っぽい、泥で汚れたような時代。
この時代の楽しみ方を研究してみます。



また前置きが長くなりました…。




ついに発売。KATOカプラー密連形 #2 新性能電車用。
飯田線シリーズ第1弾から採用されたというべきなんでしょう。いわゆる電連形フックが廃された新型カプラーです。
飯田線シリーズでは旧型国電タイプとしてのものでしたが、155系での採用は間に合わなかったものの、711系からは新性能電車用としても作られ、続く165系でも採用されました。

皆さんはどれだけ買いましたか?
当方、近所の量販店で店員さんに大声を出されるくらいの数量を買い求めました(笑)

1袋10個入り。
カプラー本体の外、交換時にツメを破損した場合の予備用カプラー受けパーツ、それとカプラースプリングが同封されています。
カプラースプリングはいつも「やるまい」と思っていても、案の定、今回も分解したときに異次元空間へ飛ばしてしまいましたので、やっぱりありがたい配慮だと思います。





黒いパーツなので画像のコントラストを調整しています。
フックが無くなりました。カプラー自体もやや大型化されましたが、これは比べてみないと気づかない程度です。
新旧同士の連結ができないというのは散々アナウンスされていますよね。





左が「長」で、右が「短」。
パーツを混ぜてしまっても慌てずに。カトーのこのようなパーツは、外見ですぐに判別できる配慮がなされています。
カプラーの反対側を見ると、左がつるんとラウンドしていて、右が出っ張っていますよね。ここで見分けるのですよ。

トミックスのTNカプラーと決定的に違うのは、カプラーが“ワンパーツ構成”となっていること。
TNカプラーは「コ」の字形のパーツが本体に食いついて構成されています。このことが電連アリと電連ナシとを選択できるメリットをもたらしていますが、あくまでもそれは「ついでの話」。

ワンパーツにすると、組立てに要する時間も短縮される訳なので、そのような配慮も考えた上での設計でなないのかなと、ひとりで勝手な推理をしています。





こうして115系300番台に組み込んでみると、電連形フック付きよりもややタイトに連結されるようです。
これまではフックの部分がやや遊び気味でしたが、今回は確かなクリック感がありました。
この辺は気のせいかもしれませんので、参考の参考程度に。
だけど、同じクリック感をトミックスではツーパーツで実現しているところを、カトーはワンパーツで実現してしまうのですから。
TNカプラーが誕生してから23年近く経ちますので、そうなるのでしょう。





クモニ83800にも取り付けて、シンガリをやってもらいました。
年末には165系と共に新たな運用に就いてもらう必要があります。このような需要を考えている方は、このカプラー交換は必須と言えましょう。





115系800番台。
こちらには、カプラーだけでなく、ひと足お先にライトのレンズも交換を施してみました。
リム厚が気になるかもしれないけど、レンズのカットが効いていて当方としては好きな顔に変身。
165系と同様、ライトの灯りのボヤケ具合がたまりませんね。







この800番台は、手にしてから僅か3年程度です。
それなのに、ベンチレーターをつや消しパーツに交換し、カプラーも全交換。さらにはライトレンズまで交換。
進化が止まりません。
なのでレイアウト上の運用に就くことも多くなっています。




今回の新型カプラー。
多くのユーザーの間で「どれだけ交換しようか」「俺は先頭車だけにしておく」という思考や談義が繰り返されていることと思います。

当方は神経質なので、先頭部分のみで済ますことができません。クモヤ90の存在とその活躍のさせ方もありますので、同じ黒いカプラーを使っている車両であれば、中間部分も根こそぎ交換することに決めました。
近所の量販店で店員さんに大声を出されたのは、当方が必要とした「長」が僅かな数量なのに対して「短」がケタ違いに大量だったからです。


ところで。
当方として気になるのは、今後カトーが様々な製品を再生産するときに、この新型カプラーを採用するのか、どうか。
「たかがカプラー」でも、仕様は大きく変わるので(再生産品が既製品と連結できなくなりますから)、ライトユーザーや既製品の在庫を抱える小売店のことを考えると悩ましい選択かもしれません。場合によっては品番を変える??

再生産してもカプラーが従来どおりの旧タイプであれば、今回のようにカトーブランド(緑ラベル)での交換パーツのみの販売も継続されるかもしれませんね。なのでのんびりとしていればよろしい。
もし今回のカプラーに変えて再生産されるのであれば、今回の製品を「救済パーツ」と捉えて、今すぐに迷いを断ち切る行動に出るべきなのでしょう。
今回の11-730、11-731があくまでもカプラー「の交換パーツ」であり、カプラーそのものではないところに注目です。



* * *



先日は、当ブログの共同運行者で集まって、久しぶりのオフ会。顧問に加わっていただき「Nゲージ趣味に豊かさを感じるために」というテーマで夜の8時まで話し合いました(ホンマかいな?)。
楽しかったなあ。是非またやりましょう。




これからはいよいよ「自分なりの価値を磨く時代」へ。そういう方向で間違っていないようです。
カプラーの交換もそうですが、マイコレクションをどのように揃えて、どのような状態にしておいて。
そして、どのような風景の中を走らせるのか。

発売されている模型の種類が増えたので、自分なりの振り方、寄せ方を選択できる時代なのです。まずはその事実に気づく…。
そこからです。


「飯田線に帰ろう。」
それにしても、いいコピーですよね。
このコピーを読んで「カトーに飯田線の趣味を強要されている」と思っていてはいけないのですよ。
そーゆーことではないのです。


ではまた。

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  1. 2016/08/29(月) 17:00:00|
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グリーンマックス 新動力



線路際の住民です。

もう何年も旅と言う行為をする事がなくなりましたが、先日 押入れの整理をしていたところ 一枚のパンフレットをみつけました。
宇高連絡船が、表紙になった国鉄四国支社作成のモノですね。


幼い頃の事ながら 東京駅ホームの寝台車の青緑色のカーテンがクリーニング店の様に見えた事や 行きに乗車した急行さぬきの座席車の蛍光灯が眩しくて眠れなかった事、沼津(これだけは不思議と覚えてる)構内で先行する貨物列車の脱線事故を列車から降りて兄弟と見物に行こうとして親に凄く怒られた事が想い出します。
その頃から既に鉄道趣味にハマっていたようです。
三つ子の魂百まで…とはよく言ったものですね。



ビックサイトで国際鉄道模型コンベンションが開催されていた事もあり あまり話題に上がらないようですが、グリーンマックスの新動力の単品販売が始まりました。
そこで 我が家のEVO103系に取り付けるべく 購入致しました。



上面がフラットになり窓の外から目立たなくなりました、パッと見た時にトミックス動力の様な感じです。



BMTNを装着する為に 台車のカプラー枝を慎重にカットします。
あまりカプラーカットを前提にした設定にはしていない様なので 調子に乗ってパチンパチンとやると余計な所までカットしかねないので要注意です。



後は別売の台車枠・床下機器の入ったパーツを付けます、このパーツを見ると何となく割高な気がしますが、初めてな事なので
今回はメーカー指示通りに取り付けます。



車体に取り付ける前に窓ガラスパーツの真ん中にあるフックをカットして取り付けます。
す取っ替えみたいに行きませんが、慣れてしまえば問題ないでしょう。

走らせてみると 超低速から静かに走り始めます、トミックス DU101の場合加速が良すぎる以外は、調子良く走ります。




こうしてEVO103系も新動力が入り後はライトユニット待ちですが…
そういえば、松屋以降のイベントでエボリューションシリーズの話を聞かなくなり気になります。
待望の新動力発売ですから エボリューションシリーズの続編があると期待しましょう。
  1. 2016/08/24(水) 22:26:59|
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能登の奥まで(その4・完)

(その3からつづく)


8月6日は、金沢攻略。




猛暑の中の兼六園。





猛暑の中の武家屋敷。





猛暑の中のひがし茶屋街まで来て、いよいよ暑さが頭にキまして。
とうとう昼ごはんは、パンケーキになりました。
「パンケーキカフェfluffy」さんのパンケーキです。うまい。


この後、近江町市場を歩いて買い食いをして。
これ以上の散歩は無理だとの結論に達して、金沢を離脱。





ここで唐突に「夏休みに立ち寄る模型屋さん」シリーズ。
今回は「みなと模型・小松店」さんです。

北陸地区では充実した品揃えのようで、関東地区の模型店とも変わらない雰囲気の店内でした。
前日に発表となったばかりのカトーのポスターも貼ってあったりして。ちゃんと模型メーカーの情報が把握されているようです(失礼)。


で、今回の戦果。
①カトー 10-1132 485系初期形2両増結セット
②カトー 3080-1 ED78 1次形

前者は先日お話ししたように、2014年ロットの10-242が手に入らないことによる方針転換として。関東地方でもまだ手に入りそうですが、こちらでも割引価格で売られていたので、旅の記念にしました。
後者は、関東ではすっかり見かけなくなりました。いつかは重連にしようと思って1両だけ買ってマゴマゴしていたら、あっという間に消えて。ちょっと得した気分です。

この日はそのまま、山中温泉のとあるホテル泊です。




8月7日はいよいよ福井県へ。
県境は山中温泉のすぐそばでした。




修行のお寺、永平寺。
しかし目的は修行ではありませぬ。
大晦日に紅白歌合戦が終わったその次の瞬間、「ゆく年くる年」となってゴーンと鳴る鐘がありますよね。

それを見たかったんです。

お寺を囲むようにもみじ。
秋の風景もそれは見事なんだろうなと想像します。
ああ、季節を選んで旅ができるようになりたい…
「老後の楽しみ」などと言っていないで、貪欲にこうした旅をしていきたいですね(ただし格安に)。





次は東尋坊。
ここも灼熱地獄と化していて、キケンな上にキケンが重なる観光となりました。





東尋坊からは、敦賀まで進みます。
そのルートは、国道8号や北陸自動車道を辿るのが順当ですが、タイミングよくSさんからアドバイスをいただきましたので、国道305号を南下することに決定しました。





途中の越前岬で。
これだけ旅情を掻き立てる名前のバス停は無いですよね。





道の駅「越前」に寄りながら、ひたすら海岸線を走るロング・ドライブ。

この日は日曜日ということもあり、家族連れが磯遊びをしたり海水浴に来ていたり。
地元の方々の演出(?)もあって、夏らしい眺めを見ながらの運転となりました。
Sさん、ありがとうございました。

17時過ぎには「アルファ・ワン敦賀バイパス」というマンションのようなホテルに着いて最後の1泊。



翌8月8日は朝から国道8号を走り、滋賀県へ突入。
今回の旅は、神奈川県→東京都→神奈川県→山梨県→長野県→新潟県→富山県→石川県→福井県→滋賀県と辿ったことになります。
家族旅行とは思えない連れ回しっぷり。





木ノ本の「つるやパン」さんへ到達して、氷見から木ノ本までの空白地帯を繋げることに成功しました。





2年前は売り切れで買えなかった「サラダパン」と「サンドウィッチ」。
2年後という時間が長いのか短いのかは意見が分かれるところなれど、関東地方に住む当方が2年後に舞い戻ってきたのは「偶然」ではなく「執念」です。

この後は岐阜県→愛知県→静岡県→神奈川県と辿り、関東平野の住民に戻りましたとさ。
新東名は走りやすいですね。





(エンディング・その1)



敦賀では「日本海さかな街」で、これまたSさんのオススメである、①小牧のかまぼこ、②丸海の小鯛の笹漬けをガッチリと。
この2つは、自宅にたどり着いてからしみじみと味わいました。





小牧のかまぼこは、練りものとしては非常に密度が高く、風味だけでなく「ボルンボルン」という歯応えが楽しめるかまぼこでした。軽くわさび醤油にチョン付けして食べてみました。





そして、こっちが小鯛の笹漬け。
恥ずかしながら旅行に出てからもこういう福井名物(小浜市名物)があることを知りませんでした。
酢の味とレンコダイの食感が合うのでしょう。とりあえずごはんと共に食べてみましたが、他にもいろいろと食べ方があるようです。
東尋坊あたりからカニ、カニ、カニと「カニ押し」の福井県でしたが、こうしたお土産品を知るのと知らないのでは、その土地の知り方に奥行きが生まれません。

Sさん、今回もありがとうございました。
旅行から帰っても女房と旅行の余韻に浸れました。




(エンディング・その2)

東尋坊から敦賀へのルートの話に戻ります。

Sさんのオススメは、実は2つのルートの選択というものでして、国道305号のもう1つは北陸本線旧線を走るルートという提案でした。
今回は風景の良い海岸線を進む方を選んだので、鉄分多めの方は諦めることに…


が、敦賀市街に近いところで国道305号(→県道204号)から8号へ合流すると、やがて「杉津」という地名が近づいてくるではありませんか!





即座にカーナビを見ると、何やらあやしい山登りの道(県道207号?)への交差点が近づいてきて…
おお、これはまさしく北陸自動車道・杉津PAへ続く道。そこには北陸本線旧線跡があるんじゃないのー?
国道305号を選択したことで諦めたけど、旧線巡りもできちゃうんじゃないのー?


脈拍数上昇。
アドレナリン・ドバドバ。
曲がるのか?
曲がって山を登るんだろ?


そんな自問自答をしながら車の中を見渡すと、女3人は爆睡中。
敦賀のホテルへ着くはずの時間に目が覚めた「その場所」が不気味なトンネルの前の信号待ちだったら…。恨まれること間違いなし…。

わずか数秒の間にそのようなことを考えて、そのような結論を出したのでした。
同乗者には一切気づかれないまま…
様々な葛藤を乗せて、車はそのままハチコクを走っていきました。



長いレポートにお付き合いいただきありがとうございました。

ではまた。


  1. 2016/08/17(水) 08:00:00|
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能登の奥まで(その3)

(その2からつづく)


8月5日は、道の駅「輪島ふらっと訪夢」からスタート。
この施設は、のと鉄道・輪島駅があった場所に建てられていて、今でもバスターミナルとして、街のコアとしての機能を維持しています。
昼の12時までやっているという「朝市」を偵察する前に、こちらを見てみることにしました。





建物の裏には、廃線メモリアルパーク?
これでも地味に、線路をまっすぐつなげるように撮ることに神経を使っていますのョ。

書割り(写真)には、穴水へ続く線路とNT100形の姿が。これはこれで1つのアイデアではあるけど、ちょっと切ないなぁと。







ホームのレプリカのようなところには駅名標。
電飾タイプの方は実際に使われていたものと思われます。
木製の方は枠自体が変えられているみたいですが、文字の書かれた中身は昔のままみたい。





1992年11月10日 のと鉄道七尾線・輪島駅にて

やっぱりそうでした。
レンタカーで輪島まで行ったときの1枚。
「シベリア」の文字が面白かったので、同行者全員で記念撮影したんだと思います。
空欄となっていたところに誰かが悪戯をしてから、次第に定着したんだとか。





もう1つ、道の駅の建物の中には、記憶にある「輪島駅」の額がありました。





1986年3月27日 国鉄七尾線・輪島駅にて

こちらもそうでした。
輪島駅の改札口真上に掲げられていたものです。
今改めて見てみると、改札口の奥には、これから乗る急行「能登路」が写っています。
このときは国民宿舎輪島荘に泊まっていたのですが、翌朝は結構早い時間に駅に戻ってきていたようです。
キハ58系がガラガラとエンジンをアイドリングさせている音が蘇ってきました。

鉄道時代を感じさせるいろいろな仕掛けがある道の駅でした。


ところで。
のと鉄道・穴水ー輪島間は2001年に廃止されました。今にしてみれば穴水ー蛸島間よりも早く廃止されたことが意外。
穴水と輪島の間には2駅しかない短い区間でしたが「それでも廃止」することになった訳で、そこらへんには複雑な事情、経緯があったようです。とにもかくにも、第三セクター鉄道としては初の廃止路線となり、当時としてはショッキングなニュースだったと記憶しています。

また、別の見方をすれば、静岡県下田市のように、半島の先端に位置する市制自治体が鉄道を手放してしまったことに(市民の特急バス利用を含めて)複雑な思いを抱かざるを得ません。
住民の利用だけを考えて鉄道の存廃を決める時代ではなくなってきた(と思う)今日、観光客を呼び込むことに関しては戦国時代となってきた今日から見ると、少々早過ぎる決断でもあり、そう決断することがトレンドだった時代に決断せざるを得なかったようにも見えます。
食い散らかっていない「田舎」の風景の中をキハ58系「能登路」がプォーンとタイフォンを鳴らしながら走る姿は、素晴らしい観光資源となっていたことでしょう。

のと里山空港から空路での奥能登入りも、時間的な都合からすればいいのでしょうが、当方としては飛行機の利用に抵抗があります。やはり地べたを這って目的地ヘ行きたい(笑)
地元としては鉄道よりも空港、だったんでしょうか。








普通の観光客のように輪島の朝市を見た後は、大沢地区の「間垣」を見に行きました。
朝ドラで脚光を浴びたようですけど、当方は1992年に、何の予備知識もないまま車で迷い込んだ集落で、そのときの景観の良さに対する驚きから「もう一度行きたい」と思っていた場所。
シーンとした集落に家族4人で車から降り立ったら、すぐに「クラブツーリズム」のバスが2台やって来て、あっという間に静かな漁村はサービスエリア状態に。





旅行貯金をしようと集落内の西保郵便局を探したら、なんとその向きは集落の内側でした(間垣とその前の道路を背にして)。
「よく見つけられましたね」と局員氏2名に労ってもらったほどです。
さらに信じられなことに、局員氏によれば、この細い道路こそ、かつての道路だったんだとか。
こんな道幅でも可としていた時代があったということを、大沢集落の位置、立地と絡めて思い知らされるのでした。
おそらく、都会の人間が想像できないくらいの長い間、ほとんど陸の孤島だったのではないかと…





試しても泣かない砂浜だった「琴ヶ浜」に寄りながら「ヤセの断崖」へ。
この断崖は2007年の能登半島地震で大きく崩落してしまい、ただの崖になってしまいました。





そこから数百メートル先には「義経の舟隠し」という奇勝地。こっちの方が全然良かったな。
潜水艦の隠し場所っぽいというか(笑)







志賀原発の脇を通り抜け、UFOの街・羽咋(未だにそうなっています)で遅いお昼とした後は「千里浜なぎさドライブウェイ」へ。





そして、あこがれの「8番ラーメン」内灘店。
しかし、当家にとっては薄味でした。
「これも関西文化だからなのかなぁ」という見解で一致。





この日は、内灘海水浴から見る夕日でおしまい。
近くの「ファミリーロッジ旅籠屋・内灘店」で安めの1泊としました。
内灘店は、目の前に海水浴場、隣には日帰り温泉とマックスバリュがあるという好立地で、なかなかでした。


(その4・完へつづく)



  1. 2016/08/16(火) 12:40:00|
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能登の奥まで(その2)

(その1からつづく)


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8月4日。
この日は、のと鉄道に関係してもう少しだけ鉄分補給をすることにしていました。



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2005年に廃止されてしまった穴水ー蛸島間。
旧国鉄能登線に該当する区間です。
その終着駅が、蛸島(たこじま)駅でした。

危うくクルマで通り過ぎてしまうくらい自然に、駅舎がそのままの姿で残存していて。のと鉄道の廃止区間では、このように駅舎をそのままにしているケースが多いようです。解体するにも費用がかかる訳ですから。
しかし廃墟のようで痛々しい。



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ごめんなさい、ちょっとだけ見せてください。
ということで駅の裏側。
なんとなく思い出がよみがえります…。



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1986年3月27日 国鉄能登線・蛸島駅にて



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1986年3月27日 国鉄能登線・蛸島駅にて 急行「能登路」号


まだ「国鉄」だった頃、乗り鉄仲間のM君と七尾線、そして能登線に乗りました。
金沢から(キハ58+キハ28)×3=6両で発車する「能登路」は、最終的にこの蛸島へ2両で到着。
駅のホームには、同じく乗り通したと思われる鉄道ファンが。金沢から一緒だったのかも。
こういう時代でした。
その後、北陸ワイド周遊券の「G券」をフル活用するようにバスで輪島を目指したことは、以前にも書いたかもしれません。

あらためて思うのは、このような能登の最奥地であるような場所(失礼)であっても、若僧が若僧同士で訪れていたということの面白さ。
そして、30年経った今でもこの地を思い出として記憶しているということ。
「鉄道がある地」と「無い地」とでは、このような違いがあると思うのです。



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その蛸島駅。
30年の時を経て同じ場所に立つと、こうなります。



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そしてそして、穴水方面を見てみる。
大きく右へカーブした線路跡の奥に視線を集中させると…



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本線上にNT102形が。
いろいろと経緯があってこのようになっているそうなのですが、車両ごと残っている廃線跡は見ていてつらい。



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国鉄線だったことを示す「遺跡」は、セミが外に出ていくための施設としてちょうど良かったみたいです。


蛸島駅にたどり着く途中、珠洲市街を通り抜けてきましたけど、商店街らしきところは見事にシーンとしていました。
空気が動いていないのです。人の気配がまったくないから。
街にコアが無くなって、そして街に人を呼び込むインフラが無くなってしまうとこうなるのか。

1980年代の地方交通線の廃止ラッシュ、分割民営化後の相次ぐ廃止。
そして今、北の大地での鉄道の在り方がクローズアップされてきましたが、このこととリンクさせて考えざるを得ない、残念な廃線跡でした。

そろそろ「鉄道」というインフラを、別の見方で捉え直さないと手遅れになりそうで怖いです。
過疎で苦しむ日本中の地域から見れば「鉄道が繋がっている」という強いアドバンテージをどうして自ら手放そうとするのか理解に苦しんでいるのでは、と。
地方の鉄道を新しい価値観で見るようにならない限り、“地方創生”なんていう掛け声は“ふるさと創生”と同じ響きに聞こえてしまいそうで。
蛸島駅の廃墟は、そんなことを語っているような気がします(オーバーですね)。



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この後は、能登半島最先端・禄剛埼灯台へ。
回りはどこを見ても「日本海ブルー」でした。
太平洋側の住民としては、この青さは貴重。
暑さが障害にならない日だったら、いつまでも見ていたい海でした。



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そして、白米千枚田。
やはり日本海の青と組み合わさる緑は見ていて飽きません。
能登の観光ポテンシャルは高い。



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輪島で1泊。
温泉民宿「海辺」さんのお刺身2人前(別料金です)。



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「海辺」さんのオススメもあり、夕食後は歩いて10分くらいの「輪島キリコ会館」で御陣乗(おじんじょう)太鼓を見てきました。
最近、当方はこのような芸能もちゃんと興味を持って見ることができるようになりました。
蛸島駅で写真を撮ってから30年も経てば、そうやって視野が広がるようです。
あのとき、蛸島駅まで来ていなければ、こうして輪島にはいなかったかもしれません。

奥能登には駆け足でダイジェスト的に見て回っても、これだけの魅力が散らばっているのでした。


(その3へつづく)

  1. 2016/08/15(月) 07:00:00|
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能登の奥まで(その1)

こんばんは。しなのさかいです。

ちょっとだけご無沙汰しておりました。
今回は少しだけ模型の話を離れます。
先週のことになりますが、8月3日から8月8日まで早々と夏休みをいただいて、家族で旅に出てきました。



今年の夏のクルマ旅はどこへ行くか…。
GWが過ぎた頃、女3人にこんな議題を提案したところ、明確な答えを返してきたのは意外にも下の娘(小5)でした。

「今年は石川県と福井県でしょ」

昨年は、上の娘の高校受験イヤーだったこともあり、近場の伊豆半島で我慢させてしまいました。
そんなこともあったので、今年はもう少し長い期間の旅行としてやらねばと思っていたところ、小5とは思えないシブい地名(地名)がポンと。
年ごろ的にはTDLだとか、なんでしょうけど。同級生にはハワイに行く輩もいるとか(笑)
しかし、考えてみれば「我が家的」にはまあまあ納得のいく回答だったのです。



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2013年8月6日 富山県氷見市・雨晴海岸


2013年の夏の旅では、富山県氷見市まで到達。
雨晴海岸から、かすんで見える能登半島をじっと見つめながら、南下して飛騨高山へ向かいました。



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2014年8月6日 滋賀県長浜市から見る琵琶湖


そして2014年の夏は、琵琶湖を一周。
マキノ・塩津・木ノ本まで達して長浜へターンしたのでした。

つまり、富山県の氷見市から滋賀県の木ノ本までが空白となっているため、下の娘としても直感で「次はそこへ行かねばならない」と思ったようなのです。
2000年に長女が生まれてからというもの、近場の伊豆半島だけを夏の避暑地にしていましたけど、2010年頃から版図を拡大し、気が付いたら中部地方を面的にカバーするような旅をしてきました。
このことが奏功したのかはわかりません。
ただ、自然なスタイルで地域をカバーするような旅(視察旅行)に慣れている娘を見ていると、旅の企画者としては「してやったり」。
なんとなくカトーの企画に似ているようなことをやっていた自分に気が付いたのも、そんな娘の「…でしょ」という一言がきっかけでした。



ということで、今年の夏は、我が家には縁もゆかりも、そして明確な目当てもない石川県と福井県を目指す旅となりました。
8月3日。圏央道→中央道→長野道→上信越道→北陸道と進み、ルートイン氷見で1泊。

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サービスエリアなんかも、昔は娘たちの様子を気遣ってこまごまと立ち寄っていました。
今ではそんな必要もなくなってきて、首都圏から姨捨サービスエリアまで一気に駒を進めることができるように。
昼休みを兼ねて休憩。
見下ろす善光寺平は、いつ見ても爽快感がありますよね。
それと、アルピコさんが経営するサービスエリアの中身は、もう少しなんとかしてもらいたいなあ。



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翌4日から海岸線を北上する形でスタートです。
この画像は、ちょうど能登島をぐるりと一周したあとの1枚。ツインブリッジから遠くに能登島大橋を見ています。
内海と言っていいのかわかりませんが、この日の七尾湾はおだやかで、琵琶湖よりも波が見られない、そんな風景を見続けました。



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多少は鉄分を入れます(笑)
能登島から能登半島に戻ると、のと鉄道(旧国鉄七尾線)・西岸駅。
和倉温泉から至近ということもあり、まだ生きている無人駅です。



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ひまわり、青い空、もくもくした雲。
夏、ですよね。
娘たちがこういう風景を見て「価値のあるものだよな」と思えるようになるには、まだもう少し時間がかかりそうです。
そうなるように、ただいま訓練中(笑)



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ところでこの西岸駅。一度ゆっくり訪れてみたいと思っていたので、今回の旅がいい機会となりました。
今ではアニメの聖地になってしまったそうで、海外からいろいろな人が来てウロウロしているそうです。
駅前の西岸郵便局で旅行貯金と風景印の処理をしながらいろいろとお話を伺いました。
駅舎の中には駅ノートも。知らなかった…。

でも当方が訪れてみたいと思ったのは、この駅がアニメの聖地だからではなく、1990年代のとあるドラマのロケ地だったから。
金沢へ続く線路を見て、今はなきNT100形が遠ざかっていく映像を思い出せば、ほーらね(笑)



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「かき貝」の看板もそのまんま。
時が止まったまま、です。
それにしても、1990年代のドラマって、地方のロケを大事にしていましたよね。
今、こうして訪問してみると「なるほど、そりゃ選ぶな」と思える場所ばかり。
チャラいドラマばっかりの印象もあるんですけど、意外と2016年の今よりは、地方の景色、日本の原風景に対する愛情があった人たちが携わったドラマづくりの時代、だったのかもしれません。


(その2へつづく)


  1. 2016/08/12(金) 23:35:15|
  2. 駅ノート
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マイクロエース EH10



線路際の住民です。

リオ オリンピックが始まりました、暫くテレビも賑やかになりそうです。

マイクロエースEH10-14 結構イイ値段で う~ん! ポイントと併用しての購入です。

カトー飯田線3両+2両セットと変わらない価格なんですよね!
しかし 店員氏に聞いてみると売れているとの事でした。

さて 私が実車を見た頃は、横浜駅の横須賀線ホームが貨物線で東海道線ホームにいると あっまた来た!と思うくらいに見たものですが、貨物線にも横須賀線が走る様になるとパッタリ見なくなり後で知人から全廃になった話を聞いて ビックリしました。



そんなひっそりと?姿を消したEH10ですが、国鉄貨物の最重要幹線 東海道・山陽(岡山まで)宇野線でよく見る存在でした。
そこでカトー製の小さな機関車が牽く貨車を本線の大消費地に運ばなければいけないと云う設定で我が家にも入線させました。



やはり黒貨車やトビ色の貨車が似合いますね。



EF15と並べても大きさに違和感はありません。
しかし正面の窓が天地方向に大きい様な気がしますがどうでしょうか?
まどガラス上側のHゴムが見えないくらいに後ろに傾いて居た気がするんですが…



しかし全体的にバランス感の高いモデルで安定した走りをしています。
車間短縮カプラーに交換しましたが、急曲線や無理な走行をしなければ普通に使える様です。




各駅から荷物を積んで集まる貨車を編成しながら 目的地へ向かう様は、まるで川の流れといったところでしょうか。
その下流部分で活躍する機関車の入線で充実した遊び方が出来ますね。



  1. 2016/08/06(土) 07:33:24|
  2. 鉄道模型(車両)
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