しなのさかいの駅前広場

あの山は棒を立てて登らないでください。

冬の伊那谷の風景に憧れて

こんばんは。しなのさかいです。


先日、長野県下伊那郡阿智村・園原へ行った話をしました。
実は、その後には、車で伊那谷を北上したという多少のつづきがあって、「そんなことも軽くおしゃべりしたいなぁ」というのが今回の趣旨なんです。





もう一度、駒ヶ根駅前からこの風景を見てみたかったんです。
しかも、晴れた冬の日に見たかったんですね。
どことなくありふれた駅前の風景かもしれません。

だけど、アーケードと昭和っぽい低層のビルが立ち並び、その後ろには雪山…。
どこかチグハグで、でも不思議と懐かしさがこみあげてくる、そんな風景です。

飯田線は地方交通線ながら、起点又は終点への経済的依存度が比較的少なくて、長大な路線の中にあるいくつかの主要駅がそれぞれ経済的な中心を担っています。
駒ヶ根市もその中心の1つと言えそうで、それ故にこんな風景がある。
伊那谷や飯田線の沿線について思いをめぐらせていると、非常に味わい深いことに気づきます。





駒ヶ根名物ソースカツ丼。
玉龍飯店のソースヒレカツ丼も再びご覧いただきましょう。もう何回目かしら。
娘たちに言わせると、デパ地下やスーパーの総菜のようにコロモが立ってなく、さらに油ぎってなくて、食べやすいんだそうです。
そう言われるとそうかと。
関東平野で見かけるソースかつ丼は、口の中を切ってしまうくらいコロモがザクザクしています。
この玉龍さんも飯田線の線路のすぐそばですから、このソースかつ丼も飯田線沿線の風景として認定(笑)





JR最勾配地点にやってきました。
碓氷峠から見れば「たかだか40パーミルか」と思いがち。
でも、実際に来てみると、結構な勾配に見えました。
Nゲージのリレーラー程度はありそう。





あわわわわ。
架線柱がああああああ~(大笑)





奇跡的に柱の間から213系。
撮影に関してはド素人ですので、ご容赦くださいね。

しかし飯田線で213系とは時代も変わりました。
これ、90年代に関西本線でよくお世話になった電車なのです。
したがって、213系は木曽川橋梁を渡っていた頃のビジュアルの方が似合うので、どうか「現代の飯田線シリーズ」では119系を先にお願いしますね。





北上していく姿を1枚。
カーキ色の草と車両。乾ききった空。
冬の飯田線の色彩的要素は、こういった組み合わせで足りているでしょう。





伊那市駅近くまでやってきました。
RMモデルス2017年2月号・p.32でED62が顔を出している写真と同じ場所。
伊那電気鉄道の入舟駅があった場所ということです。
どことなく江ノ電のような建物とのクリアランス。





結局来たのはまたもや213系なのですが、こうした街に溶け込んだ(?)ような風景も飯田線ならでは。
電車ならまだしも、かつてはED62が突っ走っていたのですから。
面白いですよね。





入舟バス停から、今度は南アルプス方面を。

雪の山を仰ぎ見ながらの暮らし。
それなりの寒さなど苦労があると思いながらも、こういう土地での暮らしにあこがれてしまいます。
なぜなら、関東平野に住んでいると、こうした故郷を感じるランドマークが無いのです。


都会人があこがれる要素。
この伊那谷には、都会で暮らす人々が求める要素、原石がたくさん散らばっているんです。
カトーの「飯田線シリーズ」がヒットする背景には、こうした「都会人の感情のメカニズム」があったように思えてなりません。
車体を手にするだけで景色を感じる模型。こういう視点に立てば、製品化されていないものはまだまだたくさんあります。


余談ですが、この日の2日前に安曇野のカフェ(兼結婚式場)で結婚式のアルバムを見ていたときのこと。
うち1組のアルバムに目が留まりました。夫婦の出身地が実に興味深く、新郎は駒ヶ根、新婦は高遠でした。
地方の隣町の間でどんな交流、行き来があったのか。
想像が膨らむばかりですが、とにもかくにも地方都市同士、伊那谷の中での出来事というところが、どこかドラマチックであり、今のトレンドのような気がします。



IMG_9479.jpg

その後は、またまた伊那のグリーンファームから、高遠方面を見て、





そして、諏訪湖へ到達。
伊那谷を旅する時は、どうしても南から北へ行きたくなります。
どうしてだかわかりませんが、旅の終わりが三河となるよりは、この諏訪となる方が心地よいのです。





諏訪湖の夜景を見て、今回の家族旅行も大団円を迎えました。

ここらか見る夜景は「ぜんぜんぜんせ」ってな感じで、今ではすっかり全国区。
結局のところ、この場所と映画とは無関係なんですが、そんなことが引き金となって「でもさ、ここの夜景、よくね?」となったみたいです。
だから小さい駐車場には、あふれることはないものの都会のナンバーのクルマが大集合。
はいそうです。ウチのクルマもその1台。

しかしですね。
この日のちょうど2年前に家族4人で来たときは、誰もいませんでしたのよ。
超巨大すべり台もすべり放題で、二人の娘はおおはしゃぎでしたし。
最近「ぜんぜんぜんせ」的にすべった方が事故を起こしたそうで、これが原因なのか、そのすべり台は閉鎖されていました。

大切なのは、普段から自分で探して自分なりの価値に気づき、そして磨き続けることなのです。

ではまた。

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  1. 2017/01/28(土) 19:00:00|
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KATO E257系「あずさ・かいじ」(2017年版)

こんばんは。しなのさかいです。




まだ1月なんですが、お正月ムードの残骸すらどこにもありません。
関東平野は、関東平野なりに冬の寒さが続いています。





カトーのE257系「あずさ・かいじ」がリニューアルされました。
中央本線のシーンを演出するためには欠かせないアイテムです。
月末出荷かと考えていたところ、1月20日出荷ということで、やや分散していただきました。
西武701系を控えた身としては、誠にありがたいことです。





セット構成は従来どおりで、基本7両と増結4両。
実車は基本編成が9両、増結編成が2両となっているのでご注意を。基本セットだけでは基本編成は組めません。

ただし品番は、インフレナンバーである1000番台へ移行しました。
そういえば、旧品番の10-433と10-434は、2002年の年末アイテムだったと記憶しております。
もう14年も前になるのかぁ。
もちろんその当時は出荷直後に買った記憶があります。
この頃は、新規の編成ものが年に2つほどしかリリースされない、のどかな時間が流れていました。


その後、同品番では2007年にもリリースされており、当方もそのときに買い替えました。
このときはデジタル印刷方式へ移行したのか、側面のデザインが綺麗に見えましたので、その美しさに見とれてしまい、つい(笑)

今回も、前もってカタログでの発表があったため、スカートだけでなく「500番台のようなLED仕様となるのでは」と想像して、「それならまた買い直すか」と早々に2007年ロットは手放していたのです。





まずは、スカートが2009年に施工された強化型になりました。
これが今回の一番の目玉。





E257シリーズ、集合!

2015年に発売された500番台では、貫通型専用の、カプラー部分が欠かれたスカートが起こされていました。
したがって、今回は非貫通型のスカートが新規ということになります。





上は、今回のロットと500番台との比較。
下は、2007年ロットを持っていたときに500番台と比較した画像です。
今回はライトがLED化されましまけど、結局のところ、ライトケースについては従来品からの変更はなかったみたいです…。





当方の標準装備である室内灯は、いつもどおり純正のLED室内灯クリア(白色タイプ)。
しかし、サロハE257は半室グリーン車。
白色と電球色の組み合わせが欲しいところですよね。

そこで、タミヤのマスキングテープを導光板に貼りました。
これは、マイクロエースのキハ261系「スーパー宗谷」のときにもご紹介していますので、こちらもよろしくお願いします。





テープ1枚でこれだけの効果が得られれば、もう安いものでしょう。
これで合造車の雰囲気は十分に楽しめます。
トワイライトエクスプレスのスシ24にも良いです。





「武田菱」を基にした賑やかなデザインも、今回のロットでは二色が際で重なるようなこともなく、見事にキマっていました。
2007年ロットから、さらに良くなっているようです。





E257系「あずさ・かいじ」のもう1つの顔、貫通型のクハE257-100。
おでこに黒い塗装が上がっていませんので、500番台のようなデザインだとわかります。
こちらの顔も厳つくて面白いです。



それでは寝る前の運転会を。




松本駅?
新宿方に増結2両を。
魅惑の回送運転台とコンニチハをして、11両編成になって出発です。





いつもの単線っぽいところで撮影。
前述の通り、厳密には2002年設計の製品ですから、2005年のキハ82よりは前。
したがってフライホイール動力ではありません。
でも、カトー製品に限っては懸念不要だと思います。それだけスルスルと走ってくれる優秀な動力ユニットでした。
500番台もそうでしたね。





タキとの遭遇。





信州へガソリンを運ぶタンカー列車とすれ違うところ。
「あずさ」は山を駆け下りるように新宿を目指します。





編成をクネらせながら駅に進入して、夜の運転会はおしまいです。



◻︎ ◻︎ ◻︎



というわけで、数か月ぶりにわが家へ戻ってきたE257系「あずさ・かいじ」でした。
これで3回目の買い物となりましたが、なんてったって現代の中央東線の顔ですから。
最新ロットで持っていたいと思い、予約してまでの導入です。

当方は、どちらかというとスカートもこの強化型の方が好きかも。
従来のスカートの付いた顔とは異なり、車体下のホワイトが増加されたため、先頭車の顔が下方に安定したように見えます。


2017年版カタログでは、E351系「スーパーあずさ」のリニューアル生産(?)も告知されました。
当方は、E353系量産車のロールアウト時、すなわちE351系の去就がはっきりする頃に発売できるかどうかにフォーカスしてしまいますが、いずれにしろ今回のE257系と共に「もしかしたら最終生産かなぁ」と思ったりしていて。

いつまでも
あると思うな
再生産(笑)





えへへ。
そういえば、こんなのもありましたよね。





「本番」ではないので、のどかなもんです。
あの日、混沌とした中を並び続けて良かったなあと思うのでありました。
あのとき一緒にいた皆さん。こんなことをやるなら今ですよ、今!





181系「あずさ」、165系「アルプス」を片付けないまま、現代の中央本線で遊んでしまいました。
でも、それもまたテーマ運転。
意外と楽しんでいます。
今度はDF50(茶色)ともすれ違いさせちゃいましょうか。

ではまた。

  1. 2017/01/23(月) 17:00:00|
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伊那谷の終点で

おはようございます。しなのさかいです。

ここに来てくださる皆さんと165系 急行「アルプス」で楽しんでいる最中ではありますが、少し脇道にそれます。


12月28日に宿泊した昼神温泉。
この温泉が位置する長野県下伊那郡阿智村は、飯田線の通る伊那谷の南西端に位置しています。

ここに宿泊するのも三度目で、いつもチェックアウトした後は、行く先を名古屋方面とするか、駒ヶ根・伊那方面とするか…という感じ。
天竜峡も元善光寺も既に行ってしまったし、飯田市内も特になにもないし。
つまり「ここ」にステイするという発想が浮かばないのが経験則でした。
そんなことを考えていたら、ホテルのロビーに同じ阿智村の中の園原(そのはら)地区を紹介したパンフレットがあったのです。



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「園原」という地名は、中央自動車道でも園原インターチェンジがあるため、そこそこ御存知の方も多いのではないでしょうか。
名古屋方面からだと、中央自動車道で北上して、ちょうど木曽谷の入口から伊那谷へシフトすべく恵那山トンネルを抜けた、ちょうどその出口、そんなところです。

中央自動車道・恵那山トンネルには、以前から興味がありました。
もちろん車で走るのも大好きで、幾度もハンドルを握りながら往来を楽しんでいます。
このトンネルは、並行する国道も存在しないため、1975年に上り線、1985年に下り線が開通するまでは、この園原地区が行き止まりの地だったと推察しています。

また園原は、古代から中世にかけては、東山道の峠越えの麓に位置した土地で、そこそこ歴史的にも有名なんだとか。
中山道については知っていても、東山道とは。

最近では、夜にロープウエィに乗って山頂へ行き、満点の星空を眺めるあのスポットとして有名になっています。



IMG_20170114_0002.jpg

ここが「園原の里」と銘打って園原の里観光組合がパンフレットを作っているのを目にし、行ってみることにしました。
車で上がれるとのことですから、まあ大丈夫かなと。



R0020932.jpg

車で上る前に、園原郵便局で657局目の旅行貯金を済ませ、風景印をゲット。
ここで念のため、園原の里に関する情報を収集し、丁寧にも局員さんから手書き製のマップまでいただきました。



IMG_6990.jpg

まずは門前屋に車を停めて、信濃比叡・廣拯院へ行ってみることにしました。
かつて、東山道天台宗の開祖・最澄が、東山道の難所であるこの地に無料の宿泊所(広拯院)を建てたんだそうです。
こういう縁から、平成12年に「信濃比叡」の呼称が許され、さらに平成17年に根本中堂が建立された、と伺いました。
Nゲージユーザーとしては「東海比叡」がしっくりきますが、残念ながら「信濃比叡」ですので(笑)



IMG_6981.jpg

「伺いました」と書いたのは、家族4人でウロウロしていたら、住職さんから「寄ってらっしゃい」との仰せがありまして。
根本中堂で以上のようなお話を伺ったというわけです。

この地でもまだ山の中腹。
平成8年に建立された最澄像の向こうには、既に壮大な景色が広がっています。
都会ではなかなか体験できない「鐘つき」も、そんなにやっていいのかなと思うくらいやらせていただきました。
娘たちにはいい経験になったかも。

この後、住職さんのお話にあったので、門前屋さんで、根本中堂建立時に出てきたという白蛇(まだ生きています)を見て、さらに住職さんのおすすめもあり、門前屋さんで願掛けのお皿を買いました。



IMG_9415.jpg

さらに車で細い道を上り、滝見台へ。
「暮白(くれしろ)の滝」へ向かって、先程のお皿を投げて割るシステムとなっております。





下の娘と当方の願掛けの内容を情報公開。
小学五年なのに「けんこう」とは。
親の方が幼稚で、そして欲張りです。



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その滝見台の裏には、巨大な構造物がありました。
フェンスで囲まれており、そのフェンスには「中日本高速道路」の看板が。
これ、どうやら中央自動車道・恵那山トンネルの換気口のようなんです。
この真下には、大量の車の通行があるのかと思うと「へぇー」。



IMG_9424.jpg

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思いもかけず、簡単に見れないものを見ました。
もしかしたらトンネル工事のときにも「立坑」として機能していたのかも。
詳しいことはわかりませんが、恵那山トンネルというビッグプロジェクトの名残を見た気がして、趣味方面の血が騒ぎました。
鉄道趣味をやっていると土木方面への興味も湧いてくるものです。

ちなみに、ここに来るまでに当家族以外の観光客は初老の夫婦1組のみ。



IMG_7018.jpg

車で上ることができる限界点までやってきました。
神坂(みさか)神社です。
先程の初老の夫婦も、さすがにココまでは来なかったみたい。
恵那山トンネルの岐阜県側には神坂パーキングエリアがありますが、その名称の由来も理解できました。


自分でいうのもなんですが、年末の寒い日に、よくまあこんな場所へ家族を連れてきたもんです。

そういえば、門前屋付近からは向かい側の谷の「ヘブンズそのはら」に結構な台数のクルマ、観光バスが止まっているのを見ました。
全長2,500メートル、標高800メートルから1,400メートルへ上るロープウエィ体験の方がごく普通の家族サービスのような気もしますが、まあ、あえてこういうスポットを選ぶのもいいでしょう。
そういうスパルタンなやり方が当方の旅行方針です。



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でも、不思議とこういう場所の方が落ち着くんです。
とにかく人口物の音が何も聞こえません。
聞こえるのは、風で木々が揺れる音だけ。
そして、見えるのは、巨大な杉の木だけ。
なかなか都会では体験できないロケーション。立派な観光資源だと思いました。

そして、東山道の山越えルートだったということ。
今は、真下にある恵那山トンネルで数分の行路です。



IMG_7006.jpg

遠方に南アルプスを望みます。
向こうに見える山の麓が伊那谷で、天竜峡駅があるところ。
やや北西に方向を転じているとはいえ、ここは南北に伸びる伊那谷の最果て、終点です。

地形を感じながらの旅も、いいもんです。


(つづく?)


  1. 2017/01/15(日) 10:00:00|
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KATO 165系 急行「アルプス」(その2)

(その1からつづく)




いろんなことを考えていたら、とても1回では収まらないような気がしましたので、内容を2つに分けました。
「その2」として、もう少し165系急行「アルプス」で遊んだり考えたりしたことをつづけます。





そろそろ自分の「アルプス」を何号とするか、検討、決定しなければなりません。
題して「急行アルプス運行番号決定会議」。

これは、もはやカトーの標準仕様となった運行番号表示器とシールがもたらす新時代の遊び方。
165系を「165系」という形式・メカ的な捉え方に留めずに「アルプス◯号」という乗客や車窓風景、時間的要素を含めて捉える、という楽しみ方です。





だから「鉄道ピクトリアル」1994(平成6)年3月号を読みながら付属シールを眺めていると、30分くらいは過ごせてしまいます。

この号には、各ダイヤ改正時の各方面の165系に関するダイヤグラムが掲載されているので大変重宝しています。
これからはこうした資料を手元に引き寄せておくことも重要となる予感がしますね。





決定しました。

左側は、1401M「アルプス1号」1978(昭和53)年頃
右側は、411M「アルプス10号」1970(昭和45)年頃です。

今回の事業用車と共に遊ぶならば411Mだけでも良さそうですが、やっぱり「こまがね」と併結された12両編成の「アルプス」も必要じゃないですか。
先に「こまがね」は運行番号を4401Mとしていたので、1401Mという表示をした先頭車も欲しいのです。





だから今回は、製品化発表と同時に「こまがね」編成と同様、2セット買いを決めていました。


当方の新165系をまとめるとこんな感じ。

①1セット目の「アルプス」… 411M
②2セット目の「アルプス」…1401M
③1セット目の「こまがね」…4401M
④2セット目の「こまがね」…4412M

①は今回の事業用車たちと共に。
②と③は併結運用で。
④は飯田線内の姿としてクハとクモハに胴受パーツを付けっ放しにして(カプラーの見栄えを良くしめ)楽しみつつ、たまには中間のクハを抜いた3両編成で中央西線のローカル運用を楽しむ。

こんな役割分担としています。




それと「こまがね」ばかり注目されていますが「伊那」セットのことも忘れてはいけないのです。




もちろん1セットを導入済みであることは報告してあります。
さて、今回の「アルプス」で帯付のサロ165が2両手に入ります。
ここでピンとくる人は重症。

「伊那」セットにはMM'ユニットが含まれています。
このユニットを2つとすべく、昨年の夏にASSYパーツでモハ165-9を増やしておきました。
この相方となるモハ164は「こまがね」や「アルプス」にたくさんありますので、モハ165だけを増やしておけばよろしい。

これで8両編成の急行「東海」や11両編成の大垣夜行も(雰囲気的に)楽しめるのです。
ちなみにジャンパ栓受けの付いたクハ165は、この「伊那」セットにしか含まれていません。
まさに「伊那」セット活用術?

もっとも「カトーは寝て待て」ですが、こうすることでその頃まで本当に寝て待っていられそうじゃないですか、ねぇ(笑)





ヘッドマークはお好みで。
史実としては1970年代半ばまでには着けられなくなったようです(よくわからない点です)。
付属シールを使ってもいいですし、このようにトミックスHG製品の最新版なら印刷済のプラパーツも封入されていますので、これを使う手もあるでしょう。





まあとにかく中央本線の列車を取り上げた文献は収集する病気がありまして、この機会にいろいろと読み返してみました。
これ以外にもたくさんあります。

ちなみに当方の雑誌との付き合い方で は、バックナンバーを揃えるのではなく「中央本線」とか「寝台特急」とか「北海道」とか、いくつかのテーマを持たせた管理方法。
この方法からあぶれたバックナンバーは思い切って処分しました。
少しもったいない気もしましたが、書棚も限りがありますから。
所詮は自分だけのデータベース。模型をやる身としては本棚を使えないデータベースとしていても仕方がないのです。


LED室内灯クリアを2編成全ての「アルプス」に、そして事業用車にも取り付けました。
それでは、まいりましょう!



◻︎ ◻︎ ◻︎





急行「アルプス」10号がホームに滑り込んできました。
115系800番台がパンタを降ろして寝ていますので、1時51分・甲府かな?





さらに信州へ向けて、グングンと標高を稼いでいきます。
乗客だけじゃなく、列車そのものが“クライマー急行”なのです。





4時40分、松本着。
ここから始まる5分間のドラマ。





早刷りの朝刊を運んできたクモニ83はここで切り離し。

既に手前の辰野では、飯田線内へ運ぶ分の朝刊を降ろしています。
その荷物は飯田線のクモニに積み替えられていたんでしょうか。
この頃は辰野経由が当たり前でした。
山の中なのに堂々とした佇まいの辰野駅は今でも好きな駅、ジャンクションです。





先頭車には、ソロソロと近づいてきたクモヤ90015が連結されます。





4時45分。
霜取り仕業にも就く「アルプス」10号、南小谷へ向けて発車。

客室には雪の積もり具合を心配するスキーヤーが、眠気まなこで車窓にへばりつき始める頃か。
スキー板で車内の蛍光灯を割るなんて、今では考えられないことですね。







一方、日が昇りきった頃。
辰野では後続の「アルプス」1号と「こまがね」1号が切り離し。
「こまがね」は飯田線内に入っていきます。


こんな鉄道シーンを楽しんだ三連休でした。



◻︎ ◻︎ ◻︎





カトー謹製 165系 急行「アルプス」。

既に「こまがね」「伊那」の回でも触れたとおり、165系としての再現度には全く不満がありません。
車体標記の印刷もバッチリで、サードパーティのインレタも(シールも)使う必要もなし。
ユーザーが取り付ける必要のあるパーツはジャンパ栓と胴受だけ。
自由時間の少ないユーザーに、買ってからすぐにこうした遊び、豊かな時間を提供してくれるカトー製品は、品質的に見て、最も当方のライフスタイルとの親和性が高いと言えます。

そして今回は飯田線内の急行ではなく、夜行列車をも守備範囲に含めた「長距離急行」としての企画。
だからこそ運行番号や事業用車が「周辺パーツ」として湧き出てくるのです。

そして独断と偏見をお許しくだされば、この「アルプス」こそ165系そのもの。
165系と言えば「アルプス」です。

カトーから「165系 急行『アルプス』」と銘打った製品が出てくるとは。
ちゃんと総本山で拝み続ければ、御利益があるのです(ナンノコトデスカ?)。

あはははは。





たった数年で、カトーが展開する国鉄時代の「中央本線の列車たち」シリーズ(勝手に銘打っています)もこんなに増えました。
ここに入りきらない、アレとコレと…という具合でとにかくいろんな組み合わせができます。

「買い続けていれば何かいい風景を見せてくれる」。
こんなこと信じて買い続けるユーザーをここまで責任を持って引っ張ってきてくれたカトーには感謝せずにはいられません。
昔のカトーなら、115系800番台を手にしたユーザーはその後10年くらいは放って置かれましたよね(笑)





181系「あずさ」と165系「アルプス」。
こんな風景をあの当時、どこかのホームの上で、はたまた写真で見ませんでしたか?
今なら、この品質の整った“中央本線ワールド”が手元で再現できるんです。
これだけでも10年くらいは余裕で遊べそうですよ。





165系 急行「アルプス」。
遅れてやってきた中央東線の真の主役です。
次は中央西線の主役に期待しましょうか。
それは桜が咲く頃かな。


ではまた。

  1. 2017/01/10(火) 19:00:00|
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KATO 165系 急行「アルプス」(その1)

こんにちは。しなのさかいです。
正月明けの三連休。特にイベントもなく、落ち着いた空気の中でのんびり過ごせています。




年末の発売から、少々時間が経ってしまいました。
カトー謹製・寒地勾配線向け直流急行形電車165系・急行「アルプス」の登場です。

こんなことを書いたり、こんなことを書いた当方として、そしてこんなHNにして、中央本線の景色に惚れ込んだ当方としては、Nゲージ人生(なんだそれは)のひとつの区切りであり、ひとつのピークでもあると捉えています。





先行して発売された「こまがね」のつづきとして、“当然のアンサー”としてユーザーの期待を集めていた「アルプス」。
カトーは良い意味でその期待を裏切り、3両の事業用車との組み合わせという、多くのユーザーが思いもしなかった遊び方の提案をしました。





品番10-1390「急行アルプス用事業用車3両セット」。
今回の「アルプス」を夜行の「10号」と想定し、クモヤ90015、クモニ83816、クモニ83817がそのパートナーに選ばれたという訳です。





クモニは理解できるとして「クモヤとはなんぞや?」となるのです。
今回の「アルプス」セットの説明文では1972(昭和47)年頃とされていますが、実は「鉄道ジャーナル」1970(昭和45)年3月号に詳しく掲載されています。


「大糸線沿線は冬の冷え込みがきびしく、木崎、中綱、青木の、仁科三湖畔に近い簗場付近では特殊な気象条件から架線に霜が付着し、パンタを破壊する事故が起こる。その予防策として、一番電車の先頭に木製摺板をつけた“霜とりパンタ”なるものを持つ車両を連結するのである。」

「鉄道ジャーナル」1970(昭和45)年3月号
列車追跡シリーズ19
『銀嶺のクライマー アルプス10号 新宿→松本→南小谷』より引用


いにしえの「鉄道ジャーナル」の「列車追跡シリーズ」に記録されている列車を、今、模型で手もとに保管し、再現してみる…。
今回、ユーザーはそういう説法を受けた、というのが企画の真相のようです。
また、1970年12月号の時刻表でもダイヤ、編成(クモニ連結)に変化はなさそうに読み取れました。
今手にする模型から過去の時刻表をコーヒー片手に味わう、というのも、豊かな時間が流れた楽しい作業でした。





そのクモヤ90015と入れ替わるように松本で切り離される2両の低屋根クモニ83。
115系800番台のときに発売された張り上げ屋根仕様とは異なる、雨樋が低くなったノーマルな仕様の816、817。
片パンタとなり運転台の上にもホイッスルカバーが付いて、今までとはイメージが異なる、スマートでカッコイイ荷物電車となりました。
それにしても、クモニ83がここまで充実するとは。
サブ情報ですが、「アルプス」セットのシールに収録されているクモニ用運行番号は、天地寸法が伸びて(改善されて)いました。





一方、本体である「アルプス」8両セット。
既に165系としては「こまがね」「伊那」でデビューしているため、今回の新登場(フルリニューアル)形式はTsとTb。
緑色のグリーン等級帯、ビュフェ車をアピールする客窓の無い側面が長距離急行の証と言えます。





サロ165は、トミックスの165系と同様にバイザーが緑色で別パーツ化されました。
旧製品はサッシと一体化した銀色の表現でした。





回送運転台の窓もはめ込み化されました。
妻面へのオレンジ色の回り込みもOK。
トミックスHG製品と同様に、テールライトを赤いプリズムで別パーツ化して欲しかったという声もあるようですが、本線上では先頭に出ない妻面ですから、この割り切り方は理解しなくてはいけないとも思っています。
485系や583系もそうなっていますしね。





サハシ165は、サハシ153から改造された50番台。
1965(昭和40)年、サービス向上を目指して行う中央東線急行のサハシ連結を、新製ではなく上越線急行「佐渡」の“ダブル・サハシ”からの1両転用(中央東線からはクハを転出させる交換方式で)まかなうこととなりました。
しかし、これだけではなお不足するため、次に山陽本線急行で余剰となったサハシ153を改造して導入した…というのがこの「50番台」のストーリーです。

ちなみに松本に在籍したサハシ165は、165系オリジナル0番台車が7両、改造50番台車が5両(計12両)。
そのうちサハシ165-54はサハシ153-8からの改造となっています。
したがって、サハシ153からの改造車なので2つのキッチン窓の高さの違いも正確に再現されているというわけ。
サハシ153は、サハシ165だけでなくサハシ169にも改造されています。
だから、今回の50番台採用は「これでいいのだ」(某植木職人風に)。





驚くべきことは、キッチンの再現度。
目で確認できる限り、シンク、コンロ、冷蔵庫が表現されています。
さすがに「信州そば」という暖簾は再現されていませんが(どこかのサードパーティがシールを作るかも)、ここまでマニアックに再現されてしまうとユーザーとしては降参です。
他社では便器を再現する傾向がありましたが、乗客がトイレに入っているシーンなんか脳内で再生したくありません。
こっちのほうがビュフェの楽しそうなムードが伝わってきていいのです。

カウンター上に登山客を横たわらせようとしているアナタ!
どんどんおやんなさい。
「アルプス10号」なんですから。





ちょっと興奮してきましたので、いったん休憩します。


(その2・完へつづく)


  1. 2017/01/09(月) 11:45:00|
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安曇野の蕎麦屋と公民館、そして木曽路。

おはようございます。しなのさかいです。

昨日からもう仕事。年末年始の休みは完全な過去となりました。
そして、また家族のために、そして鉄道模型趣味のために働かなくてはなりませぬ。



ところで。
ちょびちょびと妙なところで撮影した写真をアップし続けていましたので、そろそろその全貌を明らかにしようと思っていたところです(笑)

年末は信州におりました。特に年末を安曇野で過ごすのは5年ぶりのことです。
二泊三日のミニトリップでした。



IMG_6767.jpg

今回のツアーの最初のターゲットは、安曇野・有明の「くるまや」さん。
場所は有明山神社の鳥居の隣。
普段はなかなかの行列が出来る蕎麦屋さん、と伺っています。
昼前というタイミングが良かったのか、難なく座れたのはラッキー。



IMG_6763.jpg

“通っている”と意識している信州の蕎麦屋は、上田市の「刀屋」さんだけでした。
実際にこちらの盛り方を見てみると「刀屋」さんのような量(ただしこれは二人前ということを付け加えておきます。1人でなんとかするには多過ぎました)。
蕎麦屋とはこうでなければいけません。もっと庶民的な存在でいて欲しいのです。確か池波正太郎もそんなことを言っていましたっけ。

家族には「温かい方」が好評のようでした。
ご紹介いただいたSさんにはあらためて御礼申し上げます。台ヶ原宿の「薹眠」に続いてありがとうございました。




さて、その「くるまや」さんへ向かう途中のこと。
運転中に信号待ちをしていたら、右側にどこか見覚えある物件が目に入ったのです。
蕎麦を食べた後も気になって仕方がないのでお店を出てから、安曇野のカフェへ行くことを口実に少々来た道を引き返しました。









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「新屋公民館」(あらやこうみんかん)といいます。
1951(昭和26)年に建築された公民館。文化庁の登録有形文化財になっています。
Nゲージをやっている方なら、この建物を見ただけでピンとくるはず…。





そうなのです。
カトーが製品化しているストラクチャー「公民館」(品番23-455)。





新屋公民館の正面を見てみます。





カトーの「公民館」の正面。



IMG_6776.jpg

新屋公民館は、紛れもなくカトーが製品化している「公民館」のプロトタイプでした。

安曇野あたりにプロトタイプがあると認識していたものの、下調べもしないで偶然通りかかったところに模型が1/1スケールで現れたのですから、そりゃビックリする訳です。
普段からそんなところばかり見て運転していることがバレてしまいますね。



IMG_6783.jpg

木製ドアの退色、風化具合が良く、エイジングの参考にもなります。



IMG_6781.jpg

文化財登録のプレート。
登録は2012年8月13日。
ということは、カトーがストラクチャーとして製品化してから、だいぶ後に登録…ということがわかる訳です。



IMG_6787.jpg



IMG_6771.jpg



いろいろな角度から観察しました(不審者そのものです)。模型がよく再現されていることを理解しました。
既に、レイアウト上に配置すべく持っていたものですが、あらためて自分だけの「安曇野みやげ」となりました。
現地で販売していたらバンバン売れそうです。



IMG_6801.jpg

詳しい実状は不勉強ですが、正月飾りがあることを見れば、地元のランドマーク、シンボルとして愛されていることは伺えます。
そして、カトーは実在する建物を設計し、製品化しているのですから、その形状に説得力があるのも納得。
様々な運転会、レイアウト上で見るのは、どこかで見たような懐かしい姿だからなんですね。
プロトタイプの選び方が重要だということがわかりました。


蕎麦屋に行く途中にある公民館。
「そういうことだったのかー」と、理解不能となっている家族をおいてきぼりにしながら1人でニヤニヤしてしまったのでした。



◻︎ ◻︎ ◻︎





その夜は、国営アルプスあずみの公園(堀金)でLEDの点灯具合を確認。
5年前に比べると規模が小さくなり、人出も…。この手のイベントの集客力の息切れ感を感じました。
別会場(松川)とこのイベントを分け合ったことが原因?
この公園は昨年に拡大を果たしており、今後の成り行きが気になります。





翌朝になると安曇野の山奥は積雪。





渚駅近く。アルピコ電車はゆっくりと走っていました。





こういう絵は、実際にマンガを読む子どもたちにはウケないみたい。「面白い看板があるぞ」と促して見に来たものの「ふーん」で終わり。
この看板、いったいどういう層にウケているんでしょう?





松本の「ナワテ通り」からは、こんな風に雪化粧した山が近くに感じられるのです。
山が近い街というのもうらやましい。
それにしても寒くて寒い松本でした(山が近いからですね)。





村井の「珈琲哲学松本店」で名古屋グルメ。
「今年の年末も名古屋に行かない?」と娘たちに持ちかけたところ、下の娘が頑なに「嫌だ」と言うのです。
理由を問い詰めたところ、一昨年の名古屋の朝、プリンセス大通りで酔っぱらいの男たちがカラーコーンを蹴っ飛ばしている場面を見て「名古屋は怖いところ」というイメージが染み付いたんだとか。
土地のイメージって案外簡単なことで植え付けられるんですね(笑)

この松本店の近くにある鉄道模型店はあいにく定休日でした。カタログを買おうと思ったのに、無念。





その後は、雪の残る国道19号へ入り、木曽福島で休憩。
福島宿は「七笑酒造」の糀の香りで覆われていて。
運転手たるものお酒は飲めませんが「せめて酒まんじゅうくらいは売ってないかな」と酒造の周りをウロウロ。訳のわからない欲望が当方を不審者たらしめていました。


それにしても、まだ日没前なのに宿場町は「日没後」。
家々には石油ストーブが。V字状の谷の斜面や底に人々の暮らしがあります。
この木曽路の冬のせつなさがたまらなく愛おしいのでした。





そんな理由から逆光で撮影しても当方としてはOKとなります。

冬の中央西線。D51もキハ91系もこうして木曽路を登っていったはず。キハ181系も381系も、そして165系も。
383系を見ていても、自然とそういう風景が見えてくるのです。
模型化する車種の選択って、そういうことなのかもしれません。





その後。
昼神温泉に行く前に、やっぱり馬籠宿へ寄ってしまいました。
あいにくタッチの差で日没後となりましたが、冬の夕方を味わうことができてホッとした瞬間。
「次はいつ見ることができるかなあ…」なんてことを思いながら、誰もいない宿場町の坂に立ち続けました。


(つづく?)


  1. 2017/01/05(木) 08:10:00|
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2017年 あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。
しなのさかいです。



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2016年12月28日 1015M L特急ワイドビューしなの15号(木曽福島・原野間)


こんなことを書いてから4年経ち、こんなことを書いてから3年経ち、こんなことを書いてから2年が経ち、こんなことを書いてから1年が経ちました。

皆さんはNゲージ趣味を楽しめた2016年だったでしょうか。
当方は、12月になってややブレーキがかかりましたが、1年間を通じておおむね「楽しめる」状態に“近づいた”ような気がします。


2015年に達成した「室内灯組込率100パーセント」は、2016年も維持し続けることができました。
増備した車両にも、漏れなく室内灯を取り付け、どの列車もイキイキとした鉄道シーンを見せてくれるようになっています。
室内灯は各メーカーの純正品がメインで、例外的にTORM室内灯(タムタム謹製)を使用。
いわゆる「ハンドメイド室内灯」は組み込んでいません。
このことは、自分なりに「とりあえず買っておくような、そんな車両の買い方は無かった」と解釈しています。
室内灯分の代金を上乗せしてまで新車を導入するのですから、衝動買いなんて気持ち的に不可能なのですね。
このような方針のもと、手元に置く車両一つひとつの価値を、自分の中で高く維持することができました。

室内灯に加えて、トミックスのHG車両にはインレタ貼り・パーツ取付などの作業を地道に続け、多くの車両が次々と走行できるレベルへロールアウト。
インレタもサードパーティ製品を使うなどして。特に気動車は見栄えを良くしてみました。
2015年よりも手軽に、気分次第で様々な鉄道シーンを再現できるようになったのは間違いありません。

レイアウト・地面については土木作業、特に地形の研究と作業をすすめています。
地形の考証をきちんと終えてから、草や木といったディテールに取り掛かるよう、作業の先を急ごうとする気持ちをセーブするのが大変です。
ここらへんは理性との勝負かも。



さて。
「これがアンタの『楽しみ』なのかい?」と言われると、正直申しまして自信がありません。
さらに「楽しみというよりも『苦しみ』ではないか?」と畳み掛けられれば、某メーカーのかつてのキャッチコピーを揶揄した表現と重なりますが、「意外といい線を突かれちゃったな」と思えたりもします。


でも、これでいいのかも…。


「老後の楽しみ」。
多くの鉄道模型ユーザーが使ってしまう“魔法の言葉”です。
買い物に気持ちの整理がつかないときに、
「こんなのを買っちまって大丈夫か?」
「いやいや、老後の楽しみにとっておくから大丈夫」
という会話が心の中で、あるいは友人とのあいだで行われたりします。
これほど吸収力や包容力のある同義語は見当たりません。

しかし、果たして「趣味の課題」に取り組み続ける「老後」は本当に楽しいものなのでしょうか。
最近よく考えるようになりました。
これは老齢期の経済力のことを言っているのではありません。
老後になってから「楽しみ」として残してきたこと、キットをガツガツと組んだり、車両にインレタを貼ったり、レイアウトを作り続けるようなことをし続けて、本当に「楽しみ」と認識し続けることができるだろうか。
おそらく自分にはそういう趣味生活を送る気力はないだろうな、と想像するのです。

だからこそ、今のうちに老後の趣味生活の土台、基礎を作っておきたい。
そして、もし自分に人並みの「老後」というものが訪れたならば、ふわっとその土台に乗って、本当に穏やかな気持ちで趣味生活を送りたいのです。
それこそ自分だけの運転会をやって、記憶の中の鉄道シーンに浸れるような、そんな豊かな時間を送れれば。

そのための、本当の「老後の楽しみ」を迎えるための「準備」だと思って、「楽しみ」と「苦しみ」の境界線上で模型と向き合った、そんな2016年だったのかもしれません。
老後と言われるライフステージに立ったとき、自分はどんな模型たち、レイアウトに囲まれているべきなのか。
そのとき、自分の持つ模型たちには、しっかりとした思想があるといいな、と。
少なくとも「鉄コレ」の箱の雪崩に巻き込まれてひっそりと人生を終えるようなことだけは避けたいですね(笑)


唯一、遊び方を提案し続けてくれたNゲージメーカーも、いよいよ転換期を迎えたようです。
“紫色の新幹線”や“運用開始前の通勤電車”が見えてきたところで、この変化はついに顕在化してしまいました。
その一方、ここ5年くらいで受けた提案、説教、説法などは、手元の車両を見ればしっかりと再現できるようになっています。
受け止めた提案は、これからはユーザー自身が育てていくしかないのかもしれません。
真の「老後の楽しみ」へと育てる種は、この5年くらいで品種改良を経て着実に世に送り出されてきたのですから。

これからは、ユーザーが前へ出ていく番。
残念ながら、そういう厳しい時代に入ってしまった、というのが2016年の真の姿でした。


とにもかくにも2017年のスタートです。
いろいろな車両へ手を出しながらも、徐々に「自分の世界」へ収斂されていく過程は持っていたいですね。
今、飯田線シリーズや氷河特急の世界からNゲージの趣味をスタートする人たちがうらやましい。
本当にそう思います。

では、今年もよろしくお願いします。



  1. 2017/01/01(日) 00:01:00|
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