こんばんは。しなのさかいです。

カトーから、ED70と寝台急行「つるぎ」セットが発売されました。
根拠もなく「大丈夫かな」と思い込んで予約しないままお店に行きましたが…
「くださいな」
「ED70だけ、もうありませんのよ」
あちゃー、発売から1週間も経っていないのに。
もちろん「売切れ」と言ったって、そのお店の“店頭分”の仕入数によるので、自分で言っておきながら皆さんには「市場全体のことではありませんよ」と付け加えておきますが、まあ、久しぶりに油断してしまいました。
なんでもフリーで“ダブル買い”をするユーザーが多いんだとか。
そういうことかー。
結局のところ、予約数を再精査してもらい、フリーをあと1個出せるということになり、安堵。
こんなことは普段のお店との距離の縮め方によるものと思い、感謝しながら遠慮なく手にさせてもらいました。
それにしても危なかったです。
ちなみに、客車の方は「まだ」大丈夫でしたよ。

まずはED70を見てみます。
驚いたのは模型本体ではなくてポリプロピレン(?)の緩衝材。
ED70の顔と顔から縦方向に挟み込むようになっていました。
軟質系とはいえボディとのこすれで顔にテカリ傷が付かないものか心配です。
引き取ったものは大丈夫でしたよ。
ナンバーは全て一桁なので、文字ギリギリのところまでで成形されています。

そのナンバーパーツをはめて、カプラーを付属のナックルに換装。
そして、あらためてナンバーパーツの合い方をチェック。
はめてしまうと、もう分割線が見えません。
これは賞賛に値します。
設計さんと金型工場さん、すごいですぞ!
トミックスは未だに追いつけていない技術ではないかと思います。

この小振りな機関車が「ス」とか「マ」から始まる重たい客車たちを牽引して山を越えていたのですから不思議。
定格出力は1,500kw。
ED70は1957年から59年にかけて製造されました。
ちなみに1961年からは、北陸トンネルの開業に合わせて定格出力2,250kwのEF70が製造されるようになります。

その重たい客車たちの中で今回の目玉はマユ35でしょう。
ゲテモノ企画がまだ残っていましたネ。
区分室の明かり窓が四角くて、細かく分割された窓と同じように細かく設けられた屋根上のベンチレーター。
極め付けはボディ横に設置された郵便受けです。
ホームから投函してみたかったなあ。
そういえば、このマユ35と同じような雰囲気の客車模型で、かつての中村精密製マユ33がありました。
文献で見ただけのキット製品は異質感がとても強くて、編成例を知らなくても思わず手にしたくなる1両でした(ココ重要)。
結局そのマユ33は手に入れることはできませんでしたが、今回のマユ35で大満足です。
しかも今回はカトーから「つるぎ」として編成例まで示されたのですから、これはセットで持っているべきでしょう。
このマユ35は編成の中間(マニ60の次位)に入りますので、テールライトユニット等は入っていません。
しばらくして気が向いたら、ジャンパ栓が伸びたカプラー台車等と共にどうにかしてみます。

そのマユ35の手前にはマニ60。これが今回の大阪方のシンガリです。
日本海縦貫、北海道用の200番台(2212番)ということで、基本的には「大雪」セットのときに起こされた200番台(245番)と同じ。
番台としては電暖仕様ですけど。
ただし屋根上には新たに煙突が設置されました。
よーく見てみると、ベンチレーターとは異なるパーツということがわかりますよ。

もう1つ。富山方のシンガリであるスハフ42は、原型プレスドア仕様のブルーで。
旧製品を見ているような感じがして、違和感が全くありません。
バリエーションを増やしたいユーザーはASSYを狙うのでしょう。

そしてスハネ30。
特別企画品の「音戸」セットのときに起こされたスハネ30は今回、やはり電暖仕様の2000番台となりながら、寝台標記が「寝台」から「B寝台」へ。
こんな重々しい外観でありつつも「B寝台」と称されるリベット付の青い客車は、なんだか全てにおいでチグハグで、妙な興味が湧きます。
それにしてもエッジとハイライトが効いた繊細な窓枠がホンモノっぽくて素晴らしいですよね。旧型国電などを含めて、最近のカトー製品で非常に酔える部分です。
そういえば先行したマイクロエース製スハネ30は手にしたことがありません。比較するとどうなんでしょうか。

ところで「鉄道ピクトリアル」No.778 2006年8月号は2か月にかけて「スハ32系」を特集した、その後編でした。
ここにスハネ30を使用した列車に関した稿が載っているんです。
意外なのが(単に当方の勉強不足ですが)、このモデルのスハネ30は1956(昭和34)年に落成(厳密には初代スハネ30→オハ34からの復元再改造)した形式であり、車内を10系寝台に準じた内装にしているということ。
その前年にはナハネ11の新製が打ち切られたとのことですから、3等寝台の需要が高まったことが背景とはいえ、10系寝台客車の新製後に落成したという事実は知ってみると唸ってしまいます。
しかも、外観が戦前のスタイルなのに、中身が10系寝台とほぼ同じとは。
「遊園地のビックリハウス」みたい。
こんな歴史にスハネ30への親しみを感じてしまうのでした。
また、今回の「つるぎ」編成がスハネ30を組み込んだ列車としては最晩年の頃に当たるということもよくわかりました。
この紆余曲折のある寝台客車は、高度経済成長期の夜行列車を演出するには欠くことのできない存在のようです。
それでは、家族が寝た後の運転会です。

デッキガーターの上を轟音と共にやってくる交流電化のトップバッター。
緩やかな傾斜のある前面が、小型機関車をさらにかわいらしく見せている。そんなED70です。

平野部を快走!

数か月前に先行して発売された20系「日本海」と並べて、北陸本線の真夜中の鉄道シーンを演出したつもり。
「つるぎ」は荷物室の連結位置から大阪方に向いていることになるので、ナハネフ20ではなくてカニ21とすべきでした。

ホームには束の間の静寂。

そして出発。
マユ35の明かり窓が自己主張しています。

ということで、カトー ED70・寝台急行「つるぎ」でした。
冒頭でお話ししたとおり、今回はED70だけを手にして離脱するユーザーもいらっしゃるようです。
マイクロエース製品があったとはいえ、製品化が待ち望まれていた機関車ですから、そのような買い方も理解するところです。
しかし、どっちみち単機で走らせることもないのでしょうから、どうせならカトーの提案どおり「つるぎ」編成も揃えてしまう方が後腐れなくてイイのでは。
ASSYパーツ組み立てで客車を2、3両求めてしまうのならなおさらです。
当方はそんなことを考えて、提案にのってみることにしました。
不勉強な頭でも、確実にその当時に共に存在した客車たちを従えることで、ED70が活躍した時代を正確に感じることができますから。
ED70と同じような顔の機関車であるED62の製品化が既にカタログで発表されています。
飯田線の貨物輸送を演出するこの機関車も、ナンバーパーツの合い方が神レベルだと思うと、楽しみになって仕方がありません。

7両もつながるスハネ30。
屋根上の長いドームが延々と連なります。
幅広ではない車内で3段寝台。さぞかし狭かったでしょうね。
ではまた。
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- 2017/02/28(火) 23:00:00|
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線路際の住民です。
体調を崩したりで 久しぶりの投稿になりました、
気がつけば、近所の梅も花を咲き春が近づいている様です。

模型屋さんでトミックスの北陸セットが売れ残っているのを見て 購入致しました。
他では瞬殺!なんて騒がれているようですが、よく見ると結構あるもんですね~

さよなら北陸セット発売から大分経ちましたが中古市場では、まだまだプレミア価格で売られているくらいに人気の高い車両セットを 今回は全盛期に時代設定をしてのほとんど再販と言っても良いくらいです。

カトー製品では 標準だった寝台ハシゴも トミックスでも北斗星セットから標準装着になり さよなら北陸セットに対してアドバンテージを持たせてます。
しかし中古屋さんに聞くと ナンバーがついている事や 牽引機EF64-1052の需要が大きく 売値を下げなくても大丈夫!と言ってましたが どうなんでしょうか?

スハネフ14もトイレ窓を1個と2個の二種類を作ってます、 さよなら北陸セットを持っている人にもアピールしているのでしょうか。

さて 同時発売EF64-1030 を最初は迷いましたが、カトー製品 1031.1032号機と並べたく 北陸セットと一緒に購入しました。

製品では、ヘッドライトのLEDがオレンジ色仕様だったので 入線時に電球色に交換しています、遠くから見ると違いますよね!
何時も不思議に思うのですが、電球色のライトユニットがあるのにオレンジ色にする基準が今少し解らないのですが 何かあるのでしょうか。
さて、このEF64-1030号機なんですが、双頭連結器で黒色のHゴムですから現在の姿をモデルにしています。
と すると北陸が12両編成だった 平成2~11年までどうだったのか気になったので、調べると 平成6年に双頭連結器に交換されてます、交換時のHゴムは白色でしたから黒色になったのはその後の全般検査入場の頃と考えられ 12両編成時代のほとんどを白色Hゴムと考え 前期型のガラスパーツとの交換も考えましたが、北陸の8連時代やEF81と組んでカシオペア牽引もあり 暫くはそのまま使う事にします。
いつも思うのですが、トミックスのPS22Bの使いづらさは何とかならないでしょうか。
素手ではとても恐ろしくて 爪楊枝を使いパンタグラフの上げ下げをしています、結構ストレスなんです。
なんとかなりませんかね~!
90年代は、寝台特急が最期の輝きを魅せた時代であり 比較的に記憶に新しい為 ユーザーも取っ付き易いネタでしょう。
これからも製品化の対象になりそうですね
- 2017/02/26(日) 22:38:42|
- 鉄道模型(車両)
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おはようございます。しなのさかいです。
年末年始から走り続けていた2編成の165系たち、それとその仲間たちは一旦ケースに戻しました。「お疲れ様でした」と声をかけてフタを閉めたところです。
またしばらくしたら活躍してもらいましょう。
今日はレイアウト工事のお話になります。

着工当初は「田園モジュール」と呼んでいた「ロ」の字型のモジュールの最後の1辺。なぜか、ここは風景が定まらない、自分の中では不安定な土地でした。
ただ、線路のコンセプトだけはブレないでいて、それは「“複線電化”というNゲージの王道を行く」ということです。
485系や583系が堂々と行き交う「特急街道」は、やっぱりどこかに作って置きたい。そういうレイアウトに対する憧れ、新鮮な思いは大切にしておいた方がいい、という結論なんです。
ここでおさらいです。
当方のレイアウトの「ロ」の字の4辺は、その中から見て反時計回りに、
①特急や急行が止まる井中温泉駅(2550㎜ストレート)
②山岳モジュール(1200㎜ストレートを外線R480“超”のカーブモジュールでサンド)
③北海道の風景(2550㎜ストレート)
④田園モジュール(1200㎜ストレートを外線R480のカーブモジュールでサンド)
となっています。
2002年の着工から実に15年目。
撮影する写真の見栄えの悪さから、一刻も早くバラスト撒きとか緑化工事に取り掛かりたくても、ここ数年は「まずは地形を」と考えて控えてきました。
地形やコンセプト、見たい風景を決めずに細かいディテールを進めると、過去の経験ではだいたいやり直すことが多かったのです。

この田園モジュールの直線区間は山岳モジュールと同じように壁と接しているため、平坦な地形とすると否応なく部屋の壁紙が背景となります(笑)
今のところ、背景ボードの設置は考えていないので(設置してもいいんですが)、さてどうしようかと考えていました。
というのも、この直線区間は手前も奥も「水田」にしようと企んでいたのです。
ただ、山林に接したところにだって平地はあるし、水田もあります。
だったら背景をさりげない山にしてみるのもアリかと、最近は考え直すようになっていました。

スタイロフォームでそれらしく山を削って仮置きしてみました。
少々急峻な斜面としているのは、後々にフォーリッジクラスターを接着するときに、少しでも山林っぽく見せたいため。
木を1本ずつ植えるのではなく、地山の形をうまく利用できないかと企んでいます。どうなるかはわからないながらも、とりあえずの措置。
こうして見ると、精密な複線架線柱と山の斜面との組み合わせが、1/150というミニチュア感をわからせてくれて面白そうですね。
水田を手前にして線路、そして背景を山林とするのは、まあまあ良さそうです。


さて、ここで新たな課題。
駅の隣の“第4コーナー”に当たるカーブモジュールには、駅の貨物線から続く貫通型の“隠しヤード”を設けてあり、この直線区間の端にはその出口があります。
ここは壁とのクリアランスが5㎝しかなく、地山の斜面を表現するのには狭すぎます。
スタイロフォームの山とこのトンネル抗口との整合性を考えると「擁壁」でつなぐしかない…。

でも、模型で擁壁を作るのは簡単ですが、仮に現実の世界で大仰な擁壁を設けるとなると、そんな工事までして妙なところに出口を設けることにしたこの「ヒゲ」のような線路は「一体何なのか」ということも考証し整理しておかなければなりません。
本線ではない線路に接していて、工事費が高価そうな擁壁…。
鉄道会社というよりも、どこか工業的な会社でないとできないような大仰な工事です。

思考を巡らすこと数日。
ガラクタ箱に入っていたストラクチャーに目が止まりました。
「あー、こんなのもあった」と手にしたのは、ジオコレの「給炭ホッパー」の小屋です。
この鉄骨の脚(だけ)を利用して山岳モジュールのスノーシェッドを作ったときに余らせていた部品です。
ジオコレ製品としては比較的近年のものなので、金型も良いのか、歪みもありません。
「もったいないことをしたな」とにやけたその直後、これを使ってみようかと考えるようになっていました。
どうでもいいことですが、どことなく、犯人が立てこもっている小屋のようです。

謎の物体、出現。
立てこもっていた犯人は、あまりにも高い位置にいることに気づいて抵抗する気をなくしたかも。
わずか土日の二日間でここまで持っていきました。
今のところイメージどおりです。
ではまた。
- 2017/02/21(火) 08:00:00|
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こんにちは。しなのさかいです。
買い物が少なくなってきたからか…。
年末年始にレイアウト上に展開した「中央本線ワールド」は、2月になってもそのままなんです。
今までにこんなことはなく、大抵は入線程度だけで済ませていたのです。
それが1か月以上もそのまま。
2編成の165系「アルプス」を軸として、様々な列車を入線させていて、こんな遊び方が楽しいと気づくと、なかなか片付ける気がしません。

たびたび登板するEF13にはタンク車を牽引してもらっています。
茶色い旧型客車だけでなく、本来の貨物輸送をさせて、レイアウト上を「旅客列車」だらけとならないようにしているんですね。
空いたホームに止めておくだけでもアクセサリーとして機能してくれますから、やっぱり貨物列車は使い方が様々です。

このノリでトミックスの183系1000番台を出してみたら、ヘッドマーク(?)が文字の「とき」のままでした。
こうなったら「あずさ」運用に固定かな、と思い直して即交換。
時代としては1982年以降ということになりますが、E257系も平気な顔をして走っていますから、そんなことを言うのも野暮でして、たまにはユルい設定も良いという結論になりました。

トミックス製品であるが故、方向幕が寂しいので、12両すべてにジオマトリックスのフィルムシールを貼りました。
485系用と違い、ガイドラインに沿ってカットするとその後で微妙なトリミングが必要となるということ微妙なシールです。
行き先は「新宿」。
サボ類もどうにかしたいけど、そこまでは無理。
こういう面倒くさいところがあるので「トミックス製品はキットなんだ」と割り切って付き合うようにしています。
そして「キット」を買うときは自分の心に厳しく問い掛けることにしています。

日曜日の夕方の運転会。
183系1000番台と165系「アルプス」とのすれ違いを楽しみました。
トミックス製183系1000番台は先頭フォルムに不満がなく、アクラス製(1/80)を見ているような満足感があります。

「アルプス10号」も走っています。
チラリと見える農家は、かつて山岳モジュールで作製した「エンブレ坂」の農家です。
山岳モジュールを作り直したため、エンブレ坂があった山の半分を解体しました。そのときにこの部分を剥ぎ落とし、このカーブ内側にあらためて置いてみようと思っているところなんです。
「わらぶき農家」なので、鉄道が敷かれる前から存在する可能性を考えて「この辺なら、いいかな」という結論に。
本当なら時代と形態的にジオコレの農家を使いたいんですけど、あの農家は歪みがヒドいじゃないですか。
どうにかならないものか、ジオコレ初期製品。
線路の外側はコンクリートの法面で、その上は単純に「山」。
ちなみに…。
ストラクチャーを山の上に置く例もありますが、山の上のストラクチャーはそれなりに視線を集めがちで、結局列車を眺める視野に入らないのに作り込みをしなければならないというジレンマがあります。
なるべく山は「背景」「書割り」のような使い方でいいかなと思っています。

なので田園モジュールの中央も背景を山にしてみようと決心しました。
カクカク、ゴツゴツの山が今後どうなるのか。
今の段階では、自分でもよくわかりません。

直線的に181系「あずさ」を撮影。
「山」に取り掛かった様子がお分かりいただけますでしょうか。

こんな感じで「テーマ運転」と「レイアウト工事」を並行して楽しんでいます。
テーマ運転もやりたいし、あらゆる視線を考えた上でレイアウト工事も進めたい。
レイアウト工事が終われば、素材や道具類も無くなり、部屋もスッキリするんですが…。
そのためには、まず合理性、説得力のある地形を決めることが大事。

んなこと言っても、まだまだ先かなあ。
少なくとも、車両の加工をやっている時間はなさそうです。
ではまた。
- 2017/02/14(火) 12:00:00|
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こんにちは。しなのさかいです。

この前のことなんですが。
仕事から帰ると、家人たちが生返事しながら、必死に「三匹のおっさん」を見ている。
で、どうも商店街のラーメン店が嫌がらせを受ける話だったようで「ラーメンが食べたくなった」と自由奔放なことをおっしゃるんですな。
この段階であれば、そんな発言は捨て置くのですが、その数分後に別の局で「耳をすませば」なんてのを上映するから始末が悪いのです。
最近、相模の国に住む我が家にとって“聖蹟桜ヶ丘”という街は、少々特別な意味を持つようになっていたのでした。

その翌日の夜は満州の最南端、ケープ・オブ・マンシュウ、です。
昨年の夏頃、職場の仲間のススメがあり、それ以来家族で「ぎょうざの満洲」にハマってしまいました。
しばらくは「今夜の晩御飯にでも」と仕事先の近くで店舗を見つけると、焼いてもらってそれをお土産にして運搬していましたが、それも限界(においがね…)
そーすると次は「じゃ、じゃあ自宅に一番近い満洲はどこだ?」となるのです。
探してみると、満洲さんは埼玉県や東京都の北西部に多く展開しているみたいでした。
やがて「関東の満州」では、おそらくこの聖蹟桜ヶ丘駅前店が最南端のようだと気づき…。
我が家からは、おおよそ片道40分くらい車で遠征する必要がありますが、それ以来、たびたび往復しています。

地球屋の人たちは、目の前の道路に「ラウンドアバウト」なる名称がつけられるなんて思ってもいなかったかナ。
「三匹のおっさん」に「耳をすませば」が重なることで、こんな遠征をすることとなったというお話でした。
ちなみにこの満洲さんはいつも混んでいます。
南方からの圧力を一手に引き受けて、必死に耐えているように見えますが、気のせいですかね。
まるで満洲の橋頭堡のようです。

例月どおり複数のメーカーから多くのアイテムが発売される1月末。
当方は迷うことなくカトーから発売された西武鉄道701系(非冷房)だけをチョイス。
嬉しくなって遊んでみました。
もちろん、基本と増結を合わせた8両での導入で、この後に増結を探しまくるような危険を回避したのです。
101系のときは大変でした。

わーい、カトー・クオリティで「西武の赤電」が手に入りました。
「西武ラズベリー」なんていう缶スプレーは、ローズピンクのEF81300番台を仕立てるときにしか買わなかったなぁと、どうでもいいことを思い出しました。
この赤電カラー、なんとなく田舎っぽくてイイですよね。
黒貨車が並んでも似合いそうです。

今回の製品は、昭和38年12月から昭和40年までに製造された前期形に該当しています。
特徴は乗務員扉のつかみ棒が埋め込まれていない姿で、前面の補強は後天改造となるでしょうか。
ちなみに後期形は前期形と比べて全幅が65ミリ狭くなったそうです。
昭和44年からは台車の交換が始まりますが、それも昭和53年までにわたる長い間でのこと。
昭和50年から始まった冷房化、アルミハニカムドアからステンレスドアへの交換、塗色変更など、当方にはどうにもならないほどの歴史がある701系です。
今回の先頭部では、101系のようにダミーカプラーが採用されておらず、基本の先頭車でもボディマウントタイプのカプラーが採用されました。
これにより基本と増結の連結順序は気にしなくてもいいというメリットが。
ドアの戸当たりは印刷で縦線を表現して済ませているようです…。

クハには意外と古い台車、TR11A。
そのルーツは明治、大正ですから「意外」どころじゃありません。
9ミリゲージであるがゆえ、まくらバネあたりが車体からはみ出すのでは、という心配もありましたが、そんなことは杞憂に終わりました。
紛らわしいTR14Aでなく、TR11Aであることもちゃんと確認できますね。
ボディと台車のチグハグさが、大量輸送の使命に喘いでいた(単に経済性を重視していただけ?)西武鉄道の息遣いを感じてしまうのです。

運転台の成型色はライトブラウンです。
たかが成型色でも、実車で運転台の後ろにかぶりついたときに感じるイメージが得られる、こういう配慮が好きなんです。
簡単な仕様改善で脳内にどういうサインを送るか、ですよね。
人間、思い込みはあるものですから。この思い込みは「うまく」利用しなければなりません。
そこを理解しているメーカーと、そうでないメーカーがありますから、見分けると面白そうですよ。

101系と同じように、妻面側のカプラーは台車マウントタイプ。

公式サイトでも比較されていましたが、実際に手元で101系との差異を感じてみたくなりました。
差異を感じる前に前面方向幕をなんとかしろっていう状態です。
新宿線よりは池袋線の方向幕がイイんだけど、どうしましょうか。

雨どいの位置など、比べてみればいろいろな違いがあります。
その他、ユーザー取付パーツはゼロ。一切ありません。
付属品はシールだけでした。
では、寝る前の運転会です。

自分の記憶の中を探すと「赤電」は確かに走っていました。
昭和50年前後の池袋線の記憶です。
この頃は、西武線の設備を見るとまだまだローカルムード漂っていて、屋根のないホームが当たり前でした。
大泉学園の駅舎。懐かしいなあ。

それと、ベンチレーターが一直線に並ぶ屋根って素敵ですよね。
私鉄電車であればなおよし。
「原形の美」が漂っています。
若い頃は「クーラー、クーラー!」とわめいていましたが、好みは変わるもの…。

レッドアロー初期形を導入しておいて良かったというところでおしまいです。
トミーテックが「鉄コレ」のネタを本家トミックスブランドでやればこんな感じになるのかもしれません。
そこをカトーがやると「こうなった」ということなんでしょう。
不思議とそう感じられる701系でした。
だから、とてもコストパフォーマンスも良く、しっかりとした対価が感じられるのです。
こーゆー模型は、新製品が溢れかえる今、選んで手もとに置いても、後々に活きてきそうな気がします。

「シリーズ」とは銘打っていないようですが、カトーの「西武線で感じる東京近郊の青春」シリーズがここまで来ました。
武蔵野、東京郊外、団地、マイホーム、屋根のないホームに並ぶサラリーマン、線路際の古枕木柵、赤土の目立つ畑、などなど…。
これらのキーワードは「西武の赤電」が結びつけてくれますし、101系やレッドアローにも同じことが言えそう。
飯田線シリーズは、飯田線の沿線風景が昔も今も変わらないからこそ、旧型国電でも313系1700番台でも許容されるのです。
しかし、西武線の沿線風景は昔とは比べられないくらい変化し、もはや今回の701系と次回の40000系が同じ風景に溶け込むのには無理があります。
だからこそ、畑に似合う701系には40000系ではない「続く何か」が欲しいところ。
40000系は「西武」というキーワードでつながっていても、風景から見れば別会社の電車です。
ここまでカトーの提案についてきましたが、正直な話、今後の展開には不安を感じています。
これだけのラインナップでもコンセプトのある風景は再現できそうですが、やはり寂しさは…。
毎月のポスターの中身のほか、「西武の赤電」や「飯田線の旧国」に続編があるかどうかでも、今、そして今後のカトーを推し量ることができそうです。
そこをじっくりと見ていきます。
それにしても6月のポスターは…。
ではまた。
- 2017/02/07(火) 12:20:00|
- 鉄道模型(車両)
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