しなのさかいの駅前広場

細かいことばかりでよく分かりません。

KATO 24系25形 寝台特急「はやぶさ」

こんばんは。しなのさかいです。




ゴールデンウィークですけど、その方向は、まあ置いておきましょう…。
関東平野は晴天が続いています。





4月末には、カトーから24系25形 寝台特急「はやぶさ」も発売されていて、実は、出荷日の翌日に近所の量販店で予約分を引き取っていた、という話題に触れたいと思います。

で、この編成。
当方は「模型的に~」というよりは、1990年代、この編成に繰り返しお世話になったことを理由とした「おもひでアイテム」と捉えていて、以前からトミックス製品で揃えていましたし、リニューアルが行われるたびに買いなおしていました。
しかし、その編成はカトーから製品化情報を聞いて早々と手放し、数か月後にこの度の再入線、という流れです(最近このパターンばかりです)。
もう、カトーの印刷表現を見ればトミックスのブルトレを持つ方向には戻れそうにありませんで、今、手元にあるトミックスのブルトレは北斗星と夢空間関連のみ(なんとなく保険的に)となりました。
2009年の14系14形「さくら」から始まったカトーのブルトレシリーズは“コンプリート継続中”なので、自宅在庫の勢力図は、ほんの10年で完全にひっくり返ってしまった形となります。

お店やネット上をパトロールしていると結構な反応があるようで、ASSYの需要もそこそこあるみたいです。
面白いですね。





目玉はオハネ25-1000“ソロ”。
カトーによる、この車が欲しかったのです。
カトーのブルトレは、ドア上の表示窓が印刷されていて。
号車札も印刷されていて、こう見ているとこのドアから入ったときの感覚を思い出すことがあります。





マイクロスカート付きのカニ24、それからオハネフ25-0も発売されました。
後者については「銀河」とか「ゆうづる」のマークも似合いそうだなぁ。
Nゲージの世界でやるブルートレインの動態保存。
錆が浮くリスクを持ってまで、廃トンネルに隠匿しないでも、我が家ではどんどん保存できます(笑)





あまり話題になっていませんが、今回の「はやぶさ」でオハネフ25-100の幌がブルーになったことが非常にうれしいんです。
90年代のJR九州車は幌がブルー化されていたので、ジュラコン製のグレー幌に塗装できないことからモドカシイ時間が過ぎていました。
もちろんこの幌、スペア用にASSYパーツも買っておきました(幌パーツは共通部品ですけど、次にどの製品で採用されるかを考えると少し不安なので)。





停車中なのでライトが消えていますがEF66後期形ブルートレイン牽引機を先頭にして下り列車を再現。
セットに付属する説明書の編成向きだと、オハネ25-1000の小窓側が反対側になって見えなくなるので、編成全体を方転させています。
ブルトレ牽引機は、初回品のライトユニットとプリズムを交換してアップデートしていたのにもかかわらず、「念のため」にもう1つ買い足しちゃいました。
「富士」のマークを付けっ放しにしておこうという狙いがあります。





これまでのカトー・新ブルトレ企画に全てお付き合いしてきたので、こいつらも既に手元にありましてね(笑)
今回再生産されましたが、それぞれが別々の企画のタイミングで製品化されてきたと記憶しています。
素晴らしいことです。





ピンク色の81と青い客車の組み合わせが大好物なので、記念撮影です。





客車だけで15両。これに牽引機が加わると16両とも言えなくない規模となり、さすがに当レイアウトの井中温泉駅ホーム、それどころかポイントとポイントの間には入りきりません。
共演させるJR九州車を出すこともなく、16両をグルグルと回し続けました。



*     *     *



ここで、今回の「はやぶさ」編成、それから90年代は同一編成であった「富士」も含めて当方の4回の乗車体験を振り返ります。


【1回目】

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1993年3月11日 東京駅

1回目は九州島内を巡るために、憧れの下り「はやぶさ」で西鹿児島まで乗り通してみたときのことです。
このときは一人旅。これから1日近い乗車を控えて、東京駅のホームで気持ちが高まった記憶があります。
なんてったって、少年時代はここで「西鹿児島」の方向幕をカメラに収めることしかできなかったのですから。





1993年3月11日 東京駅

本当なら、このソロを使いたかったのですが、西鹿児島までの通しで発券してもらったので、残念ながら普通のB寝台。
熊本までをソロで、その後を開放Bでという選択肢もあったようなんですけど、まあ、1ボックスにずっと収まる旅の方が意義が高いかなと思ったのです。





1993年3月12日 寝台特急「はやぶさ」オシ24

この後、3月18日のダイヤ改正で食堂車は営業終了に。
残り数日間…という中でしたが、オシ24はごく普通に利用者が少ない朝を迎えていました。
この頃は、まだまだそんなもんでした。
朝から「かつ丼」を食べた記憶がありますが、もしかしたらそれはこの旅の帰りの「あさかぜ4号」のメニューだったかも。
何をやってんだろ(笑)





1993年3月16日 博多駅

九州島内を周遊していましたので、何日目かの博多で迎えた朝にはここで「はやぶさ」を迎えることができました。
新幹線ホームには0系2000番台のJR西日本仕様が。
国鉄時代が匂っていて、いい時代だったんだなあと思います。



【2回目】

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1995年8月19日 東京駅

2回目は下り「富士」で下関まで。
女房(仮)と山陰本線を3泊4日で巡る旅をしまして、その起点へのアプローチにこの列車を選びました。
ソロに乗車したのはこのときが初めて。



【3回目】

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1996年7月12日 大分駅

3回目も「富士」ですが、このときは上り列車です。
宮崎で謎の会合があり、1泊2日で滞在。
その帰りに一人で宮崎から延々と日豊本線を北上し、大分からソロに乗り込み。
駅前のパルコでCDを買い、その後はお土産に地域限定のカルビーポテトチップスを大量に買い込みました。
カサばかりが大きい土産物でしたので、個室にしておいて良かったと思った記憶があります。
下段のソロのドアを開けて、ポテトチップスが大量に入った紙袋を放り投げました。





1996年7月12日 大分駅

たぶん、南宮崎から走ってきた編成に大分回転編成を増結させるところです。
走り出してからオハ24へ向かったところ、立席券利用のビジネス客に占領されていた記憶があります。
ものすごい夕立、雷雨の中、スーツを着た乗客がロビーカーでくつろぎながら日豊本線を北上していました。



【4回目】

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1999年8月24日 横浜駅

4回目は、再び九州へ。
女房と横浜から下り「富士」に乗り込んで小倉を目指しました。
小倉下車としたのは、883系「ソニック」に乗って大分を目指すこととしたからです。
そのまま乗っていてもよかったような気もします。
でもこのときは、九州島内だけでしか水戸岡デザインを味わえませんでしたから、そんな選択も合理的だったのです。




1999年8月24日 寝台特急「富士」

誰もいないロビーカーで浮かれているのは女房です。
残念ながら営業休止ながらも食堂スペースとして連結され続けていたオシ24は、このときにはもう外されていたと思います。





1999年8月25日 小倉駅

8月の真夏の空の中、小倉駅に滑り込んでおしまい。
このホームで見送った「富士」が、堂々とした編成の「はやぶさ」「富士」との別れとなりました。


ということでカトーの24系25形寝台特急「はやぶさ」と、これに関連した記憶の呼び起こし作業でした。
鉄道ファンにとっては「ブルトレ」という概念ほど時代による切り取り方の多様性が存在するものはないでしょう。
どの時代も「ブルトレ」は「ブルトレ」。
青い夜汽車はそれぞれの人に違う形で刻まれています。

ちょっとセンチメンタルになりました。
ではまた。



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  1. 2017/05/05(金) 22:40:00|
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