しなのさかいの駅前広場

顔が平べったくてねー、

湖西を巡って、再び京都へ

「万能電車 京阪800系」編からつづく)




浜大津の交差点で電車ウォッチングに興じているとそれはそれで満足できますが、せっかくの機会なのだから乗らないといけませんよね。
京阪京津線の楽しさを味わった後は、「歩くまち・京都レールきっぷ」のエリアを外れますが、京阪石山坂本線に乗ってみることにしました。
滋賀県・湖西地方の旅、です。





再び地図で確認。
浜大津を中心に、北へ向かうと坂本、南へ向かうと石山寺です。
JRよりも細かく駅が刻み置かれていて、より地元密着の輸送を担っていることがわかります。





ちょいと前の京阪カラーでやってきました。
これで、まずは北の坂本まで運ばれてみることにしました。


ところで。
この路線については、古くからグリーンマックスが京阪500・600形をキット形式で製品化していて、Nゲージユーザーとしては「一応知っていた」存在でした。
ベルニナ号の動力ユニットを使うアレですよね、あー懐かしい。

だけど、どうしてこの路線を走る車両が、そんなに古く、Nゲージ黎明期から製品化されていたのか、そこが謎というか、どこか引っかかるというか、スッキリしない興味がありました。
失礼な言い方をお許しいただけるのならば「そんなに有名ではない路線なのに」ということなんです。

グリーンマックスのキットの存在感は、完成品製品が溢れかえるようになると、いつしか薄れていきましたが、最近になって、鉄道コレクションでの石山坂本線、大津線全体の展開が異常な程に。

かつてのグリーンマックス、そして今のトミーテック。
この二社が同じ視点で製品化を試みたのかどうかは全く不明ですが、そういうメーカー達からの提案を自分の目で確かめておきたくなったというのが本音であり、今回はその絶好のチャンスでした。





まずは北へ、坂本へ向かいました。
曇り空が似合う落ち着いた近江路、という風景で、高架線であるJR湖西線の車窓からは感じられそうにない、生活感のある車窓でした。
年齢の低い学生や児童が混じっているため、乗降客からも生活のインフラになっているように見えた程です。

ここまでの同乗者は、そうした帰宅する地元の学生くらいで、駅からすぐに散り散りに消えていきました。
気温は浜大津で感じたそれからさらに下がった気がしていて、大阪と比べると10℃くらいは差があるんじゃないかと思う程。
おそらく天候よりも地形が関係しているんでしょう。





ところで、石山坂本線では、この旅の後の3月17日のダイヤ改正と同時に「坂本」を「坂本比叡山口」に駅名変更しました。
その他「浜大津」を「びわ湖浜大津」、「別所」を「大津市役所」、「皇子山」を「京阪大津京」に変更しています(合計4駅)。
滋賀県の観光戦略に沿った改名だそうですが、浜大津は「浜大津」のままであって欲しかったと。





大津坂本本町局で旅行貯金をしようと、少しだけ街を散策しました。
さすがは「滋賀県」です。
歩いてすぐに飛び出す人が出現。
自宅に置いてある久田工芸製(いわゆる「0系」)と似ていますが、よく見ると髪の毛の線が直線であったり、表情も微笑んでいたりと、微妙に違うようです。
「0系2000番台」といったところでしょう。





今度は石山寺へ向かいます。
坂本で折り返す電車がやってきました。
登り勾配があるため、遠方の風景が沈んで見えます。
坂本は山の麓でもありますから、こうして地形がうねっているのですね。





滋賀里まで戻ってきたら、すれ違った電車が「ちはやふる」ラッピング車。
地方私鉄もいろんなコンテンツで起死回生策を講じているようで、時代も変わりました。
もちろん、こうした話題づくりはイイことだと思います。
ココが舞台なんだと、当方はこれを見て初めて認識したのですから。





浜大津の手前で、再び路面区間に出ました。
この日通算3回目の路面区間体験です。
こうした区間は、今となっては街の風景として貴重なものではないでしょうか。
都会の人は、この風景をスローな要素として憧れているんだと思うんです。

広島は少し例外ですけど、富山や松山、函館などを見ると、落ち着きのある空気を感じます。
嵐電もそうですし、ココもそうです。





終点・石山寺。
こちらへ向かう方が乗降が多く、なるほど大津や膳所、瀬田に近いこともあって沿線にはマンションが目立ちました。
京津線を含めた「大津線全体」の輸送断面には極度な差があるようです。





少し歩いて石山寺局で貯金。
駅へ引き返す途中で見たのは、瀬田の唐橋でした。
瀬田川で見られるボートの練習風景はここの定番で、川の流れと同じように、穏やかな時間の流れを感じました。
最近、こういう風景に強く惹かれるんですよ。
ダメですねえ。





京阪京津線・石山坂本線の体験乗車はこれにて終了。
石山寺で折り返す電車には、よく見ると800系が描かれたヘッドマークが掲出されていました。
それと、この復活カラーは秀逸ですね。


模型の世界でどうして受け入れられ続けているのか、そんなことを検証しようと乗ってみました。
その答えとしては、2両編成でコトコト走る電車の姿はまるで大人のメルヘンであり、模型の世界では長大編成に疲れた方にはモッテコイ、だということです。
1980年代、グリーンマックスとしては、路面電車の動力ユニットを開発することはできなくても、石山坂本線(大津線)の車両だったらベルニナ号の動力ユニットを使えば製品化することができると気づき、そこを突破口にして地方都市の「日常風景」を提案したかったのかもしれませんね。
いずれにしても、見ているのは京阪の車両ではなくて、それを通して見える、愛おしいと思える風景だったのでしょう。
そしてそれは、模型で長大編成を走らせたりしても、また、現実の世界で湖西線の車窓から見ようとしても、決して見えない風景なのですよ、たぶん。



JRで京都へ戻ろうかとも考えましたが、京都に泊まる最後の夜でもありますから、京都「駅」ではなくて三条へ戻ることにしました。
なので、みたび浜大津からは京津線です。






20km/hの速度制限がある「直角カーブ」を抜けると逢坂山トンネル。
画像でお判りいただければ幸いなのですが、ジェットコースターの最初の登り勾配そっくりでした。
奥に見える国道1号が、ほぼ水平を表していると思います。





ジェットコースターですから、サミットを越えたらまるでノンブレーキのような下り方(ウソです)
大谷を過ぎて、勾配の上から追分を臨むと、この駅が急勾配の途中に平らな土地を確保して設置されていることがわかりました。
止まらないで下っていきそうですけど、そこはオールMの800系。
粘着力を発揮して、フツーに停車していました。





追分を出発しても、さらに「降下」。
念のために言いますが、これ、トロッコで下っているのではありませんのよ。

こんなんでもインターアーバン路線なのですから、神戸電鉄のときと同じように常識が破壊される訳です。
鉄道模型をやる人間として、とても貴重な経験となりました。
これで「大津線はこうだ」としゃべることができそうです。





時刻は17時近く。
800系とのすれ違いもこれで最後。
再び地下区間へ入って京都へ吸い込まれていきました…。



□        □        □





京津線・地下鉄東西線を三条京阪で降りて、京都へ戻ってきました。
時刻は17時を回った頃。

滋賀県では全く見ることがなかった観光客が、三条付近では溢れかえっていて、どこを歩いても聞こえてくる言葉は○△□…です。
そういえば3日目の夜に見た京都タワーの回りもそうで、隣の家電量販店の下は異国情緒満点。
かつては、夜の京都駅周辺なんて、コンビニが開いているかどうかという程度だったんですよ。

ひょっとしたら、あの落ち着いた風情の京都は、もう永遠に戻ってこないのかもしれませんね。
国策をトリガーとして、海外の経済動向が影響している訳ですから、この流れはもはや制御できそうにありません。





鴨川の風景も、2月末、平日なのに人が多いようでした。
さらには、河原には集団で固まる方々が多く見られ、誤解を招くかもしれませんが、ちょっと治安的な不安を感じたりして。
すみません、決して「分断」を煽るつもりはないのです。
ただ、治安的な不安要素はどうしても拭えないということなんです。

夕飯の場所を探そうにも人の流れが激しく、また少しでもネットで有名なところはどこも満員のようで、結局は「王将」で(情けない)。
上の娘が中3のとき、つまり3年前、タクシーによる班行動で入った店が「来来亭」だったらしく、その当時親として大笑いしました。が、まさか自分がそういう選択をするとは…。
「来来亭」はタクシーの運転手さんのオススメだったということで「なんという適当な人なんだ」と思いましたが、今思えば「余計なセンスを出してお店を探しても“いいお店”になんて出会えないよ」というアドバイスだったのかもしれません。





そして先斗町。
(当方もその中の一人ではありますが)狭い通路が人だらけでとんでもないことになっていました。
20年前は、先斗町って「知る人ぞ知る」通りだったんですが、今ではまるで「竹下通り」です(笑)
ボンヤリと灯る明かりが日本の風情を醸し出していて人気があるんでしょう。
そのうちクレープ店が出現しそうな、密度の濃い商業集積地域でした。





デジカメの時代でもありますから、こんな風に写真が撮れちゃうので、街を散策したくなる気持ちもわかります。





四条河原町。
信号待ちの風景を見ると、なんというか、人が歩道からはみ出ていて、そして溢れているのですよ。

なお、四条通りは最近になって歩道が拡幅されました。
歩きやすくなったものの、歩行者の数が増えていて、それでも歩きにくい。
グループ客が多いから、突然路上で固まり始めたりして流れも悪いし。
それで、車は渋滞。

今の京都をどのように評価したらいいのかわからなくなりました。







19時過ぎまで四条通りを行ったり来たりして、ついでに祇園を見学しました。
ここら辺には、かろうじて昔からの京都が残っていましたが、料亭の外には河原町からはみ出してきた方々がチラホラと。
数年後には、この辺に大手外食チェーン店が出店しているのかもしれません。




とはいえ、細かい路地に入り込むと、まだまだ懐かしい京都を発見することができました。
例えば、町家の名残りを発見すれば幕末の時代を想像できますし、そこに灯る明かりを見れば、その建物で今でも営まれている暮らしを想像して、憧れてみたりできる…。
こういうのって、清水寺や金閣寺では感じることができないメンタリティだと思うのです。

やはりその土地での風景の切り取り方、自分の身をどういう風景の中に置けば「非日常」を感じることができるのか、が“観光”をする上で大切になってきているのでしょう。

情報に従って「楽しいはずの場所」に行って、実は楽しくなくても「楽しい」と言って写真を撮って帰ってくる。
そんな風に有名観光地をスタンプラリー形式で回るんじゃなくて、あえて観光地をスルーする勇気を持ちたいですね。
自分だけの「とっておきの場所」を見つけて、できることなら、そこを大事な人とだけで共有する…。
2日目に訪れた、神戸の坂の上から見た海の景色はまさにそれでした。
ごく普通の住宅地でしたけど、当方にとっては大切な場所になったのです。

産業化してしまった「観光」には、こうした視点を持つことがそろそろ必要なのかもしれません。
観光地が観光を産業としながら、人口が減少することなく繁栄してくためには。
そうでなければ、どの観光地も“京都化”していくような気がします。
そして、さらにその先にあるのは“清里化”なのではないでしょうか。

「文明」に触れて「楽しい」と言うことと、「文化」を見出して楽しさを感じることは、似ていてもその意味が大きく異なるのです。
目的地を訪れて、一体どんなことを「受け止めたい」のか。
そして、どういう空気を吸いたいのか。
少なくとも「見たい」という動機だけでは旅をしたくないなあと、そう思うこの頃なのです。

難しいことを言っていたらゴメンナサイ。



これにて4日間に渡る京都の夜ともお別れ。
旅行会社のパンフレットに書かれていたとおり、暮らすように過ごした京都でした。
少し寂しくなりました。

次はいつになったら来れるのか。
それまでは「探偵!ナイトスクープ」でも見て、画面から関西の空気を吸い続けることにしましょうか。


(5日目につづきまーす)

スポンサーサイト
  1. 2018/03/31(土) 12:00:00|
  2. 鉄道旅行
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

万能電車 京阪800系

「音川さんちを訪ねて」編からつづく)




嵐電本線区間を四条大宮方面へ進むと、壮大な(ように見える)路面区間(併用軌道区間)となりました。
ストレートな道路と、空中に張り巡らされた架線とワイヤーがいかにも昭和の中頃をイメージさせるじゃないですか。
併走する車たちの中に、時代が古そうなものを探したくなる、どことなく懐かしい気分になる風景でした。





四条大宮に到着。
ココに用はなく、すぐに折り返して次のプランへ進みました。

その折り返しの電車は学生と観光客であふれ返していて、なんとかして乗るのが精一杯でした。
路面電車にこんな需要があるというのも、どことなく昭和な気がして、悪い気はしませんネ。





嵐電天神川で下車です。
混雑していたことから、下車に手間取ってしまい、運転士さんが「発車しまーす」と発声したので条件反射的に「おりまーす」と大声を出してしまいました。
カメラをぶら下げて、ちょっと恥ずかしかったかな(笑)

嵐電の乗車体験はこれでおしまいです。
思っていた以上に路面区間が長く、この車両の模型たちを「路面電車」としてレイアウト上で遊ぶことは少なくとも間違いではないと考えました。
モデモさんには、もっと頑張ってもらわないといけませんね。





嵐電天神川の目の前は、似たような名前の駅である太秦天神川。
地下鉄東西線の終点となっています。

地面に大きな窪みができていて、開放感のある入口でした。
2008年に開業したばかりなので、最新の部類に入る地下鉄の駅といえます。
東西線自体、当方にとっては初乗車となりました。
しかし、東西線に乗ることがミッションではなくて…





ここから京阪京津線への旅をすることが、この日のメインでした。
なので御陵からは浜大津を目指します。
浜大津行きの運行本数は20分おきに設定されているようなので、途中下車も簡単です。
一旦、三条京阪まで進んで途中下車して、その20分間を旅行して京都三条局で旅行貯金。
改めてそこから浜大津方面へ進みました。





地図で確認しておきます。

京津線はその名の通り、京都と大津を結ぶインターアーバン鉄道です。
特に、京都と大津は互いに府庁・県庁所在地であり、日本中を見ても非常に近い都市同士となっていますが、地形的には大きな隔たりがあるようで、この隘路、特に大谷付近の逢坂山の克服の仕方が興味のポイントでした。
一度でも自分の目で見ておかないと、イメージを口に出しても嘘になってしまいますから、今回の旅でしっかりと観察しておこうという点が狙い。





スカイブルーの京阪800系で、まずは第一形態とも呼べる地下区間を抜けました。
複線ですから、時折反対方向の列車とすれ違いがあり、都市近郊そのもの。
神戸電鉄でもそんなことに気づきました。
反対から来る800系は、2017年から始まった新塗装化第一弾の815編成のようです。
マイクロエース、やりそうだなぁ(笑)





だんだん逢坂山へ近づいていくと、パッと見でもかなりのアップトリムであることがわかりました。
800系の第二形態である登山電車の仕業が始まっている場面です。
目の前の構造物はたぶん名神高速道路。
この先に行けそうには思えない(峠などなさそうな)閉塞感が漂っています。



さて、浜大津まで一気に進んでしまうのはつまらないし、京津線の特徴を理解するためには少し物足りない…。
乗っているうちにそう感じるようになりました。





なので、大谷で途中下車しました。
この駅で一番有名なのは、ホームのベンチでしょう。
座面が水平レベルを出していて、ホーム面が勾配角度を表していると思います。
ここは40‰の勾配で、日本の普通鉄道・軌道では日本一の急傾斜の駅ということだそう。
“勾配”というキーワードはすっかり今回の旅のテーマになってしまいました。





次の列車に乗る前に駅付近を観察することにしました。
近くにあった住宅地図で予習します。

ここは昔から京都へ通じる交通の要衝で、現在では名神高速道路と国道1号に挟まれています。
それ以外に、例えば住宅地が広がっていることはなく、都市と都市の間にあるエアポケットのような土地と空間のようです。







大谷駅前を北向きに歩いてみると、名神高速道路の案内板がチラリと見えて、さらにはトラック類の走行音も聴こえてきました。





それから、面白いナと思ったことは、この二つの大幹線道路に挟まれた駅前の道路こそ、旧東海道であるということなんです。





なので、京都方面へは行き場がなくなった旧東海道は、歩道橋で国道1号の向こう側へ逃げています。
というか、もともとの道を京津線とイチコクが埋めてしまった、というべきでしょう。

今では、京都へのアプローチは東海道新幹線であったり東海道本線となりました。
しかしその昔、といっても近代までの比較的新しい昔までは、長浜から琵琶湖を船で移動して、浜大津からはこのルートで京都へ抜けていた…ということがよくわかります。

そういえば、2014年に長浜鉄道記念館を見学したときにそんなことを学習していました。
その学習の続きがココということになります。
観光地によくある資料館って、意外と役に立つことがあるのですよ。
京都については、交通の歴史を切り取っても興味が湧いてきます。





その歩道橋の上から浜大津側。
「逢坂の関」はこの画面のすぐ向こう。





そして三条京阪側。
きっと、徒歩で都を目指していた時代に「あと一息」と感じて見た風景そのものなのでしょう。





そんなことをやっているうちに、浜大津から800系がやってきました。
山岳トンネルである逢坂山トンネルから抜け出た地点がこの峠のサミットになっているようで、そこからにわかに降りてきたように見えました。







浜大津行きの800系も到着、というか山を登ってきました。
地下区間を走ったり、最大61‰の勾配へそのままの仕様でアタックするのですから、この車両の多様性はもっと有名になってもいいと思いますし、製造コストが新幹線並み、という話も頷けます。

恥ずかしいことを書きますが、数年前にマイクロエースが800系を製品化したときは「この電車はなんなんだ?」という感想を持っていました。
当方は、この車両にそんな認識しか持つことしかできなかったのです。
でも、マイクロエースの企画としては、こうした多様な路線の特徴、それに対応した変わった車両に「遊びの要素」として認識していたのでしょうね。
発売と同時に、室内灯を取り付けると「提灯」になるということでマイナス的に盛り上がってしまい、その騒動がその遊び方や楽しみ方を掻き消してしまったようでした。
今から思えば、とても残念なことです。





上栄町まで下ってきました。
列車から後ろ向きに見ているところです。
名物のフランジ音防止スプリンクラーが水を散布していて、そのスペシャル感がまた素晴らしい。
この水まきだけでも結構な費用がかかっているはずです。
さらには、この付近に61‰という碓氷峠並みの勾配が仕込まれていて、とにかく注意して見なければならない場面が多すぎ。
路線が持つバラエティ要素の豊かさでは、江ノ電を圧倒するものがあるのではないかしら。





路面区間に躍り出ました。
ここから浜大津までは、車との共存共栄の社会を目指して頑張っていきます(誰が?)





そして京津線・最後の大イベント。
浜大津の交差点へ差し掛かりました。

たったの4両編成なのに、乗っている列車の頭が見えるという恐ろしいカーブ(ほぼ直角)で、もはやNゲージ、いや、プラレール並です。
こういうイベントが平然と、約20分置きに繰り返されている場所。
それが浜大津なんでしょう。
鉄コレのために並ぶ場所、ということだけではないようです。





という訳で浜大津に到着しました。
明らかに京都よりも気温が低く、琵琶湖からの冷たい風を感じて、冬の格好でよかったと思いました。
京都と大津は近くても遠さを感じてしまう、不思議な関係ですよね。





早速駅の外に出て、2014年の夏に家族で泊まった琵琶湖ホテルを確認しました。
京阪グループの中核となるホテルで、あのときは、早めにチェックインをして少し時間を余らせてしまいました。
こんなに京都が近いのならば「夜の三条を散歩しに行こうか」と夕食後に800系に乗ればよかったのです。
下調べが甘かったようで、2014年における浜大津の認識はそんなものだったということ。
だからフィールドワークは大切なんですョ。





例の交差点に立って、三条方面からやってくる800系の様子を観察してみたくなりました。
よく見ると、800系って笑っていますよね。
並走する車と戯れているからなのか、そう思えちゃいます。

このとき、当方の反対側には石山坂本線の電車を撮影しようと張っている人が二人いらっしゃいまして、そんでもって、当方があまりにも真剣に800系がやってくる方向を向いているので、不審がってその方向から来るモノをチラリと確認していました。

80系でも来ると思ったんですかねー。







そして800系は交差点内へ、ゴゴゴと音を立てて進入。
貫通幌がビヨーンと伸びて、妻面が思いっきり見せつけて歩行者を威嚇していました。
800系の第三形態というべき路面区間(併用軌道区間)の走行シーンをバッチリと観察できましたよ。
地下区間とは異なるパンタグラフの上がりっぷりが見事。

それから、先ほどは嵐電の路面区間を見ましたが、コイツは4両編成で堂々と進入してくるのですから、スケールというか迫力が段違いです。
日本の鉄道でもこんなことをしていいんですね(笑)


(つづきまーす)








  1. 2018/03/28(水) 23:00:00|
  2. 鉄道旅行
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

音川さんちを訪ねて

「ならまちにて」編からつづく)


2月28日(水)は旅の4日目で、実質的にこの日が“関西乗り鉄”のラストデイ。
残りの1日は、趣向を変えたミニトリップを予定していました。





その4日目は、京都の私鉄を乗り歩くことに決めていて、それをホテルの近くから始める訳ですから、出発は遅めに設定。
ついでに、9時から開く最寄りの郵便局に行こうかと思い、京都五条東洞院局に立ち寄ることから始めました。





この郵便局は、見える二つのマンションの間の路地を入った、左側のマンションのすぐ裏にありました。
確かこの辺には1987年に修学旅行で宿泊したホテルがあったはずと気づき、その事を聞いてみると「目の前のマンションがそのホテルでしたよ」という答えが。

ホテルはとっくの昔に廃業となり、右側交差点寄りのマンションに変わってしまっていたのです。
いろんな思い出があったホテルでしたが、跡形も無くなってしまってはどうしようもありません。





この日は「歩くまち・京都レールきっぷ(1日版)」を使いました。
京都市内を基本とした、市営地下鉄、嵐電、阪急、京阪、JRの各路線に乗り降り自由。
数ある京都のフリー切符の中で、一番今回の目的に近いという判断です。
四条駅構内の京都市交通局案内所で買うとき、係員氏には「市のバスには乗れませんが、それでよろしいですね」と念押しされました。
観光には市バスがマストなのでしょうから、こういうフリー切符があること自体、不思議ではあります。





まずはこの切符を使って、再び阪急電車で四条から桂まで移動。

9時台の閑散とした車内では、いかにも「河原町帰り」である男(店員)女(客)が、いかにもいかにもといえる会話をされていて、桂までの間にバッチリとその音声が聴こえてしまいました。
「京都の遅めの朝」を見学することができましたが、いにしえより京都は都なんですから、そんなの当然ですよねえ。
どうやら阪急京都線の某駅にある女性宅へこれから向かうようでした。
これもまた沿線風景ナリ。







阪急9300系はこれにてしばらく見納めとなりそうですから、桂に着いたそれをダメ押しで見学。
2日目に強くインスパイアされた車両で、今回は風景だけでなく、こうした「食わず嫌い」だった車両にも積極的に触れた旅でした。
この日は、この後にも認識を新たにした(模型が欲しくなった)車両に出会うことになります。





この日、まずは阪急嵐山線に乗って、嵐山からは嵐電の全線に乗ろうというプランです。

元京都線の女王様・6300系はこんなところにいました。
嵐山線運用専用の4両編成6352Fで、リニューアルされた内装は品があるというか。
阪急電車にはヤラレっぱなしとなりました。





嵐山到着。
この駅で降りるのも始めてでした。
だいたい嵐山へのアプローチはJRで嵯峨(嵯峨嵐山)下車と決めていた時期がありましたから。
以前にお話したとおり「京阪神ミニ周遊券」は私鉄に乗るという選択肢を全くブラインドしてしまいました。





京都嵐山局は少し遠かったようで、渡月橋を渡る方向とは全く逆でした。
ちょっとよろしくないルートになりましたが、「嵐山」というゴム印を残したかったので仕方がありません。





その後は渡月橋。
橋を渡る京都市交通局のバスも、すっかりノンステ型に変わっていました。
このカラーリングとこの橋。
バスの色は「街の色」でもあります。
とにかく似合います。
バスコレでこのカラーリングが人気なのもわかる気がします。
旅の思い出にはちょうどいいですよ。





さすがに嵐山は国際色豊かというべきで、外国人観光客がワンサカいらっしゃいました。
当方がこの辺を頻繁に訪れていた頃は、タレントショップやテレビ番組のアンテナショップがいくつも出店していた時期に当たりますから、約30年前…。
どことなく清里っぽかったです。

今ではそんな面影は全く消えていて、あのときの盛り上がりはまぼろしに。
ホテルが建物ごと無くなってそこにマンションが建つくらいの年月が経過したのですから、そりゃショップくらい簡単に消えます。





ココからは嵐電全線を乗り尽くすことにしました。
何かと京都っぽい乗り物としてメディアでも話題になりますし、モデモも製品化していますから、模型をやる人間としてもこの際ちゃんとイメージをつかんでおこうと思ったのです。





嵐電本線は複線で専用軌道もある程度長いので、こういうところは都電荒川線みたい。
車内は外国人観光客である女性グループと、地元のおばちゃんとの混成編成で、それでもうまく共存共栄の道を歩んでいるみたいでした。
これで、ひとまずは北野線との分岐点・帷子ノ辻(かたびらのつじ)へ。





帷子ノ辻で降りてフラついていたら「夕子号」が来ました。

京都のお土産といえば、かつては八つ橋が定番だったんですけど、最近はやたらいろいろなものが増えたようです。
おかげで、八つ橋を買って帰るとテキトーなセレクトだと思われそうで怖い。
八つ橋が最高だと思うんですけど。





さて、帷子ノ辻に近い「とある踏切」にやって来ました。
この踏切の奥にある販売中の建売住宅(の土地)にとても大きな目的があったのです。
といっても買う訳ではありません。





ここは、近年まで古い住宅が建っていて(いたはずで)、テレビ朝日・土曜ワイド劇場で2010年まで約30年続いた『京都殺人案内』シリーズのロケ地としても使われていました(ロケ地となったのがシリーズ何弾からかは確認していません)。

設定は、京都府警捜査一課 音川音次郎警部(藤田まこと)の自宅。
すぐ近くに松竹の撮影所があることから、少しだけ外に出て撮影、という流れだったのではと想像しています。

当方は、年に1回、冬が終わる頃若しくは4月に放映さていたこのシリーズが特に気に入っていて、京都のイメージを寺社仏閣とかではなくて、まさにこの踏切の風景に抱いていました。
本当なんだから仕方がありません。
夜、音川警部の帰宅シーン。
踏切が鳴って、電車が唸りながら通過、そして遮断棒が上がって歩き出す…という流れだったかな。
これが当方にとっての京都。

だからこそ、建物が無くなる前に来るべきだった…。
当方もずいぶんと京都をご無沙汰してしまったのですから仕方がないですけど、インターネットで様々な情報を得られるようにならないと、来るとか来ないとかの問題以前に、こんな場所すら永遠にわからなかったのです。





3区間に分割され、その端の物件がまだ販売されていたようでした。
購入される方が現れるとすれば、踏切や電車の音をポジティブに理解された方、ということになるんでしょう。









帷子ノ辻から、今度は北野線に乗って、終点・北野白梅町まで移動しました。
駅舎は簡素な構造で、よく見ると1925年の開業当初の外観(?)を見ることができます。





北野白梅町で少し休憩して、今度は帷子ノ辻に戻ってそこから本線を進むことにしました。







帷子ノ辻へ戻る途中の妙心寺で途中下車。
この妙心寺駅の真ん前には京都竜安寺局があるので(妙心寺局ではないのです)、次の電車が来る間に効率よく訪問局数を増やしました。
この辺は単線のようです。
反対向き、北野白梅町へ向かう電車。





帷子ノ辻からは再び本線へ。





太秦広隆寺まで来ました。
ここら辺から正真正銘の路面区間が現れて、テンションはさらに高くなるのでした。


(つづきまーす)
  1. 2018/03/26(月) 23:40:00|
  2. 鉄道旅行
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ならまちにて

(「ハイタウン石切(後編)」編からつづく)


いろんな発見があった石切から新生駒トンネルに吸い込まれたその後は、近鉄奈良まで一直線に…

と考えていたところで、ここで気まぐれが再発。
生駒に着いて、勢いでヒョイとホームに降りてしまいました。
抜けてきたトンネルの反対側の様子を少しだけ観察しておきたくなった、というのがその動機です。
今見ておかないと、次がいつになるかわからないし…。





なんだか石切側とは全く雰囲気が違っています。
先ほどよりも陽射しが遮られているということもありますが、石切よりも“人口の多さ”が伝わってきました。





降りてみなければわからないこと、地図だけではわからないことってこういうことだと思うんです。
何がわかるのかというと、けいはんな線のトンネルから出てきた7020系にレンズを向けた、そのすぐ横には、都市近郊の日常が見える、ということです。
あんなに標高を稼ぐプロセスを経て、あんなに長閑な石切の風景があって、さらにはあんなに長いトンネルをくぐったというのに、不思議なことに都市近郊の風景が広がっている。
神戸電鉄のときと同じように、関東に住む者としては順序がおかしい気がして、常識が壊されることに楽しさを感じました。





駅前も都市近郊そのもので、「鹿のバス」も待機しています。

だんだんわかってきたことなのですが、近畿地方は関東地方と異なって、山々が点在するためにこうした展開が見られるようです。
そういえば、1日目に乗ったJR大和路線でも王子を過ぎた辺りで大和川と併走する区間がありました(昔、ナイトスクープで川下りするやつをやっていましたね)。
あれも通勤路線の途中にある風景とは思えないし、2日目のJR宝塚線の武田尾付近もそう。
今回の旅では、こういう地勢的な発見とか再認識が大きな刺激となりました。





けいはんな線は大阪市営地下鉄・中央線に乗り入れている…と大阪港の件で書いたところ。
その反対側がココということで、再び第三軌条方式・750Vの電車と対面しました。
なんだかウロチョロしてばかりしている1日でした。

生駒強行偵察はこの辺で切り上げ。




再び、近鉄奈良へ。
列車は軽快な音を立てて奈良へ下りていき、そして、生駒山地は遠ざかっていきました。





大和西大寺を過ぎて、平城宮跡を横目に見れば、もうすぐ奈良です。
できれば、平城宮跡から近鉄電車を見てみたかった(笑)
こんなに大きな史跡の隣を走る電車って、贅沢ですョ。





15時過ぎに近鉄奈良に到着しました。
折り返す車両の行き先表示は「尼崎」。
ネットワークの複雑さは、行先表示で味わうものなのです。



□     □     □


実は、20年ぶりの奈良には少しだけ観光のような目的をもって来ました。
ハードな乗り鉄をしてきたのに、らしくないですよね。
この近辺は、高校のときの修学旅行を皮切りに、その後何度も何度も散歩してきたつもりだったんですが、今から10年くらい前に「ならまち」という地区を知るに至り、「そんなところ、あったっけ?」と。
恥ずかしながら、興福寺地区のすぐ近くに広がる古い街並みについては、知らない時間の方が長かったのです。
だから、今回は迷うことなく「ならまち」をターゲットとしました。


でも、近鉄奈良に着いても、時刻はまだ15時過ぎ。
「それならば、久々にやるか!」と思い立ったのが「郵便局巡りタイムアタック」でした(適当に名付けています)。




調べてみると、「ならまち」界隈には3つの局があり、頑張れば京終まで行けそうです。
んでもって、京終局から戻る形でならまちを散歩すればいいと判断。
街歩きのルートづくりは、即座に即席に、だけれども一筆書きで回れるようにしないといけません。





頭の中で行程を組み立てながら早歩きをしたら、まあなんとか4局回ることができました(笑)
この4局を、およそ50分でクリア。
奈良小川町局だけは混雑が激しくて危なかったですが、大仏の顔が入ったお宝印を用意してくれていたのでOK。





風景印も3つ獲得することができて(京終局だけはありませんでした)、バテバテになりながら荒稼ぎ成功。
切手のセンスはこの際御容赦くださいませ。









京終局でバテバテになったまま「ならまち」散歩を開始。

でも、どうして長い間「ならまち」を知らないままだったのか、自分でもよくわからないのです。
おそらく「観光スポット」をスタンプラリーのように巡る旅から抜け出せていなかったことが原因かと、そう思うしかありません。
今回も「せっかく奈良まで来たのだから、せめて東大寺には行っとくか」とか、そういう衝動が起こりましたし。
だけど、そこに拘っていてはいつまでたっても視野が広がらない。
どうも、観光する方の心理として「行ってきたことの証明」を撮影して持ち帰りたいという気持ちがあるのではないでしょうか。
フィルムカメラの時代からそうでしたから、デジタルカメラ全盛期の今では、その傾向は一層強いですよね。
観光にあたってゆとりを持つためには、何回も繰り返し訪問しないとダメなんだと思いました。


歩いていたら、年配客でぎゅうぎゅう詰めの静岡ナンバーのレンタカーが目の前に止まって「すみません、興福寺はどこでしょうか?」という質問が。
「全然違うところを走ってますよ」と教えてあげて、人命救助をしたりしながら、またフラフラ。





ならまちのメイン物件、元興寺は世界遺産としての登録を受けた木造建築物だそうです。
乗り鉄の旅では、たまにこういうところにも参拝したりするのです(乗ってばかりではありません)。





その元興寺で。
奈良でも春っぽいパーツが見られました。
旅も3日目で、そろそろ関西の空気にも慣れてきて、一人旅なのに帰りたくないというか、もっとこの辺の空気を吸ってみたいと思うようになってきて。
旅も折り返し地点を過ぎた頃です。





この日も昼御飯を抜いていた(忘れていた)ため、17時近くになって「なんらかの補給をしようかな」と「ならまち」を歩きながら、その目的が食糧捜索となり始めました。
そんな流れでたどり着いたのが「おスギスイーツカフェ」さんでした。
スイーツは得意分野なので、これはイイ!

と思ってガラガラと戸を開けたら、先客はそれぞれ女子2人の二組。
瞬間、「やっちまった!」と思いましたが、こころよく(?)迎え入れていただき、とりあえずスリッパに。





晩御飯の前なのに、ガチでスイーツをいただきました。
女子二組からヒソヒソ言われそうな気配を感じましたが、でも(たぶん)そんなことはなかったようで、美味しくいただきました。
ま、お店の中だけのことだけであって、外に出た途端「なにー、あの男」と処刑されたことでしょう。
ファミレスの席に座るおっさんとは意味が違うのですから仕方がありません。
「あのね、勤続25年でね、5日間の連続…」と弁明しながら着席するのもなんですから、この場合は戸を開けた瞬間に処刑されるデスティニーを背負ったんです。きっと。

お断りして、こうしてスイーツを撮影させていただき、「ならまち」の思い出をつくりました。
おっさん一人で。







興福寺の近くまで戻ってくると、外国人観光客もポツポツと増えて、やっぱりこの辺が奈良のメジャースポットなんだなと思いました。
ゆえに「ならまち」に外国人がなだれ込んでくるまでにはもう少し時間がかかるでしょう。
結局、カフェ近くにそうした観光客は全くいませんでしたから。







鹿はもうどこにもいませんでした。





夕暮れどきの県庁所在地。
それぞれの街に、それぞれの帰宅時間があります。

偶然にも、ウロウロしていたら奈良県庁の退庁時刻となってしまい、ニセ奈良県職員となって近鉄奈良まで歩きました。
意外とこれが、奈良での一番楽しいイベントだったかな。



□     □     □





帰りは、近鉄デイでもありますから、近鉄京都線で京都まで。
近鉄奈良から近鉄京都へ直通する列車は「特急だけ」ということなので(改札氏談・この時間帯だけ?)、一旦大阪難波行きに乗って大和西大寺で乗り換えました。
名物のポイントを見物しようとしたら、50000系「しまかぜ」が走り抜けていき、この旅で見た「しまかぜ」は後にも先にもこのときだけ。
模型は既に持っているので、乗車体験を重ねたいのですが、なかなかその機会が巡ってきません。
また次の機会をつくりますか。





そして、京都に戻ってきました。

ここではちょっとした近鉄特急の撮影タイムに突入。
30000系ビスタEXが、新塗装と旧塗装のそろい踏みでした。
こんなことを書くと、なんだかトミックスのまわしもののような感じですが、そういうことではありません。





まずは、ビスタEXの旧塗装。
んー、これは買いませんでした。
このスタイルなら登場時の方がいいと思って…。
だけど「EX」のロゴだけはカッコいいんですよね。







そのビスタEXが、2016年から新塗装に衣替え。
それがこちら。
昨日、模型店に並んだのはこの新塗装バージョンです。
ジャストタイミングでの記事更新となってしましたが、狙っていた訳ではありませんのであしからず。
でも、どうせリニューアルされるなら、このくらいデザインの振り幅があった方が意味があるというか、見ていて面白いと思うんです(それぞれのファンの好みですから)。


で、先ほど、近所の量販店から持ち帰っちゃった…(あらまあ)







異形式との連結も、やっぱり大胆ですよね。
昼に見たシリーズ21との混結と同様、規格が全く違うように見えます。
近鉄車両の遊び方は、結構奥が深いのかもしれません。
特に、デカイのが2両くらいくっついているのは当方にとってはツボ。
この編成はダブルデッカー車も入っているのだから、編成が超デコボコで、なおさらアピール度が高い。
Nゲージで再現したい編成です。



*     *     *



少し近鉄ホームで遊びすぎてしまい、外国人観光客に占領された京都タワーの横をすり抜けて五条のホテルに着いたのは20時過ぎでした。




部屋に入ってテレビを付けたら、KBS京都で「必殺仕事人Ⅴ 激闘編」を放送していました。
これを見て「なんという粋な計らいをするテレビ局か」と感動。
だって、京都にはワンサカと外国人観光客がステイしているのです。
夜の20時にテレビのスイッチを入れたらこんなものが映るんですから、これ以上の「おもてなし」は無いんではと思いますよ。

もう一度、必殺ブームが再燃しないかな…。
できれば金曜日の22時枠で。
あの時間は、一週間の嫌な出来事を画面の中に置き換えて脳内処理できるので、最高でした。

なお、放送していたのは第16話『主水、クモ男を取り逃がす』。
参考までに、当方が一番気に入っているサブタイトルは、『りつ、ハウスマヌカンになる』です。





お昼に日本橋の“序”で買った、RhBのGE4/4IIを枕元に置いて、日付が変わった頃に寝ました。

これにて3日目終了。
旅もそろそろ終わりに近づきました。
4日目は、京都です。


(つづきまーす)

  1. 2018/03/24(土) 23:40:00|
  2. 鉄道旅行
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ハイタウン石切(後編)

「ハイタウン石切(前編)」編からつづく)




実は、この石切という場所には「石切劔箭神社」(いしきりつるぎやじんじゃ)がありまして、地元では親しみを込めて「石切さん」と、そう呼ばれているそうです。
“西の巣鴨”という位置付けでもあると聞いていて、当方は大阪平野の眺望を目的としてやってきましたが、それなりの観光参拝(?)需要があるということが発見でした。





その石切さんへのアクセスは、近鉄けいはんな線・新石切からの方が“地形的には”楽のようです。
近鉄奈良線・石切からは、かなりキツイ坂を下りることとなるので、年配の方々には抑速ブレーキがないと少々危ないような気もするんですけど。

しかし、その坂道はたとえ斜めでも「石切参道商店街」と称している立派な商店街でありまして、傾斜地感が出た背景が、商店街としてはステキ。
地形の角度だけを見れば、ヤギを放牧している中国の山奥とか、もはやそういう類です。

おばちゃんが犬の散歩をしながら、知り合いのお店に他愛のない挨拶をしていました。
その土地土地の何気ない日常風景を見れば、それはもう、れっきとした「観光」なのですよね。





黄色いのは「ハンカチ」なのか「旗」なのか。
それとも宇宙との交信なのか、なんらかの爆撃目標なのか…

商店街を歩いている間、頭上でやたらパタパタと目立っていて、だけど正解がよくわからない不思議な装飾。
とにかく、縁起のよいものとして張り巡らせていることは見ていて伝わってきました。





石切参道郵便局まで降下してきました。
ここも勾配の途中のようでした。
もちろん目的は貯金で、ついでに風景印もと思ったら残念ながら備えていない局とのこと。
黄色いハンカチのようなものにはラッキーな効果はなさそうだということがわかりました。

この日は気温が高くなり、2月末なのに完全に4月の陽気。
少し汗ばんできました。
当方は参拝客ではないので、この郵便局を折り返し地点にして、今度は来た道を逆に、石切駅方面へ「登山」開始。





商店街には占いのお店が多いようですね。
お年寄りに限らず、いろいろと悩み事は聞いてもらいたいものです。
時間があれば、例えば「カトーからクモヤ495なんか出ませんかね」とか、今後のNゲージの新製品をいろいろ占ってもらいたいところなんですけど、それはまた別の機会に。

お年寄りにシフトしているのかと思いきや、クレープ屋もあったりして、個性的な参道商店街でした。





参道の途中にある石切大仏は、日本で3番目に大きい大仏だそうです…が、その辺はよくわかりません。
どこかにその根拠が書いてあったのかなぁ。
鎌倉のよりも小さくて、ココのよりも大きいのを、日本のあちこちで見たことがあるような気もしますが「おまえ、ちゃんと測ってみたんか」と言われれば反論もできないので黙っていることにしました。

でも、見たことがあると思うのですが…。





生駒山地から流れてくる川を見ると、まさに急峻な地形を表していて、好きなんです、こーいうの。

川に面した家々では小橋を掛けたりしていて、その上には決まって「植木」。
大雨のときには心配も増すことと思うんですけど、通常時は、こんな風にのどかな時間が流れています。
こんなよくある景色をレイアウトにうまく再現できれば楽しそうです。
「あー、こういうのあるある」ってな風に。





近鉄奈良線のガーター橋の下まで戻ってきました。
午後2時頃なので、大阪の街も霞んでしまっています。
ちょうど小型車が通りかかりましたが、こんな風にソロソロと走っているだけなので、本当に静かな土地のようでした。





そして、大阪へ下っていく列車が乾いた音を立てて通過していきました。





はるか向こうには「あべのハルカス」。
なので、あそこが天王寺だと。
さっきまで居たところ、となります。
鉄道って、こんなところまで人を簡単に運ぶことができるんですね。





とにかく暖かい日でした。
日程的に春の雰囲気を楽しめる旅だとは思っていなかったので、なんだか得した気分で。





間違いなくここ石切は、大阪平野の街を遠望できる、高低差のある場所でした。
アップダウンが大変なようで、その分生活に苦労されている気配もありますが、普段からこうした風景を見ていれば、差し引いてもプラス要素が残るんでは、と勝手に想像します。

夕暮れ時までいたい気もしましたが、何事もほどほどが肝心でして、駅に戻って次のプランへ移ることにしました。





8000系が入線。
「普通 西大寺」とありますから、優等列車を待避するのでしょう。
こんな山の上で土地の余裕もなさそうなのに。
列車の運行としては不思議な感じが残ります。





ホームに降りて、その列車を観察しました。
近鉄の電車といえばこの方向幕を後付けしたスタイルかなと思っていて、これだけは昔から見続けています。
Nゲージでは設計泣かせな部分ですかね。





でもビックリなのが、最後尾の2両がシリーズ21タイプの9020系であること。
これぞまさに“異形式混結の美学”です。
車体断面というか、車体の規格そのものが違う気がして、なんとも大胆な混結編成じゃないですか。
国鉄型気動車でもこんなチンドコ編成がありました。
こうした編成の面白さは、やはり現地で見て体感しないとわからないものだと思うんですョ。
この編成、模型で再現したらさぞや面白いだろうなぁ…と。





新生駒トンネルを走り抜けてきた通過列車。
トンネルを抜けたらいきなり西陽が当たるのですから、大阪へ出たことを体感できる瞬間なのかな。
鉄道にはそういうシーンが所々にあります。





そして、駆け下りていきました。





代わりに登ってきたのは、阪神9000系。
阪神電車がこんなところを走っていることこそ、関西の私鉄のネットワーク化が進んでいる証。
ここから三宮へ1本で行けるというのは、関東っぽいようで面白いです。
やっぱり寝過ごしたら奈良とか神戸まで運ばれてしまうんでしょうか。





そして、いよいよ石切を後にする列車がやってきました。
やっぱり最後の2両は9020系みたい。
そういう編成ルールなんでしょう。




総じて石切は、鉄道の旅を楽しむ上では「十分な場所」でした。
地形や駅の立地だけでなく、列車本数が多いので、観察しているだけでも飽きないし面白いのではと。
そして、隣接する参道商店街の奥ゆかしさ(笑)。
エンタメ性もあるので、撮影派の方々が家族と来ても「クレープ食べといて~」「占ってもらっといて~」と誘導すればいいのです(やや無理があるな)。
旧トンネル、旧駅など観察する場所はまだありますから、再び訪れてみなければならないかもしれません。

名残惜しい気持ちを堪えて、新生駒トンネルへ入っていきました。
好きなことに拘り続けるのではなく「トンネルの向こう側」も見てみる勇気を持たなくてはいけませんね。
たぶん、そういうことなんです。



(つづきまーす)
  1. 2018/03/22(木) 22:30:00|
  2. 鉄道旅行
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ハイタウン石切(前編)

「日本橋ヒットアンドアウェイ」編からつづく)


2月27日(火)、旅の3日目の話のつづきです。




でんでんタウンを抜けて、PASMOで地下にある近鉄難波線・近鉄日本橋のホームへ降りてみたら、タイミングよく賢島へ向かう30000系ビスタEX(新塗装)が通過していきました。





ところで近鉄難波線は、大阪上本町 → 近鉄日本橋 → 大阪難波という僅か2.0kmの地下路線で、1970年に開業しました。
さらに大阪難波から先は阪神電車と直通運転をしています。
これは2009年のこと。
このときに「上本町 → 大阪上本町」「近鉄難波 → 大阪難波」にそれぞれ改称されたそうです。
そういえば、この前の日には、阪神電車区間で奈良行きの電車を見ていました。
私鉄のネットワーク化はJR西日本アーバンネットワークへの対抗か…。


この近鉄難波線は近鉄奈良線と一体化したダイヤとなっていて、上本町も地下ホーム。これに対して大阪線の列車は上本町止まり(地上ホーム)です。
ただし伊勢志摩、名古屋方面へ向かう特急については難波線へ乗り入れる列車もあるということで、少しややこしい。
京王線の新宿と似てはいるようですが…。

大阪の鉄道には、本来のターミナルが各路線で結構バラバラに設けられたため、後年にそれを補正する動きが見られる、というやや共通した特徴、傾向があるみたいです
(関東もそういう歴史はあることにはあります)。



◻︎ ◻︎ ◻︎



さて、3日目の真の目的は、この「近鉄奈良線」でした。
でも、なぜ特急がバンバン走る大阪線ではなくて奈良線を目的とするのか…。

それは、生駒山地を抜けるプロセスに大きなストーリー性を感じるから、なのです。

関東平野に住んでいると、とにかく街を見下ろせる地形が見当たりません。
「平野」ですからそりゃそうなのですが、例えば多摩丘陵の東の端の稲城市、そのニュータウンから新宿方向に臨む景色とか、そんな場所しかないのです。
それも車でアプローチするしかないような所です。
それだけ「関東平野は大きい」ということかと。





一方、大阪平野。
こちらも似たようなものかと思っていましたが、関東平野とは少し事情が違うようで、生駒山地が南北に屏風のように位置していて、平野の広がりを遮断しています。
つまり「その裾野には大阪の街を臨む場所が存在しそうだ」ということなんです。

そして、その山地を近鉄奈良線が貫いているので、ならば、そんな場所へのアクセスも容易なはず。
ここ数年は、こんな風に近鉄奈良線に対する興味をずっと温めてきました。
この機会に、その生駒山地越えを丁寧に観察しておこうということで、関西方面を旅先としてからは目的地としてロックオンするまでにさほど時間は必要としなかったように記憶しています。





という訳で、近鉄日本橋で乗り込んだのは、急行奈良行き。
9820系は“シリーズ21”です。
そういえばこの表示は、2日目の午後、阪神電車で見かけたものだと気付きました。
宝塚へ行かずに阪神電車でここまで来ることも可能だった訳です。





地上に出て、複々線区間を東へ。





正面に生駒山地が見えてきました。





瓢箪山を過ぎると、いよいよ生駒山地越えに取り掛かります。

まずは、北向きに方向を変える作業から。
ココのポイントは、篠ノ井線の姨捨や中央東線の勝沼ぶどう郷のように、まずは山の裾野に取り付いてから、等高線をひとつずつまたぐように丁寧に登って標高を稼ぐプロセスがあるというところです。

なので、我が乗車車両も東向きから90°向きを北へ変えて、モーター音を唸らせながら登り始めました。








勾配は33‰に達するんだそうです。
神戸電鉄といい、アップトリムに取り憑かれた旅でした。





そして、目的の地・石切に到着。
この先が新生駒トンネルですから、大阪方の最後の駅、となります。
つまり、瓢箪山を過ぎると枚岡、額田という2つの駅がありますが、その先にあるこの駅が一番高い場所にあるということ、なのです。
その標高104m。
瓢箪山は50m程度だそうですから、結構登りました。





山地の斜面にありながら、ホームは2面、線路は4線となっていて、急行も止まるし、始発列車もあるようだし。
なんだか不思議な感じがします。





新生駒トンネルの抗口はホームの奈良方から見えました。
難波方面へ下っていく列車が飛び出てきて、ダイヤも思っていた以上に過密。





橋上駅舎から外に出てみました。
住宅街と言うべきなのか、それも田舎の入口と言うべきなのか迷う雰囲気で、とにかく静か。
近くに大通りもないので、車の音も聞こえません。

こんな駅ですが、想像していた通りの風景は見ることができるのでしょうか…。





ありました。
平野を見下ろす景色が広がっていました。
想像していた通りのようで安心しました。
神戸のときと同じように、街を見下ろせる場所っていいなぁって。
ドラマとかマンガでは、よくこういう場所を効果的に使いますよね。


ちょっとこの辺を散歩してみることにしました。
そのあたりは次回で。



(つづきまーす)

  1. 2018/03/20(火) 23:40:00|
  2. 鉄道旅行
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

日本橋ヒットアンドアウェイ

「大阪潜入」編からつづく)




此花桜島郵便局で貯金を済ませた後は、時間帯の問題なのかわかりませんが、ガラーンとした商店街(?)を通り抜けて、天保山渡船場へ向かいました。
そういえば、20年前にココらへんを歩いた記憶がフワフワと。





看板が無ければ絶対に分からない、素朴すぎる乗船場で、子どもを乗せた自転車を押すママさんとか、営業中のスーツ2人組(先輩と後輩?)とか、当方のように旅行中と思われる夫婦とか、様々な人たちがパラパラと集まってきました。
この堤防の向こう側にそんな待合室がありました。





タダで乗れる船がやってきました。
大阪市のあのマークが付いているので、それで間違いないとわかります。
よくもまあ、近年の大阪市政の荒波を乗り越えて無料のままで続いたものだと。
20年の間には、そんな嵐もありましたよね。

対岸は「天保山ハーバービレッジ」。
標高が低すぎる天保山(4.53m)は割と有名で、幕末には外国の軍艦が近づいたり、砲台が築かれたりと、歴史趣味の中で目にするキーワードです。





大阪湾を行き交う船舶。
鉄道ばかりの旅の中に、ほんの少しだけの船旅というのも悪くない要素で、ここが大阪だと思えばなおさら。
関門海峡も渡船で渡ったことがあり、そのときも旅の中の変化球にはとてもイイ移動手段だと思いました。





スタッフと呼ぶには抵抗がある「船のオッチャン」たちによってすぐに対岸に渡されると、遠くには大阪の都心部が見えていて、この渡船がデジタルな都会の中の“アナログシステム”であるというところに大きな魅力がある。
オッチャンたち、ありがとうございました。







「天保山ハーバービレッジ」には、1990年頃から「海遊館」や「天保山大観覧車」「天保山マーケットプレイス」などがあります。
横浜もYES89の後にみなとみらい21地区の開発が本格化しましたから、要は全国的にウォーターフロント開発がブームだったということなのでしょう。
このブームが港湾倉庫などの施設を次々となくしていき、刑事ドラマによくあるロケ地は消えていきました。
「バブル期の中だった」という要因分析だけで終わらせたくない気もしますが、どうでしょうか。





火曜日の朝でも遠足の団体や外国人観光客などで賑わっていました。
後者については、団体というよりも個人、小グループでたどり着いた雰囲気が目立っていて、アジア方面から来る方々が、インターネットでいろんな情報をキャッチして漏れなく関西地方を回っているようです。
ですから、その行動パターンは、ほとんど日本人観光客と変わらないと思いました。





大阪築港郵便局でも貯金。
お金は貯めるんです!
すぐおろすけど!







そして、大阪市営地下鉄中央線・大阪港から鉄道の旅を再開しました。

中央線は近鉄けいはんな線と相互乗り入れを行なっているため、ここで遂に家電製品のような顔をした近鉄7020系が登場。
7020系は、2004年から、けいはんな線生駒・学研奈良登美ヶ丘間の開業に合わせて製造されたグループで、いわゆる“シリーズ21”に準拠した設備を持っているんだとか。
第三軌条方式(750V)の近鉄電車、です。
たまにありますよね、大手私鉄でこういう規格の異なるやつ。

これで弁天町まで移動。
弁天町からは、再びJR大阪環状線に乗ることにしました。





その大阪環状線の弁天町ホームです。
内回り電車を待っていると、外回りには221系リニューアル車がカッ飛んできました。
リニューアル車も3日目ですっかり見慣れており、カトーの新製品を待つ気持ちに。
こーいうのを「変節」と言うのです。





んでもって、内回り線には特急「はるか」。
大阪環状線を走る電車は実に多彩で次に来るのはなんだろうかという面白さがあります。
要は、環状線でありながらながら、放射方向への輸送も担うこととして、そのルーツは昭和40年代終わりのこと。
環状線を1つの駅のように捉えて、放射部のターミナルと結んでいるようで、この合理的な発想は繰り返しになりますがら山手線では真似できない芸当です。





また323系電車がやってきて。
実は、そろそろカトーから発売される頃なので1人でソワソワしています。
旅に出る前は「これは自分には関係ないなー」と思っていたのですが、旅から帰ってきたら気になって気になって仕方がない。
そうなることは、大方予想していました。
自分からそのテリトリーに入ってしまったのですから。
323系はトミックスの顔もいいと思うんですが、塗装と印刷を加味すると総合的にはカトーの方が満足できるのではないかと(ブツブツ…)





今度は、天王寺を目指しました。
反対からやってきたのも323系。
大阪周辺ではこの顔が大量発生していて、関東に帰ってきてからもトラウマになっています。
そのうち、横断歩道の向こう側で待っている人たちもこの顔になるんじゃなかろうか…。
ネット上では誰かの顔に似ているんだとか、そんな話で盛り上がっていますよね。
当方、そんな話題が大好きだったりします。







天王寺で世代交代の並びを見ることができました。
交代完了の時期もそろそろのようですから、201系との並びも過去のものとなるのでしょうか。





ここから阪和線に乗ろうと思っていたんです。
せめて三国ヶ丘くらいまでは行って、帰りは歩いて南海電車で、とか考えていたんです。
が…

桜島~天保山の移動で結構な時間を使ってしまい、午後に訪問を予定している目的地での時間が圧迫されそうな気配になってきました。
よって今回は泉南地域へ足を踏み入れることは断念。
計画性がないと、こうなります。





その後は、新今宮へ1区間引き返して、大阪市営地下鉄・堺筋線でさらに恵美須町へ1区間移動。
効率が良くないと思える移動を繰り返してしまい、そこまでして日本橋を強行偵察することとしました。
やっぱり模型をやっているんで、どうしても関西の総本山のようなお店は見ておきたいもの。
せめてもの、関西の同好さんたちへの表敬です。
でんでんタウンを南側から侵入。





まずは「ジョーシン・スーパーキッズランド本店」。
いわゆる“序”の本店、総本山です。
その“序”の鉄道模型売り場は、当方の住まいの近くにもあることはあるので、なんとなく品揃え、店頭の出し方は「こんなもんか」と想像していました。
例えば、ビニール紐で縛られた、デッドストック風の車両ケースとか。
よく見るんです、そういうやつを。
もちろん名古屋・大須は例外ですョ。

が、その例外である大須も越えた品揃えには驚きました。
カトーのASSYパーツはもちろんのこと、サードパーティのインレタが整然と壁にぶら下げられていたりして、量販店と専門店のハイブリッドという雰囲気。
こうしたパーツを扱うには、問屋に頼らない一定の知識が必要のはずで、家電量販店なのにそれをやれるスタッフがいるということなのでしょう。





もう一つは、定番のココ(笑)
実はこの前の日の晩にも京都店を訪問しており、この旅3日目にして関西地方の4店(神戸店→梅田店→京都店→日本橋店)をクリア。
なにか景品をもらいたいくらいです。

ココではカトーの阪急9300系を見せてもらいましたが、やや難点があったのでやめてしまいました。
親切に対応してもらったのにすみませんでした
(というか、旅の途中なのに無意識のうちに車両ケースを持ち歩こうとする自分が恐ろしいです)。

もう少し日本橋の模型店を回りたかったけど、持ち時間を考えるとここら辺が潮時。
撤退信号がバシューッと打ち上がったような気がして、そのまま徒歩で近鉄日本橋へ離脱しました。
南から北へ。
1時間に満たない「日本橋攻略」でした。

のんびりとするはずの一人旅が、だんだん慌ただしくなっていて、思えばこの頃から態勢を立て直す必要性を感じてきたんだと思います。
このままじゃ、都会をぐるぐる回っているだけの旅行になってしまう…!

そんな反省もあり、近鉄日本橋からの「予定していた旅」は、その混乱を補正する、ちょっとした癒しのミニトリップとなりました。



(つづきまーす)
  1. 2018/03/19(月) 23:40:00|
  2. 鉄道旅行
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

大阪潜入

「RETURN TO SHINKAICHI」編からつづく)



2月27日(火)。




この旅3日目の行程は、京都・五条通りを東へ歩いて、京阪電車の清水五条から始め、ここから大阪へ行くこととしました。
今回の旅は、まあまあ天候には恵まれている方で、この画像は、晴天の空の下、朝の鴨川を気持ちよく眺めることができた、というシーンなんです。
川沿いにジョギングしている人たちを見ると、なんとなく『京都殺人案内』のワンシーンというか、映像作品でよくある「京都の朝」というシーンそのものでして、こんなところにこそ当方にとっての観光目的があります。







京阪電車には1996年3月に乗っていて、そのときは淀屋橋から出町柳まで、旧塗装の8000系電車でのあっという間の移動でした。
それ以降、記憶は曖昧になるばかりでしたので、もう一度沿線風景を見て記憶を更新しておきたくなったというのが京阪を移動手段に選んだ動機です。





京都近郊を抜けて、丹波橋で後続の特急待ちとなりました。
どうせ大阪へ行くなら、京阪の弾丸サービスをもう一度体験しておきたくなるのが人情でしょう。

反対方向、出町柳方面へ向かう2600系は、ニューカラーではあるものの、元をたどれば大古参です。
車体断面がラウンド的に見え、明らかに現代の車体とは異なる雰囲気。
さらに言えば、なーんとなく昔の小田急っぽいんですよね。





続いて8000系が出町柳へ向かうべく、やって来ました。
スクエアな外観でも「特急」で、近鉄特急と比べればとても特急とは思えないけど、「京阪特急」という捉え方となればこれで大正解なのであります。





そして、出町柳方面へ発車。
昨年はプレミアムシート車の運用が始まり、8000系の編成にまたまた変化が生まれました。
そんでもって着席サービスの発想が突き抜けています。
スピードだけでなく「座席でもてなす」という発想が素晴らしいですよね。
西武のSトレインが芳しくないという理由がわかる気がします。
やっぱり着席の「約束」だけで有料とするのはチープに見えてしまうんですよ。
テレビカーとかもありましたし、関西の私鉄は車内設備サービスによる話題づくり、競争が途絶えません。




この後の通勤通学者に混じって、京橋を目指しました。
線路は、中書島から先、大阪方面へは淀川沿いに延びていて、河川に沿った堤防道路を走る電車という感覚に。
楠葉あたりでは特にそう思いました。
さらには、その線路がよくカーブをしていて、乗っている8000系の先頭部がチラチラ見えるんです。
記憶がちゃんと更新されたことは言うまでもなく、Nゲージユーザーとしては、こういう記憶が模型を見たときにその背景までを再生させることになります。
もっとも、その記憶のせいで財政出動が大きくなるのも大きな問題なのですが、マイクロエースの8000系は既に持っていますから(笑)







9時過ぎに京橋着。
丹波橋から乗ってきた8000系を見送りました(もう少し乗っていたかった)。
ちょうど京阪電車の通勤時間帯を体験した形で、ここで降りる人たちは普段の自分と同じような外観。
そんな人たちは、改札口から吐き出されてどこかへ消えていきました。
そんな自分は今、“異国の地”で一人、首から一眼レフをぶら下げて立っているのですから、面白いことだなと。
仕事を忘れて楽しんでいる自分を、このときあたりからクリアに意識したような気がします。

いよいよ、大阪潜入。
いろいろと消化しなければならないイベントを自分なりに予定しているので、「京阪体験」はこれでおしまい。







JR大阪環状線の京橋へ向かいました。
JRの京橋には初日にも学研都市線で2回来ているので、これで3回目。
その駅前には、朝から営業している「お店」があって、いかにもいかにも…。
でも、大阪っぽくて、これでイイ。





かつてはO‐CAT荷物室スペースがあった、223系0番台。
そんな事実も、だいぶ薄まってきました。

大阪環状線内の列車運行方法には、民営化直後にこの辺を乗り歩いたときに大きなカルチャーショックを受けていて、それは「103系以外の近郊形電車も走っている」ということでした。
仮に関東の例に置き換えるならば、東海道本線の列車が品川から山手線を1周するようなもので、そうなればもはや「事件」です。
そういうことをやってしまう(まぁ、山手線に比べればダイヤに余裕があったからかもしれませんが)ところに、関西の鉄道のカルチャーが垣間見えます。





なのでまずは、ロングシート車を避け、やってきた内回りの225系0番台「関空・紀州路快速」に乗ってみることにしました。
大阪環状線をクロスシートで旅すること自体も、関東の人間にとってはとてもおかしくて貴重な体験なのです。
車内は当然ながら、キャリーケースを持ち込んだ乗客が多く、大阪の都心から関空へアクセスすることにバリアがないことが伺えました。





1周するつもりだったんですけど、気が変わって大阪で下車してしまいました。
「雨が吹き込んで機能していない」と言われる屋根を観察していなかったので、それを見ようという魂胆です。







雨でずぶ濡れになるので各ホームの上家を撤去できなくなって、なんとも中途半端な結果に終わったみたいで、だから「建築という世界は怖いな」と思います。
大阪駅では、その他、初日に訪問したグランドフロント側でも雨天時に傘を差さなければならない動線が発生しているようで、ちょっとまずいことになっているみたい。





683系4000番台。
通称「ヨンダーバード」。
Nゲージではなかなか製品化されません。





今度は323系に乗って、大阪から西九条へやってきました。
ここで、まだ乗ったことがない桜島線に乗換えます。
ユニバーサルスタジオジャパンへ向かう外国人観光客(ばかり)がワンサカと降りて、当方もそれに混じりながら、真ん中のホームに来る列車を待つことに。

西九条では桜島線の列車が、環状線の外回り線と内回り線に挟まれた真ん中(に敷かれている単線)に止まるので、環状線の外回り、内回りそれぞれのホームに降りた乗客を、左右の扉を開けて収容するというやり方を採っていました。
極めて合理的ですよね。

ところで、大阪から乗ってきた323系は「大阪環状線改造プロジェクト」の要となっていて、あっという間に3扉化が進みました。
だから323系は3扉のロングシート車です。
当方は、1990年代半ば、40N改造車で統一された“スーパー103系”に魅了された一人なんですが、あの編成も次第に統一性が失われて、その後は確かに環状線はその通り、バッドイメージを持ちました。
これからのイメージアップ、どうなるでしょうか。





外回りには、再び225系0番台。
E257系0番台に似ていると思っています。





桜島行きとしてやってきたのはオレンジ色の201系ですぜ。
更新工事を受けた車両であるとはいえ、関東で201系という存在は、既に記憶の中のものであって、現実世界で見るものではありません。
30年を超えてもまだ運用されている(することができている)のですから、車両の運命を分ける要素は「設計」だなと思いました。





満員の201系は、ユニバーサルシティで201系の希少価値すらわからないであろう乗客たちをドバッと降ろしてガラガラに。
何台ものベビーカーが、根こそぎ降りていきました。
分かっていたことではありますがが、これほど極端だと、残った人間の方が「一体何者なのか」と指を刺されていそうで、トホホです。
朝の八高線の北八王子の雰囲気に似ていました(いや、それ以上です)。







桜島で降りて、外から201系を観察。
正面には「中央特快」なんていう野暮なサインを出す種別幕もないので、晩年の中央線快速の車よりも「国鉄っぽい」と思いました。
西日本スカートが付いていても、色が黒いですからブラックアウトされていて目立ちませんしね。
鉄道ファンにとって、大阪は罪なところです。





USJの裏を歩いて、貯金目的で「〒」マークが大きく掲げられた此花桜島郵便局へと向かっていたら、途中で「連絡線のりば」という看板がいくつか目に入ったんですね。
で、「そうだ!」と。
この先にタダで乗れる大阪市営の連絡船があることを思い出しました。
「思い出した」というのはそのとおりで、1997年12月にこの辺を歩いて、その連絡船に乗っていたんです。
つまり、「桜島線には既に乗車済みだった」ということが、この瞬間に頭の中によみがえったのでした。
少しアホなことをしたかな。

とはいえ、この局で貯金はしていませんでしたから、ここへ来た意味を再確認して貯金。
男女の局員さんたちにその乗り場を尋ねたところ、親切にも局内に貼っていた時刻表を見てくださり、「もうすぐ出航ですよ」との回答が。
「それなら乗るか」という気持ちになり、JRで西九条まで引き返そうとしていた考えはすっかり消えていたのでした。


(つづきまーす)


  1. 2018/03/17(土) 23:55:00|
  2. 鉄道旅行
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

RETURN TO SHINKAICHI

(「宝塚自転車駐輪場が示す可能性と未来」編からつづく)





宝塚駅前に立つと、遠方の山々にも巨大なマンション群が見え、この土地がベッドタウンとしてとてもよく機能していることを理解しました。

さて、ここで再び進むべき道に悩んでしまったのです。
朝、烏丸で買った「阪急阪神1デイパス」を持っているので、阪急宝塚線に乗って、今度こそ梅田へ戻るべき…と考えていました。
もう16時になる頃合いで、昨日も遅くまでグルグル回っていたことから疲労度も高くなっていて。
まだ旅のスケジュールは3日間も残しているし。

しかし、JR宝塚線に乗れば簡単に三田へ行くことができる…。
三田という街に何か特別な用事があるのではなく、三田から延びる「神戸電鉄」に用があるのです。

お昼に乗車した新開地ー谷上間だけの記憶では、旅から帰ってアレコレと感想をいうには不足気味のような気がしていたのです。
「また次回」といってもいつになるかわからないし。

「それなら、せめて三田から通しで乗っておくか」

そう決め(てしまい)ました。
まさに“気まぐれ列車”で、こんな風に乗り歩くのはとても贅沢なことです。



JRの方の宝塚駅構内に入り、三田までの切符を買うと、直近の上り列車として「特急こうのとり16号 新大阪」の表示。
ならばと、まずは逆方向のホームにへ急いで…





定刻どおりにやってきました。
289系、付属編成が連結された7両での運転でした。





ご存知のように、289系は元「しらさぎ」用683系2000番台で、交直流電車であったところを直流専用化改造により「くろしお」用と、「こうのとり」「きのさき」「はしだて」用に振り向けられました。
現在、後者については「こうのとり」のみの運用となっているそうです。
まさにこれがそれ。





このうち、非貫通先頭車であるクロハ288-2001は、クロ682-2001→クロ288-2001という形式変更を経て、半室グリーン車改造(全室グリーンを半室普通車化)が施された車両。
改造は2016年の12月だったとか。

車体中央の窓部分が半分閉塞されていました。
683系、それも2000番台ですからまだまだ新形式だと思っていましたけど、転用と改造の車歴が残るくらいになったということ。
こんなところにも年月の経過を感じてしまいました。

カトーでは「くろしお」として289系を製品化しています。
現実の世界では「くろしお」にもクロハ化改造が施されているので、模型の世界での今後の展開が気になりますね。





いらっしゃったのは207系。
今回の旅ではよくお世話になりました。

この後、そこはやはり「JR宝塚線」といっても国鉄福知山線ですから、あの生瀬、西宮名塩、武田尾、道場と、風光明媚なところを走る訳で、その通り走り抜けました。
最近の報道では、この区間の携帯電話の電波がようやく途切れなくなったんだとか。
約10分間、車内でジーッとしていなければならなかったようで、通勤通学者には朗報のようです。
そして、その運用は2月23日からということだそうですから、2月26日にこうして走り抜けている当方はいち早くそのサービスを受けた旅行者だったようです。
あらま、知らなかった。

こういう区間の先に、三田という大きなベッドタウンが存在するのですから、神戸圏(と言っていいのかわかりませんが)は本当に面白いと思いました。
お昼は、ダムの先にある住宅地でしたから。





陣地転換終了。
三田に到着して、神戸電鉄の三田駅に立ちました。

先ほどは新開地をターミナルとして観察しましたが、今度は三田をターミナルとして観察。
面白いことに、ココもJRから引き継ぐ形で二次輸送を担う使命を背負っていて、フラワータウン、南ウッディタウン、ウッディタウン中央という駅を抱える、誠にウッディな「公園都市線」の玄関口となっていました。
したがって、両端共にそれなりの通勤通学需要があるようです。





ウッディタウン中央へ向かう2000系電車。
1991年から93年にかけて製造された車で、大きい窓口の下に角型ライトというフロントデザインにその頃のトレンドを感じます。
3両編成と4両編成が存在。
急勾配が連続する神戸電鉄としては珍しく中間用T車が設定されました。





ややこしいですが、こっちがこの後に乗り込んで新開地へ向かう5000系電車です。
1993年まで製造された2000系電車をベースに、1994年から製造。
全編成を4両で組成。
こちらは従来の神戸電鉄らしく、全車オールMです。



この車両、Nゲージで欲しいです(笑)





再び新開地へ向けてGO。

今回はしっかりと風景を記憶に残そうと思いまして、新開地まで「かぶりつき」で行くことに決めました。
しかし、そこには先客がいらっしゃいまして。
神戸電鉄のマスコット「しんちゃん」の後ろ姿をいつまでも拝見することになりました。
それもまた神鉄らしい風景なのでしょう。





有馬温泉方面への乗換え駅である有馬口に到着。
到着する前の風景を見ていると、この先に中規模な駅があると思えなくて、そんなことをお伝えできればと慣れない動画を載せてみました。

お昼には体験しなかった谷上以北の区間も、また勾配やカーブの連続で、一人で黙ってウハウハ。
調子に乗ってiPhoneでガンガン動画を撮っていたらとうとう容量不足になり、慌てて不要な音楽をポイポイ削除したりと、とにかく不審者そのものだったと思います。





鈴蘭台を出て、いよいよハイライト、神戸市街へ今度は「急降下」していきます。
お昼に乗った区間を今度は反対向きに進む形に。
「あ、ウルトラマンだ」
“帰ってきたウルトラマン”でしたっけ、すれ違いました。
これにも乗りたかった…。





降下シークエンスに入ると、休止中の菊水山ホームが見えてきました。
こんなことを書いていたら、この駅が正式に廃止となることが決定したとのニュースが流れてきました。
この中にある「ハイカーらに親しまれてきた」というところがミソだと思っていて、やはりどう考えても、鈴蘭台(都市の近郊風景)→菊水山(ハイカーが降りる駅)→鵯越(都市の近郊風景)という順序が変です。







いくつものトンネルを抜けて、夕暮れどきの神戸の街並みがジンワリと現れてきました。
こうして外を見ていても、どのラインが水平ラインを表しているのかさっぱりわからないところが神鉄の魅力なんだと思うのです。


そして、再び新開地に降り立ちました。
改札口で「神鉄ファンなんですけど、この切符もらえませんか」という背後の声に振り返ると、そう頼み込む人が当方に続いていて、どうやら同じ列車に乗っていたみたいでした。

思うに、例えば箱根登山鉄道もほぼ全線に渡って急勾配区間を持つ路線なんですが、名は体を表すものでして、ネタバレを含んだ路線名というか山々のイメージが強いようです。
これに対して神戸電鉄は「一見、そうは思えない」。
だからこそ意外性があり、先ほどからお話しているように、車窓の展開順序がおかしかったりするものですから「常識」が破壊されて、そのトリコになってしまうのではと。
先ほど、トミーテックから鉄コレで「デハ1350形 4両セット」なるものの製品化が発表されました。
少し「波」が来ているのかナ。

またいつの日にか乗りに来よう。
自分の中でそう誓って、改札口から改札口へと急ぎました。





再び阪急神戸線に乗って、大阪経由で京都へ戻る。
さようなら、神戸。
ありがとう、兵庫県(なんだそれは)。

阪急1000系から見上げる空は、黄昏色に染まりながら六甲山地のシルエットを浮かび上がらせていました。

一人旅なのに、密度の高い、とても楽しい1日でした。



◻︎ ◻︎ ◻︎





十三で神戸線から京都線に乗り換え。
河原町まで、ニセ京都府(市)民になって再び9300系に揺られました。
それぞれの地域の帰宅ラッシュ時の様子を観察するのも、生活の断面が見えて、また面白いものです。





大丸京都店で娘の買い物をして、五条通りのホテルまで歩いて帰りました。





思い入れのある土地の名前が書かれた物体を見ると、なんだか熱くなりますよね。
電車の方向幕しかり、高速道路の看板しかり。
トミーテックのバスコレクションがここまでユーザーに買い支えられているのは、そんな需要をうまく取り込んでいるからかもしれません。

え、西日本JRバス発足30周年記念3台セットに「狼煙」の方向幕?
参ったなぁ。


(つづきまーす)


  1. 2018/03/15(木) 22:55:00|
  2. 鉄道旅行
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

宝塚自転車駐車場が示す可能性と未来

「神戸アップダウン作戦」編から続く)




結局、新神戸から元町まで歩いてしまい、結構バテました。
お昼も、行動時間を節約するために新開地駅のセブンイレブン(つまり売店)で済ませてしまい、お話したとおり後は神戸をグルグルしていたので、休憩らしい休憩を全くしていませんでした。
そして気がつけば、その“セブンイレブン”は朝昼兼用だったりする訳で、一人での行動は欲深くなってダメです。

そこで、1デイパスは阪神電車も乗れるので、これまた初乗車を兼ねて電車の中で休憩することに決定。
この時点では、要は「電車の中で座れるのならなんでも良かった」といえます(阪神電車を悪く言っているつもりはありません)。





阪神電車は地下から地上に出て高架区間を進みました。
西宮で各駅停車に乗り換え。





元町から乗ってきた車両は、阪神5500系で、確かグリーンマックスが製品化していたはずです。
製品の情報には度々接してきましたが、そのプロトタイプとはこういうものだったんですね。
この旅では、僅か2日間でそういう感覚が繰り返し襲ってきて、その度に「これは買うかな」「買わないでおこ」と選別作業の繰り返し。
なんだか模型を買いたくなるための視察旅行のようでもあり…。





反対側には山陽電鉄5000系。
編成の移り変わりと増備の過程に興味が湧く形式です。

山陽電鉄は、関東者としては馴染みの薄い鉄道会社で、今回は新開地から西へ進むことはしませんでしたが、民鉄もポジティブに観察しないといけませんね。
というのも、どうも「いい旅チャレンジ20,000㎞」というかつての国鉄キャンペーン以降、JRを乗り潰すことだけに神経を尖らせていた感があります。
これは大きく反省しなければなりません。





このまま阪急電車で大阪方面に戻ると、時間を余らせてしまいそうなので、電車の中で進路を考え、今度は今津で下車することに決めました。
阪神電車には、また次回ゆっくり乗りたいという結論に。
近鉄との直通運転も確認したいですし。





阪神の今津駅から歩いてすぐの、阪急今津に到着。
ここから阪急今津線(通称・今津南線)に乗ろうと決めた訳なんですが、この両駅の間では、戦争直後の昭和21年12月に「殴り込み事件」と呼ばれる事件があったそうです。
興味がある方は検索してみてください。
たぶんすぐに見つかります。

まだまだ鉄道史には知らないことがたくさんあるようで、修行が足りていません。





阪神国道だけが中間駅で、乗ってすぐという感覚で西宮北口に到着しました。
ここで今津線は「一旦」終点。
さらに北へ進むので、今度は“北線”に乗り換えることになります。

乗り換えが不要だったかつては、同一規格の列車同士(神戸線と今津線)が90°で交わるという配線“ダイヤモンドクロス”が存在した駅です。
そのクロスは1984年に解消され、以降は南北に分断されているということになっています。
北線は地上のままですが、南線は高架化されました。




その今津“北線”のホームから神戸線との分岐を見てみると、カーブしているとはいえ、最終的には90°に曲がっていることが観察できました。
曲がり具合がやはりNゲージのレールのように見えます。





月曜日の午後、帰宅時間を迎えた学生たちに紛れて再び阪急今津線の旅をスタート。

車内も適当な緩い空気が漂っていて、路線図から見ても都心とベッドタウンを結ぶ過酷な通勤通学輸送を担っているような殺伐とした雰囲気はなく、地元密着型の路線のように見えます。


当方のすぐ近くに、帽子を被った“いかにも”というオッチャンが脚を組みながら広告を拡げていました。
見ると(見えてしまうので)ホームセンターの広告のようで、その見出しは …


あこがれの 宝塚の暮らし






オッチャンがそんな暮らしに憧れていたかどうかは謎のまま、電車は武庫川の鉄橋に差し掛かり、左側にはテーマパークの建物のような宝塚大劇場が見えてきました。

宝塚の暮らしがこの地域の一つのアンサーなのかという疑問、そして広告を見る人とその中身のアンバランスさが二重に引っかかってしまい、そうこう考えているうちに宝塚に到着。
車窓をちゃんと見ていればよかった。





宝塚の駅舎は、歌劇団というか劇場というか、そういう要素をイメージした(に決まっている)意匠で、そりゃそうだろうなと。





駅前にはそれなりの像があり、朝晩、通勤通学者もこんな風にクルクル回っているのかなと勝手に想像して遊んでみました。





その駅近くには武庫川が流れていて、さらにその対岸には宝塚温泉がありました。

「ありました」なんてシレッと書いていますが、ここに来るまでその存在を知りませんで、調べてみると“パラダイス”やら「宝塚レジャーランド」やらと、電鉄系レジャー施設の歴史の凝縮のような存在みたい。
当方の地元にもそうしたレジャー施設は複数あり、そして消えていきました。

そう見ると「ひらかたパーク」なんていうのはよくぞ、です。
もっとも、京阪のような宣伝企画に阪急がチャレンジするとも思えませんし、カラーが違う気もします。

いずれにしても、レジャーの形は常に変化していく…ということなのでしょう。





宝塚駅前郵便局で旅行貯金をしたら、すぐそばに気になる物件がありました。
(必要とも思えない)英語の表記も添えられていて、なんとなく“狙っている”魂胆が伝わってきて。なんだかイヤラシイ(笑)

こういう攻め方が通じるのならば、「宝塚」で始まって「場」で終わる施設名を考えて…、こんなテンプレートでいろいろと遊べそうですね。
その施設名は全て漢字ならさらに良く、「宝塚」の後に「大」が続くと最高かもしれません。
当方はこの後十分に遊びましたので、みなさんで考えてください(大喜利ではありません。念のため)。



(つづきまーす)
  1. 2018/03/13(火) 12:30:00|
  2. 鉄道旅行
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
次のページ