しなのさかいの駅前広場

細かいことばかりでよく分かりません。

関西漂流(その3)

「関西漂流(その2)」編からつづく)


奈良まで来て、ここからの進路に悩んでしまいました。

「新快速」とほぼ同時に221系が投入された「大和路快速」から見る車窓も久しぶりに体験したいけれど、ここから伸びる桜井線は一度も乗ったことがない未乗区間。
奈良に降り立つ度に大和路線(関西本線)へ吸い寄せられていては、いつまで経っても桜井線には乗れそうにありません。

思った末、高速運転する221系に魅力を感じながらも、今回はビシッと桜井線に乗ることにしました。
ときには自分の気持ちを殺さなくては、異文化を吸収することなどできないのです(そんなオーバーな話ではありませんね、間違いなく)。





「おお、これは鉄コレのやつだ」
「まだ、近所の量販店には在庫が残っていたかな」

そういう感想はどこかおかしいと自覚しながら、関東では絶滅した103系のような105系を見て、乗る決心を固めました。
鉄コレ云々という前に、コイツが千代田線を走っていたという事実にもっと感動すべきだったのかもしれません。
模型の世界に浸かっていると、たまにそういうことがあります。





沿線の風景に不満はありませんでした。
良い意味で奈良の田舎の風景が保たれていて、ローカル線のミニトリップを楽しめました。

ロングシートですから身体をひねって車窓を眺めていると、次第に座席下のヒーターが熱くなってきました。
もしもモケットを剥がせたとしたら直に電気ストーブが置いてあるんじゃないかと思うくらいで、低温やけど寸前に。
これも「国鉄っぽい」ので、笑いながら許すことにしましたが、地元の人たちはどう思っているのでしょう?
暖かくて眠くなるような穏やかなレベルではありませんでしたね、間違いなく。





クハとクモハの2両編成は、奈良の田舎を揺れながら走り、揺れるたびにつり革がフラフラと。
扇風機、見なくなりましたー。





桜井に着いて、低温やけどの犯人を確認。
床下に電気ストーブをぶら下げて走る105系でした。
こんな機器も絶滅危惧種でした。





105系のパンダ顔の方も記録しておきました。
和歌山地区の単色塗りは、こうした通勤型電車にはよく合っています(あのスカイブルーとは微妙に異なるようですが)。
両車で搭載しているクーラーも異なっていて、紆余曲折の経歴の持ち主であることがよく分かりました。





そうこうしているうちに高田着。
一人で動き回っていると、御飯なんてどうでもよくなってしまうようで、ここらへんから「昼に何にも食べていない」ということに気づき始めました。





和歌山線も未乗なので、このまま直通する105系で行ってしまいたいところなれど、気まぐれ過ぎる選択も少しは戒めなければならないため、大阪方面へ軌道修正することにしました。

次のターゲットは、桜井線と同じように未乗となっている、おおさか東線です。
ここ高田始発で快速JR難波行きがありましたので、日曜日の午後のガラガラの車内へ収まりました。
和歌山線の途中である高田からこういう快速が運転されているなんて、なかなか路線図だけではわからない運行形態だと思いました。







おおさか東線の終点にあたる久宝寺で乗り換え。
このときに気づいたことは、リニューアルされた221系の先頭部オデコにあったJRマークが無くなっていることでした。





さて、ここで見た車両が、おおさか東線で運用されているウグイス色の201系なのです。
関東者から見ると「コレジャナイ」感が満点でして、さらにフロントの白線は不要じゃないかと。
かつて103系では白線が存在しなかった時代がありましたから、何らかの議論があって付けられたものと想像しますが、本当に必要なものなのかと思います。







聞き慣れない路線であり、かつ新しい高速道路のような見慣れない風景。
「おおさか」と平仮名にしてしまう路線名が現代っぽいですけど、平仮名イコールソフトなイメージというのは違うと思います。
そーゆー自治体名が個性や特色を失わせている事例はよくありますから。

外郭環状的に線路が敷かれていて、駅に着く度に、何らかの路線との乗り換えが案内されていました。







その201系は放出まで。
この先、新大阪まで延伸するそうで、そうなると大阪の東側が縦に結ばれることになるようです。

超難読レベルの駅が終点でしたので、記念に看板を撮影しました。
この漢字で「はなてん」と読むことを知ったときは「えー!」なんていう声を上げたと記憶しています。
小学生の頃、クラスで時刻表を見ながらのクイズ遊びをしたときの思い出で、そんなときに必ず出てくるネタが放出でした。
はなてん、ハナテン…。





そのハナテンでEF65 2000番台の単機が通過。
どういう経緯で単機なのかは全く不明。





再び京橋方面、JR東西線へ。
こんなにしつこく乗り回るのは久しぶりで、たまには楽しいものですね。
首都圏ではこんなこと、絶対にやりたくありません。





この日2回目のJR東西線ですので、今度は吸い込まれていくところを撮ってみました。
この上が、かつての片町駅付近だったと思われます。





北新地で下車。
もうお腹が空いて限界でしたので、ここで御飯タイムです。
それにしてもよく乗った1日でした。

それから、ここは「北新地」という駅名ですが、例えば東京駅の“京葉線ホーム”のことを考えると「大阪」と名乗っても問題ない距離感です。
改札を設置しないで両駅を結ぶことができなかったことがその理由なのかしら。
片町駅の消滅といい、事業者の関係といい、さらには正式路線名に「JR」が付されていることといい、JR東西線には大人の事情がいくつもあるように見えます。





そこからスグのところにある「豚々亭」さんに入りました。
iPhoneを持ち歩いていない時代は、こういうときでも「るるぶ」などの情報誌を持ち歩いて、超有名どころを訪問するしかありませんでした。
乗り換えの時間を使って、サクサク検索すれば、簡単にこういうお店にたどり着けるので、やっぱりスマートフォンによって都会志向の鉄道旅行スタイルは大きく変わったのだなと思うのでした。





午後5時なのに、もうトンテキ定食なのです。
早朝の新幹線の中でサンドイッチを頬張っただけなので、ここらへんでもう限界でした。
ごちそうさまでした。







その後、迷宮の梅田の地下街を体験して、この日2軒目となる「ぽち」に行きました。
でも、見学だけ。何も買いませんでしたよ。
地下街は永遠に続いているような気がして、とても面白くて。
異文化圏の空気をたくさん吸ってきました。





「うめきた」と呼ばれる貨物駅跡地の様子を見にきたら「ウメダアイスリンク つるんつるん」という、なにやら脱力感のあるネーミングのスケート場がありました。
気のせいか、こちらの方では昔からよくこんなネーミングの施設を見ます。
「うえほんまちハイハイタウン」なんかが好みの名前なんですが、おそらくまだまだあるんでしょうね、こんなやつ(笑)







昔はなーんにもなかった(つくる土地すらなかった)大阪駅の北口。
再開発というのは恐ろしいもので、20年前の雰囲気は見たところ皆無でした。
こんな一等地に、近年まで貨物駅がデンと存在していたことの方が、どちらかというと信じられない訳ですが、東京でも汐留やら田町やらで同じようなことが起こっていますので、早晩そうなる運命だったのでしょう。
当たり前ですが、かつて貨物駅というものは、人口密集地のど真ん中に無ければ意味がなかったのです。





新快速で京都まで戻ってきました。
日曜日の夕方で、大阪での買い物などから帰るたくさんの人たちと一緒。






それから、ホテルにチェックインする前に気になる物件に寄り道。
開店から2年が経とうとしている「KATO京都店」は、つまるところデパートの鉄道模型売場であり、我々のようなユーザーが足を運ぶところではないと確信しました。
計5日間の中で訪問したのは、後にも先にもこのときの5分間だけです。
関西のユーザーは、江坂のホビーセンターが無くなってしまったあと、その代替施設がこれだと示されても困るでしょうね。

中の人たちは、京都風(?)の衣装をまとい(まとわされていて?)、並べられた数多の車両はむき出しのままLEDを発光させて飾られていますから、薄っすらとホコリが被っていて。
なんだかいろいろと社内的に複雑な事情があって大変そうに見えました(失礼!)。







KATO京都店を後にしたところで、ようやく初日が終わりました。

この後、五条まで歩いてチェックイン。
京都で迎える夜は、実に21年ぶりでした。
それにしても、長い時間が経ってしまいました。


(つづきまーす)

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  1. 2018/03/08(木) 08:00:00|
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