(「宝塚自転車駐輪場が示す可能性と未来」編からつづく)

宝塚駅前に立つと、遠方の山々にも巨大なマンション群が見え、この土地がベッドタウンとしてとてもよく機能していることを理解しました。
さて、ここで再び進むべき道に悩んでしまったのです。
朝、烏丸で買った「阪急阪神1デイパス」を持っているので、阪急宝塚線に乗って、今度こそ梅田へ戻るべき…と考えていました。
もう16時になる頃合いで、昨日も遅くまでグルグル回っていたことから疲労度も高くなっていて。
まだ旅のスケジュールは3日間も残しているし。
しかし、JR宝塚線に乗れば簡単に三田へ行くことができる…。
三田という街に何か特別な用事があるのではなく、三田から延びる「神戸電鉄」に用があるのです。
お昼に乗車した新開地ー谷上間だけの記憶では、旅から帰ってアレコレと感想をいうには不足気味のような気がしていたのです。
「また次回」といってもいつになるかわからないし。
「それなら、せめて三田から通しで乗っておくか」
そう決め(てしまい)ました。
まさに“気まぐれ列車”で、こんな風に乗り歩くのはとても贅沢なことです。
JRの方の宝塚駅構内に入り、三田までの切符を買うと、直近の上り列車として「特急こうのとり16号 新大阪」の表示。
ならばと、まずは逆方向のホームにへ急いで…

定刻どおりにやってきました。
289系、付属編成が連結された7両での運転でした。

ご存知のように、289系は元「しらさぎ」用683系2000番台で、交直流電車であったところを直流専用化改造により「くろしお」用と、「こうのとり」「きのさき」「はしだて」用に振り向けられました。
現在、後者については「こうのとり」のみの運用となっているそうです。
まさにこれがそれ。

このうち、非貫通先頭車であるクロハ288-2001は、クロ682-2001→クロ288-2001という形式変更を経て、半室グリーン車改造(全室グリーンを半室普通車化)が施された車両。
改造は2016年の12月だったとか。
車体中央の窓部分が半分閉塞されていました。
683系、それも2000番台ですからまだまだ新形式だと思っていましたけど、転用と改造の車歴が残るくらいになったということ。
こんなところにも年月の経過を感じてしまいました。
カトーでは「くろしお」として289系を製品化しています。現実の世界では「くろしお」にもクロハ化改造が施されているので、模型の世界での今後の展開が気になりますね。

いらっしゃったのは207系。
今回の旅ではよくお世話になりました。
この後、そこはやはり「JR宝塚線」といっても国鉄福知山線ですから、あの生瀬、西宮名塩、武田尾、道場と、風光明媚なところを走る訳で、その通り走り抜けました。
最近の報道では、
この区間の携帯電話の電波がようやく途切れなくなったんだとか。
約10分間、車内でジーッとしていなければならなかったようで、通勤通学者には朗報のようです。
そして、その運用は2月23日からということだそうですから、2月26日にこうして走り抜けている当方はいち早くそのサービスを受けた旅行者だったようです。
あらま、知らなかった。
こういう区間の先に、三田という大きなベッドタウンが存在するのですから、神戸圏(と言っていいのかわかりませんが)は本当に面白いと思いました。
お昼は、ダムの先にある住宅地でしたから。

陣地転換終了。
三田に到着して、神戸電鉄の三田駅に立ちました。
先ほどは新開地をターミナルとして観察しましたが、今度は三田をターミナルとして観察。
面白いことに、ココもJRから引き継ぐ形で二次輸送を担う使命を背負っていて、フラワータウン、南ウッディタウン、ウッディタウン中央という駅を抱える、誠にウッディな「公園都市線」の玄関口となっていました。
したがって、両端共にそれなりの通勤通学需要があるようです。

ウッディタウン中央へ向かう2000系電車。
1991年から93年にかけて製造された車で、大きい窓口の下に角型ライトというフロントデザインにその頃のトレンドを感じます。
3両編成と4両編成が存在。
急勾配が連続する神戸電鉄としては珍しく中間用T車が設定されました。

ややこしいですが、こっちがこの後に乗り込んで新開地へ向かう5000系電車です。
1993年まで製造された2000系電車をベースに、1994年から製造。
全編成を4両で組成。
こちらは従来の神戸電鉄らしく、全車オールMです。
この車両、Nゲージで欲しいです(笑)

再び新開地へ向けてGO。
今回はしっかりと風景を記憶に残そうと思いまして、新開地まで「かぶりつき」で行くことに決めました。
しかし、そこには先客がいらっしゃいまして。
神戸電鉄のマスコット「しんちゃん」の後ろ姿をいつまでも拝見することになりました。
それもまた神鉄らしい風景なのでしょう。
有馬温泉方面への乗換え駅である有馬口に到着。
到着する前の風景を見ていると、この先に中規模な駅があると思えなくて、そんなことをお伝えできればと慣れない動画を載せてみました。
お昼には体験しなかった谷上以北の区間も、また勾配やカーブの連続で、一人で黙ってウハウハ。
調子に乗ってiPhoneでガンガン動画を撮っていたらとうとう容量不足になり、慌てて不要な音楽をポイポイ削除したりと、とにかく不審者そのものだったと思います。
鈴蘭台を出て、いよいよハイライト、神戸市街へ今度は「急降下」していきます。
お昼に乗った区間を今度は反対向きに進む形に。
「あ、ウルトラマンだ」
“帰ってきたウルトラマン”でしたっけ、すれ違いました。
これにも乗りたかった…。

降下シークエンスに入ると、休止中の菊水山ホームが見えてきました。
こんなことを書いていたら、
この駅が正式に廃止となることが決定したとのニュースが流れてきました。
この中にある「ハイカーらに親しまれてきた」というところがミソだと思っていて、やはりどう考えても、鈴蘭台(都市の近郊風景)→菊水山(ハイカーが降りる駅)→鵯越(都市の近郊風景)という順序が変です。

いくつものトンネルを抜けて、夕暮れどきの神戸の街並みがジンワリと現れてきました。
こうして外を見ていても、どのラインが水平ラインを表しているのかさっぱりわからないところが神鉄の魅力なんだと思うのです。
そして、再び新開地に降り立ちました。
改札口で「神鉄ファンなんですけど、この切符もらえませんか」という背後の声に振り返ると、そう頼み込む人が当方に続いていて、どうやら同じ列車に乗っていたみたいでした。
思うに、例えば箱根登山鉄道もほぼ全線に渡って急勾配区間を持つ路線なんですが、名は体を表すものでして、ネタバレを含んだ路線名というか山々のイメージが強いようです。
これに対して神戸電鉄は「一見、そうは思えない」。
だからこそ意外性があり、先ほどからお話しているように、車窓の展開順序がおかしかったりするものですから「常識」が破壊されて、そのトリコになってしまうのではと。
先ほど、トミーテックから鉄コレで「デハ1350形 4両セット」なるものの製品化が発表されました。
少し「波」が来ているのかナ。
またいつの日にか乗りに来よう。
自分の中でそう誓って、改札口から改札口へと急ぎました。

再び阪急神戸線に乗って、大阪経由で京都へ戻る。
さようなら、神戸。
ありがとう、兵庫県(なんだそれは)。
阪急1000系から見上げる空は、黄昏色に染まりながら六甲山地のシルエットを浮かび上がらせていました。
一人旅なのに、密度の高い、とても楽しい1日でした。
◻︎ ◻︎ ◻︎

十三で神戸線から京都線に乗り換え。
河原町まで、ニセ京都府(市)民になって再び9300系に揺られました。
それぞれの地域の帰宅ラッシュ時の様子を観察するのも、生活の断面が見えて、また面白いものです。

大丸京都店で娘の買い物をして、五条通りのホテルまで歩いて帰りました。

思い入れのある土地の名前が書かれた物体を見ると、なんだか熱くなりますよね。
電車の方向幕しかり、高速道路の看板しかり。
トミーテックのバスコレクションがここまでユーザーに買い支えられているのは、そんな需要をうまく取り込んでいるからかもしれません。
え、西日本JRバス発足30周年記念3台セットに「狼煙」の方向幕?
参ったなぁ。
(つづきまーす)
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- 2018/03/15(木) 22:55:00|
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