しなのさかいの駅前広場

細かいことばかりでよく分かりません。

湖西を巡って、再び京都へ

「万能電車 京阪800系」編からつづく)




浜大津の交差点で電車ウォッチングに興じているとそれはそれで満足できますが、せっかくの機会なのだから乗らないといけませんよね。
京阪京津線の楽しさを味わった後は、「歩くまち・京都レールきっぷ」のエリアを外れますが、京阪石山坂本線に乗ってみることにしました。
滋賀県・湖西地方の旅、です。





再び地図で確認。
浜大津を中心に、北へ向かうと坂本、南へ向かうと石山寺です。
JRよりも細かく駅が刻み置かれていて、より地元密着の輸送を担っていることがわかります。





ちょいと前の京阪カラーでやってきました。
これで、まずは北の坂本まで運ばれてみることにしました。


ところで。
この路線については、古くからグリーンマックスが京阪500・600形をキット形式で製品化していて、Nゲージユーザーとしては「一応知っていた」存在でした。
ベルニナ号の動力ユニットを使うアレですよね、あー懐かしい。

だけど、どうしてこの路線を走る車両が、そんなに古く、Nゲージ黎明期から製品化されていたのか、そこが謎というか、どこか引っかかるというか、スッキリしない興味がありました。
失礼な言い方をお許しいただけるのならば「そんなに有名ではない路線なのに」ということなんです。

グリーンマックスのキットの存在感は、完成品製品が溢れかえるようになると、いつしか薄れていきましたが、最近になって、鉄道コレクションでの石山坂本線、大津線全体の展開が異常な程に。

かつてのグリーンマックス、そして今のトミーテック。
この二社が同じ視点で製品化を試みたのかどうかは全く不明ですが、そういうメーカー達からの提案を自分の目で確かめておきたくなったというのが本音であり、今回はその絶好のチャンスでした。





まずは北へ、坂本へ向かいました。
曇り空が似合う落ち着いた近江路、という風景で、高架線であるJR湖西線の車窓からは感じられそうにない、生活感のある車窓でした。
年齢の低い学生や児童が混じっているため、乗降客からも生活のインフラになっているように見えた程です。

ここまでの同乗者は、そうした帰宅する地元の学生くらいで、駅からすぐに散り散りに消えていきました。
気温は浜大津で感じたそれからさらに下がった気がしていて、大阪と比べると10℃くらいは差があるんじゃないかと思う程。
おそらく天候よりも地形が関係しているんでしょう。





ところで、石山坂本線では、この旅の後の3月17日のダイヤ改正と同時に「坂本」を「坂本比叡山口」に駅名変更しました。
その他「浜大津」を「びわ湖浜大津」、「別所」を「大津市役所」、「皇子山」を「京阪大津京」に変更しています(合計4駅)。
滋賀県の観光戦略に沿った改名だそうですが、浜大津は「浜大津」のままであって欲しかったと。





大津坂本本町局で旅行貯金をしようと、少しだけ街を散策しました。
さすがは「滋賀県」です。
歩いてすぐに飛び出す人が出現。
自宅に置いてある久田工芸製(いわゆる「0系」)と似ていますが、よく見ると髪の毛の線が直線であったり、表情も微笑んでいたりと、微妙に違うようです。
「0系2000番台」といったところでしょう。





今度は石山寺へ向かいます。
坂本で折り返す電車がやってきました。
登り勾配があるため、遠方の風景が沈んで見えます。
坂本は山の麓でもありますから、こうして地形がうねっているのですね。





滋賀里まで戻ってきたら、すれ違った電車が「ちはやふる」ラッピング車。
地方私鉄もいろんなコンテンツで起死回生策を講じているようで、時代も変わりました。
もちろん、こうした話題づくりはイイことだと思います。
ココが舞台なんだと、当方はこれを見て初めて認識したのですから。





浜大津の手前で、再び路面区間に出ました。
この日通算3回目の路面区間体験です。
こうした区間は、今となっては街の風景として貴重なものではないでしょうか。
都会の人は、この風景をスローな要素として憧れているんだと思うんです。

広島は少し例外ですけど、富山や松山、函館などを見ると、落ち着きのある空気を感じます。
嵐電もそうですし、ココもそうです。





終点・石山寺。
こちらへ向かう方が乗降が多く、なるほど大津や膳所、瀬田に近いこともあって沿線にはマンションが目立ちました。
京津線を含めた「大津線全体」の輸送断面には極度な差があるようです。





少し歩いて石山寺局で貯金。
駅へ引き返す途中で見たのは、瀬田の唐橋でした。
瀬田川で見られるボートの練習風景はここの定番で、川の流れと同じように、穏やかな時間の流れを感じました。
最近、こういう風景に強く惹かれるんですよ。
ダメですねえ。





京阪京津線・石山坂本線の体験乗車はこれにて終了。
石山寺で折り返す電車には、よく見ると800系が描かれたヘッドマークが掲出されていました。
それと、この復活カラーは秀逸ですね。


模型の世界でどうして受け入れられ続けているのか、そんなことを検証しようと乗ってみました。
その答えとしては、2両編成でコトコト走る電車の姿はまるで大人のメルヘンであり、模型の世界では長大編成に疲れた方にはモッテコイ、だということです。
1980年代、グリーンマックスとしては、路面電車の動力ユニットを開発することはできなくても、石山坂本線(大津線)の車両だったらベルニナ号の動力ユニットを使えば製品化することができると気づき、そこを突破口にして地方都市の「日常風景」を提案したかったのかもしれませんね。
いずれにしても、見ているのは京阪の車両ではなくて、それを通して見える、愛おしいと思える風景だったのでしょう。
そしてそれは、模型で長大編成を走らせたりしても、また、現実の世界で湖西線の車窓から見ようとしても、決して見えない風景なのですよ、たぶん。



JRで京都へ戻ろうかとも考えましたが、京都に泊まる最後の夜でもありますから、京都「駅」ではなくて三条へ戻ることにしました。
なので、みたび浜大津からは京津線です。






20km/hの速度制限がある「直角カーブ」を抜けると逢坂山トンネル。
画像でお判りいただければ幸いなのですが、ジェットコースターの最初の登り勾配そっくりでした。
奥に見える国道1号が、ほぼ水平を表していると思います。





ジェットコースターですから、サミットを越えたらまるでノンブレーキのような下り方(ウソです)
大谷を過ぎて、勾配の上から追分を臨むと、この駅が急勾配の途中に平らな土地を確保して設置されていることがわかりました。
止まらないで下っていきそうですけど、そこはオールMの800系。
粘着力を発揮して、フツーに停車していました。





追分を出発しても、さらに「降下」。
念のために言いますが、これ、トロッコで下っているのではありませんのよ。

こんなんでもインターアーバン路線なのですから、神戸電鉄のときと同じように常識が破壊される訳です。
鉄道模型をやる人間として、とても貴重な経験となりました。
これで「大津線はこうだ」としゃべることができそうです。





時刻は17時近く。
800系とのすれ違いもこれで最後。
再び地下区間へ入って京都へ吸い込まれていきました…。



□        □        □





京津線・地下鉄東西線を三条京阪で降りて、京都へ戻ってきました。
時刻は17時を回った頃。

滋賀県では全く見ることがなかった観光客が、三条付近では溢れかえっていて、どこを歩いても聞こえてくる言葉は○△□…です。
そういえば3日目の夜に見た京都タワーの回りもそうで、隣の家電量販店の下は異国情緒満点。
かつては、夜の京都駅周辺なんて、コンビニが開いているかどうかという程度だったんですよ。

ひょっとしたら、あの落ち着いた風情の京都は、もう永遠に戻ってこないのかもしれませんね。
国策をトリガーとして、海外の経済動向が影響している訳ですから、この流れはもはや制御できそうにありません。





鴨川の風景も、2月末、平日なのに人が多いようでした。
さらには、河原には集団で固まる方々が多く見られ、誤解を招くかもしれませんが、ちょっと治安的な不安を感じたりして。
すみません、決して「分断」を煽るつもりはないのです。
ただ、治安的な不安要素はどうしても拭えないということなんです。

夕飯の場所を探そうにも人の流れが激しく、また少しでもネットで有名なところはどこも満員のようで、結局は「王将」で(情けない)。
上の娘が中3のとき、つまり3年前、タクシーによる班行動で入った店が「来来亭」だったらしく、その当時親として大笑いしました。が、まさか自分がそういう選択をするとは…。
「来来亭」はタクシーの運転手さんのオススメだったということで「なんという適当な人なんだ」と思いましたが、今思えば「余計なセンスを出してお店を探しても“いいお店”になんて出会えないよ」というアドバイスだったのかもしれません。





そして先斗町。
(当方もその中の一人ではありますが)狭い通路が人だらけでとんでもないことになっていました。
20年前は、先斗町って「知る人ぞ知る」通りだったんですが、今ではまるで「竹下通り」です(笑)
ボンヤリと灯る明かりが日本の風情を醸し出していて人気があるんでしょう。
そのうちクレープ店が出現しそうな、密度の濃い商業集積地域でした。





デジカメの時代でもありますから、こんな風に写真が撮れちゃうので、街を散策したくなる気持ちもわかります。





四条河原町。
信号待ちの風景を見ると、なんというか、人が歩道からはみ出ていて、そして溢れているのですよ。

なお、四条通りは最近になって歩道が拡幅されました。
歩きやすくなったものの、歩行者の数が増えていて、それでも歩きにくい。
グループ客が多いから、突然路上で固まり始めたりして流れも悪いし。
それで、車は渋滞。

今の京都をどのように評価したらいいのかわからなくなりました。







19時過ぎまで四条通りを行ったり来たりして、ついでに祇園を見学しました。
ここら辺には、かろうじて昔からの京都が残っていましたが、料亭の外には河原町からはみ出してきた方々がチラホラと。
数年後には、この辺に大手外食チェーン店が出店しているのかもしれません。




とはいえ、細かい路地に入り込むと、まだまだ懐かしい京都を発見することができました。
例えば、町家の名残りを発見すれば幕末の時代を想像できますし、そこに灯る明かりを見れば、その建物で今でも営まれている暮らしを想像して、憧れてみたりできる…。
こういうのって、清水寺や金閣寺では感じることができないメンタリティだと思うのです。

やはりその土地での風景の切り取り方、自分の身をどういう風景の中に置けば「非日常」を感じることができるのか、が“観光”をする上で大切になってきているのでしょう。

情報に従って「楽しいはずの場所」に行って、実は楽しくなくても「楽しい」と言って写真を撮って帰ってくる。
そんな風に有名観光地をスタンプラリー形式で回るんじゃなくて、あえて観光地をスルーする勇気を持ちたいですね。
自分だけの「とっておきの場所」を見つけて、できることなら、そこを大事な人とだけで共有する…。
2日目に訪れた、神戸の坂の上から見た海の景色はまさにそれでした。
ごく普通の住宅地でしたけど、当方にとっては大切な場所になったのです。

産業化してしまった「観光」には、こうした視点を持つことがそろそろ必要なのかもしれません。
観光地が観光を産業としながら、人口が減少することなく繁栄してくためには。
そうでなければ、どの観光地も“京都化”していくような気がします。
そして、さらにその先にあるのは“清里化”なのではないでしょうか。

「文明」に触れて「楽しい」と言うことと、「文化」を見出して楽しさを感じることは、似ていてもその意味が大きく異なるのです。
目的地を訪れて、一体どんなことを「受け止めたい」のか。
そして、どういう空気を吸いたいのか。
少なくとも「見たい」という動機だけでは旅をしたくないなあと、そう思うこの頃なのです。

難しいことを言っていたらゴメンナサイ。



これにて4日間に渡る京都の夜ともお別れ。
旅行会社のパンフレットに書かれていたとおり、暮らすように過ごした京都でした。
少し寂しくなりました。

次はいつになったら来れるのか。
それまでは「探偵!ナイトスクープ」でも見て、画面から関西の空気を吸い続けることにしましょうか。


(5日目につづきまーす)

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  1. 2018/03/31(土) 12:00:00|
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