しなのさかいの駅前広場

みんな考え始めているようです。いろいろと。

2匹目のスノーラビット(2019年版)

こんにちは。しなのさかいです。

年が明けてしばらくは戯言ばかりを書いていたので、ここら辺で軌道修正。
もう1月も終わろうとしているのに。
ですから、少しは鉄道模型のことでも書いておきましょうか。



昨年末はカトーの年末アイテム「ななつ星in九州」が話題となりました。
久しぶりにユーザー間での共通したネタとなり、ちょっとしたコミュニケーションが発生したように見ています。
ネタはともかくとして、メーカーがこういう仕掛けを施すことはとても大事なことだと思っています。

当方はかねてから触れている通り、今の時代の豪華列車というものにどこか異質なものを感じていて、なかなか素直に触手が伸びません。
しかしながら、各方面からレポートされる「模型としての完成度が高い」というコメントには少しグラついて、2回目出荷を複雑な思いで待っている(のか?)状態なんです。
もう少し考え続けてみようかと思いますが、それも店頭在庫があればですね。





何が言いたいのかというと、当方にとっての昨年末のアイテムは「再生産品」だったということです。
カトーから約10年ぶりに、北越急行683系8000番台「スノーラビットエクスプレス」が発売されました。

多くの小売店ではユーザーからの再生産要望を強く受けていたようで、これがメーカー側に伝えられた結果のようです(どうやら)。
最近こういうパターンでは、新製品との絡みのない唐突な再生産が行われたりして、違和感の温床となりかねないのですが、今回ばかりは多くのユーザーが待ち望んでいた再生産でしょうから、そうでもなさそうです。
当方もそんな方々の気迫を感じていたので、安全措置として再生産品なのに予約を入れていました。



ずいぶん前にもこの製品をレポートしています。
そのときは手にした瞬間、残念な気持ちが襲ってきて、その後すぐに手放してしまいました。
詳しくはクリックしてお読みください(10年前のことですから、おかしなことも書いていますが御勘弁を)。
681系2000番台の方は、処分などせずにちゃんと持ち続けています。







今回のロットは「塗装と印刷の勝利」と言えるほどの仕上がりで、自分の顔が“ほくほく”。
特にワインレッドの光沢が上質で、見ていてウットリしてしまいます。
以前指摘した、白い部分へのワインレッドの色飛びもなく、印刷はビシッと決まっていて問題なし。
ロゴマークにも妙な擦れ跡はありませんでした。
今回ばかりは埼玉の工場の印刷部屋、丁寧にやってくれたようです。
いつもこうであると嬉しいのですが。





非貫通先頭車にはスノープローを取り付けて、これまた見栄えが良くなりました。
今回から品番4683ND「クロ682-2000台車」が使われるようになりましたので、スノープローを取り付ける台座が存在するのです。
ここにHB-E300のスノープローを取り付けてみましたが、いかがでしょうか。





「クモハ683-8000SRE台車」は従来通り(4514-2D)ですので、取付台座がありません。
ですから編成全体に渡ってスノープローを取り付けるようなことはしませんでした。
いずれはそのような改良が加えられそうですが、そうしたASSYパーツ情報を敏感にキャッチしなければならないので、以前に「しんどい」と申し上げたのでした。
それにしても、この4683NDって果たして何を生産したときに改良された台車パーツなのでしょうか。
ホビセンフェスティバルで白衣を着た方に聞いてみることにしましょう。





ちなみに手元にあるサンダーバード・リニューアル車(比較的最近の生産品)でも「4683D」のままでした。
ですから、313系1700番台のスノープローを取り付けていますが、これは313系の前面用カプラーの「箱」を避けるように薄く作られているので、それが存在しないクロの下に取り付けるとペラペラに見えてしまうんです。
やっぱりクロに限っては4683NDに交換した方がよさそうですね。





中間先頭車には、手元に残っていた4683G「クロ682ライトユニット」(白色のユニットです)を組み込んで、とりあえず点灯化。
ヘッドライト専用化基盤も組み込む必要がありそうです…。





複線電化区間は自然と「特急街道」と言えそうな雰囲気ですから、やはり683系を撮るならこのボード。
もちろん撮影者など誰一人いませんから自分一人で取り放題で、電車の方が「なんなら停めましょうか?」と一時停車してくれます(笑)

683系0番台との混結もおもしろそうで、そうした遊び方をしていくべきなのでしょう。
和倉温泉に行く列車としてはまぶしすぎます。
北陸関連のアイテムもまだまだ捨てがたく、しばらくはこうして収集していくことになりそうです。
かといって、えちごトキめき鉄道の車両までは欲しくないんですよね。
ワガママでごめんなさい。





北越急行の681系と683系が誕生した経緯については、このバックナンバーが詳しいようです。
「雪国を駆け抜ける『スノーラビット』」という題で、10ページに渡って北越急行の方が寄稿されており、我が家の本棚から引っ張り出して改めて熟読してしまいました。
皆さんのお住まいのお近くに古本屋があれば、格安で手に入るかもしれませんね。
手元に引き寄せた模型に奥行き感を持つことができるということで、お勧めしておきます。





こんな近代的なスタイルでも、古びたホームに滑り込むことができるのならば「列車の旅はやっぱり在来線だよね」となるのです。
新幹線は時間の短縮効果しか生みませんから、都会の空気の真空パックのような感じ。
その証拠にドアが開くときも「プシューッ」ていう音がしますし(笑)
しかも、整備新幹線の駅はだいたい荒野に設置されたりしますから、なおさらなんです。
車内サービスもどんどん失われていきます(つい先日、そういう発表がありました)。

この国における列車の旅は「東京の空気の真空パック」か「豪華にお食事」かという両極となってしまっており、その中間が存在しなくなりました。
いずれにしても、顧客ニーズを捉えた結果なのでしょうが、「そうじゃないんだよなぁ」と思ったりもします。
平成時代の特急列車。
その代名詞ともいえる683系を手にしながら、ぼんやりと考えてしまいました。



(おまけコーナー1)



ついでにC622、C623を重連でぶん回しました。
蒸気機関車のサウンドカードを使用すると、カードの仕様がコントローラー同調となっているため、ドラフト音のピッチをムラなく狭めていくことにはテクニックが必要なんです(レールの状態にも左右されます)。
ところが不思議なことに、機関車を重連にしてみると、そのムラが無くなり、気持ちいいほどにコントローラーに同調します。
余りにも気持ちが良すぎて、今更ながらウハウハで遊びました。
ちょっと北海道の風景が浮かんできましたので、そちらで遊んでみようかな。
早いところC62のサウンドカードが欲しいです。



(おまけコーナー2)



昨年12月から正月にかけて、トミックスの小田急70000形GSEは「車両同士の間隔が広がりすぎ」だからとTNカプラー0337への換装を必須とするレポートが多かったようです。
当方もソロソロかなと腰を上げ、カプラーポケットをカットする前にあれこれと思案してみたところ、カトーの車間短縮ナックルカプラーで十分じゃないかという結論になりました。





こうして前から見ても編成美を損ねるような連結間隔ではありません。
おそらく0337に換装した場合と比べても、わずか2ミリ程度の違いではないかと見ています。
もっとも、当方が密連形TNカプラーへの換装にブレーキをかけたのは「実車自体が棒連結器だから」。
TNカプラーにしても「ウソ」になるんだったら、車間短縮ナックルカプラーをプラレールのフックのように使ったって同じことじゃないかと思ったのです。
R243でも干渉することなく曲がってくれました。
模型と向き合うことに関しては、リアルさの徹底追及と割り切りが共存する必要があり、意外とそれで問題ないのです。




GSEの箱根駅伝での映り込みは、やっぱり確信犯だったのですね。
復路でオルゴールを鳴らしながらカットインしてきたときは「絶対にわざとだよね」と家族の前で大笑いし、前の年のアンパンマン号と同じテイストを感じてしまいました。
今回の年末年始では、どんなバラエティー番組よりも笑えるシーンでしたョ。
小田急さん、ありがとう。

ではまた。

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  1. 2019/01/26(土) 11:00:00|
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再び伊那谷の終点へ

「奈良井のケーキと馬籠の夕焼け」編からつづく)




12月30日(日)。
2018年の年末、極まれり…という日であっても我が家はまだ昼神温泉にいました。
チェックアウトの後は、2年前に訪れてみたら意外にも楽しかった神坂神社詣でをしようということになり、山坂道を登坂開始。

その途中では「滝見台」に寄って「皿投げ祈願」をしました。
お休みだった門前屋さん(滝見台の下にあるお店です)の御厚意でお皿を買うことができたのは幸いで、その場でマーカーを借りて書き込み。





当方のお皿には、これまた例によってこんなことを書いておきました。
だいたい御利益はあるようですので、皆さんも試してみてください。
ただし園原まで足を運ぶ必要があります。





もう一度、地図で位置関係を確認しておきましょう。
神坂神社周辺が中央自動車道・恵那山トンネルのほぼ真上であることがお分かりいただけると思います。
伊那谷の南端は様々に解釈できますが、少しだけ西へ転ずる形で、ここも「端っこ」と言えるのですョ。

「ヘブンズ園原」は阿智村のスキー場で“夜になると満天の星空を拝むことができる”という触れ込みでロープウェイ(ゴンドラ)を営業しています。
そういえば前日の夜、宿ではミニツアーが催行されていました。





神坂神社、再び。
参拝者など誰もいません。
巨大な杉の木が何本も天に向かってまっすぐに伸びていて、まずはこれが目に入ります。
あたりは静けさが漂っていて、鳥の鳴き声か風の音くらいしか聞こえてきません。
そして天気は冬晴れで、午前に広がる空は真っ青で。
こういう場所、「とっておきの場所」と言えましょう。





特筆すべきことは、神社の横に「古代東山道」が美濃へ通じていることなんです。
だからここにこうした社があるのも理解できますよね。

実質的には登山道のようなもので、神社前の駐車場へ車を置いて、ここから徒歩で神坂峠へアタックする人もいるみたいでした。





かつても「この先にはみやこが…」なんていうことを考えて登っていった人が大勢いたのでしょう。
昔も峠越え、国境越えのプロセスにはそんな高揚感があったに違いありません。

このか細い道が、数百年後には真下にある恵那山トンネルに置き換わったことになるわけで、長大トンネルに何らかの想いを馳せる方がいればいいのですが、おそらく大体の方は「なげートンネルだなぁ」というマイナス思考でハンドルを握っているのでは。
「その真上にはこんなドラマチックな場所があるのですよー」と教えてあげたくなりますよね。
そんなことをいろいろ考えてしまいました。





神坂神社から麓に戻る途中では再び「信濃比叡」にも立ち寄りました。
ここは「比叡」の呼称が全国で唯一許された知る人ぞ知る、という場所です。
あの「不滅の法灯」も分灯されていますし「根本中堂」もあるということで“ミニ比叡山”な感じ。

12月30日というお正月前の半端な日ですから、やはりここも我が家だけでして(2回目の訪問ですから分かってはいたことです)。
でも逆に、住職さんには「年末に来られることはとても大事なことですよ。よく来られました」ということで歓迎され、まぁ座っていかれなさいとのことで、般若心経を唱えることの意味を教えてもらいました。
まさか今回の旅で般若心経を知るとは思っておらず、ちょっと得した気分になりました。

教えてもらった後、娘たちには「アウトドア般若心経」の存在もそっと教えておきましたが、そちらにはあまり興味を示しませんでした。





ここから南アルプスを望むと、いにしえの旅人の気分になれます。
この景色は間違いなく数百年前も同じですね。





信濃比叡の住職さんに歓迎してもらえる意味も分かるんです。
こうして「ヘブンズ園原」を眺めれば、この日もやはり家族連れと思われる車で駐車場が埋め尽くされていまして。
一般論として、温泉宿をチェックアウトすれば、まずはこういうレジャースポットをめざすものなのでしょう。
鬼怒川温泉と日光江戸村たちのようなものです。
それなのに我が家は、あえて誰もいない隣の尾根を登っているのですから(笑)

でも、こうした所で見る方が、同じ景色でもより良く目に焼きつくんじゃないかなと思ってみたりします。




その後は伊那谷ドライブとなり、ドライバー以外は寝たり起きたりの繰り返し…





「だったらば…」
せっかくなので飯田線の空気を少しでも吸って帰ろうと考えて、七久保駅に寄ってみました。
あいにく列車が来る時間帯ではなかったので、駅の観察だけです。





豊橋方を見て…






辰野方も見て。
当たり前ですか、やはり列車が来る気配などなく。
のどかな風景が広がっていて、帰りたくなくなります。

前述のとおり伊那谷は「谷」といってもV字状の木曽谷と比べてとても緩やかな谷で、どちらかというと盆地のような感覚です。
ただ、この飯田線の七久保付近は、谷の中腹を縫うように走っているため、駒ヶ岳方面から吹く空っ風が「ゴーッ」と駅を抜けて街の方へ降りていきます。





南アルプスを見るならこの季節…という気持ちになります。
こうやって駅名標と重ねて見ることができる七久保駅は、当方にとっては間違いなく観光スポットであり、313系が入らなくても絵になると考えます。
さすがに訪日客はここまで来ないでしょうから安心してまた来ることができそうですね。





「グリーンファーム」でお正月用の野菜をたくさん買って、その駐車場から見た南アルプス。
冬の伊那谷は見どころがたくさんあります。


ところで「グリーンファーム」はこの冬、隣の敷地に建屋を新築して移転するそうで、もうほとんどその準備が整ったようでした。
オンボロ(失礼)の佇まいが大好きだったのですが、空調も整うようですからそれはそれで良いことなのでしょう。
移転しても店頭で販売している大学イモはやめないでくださいね。
それから骨董品の販売も。
今回は国鉄時代のポイント転換表示器が20,000円で売られていましたが、ノリで買うものではないなと戒めて、そのまま帰りました。
興味のある方は伊那へ急行してください。





伊那谷のもう片方の「端っこ」は諏訪湖。
ここへ到達することで、神坂神社から北上して地形的に伊那谷を縦走し尽くしたこととなりました。





日没まではもう少しあるようで、上諏訪温泉の宿泊客が手持ち無沙汰に湖畔を散歩していました。





その後は我が家の庭のような甲府盆地へ。
「小作」竜王玉川店でシメの“ほうとうタイム”となりました。
店内は家族、いや「一族」と言えそうな多世代ミニ団体客ばかりで、「この地域では年末にほうとうを食べる文化でもあるんかいな」と思うくらいの混雑ぶりで。
いろいろと観察してみるものです。





ダメ押しのおみやげは、談合坂SAで買い求めた台ヶ原宿金精軒の「くるみ信玄餅」。
内容だけでなくデザインも優れています。



以上が2018年の締めくくりでした。
お付き合いいただきありがとうございました。
ではまた。



  1. 2019/01/18(金) 22:30:00|
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奈良井のケーキから馬籠の夕焼けへ

「信濃境で35年後の185系、そして山賊丼」編からつづく)




小松食堂で山賊丼のランチを済ませた後は、小野酒造店で「夜明け前」を買って、年末恒例の木曽路ドライブをすることにしました。
この日の宿泊地は、またもや昼神温泉に定めていたので(ワンパターンですが)、国道19号を南下して日没までには「馬籠宿」へ到達することが目標。
伊那谷(中央自動車道)を進めば早いけど、どうしても冬の木曽路の景色の方が見ていて印象深いし、日差しの強い伊那谷はこの季節、午後の時間帯に南下するとずっと西日を当たり続けることとなるので、面白くありません。
だから迷うことなく「木曽路」、というわけなのです。





国土交通省が設置した温度計が「1℃」とか「0℃」を示す国道19号。
信号に引っかかることなどなく、ひたすらトラックの後ろを追いかけながら「半日村」のような、日影ばかりの木曽路をひた走り、奈良井駅までやってきました。
ここら辺で14時でして、コーヒーブレイクすることも定番化しています。





ちょうど313系1300番台が木曽福島へ出発。
旅先で車両に出会うとき、その1/150を持っているときは安心感があり、そうでないときは「帰ったらすぐに近所の量販店へ…」なんていうことを考えることばかり(散々説明してきましたが)。
今回はもちろん前者なので気持ちに余裕がありました(笑)





「奈良井宿」は何度来ても「程よい保存」が行われていて心地よいし、安心感があります。
同じ“木曽十一宿”の仲間であり、街並み保存のパイオニアである「妻籠宿」は、もはや「◯ー◯◯タウン」と化していて、一度連れて行った娘たちはあまり行きたがりません。





雪がチラつく中、今回は古民家カフェの「こでまり」さんに寄らせてもらいました。
入口は正に江戸時代の建物のそれで、狭い戸を潜るときに頭をぶつけそうに。

こういう喫茶店は妻籠宿には存在しません。
妻籠自身がそういうことにしているからなのです(詳しいことは省略)。





チーズケーキと濃いめのコーヒーでブレイク。
薪ストーブの暖かさも加わり、静かでゆっくりとした時間が流れていました。





年末のザワザワした日に、深い木曽谷の中で過ごす静かな時間は、都会の人間にとってはとても贅沢で、一度経験してしまうと、やめられなくなります。
もちろん、店内にテレビやラジオ、BGMの音などは鳴っていません。
ひたすら薪ストーブの「ゴー」という音だけです。

こうして中から外を見ていると、明らかに訪日客と思われる方々が楽しそうに写真を撮っていました。
しかし“まだ”個人的な少人数のグループのようです。
京都や鎌倉のオーバーツーリズム状態を見ていると、そのうちこの辺にも波が押し寄せてきそうな気がして、こうした静かな場所も「そのうち面倒なことになるのかなぁ」と思ってみたり。
いずれにしても「観光地」という場所に求める本質を見極めないといけない時代であることは間違いないでしょう。



再び車に乗り込んで、1時間(木曽路は長いです)。





日没ギリギリの馬籠宿に到着しました。
京都方での木曽路の入口で、坂の下、濃尾平野へ向かって広大なパノラマが広がっています。





中津川の街を遠望。
おそらく中央自動車道の中津川ICあたりかな。
あの辺りまで行くと、もう「名古屋文化圏」です。
こういう境界を感じるプロセスが我が家の旅には大事。
「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」で県境を越えるときにやるアレのような感じです。





行灯がともり始めると、もうそろそろ木曽路は闇の中。
そんな頃合いでも、下のバス停(中津川駅からのバス)からキャリーカートを引いて登ってくる外国人がチラホラいて、数年前に感じたとおり「こんなところを宿泊地に選ぶなんてなかなかいいセンス」と感心。
気のせいか、数年前よりもゲストハウスのような物件が増えているようでした。





そして日没の時刻となりました。
2018年の年末も、ここでの夕焼けを見ることができ、まずはホッとしたところ。
しかしその次の瞬間「また来年も来れるだろうか」とさみしい思いが押し寄せてきて、結局はそんなことを繰り返すんだろうなぁと考えてみたり。
でも最近は、そんな繰り返しでいいんだろうと思うようになりました。



この後は、完全に闇と静寂の中となった国道256号を昼神温泉へ走って、「湯多利の里 伊那華」で1泊。

昼神温泉へは中央自動車道で恵那山トンネルを抜けて園原ICへ行くのが順路なのですが、はるか先の中津川ICへ出る必要があり、ハードな大回りとなるので、今回は国道を選びました。
数年後には中央自動車道の神坂PA(馬籠宿に至近)がいよいよスマートIC化するそうですので、そんな必要はなくなりそうです。
でも、馬籠宿が一気に俗化しないか、そんな点が心配でもあります。


(つづく)


  1. 2019/01/14(月) 17:20:32|
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信濃境で35年後の185系、そして山賊丼

おはようございます。しなのさかいです。

年末年始のお休みも完全に過去のものとなり、気がつけば普通の生活の中にいるわけです。
2019年が楽しく過ごせるか、また1年が平穏に暮らしていけることを願って、日々邁進するしかありません。



さて、今回は年末の「信州ミニトリップ」のお話。
時間を12月29日に戻します。



関東平野の住民は、年末休みの初日であるこの日の朝に出掛けると、十中八九高速道路の渋滞に巻き込まれて首都圏を脱出することが困難になります。
そこで我が家ではそこで、こういうパターンを避けるため、前日の夜のうちに小渕沢まで移動しておくことにしているんです。
そうすることで自宅から1時間30分で移動できます。
当然ながら宿泊料の負担が発生しますが、「渋滞」という非生産的な時間を使うよりははるかにマシだと思っていて、そんな移動時間で済む我が家の土地(いわゆる首都圏の郊外)も捨てたもんじゃないと再認識するわけです。





当方の家族の「大型化」が進んだことからとっくに限界を感じていますが、今回もまた「ファミリーロッジ旅籠屋 小渕沢店」で1泊させてもらいました。
ほとんど仮眠のようなものなのですからこれで可です。
10年くらいあちこちの各店を繰り返し利用していますから、利用履歴が大したことになっているのでしょう。
最近ではチェックイン時に管理人さんからねぎらいの言葉をかけてもらうようになりました(笑)





敷地内から中央東線を行き交う列車を観察できます。
宿泊客の特権ということで、今回も少しだけ戯事をしてみました。
気温は1℃程度。
手の感覚が無くなりそうな中で押したのはこんな写真。
気がつけば東線はE353系がバンバン行き交うようになっていて、E351系は完全に過去の存在となりました。





小淵沢の新しい駅舎の屋上には展望テラスがあり、晴れた日であれば富士山が丸見えです。
山頂付近には舞い上がった雪が見えて、単独峰の凄まじさを観察。
これが冬の富士山なのでしょう。
確かに風の強い日でありました。





朝食は「旅籠屋」の無料パンと、それから小渕沢駅構内で丸政が営業する駅そば。
当方ではなく、女3人のこだわりなので「それならいいよ」と必ず立ち寄ることにしています。
「山賊そば」なんていうのもありましたが、ここはシンプルに「かけそば」をオーダーする方が好み。
何事も基本から、です。





その後は、ひさしぶりに隣の信濃境駅にも立ち寄ってみました。
小渕沢は山梨県ですが、信濃境は長野県となっています。

佇まいはドラマで話題となった約20年前(1997年)からほとんど変化がありませんで、時間の流れが非常にゆるやかなんです。
そんな点が非常に気に入っていますし、ドラマの舞台(田舎の風景)として見出した当時のスタッフの目も間違っていなかったということなのでしょう。
都会人からすれば、「のんびり」という要素はとても贅沢なものなのです。





で、ダイヤを何にも調べないで立ち寄ったので、車から降りた数分後にはいきなり185系特急「はまかいじ」。
慌ててシャッターを押したら、なんだか185系がデビューした35年前に撮影した成果と同じような仕上がりになってしまいました。
ついでにそのデビュー当時に撮影した「成果」ですよ↓


1983112002.jpg

1983年11月20日 熱海

当方にとって「185系」とは、こういうアングルで撮影する対象であり続けたようで(笑)

最近、「踊り子」というネーミングを斬新に感じた1980年代初頭が懐かしくて仕方ありません。
鉄道雑誌も、その他一般メディアも、ネーミングだけでなく、ホワイトボディに斜めストライプという想定外のデザインをまとったこの新型車両を取り上げっぱなしでした。
国鉄に関するその他の明るい話題がなかった点もあります。
また、交通博物館で売っていたHM下敷きも「あまぎ」が収録されている旧タイプが疎まれて、「踊り子」が収録された方を持っている児童のステイタスが上だったと記憶しています。
「『あまぎ』ってなんだよ」みたいな。
そんな当時、当方は知恵が足りなかったので「あまぎ」(=天城)という意味すらわかりませんで、「違うだろうな」と思いながらどうしてもウルトラ警備隊の「アマギ隊員」(古谷敏)のビジュアルが湧いてしまい、困ったものでした。

今思えば「ダンサー」でもよかった気がしますが、「伊豆の踊子」と「伊豆のダンサー」ではかなり意味が変わってしまいますので、やはり「踊り子」でよかったのでしょう(笑)





余談でした。
信濃境郵便局のATMに来た方に「今のは珍しい電車なの?」と聞かれたので、カクカクシカジカと答えたら「へぇー」とのこと。
でも当方が何も知らないで偶然に目撃したことを伝えたら「えぇっ?」
偶然が重なるとさすがに驚き方もオーバーになるようです。

来月にトミックスからリリースされるHG185系(現行タイプ)は、こんな懐かしい頃の思い出をよみがえらせてくれるでしょうか。
(当方は登場時仕様と新湘南カラーを期待しているので今のところ買う予定がありません)。

1981年のデビューからは37年ですか。
お疲れさまでした。
相模の国に住む当方としては当たり前のような存在でしたから、引退の日が迫っている事実にピンときません。
普段から撮影などをしないので積極的に見に行くことをしませんから、おそらくここでお別れとなることでしょう…。





記念に駅名標も。
なんだか不思議とひらがなの方がしっくりくるなあ(笑)





普通列車は115系が当たり前でしたが、今では211系に。
いわゆる「長野色」が秀逸だと思っているので、車両が代わってもそんなに違和感がありません。
211系も国鉄時代の車両だから、でしょうか。







そしてE257系特急「あずさ」が高速で通過していきました。
付属編成が付かない9連だったようです。
こちらもそろそろ見られなくなると思うと、18年なんていうのはあっという間だったんだなぁと(E257系は2001年デビューです)。
2001年も今と同じような趣味をしていて、カトーから久しぶりに再生産された165系PEAを買って喜んでいたりしたのです。
その頃から18年。
恐ろしすぎます。
この趣味(実車だけでなく模型も)をやっていると、やたらと近年の出来事が西暦でインプットされていて、便利なようで恐ろしい面もあり困ります。






その後は、中央自動車道で諏訪方面へ進む手もあったんですが、気まぐれ的に国道20号を走りたくなりました。
なので、一気に谷底まで下り(国道20号(甲州街道)は谷底を走っているのです)、20号を岡谷へ。
そこから今度は国道19号で塩嶺峠を越えてみました(2回目)。
塩嶺峠は我が家の1500㏄でもすいすい登れますので運転していて楽しく、なによりも諏訪湖を展望できる車窓が抜群に面白い。
地形間隔を養うためには、こうしたプロセスを踏むことも重要です。
塩嶺峠から下りきらないところで国道153号へ入り、トラック街道のような風景の中にポツンとある「小松食堂」へ。





本当に周囲に何もない街道のかたわらにポツンとあります。
2018年最後の営業日だったようで、客層は営業途中の会社員だったり、塩尻から来た地元の家族連れだったりと様々。





目当ては500円の山賊丼。
「山賊焼き」というものがのっかったどんぶりメニューです。
「山賊」というフレーズを読んだだけだと素人は「?」ですが、ウイキの解説を借りれば「鶏もも肉を、すり下ろしたニンニクやタマネギを効かせた醤油ダレに漬け込み、片栗粉をまぶして油で揚げ」たもの。
あくまでも「焼き」ではなくて「揚げ」である点がミソです。
松本・塩尻地方のソウルフードとなっていて、その起源は諸説ありそうなので、、興味のある方はウイキで続きをご覧ください。
お肉の下、ごはんの上には大きくちぎったキャベツがのっています。

またひとつ、地域の文化を知りました。

(つづく)






  1. 2019/01/12(土) 11:15:00|
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KATO 2019年5月分ポスターを見て勘違いの怖さを知る

こんにちは。しなのさかいです。

昨年末にカトーから2019年5月分のポスターが発表されました。
今回はこの内容を見て、あれこれ考えてみようと思います。





【20系「カートレイン九州」・EF65 1000(JR仕様)】

20系関連で今度は「カートレイン」だそうです。
この国鉄末期デビューのキワモノ列車、皆さんはどう見ているでしょうか。

当方はこの列車の生い立ちを、「鉄道の輸送使命を意識してその当時の技術的合理性を追求した結果」ということではなくて、「国鉄首脳によるほんの出来心の結果」だったと思っています。
つまり、当時は既にこんな列車を仕立てなくてもフェリーで車を移動させることができましたし、そもそもマイカーを東京から九州まで移動させるニーズすらそんなに無かったのです。
だから「ニーズの掘り起こしをしようとした列車」なのでした。

結果として、この輸送サービスは定着しませんでした。
後に様々な条件(積載できる車の規格制限など)が旅客会社の運行継続意欲をも減退させていくこととなり、結局のところ、サービスの多様性を模索していた国鉄(JR)の「負の象徴」とも言えそうです。
これを「魅力のある列車」と捉えてしまったところに、カトーの大きな「勘違い」があるような気がしますが、いかがでしょうか。
「特別企画品」という位置づけも、ASSYパーツの流通を封じてその単品需要をセット購入へ流そうとする意図が見え隠れしています。
本来ならば、ユーザーに対してセット購入を必然とするような内容にしなければダメなのです。
「特別企画品」という冠を企画力の弱さを補うキーワードとして使う流れができつつあり、かえってみっともないレッテルと化している気がします。

それにしてもEF65の再生産は早すぎますよね。
ついこの前、24系「瀬戸・あさかぜ」で生産したばかりですし、まだまだ市場には残っているのではないでしょうか。
それだけ各企画のつなぎ方に計算が行われていない、“行き当たりばったり”ということなのでしょう。



【スハ32系中央本線普通列車・EF13・DF50】

ユーザーからすれば禁じ手である「特別企画品」の再生産。
客車セットについてはほぼ1週間で市場から消えた、2016年リリースの伝説のセットです。
当方は発売当時に予約してきちんと手にしていましたので、どんなに中古品の価格が上昇しようと眼中にありませんでした。
そのプレミアの付き方を笑っていたつもりはありませんが(手放すつもりなどありませんので)、こう簡単に再生産されてしまうと胸中は複雑です。
「じゃあ“特別企画品”ってなんなのさ」って。
“あったかーい編成”であるのに初夏である5月に再生産する感覚も謎ですし、EF13はともかく、茶色いDF50までを再生産しようとする点も疑問。
「DF50」という機関車に着目すれば、まずは市場から完全に枯渇している朱色を再生産すべきであり、売り切ったばかりかもしれない茶色を再び小売店に持たせるのはどう考えてもスパルタン、残酷です。
丸っこい初期タイプでも生産すれば別ですが。
どこからかのマヌ34再生産要望を素直に受けっとっただけであり、「だったらその牽引機も必要だよな」と考えたものとしか思えません。



【201系中央線色(T編成)】

これも実質的には再生産。
最大の謎は、忘れかけていた中央線の「201系」を、引退から10年弱という中途半端なタイミングで再生産する必要性が全く見えてこないということです。
最近のカトーには「え、なんで今、これだけを?」と思ってしまうような、唐突的な再生産が多く見られるようになっており、これもどこからかの強烈な要望がそのまま通った形のように見えます。
そしてまた、カトーの中央東線シリーズとなりまして、もう本当にお腹いっぱい。
「201系」というメカへの愛情ならば、いっそのこと関西の40N車をつくる方が面白かったと思います。
オレンジとウグイスを製品化できますし。


といいますか、このポスターを眺めて「新規金型を使った車両って何?」と考えると、角屋根のボディにするワキ10000、カヤ21くらいしか存在しないようです。
ほとんどが再生産品で占められているという事実に気づくと「なんなんだ、これは」となります。
これでは面白いはずもなく、小売店もユーザーを来店させるきっかけにはならないでしょう。





【JR四国 2000系 3両セット】
【JR四国 2000系「南風」】
【JR四国 2000系「しおかぜ・いしづち」】(特別企画品)

2018年版カタログにおける「宿題」となっていた2000系気動車は「5月分」ポスターと区別され、「2019年夏」と付されました。
この微妙なニュアンスの変化には注目しておきましょうか。
製品としては3つに区分されていますが、特に目立つ違いはなさそうで、そしてまたここでも「特別企画品」。
なんとなく車番違いを設定して、一気にユーザーに多く買わせようとしているように見えてしまうのですが。
かつてであれば、次の展開、次の次の展開を仕込んでおいて、その長いスパンで金型を償却していくプランが見え隠れしていました。
ユーザーとしてもその方が財政負担的に優しく、歓迎できる展開だったのです。
いずれにしろ、マイクロエースの2000系は側面の湾曲位置がおかしい(下膨れ)ため、その湾曲位置の影響がそのまま出てしまっている正面のふくれた表情が完全に破綻しています。
当方は初回品を買い求めたものの、その破綻を見つけてしまい、すぐに手放していました。
それをカトーの2000系で「買いなおす」のであれば今回しかないようです。

「2424」を特別企画品にするとか、そんな変化球があればよかったですね。
24系「瀬戸・あさかぜ」という企画とも時期的には約1年というブランクを空けてしまったところが惜しく、そういう点でもユーザーを振り向かせる仕掛けに丁寧な組み立てが欠けています。



□     □     □



これにてカトーの2018年度は終わり(のはず)です。
新年度となる6月以降、どんな展開が待っているかはまだわかりませんが、「塗り替え品」ばかりになるようでしたら勘弁してもらいたいと事前に言っておきましょう。
最近は「信州方面」で、中古車両の塗り替えを客寄せツールとしている鉄道もありますから(それはそれでいいのですが)、カトーが模型の世界で追従しないとも限りません。
しかしですよ、たとえ実車の世界で人気があったとしても、模型の世界で人気があるとは限らないのですよ。
「撮影」をナリワイとしている方々が、果たしてその撮影対象の模型を買う行為までしてくれるでしょうか。
塗り替え品を企画するときは「1/150スケールで保管しておきたくなる世界」というものをうまく捉えてほしいナと思います。
だってねぇ、1990年代に生産された「ムーンライト3兄弟」はいつまで経っても小売店の不良在庫となり続け、長い間小売店を苦しめたじゃないですか。
そこには生産するメーカーに何らかの「勘違い」があったように思えてなりません。
最後にそんな教訓を記して、本稿を終わりとしましょう。

ではまた。

  1. 2019/01/05(土) 12:20:00|
  2. 鉄道模型(車両)
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2019年 あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。
しなのさかいです。




2018年12月29日 小淵沢にて

毎年、このタイミングで実に適当なことを書いています。
あらためて振り返ると、この「落書き」、ブログ開設当初ではなく、開設から数年経った2013年の正月からでした。
よくもまあ、新年早々図々しくやってきたものだと反省しています。
1年を過ごす中ではたびたび「そろそろやめようか」とも思うんですが、こうして新年を迎えてしまうと「一応、何かしら書いておいた方がいいのかしらん」と思ってしまいまして。
今年も結局はパタパタとキーボードに向かってしまいました。
どうか、当方のわがままをお許しください。


過去ログです↓
「2013年 あけましておめでとうございます」
「2014年 あけましておめでとうございます」
「2015年 あけましておめでとうございます」
「2016年 あけましておめでとうございます」
「2017年 あけましておめでとうございます。」
「2018年 あけましておめでとうございます。」




さて、いつものように考えてみることとしましょう。
「2018年」という年は、Nゲージで遊ぶ皆さんにとって楽しい1年でしたでしょうか。

もしかしたら、1つくらいは涙を流して喜べるニューアイテムと出会うことができたのでは?
それとも、「鉄道コレクション」をいっぱい買ったがために、大量の箱が雪崩となってあなたを襲ってきたでしょうか。
残念ながら「鉄道模型はもうやめましたよ」なんていう方もいらっしゃるかもしれません。





当方にとっての2018年は…
2017年に引き続いて、目をハートマークにして心から「待っていましたョ!」と言えるようなアイテムは少なくて、例えばこの119系くらいでした。
いわゆる「入線報告」が少なくなった理由にはこうした背景があります。




その「背景」の原因については、これまでにも「メーカー各社に対する所感」という形でお話してきましたね。
おさらいをするとざっとこんな感じ。


【カトー】
関連性が見られない新製品群は、まるで複数の人の好みをそれぞれ具現化した結果のようで、さらには小売店サイドの「これやってよ」という要請に右往左往された結果のようにも。
新規金型で新しい形式をつくれるようになったら、今度は間髪入れず、塗り替え品の製品化発表(もう少し先に送りましょうよ)
地域的な偏りも強すぎて、碓氷峠、信州、北陸、上越といった長野県を取り囲む路線を舞台にしたネタの波状攻撃(当方にとっては好きな地域ですが、さすがにお腹いっぱいです)
気が付けば再生産アイテムが占める割合が大きくなっていて、毎月のポスターの鮮度は明らかに劣化しました。
そして極めつけは、抱えたC62常磐形の在庫を動かそうとしただけに見える「みちのく」という企画。
画家の存在も気になりますねえ。



【トミックス(トミーテック)】
“カトーの沈没”に対して、皮肉にも相対的に企画を注視するようになってしまいました。
デアゴスティーニの企画のような「43.10改正ネタ」はイマイチでしたが、今後のライト・オジサン向けアイテムの展開のための「観測気球」ということであれば「次はいよいよアレか?」となります。
そして、185系や223系2000番台のような、多くのユーザーが待っていたと思われるアイテムを企図するところは、思わず「わかってるねえ」という感想。
ただ、良い意味でユーザーの期待のさらに上を行くような企画があるわけではありません。
仮にそうした企画が見られるとすれば、それは「ジオコレ」方面となるでしょう。
しかし「鉄道コレクション」という簡素な仕様で立体化され続ける展開はやはりいただけませんで、これではNゲージとして存在しないことと同じです。
一度「鉄コレ化」したアイテムを「トミックス化」するくらいの事件が起これば、ユーザーにとっては歓喜となるのでは。



【マイクロエース】
相鉄9000系によって、暴騰した価格の鎮静化が見え始めました。
また、最近は純粋に「再生産」と称するアイテムが多くなっていますが、このことは高騰した価格で再生産することを避けるための理由付けとして「改良品」化をしなくてもよくなった、ということなのでしょうか。
しかしまだまだその確証は得られず、ユーザーとしては相変わらず距離を置いてしまうメーカーとなっています。
そうなんです、マイクロエースとの付き合い方はとっくの昔にガラリと変わってしまっているんです。
今更2000年代のように戻ってほしいとは思っていませんが、たまにはかつての「狂犬ぶり」を発揮していただければと。
そんなエールを送っておきましょう。
JAM会場限定品だったキヤ92は、模型の出来以上に楽しませてもらいました。
今のNゲージ市場には、「製品化する」という情報に接したユーザーが思わずニンマリとしてしまう点が求められているんだと思います。
蛇足ですが、オオカ商事の持ち込み企画「マイクロスピーカーシステム」は、価格が高すぎましたし、あの基盤むき出しのデザインはどうも残念でした。



【グリーンマックス】
EVO103系の新展開(再始動)には率直に期待しています。
ライトユニットの製品化告知により、ようやくうたい文句どおり「ユーザーの手で完成品と同じレベルへ持っていける」こととなりました。
“キットメーカー”という点でこのメーカーのアドバンテージがあるのですから、そもそも完成品で他のメーカーと勝負する姿勢には憂いをもって見続けてきました。
先行メーカーとは、汎用性を意識し過ぎた設計思想とパーツ構成でどうしても見劣りしていますし、その一方でなぜか価格は高い。
これでは買ってきても「手を加えよう」とは思えないでしょう。
手を加える必要性ばかりのキャンバスのような完成品なのに、です。
あえて半完成品状態で出荷して、その後は「ユーザーに委ねてしまう」という“おおらかさ”は、この市場のどこかにあってもイイんですよね。



【モデモ】
とにかく江ノ電でがんばれ(笑)


まあ、このくらいにしておきましょう。


その反面、2018年の鉄道模型趣味の基幹となった方向性は、やはり「レイアウト工事」でした。




2002年に着工してからは、予定がない休日や仕事から帰った平日の夜間など、自分の気力を見極めながらコツコツと工事を続けてきました。
しかし、その途中では長いインターバルを設けてしまうなど、決して前向きでいられ続けた日々だったわけでもなく、どちらかというと次第に車両集めがメインとなる日々多くなっていったような気がします。
「こんなんじゃ、いつまで経っても終わらない」
2016年頃にはそうした自覚が芽生え、2017年、2018年と年を重ねるにつれ、ストイックに作業を積み重ね、とうとう。





簡単に言えば、ボード上のすべての「土地」に何らかのシーナリーを表現できたということ。
もはや利用計画が白紙となったままの土地は存在せず、バラスト、土、草といったグランドカバーは土地の用途に沿って施すことができました。
この作業に没頭している間はなかなかビジュアルに耐える画像を撮影することができず、その結果ブログの更新が途絶えがちだったわけなんです。
あらためてこの場でお詫び申し上げます。
2019年を迎えた今は、ようやく「レイアウトに完成なし」というセリフを言う資格を得たような、そんな気分でいるところです。

とはいえ、ここからは正に「走らせながら手を加えていく」つもりであり、心のどこかには余裕が生まれる見込みなんです。
ですから、車両を増やし続けるだけの遊び方からは何とかして脱し、自分にとって必要とする車両がよりはっきりと見えてくるような、そんな遊び方をしていこうと考えています。


…と、ここまでは、自宅の模型部屋の中で考える自分にとっての趣味スタイルの改革の話。




その一方。
別の角度から、鉄道模型趣味に対するアプローチを変えてみようと考えて出した答えが、長期勤続休暇を利用した2月末の「関西鉄道ひとり旅」でした。






2018年2月27日 石切にて

鉄道模型メーカーから発信されてきた「遊び方の提案」が変容してしまったので、それならば自分なりにフィールドワークをやって、もう一度、実体験から模型の世界へのダイビングをしてみようと考えてみたのです(ちょっとオーバーですけどね)。
思い出せば、1980年代から1990年代にかけて、日本全国を旅してこうしたフィールドワークを行ってきた、その体験が今の模型の車種選択につながっているわけで。
だったら、もう一度「乗り鉄」をやってみたらいいんじゃないか…と。

帰宅した3月には、たかが4泊5日の旅行なのに、延べ19回に渡ってその記録を書かせていただきましたが、皆さんの反応を聞かせていただいたところ、概ね歓迎されたようでホッとしました。


あらためて気づかされたことは、関西圏における鉄道文化が実に多様であることでした。
そして、この気づきをもとに、Nゲージ市場における関西方面のアイテムに対して自分のアンテナの感度が強くなりました。
それまでは、様々な関西(特に私鉄)ネタに対しては「あんまり自分には関係ないな」と思い、気持ちをシャットダウンしていましたから。
こうして2018年は、自分の中で大きな変化が起こった年となりました。
フィールドワークを「撮影」と「乗車」とで区別することができるかは分かりませんが、模型趣味との親和性を考えると、その土地土地へのなじみ方を観察することができる「乗車」に軍配が上がるのではないでしょうか。
いや、そうなのだと思います。





「自分はどうしてこの車両が好きなのか」
模型の世界では、こうした自問自答は絶えず行われるべきであり、できれば他者へ説明できるくらいがいいですね。
そして、その答えの中には地域全体、その土地土地の日常を包み込むような眼差しがあると、なおいい。
そこに好きな人が住んでいるわけでもないのですが、関西で乗車した各路線にはそうした思い出が残り、その結果として模型で保管することとなりました。
こういうプロセスを踏んで手にした模型は、ひょっとしたらいつまでも手元に残るモノになるんじゃないかナ。


地面(レイアウト)の上で車両を走らせながら、たまには外に出て実体験から1/150の世界を捉えなおす。
2019年もこんなスタイルでやっていけたらいいなと考えています。




(おまけコーナー)



先日のこと。
久しぶりに劇場へ足を運んで見た映画は「かぞくいろ -RAILWAYS わたしたちの出発- 」。
何といいますか、きちんとした対価を感じられる、そんな映画でした。

タイトルから「ああ、中身はあーいう感じなんでしょ?」と問われれば、ほぼその通りです。
しかしこのシリーズには一貫して、その土地の暮らしをそのままスクリーンに移植しようという試みが見られます。
そこが実に優しい。
特に、勤務から明けた鉄道員が帰宅するところは、さりげない日常が感じられる定番シーンです。
前作では自転車での帰宅、今作では軽自動車での帰宅でした。





カトーの「ななつ星in九州」が好調に売れている中、当方は勢いでこんな水戸岡デザインの車両を導入してしまったわけです。
なんだか面白いですよね。
あははははは。




まとまりのない文章で申し訳ございません。
今年もいろいろと書いてしまうでしょうが、お手柔らかにお付き合いいただければ幸いです。

では、2019年のスタートです。


  1. 2019/01/01(火) 00:01:00|
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