しなのさかいの駅前広場

細かいことばかりでよく分かりません。

2020年 あけましておめでとうございます。

新年明けましておめでとうございます。
しなのさかいです。




2019年12月29日 中央本線 藪原-奈良井間
特急「ワイドビューしなの」9号



“2000年問題”なんていうキーワードでアタフタしていたあの頃から20年経ちまして、2020年です。

趣味的な視点では…
カトーが885系「かもめ」を出してから20年、
トミックスがHGの165系を出してから20年、
そして、マイクロエースが金ピカのC62を出してから20年、となります(爆)

これらの過去の出来事の延長線上に今のNゲージ・ワールドがあるわけですけど、皆さんは鉄道模型趣味、Nゲージ趣味をどんなふうに楽しめているでしょうか。
そして、その中身はきとんと2020年につながっていきそうでしょうか。

飽くまでも当方の主観であるとお断りした上で。
昨年のNゲージの市場動向を見ている限り、明るい見通しは少なく、この市場動向に寄りかかりながら趣味活動を続けていくことがますます難しくなっている、ようです…



まず、「上流」から流れていた新しい価値の提案がほぼ途絶えました。

以前にも申しましたとおり、鉄道模型趣味はあらかじめ時間軸が埋め込まれたものなのに、このメリットが生かされていないのは何ともモッタイナイ。
そしてまた、時間軸を遡って新しいジャンルや世界観を広げようとしても「最初に打つ駒」が非常にショボイのです。
新規金型をふんだんに投入したその形式、その車両には今後の展開を覚悟したようなメッセージがないから、ユーザーは「?」となって追従できないままでいる。
「背景」や「書き割り」のような車両から描くのではなく、誰もが主役だと感じることのできる「強い」車両を、記号的にではなく具体的なイメージを抱かせて、最初の一手として盤面に置くことが強く求められています。

「選挙結果」を買おうとしてもそのときには牽引機がないとか、「ノーマル」を買おうとしてもその前の「ノーマルでもないもの」に続きがあると思ってもいなかったからスルーしていて云々、とか(だから「ノーマル」がダブつく)。
新企画をおそるおそる小出しにして、観測気球を上げながら不安げに前進する傾向も強くなってきました。
中流や下流に対して「先見の明がない」とでも言いたいのか、価値の発見を(在庫を抱える)小売店やユーザーに、やや乱暴的に任せている気配も感じられています。



そして、その必然として「疲れる選択肢」が多くなっています。

時間軸を意識して掘り下げる発掘力、新しい価値を提案する企画力に乏しいから、無難に(マーケティング的に)誰もが知る内容で勝負しているように見えるんです。
だから、仮にそれが他社製品や既存の自社製品と競合してもブレーキをかけずに「ええい、やってしまえ」、となる。
ときにその決断は、ユーザーが従来製品で満足できているものとそうでないものの区別、分析ができていないまま行われているようにも見えてしまうため、こうした思考により用意された選択肢はユーザーにとって非常に悩ましく、苦痛を与える結果を生んでいます。

振り返って2019年は特に、メーカー間を含めて想定外の「買い直し」を迫るリニューアルものが見られませんでしたでしょうか。
既存製品にソコソコ満足していたのに、妙な作り直しをやろうとするから、それらが一気に陳腐化して見えてしまうんです。
買うと決めても「発売日が待ち遠しい」という気持ちになることなどなく、逆に「あー、もう発売されちゃったのか」と気づいて、重い腰を上げて模型屋へ。
こんなこと、以前はありませんでした。
「少しでも新しくなるなら仕方がない、買うか…」という消極的な動機で財布を開ける虚しさは、上流の聖職者たちにはもっともっと想像してもらいたい。
消費行為の満足感がどんどん失われており、その逆に罪悪感(「オレ、何に金を使ってるんだろう」ていう気分)がどんどん増幅しています。
この傾向、一体どこまで続くんでしょうか。



さらには、ユーザーから見て理解できない価格の上昇が起こっています。

もはやマイクロエースだけのことではありません。
むしろ、マイクロエース製品の価格上昇の原因は比較的はっきりしていたのに、今起きている他社の上昇要因はユーザーにとって不可解なものに見えています。
もし「この企画、これくらいしか売れないだろうから…」という生産数から逆算して決められた価格であるならば、そうした“つまらない企画”のシワ寄せを、最終的にユーザーが背負っている構図にもなるのです。
2020年は、ユーザーが新製品を賢く選択していくことも必要のようです。

なんならば、安いプラ製の16番を1年に数回だけ手にして、それを遊ぶ方へ転向しちゃいますか。
そうした傾向を読んで、16番をメインに移す模型店もあると聞いていますが。




以上は「企画」を源泉とした懸念材料。
これら以外にも「品質の低下」という点が気になっています。

「曲がったボディ」なんていうのは論外。
溶剤による接着を含めた組み立て工程は、「完成品」というよりは「キットを組み立てたもの」ということです。
幌パーツがない完成品は、カトーでは1980年代までに放棄した仕様ですし、使用するLEDが多い製品は、導光技術(設計力)の低さを隠すためのものとも見えます。
隠蔽力のある塗料の選択、的確な印刷手段の選択はできているのか、ホコリを巻き込んだり泡立てたりした塗装はしていないか、などなども、生産の段階での現場スタッフの愛情不足、乱暴な工場出荷があるように思うのです。




「ニューホビー系」と言われる鉄道模型の規模の拡大も気がかりです。

前述の価格上昇傾向をフォローする形で低廉価格帯をカバーする立ち位置は、新規ユーザーに示す入口としては適切であるかもしれないけれど、Nゲージ全体の品質、レベルを地盤沈下させてしまってはいないでしょうか。
多少オーバーですが、1980年代初頭の標準仕様へ後退しているような気がしています(「ライトなんて点かなくてもいい」とかね)。
あちらこちらを見ていると、結局のところ、ニューホビー系もヘビーユーザーによって買い支えられているようですから、ヘビーユーザーが「この仕様で可」としてしまえば、メーカーとしてもその売上を「ユーザーの支持がある」と肯定的に捉えてしまうでしょう。
模型店でうず高く積まれた「軽めの箱」の山を見てしまうと、その占める分だけNゲージのレベルが変化したことに気づかされます。
この傾向が、老舗模型店をプラモデル店っぽく変えてしまったことも事実なのです。



*     *     *



とまあ、数年前からこんな風に見ていたところ、2019年はその主観がさらに極まってしまった印象です。
新製品が模型店に並んでもネット上では大きな話題にならないまま時間が経過していく。
数年前までは当たり前のように起こっていた現象が今ではほとんど見られなくなりました。
これほどまでに新製品のウエイトが軽くなった年は、思い出してみても記憶の中に存在しません。

ですから、もう手持ち品で遊ぶことを「考える」だけでなく、実践しなければならないなと。
(厳しい言い方になりますが)最近は、模型店よりも自宅の模型部屋にいる方が楽しめるはずだと、そんな気がしているのです。





これ、あの「はま◯す」を慌てて買いに行ったあの頃、レイアウト定規で書いていた我が家のレイアウトの図面です。
だから着工は2001年。
そんなときからだいぶ年月が経過してしまいましたが、まだ身体的に異常がないうちに趣味生活の基盤を転換させることができました。





「このままじゃ一生モノにできないナ」という危機感から、2016年にギアをトップに上げたレイアウトづくりは、2019年、ひと通りシーナリーを完成させるところまでたどり着きました。

2020年からは、よく言われる「レイアウトに完成なし」という言葉の中で(やっとこの言葉を受け止められる頃合いになりました)、より納得できる風景へ近づけて行こうかなと。
そんでもって、これまでに「買いためた」手持ちの車両をレイアウトの風景の上で振り返ることができたら、もはや「上流」の動向など気にしなくても遊んでいけるはず。
ぼんやりと、そんな趣味活動を描いています。





2020年は例の世界的イベントが控えており、例年以上に「文明」くさい1年となりそうです。
そんな中においても、ブレずに「文化」的な価値を持ち続けていたい。
このことは鉄道模型趣味においても同じです。


それでは、2020年もよろしくお願いいたします。



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  1. 2020/01/01(水) 00:01:00|
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