こんばんは。しなのさかいです。

再び近所の量販店へ徒歩で向かう森の中。
その途中で見た桜は、関東平野の累積気温がそこまで達したことのサインでもあり、厚着をし過ぎて出かけてきたことにようやく気づいたりもするきっかけでもあったりします。
出勤時には、朝から元気よく公園で遊ぶ小学生たちが目立つようになりました。
ずいぶん前、大人の世界に春休みがないことを娘たちに不思議がられましたけど、単に先生たちが児童生徒に構う余裕もないくらい忙しいから、校舎から追い出しているだけなんだぞーと、そろそろ気づいてくれたかしら。
こんな時期に花見とかに行く気分、味わうことができなくなって数十年が経ちました。
ところで。
JR北海道の方では、また並行在来線となる区間の廃止方針が固まったようで、先週末にかけて大きな話題となっていました。
この手のニュースに接する度に、北海道を鉄道で旅行するオプションは当方の心の中で消え続けています。
また、首都圏の人間が新幹線で延々と札幌まで移動することも「まずない」と言えそうです。
東京から札幌まで、利便性や速達性だけを求めて乗り物を選ぶならば空路を選ぶ方が自然でしょう。
価格面でも新幹線よりは空路が強いかもしれません。
人間しか運べない巨大インフラ「北海道新幹線」って、一体何を目的として建設され続けているんでしょうね。
当方の見方はそうなる訳で、それ故にNゲージで「今の北海道の鉄道」をフォローする気にはなれないのです。
むしろ「見たくない」と言った方がいいか。
鉄道で北海道、日本全国を旅行できる、のんびりとした豊かな時代はそろそろおしまい、なのでしょう。
日本人の価値のトレンド、観光需要に“のんびり”というキーワードが定着しつつあるのに、なんだか変ですよね。
さて。
この冬、JR東日本の首都圏地区では「あの日を追いかけて JR東日本 懐かしの駅スタンプラリー」というキャンペーンが開催されました(もう終わったようです)。
タイトルだけでは何のことか分からず、いつもの子ども向けのものかとスルーしようとしたところ、なんだか見覚えのある図案が採用されていることに気付きました。
これ、1980年代に国鉄が始めた「『わたしの旅』スタンプ」を復刻させたキャンペーンだったのです。
このスタンプについては、当ブログの黎明期に一度取り上げたことがありました。
2009年6月20日
「わたしの旅スタンプ」を知っていますか
当方がこのスタンプ収集を始めたのは1983年2月9日で、横浜線・町田駅のスタンプが最初の押印でした(よく見ると「国鉄 町田駅」となっているでしょう)。
地域によっては例外もありましたが、統一された絵柄も見ていて楽しく、スタンプの色と形でメッセージ性も体系的に整理されていたので、あっという間に収集の沼にハマっていったと記憶しています。

ただ残念だったのは、スタンプが良い状態に保てていなかったこと。
御覧いただいているのは、1984年1月29日に押印した青梅線・奥多摩駅のスタンプで、フチがボロボロに欠けています。
まあ、これは利用者の中にけしからん輩がいたということ、ですね。

でも、駅側の管理に起因するものもあったようで、1983年7月21日に押印した東北本線・赤羽駅は、ゴム部分が外れないように絵柄上の3か所をビスで固定させるという愚挙に。
それ故に、押印跡には不気味な円形の空白が生まれてしまいました。
その他、スタンプ台の色を間違えて設置する駅もよくあり、友人はこの対策のために3色のマイ・スタンプ台を持ち歩いていましたね。
待合室ではなくて駅事務所に置いてある駅も多くあって、「スタンプはありますか?」と聞くと、面倒くさがりながらお菓子の缶に入ったスタンプをドンと出す駅員も多かったんです。
とはいえ、この「わたしの旅スタンプ」は期間が定められていた訳ではなく、それ故にいつまでも遊ぶことができたキャンペーンでした。
なによりも、スタンプノートに示されたスタンプ設置駅の地図を見ていると「訪れなければならない」という衝動が湧き起こりましたよね。
つまり、小学生や中学生が、自分の生活とは何の関係もない土地に憧れたりする仕組みが、インターネットもない1980年代に実現できていたのです。

これは1986年3月27日に七尾線・輪島駅で押印したときのもの。
まだまだガキンチョの頃に、スタンプを押すことを目当てにしてこういう土地にも立ち寄っているし、思い出の土地には大人になっても再び訪問したいと考えるものなのです。

このときは輪島で1泊しました。
ビジネスホテルなんてありませんでしたから、当時はずいぶんとリーズナブルな価格だった国民宿舎「輪島荘」にわざわざ電話とハガキを駆使して予約して、駅から大分離れたところまで歩いて泊まったんです。
日本海側に面した崖の上にありましてね。
夜空の下、坂の途中から振り返って見た日本海の荒波は今でも目に焼き付いています。
スタンプ一つでこうした冒険が引き起こされていました。
どうして今、この手のキャンペーンをやると、数週間の開催期間という制約と(大して欲しくもない)景品を付与するという施しのセンスがつきまとうのか不思議です。
期間を区切ってキャンペーンの成果を見るため、だと思うのならば大きな間違いで、そんな短期間で見えるものは「成果」でもなんでもないのですよ。
いつまでも変わらない取組が強いファン層を育てる、ということは普遍的な価値なんだと思う次第です。
今は、胡散臭い駅のスタンプラリーはスッパリやめていて、郵便局の風景入り日付印(風景印)に旅の思い出づくりの役割を求めています。
戦前から延々と続くスタンプ趣味の王道となっている理由はもうお分かりですよね。
設置する郵便局にとって、このスタンプの存在が当たり前だからです。
混雑しているときでも「緊張しますう~」「ちょっと下手なんです~」なんて仰りながら、でも終始笑顔で押印してくれる局員さんがほとんどですし、このときに感じるホスピタリティも心地よい。
いくつ集めても郵便局から副賞をもらえることなどありませんし、こちらも期待していません。
それでもファンは絶滅せず、新たなファンが現れ続けている…

大人になって、もう一度能登半島の日本海を見てみたくなり、家族を連れて出掛けてみました。
「鉄道とバスを乗り継いで、ここに泊まったんだよ」と車の中から指を差したその土地には、もう輪島荘は消えていて、同じ名前の特養施設に建て替えられていたのでした。
ではまた。
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- 2022/03/30(水) 21:00:00|
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こんにちは。しなのさかいです。

ブログというものは一度書かなくなると復帰が難しくなるようです。
御覧のとおり、787系のことを書いてから数週間の沈黙を挟んでしまいました(大変申し訳ございません)。
このまま沈黙を続けることもアリかなと考えたのですが、このタイミングで「何故こうなっているのか」ということを整理しておくことも大切かと考え直しまして、こうして再びカタカタと音を鳴らしています。
鉄道模型趣味、Nゲージの趣味を小学3年生のときから続けてきて、特に社会人になってからは幸いにも中断することなく取り組んできました。
「学校」という器を飛び出すと、どうしても周囲にいた同好の士は消えてなくなるもの。
このときに一度Nゲージから離れてしまった、という皆さんの経験談もよく耳にします。
当方の場合、親しみを持てる近所の模型屋さんでアナログ的な交流を維持することで、社会に出た後もこの趣味を続けることができました。
そのときのお店は、御店主の突然の他界によりもう存在しませんが、そのときのわずかな常連客同士で今もつながりを保てていることは大きな遺産。
こんなところも昭和の時代からNゲージで遊んできた者の特権、でしょうか(ゴメンナサイ)。
話がややそれました。
気さくな店主を囲んで常連客が何時間も集うことができる「街の模型店」は少なくなる一方であり、増え続ける量販タイプのお店や中古店では、そんなことは至難の業でしょう。
居座り続けたら業務妨害と見なされますしね(笑)
なので今、この趣味を社会人になっても続けていくためには、鉄道模型メーカーとユーザーが、毎月発表されるポスターなどで(擬似的に)直結した関係が求められるようになっています。
このブログで模型ショーの様子やポスターの内容に注目してきた理由はそこにあります、と過去にもお話ししてきました。
しかし…
現状、当方が新しいポスターを見るときは、概ね以下のような視点に立っています。
①買い直しを迫られていないか
②新規パーツを調達するにはどうしたらいいか少なくとも、そう身構えてしまっているようであり、それ以外に視点は生まれていません。
①についてはいろいろと評価が分かれるところだと考えていますが、製品のアップデートを許容できる「旧製品ユーザー」の気持ち、そしてユーザーの手元にある「旧製品」の状況(傷み具合)をあまりリアルに想像されていない様子を、上流の方々に感じています。
「ついこの前」と思ってしまうのはだいたい何年前のことなのか。
この趣味は継続して取り組む人が多いはずですし、なによりもメーカー自身がそう仕向けているはずです。
だから10年くらい前のユーザーは今でもユーザーとしてとどまっているはず、という見立てはメーカーの中にあって然るべきでしょう。
大枚を叩いて基本セットと増結セットを買って、丁寧に保管してきた手元の模型を、ある日突然“旧製品化”させてしまうやり方はどこか残酷であり、何らかの優しさ(パーツの分売による救済措置等)を見せて欲しいところです。
②についてもほぼ同じですが、①とやや異なることを言うと、ポスターで発表された車両自体には興味がなく(だいたい既に持っているものばかりが並ぶワケですから)、「どこそこを改良します」という文言と、そこに該当する新しいパーツしか見えてこない、ということになります。
だからポスターの紙面よりも販売店向けの解説文、そしてその後に配信されたりする解説動画の方が情報ニーズは高い、となる。
もちろんその新規パーツについてもおおよそ待望のものとは言えませんで、消極的に「この際、アップデートしておくか」という程度の受け止めに。
パーツを分売してくれること自体は有り難いのですが「そもそも、そんなパーツのために新規金型を投入するんじゃなくて…」という見方もあるとは、これもまた以前にお話ししたと記憶しています。
分かりにくいことを書きました。
つまり、新しいポスターを見て、手元にある車両たちをアップデートさせるかどうか、という判断を迫られ続けていて、なんとなく暗くて長いトンネルの中でしんどいマラソンをさせられている気分なのです。
買い直しやアップデートのために財布からお金を出しても「楽しい」と思うことはほぼありませんし、なによりも、そんな買い物の結果をこの場で披露しても共感が広がるとは思えません。
いっそ、リニューアルの可能性を“将来のリスク”と捉えて「処分する」とか「もう持たない」とか、そんな結論を出すことも始めています。
自分が持つ自由時間の中で、長年温めてきた「Nゲージ」という範囲が狭まりつつある、ということが自分自身で気がかりです。
近いうちにメーカー各社からまた新しいポスターが発表されることと思いますが、おそらく身構え方は変わらないでしょう。
「お金を使う」ことで確かなリターンが感じられる別の趣味を、Nゲージ以外の何かに見出す必要性もあるのかな。
いや、鉄道趣味以外で、ですかね。
ではまた。
- 2022/03/26(土) 15:30:00|
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(その1からつづく)
前回から思わせぶりに引っ張りましたけど、実は大した内容を御用意できていません(^^)
いつものように一人で運転会をやりましたので、その様子でも御覧いただいてから終わりにしましょう、ということになります。
お付き合いいただけたら幸いです。

まずは2001年発売のカトー製883系(10-439)を引っ張り出すことから始めました。
787系のデビューから約2年後、1994年に現れた883系を見たときは、787系よりも(不気味な?)表情のある先頭部分に驚きました。
それ故に、787系が既に模型で存在していたので、この仲間が模型として手元にやってくる日を待ち続けていたのですが、こちらは発売までずいぶん待たされた思い出があります。
今と同じように発表されたポスターをお店で見て、喜んで、2001年の12月末には街の小さな模型屋さんで、御店主とお茶を飲みながら宅配便のトラックを待ちました。
関東平野でも雪がチラついていた寒い日でした。
そのときの883系です。
バックミラー(?)が取り付けられていないという残念な点はありますけど、実車でも後に取り外されたようなのでこれでも間違いでもなく、そもそもあんな繊細なパーツを1/150化したらどうなるか…ということもあるでしょう。
かえって野暮ったくなることは必定だったかもしれません。

883系は運転席後ろに「パノラマキャビン」というフリースペースがありまして、このスペースのおかげで日豊本線では振り子式運転の醍醐味を味わうことができました。
こちらは1999年8月の旅の思い出。
こんな列車たちが九州島内の各都市を結び始めたのです。
1990年代は、在来線特急での移動そのものが旅の目的だったと振り返ることができる楽しい時代でした。

883系4次車(10-485)と787系のすれ違い。
4次車はこの後にも色違いの製品化が続くのだと思い込んでいましたので、イエローだけで終わったことは少々残念。

次はキハ183系1000番台「ゆふいんの森2世」、マイクロエース製品ですね。

気動車なんだけど「博多発の特急」ということで発車後はしばらく架線の下を爆速するシーンが見られます。
よって787系とも合うようです。
このキハ183系はこれまでに何度変身したのかがさっぱり分からなくなっていて、模型ファンとしてはいずれかの一つを決め打ちで持っている方が楽なのかもしれませんね。
当方は時代的に考えた結果、コレのみとしています。

サハシ787のカウンターから見た東シナ海の景色は最高でした。
「シ」には係員の方がちゃんといらして、商品に添えられた手書きのポップが歓迎ムードを醸し出していて。
こういう旅はもうできないのかもしれません。
少なくとも「ビュッフェに行ってみようか」と言って列車内を移動するような「旅のついで」的体験、気軽な位置付けでの“コト消費”ではなくなりましたよね。

9両の編成が堂々と平野に位置する幹線の複線区間を行き来する風景は、そろそろ見ることも難しくなってきたようです。
北陸新幹線の敦賀開業を控えて、ヨンダーバードの製品化ニュースに接したりしているとそんなことにも気づくのでした。
模型の世界ではこれまでも、これからも自由自在ですけど…
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎

以上、2022年版のカトー謹製787系「つばめ」でした。
メタリックの塗装は色調が見直され、床下パーツも青灰色にされるなど、2005年の〈リレー〉のときの改善(レンズカバー、手すり追加)、それから2019年の〈アラウンド〉のときの改善(スカートの見直し、車端部床下機器の追加)を吸収しながら、これら以外にも「できることはやってみた」感が窺えるリファインぶりでした。
787系だけでなく振り子式の883系、885系をトミックスが追従していない(できていない?)ので、JR九州の在来線向け看板特急を模型店に並べることはカトーにしかできず、このことでカトーがJR九州の車両を次々と模型化する動きにもつながっているのかもしれません(それ以外に事情があるかもしれませんが)。

とにもかくにも、当方にとって787系が必要なのは、正統派在来線特急の最後の姿だと思えるからなのです。
『鉄道ファン』1992年12月号「特集:燃えてます!JR九州」では、デザイナーである水戸岡氏の787系に対する思いが語られていましたので、これを抜粋させていただきながら、今回のエンディングといたしましょう。
***
余暇の時代へと向かう社会は、質の高い旅を求めるようになる。環境問題も合わせれば、クリーンで資源効率のよい鉄道こそが21世紀の旅行の主役になるだろう。新車両はラグジュアリアスな旅の舞台でもあってほしい。「いかに早く効率よく運ぶか」も大事だが、移動の時間の密度をいかに高めるかという発想の転換も必要ではないか。
公共輸送のデザインの水準は、他の分野と比べてもはるかに低い。列車はもっと美しくなれるはずだ。そしてもっと豊かな時間を提供できるはずだ。そんな確信がだんだん大きくなっていった。
***
1993年3月に九州のどこかで拾ったチラシ水戸岡氏のコメントから30年。
検証する上では十分すぎるくらいの長い時間が経過したようです。
ではまた。
- 2022/03/04(金) 21:40:00|
- 鉄道模型(車両)
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こんばんは。しなのさかいです。

3月になりました。
休日の午後、相変わらず森を抜けながら模型活動を続けているんです、が…
間違いなく世界史に刻まれる大事件が起きてしまい、頭がフラついています。
大震災の後に例の大運動会の開催が決まり、その開催直前に世界的な大厄災が起きて、今度はまるで20世紀へ戻ったような侵略戦争の勃発です。
常に気が重くなる“何か”が存在し続ける10年間。
まだまだ何かが続きそうな気配を感じています。

この度、カトーの787系「つばめ」がリニューアルを経て手元に戻ってきました。
「戻ってきた」という表現はお察しのとおりでして、古い「つばめ」は数年前に手もとから飛び立っていったからなのです。
この辺の事情は、約30年に及ぶカトー製787系の歴史を振り返りながら説明しましょう。
御存知の方にはスルーしていただくとして、この場で簡単におさらいをしておきます。
***
1993年
10-320 787系〈つばめ〉7両基本セット
10-321 787系〈つばめ〉2両増結セット
2005年
10-237 787系〈リレーつばめ〉7両セット
2011年
10-590 787系〈アラウンド・ザ・九州〉6両セット
2019年
10-1541 787系〈アラウンド・ザ・九州〉7両セット
10-1542 787系〈アラウンド・ザ・九州〉4両セット
4245-3 サハ787-100〈アラウンド・ザ・九州〉
2022年
10-1615 787系「つばめ」9両セット
***初登場となった1993年は、カトーの編成モノ新製品が1年間でせいぜい2種程度しかお目見えしないという、今から見れば大変穏やかな時代でした。
そんな中で、実車のデビューから間もない787系を製品化したことになりますから、当時のカトーとしてはこの形式に何かを見た、ということだったのでしょう。
初回品に実車のパンフレットが付属していたことも特筆すべき点です。
まだまだカトーがトレンディでトラディショナルな頃でした。
2005年の〈リレー〉では、後に実車の「つばめ」のクモロ及びクモハに取り付けられた手すり類のパーツが追加されました。
また、1993年時には施されなかったライト部分にカバーが取り付けられ、フロントマスクがより787系らしい精悍な顔つきに変身したことが大きかったと記憶しています。
これは2001年の年末アイテムだった883系で既に採用されていた措置なので、予想できることでもありました。
この「つばめリレーレンズカバー」、
10-320に取り付けられないというオチは既にお話ししましたね。
その後、実車の汎用化に伴って模型でも2011年に〈アラウンド〉化が行われました。
10-590は基本的に10-237の仕様のままのリデコ品でして、その後、
2017年に再生産されるまでの間は中古市場で結構な価格になっていましたっけ。
そのときの再生産で喜んで買われた方も多かったと思われる中、
その僅か2年後には旧製品化してしまうという非情な出来事がありまして、西落合のスパルタンぶりに恐ろしさを感じたものです。
ちなみにどちらも同じ〈アラウンド〉なんですけど、色調が異なっていたことも付言しておきます。
当方は2019年の〈アラウンド〉の発売をもって、それよりも前の787系を全て処分してしまいました。

今回の「つばめ」は初回品のリニューアル、とも言えますが、実は単純にそうではなく、現実世界で1994(平成6)年7月1日から実施されたサハシ787の位置変更(3号車→5号車)後の編成。
1999(平成11)年3月13日のダイヤ改正で9両から7両に減車されるまでの間の、一番華やかな頃の姿という捉え方でおおむね間違っていないようです。

また、デビュー時から少し遅れて増備されたモハ786 200番台が含まれています(と言っても車番印刷をそうしただけ?)
“2次車グループ”に当たる200番台と300番台が登場した経緯もいろいろあるようですので、各員一層奮励努力して調べてみてください(^^)
メーカーHPには「鹿児島運転所所属のBK3編成、平成6年(1994)頃の前面手スリ増設後、サハシ787が3号車から5号車に位置変更された姿がプロトタイプ」と記載されています。

実は、2019年11月に〈アラウンド〉のリニューアル仕様が発売されたときに触れるべきだった点がまだありまして、それはスカートの取付方法の変更です。
それまでは床下パーツに引っ掛けてボディへはめ込む仕様となっていましたが、室内灯を取り付けるときにこの引っ掛ける部分をよく破断させてしまい、ヘビーユーザーとしては困っていたのでした。
御覧いただいている二つのうちの奥側が手元にASSYパーツだけが残った10-590のスカート、手前側が今回のものです。

前回の〈アラウンド〉から、ダミーカプラーの下にはめ込んでスカートをぶら下げる仕様となったので、以前よりも床下とボディの取り外しは安心してできるようになりました。
こういう実用面を考えた上での仕様変更はありがたいですね。

もちろん車番は印刷済。
JR九州独特の、仮名と数字を四角く囲って目立たなくする方法はおそらくインレタには不向きで、転写圧が強いとすぐに四角がグニャグニャに変形してしまいます(検査標記インレタでよく失敗します)。
トミックスで787系をやるならば、インレタをどうするか、という大きな関門が控えているのでしょう。
この珍しい形式・車番表示は、確かデザイナーの水戸岡氏が、ボディへの仮名文字表標記が全体的に合わないことを悩んだ末に「文字を一つずつ四角く囲んでデザインに取り込む」と仰っていたと記憶しています(間違っていたらゴメンナサイ)。

シールには「TSUBAME」のロゴが描かれたバイザーも含まれるようになりました。
ただ、運転中は跳ね上げてしまうことが多かったようで、正面から下げたように見える画像はなかなか少ないようです。

もう少し続けます。
(その2・完へつづく)
- 2022/03/03(木) 19:30:00|
- 鉄道模型(車両)
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