しなのさかいの駅前広場

もうお腹いっぱいです。

少し前の買い物から

おはようございます。しなのさかいです。




野外観察日記ばかり続けてしまいましたので、少しは模型のことも書いておこうと考え直しました。
と言っても大した内容ではありませんので(ごめんなさい)。



やはり最近は、家に持ち帰ってきた車両をこの場で披露することには気持ちがオープンになれないでいます。

それよりも、持ち帰ってからしばらく経った車両を活用する様子をレポートさせていただく方が、自分の今の気持ちに近いのかも、というか。
とにかく、最近の買い物の「質」が自分でも納得できない。

そんな流れの中ではありますが、少々のメモを残しておこうと思います。
よろしければお付き合いください。





こちらは最近買ってきたセットではありますが、完全再生産品です。
したがって情報鮮度もゼロ。
見ればお分かりのとおり、カトーの381系「ゆったりやくも」です。

この10-1451(パノラマ編成)は、初回生産品が瞬く間に店頭から消えてなくなりました。
「果たして自分はコレを欲しいのか?」と自問自答しているうちに買いそびれてしまったという形です(つまりはそのくらいの熱量だっだというワケです)。

その後に10-1452(ノーマル編成)が発売されましたけど、10-1451を持っていないユーザーには困りものの追加アイテムだったようで、なかなかお店では売れていない様子を見続けていたところ。
当方はその10-1452を先に手にした人間ということになります。

今ではその10-1452の方を探し回るユーザーが多いようで、いつまで経ってもバランスが是正されません。
現実の世界では完全引退も近いのですから、もう少し生産計画を上手く立てられるといいですよね。





塗装も印刷も安定感抜群でして、他社製品がもう少し見習ってくれたらナと。
先週末あたりには悲惨なレポートがネット上に溢れていましたので、なおさらそう思いました。


6両セットで、メーカー価格は2万円を超えていましたが、店頭価格はだいたい15,000円というところ。
懐かしい価格帯に涙が溢れてきました(少し前までは先頭車2両入りの6両セットがこういう価格帯で買えたのです)。





クロのみ電球色のLED室内灯クリアにして、他の車両には白色にオレンジフィルターパーツを被せて取り付けています。
民営化直後にやってきたパノラマブームもそろそろ終わりを迎えているようですから、体験を済ますのなら今のうちに。
国鉄型車両に限らずに、です。





転じて、こちらはトミックスの373系。
「飯田線秘境駅号」セットという、ヘッドマークを変えただけの謎セットが中古店で格安で売られていました(パンタグラフも変えたんでしたね)。

この373系は再生産されるたびに帯の表現、オレンジ帯の色調が異なるので、揃え方にコツが必要のようです。
当方の見方では、最新の98666(6両セット)よりは、その前の92424(3両セット)の方が帯に関しては実車に近いような。
98666には両先頭車のすみっこに小さなJRマークが印刷されていることを付け加えておきます(そこを重視するかどうかは微妙)。





トミックスのキハ100も、搭載モーターをM-13に代える措置を行った上で再生産されたので、まだ寒さが残る頃に追加配備しようと買っていました。
しかし、何故か塗装の色調も(初回品と)微妙に変わっていたんです。

まっ、今回は初回品と混ぜて使うようなことはないですからイイんですけど。





初回品の2両は釜石線仕様にしていましたので、今回は迷うことなく大船渡線仕様に。

短い車体にロゴマーク。
マンガに出てきそうな車両でして、時代的に見ても愛でることができるのはこの辺りが限界。
今のGV系には何ら魅力を感じられないでいます。





ロゴマークだけは製品に付属するインレタを使いましたが、車体標記は全てレボリューションファクトリーのインレタ、それと、はるを製作所の方向幕インレタを使いました。

全ての箇所に転写できたので、ホームに置くとかつての三陸方面の旅の思い出がグッと蘇ってきます。





ここんところ関東平野は土日になると雨が降るので、なかなか温泉宿の塗装作業に入れません。

そんな理由もあって、久しぶりにインレタの転写作業を頑張りました(宿題が溜まっていますから)。
再びキハユニ26にもフルインレタを施して、気分は盛岡あたりを旅した気分。






以下余談。


そろそろ10月。
そして、10月14日は「鉄道の日」。

特に今年は「鉄道150年」という、わが国の歴史的なターニングポイントが話題になる頃合いなんですけど、不思議なことに鉄道模型業界、市場ではそのような動きや盛り上がりはほぼ皆無です(そう見えますでしょう)。

こういうときにこそ、鉄道史に刻まれている名列車を製品化することができそうなんですけど。

「1872年の列車を製品化したって売れない」とかいう総括が中であったのかどうかは分かりませんが、もし、150年前の列車を模型化することしか考えなかったのだとしたら少々残念ですよね。
だって、歴史を振り返る意義って、原点に戻ることだけではないからです。

鉄道模型メーカーの「150年」へのコミットがないことに、今の鉄道模型市場の現実を垣間見ているような気がしています。


ではまた。

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  1. 2022/09/25(日) 10:30:00|
  2. 鉄道模型(車両)
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伊那谷を駆け抜ける

おはようございます。しなのさかいです。


夏の野外観察日記も今回で終わりにします。
模型成分がほぼないにも関わらず、絵日記にお付き合いいただきありがとうございました。
最後の回をどうぞよろしくお願いいたします。



さて、ここからは「飯田線シリーズ」、いや「伊那谷シリーズ」ということになりまして、以前のように阿智から岡谷まで、伊那谷をチンタラと北上した様子を御覧いただきます。

今回はコロナ禍直前の2019年の年末以来の伊那谷トリップ。
頭の中の情報もずいぶんと上書き更新されましたので、訪問箇所に変化をつけてみることとしました。





まずは、温泉街にある阿智神社。
例年は、旅館をチェックアウトするとすぐに飯田方面へ走り去ることを常としていましたので、少し温泉街をフラついてみようかという発想でした。

娘たちは神社下の「万葉茶寮みさか」さんで御朱印をゲット。
土曜日なので郵便貯金の趣味は封印です(阿智郵便局は既に訪問済)。





昼神温泉のネコ。
のんびりとした時間でした。





その後はいつもどおりに国道153号を通って飯田市へ入りました。
今回は早いうちに野菜類を買ってしまおうと考え、中央自動車道・飯田IC近くの「りんごの里農産物直売所」へ。

飯田バイパス沿い、隣はエディオン、道路を挟んだ反対側はケーズデンキという場所に農協さんはよくまぁ産直施設を建てたものだと。
土曜日の朝だからなのか、地元の車がまるで歩行者のようにバンバン入って普通にお買い物をしていました。





それにしても飯田市は興味深い土地です。
河岸段丘に広がる街で、いわゆる“田切”地形をまたいだり、その斜面を登ってみたりと動き方にバリエーションが多く、車でウロウロしていて飽きません。





飯田線切石駅付近で川を渡り、斜面を登る。
その登った上が飯田市の中心部になる訳ですが、この動き方が「飯田城」の斜面を登って城の中に突入する動きと同じになります。
なので、街並みが崖によって途切れたと思ったら、その崖の上には比較的平らな土地が広がっているという、群馬県沼田市に近い“ギャップ”が見られておもしろい。

また、田切地形に付き合うように、天竜峡方面から北上してきた飯田線の線路は、天竜川近くから大きく内陸へ迂回して標高を稼ぎ、切石駅から飯田駅へ。
飯田線の前身である伊那電気鉄道が建設費用の関係からこのような敷設にしたんだとか。

この地形の賜物によるオメガカーブが、下山村駅と伊那上郷駅の途中下車マラソンコースを生んでいます。
『究極超人あ~る』や『探偵!ナイトスクープ』で全国的に有名となり、その後も様々な方々が参戦しているので、興味のある方は動画方面で是非。

地域をマルっとキリトるカトーの「飯田線シリーズ」の楽しみ方にはいろいろあって、例えばこんな地面への興味もあると確信しています。



その後は“飯田城内”に位置すると思われる某店で数年ぶりにNゲージの在庫をチェック。
トミックスのブラスシリーズが新品で売られているのを再度確認して立ち去りました。
探していたという方は急いで!





おみやげにと思い、某店とそれほど離れていない場所にある「一二三屋まん十」さんに立ち寄りました。

まんじゅう専業で御商売をされているようで、温泉街のまんじゅう屋さんが街のど真ん中にあるような不思議な佇まい。
ふかふかの黒糖まんじゅうは期待を裏切らない甘さでした。

これからの我が家の定番おみやげ調達スポットとなることは間違いなさそうです。





まんじゅう屋さんから背後を振り向くと、飯田駅から続く飯田市街は静まり返っていました。
歩いている人がほとんどいないんです。
土曜日の午前中だからなのか(土曜日の午前中なのに…?)

気のせいかシャッターが降りっぱなしになっていると思われる店舗も相当数見られ、ここも地方の現実を例外なく受け止めているのだと。
先程の飯田バイパス沿いは車の量と相まって、週末らしい人の活動が見えたんで、余計にコントラストが目立ちました。
鉄道の駅から広がる街の様子であるだけに、鉄道ファンとしては余計に…



飯田市に限らず、これまでの地方の街づくりのトレンドに対する「総括」や「反省」のようなことがないと、中心市街地の賑わいの再生も中途半端な形に終わるような心配もあります。

規制緩和、そして霊感商法顔負けの華美なセリフで補助金をぶら下げて地方をノせて踊らせる国の誘導。

この国ってそういう過去の取組に対する反省をすることが昔から苦手でしょう。
切腹文化(と言っていいのか)が責任をクリアにしてきたようで、でもそれは決してそうではなかったのかもしれません。

背後に見えた景色は、そうした反省がないまま次々と生み出されてきた対処療法的な国策のツケが降り積もった結果にも見えてしまいました。
ちなみに次は「デジタル田園都市国家構想」だそうですから、どうか地方行政に携わる方々は御慎重に。





さらに少し北上して、駒ケ根市へ。
光前寺に寄ってみました。





このお寺は木曽山脈からの空気がそうさせているのか、苔を鑑賞できる境内となっていて、大変厳かな景色が広がっていました。
最近は「霊犬早太郎」伝説でも有名ですけど、苔ファンにもたまらない場所なのでは。





その伝説のお方。





それからワンコのおみくじ。
結果はあまりよろしくなかったです。

やっぱりおみくじは正月だけにして、その結果を忘れながら1年を過ごす方がイイみたいです。
だいたい1年経つと「オレって去年はなんだったっけ」ってなるものでしょ。





再び北上。
そろそろ遅めのランチでも良かろうということで、伊那市に入って「古民家カフェ マツノエダテラス」さんに寄らせてもらいました。

飯田線赤木駅からも歩けそうな距離にある、飯田線沿いのお店でした。
ただし列車の走行音は聞こえても、林の中を走っているため姿が見えず(残念)。





ワンコ再び。
ちょっとだけ待ち時間がありましたので、遊んでみました。





これだけの野菜が原型を保って入っていると、味わう前に目で見て楽しむことができます。
とにかくカラフルですし、具がドロドロに溶け込まれた都会のスタンドカレーのメニューとは全てが対照的で。





南アルプスの方を眺めながら、心地よい風を受け止めることができました。
完全なる天然クーラーでしたよ。
遅めの入店でしたので、閉店時刻の15時まで過ごさせていただきました。





古民家を再生する事例は全国に広がっているようで、我が家の近くでもチラホラと見られるようになってきました。

その用途のほとんどが飲食店のように拝察していますが、この傾向は好意的に見ています。
と言いますのも、ファミレスチェーン等で使うお金と比べると、そんなに変わらないのです。
どうせ使うなら、もっと個性的で、訪問したことが記憶に残るお店で使いたいし、少しでも心地よい空間に出来るだけ長く身を置いてみたい。

飲食業界にも「コト消費」が価値を持ち始めた、と言うことができるのかもしれませんよね。
皆さんのお住まいのお近くでは、このようなお店、増えているでしょうか。





仕上げは伊那市の「ドルチェ・カリーナ」さんでジェラート。

この時点でお腹はパンパン。
「夕飯はもう要らないよねー」という全会一致の決議を見たので、さらに北上。




やがて諏訪盆地のランドマークとなっている長野自動車道「岡谷高架橋」が見えてきて、浜名湖から北上し続けた今回の旅は大団円を迎えました。

地味なコースを選択した普通のドライブ旅行でしたけど、やはり旅の楽しみ方は多種多様であり、自分のスタイルを守りながら組み立てることにこそ面白さ、醍醐味があります。
なんと言いますか、仮説を立てて実験してみるような。
その結果が失敗すれば反省しますし、うまくいけば喜びも倍増するというワケ、です。



岡谷では天竜川の始まりとなる「釜口水門」を見て(実はこの辺りもうなぎが名物なんです)、諏訪湖を半周パレードして余韻に浸ってみたことを付け加えておきませう(笑)





帰り道の途中、山梨県山梨市の「ほったらかし温泉」で投了。

向かう途中のグネグネ登山道で側溝に前輪を落としたばかりと思われるトヨタヤリスとすれ違い、以前から心配していた事故例はやはり起こっているのだと確信。
帰りは下山する形となるため、自然にスピードが出ますし。

小雨がパラついていたので、降りて困った顔をされていたドライバーさんは、さぞかし湯ざめしてしまったんではないかと心配になりました。
その数時間後、当該車は消えてなくなっていましたから、無事にサービス車に助けてもらったんでしょう(良かった)。





鉄分少なめなのにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

ではまた。



  1. 2022/09/15(木) 08:00:00|
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奥三河潜入

こんばんは。しなのさかいです。


そろそろこの道中記も終わりにしないといけませんね(ホントにすみません)

「いつもの場所に行く」と言っていました。
その「場所」とは、伊那谷の終点である昼神温泉なのですけど(またです)、いつもとは違うアプローチを選んだ…ということなんです。





今回は遠州から奥三河を辿って、ダイレクトに昼神温泉に出ることとしました。

いつもは塩尻から木曽路(国道19号)を通って、中央道の恵那山トンネルを抜けるルートを選んでいるので、全く南北逆のルートになります。
国道153号を北上すれば、ズドンと昼神温泉へ到達するという地図上の気づきもありましたし、何よりも奥三河には土地勘がなくて、2000年1月に飯田線を乗り通したときに湯谷温泉で途中下車したくらい。

今回のドライブで風景を眺めてぼんやりと記憶するくらいのことはしておきたくなりました。





前稿のとおり、昼の時間帯まで湖西市にいたので、少々遅れ気味となりました。
三ヶ日、新城、本長篠と走り、国道257号へ。
途中、故障して動けなくなっているロータス・セブンを横目に見ながらひたすらに走り続け、このルート上で一つだけ見ておきたい場所へ急ぎました。





四谷の千枚田。
愛知県新城市にある、階段状の見事な田んぼです。

ココの千枚田の素晴らしさは、レイアウト製作の視点で見ると、ダークグリーンとライトグリーンの組み合わせがとてもきれいだということ。
千枚田によく見られる石積みの擁壁も味わい深いものがあります。

最盛期の「千枚」に比べると、その枚数は大分少なくなっているようですが、それでも圧巻の景色でした。





「この辺には何があるの?」

そう聞かれることにはもう慣れています。
テーマパークも、アウトレットモールもありませんから、同行する方としては心配なのでしょう(笑)





でもですね。
縮尺の大きな地図上には何も描かれていないけれど、グッと目に近づけて見直せば、何やらたくさんの観光情報が、ポツポツと見えてくるんです。
ちょうど星空観察の営みに似ているかもしれません。

現にこうした自然文化遺産があった訳ですよ。
もちろんこの景色を見て「つまらない」という人もいるでしょうが、その対策は「そう言う人とは旅をしない」。
これに尽きます(爆)

まだまだ奥が深そうな奥三河。
浜名湖に続いてこの辺にも宿題を多く残しました。





もう一つは鉄道のこと。

四谷の千枚田を見た後、設楽町の「道の駅したら」に寄って、保存されている豊橋鉄道田口線(旧・田口鉄道)の「モ14」を見てきました。

2021年5月にオープンしたこの道の駅は「設楽町奥三河郷土館」を併設していて、その郷土館は町の中心である田口から移転してきたんだそうです。
「モ14」は郷土館の敷地内で展示していたため、施設の新築移転で車両もココに移されたんだとか。
解体されなくて良かった。

田口鉄道についての詳細はWikipedia等にお願いするとしますが、簡単にまとめると、飯田線・本長篠から三河田口までを結んでいた鉄道です。
飯田線の元となる豊川鉄道、鳳来寺鉄道と車両を共用するなど、3社が一体となった運営がされていたにもかかわらず、その2社とは運命を違えて1943年の国有化から外れ、その後は豊橋鉄道への吸収合併を経て、1968年に廃線となったそうです。
無念。

国鉄飯田線への併結直通運転も行われていたそうですので、なんとなくですが、昭和30年代の飯田線の姿が見えるような気がしてきました。





床下にはトラス棒。
何故こうした棒が床下に取り付けられているのか。
分かった瞬間、技術上の制約と進歩を感じ取れますよ、たぶん。





古いメカニズムが見てとれて、やっぱりこの時代の電車は「機械」なんだなと。





外板は劣化していました。
移転させただけで車両への手入れはなかったようです。
屋根もある保存場所ですので、そのうちリニューアルされることを期待して。





実はこの場所への立ち寄りはほぼ偶然です。
開館していることは予習していましたが、昼神温泉へ向かうための時間が少なくなっていたのでスルーするつもりだったのです。

で、その最中に同乗者たちが「トイレ」とおっしゃる(だからなんだよっていう言葉です)
コンビニの出現を待ちながら走り続けていたところ、皮肉にもやっと出現したコンビニの隣が「道の駅したら」だったというワケ。

奥三河での思わぬ邂逅となりました。
もう少し予習しておけば良かったナと思いながらも、予習しておけばきっと廃線跡探索で前へ進めなくなっていたと思うので、こんな程度で良かったのだと思うこととします。




その後、1時間は走りつづけたでしょうか。
信濃に入り、下伊那郡根羽村、同平谷村を経て同阿智村へ。

途中「ネバーランド 営業中」という看板が出現するなどして、同乗者たちはいつもと違うルートにかなり不安を覚えたらしく、昼神温泉に出た瞬間「あーここに出るのか」という安堵と祝福の声と拍手が1,500ccの車の中に響き渡りました(オーバーですが)
これも奥三河、南信州の秘境感からのものなのでしょう。
ルート選択は大成功だったようです。

そういえば、元長野県知事は同郡泰阜村に住民票を移して長野県庁まで通勤するとかしないとか言ってましたっけ。
長野県はホントーに広い、連邦国家のような県です。





阿智村・昼神温泉で1泊。
星空がきれいな夜でした。


いい加減、あと一つで終わりにします。









(おまけコーナー)



昨日、女房殿が「神保町へ本を探しに行く」というので、書泉グランデでRMライブラリー254『豊橋鉄道 田口線 ー田口鉄道の残影ー』を買ってきてもらいました。

「道の駅したら」で見たモ14の姿が、なんと言いますか飯田線になり損ねた私鉄線の成れの果てのように見えて、また旅の途中で出会った車両への敬意も湧いてきていて、もう少し知ってみたくなったんです。
こういう深掘り作業、以前はNゲージの新製品ポスターから始まっていたことでした。
やっぱり楽しいですよ、知ることは。

今のメーカー各社の企画にも似たような“お題の提供”が欲しいところなんですけど、ストーリーテラー的な提案を求めること自体がもはや…
本日は青組のポスターが開示されていましたっけ。


ではまた。






  1. 2022/09/08(木) 22:30:00|
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Arai Barrier

こんばんは。しなのさかいです。


「ファミリーロッジ旅籠屋・浜名湖店」がちょっと変わった場所であると申しました理由。
一つは、日本の大動脈である東海道本線、東海道新幹線の線路際に建っていること、と申しました。

さて、もう一つです。
それは、この地が旧東海道沿い、日本橋から数えて31番目の宿場・新居宿のすぐそばに建っていること、になります。
観光地に建てることはあえてしないとしている(?)同社としては珍しい、観光地に建っている浜名湖店…のようです(当方にはそう見えます)。

せっかくなので、出発してわずか数分のところに位置する新居宿に向かいました。





新居宿は東海道五十三次の中に存在した二つの関所のうちの一つ、「新居関所」を抱えています。

Wikipediaによれば「浜名湖西岸の今切口に面した標高約3-5m程の低地に立地し、隣接する新居関所(今切関所)は東に浜名湖口に面していた。新居宿の北から東は浜名湖に、南は遠州灘(太平洋)に面していた」とのことで、ココは舞阪宿から渡船によって上陸するという、物理的にも関所として相応しい場所だったんですね。

復元による石垣は、その手前が海だったことを示していて、旅籠屋さんは、かつては海の上だったということになりそうです。





関東人にとって旧東海道の関所は「箱根関所」が有名です。
中学生のときの遠足でも行きました。
その箱根と並ぶもう一つの関所に、予習もしないで突然訪問することとなりました。
浜名湖湖畔のリゾートホテルなどに収まってしまっていたら、こうした歴史的な土地の存在に気づくこともなかったでしょう。
宿泊場所は出来るだけ軽めなところの方が、その土地の見方を変える発見があると言えます。





取り調べを行う代官とその部下たちの人形は“旧関所スポット”の定番。
期待を裏切らない雰囲気に、小学生の見学時には大賑わいでしょうね。

新居関所の裏も東海道本線なので、313系やコンテナ列車が数分間隔で走り抜けていました。
今も昔も、この地は日本の大動脈なのです。





関所を出て、当時の旅籠屋建築として保存公開されている「紀伊國屋資料館」に徒歩で移動。
旧東海道は画面突き当たりを左に曲がる形で京に続いていて、新居宿もL字状に展開する形で広がっていたようです。
確か、旧中山道の下諏訪宿もそんな感じでした。





平日だからなのか、我々以外に観光客はいませんでした。
おそらく浜名湖に来たら舘山寺温泉の方とかが定番なのでしょう。
もったいないことだと思いながら、でも当方の中では「イイトコ見つけた」感が強く、旧中山道ばかりに親しむことはせずに他の街道も見てみようかなと思ってみ始めたり。

海側から心地よい風も吹き抜けてくれまして、夏に古民家を訪問することには、間違いなく一定の合理性があると考えてみたり。





「今晩はこの辺でお願いしますね」
そんなことを言われたのかどうかは分かりませんが、江戸時代の旅人がチェックインしたとき、この場所にどんな人相の先客が居たことか。
間違いなく、この場所で緊張する一瞬があったことと思います。
相部屋ってすごいですね。





紀伊國屋資料館のすぐそばには「小松楼まちづくり交流館」という無料施設もありましたので、少しだけ訪問しました。





建物は明治末期のもので、大正から昭和初期にかけて営業していた芸者置屋兼小料理屋を移築したものだそうです(確かに切妻建築だけど近隣と整合性がないような)
でも、こうした施設が一つでも多くあることは、街の回遊性を生むこととなって良いですね。

旧東海道の宿場町は、第1番・品川宿の現在の様子から全く興味がなかったのですが、よく調べていなかっただけなのかも。
なかなか見所がある新居宿でした。







早めのランチは、新居の「かねはち」さんで。
ほぼ旧東海道沿いのお店です。





容赦なく家族全員で「うな重・特上」をいただきました。
フカフカのうなぎであることは御覧のとおり。


検索すれば浜名湖周辺にはうなぎ料理店がワンサカとヒットするので、素人には難しい選択となります。
聞いてもいないのに評価が見えるようになっていて、それが実にウザい(もちろんこの評価に基づいて選択を簡単にしてしまう人もいるでしょう)。
ただ、アップロードされている写真だけは客観性が保たれている情報として参考にさせていただきました。

こちらを訪問させていただいたポイントは「うな重本体以外に無駄な付け合わせ品がないこと」

うな重と肝吸い、お新香だけというシンプルかつテーマがはっきりとしたメニューに「これこそ、うな重」と納得しました。

箱根周辺でも外観がお洒落なそば屋に入ると、懐石料理のような「そば料理」が出てくることがありますでしょう。
浜名湖界隈のうなぎ料理店にも似たような傾向があるような、ないような。
飽くまでも当方の主観です。


もう少しつづけてよろしいでしょうか。
ではまた。




  1. 2022/09/03(土) 21:00:00|
  2. 駅ノート
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