しなのさかいの駅前広場

スカ色がたくさんやってくる月末

ちょっと北近江まで(その3)

(その2からつづく)


本稿では2泊3日の旅の2日目、12月23日(金)の動きをお伝えするつもりですが、今回は観光情報ばかりとなります。

鉄分は少なめですので、その点をあらかじめ御容赦くださいませ。





東横イン米原駅新幹線西口を朝8時過ぎに出ました。
米原駅前は閑散としている分、必要最小限の要素が至近距離に密集していて、レンタカー店もその一つでした。

東横インからほんの徒歩数分で、とび太くんに案内されながら、予約済みのレンタカーを引き取りに向かいまして、手前に見える白い車がこの日の相棒となりました。

レンタカー店の方に「北の方へ行くのはどうでしょう?」と聞くと「うーん、一応スタッドレスタイヤですが、うーん」といった歯切れの悪い応答で、かなりの難問をふっかけてしまったようで申し訳なく。


それでは10か所のポイントを順番に御案内します。



① 彦根城



米原から彦根城の近くまでは20分くらいでしたでしょうか。
朝8時台はこの地でも車による通勤ラッシュが激しくて、鉄道ばかり乗ってきた者が慣れない土地でいきなりハンドルを持つのですから、やや緊張。

カーナビの誘導で、あらかじめ教えてもらっていた住所に迷わずに着いて、この日の本当の相棒となる友人と9か月ぶりに再会。
青空を背景にして彦根城を眺めながら湖周道路へ出て、奥琵琶湖へ北上開始です(今回はお城見学はパス)。



②マキノ高原・メタセコイア並木



北近江を味わう今回のツアーの「最奥地」としてマキノ高原を選んでみました。
まずはココまで北上して、その後は持ち時間の範囲で彦根方面へ戻りながら観光スポットをハシゴするという魂胆です。

訪問が1か月早ければ、この道路は車のブレーキランプだらけだったかもしれません。
それほど落葉の季節は観光需要が高く、これもまたデジタルカメラ(スマートフォン)が生んだ騒動なのでしょう。
でも、葉が落ち切った褐色の季節もまたイイじゃないですか(^^)

訪問者は我々の他にはほとんどゼロ。
久しぶりのメタセコイア並木を、御覧のような閑散期ということもあって、自由にウロウロして味わうことができました。

移住したばかりの友人はこの場所を知らなかったそうで、どこへ連れて行かれるのかと心配だったそうで(アラアラ)
どっちが案内人なのかわからないところが面白いなと(^^)



③ 海津大崎

マキノ高原から湖畔に出て、そのまま海津へ。
琵琶湖なのに漁村のような雰囲気のある家並み。
この地も再訪してみたい場所でした。
この辺は「津」が付く地名が多いようです。
理由はなんとなくお分かりいただけますよね。





そんでもってこのブルーなのですよ。
風が強くて波が立っていましたけど、でもそれはやっぱり湖面の波で、打ち際はチャプチャプという程度の可愛い音でした。

「海に見えるけど、やっぱり湖だと気づく」
琵琶湖を見てそんな驚きを体験してみたい方にはオススメの場所だと思いました。



④塩津の交差点



お断りしておくと、このセブンイレブンがある交差点(T字路)は観光スポットでも何でもありません。

ありませんが、当方はこの交差点に来たのはこれで3回目で、いつも考えることは同じです。
それは、ココが日本海側への「動脈」であることを実感できる交差点であるということ。





ちょうど国道303号から国道8号へ合流するところの画面で、右(木ノ本・長浜方面)から左(敦賀方面)へ長距離トラックがバンバン走っています。
これが国道8号(右方面は303号との重複区間)。

303号からこの交差点に近づくとき、周辺には視界を遮るものがほぼないので、遠くから見ても、これから自分が異様な様子へ飛び込んでいくことを確認することができます。
上手く言えませんが、日本海側へ続く動脈そのものに見える、ということです。



⑤ 賤ケ岳のふもと



その交差点を右折してしばらく走ると、1583年に羽柴秀吉と柴田勝家が激突した賤ケ岳古戦場がありました。
画面は賤ケ岳トンネルを抜けて、背後を振り返ったところ。

賤ケ岳リフトの乗り場があるこの場所が気になった理由は、合戦場となったことが分かる地形、というだけでなく、賤ケ岳(画面に見える山)の麓に、いかにも近江地方と思える大音の家並みが存在していたからでした。

この地での暮らしが若い世代へ受け継がれて、それが100年単位で続いているんでしょうから、人が住もうと考える土地って一体なんなんだろうと。

旅のキッカケが「友人の移住」ということもあって、今回の北近江ウォッチングでは、たびたび似たようなことを考えさせられました。



⑥ 余呉湖



琵琶湖の北側にある余呉湖は今回が初めての訪問でした。
この場所は「静寂そのもの」であるとの情報を得ていたので、それなら年末の季節に立ってみるのもよろしいんではないかということです。

そんなことで訪問した湖畔には、既に1人で訪問している先客さんが。
みんないろんなことをゆっくりと考えたくなる時代、なのかもしれませんね。
いろいろありましたから。

ただ寒くて立っていられなかったというのが真相であり、大きな誤算でした。
2時間ドラマのラストシーンみたいにはいかないのね。

湖畔のドライブインでカツ丼を注文したら、たまごでカツをとじない、上に乗せただけのカツ丼で、これも(うれしい)誤算。



⑦ 北国街道・木之本宿



Nゲージの御座敷運転のときの駅のようなJR余呉駅を眺めながら、南下して木ノ本へ。
軽く木之本宿を観察しました。
ココは北陸本線の駅もありますので「旧宿場町」といっても昭和の雰囲気のある賑やかな駅周辺という感じ。
いつも時間がない中での訪問となり、宿題を残し続けている木之本宿です。





木ノ本の踏切でやってきたのは赤いEF510-4が牽くコンテナ列車。
スッキリと晴れた空の下を快走していても、この後には吹雪との戦いが待っているのですから、日本海縦貫線の物流は大変なことです。



⑧ 国友村



日本史を勉強していれば必ず出てくる国友村。
でも、その場所を地図上で指すようなことは普通できませんよね。
当方も訪問するまではそうでした。





こんなところにあるんですよ。
戦国時代の交差点のような地域ですから、国友村は、今風に言えば、サービスエリアか道の駅に併設された実演販売コーナーのような存在だったのかも。

こちらも現代に至るまで、平らな田園風景の中に残っていて、暮らしの様子も見えました。
最後の鍛治職人は昭和の初め頃までの御存命だったとのことで、それ以降は普通の集落になっているはずなんですが、代々家が受け継がれていることに感慨深さが。





住宅街の中にある資料館で、当時の鉄砲の重さを体感して立ち去りました。



⑨ 美濃・近江国境

国友村から北陸自動車道・長浜ICに向かい、レンタカーなのに図々しく高速で移動して関ヶ原ICへ。
岐阜県に戻ったところで、残りの時間を中山道の宿場観察に当てることとしました。





まずは中山道59番・今須宿にある美濃と近江の国境。
ココは今も岐阜県と滋賀県の県境です。
某テレビ番組ではバスの乗り継ぎができないとかで、近江側から徒歩でここまで来るシーンを幾度も放送していました。





「寝物語の里」の碑。

近くの郵便局で聞いたところでは鈍い反応だったので、地元の方々にはそれほどのスポットではないのかな。

公益社団法人びわこビジターズビューローが運営する「滋賀・びわ湖観光情報」では以下のような案内となっています。

「昔、国境の小さな溝を隔てて建つ両国の旅籠の泊まり客どうしが、寝ながら話しができたことから付いた呼称です。安藤広重の『木曽街道六十九宿』に描かれた今須宿の図は、この地を描いたものです。現在宿等はなく、石碑のみが建っています。」





Wikipediaから転載

県境のスポットであるだけに岐阜県側も案内しており、そこには源平合戦期のエピソードがあったようですが、どこか重々しく、滋賀県側の程度の案内の方が当方としては馴染みました。

どんな話題にせよ、国境を挟んで互いに枕を向けて夜な夜な寝ながら会話をするなんて、ロマンチックなことですよね。
現代にも通じる「県境ロマン」のルーツのような場所でした。



⑩ 中山道・柏原宿



中山道60番・柏原宿。
もう日没間近だったので、ささーっと。
山東柏原郵便局で874局目の旅行貯金を果たし、そろそろ北近江ウォッチングもおしまいという雰囲気になりました。

「山東」とは旧山東町(さんとうちょう)のことで、2005年に米原市へ併合されています。
予備知識がないまま訪問したので「山東?」となりました。

もう少し時間が欲しいと感じる場所でして、ココにも宿題を残したような。






その後は61番・醒ヶ井宿、62番・番場宿を通り抜けながら中山道の跡を辿りました。
交通量がものすごい名神高速道路の脇を白いトヨタ・パッソが走る風景は、自分で運転していて「絵になるよなぁ」と。

さらに63番・鳥居本宿を通りながら、郊外型ロードサイド店が賑やかな彦根市街へ戻って、北近江ウォッチングの大団円となりました。






この春に彦根に移住した友人は、その2年前の春、支店勤務中に会社を辞めてしまいました。
当方にとっては突然のことで、その事実を後日に風の便りで知った程でした。
本人から「彦根に行く前に」というメールを受信した昨年4月のとある日、仕事中の昼休みを利用して再会した…という流れです。

で、辞めた理由。
長時間労働でした。

超勤が年間1,200時間を超えてしまい、その原因はいわゆる「クラッシャー上司」の存在だったそうです。
定年退職をあと数年に控えたその支店の上司は、本店で定年を迎えることでキャリアを終えたいとの欲望があったようで、点数稼ぎのために部下たちに無駄な資料作成をさせ続けたんだとか。

そんなことをしているうちに、この組織に生きるエネルギーを吸い取り尽くされるのなら、今のうちに人生をリセットしてみたくなったということで、2年間の空白の後、縁もゆかりもない北近江の土地の仕事を選ぶことができた…とのことでした。
そんな彼が、わざわざ当方だけに「行き先」を教えてくれた形でして、「それなら必ず行くよ」と固い再会の約束をした、ということなんですよね。


人生の「残り時間」の使い方。
考えない人よりは考える人との関係を強く大切にしていきたい。
そう考えることが多くなっているこの頃です。





友人とは別れ際に彦根城近くの蕎麦屋で徹底的に語り合いまして、再々会を約束。
自宅へ送り届け、その後はレンタカー店経由で連泊する東横インへ帰って、カバンの中に入れていた木ノ本の「つるやパン」での収穫物をいただきました。

突然余計なデザートが湧いていますが、これは前夜と同様、近くの平和堂フレンドマートで買い求めたプリンです。
クリスマス・イブイブでしたから。
ノンアルコールで甘党の米原ナイトでした。



さて、帰り道のことに触れてそろそろ終わりにします。
模型のことも書かないといけませんし。


(その4へつづく)



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  1. 2023/01/19(木) 19:30:00|
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