しなのさかいの駅前広場

ユートピアもモーターなしのままでしょうね

KATO キハ58系(2023年版)+キユニ28

こんばんは。しなのさかいです。




今年の夏も暑いですね…
ってなことをいつもここに書いておく理由は、今さらですが、後で振り返ったときに季節感とともに記憶が戻ってくるようにしたいからです(^^)

関東平野の梅雨明け宣言はまだのようですから、近日中に再び日差しの遮断があると期待しておきましょう。





カトーのキユニ28を入線させています、というお話です。
当方は模型としての「キユニ28」という新形式の登場よりも、カトーが約40年ぶりに、いわゆる“キハ40顔”の新解釈を行ったことに関心を寄せています。

トミックスだけでなく、カトーとしても国鉄型気動車の終焉を目の当たりにし続けている訳ですから、今後何らかの“動き”を見れてくれるのかなーと寝ながら期待しているところです。
分かりませんけど。



でも、本題は…
キユニ28の発売と同時に、2018年に製品化された単品のキハ58系の再生産の方なんです。

再生産メニューは平窓のキハ58、キハ28(いずれも冷房車)、それとキハ65で、あいにくキロ28の再生産はなし。
今回同時に発売された急行「土佐」の増結需要を見てのことでしょうから、それはそれで納得です。



さて、当方は2018年当時にこれらをまるっと買い揃えていますから、特に必要のない再生産でした。

が…

公式HPに以下のように記載されていた点が、発売前からやや気になり出して、ソワソワしていたのです。





矢印を付させていただきました。
これ、“西落合文学”とも呼ぶべきものでして(当方だけがそう呼んでいます)一読しただけでは何のことだか分からないのです。

しかも再生産のメニューの中にあるのですから、なおさら(再生産ですから書き加えられるはずがないと思いますよね)

さらにキハ65の方は「より実感的な…」とありますから、国語の問題として見ても何らかの比較対象があってのことと読めます。
何と比較して「より実感的」なんだろう?

長くカトーユーザーをやっていると、この二つのセンテンスには、まぁ動揺する訳ですョ。




2018年版をおさらいするとこうです。



まず臭気抜き窓の方から。
Hゴムも朱色4号で帯ごと塗られていて(これは生産工程としてはそうなるのですが)、その後にHゴム部分にはグレーの印刷がなされていません。
先行して発売された165系では印刷が行われていたので、買ったときはアララってなりました。





その後に「いいで・ざおう」、それからパノラミック車のキハ58系が発売されまして、これらには全て印刷が施されていました。
カトーの仕様としてはこれで正解。
だから2018年版のみがグレードダウンした状態だったのです。
特にパノラミック車と混結して編成を組むには精神衛生的によくありません。





「臭気抜き窓のHゴムを再現」というさりげない一文には「今度はやりますよー」という総本山からの教示があったんですね。
せっかく所属標記なども印刷されているので、こうなることでより完成品モデルとしての輝きが増すのです(オーバーですが)





もう一つ、キハ65の方。
「より実感的な屋根上のクーラー配置を再現」とは、2018年版のクーラー配置を間違えていた(?)ことによる屋根板パーツのやり直しのことを指しているようでした。

「キハ65のクーラーの配置を均等にしてはいけない」ということは、長く鉄道模型をやっている者には認識されている戒めなんですが、2018年版では悪いことにそうなっていたんです。

御覧いただいているのは、今回のキハ65。
先頭付近のクーラー同士の間隔が後方のそれとは違いますが、これで良いようです。
急行「土佐」の中のキハ65も同じく改善された屋根板のようでした(そりゃそうです)
トミックスでも今までに何回かこういうことがありましたから(キロ26とか)、気動車の屋根は素人が考えている以上に難しいのでしょう。


ということで、手元にあった2018年版はキロ28を除いて中古市場に役立てていただくこととし、今回の再生産を待っていたのでした。





この再生産を機に「やろう」と決めていたことはただ一つ。
ケースの中に仕込まれている付属シールを使います。
3.5㎜径のスクリューポンチを用意しました。





固いマットを敷いてから、左上のマークに慎重にポンチを合わせて、適当な鈍器でガン!(やばいことをしているみたいです)

「土佐」のASSYパーツも発売されましたので、その中からヘッドマークパーツを仕入れ、この中の無地マークを使います。
これにペタリ。





気分は七尾線で、急行「能登路」。
カトーがシールに収録してくれたおかげで、懐かしい列車を再現することができました(「土佐」のマークパーツの製品化も助かりました)
シールの内容は四国のマークばかりで、四国以外は「能登路」だけという奇跡っぷりです。

この「能登路」のマークは特に気に入っていて、奥能登のシンボルである見附島を中央下に配して、背景が空色のブルー。
現地に立つと分かるのですが、奥能登・飯田湾の晴れの日は、正にこういう色のときが多いのです。
赤い“能登路”のロゴも、少なくとも四国のマークたちよりは芸術性を感じられます。
一体誰のデザインなのでしょうね。

最近は地震のたびに珪藻土が崩落する見附島でして、マークを見るたびに心配しています。






(キハ58+キハ28)×3=急行「能登路」です。
おかげさまで、全車の臭気窓にHゴムが入りました。
サウンドボックスを備えていることもあり、リアルに「カラカラ」と乾いたエンジン音が聞こえています。




ところで。
「能登路」はグリーン車も連結していないつまらない編成のようですが、当方としては、この列車はちょっと面白かったのです。

例えば「能登路」7号。
1985年3月の時刻表によれば、14時12分に金沢を(確か6両で)出発すると、16時05分に穴水に到着し、ここで七尾線・輪島行きの「能登路」7号(2両)と能登線行きの4両に分割です。
ただ、能登線行きは4両のままではなく、その穴水でさらに2両と2両に分割。
先に2両を珠洲までの「能登路」7号として先行させ、残る2両を終点蛸島までの普通列車として運転するのです。

金沢を起点にして、まるで毛細血管のようにキハ58系が能登半島全体に染み渡るようでしょう。
珠洲到着は17時18分、蛸島到着は18時26分でした。





当方の記憶の中の、能登半島を走るキハ58系。
1986年3月29日、11時52分に金沢を発車する普通列車337Dに乗って、終点蛸島には16時41分に着きました。
約5時間の鉄道旅行でした。

午前中は朝から富山港線、城端線、氷見線と乗り潰し作業をしていて、金沢駅へ戻ってくる時刻が11時10分だったのです。
それにしても、今から考えるとずいぶんと長い乗車時間、能登半島縦断だったなと。
この後は路線バスを乗り継いで奥能登を駆け抜けて日没後の輪島へ。


翌3月30日は、輪島発7時25分の「能登路」4号に乗りました。
ここで乗車した車両を撮影していないのは、おそらくフィルムをケチったからでしょう。





でも、撮影していないのは心残りだと思い直したのかな。
金沢へ向かう途中、8時03分に着いた穴水で階段を駆けて反対側のホームから「能登路」4号を撮ったんだと思います。
能登線から来る2両の待ち合わせ・連結時間が数分ありましたから
かろうじてヘッドマークを残しておくことができました。

今はこの穴水駅で奥能登方面の線路が途切れています。
鉄道で奥能登を目指す旅なんて、今では想像もできない冒険だったんですよね。





ASSYパーツのヘッドマークが手に入りましたから、ついでに急行「土佐」も再現してみました。
「土佐」セットの方は、近所の量販店では早々にバラし売りが始まっているようですが、うーん、どうなんでしょう。





下の河原の着色をやり直しました。
パステル粉をパサパサと付けてみたりして。
やっぱりこういう仕上げ作業はいつやっても楽しいのです。
あ、プロボックスを置くのを忘れました。





貨物列車もそろそろ本格的に研究してみたいですね。



ではまた。

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  1. 2023/07/18(火) 19:30:00|
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