しなのさかいの駅前広場

覆い隠すアイデア

能登の奥まで(その3)

(その2からつづく)


8月5日は、道の駅「輪島ふらっと訪夢」からスタート。
この施設は、のと鉄道・輪島駅があった場所に建てられていて、今でもバスターミナルとして、街のコアとしての機能を維持しています。
昼の12時までやっているという「朝市」を偵察する前に、こちらを見てみることにしました。





建物の裏には、廃線メモリアルパーク?
これでも地味に、線路をまっすぐつなげるように撮ることに神経を使っていますのョ。

書割り(写真)には、穴水へ続く線路とNT100形の姿が。これはこれで1つのアイデアではあるけど、ちょっと切ないなぁと。







ホームのレプリカのようなところには駅名標。
電飾タイプの方は実際に使われていたものと思われます。
木製の方は枠自体が変えられているみたいですが、文字の書かれた中身は昔のままみたい。





1992年11月10日 のと鉄道七尾線・輪島駅にて

やっぱりそうでした。
レンタカーで輪島まで行ったときの1枚。
「シベリア」の文字が面白かったので、同行者全員で記念撮影したんだと思います。
空欄となっていたところに誰かが悪戯をしてから、次第に定着したんだとか。





もう1つ、道の駅の建物の中には、記憶にある「輪島駅」の額がありました。





1986年3月27日 国鉄七尾線・輪島駅にて

こちらもそうでした。
輪島駅の改札口真上に掲げられていたものです。
今改めて見てみると、改札口の奥には、これから乗る急行「能登路」が写っています。
このときは国民宿舎輪島荘に泊まっていたのですが、翌朝は結構早い時間に駅に戻ってきていたようです。
キハ58系がガラガラとエンジンをアイドリングさせている音が蘇ってきました。

鉄道時代を感じさせるいろいろな仕掛けがある道の駅でした。


ところで。
のと鉄道・穴水ー輪島間は2001年に廃止されました。今にしてみれば穴水ー蛸島間よりも早く廃止されたことが意外。
穴水と輪島の間には2駅しかない短い区間でしたが「それでも廃止」することになった訳で、そこらへんには複雑な事情、経緯があったようです。とにもかくにも、第三セクター鉄道としては初の廃止路線となり、当時としてはショッキングなニュースだったと記憶しています。

また、別の見方をすれば、静岡県下田市のように、半島の先端に位置する市制自治体が鉄道を手放してしまったことに(市民の特急バス利用を含めて)複雑な思いを抱かざるを得ません。
住民の利用だけを考えて鉄道の存廃を決める時代ではなくなってきた(と思う)今日、観光客を呼び込むことに関しては戦国時代となってきた今日から見ると、少々早過ぎる決断でもあり、そう決断することがトレンドだった時代に決断せざるを得なかったようにも見えます。
食い散らかっていない「田舎」の風景の中をキハ58系「能登路」がプォーンとタイフォンを鳴らしながら走る姿は、素晴らしい観光資源となっていたことでしょう。

のと里山空港から空路での奥能登入りも、時間的な都合からすればいいのでしょうが、当方としては飛行機の利用に抵抗があります。やはり地べたを這って目的地ヘ行きたい(笑)
地元としては鉄道よりも空港、だったんでしょうか。








普通の観光客のように輪島の朝市を見た後は、大沢地区の「間垣」を見に行きました。
朝ドラで脚光を浴びたようですけど、当方は1992年に、何の予備知識もないまま車で迷い込んだ集落で、そのときの景観の良さに対する驚きから「もう一度行きたい」と思っていた場所。
シーンとした集落に家族4人で車から降り立ったら、すぐに「クラブツーリズム」のバスが2台やって来て、あっという間に静かな漁村はサービスエリア状態に。





旅行貯金をしようと集落内の西保郵便局を探したら、なんとその向きは集落の内側でした(間垣とその前の道路を背にして)。
「よく見つけられましたね」と局員氏2名に労ってもらったほどです。
さらに信じられなことに、局員氏によれば、この細い道路こそ、かつての道路だったんだとか。
こんな道幅でも可としていた時代があったということを、大沢集落の位置、立地と絡めて思い知らされるのでした。
おそらく、都会の人間が想像できないくらいの長い間、ほとんど陸の孤島だったのではないかと…





試しても泣かない砂浜だった「琴ヶ浜」に寄りながら「ヤセの断崖」へ。
この断崖は2007年の能登半島地震で大きく崩落してしまい、ただの崖になってしまいました。





そこから数百メートル先には「義経の舟隠し」という奇勝地。こっちの方が全然良かったな。
潜水艦の隠し場所っぽいというか(笑)







志賀原発の脇を通り抜け、UFOの街・羽咋(未だにそうなっています)で遅いお昼とした後は「千里浜なぎさドライブウェイ」へ。





そして、あこがれの「8番ラーメン」内灘店。
しかし、当家にとっては薄味でした。
「これも関西文化だからなのかなぁ」という見解で一致。





この日は、内灘海水浴から見る夕日でおしまい。
近くの「ファミリーロッジ旅籠屋・内灘店」で安めの1泊としました。
内灘店は、目の前に海水浴場、隣には日帰り温泉とマックスバリュがあるという好立地で、なかなかでした。


(その4・完へつづく)



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  1. 2016/08/16(火) 12:40:00|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

旅行中の資金調達になくてはならない郵便局と農協が、集落に溶け込んしまい探すのに一苦労した事が何回かありました。
しかし 地元の人にとって それが自然な配置なのかもしれません。
地方駅周辺の再現に大切な要素でしょうね。
  1. 2016/08/17(水) 07:48:21 |
  2. URL |
  3. 線路際の住民 #-
  4. [ 編集 ]

線路際の住民さん

時代の積み重なり方が、こういう何気ないところに潜んでいる。地域の見方はレイアウトの作り方そのもの。なんだか深いですよね。
  1. 2016/08/17(水) 22:46:14 |
  2. URL |
  3. しなのさかい #-
  4. [ 編集 ]

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