伊那谷の終点で
2017-01-15 (Sun) 10:00
おはようございます。しなのさかいです。
ここに来てくださる皆さんと165系 急行「アルプス」で楽しんでいる最中ではありますが、少し脇道にそれます。
12月28日に宿泊した昼神温泉。
この温泉が位置する長野県下伊那郡阿智村は、飯田線の通る伊那谷の南西端に位置しています。
ここに宿泊するのも三度目で、いつもチェックアウトした後は、行く先を名古屋方面とするか、駒ヶ根・伊那方面とするか…という感じ。
天竜峡も元善光寺も既に行ってしまったし、飯田市内も特になにもないし。
つまり「ここ」にステイするという発想が浮かばないのが経験則でした。
そんなことを考えていたら、ホテルのロビーに同じ阿智村の中の園原(そのはら)地区を紹介したパンフレットがあったのです。

「園原」という地名は、中央自動車道でも園原インターチェンジがあるため、そこそこ御存知の方も多いのではないでしょうか。
名古屋方面からだと、中央自動車道で北上して、ちょうど木曽谷の入口から伊那谷へシフトすべく恵那山トンネルを抜けた、ちょうどその出口、そんなところです。
中央自動車道・恵那山トンネルには、以前から興味がありました。
もちろん車で走るのも大好きで、幾度もハンドルを握りながら往来を楽しんでいます。
このトンネルは、並行する国道も存在しないため、1975年に上り線、1985年に下り線が開通するまでは、この園原地区が行き止まりの地だったと推察しています。
また園原は、古代から中世にかけては、東山道の峠越えの麓に位置した土地で、そこそこ歴史的にも有名なんだとか。
中山道については知っていても、東山道とは。
最近では、夜にロープウエィに乗って山頂へ行き、満点の星空を眺めるあのスポットとして有名になっています。

ここが「園原の里」と銘打って園原の里観光組合がパンフレットを作っているのを目にし、行ってみることにしました。
車で上がれるとのことですから、まあ大丈夫かなと。

車で上る前に、園原郵便局で657局目の旅行貯金を済ませ、風景印をゲット。
ここで念のため、園原の里に関する情報を収集し、丁寧にも局員さんから手書き製のマップまでいただきました。

まずは門前屋に車を停めて、信濃比叡・廣拯院へ行ってみることにしました。
かつて、東山道天台宗の開祖・最澄が、東山道の難所であるこの地に無料の宿泊所(広拯院)を建てたんだそうです。
こういう縁から、平成12年に「信濃比叡」の呼称が許され、さらに平成17年に根本中堂が建立された、と伺いました。
Nゲージユーザーとしては「東海比叡」がしっくりきますが、残念ながら「信濃比叡」ですので(笑)

「伺いました」と書いたのは、家族4人でウロウロしていたら、住職さんから「寄ってらっしゃい」との仰せがありまして。
根本中堂で以上のようなお話を伺ったというわけです。
この地でもまだ山の中腹。
平成8年に建立された最澄像の向こうには、既に壮大な景色が広がっています。
都会ではなかなか体験できない「鐘つき」も、そんなにやっていいのかなと思うくらいやらせていただきました。
娘たちにはいい経験になったかも。
この後、住職さんのお話にあったので、門前屋さんで、根本中堂建立時に出てきたという白蛇(まだ生きています)を見て、さらに住職さんのおすすめもあり、門前屋さんで願掛けのお皿を買いました。

さらに車で細い道を上り、滝見台へ。
「暮白(くれしろ)の滝」へ向かって、先程のお皿を投げて割るシステムとなっております。

下の娘と当方の願掛けの内容を情報公開。
小学五年なのに「けんこう」とは。
親の方が幼稚で、そして欲張りです。

その滝見台の裏には、巨大な構造物がありました。
フェンスで囲まれており、そのフェンスには「中日本高速道路」の看板が。
これ、どうやら中央自動車道・恵那山トンネルの換気口のようなんです。
この真下には、大量の車の通行があるのかと思うと「へぇー」。


思いもかけず、簡単に見れないものを見ました。
もしかしたらトンネル工事のときにも「立坑」として機能していたのかも。
詳しいことはわかりませんが、恵那山トンネルというビッグプロジェクトの名残を見た気がして、趣味方面の血が騒ぎました。
鉄道趣味をやっていると土木方面への興味も湧いてくるものです。
ちなみに、ここに来るまでに当家族以外の観光客は初老の夫婦1組のみ。

車で上ることができる限界点までやってきました。
神坂(みさか)神社です。
先程の初老の夫婦も、さすがにココまでは来なかったみたい。
恵那山トンネルの岐阜県側には神坂パーキングエリアがありますが、その名称の由来も理解できました。
自分でいうのもなんですが、年末の寒い日に、よくまあこんな場所へ家族を連れてきたもんです。
そういえば、門前屋付近からは向かい側の谷の「ヘブンズそのはら」に結構な台数のクルマ、観光バスが止まっているのを見ました。
全長2,500メートル、標高800メートルから1,400メートルへ上るロープウエィ体験の方がごく普通の家族サービスのような気もしますが、まあ、あえてこういうスポットを選ぶのもいいでしょう。
そういうスパルタンなやり方が当方の旅行方針です。

でも、不思議とこういう場所の方が落ち着くんです。
とにかく人口物の音が何も聞こえません。
聞こえるのは、風で木々が揺れる音だけ。
そして、見えるのは、巨大な杉の木だけ。
なかなか都会では体験できないロケーション。立派な観光資源だと思いました。
そして、東山道の山越えルートだったということ。
今は、真下にある恵那山トンネルで数分の行路です。

遠方に南アルプスを望みます。
向こうに見える山の麓が伊那谷で、天竜峡駅があるところ。
やや北西に方向を転じているとはいえ、ここは南北に伸びる伊那谷の最果て、終点です。
地形を感じながらの旅も、いいもんです。
(つづく?)
ここに来てくださる皆さんと165系 急行「アルプス」で楽しんでいる最中ではありますが、少し脇道にそれます。
12月28日に宿泊した昼神温泉。
この温泉が位置する長野県下伊那郡阿智村は、飯田線の通る伊那谷の南西端に位置しています。
ここに宿泊するのも三度目で、いつもチェックアウトした後は、行く先を名古屋方面とするか、駒ヶ根・伊那方面とするか…という感じ。
天竜峡も元善光寺も既に行ってしまったし、飯田市内も特になにもないし。
つまり「ここ」にステイするという発想が浮かばないのが経験則でした。
そんなことを考えていたら、ホテルのロビーに同じ阿智村の中の園原(そのはら)地区を紹介したパンフレットがあったのです。

「園原」という地名は、中央自動車道でも園原インターチェンジがあるため、そこそこ御存知の方も多いのではないでしょうか。
名古屋方面からだと、中央自動車道で北上して、ちょうど木曽谷の入口から伊那谷へシフトすべく恵那山トンネルを抜けた、ちょうどその出口、そんなところです。
中央自動車道・恵那山トンネルには、以前から興味がありました。
もちろん車で走るのも大好きで、幾度もハンドルを握りながら往来を楽しんでいます。
このトンネルは、並行する国道も存在しないため、1975年に上り線、1985年に下り線が開通するまでは、この園原地区が行き止まりの地だったと推察しています。
また園原は、古代から中世にかけては、東山道の峠越えの麓に位置した土地で、そこそこ歴史的にも有名なんだとか。
中山道については知っていても、東山道とは。
最近では、夜にロープウエィに乗って山頂へ行き、満点の星空を眺めるあのスポットとして有名になっています。

ここが「園原の里」と銘打って園原の里観光組合がパンフレットを作っているのを目にし、行ってみることにしました。
車で上がれるとのことですから、まあ大丈夫かなと。

車で上る前に、園原郵便局で657局目の旅行貯金を済ませ、風景印をゲット。
ここで念のため、園原の里に関する情報を収集し、丁寧にも局員さんから手書き製のマップまでいただきました。

まずは門前屋に車を停めて、信濃比叡・廣拯院へ行ってみることにしました。
かつて、東山道天台宗の開祖・最澄が、東山道の難所であるこの地に無料の宿泊所(広拯院)を建てたんだそうです。
こういう縁から、平成12年に「信濃比叡」の呼称が許され、さらに平成17年に根本中堂が建立された、と伺いました。
Nゲージユーザーとしては「東海比叡」がしっくりきますが、残念ながら「信濃比叡」ですので(笑)

「伺いました」と書いたのは、家族4人でウロウロしていたら、住職さんから「寄ってらっしゃい」との仰せがありまして。
根本中堂で以上のようなお話を伺ったというわけです。
この地でもまだ山の中腹。
平成8年に建立された最澄像の向こうには、既に壮大な景色が広がっています。
都会ではなかなか体験できない「鐘つき」も、そんなにやっていいのかなと思うくらいやらせていただきました。
娘たちにはいい経験になったかも。
この後、住職さんのお話にあったので、門前屋さんで、根本中堂建立時に出てきたという白蛇(まだ生きています)を見て、さらに住職さんのおすすめもあり、門前屋さんで願掛けのお皿を買いました。

さらに車で細い道を上り、滝見台へ。
「暮白(くれしろ)の滝」へ向かって、先程のお皿を投げて割るシステムとなっております。

下の娘と当方の願掛けの内容を情報公開。
小学五年なのに「けんこう」とは。
親の方が幼稚で、そして欲張りです。

その滝見台の裏には、巨大な構造物がありました。
フェンスで囲まれており、そのフェンスには「中日本高速道路」の看板が。
これ、どうやら中央自動車道・恵那山トンネルの換気口のようなんです。
この真下には、大量の車の通行があるのかと思うと「へぇー」。


思いもかけず、簡単に見れないものを見ました。
もしかしたらトンネル工事のときにも「立坑」として機能していたのかも。
詳しいことはわかりませんが、恵那山トンネルというビッグプロジェクトの名残を見た気がして、趣味方面の血が騒ぎました。
鉄道趣味をやっていると土木方面への興味も湧いてくるものです。
ちなみに、ここに来るまでに当家族以外の観光客は初老の夫婦1組のみ。

車で上ることができる限界点までやってきました。
神坂(みさか)神社です。
先程の初老の夫婦も、さすがにココまでは来なかったみたい。
恵那山トンネルの岐阜県側には神坂パーキングエリアがありますが、その名称の由来も理解できました。
自分でいうのもなんですが、年末の寒い日に、よくまあこんな場所へ家族を連れてきたもんです。
そういえば、門前屋付近からは向かい側の谷の「ヘブンズそのはら」に結構な台数のクルマ、観光バスが止まっているのを見ました。
全長2,500メートル、標高800メートルから1,400メートルへ上るロープウエィ体験の方がごく普通の家族サービスのような気もしますが、まあ、あえてこういうスポットを選ぶのもいいでしょう。
そういうスパルタンなやり方が当方の旅行方針です。

でも、不思議とこういう場所の方が落ち着くんです。
とにかく人口物の音が何も聞こえません。
聞こえるのは、風で木々が揺れる音だけ。
そして、見えるのは、巨大な杉の木だけ。
なかなか都会では体験できないロケーション。立派な観光資源だと思いました。
そして、東山道の山越えルートだったということ。
今は、真下にある恵那山トンネルで数分の行路です。

遠方に南アルプスを望みます。
向こうに見える山の麓が伊那谷で、天竜峡駅があるところ。
やや北西に方向を転じているとはいえ、ここは南北に伸びる伊那谷の最果て、終点です。
地形を感じながらの旅も、いいもんです。
(つづく?)
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