しなのさかいの駅前広場

久しぶりにワクワクする発表でした。

大阪潜入

「RETURN TO SHINKAICHI」編からつづく)



2月27日(火)。




この旅3日目の行程は、京都・五条通りを東へ歩いて、京阪電車の清水五条から始め、ここから大阪へ行くこととしました。
今回の旅は、まあまあ天候には恵まれている方で、この画像は、晴天の空の下、朝の鴨川を気持ちよく眺めることができた、というシーンなんです。
川沿いにジョギングしている人たちを見ると、なんとなく『京都殺人案内』のワンシーンというか、映像作品でよくある「京都の朝」というシーンそのものでして、こんなところにこそ当方にとっての観光目的があります。







京阪電車には1996年3月に乗っていて、そのときは淀屋橋から出町柳まで、旧塗装の8000系電車でのあっという間の移動でした。
それ以降、記憶は曖昧になるばかりでしたので、もう一度沿線風景を見て記憶を更新しておきたくなったというのが京阪を移動手段に選んだ動機です。





京都近郊を抜けて、丹波橋で後続の特急待ちとなりました。
どうせ大阪へ行くなら、京阪の弾丸サービスをもう一度体験しておきたくなるのが人情でしょう。

反対方向、出町柳方面へ向かう2600系は、ニューカラーではあるものの、元をたどれば大古参です。
車体断面がラウンド的に見え、明らかに現代の車体とは異なる雰囲気。
さらに言えば、なーんとなく昔の小田急っぽいんですよね。





続いて8000系が出町柳へ向かうべく、やって来ました。
スクエアな外観でも「特急」で、近鉄特急と比べればとても特急とは思えないけど、「京阪特急」という捉え方となればこれで大正解なのであります。





そして、出町柳方面へ発車。
昨年はプレミアムシート車の運用が始まり、8000系の編成にまたまた変化が生まれました。
そんでもって着席サービスの発想が突き抜けています。
スピードだけでなく「座席でもてなす」という発想が素晴らしいですよね。
西武のSトレインが芳しくないという理由がわかる気がします。
やっぱり着席の「約束」だけで有料とするのはチープに見えてしまうんですよ。
テレビカーとかもありましたし、関西の私鉄は車内設備サービスによる話題づくり、競争が途絶えません。




この後の通勤通学者に混じって、京橋を目指しました。
線路は、中書島から先、大阪方面へは淀川沿いに延びていて、河川に沿った堤防道路を走る電車という感覚に。
楠葉あたりでは特にそう思いました。
さらには、その線路がよくカーブをしていて、乗っている8000系の先頭部がチラチラ見えるんです。
記憶がちゃんと更新されたことは言うまでもなく、Nゲージユーザーとしては、こういう記憶が模型を見たときにその背景までを再生させることになります。
もっとも、その記憶のせいで財政出動が大きくなるのも大きな問題なのですが、マイクロエースの8000系は既に持っていますから(笑)







9時過ぎに京橋着。
丹波橋から乗ってきた8000系を見送りました(もう少し乗っていたかった)。
ちょうど京阪電車の通勤時間帯を体験した形で、ここで降りる人たちは普段の自分と同じような外観。
そんな人たちは、改札口から吐き出されてどこかへ消えていきました。
そんな自分は今、“異国の地”で一人、首から一眼レフをぶら下げて立っているのですから、面白いことだなと。
仕事を忘れて楽しんでいる自分を、このときあたりからクリアに意識したような気がします。

いよいよ、大阪潜入。
いろいろと消化しなければならないイベントを自分なりに予定しているので、「京阪体験」はこれでおしまい。







JR大阪環状線の京橋へ向かいました。
JRの京橋には初日にも学研都市線で2回来ているので、これで3回目。
その駅前には、朝から営業している「お店」があって、いかにもいかにも…。
でも、大阪っぽくて、これでイイ。





かつてはO‐CAT荷物室スペースがあった、223系0番台。
そんな事実も、だいぶ薄まってきました。

大阪環状線内の列車運行方法には、民営化直後にこの辺を乗り歩いたときに大きなカルチャーショックを受けていて、それは「103系以外の近郊形電車も走っている」ということでした。
仮に関東の例に置き換えるならば、東海道本線の列車が品川から山手線を1周するようなもので、そうなればもはや「事件」です。
そういうことをやってしまう(まぁ、山手線に比べればダイヤに余裕があったからかもしれませんが)ところに、関西の鉄道のカルチャーが垣間見えます。





なのでまずは、ロングシート車を避け、やってきた内回りの225系0番台「関空・紀州路快速」に乗ってみることにしました。
大阪環状線をクロスシートで旅すること自体も、関東の人間にとってはとてもおかしくて貴重な体験なのです。
車内は当然ながら、キャリーケースを持ち込んだ乗客が多く、大阪の都心から関空へアクセスすることにバリアがないことが伺えました。





1周するつもりだったんですけど、気が変わって大阪で下車してしまいました。
「雨が吹き込んで機能していない」と言われる屋根を観察していなかったので、それを見ようという魂胆です。







雨でずぶ濡れになるので各ホームの上家を撤去できなくなって、なんとも中途半端な結果に終わったみたいで、だから「建築という世界は怖いな」と思います。
大阪駅では、その他、初日に訪問したグランドフロント側でも雨天時に傘を差さなければならない動線が発生しているようで、ちょっとまずいことになっているみたい。





683系4000番台。
通称「ヨンダーバード」。
Nゲージではなかなか製品化されません。





今度は323系に乗って、大阪から西九条へやってきました。
ここで、まだ乗ったことがない桜島線に乗換えます。
ユニバーサルスタジオジャパンへ向かう外国人観光客(ばかり)がワンサカと降りて、当方もそれに混じりながら、真ん中のホームに来る列車を待つことに。

西九条では桜島線の列車が、環状線の外回り線と内回り線に挟まれた真ん中(に敷かれている単線)に止まるので、環状線の外回り、内回りそれぞれのホームに降りた乗客を、左右の扉を開けて収容するというやり方を採っていました。
極めて合理的ですよね。

ところで、大阪から乗ってきた323系は「大阪環状線改造プロジェクト」の要となっていて、あっという間に3扉化が進みました。
だから323系は3扉のロングシート車です。
当方は、1990年代半ば、40N改造車で統一された“スーパー103系”に魅了された一人なんですが、あの編成も次第に統一性が失われて、その後は確かに環状線はその通り、バッドイメージを持ちました。
これからのイメージアップ、どうなるでしょうか。





外回りには、再び225系0番台。
E257系0番台に似ていると思っています。





桜島行きとしてやってきたのはオレンジ色の201系ですぜ。
更新工事を受けた車両であるとはいえ、関東で201系という存在は、既に記憶の中のものであって、現実世界で見るものではありません。
30年を超えてもまだ運用されている(することができている)のですから、車両の運命を分ける要素は「設計」だなと思いました。





満員の201系は、ユニバーサルシティで201系の希少価値すらわからないであろう乗客たちをドバッと降ろしてガラガラに。
何台ものベビーカーが、根こそぎ降りていきました。
分かっていたことではありますがが、これほど極端だと、残った人間の方が「一体何者なのか」と指を刺されていそうで、トホホです。
朝の八高線の北八王子の雰囲気に似ていました(いや、それ以上です)。







桜島で降りて、外から201系を観察。
正面には「中央特快」なんていう野暮なサインを出す種別幕もないので、晩年の中央線快速の車よりも「国鉄っぽい」と思いました。
西日本スカートが付いていても、色が黒いですからブラックアウトされていて目立ちませんしね。
鉄道ファンにとって、大阪は罪なところです。





USJの裏を歩いて、貯金目的で「〒」マークが大きく掲げられた此花桜島郵便局へと向かっていたら、途中で「連絡線のりば」という看板がいくつか目に入ったんですね。
で、「そうだ!」と。
この先にタダで乗れる大阪市営の連絡船があることを思い出しました。
「思い出した」というのはそのとおりで、1997年12月にこの辺を歩いて、その連絡船に乗っていたんです。
つまり、「桜島線には既に乗車済みだった」ということが、この瞬間に頭の中によみがえったのでした。
少しアホなことをしたかな。

とはいえ、この局で貯金はしていませんでしたから、ここへ来た意味を再確認して貯金。
男女の局員さんたちにその乗り場を尋ねたところ、親切にも局内に貼っていた時刻表を見てくださり、「もうすぐ出航ですよ」との回答が。
「それなら乗るか」という気持ちになり、JRで西九条まで引き返そうとしていた考えはすっかり消えていたのでした。


(つづきまーす)


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  1. 2018/03/17(土) 23:55:00|
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