万能電車 京阪800系
2018-03-28 (Wed) 23:00
(「音川さんちを訪ねて」編からつづく)

嵐電本線区間を四条大宮方面へ進むと、壮大な(ように見える)路面区間(併用軌道区間)となりました。
ストレートな道路と、空中に張り巡らされた架線とワイヤーがいかにも昭和の中頃をイメージさせるじゃないですか。
併走する車たちの中に、時代が古そうなものを探したくなる、どことなく懐かしい気分になる風景でした。

四条大宮に到着。
ココに用はなく、すぐに折り返して次のプランへ進みました。
その折り返しの電車は学生と観光客であふれ返していて、なんとかして乗るのが精一杯でした。
路面電車にこんな需要があるというのも、どことなく昭和な気がして、悪い気はしませんネ。

嵐電天神川で下車です。
混雑していたことから、下車に手間取ってしまい、運転士さんが「発車しまーす」と発声したので条件反射的に「おりまーす」と大声を出してしまいました。
カメラをぶら下げて、ちょっと恥ずかしかったかな(笑)
嵐電の乗車体験はこれでおしまいです。
思っていた以上に路面区間が長く、この車両の模型たちを「路面電車」としてレイアウト上で遊ぶことは少なくとも間違いではないと考えました。
モデモさんには、もっと頑張ってもらわないといけませんね。

嵐電天神川の目の前は、似たような名前の駅である太秦天神川。
地下鉄東西線の終点となっています。
地面に大きな窪みができていて、開放感のある入口でした。
2008年に開業したばかりなので、最新の部類に入る地下鉄の駅といえます。
東西線自体、当方にとっては初乗車となりました。
しかし、東西線に乗ることがミッションではなくて…

ここから京阪京津線への旅をすることが、この日のメインでした。
なので御陵からは浜大津を目指します。
浜大津行きの運行本数は20分おきに設定されているようなので、途中下車も簡単です。
一旦、三条京阪まで進んで途中下車して、その20分間を旅行して京都三条局で旅行貯金。
改めてそこから浜大津方面へ進みました。

地図で確認しておきます。
京津線はその名の通り、京都と大津を結ぶインターアーバン鉄道です。
特に、京都と大津は互いに府庁・県庁所在地であり、日本中を見ても非常に近い都市同士となっていますが、地形的には大きな隔たりがあるようで、この隘路、特に大谷付近の逢坂山の克服の仕方が興味のポイントでした。
一度でも自分の目で見ておかないと、イメージを口に出しても嘘になってしまいますから、今回の旅でしっかりと観察しておこうという点が狙い。

スカイブルーの京阪800系で、まずは第一形態とも呼べる地下区間を抜けました。
複線ですから、時折反対方向の列車とすれ違いがあり、都市近郊そのもの。
神戸電鉄でもそんなことに気づきました。
反対から来る800系は、2017年から始まった新塗装化第一弾の815編成のようです。
マイクロエース、やりそうだなぁ(笑)

だんだん逢坂山へ近づいていくと、パッと見でもかなりのアップトリムであることがわかりました。
800系の第二形態である登山電車の仕業が始まっている場面です。
目の前の構造物はたぶん名神高速道路。
この先に行けそうには思えない(峠などなさそうな)閉塞感が漂っています。
さて、浜大津まで一気に進んでしまうのはつまらないし、京津線の特徴を理解するためには少し物足りない…。
乗っているうちにそう感じるようになりました。

なので、大谷で途中下車しました。
この駅で一番有名なのは、ホームのベンチでしょう。
座面が水平レベルを出していて、ホーム面が勾配角度を表していると思います。
ここは40‰の勾配で、日本の普通鉄道・軌道では日本一の急傾斜の駅ということだそう。
“勾配”というキーワードはすっかり今回の旅のテーマになってしまいました。

次の列車に乗る前に駅付近を観察することにしました。
近くにあった住宅地図で予習します。
ここは昔から京都へ通じる交通の要衝で、現在では名神高速道路と国道1号に挟まれています。
それ以外に、例えば住宅地が広がっていることはなく、都市と都市の間にあるエアポケットのような土地と空間のようです。


大谷駅前を北向きに歩いてみると、名神高速道路の案内板がチラリと見えて、さらにはトラック類の走行音も聴こえてきました。

それから、面白いナと思ったことは、この二つの大幹線道路に挟まれた駅前の道路こそ、旧東海道であるということなんです。

なので、京都方面へは行き場がなくなった旧東海道は、歩道橋で国道1号の向こう側へ逃げています。
というか、もともとの道を京津線とイチコクが埋めてしまった、というべきでしょう。
今では、京都へのアプローチは東海道新幹線であったり東海道本線となりました。
しかしその昔、といっても近代までの比較的新しい昔までは、長浜から琵琶湖を船で移動して、浜大津からはこのルートで京都へ抜けていた…ということがよくわかります。
そういえば、2014年に長浜鉄道記念館を見学したときにそんなことを学習していました。
その学習の続きがココということになります。
観光地によくある資料館って、意外と役に立つことがあるのですよ。
京都については、交通の歴史を切り取っても興味が湧いてきます。

その歩道橋の上から浜大津側。
「逢坂の関」はこの画面のすぐ向こう。

そして三条京阪側。
きっと、徒歩で都を目指していた時代に「あと一息」と感じて見た風景そのものなのでしょう。

そんなことをやっているうちに、浜大津から800系がやってきました。
山岳トンネルである逢坂山トンネルから抜け出た地点がこの峠のサミットになっているようで、そこからにわかに降りてきたように見えました。


浜大津行きの800系も到着、というか山を登ってきました。
地下区間を走ったり、最大61‰の勾配へそのままの仕様でアタックするのですから、この車両の多様性はもっと有名になってもいいと思いますし、製造コストが新幹線並み、という話も頷けます。
恥ずかしいことを書きますが、数年前にマイクロエースが800系を製品化したときは「この電車はなんなんだ?」という感想を持っていました。
当方は、この車両にそんな認識しか持つことしかできなかったのです。
でも、マイクロエースの企画としては、こうした多様な路線の特徴、それに対応した変わった車両に「遊びの要素」として認識していたのでしょうね。
発売と同時に、室内灯を取り付けると「提灯」になるということでマイナス的に盛り上がってしまい、その騒動がその遊び方や楽しみ方を掻き消してしまったようでした。
今から思えば、とても残念なことです。

上栄町まで下ってきました。
列車から後ろ向きに見ているところです。
名物のフランジ音防止スプリンクラーが水を散布していて、そのスペシャル感がまた素晴らしい。
この水まきだけでも結構な費用がかかっているはずです。
さらには、この付近に61‰という碓氷峠並みの勾配が仕込まれていて、とにかく注意して見なければならない場面が多すぎ。
路線が持つバラエティ要素の豊かさでは、江ノ電を圧倒するものがあるのではないかしら。

路面区間に躍り出ました。
ここから浜大津までは、車との共存共栄の社会を目指して頑張っていきます(誰が?)

そして京津線・最後の大イベント。
浜大津の交差点へ差し掛かりました。
たったの4両編成なのに、乗っている列車の頭が見えるという恐ろしいカーブ(ほぼ直角)で、もはやNゲージ、いや、プラレール並です。
こういうイベントが平然と、約20分置きに繰り返されている場所。
それが浜大津なんでしょう。
鉄コレのために並ぶ場所、ということだけではないようです。

という訳で浜大津に到着しました。
明らかに京都よりも気温が低く、琵琶湖からの冷たい風を感じて、冬の格好でよかったと思いました。
京都と大津は近くても遠さを感じてしまう、不思議な関係ですよね。

早速駅の外に出て、2014年の夏に家族で泊まった琵琶湖ホテルを確認しました。
京阪グループの中核となるホテルで、あのときは、早めにチェックインをして少し時間を余らせてしまいました。
こんなに京都が近いのならば「夜の三条を散歩しに行こうか」と夕食後に800系に乗ればよかったのです。
下調べが甘かったようで、2014年における浜大津の認識はそんなものだったということ。
だからフィールドワークは大切なんですョ。

例の交差点に立って、三条方面からやってくる800系の様子を観察してみたくなりました。
よく見ると、800系って笑っていますよね。
並走する車と戯れているからなのか、そう思えちゃいます。
このとき、当方の反対側には石山坂本線の電車を撮影しようと張っている人が二人いらっしゃいまして、そんでもって、当方があまりにも真剣に800系がやってくる方向を向いているので、不審がってその方向から来るモノをチラリと確認していました。
80系でも来ると思ったんですかねー。


そして800系は交差点内へ、ゴゴゴと音を立てて進入。
貫通幌がビヨーンと伸びて、妻面が思いっきり見せつけて歩行者を威嚇していました。
800系の第三形態というべき路面区間(併用軌道区間)の走行シーンをバッチリと観察できましたよ。
地下区間とは異なるパンタグラフの上がりっぷりが見事。
それから、先ほどは嵐電の路面区間を見ましたが、コイツは4両編成で堂々と進入してくるのですから、スケールというか迫力が段違いです。
日本の鉄道でもこんなことをしていいんですね(笑)
(つづきまーす)

嵐電本線区間を四条大宮方面へ進むと、壮大な(ように見える)路面区間(併用軌道区間)となりました。
ストレートな道路と、空中に張り巡らされた架線とワイヤーがいかにも昭和の中頃をイメージさせるじゃないですか。
併走する車たちの中に、時代が古そうなものを探したくなる、どことなく懐かしい気分になる風景でした。

四条大宮に到着。
ココに用はなく、すぐに折り返して次のプランへ進みました。
その折り返しの電車は学生と観光客であふれ返していて、なんとかして乗るのが精一杯でした。
路面電車にこんな需要があるというのも、どことなく昭和な気がして、悪い気はしませんネ。

嵐電天神川で下車です。
混雑していたことから、下車に手間取ってしまい、運転士さんが「発車しまーす」と発声したので条件反射的に「おりまーす」と大声を出してしまいました。
カメラをぶら下げて、ちょっと恥ずかしかったかな(笑)
嵐電の乗車体験はこれでおしまいです。
思っていた以上に路面区間が長く、この車両の模型たちを「路面電車」としてレイアウト上で遊ぶことは少なくとも間違いではないと考えました。
モデモさんには、もっと頑張ってもらわないといけませんね。

嵐電天神川の目の前は、似たような名前の駅である太秦天神川。
地下鉄東西線の終点となっています。
地面に大きな窪みができていて、開放感のある入口でした。
2008年に開業したばかりなので、最新の部類に入る地下鉄の駅といえます。
東西線自体、当方にとっては初乗車となりました。
しかし、東西線に乗ることがミッションではなくて…

ここから京阪京津線への旅をすることが、この日のメインでした。
なので御陵からは浜大津を目指します。
浜大津行きの運行本数は20分おきに設定されているようなので、途中下車も簡単です。
一旦、三条京阪まで進んで途中下車して、その20分間を旅行して京都三条局で旅行貯金。
改めてそこから浜大津方面へ進みました。

地図で確認しておきます。
京津線はその名の通り、京都と大津を結ぶインターアーバン鉄道です。
特に、京都と大津は互いに府庁・県庁所在地であり、日本中を見ても非常に近い都市同士となっていますが、地形的には大きな隔たりがあるようで、この隘路、特に大谷付近の逢坂山の克服の仕方が興味のポイントでした。
一度でも自分の目で見ておかないと、イメージを口に出しても嘘になってしまいますから、今回の旅でしっかりと観察しておこうという点が狙い。

スカイブルーの京阪800系で、まずは第一形態とも呼べる地下区間を抜けました。
複線ですから、時折反対方向の列車とすれ違いがあり、都市近郊そのもの。
神戸電鉄でもそんなことに気づきました。
反対から来る800系は、2017年から始まった新塗装化第一弾の815編成のようです。
マイクロエース、やりそうだなぁ(笑)

だんだん逢坂山へ近づいていくと、パッと見でもかなりのアップトリムであることがわかりました。
800系の第二形態である登山電車の仕業が始まっている場面です。
目の前の構造物はたぶん名神高速道路。
この先に行けそうには思えない(峠などなさそうな)閉塞感が漂っています。
さて、浜大津まで一気に進んでしまうのはつまらないし、京津線の特徴を理解するためには少し物足りない…。
乗っているうちにそう感じるようになりました。

なので、大谷で途中下車しました。
この駅で一番有名なのは、ホームのベンチでしょう。
座面が水平レベルを出していて、ホーム面が勾配角度を表していると思います。
ここは40‰の勾配で、日本の普通鉄道・軌道では日本一の急傾斜の駅ということだそう。
“勾配”というキーワードはすっかり今回の旅のテーマになってしまいました。

次の列車に乗る前に駅付近を観察することにしました。
近くにあった住宅地図で予習します。
ここは昔から京都へ通じる交通の要衝で、現在では名神高速道路と国道1号に挟まれています。
それ以外に、例えば住宅地が広がっていることはなく、都市と都市の間にあるエアポケットのような土地と空間のようです。


大谷駅前を北向きに歩いてみると、名神高速道路の案内板がチラリと見えて、さらにはトラック類の走行音も聴こえてきました。

それから、面白いナと思ったことは、この二つの大幹線道路に挟まれた駅前の道路こそ、旧東海道であるということなんです。

なので、京都方面へは行き場がなくなった旧東海道は、歩道橋で国道1号の向こう側へ逃げています。
というか、もともとの道を京津線とイチコクが埋めてしまった、というべきでしょう。
今では、京都へのアプローチは東海道新幹線であったり東海道本線となりました。
しかしその昔、といっても近代までの比較的新しい昔までは、長浜から琵琶湖を船で移動して、浜大津からはこのルートで京都へ抜けていた…ということがよくわかります。
そういえば、2014年に長浜鉄道記念館を見学したときにそんなことを学習していました。
その学習の続きがココということになります。
観光地によくある資料館って、意外と役に立つことがあるのですよ。
京都については、交通の歴史を切り取っても興味が湧いてきます。

その歩道橋の上から浜大津側。
「逢坂の関」はこの画面のすぐ向こう。

そして三条京阪側。
きっと、徒歩で都を目指していた時代に「あと一息」と感じて見た風景そのものなのでしょう。

そんなことをやっているうちに、浜大津から800系がやってきました。
山岳トンネルである逢坂山トンネルから抜け出た地点がこの峠のサミットになっているようで、そこからにわかに降りてきたように見えました。


浜大津行きの800系も到着、というか山を登ってきました。
地下区間を走ったり、最大61‰の勾配へそのままの仕様でアタックするのですから、この車両の多様性はもっと有名になってもいいと思いますし、製造コストが新幹線並み、という話も頷けます。
恥ずかしいことを書きますが、数年前にマイクロエースが800系を製品化したときは「この電車はなんなんだ?」という感想を持っていました。
当方は、この車両にそんな認識しか持つことしかできなかったのです。
でも、マイクロエースの企画としては、こうした多様な路線の特徴、それに対応した変わった車両に「遊びの要素」として認識していたのでしょうね。
発売と同時に、室内灯を取り付けると「提灯」になるということでマイナス的に盛り上がってしまい、その騒動がその遊び方や楽しみ方を掻き消してしまったようでした。
今から思えば、とても残念なことです。

上栄町まで下ってきました。
列車から後ろ向きに見ているところです。
名物のフランジ音防止スプリンクラーが水を散布していて、そのスペシャル感がまた素晴らしい。
この水まきだけでも結構な費用がかかっているはずです。
さらには、この付近に61‰という碓氷峠並みの勾配が仕込まれていて、とにかく注意して見なければならない場面が多すぎ。
路線が持つバラエティ要素の豊かさでは、江ノ電を圧倒するものがあるのではないかしら。

路面区間に躍り出ました。
ここから浜大津までは、車との共存共栄の社会を目指して頑張っていきます(誰が?)

そして京津線・最後の大イベント。
浜大津の交差点へ差し掛かりました。
たったの4両編成なのに、乗っている列車の頭が見えるという恐ろしいカーブ(ほぼ直角)で、もはやNゲージ、いや、プラレール並です。
こういうイベントが平然と、約20分置きに繰り返されている場所。
それが浜大津なんでしょう。
鉄コレのために並ぶ場所、ということだけではないようです。

という訳で浜大津に到着しました。
明らかに京都よりも気温が低く、琵琶湖からの冷たい風を感じて、冬の格好でよかったと思いました。
京都と大津は近くても遠さを感じてしまう、不思議な関係ですよね。

早速駅の外に出て、2014年の夏に家族で泊まった琵琶湖ホテルを確認しました。
京阪グループの中核となるホテルで、あのときは、早めにチェックインをして少し時間を余らせてしまいました。
こんなに京都が近いのならば「夜の三条を散歩しに行こうか」と夕食後に800系に乗ればよかったのです。
下調べが甘かったようで、2014年における浜大津の認識はそんなものだったということ。
だからフィールドワークは大切なんですョ。

例の交差点に立って、三条方面からやってくる800系の様子を観察してみたくなりました。
よく見ると、800系って笑っていますよね。
並走する車と戯れているからなのか、そう思えちゃいます。
このとき、当方の反対側には石山坂本線の電車を撮影しようと張っている人が二人いらっしゃいまして、そんでもって、当方があまりにも真剣に800系がやってくる方向を向いているので、不審がってその方向から来るモノをチラリと確認していました。
80系でも来ると思ったんですかねー。


そして800系は交差点内へ、ゴゴゴと音を立てて進入。
貫通幌がビヨーンと伸びて、妻面が思いっきり見せつけて歩行者を威嚇していました。
800系の第三形態というべき路面区間(併用軌道区間)の走行シーンをバッチリと観察できましたよ。
地下区間とは異なるパンタグラフの上がりっぷりが見事。
それから、先ほどは嵐電の路面区間を見ましたが、コイツは4両編成で堂々と進入してくるのですから、スケールというか迫力が段違いです。
日本の鉄道でもこんなことをしていいんですね(笑)
(つづきまーす)
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