しなのさかいの駅前広場

スリーブの絵には秘密がある。

名古屋発20時42分

「『神奈川県鎌倉郡小坂村』の謎」編からつづく)





敦賀市役所と市立図書館を行ったり来たりしてしまいましたので、少々くたびれました。
そんなところで都合よく、市役所の隣には「敦賀ヨーロッパ軒 中央店」があり、そこでランチ休憩とすることに。
この旅行でグルメ情報を流すことができたのは、初日の「豚々亭」だけだったと思うので、最後にこんな画像も良いでしょう。
といっても、同じ「豚」なんですけど。
ソースカツ丼、おいしかったですよ。
キャベツがあると色どりがもっと良くなると思いますけど、これで長い間支持されているようなので。

店内は、昔のデパートの最上階によくあった食堂、といった雰囲気。
明らかに「敦賀へは出張で来た」と思われる方々が、地元の営業所員に案内されて訪れていました。





レンタサイクルですので、思い出づくりにと考えて、市内をフラフラと。
市立博物館(元 大和田銀行)の建物を見たり…
ここは大和田伸也氏のゆかりのある銀行だったそうですね。





そこから続く古い町並みを見て。
それにしても、1人も歩いていません。
お店もポツポツと営業している程度で、閉まっているお店の方が多いみたいでした。
ゆえに、観光地というには少々厳しいかもしれません。
徒歩でここまでたどり着いていたら、体力の消耗と相まってガッカリしていたことでしょう。





まあ、当方は鉄道が好きですから。
鉄道スポットがあれば、とりあえずは行く訳ですよ。
そういう訳で、旧敦賀港駅舎までやってきました。
ココは、1999年の「つるが・きらめきみなと博21」の開催に合わせて再現された建物で、その外観は、1913(大正2)年竣工当時の姿だそうです。
中には、北陸本線に関係した資料が展示されていて、鉄道ファンならば楽しめる内容でした。
ただし、長浜鉄道スクエアと比べると見劣りはしますが。
あちらはすごいですよね。
なにせED70とD51が丸ごと収納されているのです。





ところで、この日の相棒を紹介しておきます。
つまり、観光協会で借りたレンタサイクルです。
電動アシスト付きの自転車なのに、全体的にゴツくて、なんとなく戦前の自転車みたいでした。
バッテリーを失うと、とても重くなるので、スイッチをオンオフ切り替えながら「持ち」を気にして走りました。
と文句のようなことを書きましたが、こうしたサービスが用意されていることは素晴らしいのです。
街に回遊性を持たせるためには、まずは手っ取り早くレンタサイクルでしょう。
周遊バスとか、そういうことは考えなくてもできるのです。





旧敦賀港駅舎の裏は敦賀湾。
海上保安庁の巡視船が係留されていて、ココが日本海であることがわかります。
山はところどころ白く、関西との気候の違いは明らか。
「越前」という国名の響きがこうした風景を表しているように思います。

なお、敦賀港は港湾法上の重要港湾、さらには特定港として指定されており、特に後者については常に外国船舶の入港が可能という意味を持っています。
軍事目的では舞鶴港がその役割を担っていますから、海上自衛隊の艦船は見当たりません。





そこから、さらにすぐ近くにある敦賀赤レンガ倉庫へ。
1905(明治38)年に石油貯蔵倉庫として建設されたそうで、2009(平成21)年に国の登録有形文化財になりました。
手前の倉庫は「レストラン館」で、奥の倉庫は「ジオラマ館」と称した鉄道模型ジオラマが有料で展示。
当方に限っては、あいにく鉄道のジオラマは間に合っているのでスルーです(笑)





明治38年のレンガ。
レンガは、見ていると落ち着ける不思議な素材です。

さて、ココは敦賀市の観光の拠点として活用されていくようですが、現状としては観光バスの休憩施設となっているようで、当方が見学している間に訪れていた団体客も、許された滞在時間は短そうでした。
入居するテナントも、地元のスイーツやレストランといった、食べ物をメインとした流行りのサービスエリア風であり、建物に入った瞬間に「買うものは何もないな」と判断できるほどで。
「じゃあ隣の建物に…」と思ったら、それが有料のジオラマ展示ですから。
行き場がすぐになくなる訳です。
地元との交流ができるような使途が備わると、もう少し面白くなりそうですね。
今後の展開に期待しましょう。







さらに敦賀港駅跡に行くと、トミックスが最近発売したISO 20ftコンテナがたくさんありました。
これだけ積まれているとすごいです。
近年、敦賀港はコンテナの取扱量が増えているそうで、これらもそうした中の一つなのでしょう。
ただし、ここからはトラックやトレーラーで運ばれて行きます。





おなじみの12ftコンテナも。
貨物の取り扱いはあるのに、「オフレールステーション」ってなんだか不思議ですよね。





そしてこれが敦賀名物(?)の「敦賀港駅ランプ小屋」。
1882(明治15)年完成で、旧長浜駅舎と並んで我が国の鉄道建築物としては最古のものだそうです。
2014(平成26)年にJR貨物から敦賀市へ寄贈されたとのことですから、それまで解体もされずによくぞ残っていたと思います。

明治15年というと、前述のとおり曽祖父の少年時代に当たります。
この場所にきて何かピンときたものがあったんでしょうか。
わかりませんけどね。





金ヶ崎・敦賀港へ続いていた線路は、このように閉塞されていました。

この何気ない線路について少しだけ余談を。
1906(明治39)年には敦賀-ウラジオストック間の定期航路が開設。
1912(明治45)年6月15日の時刻改正で、新橋-金ヶ崎間に直通列車が設定されたそうです。
新橋って、東京の新橋ですからね。
そことの直通列車です。
さらに、1919(大正8)年には「敦賀港(つるがみなと)」に改称。
その後、第一次世界大戦中には欧亜連絡運輸が廃止されましたが、1927(昭和2)年になると東京-敦賀間に1・2等寝台車の直通が復活しました。
マイロネフ37、マロネフ37などが充当されていたそうです。
「マイロネフ」っていう客車があったこと自体は知っていましたが、この頃にこんな場所へ行く乗り物だったんです。
なんだか「夢」のある「昔話」で、いいじゃないですか。

しかし、2009年3月31日限りで列車は走らなくなりました。
今後、この辺り一帯は敦賀市による鉄道をテーマとした整備構想があり、2018年度予算にはキハ28を購入する予算を盛り込んだそうです。
既にJR西日本とは、トワイライトエクスプレスの部品の譲渡を受ける協定も結んでいるとのことでありますから、今後の敦賀市の
「鉄分」に期待しましょう。

https://toyokeizai.net/articles/amp/210508?display=b&_event=read-body



□          □          □



気分としては、ここら辺まで来て「おしまい」でした。
今こうして振り返ってみると、ここから先は「帰り道」という意識に切り替わっていたような気がします。
寂しいけど仕方がありませんね。
今、こうして書いていても再び寂しさがこみあげてくるようで、不思議です。









駅へ戻らなければなりません。
途中、郵便局に寄りながら自転車で走りました。
閑散とした敦賀市内を。

それにしても、明治から昭和初期にかけて、欧州への連絡口として繁栄した面影は…、残念ながらありませんでした。
2016年に訪問したときは、郊外のバイパス沿いに東京近郊のそれと同じような景色が広がっていて、様々なロードサイド店がありましたから、どこか街づくりが「おかしなこと」になってしまっているんでしょう。
様々な地方都市でも同じような課題を抱えていることと思います。
北陸新幹線がやってくるまでに、こうした課題が解決されるといいのですが。





敦賀駅まで戻ってきました。
駅前もどこか寂しさが漂っていて、かつての鉄道の要衝だったとも思えません。
北陸新幹線によって、敦賀は関東の人たちにどう映るのでしょうか。
その開業予定は2022年度だそうです。
そんなに遠い未来ではないでしょう。


おみやげをいろいろ買い込んで、レンタサイクルを返却して、改札口へ。
さあ、ここからは名古屋までの在来線ミニトリップ。
帰り道ではありますが、楽しめることに化かすのは得意ですから、前向きに。





まずは第1ランナーで長浜まで。
前述のとおり、この日は爆弾低気圧の影響により特急「しらさぎ」が終日運休となっているため、普通列車での移動にならざるを得ませんでした。
ホームに待っていた長浜行きは521系。
それも、カトーが製品化した2次車でして、2両編成でした。
買った車両に乗れるというのはワクワクするというか、「俺、これ持ってるー!」と心の中で叫ぶというか、子どもっぽいワクワク感があります。
この日ももちろんそうでした。
223系5000番台と同じ(?)貫通路がある顔立ちは、さらに転落防止幌や貫通幌がつくと厳つくてカッコイイ。
これこそ「機能性の美」っていうやつですよ。
2セット買って4両編成にできるようにして正解でした。





よく見ると、485系とか489系という表示がありました。
名残はあるのです。


16時4分、発車。
新疋田を通って、越前と近江の国境越え。
2016年には、この国境を国道8号で越えましたが、今回は北陸本線でした。
国境越えというのは大きなイベントです。
車窓を眺めて、とても充実した時間を過ごしました。





16時54分、長浜到着。
521系から降りた乗客は、ほとんどここで第2ランナーの223系2000番台4両編成に乗り換えて米原へ向かいました。
乗換え時間は、僅か3分。
なぜか4両編成の223系には縁がある日でした。
これをもって脳内では、223系の4両はすなわち滋賀県内の姿、ということにしちゃいました。





16時57分に長浜を出ると、やがて琵琶湖が見えてきて、並走する車が。
奥が海に見えて実は湖であるところが、この地方の不思議な風景です。





そして17時10分、米原到着。
223系2000番台の前8両が待機していて、そこへ長浜から来た4両が連結。
新快速は12両化され、これから京都・大阪・神戸へ向かうはずです。
長浜と米原の間は12両に対応していないため、短い区間を短い車両で対応しないといけないみたいです。

もう一度そっちに戻りたいところだけど、残念ながら当方はここでJR西日本エリアとお別れ。
さらばJR西日本、さらば関西(何回もすみません)。





JR東海の311系が各駅運用で米原まで入ってきました。
さすがは境界駅。
思えば1989(平成元)年のデビューで、JR西日本の221系と並ぶ民営化の旗印のような車両でした。

1991年に名古屋から豊橋まで、新快速運用で初めて乗ったとき、その瞬足ぶりに驚き、たちまちファンとなったことを思い出します。
車内が211系とは違って落ち着いた雰囲気だったという記憶もあります。
ずいぶん前にマイクロエースが製品化しましたが、いわゆる「ダメなほう」で、買ってすぐに手放した苦い思い出があります。
もう時代とネタ的に模型化が望めない車両だとは思いますが、マトモな311系は欲しいです。
それだけ、民営化直後の時代は遠くになりました。





JR東海の313系が待つホームへ移動すると、コンテナ列車が通過していきました。
子どもの頃(国鉄時代)に乗り鉄をしていたときは、こんな風に貨物列車が駅のホームを通過していくシーンに驚いたものでした。
関東ではなかなかない場面でしたから。
何といいますか、「地方の幹線」というムードが満点なのですよ。
コンテナを積んでないコキとかが混ざっていたりするとなおさら。
特に米原駅はイイですね。
Nゲージでもコンテナ列車で積極的に遊ぶことにしましょうか。





さて、とうとうJR東海エリアへ入っていくことになる訳で。
大垣行きの313系は、0番台と3000番台との組み合わせでした。
300番台との組み合わせかと思っていたら、固定式クロスシートの3000番台でしたので、迷わず0番台の方へ移動。
すれ違う米原行きの列車には300番台が連結されていましたから、300番台と3000番台は共通運用なのでしょうか。
よくわかりませんが、313系がデビューした頃を考えると、3000番台が東海道本線を走るというのは、ちょっと意外(認識が誤っていたらごめんなさい)。
まぁ、カトーの313系は全て持っていますから、こうした楽しみ方もできるということを学習したということにしましょう。


そして、ここからは夕暮れ時の醒ヶ井や関ヶ原を通っていきました。
並走する国道を見ていると、以前に車で通ったことを思い出し、さらにはその時に「列車の方がいいな」と考えていたことを思い出しました。
いろいろな縁があって、今度はこうして313系の車内にいるのですから、おもしろいですよね。
それだけ、この大垣と米原の間の「隘路」は大好きな場所です。
よく考えれば、ここも国境越えでした。





濃尾平野に入って大垣。
乗ってきた313系は、そのまま特別快速豊橋行に変身しました。
0番台も特別快速の運用に入っていたんです。
知らなかった。
快速運用は5000番台限定だと思い込んでいたようです。
模型に施されたデフォルトの行き先表示に取り憑かれてはいけない、という典型的な例ですね。

だから、到着前の車内放送をよく聞いていなくて、大垣に着いた途端に降りてしまい大失敗。
座っていた席が必勝席だったのに、他の人に座られてしまい、とても惜しいことをしました。
模型だけで親しんでいると、0番台なんていうのはもう各駅運用しか担っていないように思えてしまい、全くもってダメですねえ。


これで名古屋まで一直線。
途中停車駅は、岐阜と尾張一宮だけです。
たったこれだけ。





名古屋到着です。
鉄道で来たのですから、駅周辺を歩くには自由が利きました。
よって、まず最初にナナちゃんは見ておかないといけないと思い、参拝。
一頃に比べると、衣装がつまらなくなった気もしますがどうなんでしょう。





「敦賀 ヨーロッパ軒」でカツ丼を食べたっきりでしたので、名古屋で夕食を済ませることにしました。
しかし、なかなか目ぼしい食堂や喫茶は夜遅い時間となったため営業時間外。
「1日中モーニング」なんていうところに行こうとしたら、閉まっていました。





新幹線の時間まで大分あったはずなのに、ウロウロ、ウロウロ、そして時間が。
クタクタに疲れ切ったカラダでたどり着いたのは、結局、エスカの「コメダ珈琲店」でした。
もう少しおもしろいところへ行きたかったんですけど、名駅の混雑ぶりが激しくて、思考回路がダウンしてしまいました。
近所にもあるコメダに入るのは、少し敗北感があるけど、名古屋グルメには違いないから(笑)

コメダでは条件反射的にみそかつサンドを注文してしまい、その瞬間「あ、ヒルメシもトンカツだった」と大反省。
油モノを1日に2回も食べてはいけないのです。



30年前の民営化直後は、まだまだ名駅周辺は静かで、20時になるとホームに人影はまばら、エスカは早々に営業を終えてシャッター街と化していたんですが、この混雑ぶりはナニ?
名古屋の人は家に帰るのが早いもんだと思っていたのに、ライフスタイルはすっかり変わってしまったようです。
どこも東京と同じようになっていくのが、旅行者としては残念。
ライフスタイルの違いはあってもいいと思いました。





そして、いよいよ東海道新幹線ホームに。
在来線ホームでは、夜遅くなのに383系がライトを光らせていました。
神領に帰る回送列車でしょうか。

名鉄にも乗っておきたかったと思いながら、それはまた次にしようかと。
そのときは、ぜひとも「アーバンライナー」で大阪難波まで行ってみたいなと思います。





ホームで待っていたら、とうとう「のぞみ254号」の表示が出てしまいました。
暗くて車窓も見えない夜の新幹線に旅のムードなど感じることもできません。
したがって、20時42分で「今回の旅はおしまい」ということになりました。



□          □          □



最初は面倒に思っていた「一人旅」でしたけど、いざ家族に送り出されてみれば、見るもの聞くもの全てが観光の対象であることに気づき、食事もろくにできないほどの時間の使い方となっていました。
それだけ夢中になるほど、今回の乗り鉄の旅には、大きく捉えて3つの収穫があったと思っています。



まず1つ目。
年齢を重ねれば、無意識のうちに蓄えた知識も多くなっているため、どれを見ても、そのビジュアルに意味があるようになっていた、ということです。
例えば、コープこうべの前でおしゃべりするおばちゃんを見れば、震災時のこと、神戸とコープは切り離せない概念であることとか、そういうことに気づいてしまう。
どれもこれも観光の対象となってしまい、それは嬉しい誤算でした。


2つ目です。
今後も鉄道模型を続けていく上で「背景が見える車両」が増えた、ということです。
20年前は、まだまだ模型化されていない車両が多かったですし、JR一辺倒でしたので、JRの主な車両を見て、帰ってからその模型をちんまり楽しむという比較的狭い価値観の中での遊び方でした。
しかし、その後はマイナーな私鉄車両が次々と製品化され、自分のテリトリーがその拡張ペースに追いつかなくなっていたのです。
車両の模型を手にしても、それが無味無臭であったり無機質であったりすると面白くありません。
このことは、自分が買うものに限りませんで、発売され、店頭に並んだ模型を見ることにも当てはまります。
それだけ車両から地域を見つめる視点とその領域を新しく広げることができたような気がするんですネ。


最後に3つ目。
これが一番大きいのですが、2/25~3/1のたった4泊5日の旅行を、こうして1か月以上に渡って振り返らせていただいたことで、旅が1か月間続いていたような、そんな気分でいることができたということです。
デジタルカメラで写真をたくさん撮っても、自宅に帰ってHDDに入れておしまい、ということにしてしまっては、何も発展しません。
1枚ずつ選びながら本ブログにアップさせていただきましたが、写真を選択する過程で、写真で語れること、撮影したときは知らなかったことなどを復習する機会がたくさん生まれました。
だから、今回の旅は、自宅に帰ってから今日までずっと続いていたのです。
そして、皆さんにどんなことを伝えられるのか、そういう思考を重ねる日々は、とても豊かなものでした。
それゆえに、デジタルカメラとiPhoneなどを手にした時代の「乗り鉄」は、発展性を持った面白い趣味だといえます。



という訳で、1か月に渡ってブログを更新し続けました。
お付き合いいただいた方には「感謝」という言葉しか申しようがありません。
もし、ほんの少しでも、当方の価値に寄り添っていただけた部分がありましたならば、それでこの旅日記の目的は達成です。
本当にありがとうございました。




今回の旅の記事のまとめ

【1日目(2月25日)】
「20年後に見る西の世界」(3/4)
「関西漂流(その1)」(3/5)
「関西漂流(その2)」(3/6)
「関西漂流(その3)」(3/8)
【2日目(2月26日)】
「王子公園駅のホームから海は見えるか」(3/10)
「神戸アップダウン作戦」(3/11)
「宝塚自転車駐車場が示す可能性と未来」(3/13)
「RETURN TO SHINKAICHI」(3/15)
【3日目(2月27日)】
「大阪潜入」(3/17)
「日本橋ヒットアンドアウェイ」(3/19)
「ハイタウン石切(前編)」(3/20)
「ハイタウン石切(後編)」(3/22)
「ならまちにて」(3/24)
【4日目(2月28日)】
「音川さんちを訪ねて」(3/26)
「万能電車 京阪800系」(3/28)
「湖西を巡って、再び京都へ」(3/31)
【5日目(3月1日)】
「敦賀で待つもの」(4/1)
「『神奈川県鎌倉郡小坂村』の謎」(4/5)
「名古屋発20時42分」(4/7)






名古屋発20時42分。
これにておしまいとなります。

ではまた。

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  1. 2018/04/07(土) 21:00:00|
  2. 鉄道旅行
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:10
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コメント

移動ではない「旅」

永らく楽しませていただきました。
毎回たくさんの楽しみやモノの見方、さらには時間の流れとか地域の文化といった情報とそれをつぶさに分析されていて興味が尽きませんでした。

名古屋発20時42分、いつかは訪れる「終わり」の時とそれを迎える寂しさ、一方で旅で得たものに対する充実感とか満足感  これはすごく大切な経験でしょう。
今でも訪問先のことを思い出しながら感慨にふけっていらっしゃると思います。

旅とは「他火」ともいい、普段の炊事ではないものを口にすることをはじめ様々な意味を含むそうです。
現代はただの「移動」が圧倒的に多いと思いますが、とても良い時間をお過ごしになったようで、私もいつかそのような旅をしてみたいと強く感じました。
  1. 2018/04/07(土) 22:15:21 |
  2. URL |
  3. ホビぽっぽ #1oSgNdPM
  4. [ 編集 ]

敦賀港は独特の雰囲気がありますね。
でも駅前があんなにシャッター街だったっけ? 凄く違和感があります。
お題から外れますが、鈴鹿サーキット玄関口のひとつ、白子駅前も何それ状態ですし。
どんどんそんな状態の街が増えているような。

長浜まで8連しか入れないので米原で4連増結か、米原で8連が待っていて4連を繋ぐ、ですよ。
新快速12連運転になってから、その辺りは色々あるようです。
前までは8連の新快速が普通に長浜行きでしたけどね。
ちなみに。湖西線経由/長浜経由とも 敦賀まで行く4両は、あくまで新快速・敦賀行きです。
各駅に停車しようが、新快速です。表示も変えません・・・でしたけど、今は変わったのかなぁ。

米原も構内をだいぶいじってますので、かなり狭くなりましたよ。
凄く広大な駅だったのに。

たぶん同時期を見ているのだと思いますが。
デビュー当時の311系を見て、221系に比べると、落ち着くではなくて軽いなぁって思った私です。
ステンレス車が凄く軽く思えたからかも。西日本の贔屓目もあり?

もともと鉄道管理局からして管轄違いだった米原駅ですから、新快速が彦根行きだったりして。
当時それを知らない私は、たった一駅なのに伸ばせばいいのになんて思っていましたよ。

313系はヘッドギアって思ってしまいます。失礼
パトレイバーのアレです。どうでしょうか。
TOMIXの新製品は扉の段差がなくて違和感満載でしたが、セントラルライナーは好きですよ。


京都まで戻っても同じ新幹線に乗れたのではと思ったり。
名古屋まで乗る楽しみと、駅前うろうろもできるからいいかなと思いますが。

大垣までで、妙に長い編成だったらそのまま化けることありますよ。
異常気象で特急を運休した分。増結していたからかもしれませんけれど。

名古屋駅前で食事だと、北東側に行ったら少し毛色の違う店があったかも。
大名古屋ビルヂングとか、ジュンク堂書店の方です。
それか、新幹線口のすぐ南側。あおなみ線改札のすぐ前かな。

しかし改札からだいぶ歩いたのですね。
この交差点の風景、名古屋のGMから歩いてくると、あと少しだって時に見るところです。

30年前の名古屋駅前、そうですね。
私も覚えていますが、駅前はさびしくて。
コンビにもあまりなくって、屋台のラーメン屋が居たのを覚えていますよ。
いま同じ場所に立っても、全然違いますね。


383ですが。
シートが右側向いてるから、到着列車の回送ではないでしょうし。
アレって感じですね。清掃作業してから入区だったかな。

名鉄はたまに乗りますけれど、座れてしまうと知立で降りたくなくなります。
豊橋から、新幹線、在来線、名鉄 の場合。
たいてい 名鉄 選んじゃいますけれど、出張先から個人責任で足伸ばすからでしょうけどね。
旅費清算できるの名古屋とか三河安城からだから、何かと経理面でややこしい。

アーバンライナーはノンストップが無くなってしまったので、ちょっと寂しいです。
まぁ運行管理上の問題もあったので、正しい姿なのでしょうけれど。
最新の姿の8連がでまっせ~。でも動力の位置関係で6連にできないとか。
新規金型は車体だけか??? なんか疑問ですが。

名古屋から先は日常になってしまうのかな・・・。
次は横浜ですから、もう日常のエリアです。
さて。ご帰宅は何時だったのでしょうか。
複数で書かれているはずなので、見当違いかな? 以前のレスからして。
新横浜で降りて北上か、東京から中央線か…。
私は新横浜で降りて北上でした。目的地まで約20分違いますので。


結婚すると一人旅は、難しくなるし少なくなると思います。
色々な見方をしてきてから違う都市に行くと、なんだか違いますよ。
年代によって見えるものが違うんだなぁって思いますから。

いきなりホームグラウンドでしたので、驚いてコメントしましたが。
今津駅も地平時代を知っていますし。

三宮駅前のホテルの入っていたビル、ターミナルビルも営業終了しまして。
37年間ありがとうかぁ・・・。
私もギリギリその開業時を覚えているので、寂しいです。
今は仮囲いですが、取り壊しのはずなので。
阪急からポートライナーまでの動線がどうなるのかが非常に不安です。
阪急東口のビル工事で、凄く行きにくくなっているもので。

次来られたとき、三ノ宮駅前はかなり違う雰囲気になっていると思いますよ。


Mu.
阪神急行電鉄の初代神戸側ターミナル、旧神戸・上筒井駅西方300mより


  1. 2018/04/08(日) 11:15:30 |
  2. URL |
  3. Mu #CnwbxUkc
  4. [ 編集 ]

「移動」を「旅」そのものにする

ホビぽっぽさん

長い間お付き合いいただいたようで、ありがとうございました。
せっかくお金を出して知らないところへ出かけるのですから、できることなら全行程を記憶や記録に収めて、味わっておきたいものですよね。
そういう意味で、おっしゃるように「移動」も「旅」そのものに変えてしまいたいという欲求があり、そんな風にしてみました。
関東と関西、新幹線でわずか3時間弱の移動距離ではありますが、その間にある「差」を感じることが今回の旅のテーマだったと思います。だからこそ、移動中もレーダーは回りっぱなし(笑)
繰り返しになりますが、ありがとうございました。
  1. 2018/04/08(日) 14:37:46 |
  2. URL |
  3. しなのさかい #-
  4. [ 編集 ]

ありがとうございました

Muさん

いろいろと教えていただきありがとうございました。
たくさん書いていただき、どれもこれもそのとおりだったと思います。
また同じような旅をすることがあるかどうかわかりませんが、神戸にはもう一度行きたいなと。
その頃には、神戸電鉄の車両がもっと模型化されているかもしれません(希望)。
  1. 2018/04/08(日) 14:54:53 |
  2. URL |
  3. しなのさかい #-
  4. [ 編集 ]

全て素晴らしい旅行記でした。

とても、素晴らしい旅でしたね、鉄道を中心にそれ以外の事も沢山記録出来て素晴らしい旅ですね、
521系はとても厳つさがかっこいですね、鉄道模型は実車を乗車撮影すると魅力がさらに増しますね、
また、この旅では221系や311系を記録されたと思いますが、この車両たちも登場からもう30年もう少したつと、
とても貴重な写真になりますよ、後313系3000番台は313系グループの中で多様な使われ方がされております。
飯田線や東海道線の美濃赤坂支線が現在の活躍の中心ですが、送り込みの関係で新快速に使われたり、
静岡エリアの東海道線で211系と併結して活躍をしたり結構幅広い活躍です。後、私も東海道線の快速運用は
5000番台の限定運用だと思っておりましたが、以前名古屋に行ったときに0番台が来て私も驚きました。
どの車両も製品やメーカーの情報だけではなく、実際の運用の状況を知ることが模型を集める・走らせる上での
大事な知識となりますね、最後にですが、関西は鉄道以外にもいろいろな面で関東にはない素晴らしさがあります。
もっと関東の多くの人に関西のことを知られることがいいですね、
  1. 2018/04/10(火) 22:31:25 |
  2. URL |
  3. keio201 #-
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地域の味わい方

keio201さん

嬉しいコメントをいただきました。
本当にありがとうございます。
車両と運用という点の観察は、その地域の経済的又は通学的移動頻度を観察することに等しく、これらに細かくフィットさせるために車両の仕様や線路設備等が可変しています。
快速の停車駅には何らかの理由がありますし、折り返す駅にはそれなりの設備とその設置理由があります。こうしたところにまで興味が及べば、313系や521系の見方も面白くなります。
関西の鉄道もまた然り。関西的な文化、発想、それを見越した鉄道会社なりの輸送サービスがある訳で、京阪のプレミアムシート、大阪環状線改造プロジェクトはそうした点の証左です。
これら一切が自分の居住エリアと比較してどう見えるのか、これこそが当方にとっての「旅」の味わい方に他なりません。
京都に泊まりながら京都鉄道博物館に行かなかった理由もそういうことなんです(笑)
そんなことよりも、1か月に渡って駄文にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
  1. 2018/04/11(水) 18:44:49 |
  2. URL |
  3. しなのさかい #-
  4. [ 編集 ]

313系

私も実際に旅をしたかのような、楽しい旅行記を読ませていただきました。こちらこそありがとうございました。
さて313系についてコメントさせていただきます。私はデザインとバリエーションの豊富さから、313系が好きで、以前しなのさかいさんも仰っていたように、私も名車だと思います。
今までたくさん写真を撮ってきましたが、3000番台が快速運用に付くのは過去2枚撮れました。これはkeio201さんが仰る事情のためです。また0番台の快速運用はまだ多く、逆に5000番台の普通列車が登場当初より増えた気がします。そのほか私が撮影できた中で、KATO製品で組めるユニークな編成は、
・3000+1300の4両編成  ・・関西線が3000から1300に置き換わる過渡期で見られました。
・0×2の8両編成 ・・東海道線の普通や快速であります。
・1100×2の8両編成 ・・これも東海道線の普通で確認。
・1300×3の6両編成 ・・ナイスホリデー木曽路の編成です。
・1100+8500+211系の10両編成 ・・中央線で確認。
さらに私は撮れていませんが、中央線では
・1100+1300×3の10両編成
・8500を含んだ313系だけの10両編成
という例もあったようです。
さらに、1600不足時は1700代走もあるため、たとえば関西線では1700+1300もあるはず。
といったわけで、実に様々な組み合わせが模型で楽しめます。
長文失礼いたしました。
  1. 2018/04/14(土) 20:24:54 |
  2. URL |
  3. やまだ #LLR6AlOk
  4. [ 編集 ]

旅をいっしょに

やまださん

やまださん、コメントをありがとうございます!
特に、冒頭にいただいたコメントは最高のお言葉だと思っていて、この旅行記で読んでいただいた方にも臨場感をお伝えするというか、当方が選んだ旅先にお連れすることができたのならば、これ以上のミッションなどあるはずもないのであります。ごちゃごちゃ書き続けて良かったと思っています。

さて、313系の編成バリエーションを教えていただきました。
特にツボだったのが「ナイスホリデー木曽路」の編成でしょうか(笑)これは想像していませんでした。
デビューから20年近く経った3000番台は、今となっては様々な用途があって、模型としても必需品のようです。
1100番台のダブルも捨てがたいし、8500番台の活用方法も面白そうです。東濃地方の風景も大好きだし。有益な情報をありがとうございました。
  1. 2018/04/14(土) 21:42:38 |
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  3. しなのさかい #-
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御無沙汰している間に名古屋にみえたんですね~

お早う御座います

御無沙汰しております

この処、忙しくブログ巡回をナマカワにしており気づきませんでした

名古屋におみえになっていたんですね~
(名古屋界隈ではいらっしゃるをおみえになると言うそうです)
名駅界隈もだいぶ変ってきたでしょう?

名古屋飯は地元に居ると好みもありますのでどうとも言えませんが
あえて名駅で定番はやっぱりホームのきしめんでしょうか?

名駅の名古屋飯は高いので敢えて地元民は・・・

また、おみえになる際は言っていただければ御紹介いたしますので、ハイ。
  1. 2018/04/17(火) 05:32:57 |
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  3. 海山鉄 #-
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名古屋は東京だ?

海山鉄さん

どーもです。
当方としても名駅の「名古屋飯推し」は鼻につくというか、乗せられているような気がして、嫌なんですよね。それでいて東京資本のお店も増えていて「一体ココはどこなんだ?」って。
本文にも書きました通り、名駅界隈の静けさが懐かしいです。民営化直後、20時過ぎのエスカはシャッター街と化していて、ダンボールを組み立てる人たちのゾーンとなっていましたもん。
不便だなぁと感じたものの、今となってはその不便さが名駅界隈の深い思い出となっていて、帰宅が早いという名古屋圏の生活の一端を知ったのでした。
なんでも東京に近づけていく風潮は、僅かに残っていた(東京ではない)大都市の個性を消してしまう、例えが悪いですが“自殺行為”ではと。そんなことをしておいて「名古屋飯デラうめーがや」みたいなことを言ってくる観光戦略は、やっぱり鼻につくと言うしかありません(^ ^)
リニアが開通したら「名古屋は東京だ」っていうコピーが流行るかな(秋田新幹線開業のコピーもそんなでした)。
  1. 2018/04/17(火) 18:40:18 |
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  3. しなのさかい #-
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