しなのさかいの駅前広場

「トイレ」が付く製品名はあんまりよろしくないですね。

妻籠宿でコーヒーを飲むことができる時代の到来

こんばんは。しなのさかいです。

そろそろ趣味生活のことへ進もうかと考えたところですが。
少し前のことになってしまいますけど、昨年末(と言っても数週間ほど前のことです)のフィールドワークのことについて触れておきます。
よろしければお付き合いください。





3年ぶりに安曇野に行きました。
コテージに荷物を下ろした後は、一時期の猛烈な混雑ぶりに比べると落ち着いてきた感のある「国営アルプスあずみの公園」LEDイベントへ。
駐車場には県外ナンバー車はそんなにおらず、どちらかというと地元車が多いようでした。
気温も関東平野のそれとほとんど違わないので、寒冷地仕様の服装で来た意味は半減。
この冬はどこも穏やかな気候のようです。
そろそろホントにやばいかもしれません。





翌朝は快晴でした。
泊まった物件は山の上なのでソコソコの積雪があり、履き替えてきたスノータイヤの効果を早速発揮。





今回は早めに木曽路に入り、奈良井宿で昼食休憩としました。

ココは駅直結の観光地。
なので、多くの外国人観光客が散策する、アプローチしやすい場所となっているようです。
たった2両の313系1300番台でやってくるアジア系のグループが、奈良井駅くらドヤドヤっと宿場町へ散っていきました。
おそらく木曽福島で「ワイドビューしなの」から乗り換えたんでしょう。
だとすれば、名古屋に宿泊しているのかな。
観光バスではなくて普通列車で、ということなのですから、個人レベルでの来訪も多いということのようです。
海外にも何らかの形で木曽路の評判が伝わっているということなのかもしれません(「京都よりもまだ…」ということだけかも?)。

欧米系のバックパッカー組も多く、カップルや子ども連れのグループと陣形、フォーメーションは様々。
鳥居峠を徒歩で越えてきたようで、今の日本人ですらなかなかやらないことですから、敬意を表します。






「ワイドビューしなの」9号を後ろから。






さて、妻籠宿なのです。

早めに木曽路へ進入したことで例年よりも持ち時間に余裕が生まれたため、馬籠宿へは急がずに、久しぶりにココへ立ち寄ることとしました。
実は、当方の視点からすると、ちょっとした異変が起きているとの情報をキャッチしたので、実際にこの目で確かめたくなった、という動機もありました。



その異変というのがこちら↓と…、




こちら↓。



明らかに外国人観光客を(も)ターゲットにしたお店のようです。
長年この辺をウォッチし続けていたので、日本の山深い場所であるにもかかわらず、ここ数年は海外からの観光客が増えていることを実感していました。
だから、間違いなくこのような需要はある訳で。

コーヒーをいただこうとカフェの中に入ったら、いい感じの古カフェになっていましたよ。
御店主にいろいろとお話を伺い、豊かな時間を過ごすことができました。
妻籠には何回も足を運んできましたが、こうした交流をすることができた記憶は今までにありません。


それにしても、妻籠宿でコーヒー。
ようやくこんな時代がやってきたんですね…






我が国における「全国町並み保存発祥の地」と称している妻籠宿では、昭和30年代の終わりから昭和40年代の初めにかけて保存の機運が芽生えました。
取り分けて昭和43年に取りまとめられた「妻籠宿保存計画基本構想」では、「観光をも目的とするが、あくまで歴史的景観の保存を第一義とする」「地元住民の生活環境の整備維持を十分考慮する」「木曽路計画の一部として構想する」といった、今まさに観光公害で悩まされている地域からすれば深く頷いてしまいそうな基本方針が盛り込まれました。

そして昭和46年になると、住民自らが「妻籠宿を守る住民憲章」を掟として定め、その後の保存条例へとつながっていきます。
その住民憲章の三原則が「売らない、貸さない、壊さない」。
このポリシーは令和の今にも受け継がれているようです。


保存当初はココにも観光公害と言えそうなブームがあったため、その都度住民が主体的に議論し、以上のような経緯を踏んできたワケなのですが、結論としては、飲食店で提供するメニューも大幅に制限し、今風の看板や自動販売機もNG、コーヒーの提供にも大きな論争があって…という強い自制が誕生しました。
この点、保存事業の後輩にあたる宿場町などとは大きく異なるもので、今では日本のあちこちにある「重要伝統的建造物群保存地区」の第1号(昭和51年、他の6地区と共に指定)にして、最も戒めを課している地区と言っても過言ではないでしょう。

まずは住民のアイデンティティづくりを優先させ、その結果として、取組の価値を共感してくれた人達だけが訪れるようになって、さらにその延長線上に観光産業が根付くならばそれを許容してみよう。
当方はこんなスタンスが長く続いてきた、と見ています。




しかし。

「ディスカバージャパン」のブームに乗って旧中山道を歩こうと訪問した多くの観光客は、そのブームが去ると次第に消え、大型観光バスで宿場町の裏方にある駐車場に乗り付けて、というスタイルに変化しました。
そしてバスから降りた団体客たちは、住民憲章などを知ることもありませんから、宿場の中心に躍り出たら「ホントココ、何もないわねぇ」という感想を抱き、記念写真を撮っておしまい、ということに。
妻籠宿は、どちらかというと滞在型ではなくて立ち寄り型のスポットとなってしまったのです。





実際に見てみてもこのとおり。
宿場の通り(街道)を歩いてもサイン類が不足していますからどこでどんな営業をしているのかがサッパリ分からない。
戸を閉めて営業していればなおさらで、果たして営業中なのか、何を営んでいるのかすら見分けられません。





失礼ながら、まるで『木枯し紋次郎』に出てくるひっそりと静まり返った(戸板の隙間からジーっと外を覗くような)村のようで、当方が見ていても、建物の前で何かを確かめようとフリーズし続ける観光客が何人もいました。





どうなんでしょう。

迎える側が「来る人」を選ぶことなどできるはずもなく、どうしたってまずは軽い観光目的で訪れようとする人は現れます。
このような人々が大勢押し寄せることで、地域社会が崩壊の危機に瀕してしまうのですが、かといってシャットダウンしてしまうのも極端なことです。
いつまでも文化的な理解は広められませんし、訪れた人は地元とのテザーの手段としてお金を使うこともできませんから、受け入れるべき方としては外部との交流の機会すら逃して帰してしまっているのです。

さらには欧米系のバックパッカーたちです。
まだ何も理解できていないはずの子どもまで引き連れて馬籠峠や鳥居峠を徒歩で越える姿を見ると、こういう人々までを速やかに立ち去らせてしまうのはどこかもったいない。
どう見ても、日本人以上に「価値を理解した」観光客でありましょう。








確かに、今京都で起きている観光公害を見れば、これまでにココが採った方針は理解でき、まずは暮らしを守った上で…というスタンスは讃えられるべきかもしれません。

でも、全ての観光客が、義務感で矢継ぎ早に観光スポットをラリーする人達ということでもないのですから、何らかの“観光客フィルター”のようなものをこしらえながら、それを受け入れようとする度量は必要なのかもしれませんね。
ココ、とても大きな課題です。
今回見たような新しいタイプのお店たちが僅かながら現れた事実は、地元の方(売らない、貸さない、壊さない、ですから)のそうした危機意識の現れなのかナと。

地域に必要とされているものは、経済的な潤いよりも、結束性の高い地域社会よりも、質の高い交流人口の増加なのかも。
今回の妻籠宿訪問ではそんなことを考えてしまいました。






さて。




馬籠宿から中津川市街を俯瞰。
岐阜県は大好きです。





さらに翌朝は神坂神社。
あいにくの雨なので、苔を見て和みました。





信濃比叡から見ても下界は雲海。





飯田市に入って、鳩ヶ嶺八幡宮へ。
ココはちょうど天竜川の河岸段丘の崖にあり、水がジョボジョボと流れ出ています。
飯田市が河岸段丘の高低差を無視して広がっていることに改めて気づきました。







伊那市のグリーンファームで野菜を死ぬほど買って、「見晴らしの湯」へ。
そして17時頃に岡谷へ達し、夏の旅に続く2回目の「さんれーく」です。





帰りは諏訪湖SAから岡谷方面を見て、2019年が終わったと実感。
そんな旅でした。


ではまた。

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  1. 2020/01/18(土) 00:20:00|
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コメント

しなのさかい様、こんにちは。
今回の記事は観光地の在り方について考えさせられる内容ですね。
私の地元も観光都市なので興味深いです。

確かに今の京都みたいに人が押し寄せ過ぎて市民生活が圧迫されるのは問題ですが…。
しかし、写真を見ても「営業しているかどうか分からない」のではもったいないですよね。
お店がやっているか分からないようではシャッター街と思われる人もいるのでは?

観光と住民生活のバランスを上手く取れる事を期待するしかないですね。
  1. 2020/01/18(土) 11:49:03 |
  2. URL |
  3. planet #-
  4. [ 編集 ]

「町並み保存」と「町並み保全」

planetさん

コメントをありがとうございます。
今、観光客が押し寄せることで住環境が破壊されることが全国各地で懸念され、その対策が考えられていますが、妻籠宿は昨今の外国人インバウンドが起こる、はるか前からこうした取組を行っているので、良くも悪くも例として考えさせられます。
少なくとも言えることは、自分(たち)の「価値」の維持、布教は、自己肯定欲から積極的にアピールする必要まではないのかもしれませんが、かと言って閉鎖的であってもいいのかということです。過疎や人口減が進めば、守ってきた住環境は失われてしまいます。消滅した集落を再生するためによその土地から入る若者がいれば、当然に価値観はリセットされてしまうわけですから、だったらば消滅する前に何か方針を変えるべきだったのではないかと。持続性がなければその大事な価値すら近い将来にはこの世から消えてしまうわけで。聞くところによれば、妻籠宿も世代的課題は潜在しているそうです。
「町並み保存」なのか「町並み保全」なのか。ココではその区別をもう一度が決めてみるべきなのかナと思いました。
  1. 2020/01/20(月) 08:06:08 |
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  3. しなのさかい #-
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