しなのさかいの駅前広場

荷物車がいっぱい

青15号と黄緑6号(その2・完)

(その1からつづく)


もう少し本稿を続けさせていただきます。
コキ10000系コンテナ列車に乗って北海道へ上陸したところでしたよね。




本州以南に住む鉄道ファンが北海道へ来て驚くことの一つが、複線区間なのに架線がないことだったりします(茨城県の方はそうでもないかもしれませんが)。
全ての列車がかつては蒸気機関、その後はディーゼルエンジンで動いていることに、北海道の豪快さを思い知らされたものです。





ボディが曲がっていない方の(?)キハ183系を内側に走らせて、1980年代の北海道の風景を再現して遊んでみました。
このレイアウトには架線柱を立てていませんので、赤2号とクリーム色4号も混ざって、これらの色の組み合わせが心地よい。
そして、先頭車はシレッとファーストカーミュージアムのキハ183。





ついでに100番台も。
キハ82の進化形のように見れば、これもこれで悪くないか。
コキ10000系でいろいろなシーンを演出してみました。

おしまい。







…ではありません。
コキ10000系の旅はもう少し続きます。


2011年のときもそうでしたが、当方にとって「コキ10000系」は、混合列車を再現するための〈素材〉でもあります。
「混合列車」というと、黒い2軸貨車だったり、清水港線や釧網本線のタキなどが客車と連結されたイメージすることが多いでしょう。

しかし1980年代前半、釧路以東の根室本線にも混合列車は走っていて、その中にはコキ10000を2両使う列車もあったのです。
コキ5500ではなくて、コキ10000。
「本当か?」っていうハナシです。







2両のコキ10000をスハ45の後ろに連結(最後尾のコンテナの向きを間違えました)。
混合列車ですけど機関車の次位には客車が連結され、その後に貨車という編成です。
コキのしんがりには反射板付きのテールライトを1灯取り付けるといいみたい。

コキを車間短縮ナックルカプラーにしている理由はカトーの客車と連結させるという、こんなところにもありました。





1980年代初頭、根室本線の釧路以東ではこのようにして旅客と貨物を同時に運ぶシステムが残っていたようです。

このときに使用された客車の正体は、急行「狩勝」(後に「まりも」)の編成の一部。
ヴェバスト式暖房装置を取り付けた釧網本線のオハ62等のように、その地を根城とした客車ではなかったという点がポイント。

なので暖房はセオリーどおりにディーゼル機関車のSGから供給されなければならず、それ故に機関車の直後には必ず貨車ではなくて客車を連結しなければならなかった、という事情がありました。


早朝の釧路。
札幌から到着した急行客車列車は、釧路止まりの寝台車が片付けられ、取り残された郵便車、荷物車、座席車の計4両がDD13によって転線され、そこにDD51が連結。
ここから釧路以東での“アルバイト”が始まっていました。



さて、このアルバイト。
往復スジのうち、2両のコキ10000が連結されていたのは、根室発の上り列車だったそうです。
1980年10月時点では「混444列車」。
コンテナの中身は鮮魚でした。

冷蔵コンテナの搭載を示唆する資料は探せなかったので、道東の平均気温の関係から通常のコンテナを使用していたのでしょうか(確信は持てませんけど)。
また、根室にコキを送り込むダイヤもよく分かりません。
そのときは貨物列車の一部として送っていた可能性もあります。





根室・釧路間135.4kmを、おそらく4時間程度で走破して釧路に着いた混444列車。
その後は客車とコキに分割され、客車は札幌行きの急行列車の一部へ溶け込み、そしてコキは両端がコキフ10000となった3052列車の一部となって、帯広、富良野、滝川でコキ10000を増結しながら19両へ。
そして青函連絡船による航走を挟んで隅田川と東京市場へたどり着いていた、ということだそうです。
ちなみに、根室を出発したコキ10000は東京市場が終着だったとのこと。

どうやらこんなところが史実のようです。


根室を共に立ったマニとオユも北東航で隅田川へたどり着くこともあり、荷物車、コキは2両ずつそれぞれに東京を目指すという、なかなかのストーリー性。

コキ10000系を別の角度からキリとることができるユニークな列車でして、電化幹線を何両も連ねてバンバン走る姿だけがコキ10000系ではない、ということだけは見えてきましたよね。





2011年当時、当ブログで模型の編成例だけを紹介したところ、御覧いただいた方たら「スハフ44がコキ10000系と連結…、それって何かの見間違いでは」という指摘コメントをいただきました。

空気管付きの密自連カプラーが取り付けられていれたことで「10000系貨車=同系内での連結のみ可能」というイメージが強いからなのか、ブレーキ管が付いているにもかかわらず、客車との混結を「無理」と捉えられていたようです。

コキ10000系が与えてしまっているイメージによる仕方のないものだと思っていて、それだけにこうしたコキ10000系の別の表情を持つ列車が歴史の中に埋もれていくのは、どこかもったいない気がしてなりません。


ちなみに。
夜行急行「狩勝」が普通「からまつ」の後を継いで普通車を連結し始めたのは1980年10月。
これ以前にも「からまつ」の普通車を釧路以東で使っていたかどうかは、これもまたよく分かりません。
「からまつ」は「狩勝」よりも数時間遅く釧路に到着していましたから、根室までの往復は難し買ったのではと推理しています。

その1年後、1981年11月には「狩勝」から「まりも」に改称され、この区間における混合列車は1984年2月の改正で消滅したそうです。
ちょうど「まりも」が14系500番台化されたときでもありまして、さすがに14系客車にコキ10000という組み合わせは「やめておこう」と判断されたんですかね。





牽引機はカトーのDD51 500 中期 耐寒形(釧路所属車ではなさそうですけどお許しを)。
そして、郵便車と荷物車はカトーのオユ10(冷房)とマニ36で、マニは50でもよさそうです。
客車は同じくカトーのスハフ44とスハ45(単品販売分)で、その後ろにトミックスのコキ10000が2両。

DD51は単品販売にして、残りを詰め合わせた『根室本線 混444列車 6両セット』なんていうのはいかがでしょう。

青15号同士のつながりが、なんとなく「混合」の違和感を消していて、これも時代がやらかしてくれた見事な組み合わせだったのだろうと納得しています。


ちなみに、当方にとってこの混444列車は全然懐かしくありません。
それでも気になるし、無意識に「懐かしい」と捉えてしまう危険性のある列車なのです。
不思議です。


ではまた。




〈参考文献〉
・イカロス出版『j train』2011年冬号 Vol.40
・ヤマケイレイルブックス14『20世紀 なつかしの国鉄客車列車』
・『鉄道ジャーナル』1982年5月号 No.183 特集「長距離ドン行列車の現状」



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  1. 2021/06/24(木) 19:30:00|
  2. 鉄道模型(車両)
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コメント

今には無い魅力

鉄道や車の趣味をしていて80年代にうまれたかったなぁ って思うことが多々あります。
超編成の113系や485系(勿論国鉄色)のブオオオオンというMT54,5のサウンド。碓氷峠や寝台特急。今の10代からすると、とても羨ましいんですヨ。 見ることがあっても晩年の地方に転属され短編成にされた状態でしたし。

<全ての列車がかつては蒸気機関、その後はディーゼルエンジンで動いていることに、北海道の豪快さを思い知らされたものです >
 しなのさかい様がおっしゃるこの当時の北海道を生で見てみたい…

車掌室がついたコキ、客車寝台特急…今では見ることが出来ない車輌たち.. でもこの時代ならガンガン走っていたり… 今にはない魅力だと思うんですよ。 現役の車掌車や2軸貨車なんて見た事すらない世代ですし…
デロリアンみたいなタイムマシンがあればなぁ(^_^;)
  1. 2021/06/25(金) 03:23:18 |
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  3. コンテナ #-
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混444レ

久しぶりのコメです。
ちゃんといつも拝見してますょ
根室をスタートしたこの列車、釧路でコンテナとお別れして代わりにたっぷりの客車をくっつけられて「急行狩勝」に、
一晩走って札幌に着くと荷と郵は更に切り離されて「急行ニセコ」に連結。
函館に到着して連絡船に乗り今度は「急行十和田」に連結されて(これは推測)更に一晩。
根室を出発したコンテナと荷と郵はほぼ同じ地点が目的地なのですね。
これは下り根室行441レも同じなのかしら。
興味深い課題ができました。
調べられるかなぁ~
「十和田」の荷と郵の連結向きが逆なのと「ニセコ」の上りと下りの荷と郵がまちまちで、調べているうちに頭がオーバーヒートしそうです。
散々調べたら、荷と郵は北海ライナーと同じ隅田川から出発するニモレだったりして^^
コメント書いていたら興奮して長文になってしまいました。  ー失礼ー


  1. 2021/06/25(金) 13:41:50 |
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  3. PIN #-
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緑は忘れ青い空は覚えている

 こんばんは、しなのさかい様。今回も、良い共感できる内容で楽しませていただきました。
 国鉄時代のコンテナ、少し今と違い、トラックの波に押されながら、検討の余地を残してトラックに一矢報いる想いで北に南に向かわせましたが、当時の時代の流れには乗れませんでした。しかしながら、今。モータリゼーションの変化や輸送の見直しなどで脚光を浴び、そして子ども達にも人気が出ている分野だと言えます。
 時代の変化はあれど、列車の向かう先は変わらず、列車の牽引機が変化するのも当時とさほど変わらない気がします、物を引き継ぎ、目的地まで運ぶ人や心は昔と変わらず、輸送の根本の変化はありません。
 以前のメーカーでは一輌の車輌が継走されて目的地に行くドラマに脚光を当てて、車輌の旅を想像することが楽しく発売を心待ちにしていました。
 コメントを入れられている方のように、2軸貨車や旧客、寝台など知らない、見たこともない世代に旅の面白さを想像させ、時代の楽しさを駆り立てることは模型を通じて必ずできると思っています。コンテナが首都から北の大地の果てに旅をするように、そのコンテナを運ぶ人達や手段がどのようにされていたのか、今はどのようにされているのか、自分の家で150分の1で想像して再現して遊ぶのも楽しいと思いますし、自分が150分の1になり想像で旅をするのも面白いと思いますけどね。
いつもながらの長文失礼いたしました、駄文で申し訳ありません。
  1. 2021/06/25(金) 23:11:49 |
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  3. 紀勢線マニア #-
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ね、過去は面白いでしょう

コンテナさん

コメントをありがとうございました。
今の世でも、10代の方々が持つ興味の対象に「懐かしくない」車両があると伺ってホッとしました。
懐かしくない過去の世界では、大抵今の技術や合理性から見れば大仰なこと、「なんてオーバーな」と思われることをしている訳ですが、そこが「新しい」のでしょう。コンテナ列車に車掌室がある、いやいやそもそも貨物列車に車掌が乗務していたなんていうことが「へぇ」なのです。
「この時代に生まれたかった」「もっと早く生まれていれば」という思いは、いつの時代でも普遍なんですね。当方も未だにそうなので御安心ください。
  1. 2021/06/26(土) 10:27:03 |
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  3. しなのさかい #-
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トリプルフォー

PINさん

そうなんです。この根室本線の東端の列車は「ニセコ」を軸にして展開する荷物車の旅の壮大なエンディングだったりもします。コンテナ車と荷物車がそれぞれ東京と根室を往復していたというのも面白い。まるで鮎川哲也の『黒いトランク』ですよ。
一度推理を始めると止まらなくなるでしょう。
こちらもまだその推理の途中です。こういう作業って気持ちが豊かになりますよね。できることなら毎月のポスターを見てそうありたいものです。
ちなみに、下り列車は3051列車のようで、これは札幌止まり。なので札幌到着後はバラされながら滝川、富良野、帯広、釧路、根室へ回送されていたのかなぁと推理しています。

それから、お友達のキハ181つばささんも同時に研究してくれています。

https://photo.ap.teacup.com/marutetsu/1632.html
  1. 2021/06/26(土) 10:28:40 |
  2. URL |
  3. しなのさかい #-
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秀逸なタイトルをありがとうございました

紀勢線マニアさん


秀逸なタイトルをありがとうございました(^^)
「客貨混合」という(国土交通省が旗を振っているらしい?)一見新しそうな概念も、実は昔にはちゃんと存在したものであって、輸送の担い手不足で復活しつつあるようです。結局のところ混合列車、特にこのコンテナとの混合というスタイルが「やっぱりこれで正解でしょう」となっている様子は痛快ですね。

今は新幹線に生鮮品を乗せる時代、路線バスに宅配荷物を乗せる時代です。御指摘のとおりこの国の末端まで物流の毛細血管が張り巡らされなければならないこと、つまり輸送の根本に何も変化がないことに気づけば「なんて合理的なことをやっていたんだ」となるのでしょう。この国は「新幹線の建設」というミッションに偏りすぎて、旅客輸送だけが鉄道としての使命と捉えられ過ぎました。その結果が今のコロナ禍の収益の落ち込みです。

懐かしくない過去には「古いのに新しい何か」があるようです。撮影趣味や乗り鉄ではなかなか掘り起こすことができない作業が、こうして模型で簡単にできてしまうことは、我々ユーザー以上に模型メーカーが自覚していなければならないんですけど、それが風前の灯火になっていることは、お越しくださる皆さんもよく御存知のとおりです。
まだまだあるんでしょうね、こんな豊かな気持ちになれる列車…。
  1. 2021/06/26(土) 10:31:31 |
  2. URL |
  3. しなのさかい #-
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一日に普通列車が7往復しかない「名前だけの本線」。全線非電化途中駅はすべて無人、列車は単行多くて2両。
だけど途中全駅が旅客10両以上対応のホームを持ち、待避線に加えて長い長い、それは長い貨物引き込み線をしかも複数持っていた痕跡がある。

数日前に、そんな場所を訪問して回っているYoutuberの方の動画を見ていました。


私の「鉄道の記憶」は、1970年代初頭からある代わりに1980年代中期から90年代後期までの約15年間がぽっかり開いています。少し「いびつ」です。
部屋に居並ぶブックケースも大方その記憶に忠実に並びますが、1970年代よりも前に属する列車・車両の数々も最近はその面積を増やしています。

「見てはいないけど懐かしさを感じる」
ここ数本の記事を拝見していて共通すると思われるテーマはおそらく、この「記憶の時間軸の連続性」が鍵なのではないかと思いました。

山手線を205系が走り出したころまではギリギリ残っていた、「ノザキのコンビーフ」が貼られた木製の架線柱。
池袋西口には不釣り合いな広さの、長い広大な空き地。
倶利伽羅駅の、やたらに赤煉瓦の多い構造物の残骸。
夏季期間だけ目にすることができる、越後湯沢の「倒されたままのハエタタキ」。
線路敷地とは整合性の取れないほど離れた架線柱、無駄に広い踏切、意味が理解できない線路の蛇行。

そこに意味や理由を見つけられたら、それが意味を持っていた時代までたどり着けたら、きっとそこから更に深掘りするように人間は想像力を働かせて思いを馳せていくもので、それこそが「見てはいないけど懐かしさを感じる」ことの正体なのではないかと。
そう思った次第です。




  1. 2021/06/26(土) 19:46:15 |
  2. URL |
  3. 海無し #-
  4. [ 編集 ]

見えてくる時間軸メーター

海無しさん


大変分かりやすい例と共にまとめていただきました。ありがとうございました。

今見えるモノゴト、かつて見たモノゴトに対して「今」や「その当時」の様子を分解して観察したくなる欲は多くの人にあるものです。エンジンの中はどうなっているんだろう、野菜はどうしたら育つのだろう、国会はどのように運営されているのだろう、などなどです。
問題はその先で「じゃあ、どうしてそうなっている(いた)のか」というモノゴトの背景、理由を知りたくなるかどうか。この欲求の有無は結構それぞれのようで、簡単に言えば「そこまで調べなくてもいいじゃない」「このまんまでいいじゃない」「あんたヒマだね」という反応が返ってくることもあります。

「トマソン」という芸術上の鑑賞概念に近いのか、それとも「夏草や…」という俳句の心境なのか。目の前にある興味の対象や懐かしい対象に「時間軸」が映って見えると、途端にその西暦年数が書かれたメーターがぐるぐると逆回転していく…、そんな気分でしょうか。
そしてそのメーターが回転し尽くして「チン!」と鳴った後には、ボヤーっと意味や理由が見えてきて「ああ、そうだったのか」と知識欲が満たされる格好になります。ここまで来てしまうと、そこはもう「懐かしくない」世界のはず(笑)

ついこの前に製造されたE235系を見てもその謎のメーターは見えませんが、直江津にやってきたクハ455にはそのメーターが見えるのではないでしょうか。おそらく模型も同じことなのでしょうね。
思わず「懐かしい!」と言ってしまう「懐かしいくない」車両。現実の世界ではそろそろ存続も限界ですが、実は模型の世界では出すことも引っ込めることも自由自在だったりするところが面白く、「そんな素材を上流からポーンと投じてくれていたのに…」という思いが皆さんと共有されているのだろうと推察しています(^^)
  1. 2021/06/27(日) 23:20:45 |
  2. URL |
  3. しなのさかい #-
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Trendy & Traditional

いつも楽しく拝見しております。

しなのさかい様の仰る「懐かしい」、郷愁の念の意なのかなと思って読ませていただきました。
昔のことに心惹かれる様。
自分自身の経験ではなくとも、どこかで見た「古き良き時代」の風景に郷愁を感じる。
この時代はこんな面白い運用があって、実はこれとこれ組み合わせて遊べるんですよ、みたいな提案があれば、物心ついた時からステンレス車両に囲まれた若い人の郷愁をもっと呼び起こすことが出来るのかなと思いました。
かつてのTrendy & Traditionalのコンセプトは今一度見直されてもいいのでは無いかなと。
  1. 2021/06/28(月) 14:42:30 |
  2. URL |
  3. がたんごとん #mQop/nM.
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トラディショナルの上にトレンディ

がたんごとんさん


コメントをありがとうございました。
“Trendy & Traditional”。これこそ「懐かしい」(笑)

言うまでもなく1990年代初期に設定されたのカトーのテーマで、当時の雑誌広告には必ずこのロゴが付されていましたが、このテーマによる商品展開は車両だけを頑張っていたのではなくて、取り組まれた方向性の一つに「ローカルストラクチャー」の製品化があったことを忘れる訳にはいきません。特にローカルホームは、ついこの前にも(待望の)再生産があったように、今でも十分通用するもの、いや「使えるもの」です。
新しい舞台は古い役者を浮かせてしまうけれど、古い舞台は新しい役者を活かすことができる。ということなのでしょうか。このTrendy & Traditionalはなかなか考えられた展開だと思った記憶があります。

古めかしい木津駅のホームに221系が滑り込むシーンは御指摘のような「郷愁」がありました。こんなシーンに自分が入り込んだとき、このホームにはかつてどんな列車が滑り込んでいたのだろうと考え始めると、なぜか気持ちが豊かになるようなのです。
  1. 2021/06/28(月) 19:22:55 |
  2. URL |
  3. しなのさかい #-
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記憶色

先日は追伸をどうもです。
エアサスを殺してぶら下がっているコキ10000系がゆるい雰囲気を醸し出しますね(たぶん空気管は繋がれていないですよね)。はるか道東の旅情を感じさせます。

こういうのがカタログのコラムだったり、編成例に載っても良いですよね。
国鉄色は規則ですので、この色はこういう決まりで使うんだということがマニアの「記憶色」として刷り込まれているわけですね。だから、この微妙な逸脱感が頭の体操を促すのでしょう。
  1. 2021/07/05(月) 22:16:04 |
  2. URL |
  3. 連接車 #J.xknw6c
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色のチカラ

連接車さん


前回はありがとうございました。

国鉄の頃を扱う雑誌の巻頭グラビア、はたまたお店で並んでるGMカラーの瓶などからバンと飛び込んでくる「色」には不思議な力がありますよね。脳内に焼きついた記憶の色は、いつ見ていても心地よさが込み上げてきます。

そのような色を鑑賞しながら、どこか現代と同じ合理性も見えてしまう、道東ののどかな貨客混合列車でした。
かつてのGMのカタログのような、知られていない編成例が強く発信されたりすれば「頭の体操」となります。知的欲求が満たされるようで、おそらくたぶん、そーゆーことが今はこの趣味全体に求められているのでしょう。空気管のことも然りです。
またよろしくお願いします(^^)
  1. 2021/07/06(火) 08:32:34 |
  2. URL |
  3. しなのさかい #-
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