おはようございます。しなのさかいです。

輪廻転生を繰り返す手元のNゲージ車両たち。
買い物に失敗感を抱いてすぐに消えしまう模型がある一方で、10年以上残り続ける模型もあったりします。
今回はそんな理由や背景を話題にしてみようと思いました。
よろしければお付き合いください。

話題としますのはカトーの157系「あまぎ」。
品番は10-393、10-394です。
12年前にもこのブログで取り上げたことがありました。
2000年発売ということで、そのときのロット
ですから、かれこれ21年間は我が家の車両群の一員として活躍し続けていることとなります。
ユーザーの中でもこの模型のことを知らない方が多くなってきたことでしょう。
ちなみに2009年にも再生産されています。
2000年当時の自分の感想を振り返ると「今、なんで、157系?」ということだったようでした。
だったら買わなければいいんですけど、発売告知からずーっとポスターを眺めているうちに気になり出した、という経緯でしたね。
当方の157系、久しぶりに再点検しました。

以前の記事の繰り返しで申し訳ございませんが、当方の157系では2種類のスカートがあります。
左側が「あまぎ」のもの、右側が2003年に発売された10-456「157系 お召電車」のもの。
「あまぎ」のときは7号車に前面伸縮カプラーを装備しなければならない設計上の都合から、このような首振りのクリアランスを確保する必要があって、全てのクモハ157のスカートがこのようになっています。
後発の「お召電車」ではそのような必要もないため、早々とより実感的にリニューアルされました。
「あまぎ」の場合、編成の両端となる1号車と9号車には伸縮カプラーを必要としませんから、できるならこの「お召電車」のクモハスカートにしておいた方がいい。
このときに発売された床下パーツのASSYは「あまぎ」で遊ぶユーザーとしては確保することがマストだった訳です。
今も昔も、やっていることが大して変わっていない(^^)

「あまぎ」のスカート、いや伸縮カプラーは台車の位置も後方にずらすしかないという、これまた設計上の不都合を生んでいました。
「お召電車」の床下はその点も改善され、正しい位置に台車が。
「あまぎ」の床下は、当方の場合、7号車限定としたことがこのようなことでもお分かりいただけるかと。
模型のことは一旦この辺までとして、模型を眺めているうちに実車のことも少し気になりましたので少し…
それは「あまぎ」の7号車と8号車の連結スタイルについてです。
157系を考える上で、こんなところに面白さがあるような気がしています。
当方はカトーから発売が告知されるまで、157系についてはさほど興味を持った経験がありませんでした。
せいぜい、交通博物館のお土産の下敷き(特急たちの顔が並んでいたアレです)で、一番下の方に気持ち悪い顔があって、それを認識していたくらい。
この顔も185系に代わる頃でしたから、クラスメイトの中でも157系の顔がある下敷きを持つ者と185系のそれがある下敷きを持つ者が入り混じっていたりして。
グリーンマックスのキットがあることは当然知っていましたが、子どもゴコロとしてはわざわざ組む必要などこれっぽっちも感じませんでした。
そもそも、なんだかカッコ悪い。
そうこうしているうちに、自分で稼げる程度の大人になっていて、157系のことなどすっかり忘れてしまっていたんですが、2000年、ミレニアムイヤーにカトーから「おう、やるよ」と語りかけられたのでした。

で、告知の中の編成表を見て、この不自然な編成が気になったのですよ。
7号車までで良さそうなものを、無理矢理(?)クモハ・モハユニットの8号車と9号車を増結。
クモハの先頭部が非貫通ですから「無理矢理」と見えます。
したがって車掌や車内販売は7号車と8号車の間を行き来できません。
9両編成であることは、東伊豆地方への輸送を考えると7両では足りなかったということの結果だったんでしょうね(そりゃそうですね)。
ならば中間車を増やせばいいんですけど、あいにく157系の中間車はサロとサハしかありません。
ここが一つの制約。
電動車は編成両端に2両ずつのユニットしかつなげませんから、この157系に限っては、中間車を増やすことはM車の比率を下げることとイコールとなってしまいますし、そもそも中間車を4両以上とすることは設計上想定していなかったみたい。
なおですが、クモハ157の前位側は新製時には片わたり構造で、先頭部を向かい合わせて連結させることができないというもう一つの制約がありました。
その後の1964(昭和39)年11月、急行「伊豆」を157系で運行することとなり、伊豆急下田行き7連と修善寺行き6連を併結させるために、10両のクモハ157全てに両わたり改造が行われています。
模型でもそう再現されているのでニンマリすることができますね。
1969(昭和44)年4月には特急へと格上げされて、下田行き特急「あまぎ」が登場しますが、修善寺編成の併結のような措置はなく、前述のような東京方にユニットを足した9連となりました。
157系は31両という少数の所帯でしたから、下田行きのダイヤを優先させるとなると修善寺編成の併結は諦めるしかなかったのかもしれません。
これも制約と言えば制約だったのでしょう。
せっかくの併結改造はあまり活用されなかった格好です。
いくつかの文献を読み返しましたが、分からなかった点が二つ。
一つは、7号車に向いた8号車のモハ157は貫通路を塞いでいたのかどうか。
もう一つは、トイレの構造です。
後者は田町の設備が整った時期と157系の廃車時期を考えると、線路上へ流しっぱなしだったような。
伊豆へ向かう特急だとしてもこのような時代があったということかナ?
前者はさっぱり分かりませんで、古い写真を見ても判然としません。
157系はなんとなく他形式と比べると気難しい使用感があったように見え、それ故に淘汰も早かったようです。
下降窓の際から雨水が侵入してボディの腐食が早かったということは有名な話ですね。
そういうことで1976(昭和51)年には運用を離脱しています。
これらの「制約」が大人になっていた当方には刺さるものがありました。
2000年以降手放すことなく大事に持っている理由の一つには、こんなエピソードが見える点にあるようです。

クロ157も発売当時のASSYパーツで組み立てて持っています。
185系をリニューアルすれば再びクロが活きるはず。
ちなみに、クロ157を牽引するための改造はクモハ157とモハ157の1番と2番のみに施されたということで、こんな制約も面白い。

再び模型の話題に戻って。
この度、集電関係を全て清掃し、車輪を黒染のものに交換して刷新しました。
LED室内灯クリアも入れていますので、今でもついこの前に発売された製品のように快走してくれます。
ヘッドライトは電球色LEDに交換。
まだまだレイアウト上を走り回ってくれる予感がしています。

今回のエンディングです。
いろいろな制約がありながら東京と伊豆半島を行き来していた157系の奮闘ぶりはある意味「鉄道伝説」でしょうか。
走らせる上での不便な点を知れば知るほど、模型としての奥行きも増して、手元に置いておきたくなるようです。
そしてその頃のパートナーは、やっぱり伊豆急100系でしょう。
157系との並びは、伊豆半島がまだまだ関東の民にとっての〈夏休み〉の場所だったことを物語ってくれます。
伊豆の駅からはバスに乗って、海水浴をしながら民宿で過ごす2泊3日の素朴な夏休み。
「サフィール踊り子」から見える伊豆と「あまぎ」から見える伊豆には大きな違いがあるようです。
当方にとっては迷うことなく後者の方が面白く、こんな感覚も157系を手放せない理由の一つ。
コロナ禍で自由な行動もとれず、夏休みを2年連続で無駄にしてしまった今の世の中にとっては「懐かしい」あるいは「懐かしくないけど気になる過去」にはなかなか眩しいものがあるのではないでしょうか。
そうでなければ、今の熱海の若者による混雑ぶりの理由は説明できません。
それ故にメーカー各社には、時節を見極めたメッセージ性のある「面展開」を求めてしまいます。
100系が鉄コレクオリティで済まされるのは忍び難く、さりとて蕨方面のアレではさすがに厳しいものがあり。
1M方式ですから編成の自由度が高いところが100系電車のおもしろさです。
トミックスがHGで単品発売をやり始めてくれたなら、カトーの飯田線シリーズのようにいつまでもいつまでも財布を握りしめてお付き合いしたいのですが。
蕨方面のベストリニューアルという手もありますかね。
あれ、157系の話題がいつのまにか伊豆急100系の話題に化けてしまいましたよ(笑)
ではまた。
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- 2021/09/01(水) 09:40:00|
- 鉄道模型(車両)
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-
| コメント:12
今回も失礼します。
私もしなのさかい様と同じく初回生産で飛び付いたクチですね。
「あまぎ」の何とも言えない面白い書体のヘッドマーク、東海道線の臨時特急(後定期化)である「ひびき」にも使えるとあって、迷うことなく投入しました。勿論後に発売されたお召し電車編成も入れております。
1960年代生まれの国鉄車両は大好物ですので、出ると気になって仕方なくなります(笑)
「制約が多々ある」のも面白いとの事ですがその点もとても共感しますね。
急行アルプスからもサハシがビュッフェ営業休止後も長らく外されなかったのも「制約」によるものですからその手のハナシを調べ出すとすぐに時間が経ってしまいます。
20系寝台時代のブルートレインに当初なぜか2等(後に1等)座席車が必ず組み込まれていたのも、大手企業の旅費規程に寝台料金は出ないけれど、2等料金なら認められていたとか。
これもある意味「制約」の面白さかと。
我が家で現在整備待ちの「グランドひかり」もダブルデッカー車両を4両連結した上で230キロを維持するために先頭車をM車化しなければならなかった(その証が先頭連結器カバー下の冷却用スリット)・・・これも制約を楽しめる車両ですね。
やはり100系グランドひかりは入れてしまいました、2階建て食堂車で頂いたハンバーグの味が鮮明に蘇ります。
乗り鉄の良い思い出と結び付いた車両は心の琴線に触れますね。
- 2021/09/01(水) 19:53:50 |
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- つばめ787 #-
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つばめ787さん
コメントをありがとうございました。
そちらも「制約ファン」のようですね。よかったよかった(^^)
挙げていただいたいくつかの例もごもっともで、今回久しぶりに再生産された「グランドひかり」の先頭部のグリルも「なぜ?」と気にすれば、そこにグランド編成ならではの「制約」が見つけられる訳です。
157系「あまぎ」の場合、形式として想定していた最長7両では座席定員が不足するという「制約」を、“モハ157”を新造するのではなくて、非貫通構造のクモハ157のさらに向こう側にモハ156とクモハ157を連結させるということでクリアしました。しかしながら今度は7号車と8号車の行き来ができなくなるというまた新たな「制約」が生まれてしまいました。
「制約」は克服すべきもので、きれいに克服できればベスト。でも大概は何らかの新たな「制約」が生まれるようで、そんな妥協の姿に我々はさらに何か惹かれる点を見てしまうのでしょう。花輪線の8620三重連が特定の区間でしか見られなかったことも然り。不思議ですよね。
- 2021/09/02(木) 12:15:42 |
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- しなのさかい #-
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スイペさん
そうでしたか。英才教育が施されれば若い世代でも国鉄時代に魅力が見えるのですね。ちょっと安心しました(^^)
当方もよく誤解されるのですけど、1987年3月までを評価して、翌4月以降は全く評価しない…なんていうことは全くなくて、今回の「制約」などのように、捉え方の問題なんだろうなぁと思っています。今よりも多くの人が関与して、アナログ性バンバンで鉄道を動かしていたことの方が気になる、とかです。
あれよあれよという間に再生産が中心となってしまったことはメーカーの考えによるものですからそろそろ受け入れるしかなく、もちろんスイペさんのように首を長くしてお待ちになっている方も増えてきたことと思います。
そうなると次のポイントはメーカーもユーザーも、既存製品の組み合わせでどのような風景を描くことができるか、でしょうか。もしかしたら今必要なのは「どの車両」ではなくて「どこの景色」なのかもしれません。再生産中心のポスターでその辺りが見えていればいいですね。
- 2021/09/03(金) 12:28:37 |
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- しなのさかい #-
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こんばんは。
今週は私にも4カ月ぶりの身請け(100系グランドひかり)がありましたので、そのついでにとちょこまかと模型弄りに忙しい(でも楽しい)日々が送れました。
まずは合計2本となった彼らにダブルデッカーの1F部分にも灯りを灯す工作を。
北斗星グランシャリオ厨房に行ったのと同じ方法でやっただけですが、これがまた効果絶大で。TOMIXやマイクロのダブルデッカーにもできないかと思案中です。
そしてネットで「0系先頭車アップデートパーツセット」なるものを見つけて、これまた2本在籍している我が家の0系のために所要数を手配してこちょこちょと。
これまた効果絶大で、30年(40年?)前の模型が再び輝きを取り戻すための投資としてはあまりにも安くて、かえって申し訳なく思えてしまった次第。
古かろうがなんだろうが、物を「工業製品」然として扱うのではなく、ずっと手元に置いて愛玩するのもまた模型の模型たる姿の一つ。
「忘れてないからね?」という一言をメーカーから頂いたような、ちょっと嬉しい一週間でした。
- 2021/09/04(土) 19:07:12 |
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- 海無し #-
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海無しさん
充実した模型生活をお過ごしのように拝察いたしました。
この趣味の愛好家たちは、そろそろ忘れ去られようとしている車両をきちんと模型で残せています。で、その模型が発売された理由や背景のようなことは、購入した当時は分からなくても、年月が経てば「ああ、そういうことだったのか」と見えてくる、気づくことがあるようです。この157系も年数を経るほどそういう味が出てきており、コレクションの中にかかせない形式となっています。「グランドひかり」も、発売当時は単なる新幹線のイチ編成だったでしょうが、今から見れば「新幹線なのに食堂車」、ダブルデッカーが4両も、という角度でキリトリ直したくなりますよね。今回の再生産に合わせて食堂車の照明にこだわるという営みはもっともなことです。
仰るように模型を「工業製品」として扱う範囲においては少し物足りなく、いずれは手放してしまう可能性もあるでしょう。でも、模型から「風景」や当時の社会の様子などを見るようなことが起これば、たちまち違った意味での存在になります。そうなると、出窓の上にアクリルケースでディスプレイしたくなるかもしれません。
そしてまた、古い模型の、その当時模型化で苦労した人たちの意図に触れてみるのも悪くないですね。さらには、メーカー自身がこうした過去の遺産を活かすような新企画がスタートすれば、もっと幸せかもしれません。そうですそうです、例えば約25年前の西武新101系から101系、5000系、701系という再スタートがあったように、です。
- 2021/09/05(日) 11:04:53 |
- URL |
- しなのさかい #-
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ポスター検討会以外では初めておじゃまします。
KATOの157系は私も大切にキープしてます。もう20年以上前の製品なんですね。実車の活躍末期には物心ついていましたが、見たことも乗ったこともなく、しかし図鑑や小百科的な本には載っているという、知らないけど知ってる車両という印象です。だいたい同世代ってことですかね。
制約の中やりくりしているのは確かに気を引くものがあります。「ああすればいいのに」「こうしているのはなぜだろう」など考察の余地が多いからでしょうか。そもそも、レールという宿命的な制約を持つのが鉄道ですから、それを愛する我々は根源的に制約好きなのかも知れません(ちょっと変態っぽいな)。157系は確かに特異な存在で、淘汰も早めだったことから国鉄も持て余していたのでしょう。そんな悲運感も魅力かなと思います。
製品は、個人的には満足のいく出来映えなのですが、所々に古いフォーマットも見られるので、そのまま再生産というのは厳しそうです。リニューアルするほどのアイテムでもないし、KATOとしては動きにくいところでしょう。むしろ怖い?のは、153系を手掛けたTOMIXで、台車や屋根上機器も揃いましたし、153系、185系、251系という系譜もからめて様々な「あの頃の伊豆」を再現するという繋がりも見えます。最近のTOMIXにはオジサンの琴線がハッキリ見えているようですので、いつポスターに掲載されてもいいようにも思います。もしそうなったら、ちょっとスルーできないかもしれません。ただその場合、KATO製品にある程度満足している以上、ちょっと複雑な「買います」になりそうです。中古価格も落ち着いているようですし、“157系はKATOの従来品で”ってことで、そっとしておいて欲しいのが本音です。
ところで、メジャーな文献なので確認済みかもしれませんが、浅原信彦氏著の『最盛期の国鉄車両3』182頁に、モハ156の売店室の写真が掲載されており、閉じられた貫通扉の向こう側にクモハ157の鼻先が見えています。普通に?扉を閉めて鍵を掛けただけに見えます。外側からの写真は私も見つけられませんでした。
また、同書には1969年3月というキャプションの型式写真が多数掲載されていますが、トイレは基本的に「流し管」です。ただ、185頁のサハ157の「流し管」?は一般的ではない形状です。あと、やや不鮮明ですが、鉄道ピクトリアル2004年10月号(No.752)34頁の1976年7月とされるサロ157-4も普通の「流し管」に見えます。となると、クロのトイレも…?もうやめておきます。
- 2021/09/05(日) 19:57:01 |
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- 妙高讃歌 #-
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妙高讃歌さん
コメントをありがとうございました。
こちらもちょうど別ルートで貴重な画像をいただいたところで、御指摘のようなことを確認していたところでした。
まず7号車と8号車の間。8号車の後位側はガッツリと幌がそのまま付いていたようですので、仰るとおり貫通扉に鍵が掛けられた程度の措置だったみたいです。
もう一つはトイレ。流し管が見えますね。サロについてはもう少し見てみます。確かに伊豆へ行く列車のグリーン車、しかも2両を連結していますので本当にボットン便所だったんだろうかと考えるところはあります。『鉄道ピクトリアル』No.752はこちらも見ていて、サロとサハは洋式便所だったことは確認済です。
模型としてのお悩みもごもっともで、カトーがこのまま再生産することはやや厳しく、さりとてリニューアルするまでのやる気を持っているのかどうか…。トミックス、トミーテックは布石に無駄がなくて、かつてのカトーのように「絶対にやる気だよね」とユーザーに言わせてしまうようなラインナップの構築には唸るしかありません。HGで157系、伊豆急100系も…。ウットリ(笑)
カトーでもトミックスでもいいので、今の熱海の活況ぶりを分析ながら「あの頃の伊豆」を見ていただき、人々の心理の方向性を読みながら企画を展開してもらいたいですね。
- 2021/09/06(月) 07:30:36 |
- URL |
- しなのさかい #-
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毎回楽しませていただいております。
制約の中で、というタイトルですがそれは時間であったり予算であったりいろいろですね。
妄想として実物の157系が冷房搭載の直後から外板腐食に早く手当をするために固定窓に改造されていれば、もっと長く活用されたかもしれません。しかし全体の両数や車種構成による運用の使い勝手とか、そもそも「準急」という種別を目的とした中途半端な存在だったことは、消えるべくして消えた運命なのでしょう。
ピンチヒッターとしての混結(仲間内では「いっとき」や「替えだま」)運用を模型で再現するのも面白いと思います。
一方、模型の方も発売当時の技術とか開発費などが絡んで、省略や妥協が避けられなかった部分は心残りかもしれません。
しかしそこは趣味の世界、逆に寛容な気持ちとか当時を語る懐かしさのようなところも許されるのではないかと思います。
現在の製品で動力や車体が20年~30年経過したときに正常に走行出来るか、機能するかという寿命は未知数ですが不安もあります。
その点では昔のGM動力のように大味であっても確実な実績を積み上げてきた製品への信頼はたいした物だと思います。
- 2021/09/06(月) 21:23:33 |
- URL |
- ホビぽっぽ #wXqzg7qU
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157系は、電気機関車のようなパノラミックウィンドウと鼻筋が通ったスタイルなのに、急行型のような大型ヘッドライトを備えていて、塗装は国鉄特急色という具合で、最初はやや不気味な印象を受けたものです。外観の系譜としては、185系→E257系に受け継がれたものと理解しています。
1970年代ごろまでは、熱海や伊豆が新婚旅行の目的地として人気だったそうですから、サロが2輛も連結されていること、急行ではなく特別急行を設定する必要があったことは、「ハレの旅行」需要に応えたものなのでしょう。
模型化から21年、この週末温泉特急の命脈の鍵を握っているのは、高速自動車国道の延伸整備計画です。オレンジ色のLEDだったり、別体化されていないベンチレーターも「味」として受け入れるのか、何らかの加工計画を思案するのか、古い模型と緩く向き合うのも良いものですね。現行カタログには載っていないが、そういう製品まだまだあるように思います。
- 2021/09/08(水) 20:21:45 |
- URL |
- 連接車 #-
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連接車さん
ハレの日の乗り物。分かりやすい表現をありがとうございました。
この157系「あまぎ」。伊豆半島を目指す列車の中では、時代とのマッチングによって唯一そのような存在だったのかもしれません。と言いますのも後続の185系が登場した1980年代になると、伊豆半島に対する関東人の捉え方がやや気軽なものに変わっていったような気がするからなのです。その流れはリゾート21、251系という少数グループの旅を推奨するような車両の登場で決定的になっていきます。この歴史的な流れを模型で観察することも面白い。
現行カタログから落ちたアイテムで、そのままでは困るものは仰るとおりまだまだあります。これを適度な「アップデート」により再生産してもらうのもアリで、その一方、青組がフルリニューアルを代行するようなことも気になります(まぁ製品化されれば一応気にかけるといいますか…)。今回の157系のように、牧歌的な雰囲気で古い模型と戯れ続けられる環境、手元の模型が陳腐化して見えない環境がユーザーにとってはホントは好ましいのかもしれませんね。
- 2021/09/09(木) 08:33:38 |
- URL |
- しなのさかい #-
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