こんばんは。しなのさかいです。

ちょっと思い立ちまして、平日の午後、神奈川県の丹沢方面に足を運んでみました。
立ち寄った温泉でのんびりして、休憩室では地元のおじいさんたちの囲碁の試合を見て。
そして、外からは渓流の音しか聞こえてこず。
行き止まりの道の先にある温泉地は、決まってそんなもんです。
最近、ひたすらに季節だけを感じ取れる風景を求めていて、その風景には混迷の世の中から身を遠ざける上での効能があることを実感しています。模型の世界でもそうありたいと思うことが多くなりました。
ちょっと、いろいろあり過ぎますしね、ここ最近。

レイアウト作業のお話を続けてもよろしいでしょうか。
相変わらず木を増やしているところでして、また数十本の植林をし終えました。

今回の分は、根こそぎ温泉街の背景に使いました。
植林によって山の輪郭(地形)も分からなくなって、これはこれで狙い通り。

線路際に木を近づけて、こうしたアングルでも山の中であることが分かりやすくなりましたとさ。
木々は手前だけに植えることはできないので、奥から段々と手前に植えていくしかなく、結局のところ、レイアウト製作において「木」は質よりも量で圧倒させるしかないということが当方の結論です。
となると、やはり自分なりの量産ノウハウを確立させるしかないでしょう。
クモハ313には電連を付け忘れていたようで、画像を見て気がつきました。
もう少し植林をしてみたくなったので、先程ホームセンターで材料を追加購入してきました。
(おまけコーナー)

「鉄道150年」のキャンペーンが10月14日という峠を越えて、やや落ち着いてきたようです。
この間、興味深く観察していたことは、鉄道タレントさん達がはしゃいでいるテレビの画像ではなくて、その中に混じって微かに聞こえてきた、この国における鉄道の存廃論議の高まり方でした。
もはや郷愁論を持ち出して加えるだけでは、現在の鉄道のあり方にインパクトを与えることは不可能のようです。
ですから、撮影趣味や乗車趣味の範囲はますます狭まることでしょう(以前にもお話したことです)。
となると、現在の鉄道とは直接リンクしていない「鉄道模型趣味」ほど郷愁に浸っても構わない鉄道趣味はない訳で、ひょっとしたら撮影や乗車を生業としていた方々の行き先としても心地よい「避難先」になり得るのかもしれませんよね。

今回は短めに。
ではまた。
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- 2022/10/22(土) 23:30:00|
- 鉄道模型(レイアウト)
-
| トラックバック:0
-
| コメント:4
撮影や乗車を生業としていた方々の「避難先」。正に当てはまる表現だと思い頷いてしまいました。カメラを向ける対象が次々と去る一方、自宅車両センターには所属車両が増えるばかり。それも、国鉄時代の仕様です。
現役末期の特定編成を再現したTOMIX製品にハマる時期もありました。しかし、全盛期の輝いていた姿を手元に保存できるのは模型でしかできない芸当。気付けばサロ、サシがいないと物足りない自分がいます。現行仕様しか売れないというのは本当でしょうか?
鉄道150周年、JR各社でも熱量に差があり、どうにもチグハグで盛り上がりに欠ける周年行事となってしまいました。200周年はどうなることやら。そもそも線路がどれだけ残っているかも、微妙なところです。
- 2022/10/24(月) 22:24:36 |
- URL |
- 山田町 #ixhng8Ec
- [ 編集 ]
山田町さん
とても参考となるコメントをありがとうございました。仮に「現行仕様しか売れない」と鉄道模型メーカーが考えているのなら、少し残念ですよね。現実世界では鉄道にとって郷愁論はウザい概念でしかないようですから。もはや思う存分郷愁に浸れる世界は模型方面にしかないわけで。
これだけの商機があるにも関わらず、負の方向に進みっぱなしの現実世界にリンクして製品化し続けることにはどうも理解が及びません。新製品を見ていて不安になるのはそうした点があるからかもしれません。
国鉄車両の最末期仕様を手にされた後でサロ、サシが必要とされることにも同感です。どんな鉄道車両にも栄光の時代というものはあり、その当時を再現して見ている方が癒されますし、楽しいのです。ま、我々ユーザーがどんどん楽しんでしまえばいいのですけど。
またお待ちしています(^^)
- 2022/10/25(火) 13:33:55 |
- URL |
- しなのさかい #-
- [ 編集 ]
今回も失礼致します。
「鉄道開業150周年」と各メディアが騒々しい中で、ここ何ヵ月かは西九州方面に行き続けており、有明海を走る在来線「かもめ」の乗り納めと離れ小島のような状態で課題と混迷の中で開業を迎えた「西九州新幹線」と「ふたつ星4047」に乗車しました。
開業から一週間程度経った新生「かもめ」に長崎から乗車しましたが、早くも指定席と自由席共に空席が目立ち乗車率は3割強といったところなのが今後の前途を暗示しているようでした。
今回感じたことが2000年~2002年頃の九州新幹線鹿児島ルート開業前の「豪遊券」で九州内をぐるぐる廻っていた頃の高揚感はあまり感じられなかった・・・ということです。
他線も乗車しましたが、特に在来線での減便、快速列車の停車駅増加や運転区間短縮などのマイナス面が目立っていた印象で早くも西九州新幹線の収支悪化に備えているかのようでした。
したがって帰宅して全盛期のビュッフェ入り787系つばめや885系登場時の「かもめ」を走らせると凄くしっくりとくる訳で、模型を嗜むことが鉄道趣味としての「避難先」になっているのはまさに仰る通りだと思います。
今後の新製品を見ても現代の鉄道シーンの再現の比重がかなり高くなっていますが、現実の鉄道がある種の縮小傾向を感じることが多い中で、満足感を得られるのは「鉄道が輝いていた瞬間」の再現ではないかと思います。
「すっかり落ちぶれた北海道の鉄道」や「中途半端な新幹線」はあまり再現したくはありません。
そういったところに「鉱脈」はある気がするのですがメーカーとユーザーの思惑がズレ続けているのが気がかりです。
- 2022/10/25(火) 23:25:00 |
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- つばめ787 #-
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つばめ787さん
大変な遅レスとなり申し訳ございません。
西九州新幹線開業後の鉄道交通の変化を実体験されてきたようで、恐れ入るところです。
今回は、近年の数々の整備新幹線開業のときのニュースよりも多く、交通体系の複雑性やダイヤの減便などの副次的効果が伝わってきています。ポジに捉えるニュースもあるけれど、どうも関東から見たところ、ネガに捉えるニュースの方が多いというか…。線路区間にまつわる苦情ならある程度仕方ないとしても、車両に乗り切らないとか積み残しがあるとか。完全に需要予測を間違えていますよね。これもまた、我が国に数年置きにやってくる新幹線ラプソディー。
この国では「新幹線」という「文明」をあまねく国土へ広げることには強い正義があるようです(1964年という面倒な年に開業したからかな?)。だから、それまでに知恵と工夫で積み重ねてきた「文化」が薙ぎ払われていくことには、ただただ傍観するしかありません。それが「整備新幹線」という魔法の言葉を生み出した1970年以降のこの国の掟です。したがって、この国の政治家である以上「このままでいいじゃない」は口にできないセリフなのです(故に佐賀県知事の欲しいと言ったことはない旨の発言はすごいことだなぁと)。
そして、言うまでもなく「文化」が消えていくことに寂しさを抱くことが「ノスタルジア」となります。「文明」「文化」「ノスタルジア」。相関関係はこんなところでしょうか。
とにもかくにも、出発した西九州新幹線が「文化」となるまでにはあと数十年は必要でしょう。それも、乗客がワンサカと居て、数々の思い出話が生まれてからのハナシ。30分程度の乗車体験しか持てない新幹線という道具で「文化」が芽生えるかどうかは片目で観察していくとして、せめて鉄道模型人としては鉄道がたっぷりと持つ、醸し出す「文化」を味わって楽しみたいですね。
自分が生きているうちに、西九州新幹線にノスタルジアを感じるようにならないことを祈るばかりです。
- 2022/10/31(月) 00:08:15 |
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- しなのさかい #-
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