おはようございます。しなのさかいです。
最近「どうやら…」と確信に至ることがありまして。
それは俗に言う「働き手不足」というやつです。
現在、当方を含む家族全員が、職場や学校でそう実感せざるを得ない状況に直面しています。
不足する原因は多角的に分析されるべきなのでしょうが、一つにはこの国全体を覆う待遇面と労働実態とのアンバランス性が挙げられると考えています(さらにこの原因は多角的に…)
でも、働き手が足りないということは本当の問題の一側面、手前を切り取っているだけに過ぎないのかもしれませんね。
要は、今までどおりの業務を維持することが困難になっている、そういう職場やシステムがこの国のあちこちで現れている、という問題へ収斂されることなのかと思います。
あ、本稿では、我が国の行く末などを語るつもりなどこれっぽっちもありません。
飽くまでも鉄道模型趣味のことを向いているつもりですので御安心ください(^^)
さて、この業務規模の維持困難性は鉄道を含む公共交通機関でも同じのようで、関東平野に暮らしていると駅の窓口の閉鎖、ワンマン運転化などからひしひしと感じ取ることができます。
地方交通線についても存続に係る議論または議論のテーブルづくりが行われており、仮にバス転換を行おうとしても、今度は「ドライバー不足」という困難が待ち受けているようですからどうなんでしょう(バスに関しては関東平野でも同じことですね)
ここにきて、我々が趣味の対象とする鉄道は、10年前のそれと比べたとしても、より一層無機質なサービス、サービスそのものの消滅へと変化が加速しているようです。
以前から語ってきたように「鉄道模型趣味」については“撮り鉄”や“乗り鉄”のような分野とは異なり、幸いにも「現在」の鉄道の様子だけを対象としないで済んでいる訳です。
ですが、それぞれの主観による「今よりはまだ良かった」という「過去」への志向性のようなものを価値観として抱える人が増えているのではないか。
そんな仮説を持つようになっています。
「今よりはまだ良かった」とする過去がいつの時点なのかは(繰り返しになりますが)それぞれの主観。
蒸気機関車の時代なのかもしれないし、飯田線の旧型国電が走っていた頃かもしれないし、E26系のデビューや「さく・はや」の併結が始まった2000年頃かもしれない。
ただ、少なくとも趣味の対象としていく上で「現在」と「これから」の鉄道の姿についてはなかなか楽しみとして期待できるイメージを持てていないのではないか、ということです。
極論を言えば、大都市圏を除いて、鉄道として残る路線は新幹線だけであり、並行在来線はナシ、新幹線の駅からは自家用車…という世界しか描けないのかも(北海道ではそうした姿が現実となるようです)
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2年前に「懐かしい」と「懐かしくない」の境界線のような話題を置かせていただきました。
その前の記事で大変参考となるありがたいコメントもいただきまして、それらを受けてのものでした。
2021年6月21日「(番外編)『懐かしいもの』と『懐かしくないもの』」2年後に振り返ってみて。
今の鉄道模型趣味の全てを「懐かしい」世界として乱暴に定義するつもりはありませんが、近いうちにこの趣味に対しては「懐かしい」とか「今よりはまだ良かった」「少なくとも今よりは」という気持ちに浸れる、センチメンタルな趣味としての需要とか存在意義がより高くなるように思えてなりません。
もちろん、いつの世も今を生きる若い世代(いわゆる「エントリー層」)が今の鉄道の姿を見てこの趣味に入門しているはず。
「今の鉄道をそこまで否定的に見るのは論理として矛盾していないか」という視点も重要でしょう。
でも、大人たちによる鉄道の存続を巡る議論が渦巻き、その結論が着々と実行される様子を子どもたちにバッチリと見せてしまっているのですから。
これからは鉄道を知らない、見たこともないまま大人になる人口の割合が、もっともっと増えるかもしれませんね。
これまでどおりに、近所を走る電車を見た上での「エントリー層」が存在し続けると思うのはどうなのかなぁと思うのであります。
※単なるイメージです前々稿で「飯田線シリーズのエピローグ」と言いましたが、こんな視点とも被るような気がしてキーボードをカタカタと叩いてみました。
若年層がいきなり旧型国電を「懐かしい」と思って(?)、これをキッカケにしてこの趣味に入門する日が来る…でしょうか。
ではまた。
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- 2023/06/20(火) 09:30:00|
- 駅ノート
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| コメント:4
今回も失礼致します。
長年鉄道模型趣味を続けてきて私の集めてきた車両を俯瞰してみると・・・
・自分が生まれる前の古の車両
・好きな地域、年代の車両
・「乗り鉄」により気に入って導入した車両
に大きく分類されるのかなぁと分析しました。
151系やC62の東海道特急などは書籍や映像でしか知らないけれど乗ってみたかった手の届かない過去の列車を手元に置いておきたいとの思いからですし、787系つばめを中心とした2000年前後のJR九州の車両は私の乗車体験で最も好きな世界観の鉄道シーンな訳です。
その中で厄介なのは「乗り鉄」絡みの車両でして、鉄道旅行先で乗った事で欲しくなるというもので、直近では瀬戸大橋線の「マリンライナー」に手を出してしまいました(笑)
しかし乗り鉄をしていても少し思うところはあり、東京からの夜行列車がサンライズしか発車しないという事実は何だか寂しいものがあり、しきりに車内販売はないので飲食物は事前に購入するように促すアナウンスがホームに流れていました。分かっちゃいるけど何だか溜め息が出ます。
そういった旅から帰るとなぜか、オリエント調食堂車の入った「博多あさかぜ」やロビーカーや銀帯のオシ24が入った「はやぶさ」を走らせてみたくなります。
鉄道模型が何か満たされない部分を埋めてくれるような気がしてつい回してしまいがちです。
- 2023/06/20(火) 21:36:56 |
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- つばめ787 #-
- [ 編集 ]
こんばんわ。
ICカードに自動改札、いや今や時代はチケットレス、ホーム監視カメラにホームドア、ご丁寧に200キロも離れた路線の遅延情報も知らせてくれる自動制御の運行・案内システム、あるかな?ダメかな?とドキドキで緑と赤のランプを見つめていた窓口は続々とスマホの中へ。発車の合図を知らせるのは、ピリリリリr、の笛ではなくピンポンチャイム、「ゴジョウシャ、アリガトウゴザイマス」の自動音声と液晶画面、etc
鉄道という巨大なシステムを、膨大な人数が一糸乱れずに動くことで稼働・維持される。
そんな「中の人」が動く様が鉄道風景からかなりの部分で減っていることは、毎日鉄道を使うわけではない立場にいる私から見るとその都度、大きめの落差を以て感じることができます。
模型として車両だけを走らせているように見えても、その眼の中には機関士運転士車掌に駅員車内販売食堂車のお姉さんコックさん、もちろんホームにも車内にも乗客が映っているのです。
いよいよ新幹線からも運転士を不要とする実験が始まるというこの時代に、「人が動かすシステム」を目の当たりに見る機会はさらに減ると思われ、果たしてそんな光景に魅力を感じて鉄道趣味の世界に足を踏み入れてくれる人は…
世の中、効率だけではないのですけれどね…
- 2023/06/21(水) 22:28:17 |
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- 海無し #-
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つばめ787さん
「鉄道模型が何か満たされない部分を埋めてくれるような気がして」という御指摘は正にそのとおりですよね。現実の世界のニュースを見たり聞いたりしていても響くことは少なくて。鉄道模型メーカーの新製品ニュースの方がいろいろと食いつきやすく、こちらから流れてくるニュースで“満たされない部分”を埋めてくれると、ついつい救われるような思いになりがちです。同好者同士で話題を共有しやすいということでしょうか。
現実の世界では、鉄道という公共性の高いインフラは過酷なまでに採算性を求められ、その上で存在し続ける贅沢な存在に再び定義されつつありますから、早晩この国では都市部内の路線網と都市部同士を結ぶ新幹線だけになるでしょう(オーバーかな)。だとすればそれらを趣味の視点で捉える行為も狭苦しいものになっていくのでは。
撮影される方々も、乗って旅をされる方々も「もうダメだわ」と言って模型で遊ぼうとする…そんな時代になりつつあるとすれば、全体としての模型趣味、Nゲージ趣味の方向性は今のうちに再点検されるべきかもしれません。
当方も西を目指すブルトレも「金帯あさかぜ」あたりがピークであって、14系と24系が併結された「さく・はや」はもうアウトなんですョ(^^)
登り坂と下り坂の途中にある峠とか分水嶺みたいなものをどのくらいユーザー同士で共有できるかが鍵ですかね。
- 2023/06/23(金) 09:19:28 |
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- しなのさかい #-
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海無しさん
例えばですが、いわゆる新交通システムという鉄道(なのか?)は、この国でソコソコの歴史を持つインフラとなっていますが、なかなか趣味的な対象とはなっていないようです。効率性を追求した結果としての外観は、経済的には正解なのでしょうが…
我々はインフラとしての鉄道の様子を勝手に趣味の対象にさせてもらい、目で見える範囲(音という分野もありますが)で楽しませてもらっているので、その効率性を追求する方向性に「ちょっと待って」とブレーキを掛けられる存在ではありません。だから郷愁センスだけで「鉄道を残せ」と言うことが邪道だということも理解しています。理解していますが、趣味的な視線を注ぐことでもしておかないと鉄道はこれからどんどん消えていく、という「あえて」的な言い方もしたくなる、そんな気分です。
ともかく。これからも鉄道を趣味の対象として続けたい人は、どうしていくべきなのか。殺到する撮影機会及び場所へ通い続けるべきなのか、味気ないハイブリッド気動車に乗ってコンビニの食品を食べながら旅をしていくべきなのか。もはやガソリン車がクラッシック的な趣味の対象として存在しつつあるように、鉄道趣味も「少なくとも今よりは」という過去へ向いたものにならざるを得ないのではと思った次第です。
Nゲージの車両を眺めながら「この中にはいろいろな人が乗っていたんだよなぁ」と過去を想像する。これはもう至福の時間。ボックスシートの座席パーツを見て丹羽哲郎と森田健作が乗っていると想像できればプロ級なのであります(^^)
- 2023/06/23(金) 09:32:10 |
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- しなのさかい #-
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