こんばんは。しなのさかいです。

先の松本行きに関連して、手元に「青春18きっぷ」が3日分残りました。
金券ショップに売りに行くことも考えましたが、女房殿が「それはもったいないんじゃないですか?」との仰せでして、「ならどうするんですか?」といったつかみ合いと殴り合いが起こりまして、その中でハッと思い出したのがカトーのE235系1000番台だったのです。
「あの模型、実車を好きになれないまま結局スルーしてたよな…」
「模型を好きになるためには、まずはホンモノにどっぷり浸ってみようかな…」
「どうせ行くなら遠いところがイイよね…」
「『上総一ノ宮』なんか旧国名のど真ん中のような駅名で惹かれるじゃない…」まぁそんなことを次々と考えてしまったんですよね。
てな訳で、猛暑の中、二人でひたすら電車に乗っているだけという荒業のようなの目論見で出掛けることとしました。
2023年8月12日 土曜日のことでございます。

希望する時間帯の中では、横浜を9時00分に発車する列車が上総一ノ宮行きでした。
湘南新宿ラインの御先祖様に当たる快速電車の利便性を確認するために、これから一気に外房線まで乗り通します。

思いっきりブレていますが、これが件のE235系1000番台でして、一部では電子レンジのような正面スタイルから“スカレンジ”と呼ばれているとかいないとか。
賞賛しているのか、揶揄しているのかがよく分かりませんけど“電子レンジ”という表現の他に何かなかったのかという感想はともかくあります。

普通車はついにオールロングシート化されましたので、計画段階で「サロ」に乗ることを決めていました。
51km超えでも休日料金なので、追加料金は800円で済みます。
特急のような座席で2時間を超える旅ができるのですから、これはこれで「価値あり」でしょう。
列車は東京都心を抜けて房総半島・千葉県へ。
やがて真後ろに父娘が乗ってきて、3歳くらいと思われる娘さんはテーブルをバタンバタンするわ、我々の座席を蹴るわ、大声で騒ぐわで大変でした。
さらに蘇我に停車したときは「ロッキン」の会場へ向かうロックな方々がホームを歩いているのを見て、お互いに好きなことをしている身なのだナと確認。

終点が近づくと、房総半島の田園風景が広がってきました。
どこまでも山地が低い(というか、ない)。
地形に険しさがないことは、中部地方ばかり出掛けている当方としては新鮮でもあります。
極めて主観になりますが、房総半島への旅は、こうしてわざわざ電車に乗ることでもしなければならなくて、車で行くときの帰りは京葉道路、東関東道、アクアラインのいずれかの渋滞を覚悟しなければなりません(諸説はあるでしょう)。
関東地方特有の難しい問題なのではないかと考えています。

11時10分。
終点・上総一ノ宮着。
「サロ」の乗客はほとんど残っていませんでした。
非常に身軽なアジア系外国人グループ(男女7人程度?)も降りていました。
観光目的で訪日した方々のインバウンドの様子、というよりも、どことなく日本で働いている方々の休日のレクリエーションのような気がしました。

ここで引き返すようなことはしませんで、このまま外房線の奥へ突っ込んで行きます。
続いて11時21分発の勝浦行きに乗り換え(臨時列車とのことでした)。
たった11分の接続で、気持ち良すぎです。
「209系、ここにいたんかーい」と言いたくなる再会ができましたが、外房線の過酷さ(?)なのか、汚れと帯の褪色がひどくてひどくて。
早晩これも引退なのでしょうね。

ちょうど昼どきになりましたので、11時49分、御宿(おんじゅく)で途中下車。
アジア系外国人グループもここで降りていました。
横浜からここ御宿までの片道運賃で青春18きっぷ1日分の値段を超えたようですが、そういう乗り方はしていないので、飽くまでもサブ情報ということで。
駅の隣の観光協会で電動アシスト付きの自転車を借りて、ごはんを食べれるところへ。
自転車は2時間で400円とのことでした。

伊南房州通往還、の切通し。
江戸時代には確立していた、千葉市と館山市を結ぶ外房回りの街道だそうで、その一部区間とのことでした。
明らかに山を崩しており、やはりトンネル技術がない江戸時代の工事だったのではないかと想像(違うかもしれません)。
セミの大合唱の中、ときどきふわっと涼しい風が吹いてくれて、日陰にいると特に気持ち良いところでした。
海に近い土地だからなのかな。


この日のランチ。
ごちそうさまでした。

2時間弱で御宿駅へ帰還。
何故かアジア系外国人グループも同じタイミングで駅に戻ってきて、男女7人くらいが跨線橋の上に並んで遠くを見つめていたり。
ますます謎が深化してしまったんですけど、グループで海とか伊勢海老とかを楽しまれたのではないか…と、そう思うことにしました。
それにしても8月12日というレジャーシーズンのど真ん中なのに、御宿駅は日常の中に包まれていまして、昭和の夏休みの様子がまるでウソのようでした。
子どもたちにとっての夏休みの思い出は、TDLへ行くこととか観光地で買い食いというスタイルへすっかりシフトしてしまったんでしょう。
かえってこうした土地でかつての夏休みのような体験をする方が価値が高くなっているような気がします。
「あの頃の懐かしい夏休み」という商業価値がチラチラと見えかけていませんかね。

件の外国人グループは、勝浦方面からやってきた列車で上総一ノ宮方面へ戻って行きました。

これまた涼しい風が通り抜けるホームで14時08分発の木更津行きを迎えました。
さらに外房線を奥へ進みます。
いらっしゃったのはE131系の2両編成。
「カトーはいつかこれをやるだろうな」と確信した瞬間でもありました。
ところで。
まだ外房線にいるのですが、内房線の木更津行きという点には少々ビックリしました。
館山で運転系統が分離されているものと思い込んでいましたが、いろいろと変化が起こっているようです。
そういえば房総特急は、外房線の「わかしお」は健在でも、内房線の「さざなみ」は大分様子が変わってしまったんだとか。
基本的に館山まで行かなくなってしまった点(君津止まりとなった点)が大きく、とても衝撃的です。
何事も高速道路の影響なんですね。
鉄道全体に関しても、時刻表の表紙にバッチリ書かれている程に当たり前だった「房総夏ダイヤ」がなくなってしまいました。
それだけ海水浴客が消えているということなのでしょう。
皮肉にも1993年に255系を導入してテコ入れを、という施策が何も奏功しないように1990年代に取り止めとなっていったようで(蕨方面が「白い砂」セットを発売したことには「さすが!」と褒めてあげたくなりました)。
その255系は30周年を迎え、外観も大分ダメージを受けているようでした(御宿の踏切で目撃)。
255系の歴史は「失われた30年」ともリンクしているようです。

外房の海。
台風7号が近づいているからか、波が高いようでした。
安房鴨川に近づくと、ビーチから舞い上がった砂が街へ覆い被さるような霞が見えたりして、ボーッと乗っていてもいろいろと勉強になります。



16時01分、内房線・浜金谷着。
関東に住む者ならば、この駅の重要性は是非知っていなければなりません。
ここから歩いて数分のところに久里浜行きの「東京湾フェリー」乗り場があるんです。
したがって、ここから一気に三浦半島へ戻ることができます。
いわば「脱出口」なんですが、JRの車内放送では全く触れられていませんでした。

これまた接続が良すぎて、16時30分の金谷港出航便に余裕で乗れました。
「徒歩乗船」は片道900円で、乗船時間は40分とされています。
車での乗船の方は、昔ならお盆休みのようなピーク時期であれば乗り場手前の国道127号線が大渋滞になる程の混雑ぶりでしたが、この日は余裕で乗れるようでした。
アクアライン800円の影響、なのでしょうかね。
とにかく、さらば房総半島。

同型艦(船)との行き違い。

久里浜港からは17時20分発の京急バスで終点の京急久里浜駅まで乗りまして、そこから歩いてJR久里浜駅に辿り着きました。
17時43分発の列車で再びE235系1000番台の「サロ」に乗り込んで横浜を目指して、今回の日帰り旅のエンディングです。
かつては国鉄時代から「東京湾フリーきっぷ」なるものが売られていて、それを利用したことが数回ありました。
ただし半島内のルートは内房線でしたっけ。
今回はそれを外房線にねじ曲げて、あえてスパルタンなルートを選ぶ形となりましたが、不思議なことに接続がサクサクと上手く行きまして、どこでも待ち時間が30分以内に収まるという都合の良さ。
見たことはないのですけど、この接続パターンはどこかの「18きっぷ本」で紹介されているんですかね。
それほどストレスのない鉄道旅行だったんですの。

「午前中は眺めの良い2階席を選らんだからやかましいおチビさんと遭遇したのだろう」
こう反省し、この日2回目となる「サロ」利用ではアダルトな雰囲気のあるTR台車上の平屋席を選びました。
たった12席の落ち着いた区画で、確かに妻面に向いているんだけれど、木目調の化粧板がどこか応接室のような雰囲気を演出していましてね。
「貫通扉」という主張はほぼゼロで、どちらかと言うと「壁」。
少なくとも、往年のサロ110のような野暮ったい「扉」ではありませんでした。
久里浜からはガラガラ。
でも案の定、夕方の時間帯ですから、鎌倉ではドカっとした乗客があり、グリーン車も例外ではなかったようです。
我が平屋ゾーンには、今度は手ぶらの欧州系男性4人グループが乗り込んできて「イヤッホー」と言わんばかりにリクライニングシートを倒し始めまして、各自くつろいだ姿勢となってスマホの操作に興じるという雰囲気に。
しかし、頭上のSuicaグリーン車システムは大船を過ぎても赤ランプのままなんです(あーやっぱりね)。
嫌な予感が的中しまして、やがてアテンダントさんがやってきて、彼らの前に。
そして男性グループからは「アー、スミマセーン」の声。
アテンダントさんがガラリと開け放ったその木目調の「壁」の向こう側へ、まるで『サザエさん』のエンディングのように、背の高い4人の男性がひとりずつ吸い込まれていきました。
見届けたアテンダントさんはそっと「壁」を元に戻して、リセット完了と言わんばかりに我々に向かって無言で笑顔。
「壁」にはこういう使い方というか、機能があるのかと感心した次第です。
確か『宇宙戦艦ヤマト』でもこういうシーンがあったような(総統がボタンを押すと部下が消えちゃうとか?)。
もうね、今後の増備車からは継ぎ目も無くすくらいのマイナーチェンジをしてもらいたい(^^)

横浜着は18時37分。
9時間37分の耐久レースでしたけど、猛暑の中の非自家用車旅行としては上出来でした。
次の再生産のときにカトーのE235系1000番台を買うかどうかは「サロ」にいた男性外国人4人を思い出すかどうかによると思われます(たぶん買うな)。
ではまた。
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- 2023/08/17(木) 19:00:00|
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