しなのさかいの駅前広場

細かいことばかりでよく分かりません。

1993年2月10日 只見線431D

おはようございます。しなのさかいです。


昨年10月、2011年の豪雨により被害を受けていた只見線が全線規模で復活し、インバウンド需要を中心にして活況を呈しているようです。
行政と住民が一丸となって御努力された結果だと見ていて…と、その辺の評価は専門家の方々にお任せしておきましょう。

只見線、確かに見事な車窓を楽しめますよね。

当方が只見線の存在をはっきりと認識したのは、西村京太郎『急行奥只見殺人事件』(1985年)でした。
ただ、この路線の魅力を語る部分はあまり記憶になくて、小出駅のとんでもないトリック(と果たして呼んでいいものかどうか…)に呆然とした記憶の方が強く残っています。





「ひょっとしたら只見線は観光向きかもね」と認識したのは、このときだったでしょうか。
子どもの頃、そう読めてしまう紀行文に出会いました。
宮脇俊三著『旅の終わりは個室寝台車』(1984年)。
この中に収められている「雪を見るなら飯山・只見線」の稿です。

当方は刊行から早い時期にこの一編を読み、積雪のない関東平野の人間として「乗ってみたいローカル線」の筆頭格にし続けていました。

ちなみに、宮脇氏は1984年1月20日、小出発14時51分の436Dに乗って会津若松へ向かったようです(ただし冬季の運休リスクに備えて只見で待機する別の車両(436Dのまま)への乗換えがあった模様)。



さて、当方が初めて只見線を乗り通したのは、1993年2月10日(水)でした。
「雪を見るなら…」ということで積雪が期待できる季節を選びまして、会津若松から小出まで、果てしない雪の世界を楽しむことができました。
乗車記録も残していました。
会津若松発12時44分発の431Dで間違いありません。





これは14時40分に会津川口に着いたときのスナップ。
2両編成のうち、会津若松側の車両は何故か盛岡色のキハ58でした。
貫通扉には何かの痕が残っていて不思議に見えていた記憶がありましてね。





その後、只見に着いて小出方の車両も撮っています。
キハ40でした。
只見線のタブレット閉塞は2012年に消滅していますが、このときはその約20年前ですから。
タブレットをしっかりと持っている駅員さんがいらっしゃいました。

種別幕を白地にするということも模型ファンとしては見逃せない「演出方法」。





小出着は16時54分。
大白川付近でとんでもない雪の量と、冬季で閉鎖となった国道を見て、関東平野の積雪のユルさを思い知ったことでした。

上越線ホームから振り返って撮影したこの日の2両編成の遠景。
キハ40にはまだシルバーシートのマークがありました(JR東日本では1997年に「シルバーシート」を「優先席」に改称)。

この後は浦佐駅前のビジネスホテルに泊まりました。



さて、この2両編成です。
歳を重ねるにつれて「どういう車両だったのか」ということを気にし始めてしまいました。
特に盛岡色のキハ58は地域的に見て意味不明でして、只見線で使う車両が東北各線から転属してきがちなことだけはうっすらと分かるんですが、どうもね。

でも、面白いことにネガをスキャンしてみると、プリントでは見えなかった事実が見えてしまうことがあるようなんです。





小出駅のスナップに戻りましょう。
拡大してみると、はっきりと「キハ58 732」の文字が見えてきました。
スキャンしてみて初めてこの番号だったことを認識しました。





会津川口駅のスナップも拡大してみると、やはり踏み板に「キハ58 732」。
間違いないようです。

この車番から諸先輩方のページや文献情報に当たると、只見線(郡山所属)に来る直前は小牛田所属で快速「南三陸」の運用に就いていた車みたい。
その「南三陸」に冷房車が入ったことで、非冷房車であるこの車は只見線へ転属となったんですって。
サービス面で劣る非冷房車は、民営化後は流転の運命だったんでしょう。





なので、貫通扉の謎の痕跡は、快速「南三陸」のマークを掲げていたときの名残りだったみたいですね。
ようやく謎が解けました。
このキハ58 732は、1997年に新庄で廃車されたようです(合掌)。





一方、キハ40の方は、やはり踏み板から「キハ40 580」と判明しました。
2000年には廃車となっているようですから、キハ40としては比較的早い時期の消滅だったんでは。
何か調子が悪いところがあったんでしょうか。





ということで、軽めにこの列車をNゲージで再現してみたくなり、やってみました。
もともと、手元にある盛岡色のキハ58は「732」ではなく「621」としていまして、タイプも異なりますが、雰囲気重視でございます。
自分の思い出にダイブしているだけですのでお許しください。





国鉄の車両にはごちゃまぜの美学がありますが、それはJRカラーとなっても同じのようです。
盛岡色と首都圏色というのも民営化から間もない時代のイメージにピッタリではないでしょうか。





ついでに、最近トミックスから発売されたキハ48 551も登場です。
写真集付きの2両セットなんて要らないので、都合良くバラ売りされていたキハ48を、手持ちの2両のキハ40の増結用として買ってみました。

そういえば、本付きの鉄道模型製品が外にもあったような、なかったような…





今では東北地域本社色が「只見線カラー」として定着しているようで、最近キハ110にもこのカラーを施したとか。
グリーンマックスがやるのかな?
キハ110はオリジナルカラーのままでも只見線の風景に溶け込んでイイんじゃないかと思いますが、それも観光戦術なのだから仕方ないですね。
海外にウケ始めたときのカラーとして、この東北地域本社色が「只見線カラー」なのでしょう。





JR東日本の気動車たちも顔触れが入れ替わってしまい、こうした色も過去のものになりました。
懐かしむ意味で、たまにはこんな遊び方も。
ガシガシと走らせて参りませう。


ではまた。

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