しなのさかいの駅前広場

新モーター、入れてしまえば「新製品」。

急行「ちくま」と北陸旅行の思い出

こんばんは、しなのさかいです。

カトーから「さよなら20系」セットが発売されたようですので、2本帯の20系写真を貼ってみようと思います。
ただ、毎度おなじみの、超ヒドイ写真となっております。ご容赦くださいませ。


IMG_0060.jpg

1986年3月、大津駅にて撮影した下り急行「ちくま」です。東京へ帰るべく上り急行「銀河」を待っている間にやってきたと記憶しています。


IMG_0061.jpg

車番は「ナハネフ22 1023」でした。12系との異形式併結列車です。
カトーの急行「ちくま」セットそのまんま?ですかね。


このときは、中学の卒業記念と称して、仲間と二人で北陸・能登へ。
行きは上野から急行「能登」で。早朝の富山で下車して富山港、城端、氷見、七尾、能登線を乗り歩きました。
朝5時、寒風の富山駅ホームで食べた、あこがれの「ますの寿司」の味は今でも鮮明に記憶しています。
この当時、駅弁の王様といえばコレでしたから。


IMG_0031.jpg

金沢駅の駅舎です。今見るとタクシーの型が古い!
北陸新幹線の工事により、もう面影は残ってないんでしょうね。


IMG_0033.jpg

能登線の終点、蛸島(たこじま)で撮影しました。
折り返しなので、地面に降りてのんびりとシャッターを押した記憶があります。
金沢から、ずいぶんと退屈な時間を過ごしてたどり着きましたが、
今思うと、とても贅沢な時間でした。
このあと、海沿いの国鉄バスに乗り輪島へ。国民宿舎輪島荘で1泊。


IMG_0042.jpg

蛸島へ向う途中では、金沢へ向う上り急行「能登路」とすれ違い。
キハ58+キハ28が3セットくらい重なって金沢へ向っていったと思います。

輪島からは、七尾、北陸本線、東海道本線をたどり京都へ。
家族に八つ橋を買って、その後大津へ行き、冒頭の写真を撮った次第です。
思えばまだまだ「日本国有鉄道」でした。

ではでは。


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  1. 2009/03/25(水) 23:21:03|
  2. 鉄道旅行
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:7
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コメント

如何にも国鉄の旅と云う感じでしたね、見ていて懐かしく思いますが、
現在の施設水準からすると驚きます。
 当時の国鉄と云えば、薄暗い駅構内・たまに見るローカル線の駅構内便所の凄さ(一目見て思わず外で・・・)それでも否定的な思い出にならないのが、不思議です。
  1. 2009/03/26(木) 09:37:13 |
  2. URL |
  3. 線路際の住民 #-
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国鉄時代

古き良き国鉄時代の旅ですね。私も中学時代に鉄仲間3人で飯田線の流電を見に行った事が有りました。
八王子から中央線、辰野から飯田線に入り、豊橋から東海道線で帰って来るという旅でした。
  1. 2009/03/26(木) 16:55:42 |
  2. URL |
  3. 北の扇形庫から #Wd3nJgFU
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はじめまして。
カレチと申します。
20系が全盛の頃、東京駅には朝晩通い詰めた記憶があります。
出発指示合図を受けて必ず汽笛吹鳴がありました。
加速していく各車輌の扉から、白い手袋で挙手の礼が上がります。
ナシ20では、一列でホームに向かって深く会釈。
まだ、そんなに過熱していない頃、写真撮っていたら呼び止められて、準備中の食堂車でコーヒーをいただきました。
写真を郵送や次の乗務のときに手渡ししたり、一番輝いていた9レ10レあさかぜの思い出です。

20系あけぼのは、下りがナハネフ。機関車交換が、上野EF65PF黒磯ED751000福島EF71米沢(山形かも)DD51×2秋田ED75700と続くため、徹夜でカレチ氏と話をしていました。
早朝の上野地平第5・6ホームは、ハチマルゆうづるが5分違いで機関車も客車も窮屈そうに並びます。

特急運用から勇退後は、ブルトレ熱が下がりました。
全盛期のあさかぜ、さくら、あけぼの、ゆうづる編成は、今、模型になって、うちの住人になって第一線で活躍しています。
  1. 2009/03/26(木) 18:41:23 |
  2. URL |
  3. カレチ #-
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国鉄時代

コメントありがとうございます。
確かに国鉄の施設はどこも薄暗くて汚なかったですね。長距離列車を待つホームで新聞紙をゴザがわりにしていたのも、ホームが吸殻やガムで満ちあふれていたからだと思います。

ところで、当方、80年代のフィルムは何とかスキャンし終えたのですが、私のノリテツのメインである90年代のフィルムスキャンがまったく手付かずでして…。
何か時間と費用の両面で良い方法はないでしょうか?
ちなみにスキャンは、実家の複合機でやりましたので、当方は何も投資していません。
  1. 2009/03/26(木) 18:45:23 |
  2. URL |
  3. しなのさかい #-
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JNRの魂

カレチさん、いらっしゃいませ。
今後ともよろしくお願いします。
コメントを拝見するだけでも、不思議と国鉄時代の黄金期が目に浮かんできます。非効率だのナンだのと言われても、仕事にかける情熱・プライドは、今の時代のどんな組織よりもはるかに高かったような気がするのは私だけでしょうか。
というのも、今朝発売の週間「モーニング」に素晴らしい漫画が掲載されていましたので。ちょっと影響を受けました。皆さんもご一読ください。
  1. 2009/03/26(木) 22:35:15 |
  2. URL |
  3. しなのさかい #-
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カレチ様はじめまして、線路際の住民と申します
私が、鉄道少年だった当時の東京駅は、16:30さくら・16:45はやぶさ・17:00みずほ・
18:00富士・18:20出雲・18:25あさかぜ1号・19:00あさかぜ2号・19:25瀬戸・
20:40紀伊・いなば・22:45銀河と云った寝台特急が次々と出発していた頃でした。
 既に20系は、銀河のみでした。
その頃のエピソードで、発車前の寝台特急(確かはやぶさかな?)の車内で
友人と遊んでいるうちに発車してしまい横浜まで連れて行かれた事がありました。
 当然、専務車掌に発見され怒られましたが、今となっては懐かしい思い出です
 それだけ寝台特急が、輝いていた時代だったのでしょう。
今では、その寝台特急も東京駅からなくなる時代に戸惑いさえ覚えます
 つまらない話で恐縮してます。
 今回は、東京駅のはなしでしたが、機会があれば上野駅の思い出など
お話できればと思います。
  1. 2009/03/26(木) 23:32:57 |
  2. URL |
  3. 線路際の住民 #-
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カレチ様はじめまして。
北の扇形庫から(きたのくらから)と申します。
倉本聡の「北の国から」をもじった訳ではありませんが、北海道出身です。小3まで小樽、中1まで札幌に住んでいました。
小樽では手宮駅近くに住んでいましたので、北海道鉄道記念館(当時)は遊び場でした。D51の貨物やC12の入換を飽きずに眺めていました。
また、函館に母の実家が有ったので、祖父母の家に遊びに行く時はいつも往復ともC62重連のニセコでした。
という訳で私の場合は物心付いた時からどっぷりと蒸機でしたので未だに蒸機のいる風景が一番自然に感じます。
機会が有りましたら国鉄時代のお話でもしたいですね。
よろしくお願い致します。
  1. 2009/03/27(金) 22:09:45 |
  2. URL |
  3. 北の扇形庫から #Wd3nJgFU
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