しなのさかいの駅前広場

やっと来るのは、青い空。

よみがえってほしい気仙沼線

おはようございます。しなのさかいです。


当方からの更新は、しばらくぶりとなりました。
ご心配をおかけしました。
実は、ここ10日間ほど、宮城県気仙沼市へ行っていました。


5月のGW明けには、被災地行きの打診を受けていました。
自分が行って務まるのかと不安に駆られる5、6月を送りましたので、ブログの更新も滞りがちで。
そして、とうとう出発。
そして、予想通りの激務。
そして、大変な毎日でした。


被害の状況、避難生活の現状などなど。
見るもの、聞くこと、ひとつひとつに対して考え、考え、考え続けました。
帰路の7時間、眺め続けた東北自動車道の車窓は、被災地の記憶を消していくようでもあり…。
それだけ想像を越える、現実の世界とは思えない三陸の現状だったと思います。



*      *      *



さて、今回は、気仙沼線の被害状況をご覧いただきます。
被災地の今に、少しでも思いを馳せていただければ幸いです。



R0016301.jpg

南気仙沼駅は気仙沼駅の1つ手前でして、気仙沼市の中心的な駅でもありました。
中央に見える平屋の建物が駅舎。



R0016297.jpg

駅のホームを見ますと、屋根がグニャグニャに曲がっています。
やはり津波の圧力によるものと思われます。
そして隣にはがれきの山。



R0016331.jpg

南気仙沼駅から南へ2つ目。
最知駅。
すでに線路はすべて撤去されていました。



R0016333.jpg

1面のホームも、中央部分が欠損しています。
津波に流されたと考えるのが妥当だと思います。
かつて、この周辺は、住宅や木々が見える、ごく普通のローカル駅でした。



R0016323.jpg

最知駅からさらに2つ目。
大谷海岸駅です。
海水浴場に隣接した駅として有名でした。
松の木をすべて飲み込む高さの波が押し寄せました。



R0016325.jpg

津波は駅本屋の2階も飲み込みました。
海岸に通じる跨線橋。
真ん中の街灯が折れ曲がっています。



R0016309.jpg

小金沢~本吉間の橋梁跡が目に留まりました。
このようにPC桁ですら津波によって放り投げられてしまった訳です。
築堤もPC製の橋台だけを残し、盛り土の部分は流されていました。



R0016311.jpg

複数のPC橋脚があったはずです。
何も残っていません。
二つの橋台の間。
その下には、こんなに多くのPC構造物が。



R0016355.jpg

陸前小泉~蔵内間。二十一浜近くです。
ここは、気仙沼線が全線開通したときの最後の区間。
確か鉄建公団規格によるグレードの高い区間だったはずです。
しかし築堤は流され、それだけでなく津波はさらに奥深くまで流れ込んでいきました。



□      □      □



JR東日本の“復旧宣言”は心強く感じますが、津波はいつかまた、必ずやってきます。
今回のような津波を想定した、新しい基準により気仙沼線を復旧させるとなれば、多くの制約が待ち受けていることでしょう。
気仙沼線は、海を眺めることができる素晴らしい車窓でしたが、そんなことよりも、災害に強い鉄道に生まれ変わるしかありません。
現在進行しているであろう、関係各位の知恵の絞り出しには深く敬意を表するとともに、1日も早い、気仙沼線の再・全線開通を祈り続けたいと思います。









スポンサーサイト
  1. 2011/07/08(金) 09:20:04|
  2. 駅ノート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4
<<志津川のC5816、そして陸前高田駅 | ホーム | 神奈中バスコレ登場!>>

コメント

被災地派遣お疲れ様でした
気仙沼線の現況を見る度に 声がありません
その中で JR東日本の復旧に向けた意思表示に 一定の評価をしたいですね
  1. 2011/07/08(金) 19:24:56 |
  2. URL |
  3. 線路際の住民 #-
  4. [ 編集 ]

被災地支援お疲れ様でした。
影響のない地域とのギャップが、衝撃的です。
石巻市もそうでしたが、壊滅的被害の前に、現地職員はもとより、応援の行政職員やボランティア活動を休みもなく黙々と復興作業をおこなっても、長いトンネルの出口は見えません。
政権争いのエネルギーをまずは、こちらに向けて、全力投入することが信頼回復でもあると、考えます。
また、原発事故には、東電に処理させるのは、限界が来ており、賛成派や当時の関係者が先頭になって、現地に常駐してことにあたって欲しい。
遠巻きにして、責任転嫁はもうやめてほしいですね。

私も、罹災照明が不服で、再調査申請受付を行って来ましたが、皆さん切実です。
市街地をどうデザインしていくのかは、一市町村では到底出来ません。
被災地を災害からどう守るのか。
それには、住宅地をどうしたら安全に住めるのか。
一刻も早く、国が乗り出して県や市町村とテーブルにつくことが必要です。鉄道の不通区間の復興に向けての判断はこのグランドデザインを見据えてからは、ごもっともと言えます。
職場からは、さらに長期支援のうごきがあります。
行きたいところですが、ギリギリの人員でやっていることもあり、判断は難しいところです。
聞くところでは、先程の再調査が進まず、罹災証明が、確定できない→各種の支援が受けられないと、かなり厳しい局面にあるようです。
許せる状況なら行きたいがホンネのところです。
  1. 2011/07/09(土) 06:08:09 |
  2. URL |
  3. イケレク #-
  4. [ 編集 ]

被災地支援お疲れ様でした。
アップして頂いた写真を見て改めて被害の大きさ、津波の絶大なパワーを感じます。
特に橋梁跡の下に無残に転がった橋脚・PC桁の残骸・・・。
被災地の方々、支援の方々の復興への懸命の努力には頭の下がる思いです。
実際に現地で手助け出来ない分、改めてこちらで支援出来る事は少しずつでも何らかの形で継続的にして行かないといけないという思いです。
  1. 2011/07/09(土) 09:52:17 |
  2. URL |
  3. 北の扇形庫から #Wd3nJgFU
  4. [ 編集 ]

現実の世界のビジョンなのです。

皆さま、コメントをありがとうございます。

わが国の中に、こうした被害を受けた土地が、間違いなく今まさに存在しているのです。
どこか、別世界の風景を見ているようでもありますが、決してそうではない…。
自分の生活圏に慣れてしまうと、頭の中で、こうした土地の風景を切り離してしまいそうですが、そうであってはいけないと思う日々です。
ただひたすらに、被災地への思いを同じ強さで持ち続けようという気持ちです。
  1. 2011/07/10(日) 17:34:14 |
  2. URL |
  3. しなのさかい #-
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://sinanosakai.blog100.fc2.com/tb.php/853-9e296754
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)