おはようございます。しなのさかいです。

5月末に発売されていたカトーの113系1000番台。
そのうちのグリーン車2両をASSYパーツで調達し、駅の端っこの留置線に置いたままにしていました。
この2両を、クモヤ90を両端に挟んで回送列車に仕立ててみる、ということは友人であるキハ181つばささんと企んでいた(?)ものです。
今の時代の電車の編成のように固定化されていないところが国鉄時代の牧歌的かつ魅力的なところでして、中間車だけを抜いて検査に回すから代替車を挿入する…ということが日常的に行われていたんですね。
そんなシーンを各員で再現すべし…という西落合からのメッセージがこのクモヤ90の発売でした。
編成全体に室内灯を入れる必要はないかもしれません。
明らかにやり過ぎですので、いずれ外しましょう。
カプラーは両端をボディマウントタイプにしていますから、最近のカトーの電車ならだいたい連結可能。

田園風景の中に突如現れた謎の列車、っていう感じでレイアウト上を快走。
畑仕事の途中の人にとっては、きっとどうでもイイ出来事なんでしょう。
国鉄時代はあちこちに存在した施設間を結ぶイレギュラーな列車がよく走っていたものです。

クモヤ90の使い方は「妄想次第」と言えそうで、ガシガシ遊ばないともったいない。
そろそろ、そう思えるようになりました。

カトーがクモヤ90を製品化したのは確か2013年。
M車とT車が用意されたとはいえ、実質的には1両だけという小さな新製品でした。
ということで地味な発売になりましたが、牽引する車両をほぼ問わない、正に「電車ごっこ」という遊び方が可能となる深いアイテムだったことも事実。
と言いますのもね、最近の新製品が高い割にアレでしょう?
こういう“ちょっと前の新製品”を見つめ直して、心ゆくまで楽しんでみるのもようござんすよねっていうことです(^^)
あえてお願いを言うお許しをいただけるとしたら、奥まって見える側面窓ガラスの改良です。
斜め前から見て、視覚的にドア窓を認識してしまうと、客窓ガラスが認識できない、というか。
「飯田線シリーズ・エピソード0」というべき本製品の側面ガラスに対するユーザーの反応から、クモハ53007に“はめ込み式”が取り入れられたようで(?)
ですのでね、飯田線シリーズの設計技術のクモヤ90へのフィードバックがあるとイイんですが(そして救済ASSYの発売も)。
今回は軽めに。
(おまけコーナー)
久しぶりにレールクリーニングのお話。
この手の話題はあちこちで盛んで、基本的には「気づき」ネタですから見ていて面白いテーマですよね。
勉強させてもらっています。
当方は最近、こんなアイテムを併用するようになりました。

ゴッドハンド「神ヤス!」10㎜厚の10000番です。
乾式ヤスリでやっちまうとレール踏面を傷つけてしまい、これがスパークを生んで…という悪循環はよく知られています。
ただし、この10000番くらいの番手になってくると「汚れを削り取る」というよりは「踏面を(ピカピカに)磨く」という考え方により近くなってきます。

正解かどうかは分かりません。
ただし、人差し指で軽く押さえてレールの上を動かしてみると、明らかに引っかかりがなく、滑るような感覚を得られます。
これが大事かと。
スポンジの硬さも、レール踏面に対して水平を保ってくれる程度で安心。
大きさもNゲージのレールにちょうど良く、駅のホームなどに接触してもスポンジなので全く問題なし。
乾式だけでは心配ですから、クリーニング液を数滴垂らしてから「磨く」ということもたまーにやります。
汚れた研磨面は二つの神ヤスを擦りながら水道水を浴びせていたら、程よく復活してくれました。
ではまた。
- 2023/09/05(火) 09:30:00|
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おはようございます。しなのさかいです。
昨年10月、2011年の豪雨により被害を受けていた只見線が全線規模で復活し、インバウンド需要を中心にして活況を呈しているようです。
行政と住民が一丸となって御努力された結果だと見ていて…と、その辺の評価は専門家の方々にお任せしておきましょう。
只見線、確かに見事な車窓を楽しめますよね。
当方が只見線の存在をはっきりと認識したのは、西村京太郎『急行奥只見殺人事件』(1985年)でした。
ただ、この路線の魅力を語る部分はあまり記憶になくて、小出駅のとんでもないトリック(と果たして呼んでいいものかどうか…)に呆然とした記憶の方が強く残っています。

「ひょっとしたら只見線は観光向きかもね」と認識したのは、このときだったでしょうか。
子どもの頃、そう読めてしまう紀行文に出会いました。
宮脇俊三著『旅の終わりは個室寝台車』(1984年)。
この中に収められている「雪を見るなら飯山・只見線」の稿です。
当方は刊行から早い時期にこの一編を読み、積雪のない関東平野の人間として「乗ってみたいローカル線」の筆頭格にし続けていました。
ちなみに、宮脇氏は1984年1月20日、小出発14時51分の436Dに乗って会津若松へ向かったようです(ただし冬季の運休リスクに備えて只見で待機する別の車両(436Dのまま)への乗換えがあった模様)。
さて、当方が初めて只見線を乗り通したのは、1993年2月10日(水)でした。
「雪を見るなら…」ということで積雪が期待できる季節を選びまして、会津若松から小出まで、果てしない雪の世界を楽しむことができました。
乗車記録も残していました。
会津若松発12時44分発の431Dで間違いありません。

これは14時40分に会津川口に着いたときのスナップ。
2両編成のうち、会津若松側の車両は何故か盛岡色のキハ58でした。
貫通扉には何かの痕が残っていて不思議に見えていた記憶がありましてね。

その後、只見に着いて小出方の車両も撮っています。
キハ40でした。
只見線のタブレット閉塞は2012年に消滅していますが、このときはその約20年前ですから。
タブレットをしっかりと持っている駅員さんがいらっしゃいました。
種別幕を白地にするということも模型ファンとしては見逃せない「演出方法」。

小出着は16時54分。
大白川付近でとんでもない雪の量と、冬季で閉鎖となった国道を見て、関東平野の積雪のユルさを思い知ったことでした。
上越線ホームから振り返って撮影したこの日の2両編成の遠景。
キハ40にはまだシルバーシートのマークがありました(JR東日本では1997年に「シルバーシート」を「優先席」に改称)。
この後は浦佐駅前のビジネスホテルに泊まりました。
さて、この2両編成です。
歳を重ねるにつれて「どういう車両だったのか」ということを気にし始めてしまいました。
特に盛岡色のキハ58は地域的に見て意味不明でして、只見線で使う車両が東北各線から転属してきがちなことだけはうっすらと分かるんですが、どうもね。
でも、面白いことにネガをスキャンしてみると、プリントでは見えなかった事実が見えてしまうことがあるようなんです。

小出駅のスナップに戻りましょう。
拡大してみると、はっきりと「キハ58 732」の文字が見えてきました。
スキャンしてみて初めてこの番号だったことを認識しました。

会津川口駅のスナップも拡大してみると、やはり踏み板に「キハ58 732」。
間違いないようです。
この車番から諸先輩方のページや文献情報に当たると、只見線(郡山所属)に来る直前は小牛田所属で快速「南三陸」の運用に就いていた車みたい。
その「南三陸」に冷房車が入ったことで、非冷房車であるこの車は只見線へ転属となったんですって。
サービス面で劣る非冷房車は、民営化後は流転の運命だったんでしょう。

なので、貫通扉の謎の痕跡は、快速「南三陸」のマークを掲げていたときの名残りだったみたいですね。
ようやく謎が解けました。
このキハ58 732は、1997年に新庄で廃車されたようです(合掌)。

一方、キハ40の方は、やはり踏み板から「キハ40 580」と判明しました。
2000年には廃車となっているようですから、キハ40としては比較的早い時期の消滅だったんでは。
何か調子が悪いところがあったんでしょうか。

ということで、軽めにこの列車をNゲージで再現してみたくなり、やってみました。
もともと、手元にある盛岡色のキハ58は「732」ではなく「621」としていまして、タイプも異なりますが、雰囲気重視でございます。
自分の思い出にダイブしているだけですのでお許しください。

国鉄の車両にはごちゃまぜの美学がありますが、それはJRカラーとなっても同じのようです。
盛岡色と首都圏色というのも民営化から間もない時代のイメージにピッタリではないでしょうか。

ついでに、最近トミックスから発売されたキハ48 551も登場です。
写真集付きの2両セットなんて要らないので、都合良くバラ売りされていたキハ48を、手持ちの2両のキハ40の増結用として買ってみました。
そういえば、本付きの鉄道模型製品が外にもあったような、なかったような…

今では東北地域本社色が「只見線カラー」として定着しているようで、最近キハ110にもこのカラーを施したとか。
グリーンマックスがやるのかな?
キハ110はオリジナルカラーのままでも只見線の風景に溶け込んでイイんじゃないかと思いますが、それも観光戦術なのだから仕方ないですね。
海外にウケ始めたときのカラーとして、この東北地域本社色が「只見線カラー」なのでしょう。

JR東日本の気動車たちも顔触れが入れ替わってしまい、こうした色も過去のものになりました。
懐かしむ意味で、たまにはこんな遊び方も。
ガシガシと走らせて参りませう。
ではまた。
- 2023/08/29(火) 09:30:00|
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こんばんは。しなのさかいです。

本当に久しぶりに、夏の東京・臨海副都心の空気を吸ってきました。
銀座松屋の「鉄道模型ショウ」がなくなってからは、東京で行われる夏の鉄道模型イベントは「コンテスト」とこの「国際鉄道模型コンベンション」だけとなっており、当方の中では前者がノーカウントとなっていますから、実質このイベントしか残っていないんです。
熱(暑)かったはずの季節が、いつの間にか随分お寒い季節となってしまいました。
オリンピックやコロナ禍で開催が途切れ、復活した昨年は遠州・浜松行きと被ってしまい来訪を断念。
2019年が最後になっていましたから、都合4年間のブランクです。
この間は、趣味の世界を俯瞰しても大きく変わったと見ているのですが、そんな思いは当たっているのか、それとも奇遇なのか…
以前のような長い記述にはなりませんが、思ったことを簡単にメモしておこうと考えた次第です。
もしよろしければお付き合いください。



トミックスのブースで新しい木造駅舎を見てきました。
これ、どう見ても寒地タイプの駅舎でして、トタン屋根の上に落雪止めが再現されている点がさらに思い切ったナと。
電話ボックスの屋根の形状も雪国のそれだし、煙突まで再現されているんです。
普通ならマイルドな形態をプロトタイプに選ぶものですが、トミックスとしては北海道にあるような駅舎を模型化する必要がある、ということなのでしょう。

対向式ホームも新しいものが用意されるようで、こちらもちょっと興味が湧きました。
トミックス・ブランドでは、ストラクチャーやアクセサリー類の新製品開発が盛んで、車両模型を販促するための工夫が見えます。


Nゲージの蒸気機関車は、カトーのラインナップの引き継ぐようにトミックスが継続展開中。
C58は各所の印刷が施されて、解像度が上がっていました。
しかし当方としては「銀河」に興味がなく、この次に用意されると思われる何らかの企画を待ちます。
数か月前のキハ22は、これまた境界線印刷の件で敬遠されたのか、店頭に大分残っているみたいですけど、もしかしたらこの駅舎の前の大きな布石だったのかもしれませんね。

こういう方向性はカトーのジオラマアート的分野に追従する保険的なもの、なんでしょうか。
鉄道模型ユーザーには訴えていない展開だと捉えています。

ということで、国鉄時代の北海道を推す勢いが顕著なトミックス。
以前はカトーがやれていた仕事なんですよね。
北見や釧路のC58、北海道のどこかの9600が製品化されることを待ちましょう。

グリーンマックスの話題の中心は未だに「コメダ珈琲店」?
トミックスのコンビニエンスストアも新しくなりましたし、それなりに需要のある面白い発想だとは思いますが、どうしても鉄道模型、レイアウト上に優先的に必要とするストラクチャーだとは思えないんですよ。
ただ「コメダ珈琲店」じゃないと、グリーンマックスから新しいストラクチャーが生まれなかったかもしれませんから微妙。


グリーンマックスの(小田急1000形に続く)新部品構成シリーズ第2弾は811系。
マイクロエースも811系をやり直すとのことですから、選択肢が増える形になりそうです。
当方はカトーの813系だけで満足していますので。



マイクロエースは、まだまだ勝負できる(?)既存自社製品を日々分析しているようで、こうして見えてくるものに「ああそうだよね」と共感できるものがありました。
ただ、車両セットの価格の暴騰を避ける意味での「チョイス」作戦はユーザーにも読めてしまっていて、店頭に並んでも素直にチョイスできない残念な面があります。
かつての販売価格からおおよそ1両当たりの“許容”価格を知ってしまっていますから。
カトーは省略。
こんなところでおしまいにしましょう。
□ □ □
言うまでもなく、本イベントの中身は大手鉄道模型メーカーの試作品展示だけではありませんで、サードパーティの即売会や鉄道模型サークルのレイアウト展示なども行われています。
一方、当ブログでこうしたイベントに注目して足を運び続けてきた理由は「今後の自分の趣味の方向性を確認したいから」。
「この趣味を続けていく上で、少ないお小遣いをどう使えばイイのか」というお金の使い方の観点を強く持って見学してきました。
そうなると、こうしたイベントの中で、これらに近いことを考える人って誰だろうとなって、どうしても素人より鉄道模型メーカーの中の人たちになってしまいますよね。
普段考える時間がユーザーよりも圧倒的に多いからです。
ですから、鉄道模型メーカーの試作品展示をじっくりと見て、担当者さんの発言に耳を澄ませて聞いて、情報をたっぷりと吸収して帰っていく、ということを繰り返していたところだったんです。
しかし。
当方にとってこの4年間では、突き抜けた感のある価格の高騰とボヤけた企画内容の迷走とのアンバランス性の連続を見続ける結果となりました。
最初のうちは(ポスターに注目していた頃のように)後者の方が目立っていたんですけど、そのうち前者も顕著に表れてしまい、もはや各社のポスターの紙面については表現のしようのない状態になっている訳で。
冷めた趣味の世界に片足を突っ込んだ状態になってしまっているんです。
今回こうしてわざわざ会場へ足を運んでも、展示された予定品に冷めた視線を注いでしまう自分がいましてね。
ガラスケースに人だかりが多いと「別にいいかな」ってな気持ちになったり。
漏らさずに撮影しておこうという高揚感もゼロになってしまいました。
簡単に言ってしまうと、以前のような興奮はなくなっていて「どうでもよくなってしまった」という気持ちが正直なところでしょうか。
こういうことが分かっただけでも、まぁ収穫でした。
昔から車両を買うことが重要なファクターとなっているのが鉄道模型趣味ですが、買わなくても、買い続けなくても趣味を楽しんでやっていける工夫、頭の切り替えが必要となっているようです。
減量と対象範囲の絞り込みを行ってコレクションを少数精鋭化。
その上で、例えばレイアウトの建設をどうするのか、とか。
上手く言えませんが、趣味生活において目指す到達点のイメージを具体的に持つことが、個々のユーザーに、しかも早急に求められているのかもしれません。
もう少し、人生の晩年を目前にする頃で考えれば良い問題かと思っていたんですけど、皮肉にも鉄道模型メーカーから早めに考えるよう要請されてしまいました。
この続きとなる答えは、会場で見かけた数々のレイアウトサークルにあるのかも。
Nゲージ車両の価格はまだまだ上がる気配があります。
16両フル編成の新幹線って6万円、7万円になっても買うべきなんでしょうか。
電気機関車って1両1万円を超えても買う対象になり続けるんでしょうか。
買わない理由を探し始めたときは、鉄道模型趣味を捨てるとき…
そんな寂しい結果とならないようにしたいものです。
ではまた。
- 2023/08/22(火) 19:30:00|
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こんばんは。しなのさかいです。

先の松本行きに関連して、手元に「青春18きっぷ」が3日分残りました。
金券ショップに売りに行くことも考えましたが、女房殿が「それはもったいないんじゃないですか?」との仰せでして、「ならどうするんですか?」といったつかみ合いと殴り合いが起こりまして、その中でハッと思い出したのがカトーのE235系1000番台だったのです。
「あの模型、実車を好きになれないまま結局スルーしてたよな…」
「模型を好きになるためには、まずはホンモノにどっぷり浸ってみようかな…」
「どうせ行くなら遠いところがイイよね…」
「『上総一ノ宮』なんか旧国名のど真ん中のような駅名で惹かれるじゃない…」まぁそんなことを次々と考えてしまったんですよね。
てな訳で、猛暑の中、二人でひたすら電車に乗っているだけという荒業のようなの目論見で出掛けることとしました。
2023年8月12日 土曜日のことでございます。

希望する時間帯の中では、横浜を9時00分に発車する列車が上総一ノ宮行きでした。
湘南新宿ラインの御先祖様に当たる快速電車の利便性を確認するために、これから一気に外房線まで乗り通します。

思いっきりブレていますが、これが件のE235系1000番台でして、一部では電子レンジのような正面スタイルから“スカレンジ”と呼ばれているとかいないとか。
賞賛しているのか、揶揄しているのかがよく分かりませんけど“電子レンジ”という表現の他に何かなかったのかという感想はともかくあります。

普通車はついにオールロングシート化されましたので、計画段階で「サロ」に乗ることを決めていました。
51km超えでも休日料金なので、追加料金は800円で済みます。
特急のような座席で2時間を超える旅ができるのですから、これはこれで「価値あり」でしょう。
列車は東京都心を抜けて房総半島・千葉県へ。
やがて真後ろに父娘が乗ってきて、3歳くらいと思われる娘さんはテーブルをバタンバタンするわ、我々の座席を蹴るわ、大声で騒ぐわで大変でした。
さらに蘇我に停車したときは「ロッキン」の会場へ向かうロックな方々がホームを歩いているのを見て、お互いに好きなことをしている身なのだナと確認。

終点が近づくと、房総半島の田園風景が広がってきました。
どこまでも山地が低い(というか、ない)。
地形に険しさがないことは、中部地方ばかり出掛けている当方としては新鮮でもあります。
極めて主観になりますが、房総半島への旅は、こうしてわざわざ電車に乗ることでもしなければならなくて、車で行くときの帰りは京葉道路、東関東道、アクアラインのいずれかの渋滞を覚悟しなければなりません(諸説はあるでしょう)。
関東地方特有の難しい問題なのではないかと考えています。

11時10分。
終点・上総一ノ宮着。
「サロ」の乗客はほとんど残っていませんでした。
非常に身軽なアジア系外国人グループ(男女7人程度?)も降りていました。
観光目的で訪日した方々のインバウンドの様子、というよりも、どことなく日本で働いている方々の休日のレクリエーションのような気がしました。

ここで引き返すようなことはしませんで、このまま外房線の奥へ突っ込んで行きます。
続いて11時21分発の勝浦行きに乗り換え(臨時列車とのことでした)。
たった11分の接続で、気持ち良すぎです。
「209系、ここにいたんかーい」と言いたくなる再会ができましたが、外房線の過酷さ(?)なのか、汚れと帯の褪色がひどくてひどくて。
早晩これも引退なのでしょうね。

ちょうど昼どきになりましたので、11時49分、御宿(おんじゅく)で途中下車。
アジア系外国人グループもここで降りていました。
横浜からここ御宿までの片道運賃で青春18きっぷ1日分の値段を超えたようですが、そういう乗り方はしていないので、飽くまでもサブ情報ということで。
駅の隣の観光協会で電動アシスト付きの自転車を借りて、ごはんを食べれるところへ。
自転車は2時間で400円とのことでした。

伊南房州通往還、の切通し。
江戸時代には確立していた、千葉市と館山市を結ぶ外房回りの街道だそうで、その一部区間とのことでした。
明らかに山を崩しており、やはりトンネル技術がない江戸時代の工事だったのではないかと想像(違うかもしれません)。
セミの大合唱の中、ときどきふわっと涼しい風が吹いてくれて、日陰にいると特に気持ち良いところでした。
海に近い土地だからなのかな。


この日のランチ。
ごちそうさまでした。

2時間弱で御宿駅へ帰還。
何故かアジア系外国人グループも同じタイミングで駅に戻ってきて、男女7人くらいが跨線橋の上に並んで遠くを見つめていたり。
ますます謎が深化してしまったんですけど、グループで海とか伊勢海老とかを楽しまれたのではないか…と、そう思うことにしました。
それにしても8月12日というレジャーシーズンのど真ん中なのに、御宿駅は日常の中に包まれていまして、昭和の夏休みの様子がまるでウソのようでした。
子どもたちにとっての夏休みの思い出は、TDLへ行くこととか観光地で買い食いというスタイルへすっかりシフトしてしまったんでしょう。
かえってこうした土地でかつての夏休みのような体験をする方が価値が高くなっているような気がします。
「あの頃の懐かしい夏休み」という商業価値がチラチラと見えかけていませんかね。

件の外国人グループは、勝浦方面からやってきた列車で上総一ノ宮方面へ戻って行きました。

これまた涼しい風が通り抜けるホームで14時08分発の木更津行きを迎えました。
さらに外房線を奥へ進みます。
いらっしゃったのはE131系の2両編成。
「カトーはいつかこれをやるだろうな」と確信した瞬間でもありました。
ところで。
まだ外房線にいるのですが、内房線の木更津行きという点には少々ビックリしました。
館山で運転系統が分離されているものと思い込んでいましたが、いろいろと変化が起こっているようです。
そういえば房総特急は、外房線の「わかしお」は健在でも、内房線の「さざなみ」は大分様子が変わってしまったんだとか。
基本的に館山まで行かなくなってしまった点(君津止まりとなった点)が大きく、とても衝撃的です。
何事も高速道路の影響なんですね。
鉄道全体に関しても、時刻表の表紙にバッチリ書かれている程に当たり前だった「房総夏ダイヤ」がなくなってしまいました。
それだけ海水浴客が消えているということなのでしょう。
皮肉にも1993年に255系を導入してテコ入れを、という施策が何も奏功しないように1990年代に取り止めとなっていったようで(蕨方面が「白い砂」セットを発売したことには「さすが!」と褒めてあげたくなりました)。
その255系は30周年を迎え、外観も大分ダメージを受けているようでした(御宿の踏切で目撃)。
255系の歴史は「失われた30年」ともリンクしているようです。

外房の海。
台風7号が近づいているからか、波が高いようでした。
安房鴨川に近づくと、ビーチから舞い上がった砂が街へ覆い被さるような霞が見えたりして、ボーッと乗っていてもいろいろと勉強になります。



16時01分、内房線・浜金谷着。
関東に住む者ならば、この駅の重要性は是非知っていなければなりません。
ここから歩いて数分のところに久里浜行きの「東京湾フェリー」乗り場があるんです。
したがって、ここから一気に三浦半島へ戻ることができます。
いわば「脱出口」なんですが、JRの車内放送では全く触れられていませんでした。

これまた接続が良すぎて、16時30分の金谷港出航便に余裕で乗れました。
「徒歩乗船」は片道900円で、乗船時間は40分とされています。
車での乗船の方は、昔ならお盆休みのようなピーク時期であれば乗り場手前の国道127号線が大渋滞になる程の混雑ぶりでしたが、この日は余裕で乗れるようでした。
アクアライン800円の影響、なのでしょうかね。
とにかく、さらば房総半島。

同型艦(船)との行き違い。

久里浜港からは17時20分発の京急バスで終点の京急久里浜駅まで乗りまして、そこから歩いてJR久里浜駅に辿り着きました。
17時43分発の列車で再びE235系1000番台の「サロ」に乗り込んで横浜を目指して、今回の日帰り旅のエンディングです。
かつては国鉄時代から「東京湾フリーきっぷ」なるものが売られていて、それを利用したことが数回ありました。
ただし半島内のルートは内房線でしたっけ。
今回はそれを外房線にねじ曲げて、あえてスパルタンなルートを選ぶ形となりましたが、不思議なことに接続がサクサクと上手く行きまして、どこでも待ち時間が30分以内に収まるという都合の良さ。
見たことはないのですけど、この接続パターンはどこかの「18きっぷ本」で紹介されているんですかね。
それほどストレスのない鉄道旅行だったんですの。

「午前中は眺めの良い2階席を選らんだからやかましいおチビさんと遭遇したのだろう」
こう反省し、この日2回目となる「サロ」利用ではアダルトな雰囲気のあるTR台車上の平屋席を選びました。
たった12席の落ち着いた区画で、確かに妻面に向いているんだけれど、木目調の化粧板がどこか応接室のような雰囲気を演出していましてね。
「貫通扉」という主張はほぼゼロで、どちらかと言うと「壁」。
少なくとも、往年のサロ110のような野暮ったい「扉」ではありませんでした。
久里浜からはガラガラ。
でも案の定、夕方の時間帯ですから、鎌倉ではドカっとした乗客があり、グリーン車も例外ではなかったようです。
我が平屋ゾーンには、今度は手ぶらの欧州系男性4人グループが乗り込んできて「イヤッホー」と言わんばかりにリクライニングシートを倒し始めまして、各自くつろいだ姿勢となってスマホの操作に興じるという雰囲気に。
しかし、頭上のSuicaグリーン車システムは大船を過ぎても赤ランプのままなんです(あーやっぱりね)。
嫌な予感が的中しまして、やがてアテンダントさんがやってきて、彼らの前に。
そして男性グループからは「アー、スミマセーン」の声。
アテンダントさんがガラリと開け放ったその木目調の「壁」の向こう側へ、まるで『サザエさん』のエンディングのように、背の高い4人の男性がひとりずつ吸い込まれていきました。
見届けたアテンダントさんはそっと「壁」を元に戻して、リセット完了と言わんばかりに我々に向かって無言で笑顔。
「壁」にはこういう使い方というか、機能があるのかと感心した次第です。
確か『宇宙戦艦ヤマト』でもこういうシーンがあったような(総統がボタンを押すと部下が消えちゃうとか?)。
もうね、今後の増備車からは継ぎ目も無くすくらいのマイナーチェンジをしてもらいたい(^^)

横浜着は18時37分。
9時間37分の耐久レースでしたけど、猛暑の中の非自家用車旅行としては上出来でした。
次の再生産のときにカトーのE235系1000番台を買うかどうかは「サロ」にいた男性外国人4人を思い出すかどうかによると思われます(たぶん買うな)。
ではまた。
- 2023/08/17(木) 19:00:00|
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おはようございます。しなのさかいです。

前回でもお知らせした形となりましたが、久しぶりに「鉄道模型コンテスト」を見てきました。
「見てきました」とは言い過ぎでして、1時間弱の強行偵察のようなものでしてね。
幸いにも空き時間に「行けちゃった」と言う方が正しいかもしれません。
そんな不謹慎な動機による簡単なレポートです。

ダダ券などは持っていませんから、入口で1,000円を支払いまして、入場券となる腕輪を付けられて入場しました。
余談ですが、紙製の腕輪、汗でベトベトしまして、オマケに会場を出てからも簡単に引きちぎれなくて困りました。
会場正面には聞き覚えのある方の声が響いていて、会場の生徒たちや来場者とコミュニケーションを取ろうと必死に大声をかけても生徒たちはさらに必死で…という「さもありなん」な風景が展開。
そんなことはどうでもよかですね。
カトーだけは新製品を紹介するブースがありましたので、以下に何枚か共有しておきませう。
評価は各自で奮励努力して行うように(^^)







ポケットラインコントローラーは、USB電源供給となるため、電圧が5Vになるとのことです。
故に普通のNゲージで使うことは厳しく、ライトの点灯をチェックするなどの軽易な用途に限られるとのことでした。
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎
さて、肝心のコンテストの中身なんですが。
高校生の創作意欲を応援したい…という気持ちは、何十年も彼ら彼女らと同じことをやっている者として、偽りのない前提として置かせていただきます。
当方も、彼ら彼女らと同じ歳頃に、正に同じことをやっていました。
その上で。
会場を何周しても、作品への関心はなかなか持ちにくく、学校の文化祭での鉄道研究部の発表内容が集合した形であり、それ以上でもそれ以下でもない、というところでした。
この原因を生徒たちの技術力の結果だと総括してしまうのは、どうも違和感があります。
原因はなんなんだろう。
考え続けて眠れなくなりました。
ぼんやりと頭に浮かぶ原因が、作品に対する評価の難しさでした。
個々の作品への詳細なアドバイスであるとか「あと一歩」的なポイントを示すことはあっていいし、実際に来場者から見えないところで行われているのかもしれません。
ただ「コンテスト」と銘打っているイベントなので、どうしても相対評価への期待の方が内外の関心を集めます。
そしてまた、その評価のトップに立てば周りから注目を集めますし、注目を持っていかれた方は(気持ちを制御しようと自分に言い聞かせても)複雑な気持ちになるものです。
この評価に参加する生徒たちの納得感が伴わないと、年数や回数を重ねたって作品のレベルの底上げは見えてこないのではないでしょうか。
今回は見かけなかったのですが、以前には鉄道とは無関係な、奇抜な発想で大人たちを驚かせ、そうした製作意図が見えてしまっている作品が案の定評価とか注目を集めていた向きがありました。
審査の視点にもファンタジー的立ち位置があったようです。
仮に鉄道のあるシーンにこだわらずに、プラモデル的なジオラマとして割り切ってやってしまった方が生徒たちの発想力を伸ばせるというのなら、「鉄道模型コンテスト」である必要はなくて、かえって「鉄道」は邪魔な制約ですよね。
スポーツのように勝ち負けがはっきりしない世界であるだけに、いわゆる「負けた」ことを次へのステップとして活かす何かを大人たちが子どもたちへ授けられているか。
そんなことを心配しています。
残せないし、そもそも残すつもりなどないというのなら、何らかのリセットが行われる必要があるのかも。
それぞれの作品について、各審査員が良かった点と惜しかった点や伸ばすべき視点を丁寧に書いて、それをオープンにして「見える化」して全体で共有する。
いっそのこと「コンテスト」という概念から離れてみて、絶対評価だけの世界にしてみてはいかがでしょうか。
その方が、来場者も全ての作品について丁寧に見れるような気がしていて、また学校同士の互いの見つめ合い方も変わるような気がします。
「相対評価」って、大人の世界になってもよく分からない、とても厄介なものなのです。
とにかく「納得感」を得にくいし、誰かの主観そのものではないかという疑いが消えない。
学校の成績であれば、自分のテストの点数に基づいて(5段階などの)相対評価が行われるので、まだ分かるんです。
こうした客観的指標に基づくと、相対評価もやや安定してきますよね。
音楽のコンクールではそのために試行錯誤が続いていますし、その試行錯誤の結果に、ある程度の納得感が見えるからこそ、観覧席のチケットが飛ぶように売れているのでしょう。
大人の世界への入口として、生徒たちにこうした評価の洗礼を浴びせるという考え方もあるかもしれませんが…
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その他、運営面での意見も飛び交っているようですが、当方としては内側を見ていないので発言を控えます。
ただ、外側を見て気になるとか、不思議に思う点はメモしておきましょうか。
① 地方から上京する方々の苦労当方もJKの保護者をやっていますので、夏休みの真ん中、4日程度も東京のど真ん中に行って滞在する旅費がどれほどのものかはよく分かっているつもりです。
子どもが「やりたい」と言えば何とかしてあげたいのが親心ですが。
引率する顧問の先生も大変ですよね。
コンテストが終わったからといってすぐに帰る訳にもいかず、例えば大宮とかにまで引率するかもしれません。
おそらく規模的に先生1人での引率でしょうから気も抜けない数日間のはずで、今頃は修学旅行から帰ってきたときのようにヘトヘトなのでは。
お疲れ様でございます。
② 九州大会の意味単純に「なぜ九州?」です。
HPには「今後、全国に展開してゆく予定」(原文ママ)との文字がありますから「まだ九州のみ」ということのようなのですが、九州大会だけは毎年開催できる背景も不思議。
もともと九州ってNゲージのレイアウトを作る意欲が旺盛な土地なんでしょうか(HPで見たところ、今回の全国大会に九州地方から参加した学校は数校?)。
今回の全国大会の会場ステージからは、ウルトラクイズのように九州大会へ行くことを呼びかけるシーンもありまして、全国大会→地方大会へと進む、普通の大会と比べて異様に目立つ逆進性も謎。
もっとも、九州地区のみ予選があるようだとこれもまたおかしなことになりそうですが。
③ カトーの立ち位置現在のコンテストにおける「特別協賛:カトー」の立ち位置がよく分かりませんでした。
会場内はカトー的な要素が多いし、壇上もブースもカトー、カトー。
サーカスとかT-TRACKのレイアウトも展示されていましたが、これらもカトー提唱による規格でしたよね。
ここ10年程度の経緯を見れば分かる気もしますけど、なかなか主催団体が見えてこないことに違和感が残りました。
④ 物販の消滅以前はカトーのコンテスト限定品を目当てにした長い行列ができて、それが入手できないことにキレた来場者とカトー側とで怒鳴り合いが起きるトラブルがありました(一部始終見ていましたので)。
また、その限定品の行列の外にも販売店による物販ブースがあり、来場者はそこへ殺到するという風景がありましたので、気になっていたんです。
来場者数を増やす意味では有効な方法なのでしょうが、作品を展示する生徒から見れば「主役は誰なのか」となるし、そもそもお金を持たない彼ら彼女らは、来場者たちのように自由に買い物をすることができないのです。
こうした風景が見えなくなっていて(カトーのレイアウト素材だけは売られていたようですが)まぁそこは良かったかもと安心しました。
自分が高校生のときは、作品を見てもらったり、それを評価してもらったりすることよりも、進級するにつれて同好者が居なくなっていくことへの不安とかもどかしさの方が強かったと記憶しています。
せっかくの交流の場、せっかくのつながりの場なのですから、生徒個人同士のつながりはいろいろと制限があるのかもしれませんけど、学校間での交流を約束して実行するとか、生徒たちの興味を継続的に育てていける環境づくりにコンテストが役立つとイイですね。
スポーツでも学校単位でのチームの結成が難しくなっていたり、部活動の地域移行という流れがあります。
鉄道研究系の分野はそもそも活動人員が圧倒的に少ないのですから、学校内のみで頑張り続けることには限界があるんじゃないかと。
と言いますのもね、当方の上の娘の出身校が数年前のコンテストに出場していたんです。
「今回はどんな作品かなぁ」と偵察したところ、なんと参加していなかった、というオチが待っていたのでした。
その部活自体が存続しているのかどうか、今は知る術もありません。
ではまた。
- 2023/08/11(金) 08:50:00|
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